大。福。日記

大。福。日記

看護の道は嶮しい!~学歴社会~




 恩知らずの私は、徐々に自信をつけて、「オールマイティ」を目指すようになった。実習を乗り越える度「なんとかなるさ」と、どこでも通用するにはそれなりの修行の場を…と高度医療の場に関心を持った。


自宅から通えて、子育てとも両立できそうなところ…総合病院1箇所と大学病院4箇所に興味を持ち、その内説明会の段階で、大学病院2箇所は研修のため半年間は日勤残業が19時に及ぶと正直に教えてくれたため、受験はとりやめた。そして受験した3箇所とも内定をもらった。総合病院も内定段階で「根性があれば乗り切れるから」とプリセプター制度による19時以降の日勤残業があるのを知らせてきた。その為に辞退した。9月総合内定をもらった2箇所は同じ大学の付属病院だった。病院説明会(ホテルでの集合と、病院内単独のもの)では、法定で決めめられているので週10時間以上の残業はないとのことだった。結構しつこい位確認した。「さすがは大学病院。しっかりしてるんだな~」18時位までの残業は仕方がないとして、それ以降の課題は、家に持ち帰らせてもらおうと思っていた。自宅からの近さや奨学金の関係もあって、H病院に就職を決めた。


 4月に入職して、全てが甘かったことに気づく…。まず、同期35人のうち20人は看護大学出身者で、6人が付属の専門学校者、他のレギュラー校から6人、私のような進学コースは3人。募集要員は当初50人だった。実際50人近くが不足していたのだが、大卒を予定以上に採用したので、人数を少なくしたとの説明だった。近くに他の大学の付属病院が開院するために戦力強化のため厳選したとも説明があった。辞めるときに聞いた話だが、私は庶務課の人事担当者に気に入られ、採用された。「若い子たちってキツイでしょ…その中で、君のような子どもがいて、色んな事情が分かる人が入れば、現場も良くなるのではないかなって思ったんだ。」現場では、進学コースと言うことで、「大丈夫?ついてこられる?」と早くも心配顔。国家試験の成績が、私より30点も下の国立大出身の子は「期待してるわよ」とのことだった。

 私が配属されたのは、循環器、血液、消化器内科の混合病棟。機能別で日勤残業はリーダー格で18時中堅が18時半、新米は19時から20時が当たり前のようだった。私についたプリセプターは23歳(3歳年下)。子持ちの、准看の事情なんて知らない、「困った」人だった。保育園は通常18時半まで。それも無理を言って延長の資格もないのに19時まで大目に見てもらっていた。それでも間に合わない!!姉に3ヶ月と期間限定で見てもらうことに。娘2歳1ヶ月。日勤残業は機能別のため、リーダーが消化しないと回ってこない。だらだらと時計は19時、20時、21時を示す。記録は鉛筆で書いてプリのOKがでるまで清書ができない。

 私の記録。(だいたい、こんなようなこと)
S:「痛いよ~死にたいよ」
O:蹲踞の姿勢で息切れあり。
A:癌性疼痛のため、体力を消耗している。
P:1Dr報告し、疼痛コントロール2体位変換に2時間毎に訪室。

 プリセプターの指示→裁判に負けるので、具体的に書かないとアドバイス。
S:「…」
O:呼吸困難あり。
A:呼吸苦がある
P:ケアしていこう。

 なんじゃそりゃ!!私の言葉ではない記録を書き、点滴の滴下数を計算しているのに、終わりの確認にぐるぐると病室を回った。何をしているのか分からない。確かに理想を追ってはいけない。でも、現実に機能別で毎日担当する部屋が変わるのでは、処置はもとより50人の患者さんの情報、状態が把握できなかった。プリは4月中に日勤業務を覚えて、5月から夜勤と言う。説明会では8月といっていたのに…。なんで騙すんだろう?管理と現場の連絡不足か?実習病院では、個人担当制だったので、担当ナースは個別に看護計画を立案していた。

 理想は追っていない…でも現実にここのやり方に染まるのがイヤだった。看護が分からなくなってしまいそう。


 実習病院のほうが、(総合病院)まともだった。ここの就職の誘いも断った。皆いい人だった。でも残業がひどかった。良いナースだからこそ、子持ちが入って、迷惑はかけられないと思った。

 看護に質、でもきっとそんなことだけでは辞めなかった。一番の理由は帰れなかったこと。始業は8時30分。新人なので7時から。娘が寝ている間に出勤し、寝ている間に帰宅した。娘の寝顔を見て毎日泣いていた。そして、宿題はと言うと「輸血と心カテの介助、明日までに手順書いてきて」一睡もせずに仕上げると、「本当にやってくると思わなかった。」やってくるよ!!バカヤロ~~~!!!!


 娘は2歳。母子分離不安という人間としてとっても大事な課題を乗り越えようとしている時期。娘がおかしくなっても、誰も責任は取ってくれない!!いや、その前に、私がおかしくなる!そう思って3週間で辞めた。

 看護は大学病院でしか展開していないのではない。小中病院よりも総合病院、それよりも大学病院と考えるのが安易だった。その方が教育制度は充実しているとは言えない。そんなこともわからないなんて…。

 ただ、泣いて辞めたわけではありません。ちゃんと改善要望書と言うのを提出しました。これから増えるであろうママさんナースのために、看護が生涯学習でずっと続けられる仕事だからこそ…。

 翌週より、新人の19時以降の残業はなくなったらしい。また、教育体制の見直しと言うことで、総婦長が退任し、本院から教育部隊が着任したらしい。良くなることを願います。働きやすくなりますように。患者さんへ、良質の看護が提供されますように。

 この影響で、私は看護大学編入を志します!!

 一応は看護学(国試)の模擬試験で全国10位を取ったこともあったので、英語を何とかすれば希望は見出せるかも?!と思い、編入専門の予備校の門を叩きました。けれども、またまた、甘~い。

 進学コースは3学年編入の対象じゃありませ~ん。始めるなら2学年から。
専門士を取られる学校なのに…あ~~~~~っ!!!。これからまた、3年も通うのか?皆さんそうしているの?絶望的瞬間でした。

 そんなある日、職場の大卒ナースさんが、日本赤十字看護大学の精神保健看護学教室の事例検討会に誘ってくれました。楽しみに行ってみると、穏やかなカンファレンスで、本当に品の良い、賢い人たちの集まりでした。何より、武井先生&小宮先生の熱いアセスメントが聞けて幸せでした。参加するうちに、精神看護にもはまりだして、教員になるにしても、これからは修士が求められるだろうし、50歳になって20才年下の大卒ナースに越されるなんていや!目指すは大学院だ!!!これで行こう!学位は違う分野の方が門戸が広いから、役に立つ福祉か心理で行こう!!(後に心理学で3学年編入をするのです)

 編入学してから、放送大学で看護学の学士が取得できること、心理学の世界は甘くないこと(何で関数が出てくるのって、心は見えないから、科学的にするには必要なのさって早く教えてくれ~~)、興味が持てないとこんなにも勉強が進まないのか…と先走った自分を後悔するのでした。

後に、通信教育につづく。



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