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2016.09.13
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カテゴリ: 夕張
私が夕張で乗ったことのあるのは、旧国鉄夕張線と夕鉄と三菱大夕張線の三つである。夕鉄と三菱はもちろん私鉄で今はかけらも無いのだが、どちらも思い出深い鉄道である。で、この二線については、後からゆっくり書かせていただきたい。今回は国鉄時代から今も残っている石勝線夕張支線である。全盛期に12万人弱の人が暮らしていた夕張市は、住人のほとんどが炭鉱の関係者だった。私の感覚では、炭鉱関係8割、そのほか2割という感じで、その2割の中でもっとも多かったのが国鉄関係者だったように思う。夕張の鉄道は、12万弱の住民のためにではなく、あくまでも石炭の運送が目的だった。だから、ヤマ(鉱山)ごとに、例えば、夕張本鉱、平和鉱、真谷地鉱、というように、石炭の採炭されるヤマに最寄りの駅ができていった。いや、人の乗れる駅は無くても、石炭を積み込むための線路は確実に各ヤマにつながっていた。だから、石炭が掘れなくなったヤマには石炭も人もいなくなってしまうので、鉄道だけが残るはずもないのである。ましてや、炭鉱が一つも無くなり、人口が一万人を切り、さらにクルマ社会になってしまった今、鉄道が残っていることの方が不思議なのである。





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最終更新日  2016.09.14 21:38:36 コメントを書く
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