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皆様へのお知らせです。 このたびブログを再開するとともに、「はてなブログ」へと引っ越しすることになりました。 楽天ブログでは大変お世話になり誠に有難うございました。 引き続き「はてな」で、同名のブログ(「観光アナリストのまち歩きフォト日記」)を綴っていきます。 http://d.hatena.ne.jp/kaz-sasaki/ 何とぞ宜しくお願い申し上げます。
2011.03.26
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帰省先の田舎は、今朝も良く晴れています。 地元の斑鳩寺の春会式(お祭り)が、明日と明後日に開かれます。 今日は母の介護の合間を縫って、お参りしておこうと思っています。 さて、今回も番外編で長崎の写真のみです。 上の写真は、オランダ坂の近くにある民家を撮ったもの。 外壁にレンガを組みあげて、面白い意匠となっています。 下は、大浦天主堂の電停近くの川面を撮った写真。 鉛色の水面にボートが浮かんで、風情ある光景を醸し出していました。
2010.02.21
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この週末も兵庫県に帰省しています。 母の介護で病室泊まり。 体力的にも結構きつい毎日を送っています。 長崎観光のまとめは週明けにして、今回は番外編です。 この写真は長崎で見かけたポストを撮ったもの。 黒色で形・デザインも変わっています。 公共デザインも、地域ごとに特徴あるものとすれば地域色や個性がでて面白いと思うのですが・・・。
2010.02.20
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今朝の東京は雪です。 自宅周辺は積もっていましたが、オフィスのある都心では積雪はありません。 今年は、結構寒い日が続きますね。 さて前回に続いて、長崎観光のまとめです。 長崎を訪れる観光客は次のように漸減気味。 2000年 → 2008年 長崎県 3,151万人 2,824万人 長崎市 662万人 556万人 原因には色々ありますが、これまでブログで紹介してきたように団体客主体のマスツーリズムでの振興策の行き詰まりが最も大きな要因です。 社会の成熟化とともに、観光の形態や観光客の志向も大きく変化しています。 団体客から個人客へ、周遊型から滞在・体験型へ、などなど。 これらに、いかに的確かつスムーズに対応していくかが、現在の長崎観光に求められています。 写真は、グラバー園でみかけた「長崎さるく」のガイドさんを撮ったもの。 長崎では、2006年の「長崎さるく博」をきっかけに、まち歩きのコースを設定して観光客にぶらぶら歩きを楽しんでもらう企画を続けています。 個人観光客にとっては、もちろん便利で楽しい仕組みです。 でも、最大の効用は地元住民が、まち歩きのメニューを考えたりガイドとなることで、自らのまちの文化や歴史をよく知ることにあります。 これが、長崎市民としての誇りや自信となって観光客への一番のおもてなしへと繋がっていくのです。 「長崎さるく」は一般にもかなり知られるようになってきました。 でも私は、長崎にもう一歩進んだ「まち興し」を期待しています。 この点については、次回に触れます。
2010.02.18
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今朝も東京は、かなりの冷え込みです。 バンクーバーオリンピックも佳境ですね。 さて長崎のまち歩きも、そろそろお仕舞いです。 長崎の町の特徴は、その地形にありますね。 市街地の三方が山に囲まれて、すり鉢状の地形になっています。 ここから階段や坂道が多く、異国情緒とともに魅力ある町並みを形成しています。 でも地元の人の話では、斜面に沿って建ち並んだ町並みが高齢化の進展とともに、どうなっていくのか先行きは心配だとのこと。 確かに人口は減少傾向にあります。 現在44万人ほどですが、1985年の国勢調査では51万人の人口だったそう。 長崎では、まちの活性化を図るため、長らく観光振興に力を入れ、交流人口の増大を目指してきました。 ところが、近年では頼みの観光客も減少傾向に陥っています。 そこで今年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」を梃子に巻き返しを図ろう・・・という流れになっています。 今回訪れてみて、長崎の観光は、やや手詰まり感がぬぐえない印象です。 でも、新しい芽がいくつか出始めていることも事実です。 次回は、その点について見てみます。
