関連動画
http://jp.youtube.com/watch?v=R-Pm2ve57pI&featur
1995年の 阪神 、 淡路 大 震災 のあと 復興 には10年の年月を要するという 報道 が 震災 直後にあったが、
先日、 京都大学 の講義で聞いいた。
商業、年間販売額は69%、
地場産業 のケミカルシューズ生産額は79.9%、
観光入込客数だけがルミナルエの影響で114%、
湾岸 コンテナの貨物取り扱い量は82%、
市内総生産の所得は93%であることを知った。
まだまだ回復していない。
忘れてはいけないあの日のことを
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昨年の文章
阪神淡路大震災 から14年です。
テーマ: ブログ
2009年01月18日 posted by katsunori
阪神淡路大震災 から14年です。
昨日1月17日は、 兵庫県 南部に行ってきました。
もう、 震災 の傷跡を感じることが、少なくなりました。
忘れるころに、大 震災 は起こるかもしれません。
ことわざにもあります。
今年1月は 高島市 は大雪 です。
高島市 の ホームページ によると平成21年1月16日16時現在の積雪状況はマキノ町蛭口29cm、今津町今津32cm、朽木市場65cm、安曇川町 田中35cmでした。
この大雪 のなか、
もし、大 震災 が起こり家が沢山倒壊したなら、
多くの人々が路頭に迷います。
それだけではないでしょう。
大雪 の寒さのため多くの人が命の危機に直面するでしょう。
雪の降らない 兵庫県 南部のように学校の校庭や
公園でテント生活できません。
昨日、 兵庫県 南部に向かう途中、
近江 舞子駅の前に改築され、採算が合わずにすぐに、
閉鎖されたホテルを見ていました。
大型駐車場の入り口が無造作に ロックアウト されたのが、
電車の中からでも確認できました。
電車の停車中にこの
駅前の大型ホテルを見ていると、
立派な建物が、
もったいないと同時に、
大 震災 のときに、
私有財産 であるが、協定かなんか。結んで利用できないか。
と考えたのは私だけでしょうか。
緊急時の法律 改正か、条例なんかで・・・・・
大雪 のなか、
大 震災 が起こったら、
それは恐ろしいことになります。
この不況と比べものにならないぐらい大変なことになる。
そうならないためにも、あの日を忘れてはいけないと、
私自身、思いました。
私はあの日、 兵庫県 の南部にいました。
私が市民記者として記事を書いた URL 。
http://news.livedoor.com/article/detail/1638926/
関連動画
http://jp.youtube.com/watch?v=R-Pm2ve57pI&featur
下記2006年に書いた文章
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2006年01月17日11時29分 / 提供: PJ オピニオン
阪神大震災 から11年後世に伝えるために・・・。「ガタガタ」「ガタガタ」。けたたましい音で目が覚める。
ベットから飛び起きて、リモコンでテレビをつけた。1995年1月17日早朝。祝日の連休を利用して偶然、 兵庫県 南部にいた。あまりの揺れに、 地震 の詳しい内容を知るためにテレビをつける。テレビには、 地震 情報が流れている。大阪、 岡山 と 地震 の 震度 が表示されている。 神戸 の表示がないが、大阪に 神戸 は近いのでないものだと勝手に思い、また、寝てしまう。
余震の揺れで、再び起きてテレビをつける。「あ~、 阪神高速 が倒れている」と声を上げる。 神戸 は学生生活を過ごした思い出の町だ。六甲山の山から見る 夜景 は美しく。日本に一、素敵な町だと思っていた。しばらくして駅に向かう。駅では電車が 西明石 で止まっているという表示で動いていない。
その後、数日がたった。余震の続く 神戸 近郊の親戚の家の引越しの手伝いに車で向かうことにした。 自衛隊 の車が、何台も走っていたのが印象的だった。その後、 神戸市 内には何回も足を運んだ。繁華街の 三ノ宮 の駅前にはビルが倒れ、昔の面影もない 三ノ宮 の風景を見たとき、涙が頬をつたっているのに気づいた。
悲しみに慕っている場合でない。交通手段を探した。電車の動いていないなかで、バスが動き出していた。バスに乗り込みに並ぶ 被災者 の方々の待つ姿が印象的だった。バスの中での 東灘区 の風景は悲惨だった。 東灘区 では沢山の家が倒れていた。倒壊している。中にはまだ人がいるかも知れない。悲惨な状況に心が痛い。
その家を見ているバスに乗る 被災者 の人の気持ちを考えるともっと心が痛かった。その後、大規模な 震災 に備えて建物の 耐震強度 を高めるために 建築基準法 が改正になった。建物の中には人がいる。建物は人の命を預かっている。 神戸 はあの日から11年たつ。あの美しい 神戸 に蘇ったのだろうか。私たちはあの日を忘れてはいけない。伝え続けることも パブリック・ジャーナリスト の使命だと感じる