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金堤からのったタクシーは
どういうわけか
石仏山ではなく石仏山セット場に
ついてしまいました。
貯水池の向こう側にセットの屋根が見えています。
その屋根の続きにお城があって
カメラを構える朝葉の右手の奥には
このセットが
そしてカメラを持つ朝葉の後ろ
この階段を登って
整備された遊歩道がおわると
そこからゆるやかな山道が始まってます。
この山道が石仏山でした。
228メートルの小高い山でした。
ここに義父が
終戦までの数ヶ月間いたのだなあ
と思いました。
この石仏山に来る前は
召集されて
現在の北朝鮮の平壌にいたそう・・・。
8月15日の数日前に
日本の敗戦を確信し
帰り支度をはじめた義父・・・
他界するまで
『朝鮮半島にいたときに大変申し訳ない
ことをしたという思いでいっぱいで
韓国にだけは観光旅行に行けない。』
と言っていました。
先ほどの写真
これの★のもう少し奥に
小さなお寺がありました。
むかって右側の石碑
このお寺のいわれが書かれている感じでした。
右側の石碑
下から4行目右側から
『40年間日帝・・・・』って書いてありますよね
これは朝鮮半島が日本の植民地であった
時代のことです。
朝葉は『済州高光全位』って何かわかりません。
でもこの石碑の意味が
本当に理解できたとき
義父の『韓国にだけは観光旅行に行けない』
の言葉の重みも
終戦後
反戦を訴えながら
教壇に立ち続けた義父の心情の一端に
触れられるような気がしました。
上から3行目の真ん中あたりに
『壬辰倭乱』とあるので
豊臣秀吉の時代からの何かが
あるのかなあ・・・と思いました。
いずれにしても
もう少しかなり勉強しないと
穏やかで優しかった義父の思い出で
胸がいっぱいになりました。
義父が他界したとき
まだ、2歳だったまーくんと
おなかにいたあーちゃん・・・・
『なんか・・おじいちゃんが
一緒みたいで
来てよかったよね』
と言っていました。
そして、再び金堤の駅に戻り
目の前でKTXを逃してしまい
一時間半待って
電車に乗りました。
こうやって
少ない本数の電車に待たされるのが
また、韓国ならではなんです。
あ・・・・
ただ単に乗りはぐったっていうのではないんです。
席が4席なかったのと
フリーパスなので
発券に時間が掛かるので
乗り遅れてしまいました。
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