いえっぱかたかん

いえっぱかたかん

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

かっぺい613

かっぺい613

カレンダー

お気に入りブログ

リラっちの館 Rila:*:.。.* ☆さん
カニキチの食べ歩き… キタキタおやじの弟子さん

コメント新着

通りすがり@ Re[3]:地方に「寄席」は必要か その4(08/07) ザクロさんへ 知らない情報をありがとうご…
かっぺい613 @ Re[1]:獣医師になりたかった頃 その10(09/15) 菊池隆之さんへ いや、お久しぶり。いっし…
菊池隆之@ Re:獣医師になりたかった頃 その10(09/15) 獣医になる夢、覚えてるよ。 岩手大の受験…
むすめ@ Re:令和8年のジジバカ日記 その8(08/16) たいへんお世話になりました!
井上もやし@ Re:令和8年のジジバカ日記 その7(08/15) かっぺいさん、お疲れ様でした。我が家も…

フリーページ

2016.09.19
XML
カテゴリ: 夕張
この鉄道には、多分、20回ほどしか乗車していない。つまり、通学なんかに利用してはいなかったのだが、強烈な思い出がある。私は子供の頃、父の転勤で5回ほど炭鉱住宅を引っ越しをしているのだが、その最後の住之江町の炭住の真横を走っていたのが、この鉄道だった。しかも、かなりの間、SL機関車が走っていた。で、家のすぐ横を走っていたのなら、さぞ音がうるさかったかというと、ほとんど感じなかった。というのは、例によって、ほぼ通学専用列車みたいなもので、朝夕しか走っていなかったのだ。この線もまた、人より石炭を運ぶための鉄道だった。私の時代では、南大夕張(通称「南部」)から、清水沢まで走っていたのだが、当時の夕張南高校の学生が乗客のほとんどであり、私の夕張北高や夕張工業の生徒は、JRとの接続が合わなくて使いたくても使えなかった。今から考えると、これは三菱が、「北炭」の領域には踏み込まず、まず、清水沢の高校まで、自分の会社の社員とその家族のためにという方針だったのではないか。だから、南部や、その奥の大夕張から通っていた北高の同窓生は、夕鉄や三菱のバスを使って清水沢まで通っていた。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2016.09.19 23:46:41 コメントを書く
[夕張] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: