かさっぺの日々

かさっぺの日々

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2005年05月13日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 おひさしぶりぶりすぎて最後に日記を更新した日がいつなのかわからないくらいです。でもはっきりしていることは、この間にたくさんの事が起こり、またたくさんの事に気づき、学んだ。とりあえず文章にするのが苦手なおれなので、リストをあげると・・・といっても物事をカテゴライズすることさえも苦手なおれなので順番はむちゃくちゃ。(まあこの事に気づいたという事も含むのだが。)

 1.人の尊さ
 2.人間のタイプ
 2.1 人の考え方、又「カテゴライズ」の仕方
 3. 物事の先見性、進め方。

となるだろう。これがおれが精一杯今わかりやすく整頓したオーダーである。

 まあ、順番にいくと、1番目はまったく他の項目と違うものだが、また後々関係があるものでもある。(明確には私情事なので書かないが、暗示する。)人の尊さに本当に気づく、感じるという事はどういうことであろうか。自分は道徳的に以前はその「尊さ」について接していたに違いない。それは人に差や道徳的価値観から違ってくるものには違いないのだろうが、ただはっきりしていることとすれば、「気持ち」つまり五感で実際感じる「尊さ」というものはそれを経験した事があるものでないと分からないということだ。自分は最近この世中で何にも例えられない「尊さ」というものを五感で感じた。その尊さは五感で感じたものだから言葉になんて出来ない。言葉を変えれば、言葉でなんて表せれないものだ。しかし、その尊さというものは、単純に道徳的な言葉そのものでなく、色々なものを伴う。絶望、悲観、落胆、もうその事を忘れたい、忘れられないとかそういう次元ではない。そして五感で感じたものは、やがて自然と自分の中で融合され、時間が経つにつれ、「尊さ」という一つの言葉にたどり着く。つまり世の中には、言葉では単純にという言葉は適切ではないのかもしれないが、表せれないものがあるという事だ。それを、特に自分みたいなタイプの人間、つまりそういう気持ちを頭で言葉という道具を使い文章にし口に出すと、なんともいえない気持ちが自分の中を駆け巡るのである。それは「言葉の限界」ともいえるであろう。
 この人間の「タイプ」だが、この大学に来て特に、自分は実に様々な人間に出会ったと改めて実感した。このことは頭では当然とうの昔から気づいてきたことなのだが、今日はそれを「実感」したのである。おれは人はそれぞれ違うという一般的な考えに賛成するのだが、その違いの中にもタイプはあると思う。そのタイプはまだ自分が限られた小数の人間をみたことしかないため必然的にそのタイプの数も限られている。そのタイプによって物事への見方、考え方、その進め方もまたタイプによって変化する。これもやはり個人個人の育ってきた環境、今いる環境、見てきたもの、他がみてきて自分がまだみてないものなど様々な要因があり変化するのだろうが、ただ一つこの事は言えるのではないかというものをあげると、「カテゴライズ」の違いというものはその「多様性」を促す一番の要因なのではないかと思う。このカテゴライズというのは、例えば自分の中に大きなタンスがあるとする。このタンスがあるということはどの人にもあると考えるが、そのタンスにある引き出しの数には変化性がある。つまり人によってそのタンスの数が違う、そしてそのタンスに「入れる物」も変わってくるし、その入れたものの処理の仕方も人によって違う。例をあげると、AさんとBさんが一緒にいて、cさんに出会うとする。一緒にカフェで一服した後cさんが帰り、その後AさんとBさんがCさんの事をお互いどう思ったかを聞きあう。そのときAさんが好き(又は嫌い)に対し、Bさんは「ん~どうだろうね。」という返答をするとする。(この場合Aの回答が嫌いの方がわかりやすい)このBさんのどちらでもないという回答は好きも含み嫌いも含む。単純にいいすぎているかもしれないけれど、AさんとBさんの間でのおおきな違いはタンスの引き出しの数、又処理の仕方である。Aさんの中には「好き」「嫌い」があってもBさんの中には「苦手」「苦手でない」があるのである。Bさんにとって苦手ということは嫌いということではない。極端にいえば嫌いにはならないのである。だからといってBさんに嫌いという感情がないという事ではなく、嫌いと感じる時がAさんとは違うのである。単純化しすぎていて、妥当な論ではないのだけれど、自分の説明能力がないからこれが今の精一杯なんだけど、要はこの「カテゴライズ」は意識、無意識に関係なく、それぞれの人の特徴だということをいいたかった。
 この事が分かったかといって、実際に人を理解できるかといったら不可能なのはあたりまえだし、そんなに人は単純じゃない。もともとこういう感情だって言葉というものが発明され、発達してきた過程で生まれた「表現」にすぎないし、その限られた言葉の能力の範囲で人を理解しようとする事事態が不可能であると思う。だけど人を理解する手立てにはなるかもしれない。もし人がもっと単純で明快なら、人は今の要にはならなかったと思う。複雑だからこそ、難しいからこそ、前に進み、発達し、物事が発展していくものだと信じたい。

 今自分は自分の中で静かに「自分」発展しているのがわかる。それと同時に人、物事の複雑さがもっと見えるようになってきた。例えば、上記の理論があり自分の論理があるものならば、自分はもっとその理論を発達させるべきであると思う。そうすれば次第に論理も変わってくる。自分の理論がもっと自分の中で融合され、たくさんのものを吸収していくといいと思う。

 そんなことを思った一日でした。
ちゃんちゃん。

 かさっぺ





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最終更新日  2005年05月14日 12時07分08秒
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