2010.02.17
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今日の東京は曇り空で寒い一日です。 そろそろ花粉症のシーズン。 今年は花粉が少ないとの予報なので助かります。 さて、長崎のぶらぶら歩きも20回となりました。 今回取り上げるのは、眼鏡橋。 中島川に架かる日本初の石造アーチ橋です。 1634年に架設されたもので、国の重要文化財に指定されています。 1982年の長崎大水害で半壊しましたが、翌年には復元されています。 私は昔から橋を見るのが好きで、旅するごとに各地の橋を見学しています。 眼鏡橋と言われる石造アーチ橋は、日本中に約1500存在します。 そのうち95%が九州にあるとか。 でも老朽化などで次第に取り壊される運命にあり、その保存運動も行われています。 昔、鹿児島に着任したとき、すぐ見たいと思ったのが甲突川の石橋でした。 ところが、水害で石橋は流されたり取り壊されたりしていて、本当にガッカリした記憶があります(今は石橋公園に復元され、NHKの篤姫ではロケに使われていました)。 この長崎の眼鏡橋は姿形がたおやかで、とても素晴らしいですね。 しかも現役の橋として未だ活用されている。 橋は使ってナンボのもの。 是非、これからもこのまま使われ続けて欲しいと思います。
2010.02.16
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今朝の東京は曇り空で寒々としています。 あと少し「長崎さるく」を続けます。 この間から紹介してきたようにグラバー園には、沢山の貴重な建築物が集められています。 写真は「旧スチイル記念学校」。 明治20年に、東山手の丘に建てられたミッション系の学校だとか。 グラバー園には、旧グラバー住宅など国の重要文化財3棟を始め、主な建物10棟が集められています。 私の感想ですが、これは名古屋の明治村などと同じ発想ですね。 言わば、建物の博物館です。 これは貴重な建物(文化財クラス)の保存という点では有効な手法です。 でも観光の視点から言うと、今後はなかなか厳しいと言わざるを得ない。 残念ながら、ここには生活の実感がありません。 現在、観光の流れは、ごく普通の地域住民の生活に触れること、交流することなどに移りつつあります。 この点で、神戸・北野の異人館街などのほうが面白い。 ごく普通の地域住民の生活に混じって、異人館が点在しているからです。 また日本の文化財政策も、まちづくりとの一体的活用へと変わってきています(歴史まちづくり法など)。 文化財を囲い込んで、ただ見せるだけ、という手法はリピーターを増やしません。 そこには、地域住民との交流や触れ合いが希薄だからです。 観光への旅行者のニーズや期待が大きく変化している現在、それへの対応が長崎・グラバー園にも求められていると思うのです。
2010.02.15
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今日は土曜日。 帰省先の兵庫県は良く晴れた朝です。 さて、もう少し長崎を続けます。 写真は、グラバー園内で見つけた水道共用栓です。 長崎市の水道は1891(明治24)年に創設されました。 当時の水道は、そのほとんどが街路に造られた共用栓でした。 市民は、この共用栓まで水を汲みに来ていたのでしょうか。 市役所には市街水栓番という係があって、朝に水を出し、夕方に止めに回っていたとか。 今となっては信じられないようなことが行われていたようです。 写真の共用栓は、まだ実際に水が出ます。 明治時代のインフラも、大したものです。
2010.02.13
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今朝は母が入院中の病院で朝を迎えました。 昨日から、ずっと付き添っています。 やや睡眠不足ですが、元気に頑張りたいですね。 長崎はグラバー園の建物探訪の続きです。 グラバー園には3棟の国指定重要文化財の建物があります。 既に2つ紹介しましたが、残るは旧リンガー住宅です。 明治初期の建築。 三方をベランダで囲まれたバンガロー形式です。 ベランダの床石は、ウラジオストックから運んだという御影石、それに屋根を支える角柱には天草の石を使っています。 木と石が調和した珍しい木骨石造りの贅沢な建物です。 フレデリック・リンガーは、英国出身。 1864年頃に来日し、ホーム・リンガー商会を設立した人物です。 70余年にわたり対外貿易に従事したほか、彼が建設した「ナガサキ・ホテル」は当時アジアも一流ホテルとして著名だったそう。 長崎には、幕末から開国時に英国人などが沢山やってきていて、貿易等で活躍していたことがわかります。 それにしても、これらの住宅は、いずれも立派ですね。 今でも十分、実用に耐えられそうでした。 でもグラバー園を見て、いくつか気になった点があります。 これについては、また後でまとめてレポートします。
2010.02.12
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今日は祝日ですね。 早朝から入院中の母の付き添いのため兵庫県に帰省しています。 母が早く良くなってくれると嬉しいのですが・・・。 さて長崎の続きです。 南山手のグラバー園には、沢山の建物が保存・公開されています。 そのなかで、国の重要文化財に指定されている建物が3棟あります。 そのうちの一つが旧オルト住宅。 長崎に残る石造りの洋館のなかで最も規模が大きいもの。 施工者は、大浦天主堂や旧グラバー邸を手掛けた小山秀乃進ですね。 港に向けて突き出た切妻屋根のポーチ、広いベランダを支える天草石の列柱が見事な造形を造りだしています。 ウィリアム・オルトは、英国出身で日本が開国後、オルト商会を設立。 九州一円の緑茶を輸出することで富を築いた人物です。
2010.02.11
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今朝の東京は曇り空です。 週半ばですが、明日は祝日。 すこしリラックスした気分になれますね。 さて、長崎はグラバー園の続きです。 グラバー園は高台にあって、長崎港や市街地の眺望が素晴らしいです。 平地が極端に少ない地形で、山の斜面に沿って家が建ち並んでいます。 稲佐山から見た夜景は日本三大夜景に挙げられていますが、ここグラバー園からの眺めも、なかなかのものです。 下の写真は旧グラバー住宅から、海側を撮ったもの。 ソテツが写っていますが、幕末の薩英戦争の終結仲立ちなどに功績のあったグラバーに、薩摩藩主が贈ったものといわれています。 樹齢300年で、国内最大級のものとか。
2010.02.10
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長崎での見どころは多いですが、南山手にあるグラバー園もその一つ。 今回、久し振りに訪れてみました(入場料は600円です)。 トーマス・ブレーク・グラバー(1838~1911)は、1859年に長崎開港と同時に来日した英国人です。 来日後、グラバー商会を設立し、幕末の激動期から明治期にかけて日本の近代化に大きく貢献した人物として知られています。 写真は旧グラバー住宅。 1863年に建てられた、日本最古の木造西洋風建築です(国指定重要文化財)。 この建物の特徴は、正面玄関を設けていないことで、前面の庭のどこからでも建物に入れるように設計されています。 グラバー園には他にも沢山の建物がありますが、この旧グラバー住宅が最も見応えがありますね。 前面の庭を通してみる、長崎港の眺望も最高でした。
2010.02.09
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今朝の東京は、少し暖かで良い天気です。 今週も頑張ることにしましょう。 さて、「長崎さるく」(ぶらぶら歩き)の続きです。 写真は、グラバー園で出合った「西洋料理発祥の碑」。 幕末の1863年に、草野丈吉が始めた良林亭(後の自由亭)が日本初の西洋料理店だとか。 草野は出島のオランダ屋敷でボーイとして働いたり、オランダ軍艦でコック修行をした後、長崎で西洋料理店を開業しました。 長崎は、江戸期における唯一の海外との窓口。 このため、特に幕末から明治初期にかけて多くの西洋の文物などが長崎経由で日本に伝播しました。 例えば、バドミントン、ボウリング、国際電信、アスファルト舗装、テニスコート(テニス自体は横浜が発祥)、軽気球、活版印刷などなど。 全て長崎が発祥らしい。 面白いのは鉄道で、慶應元年にグラバーが長崎で600mの鉄道を敷き機関車を走らせたとか。 東京・横浜間の鉄道より、少し前のことで、どうやら鉄道発祥の地は長崎らしい。 長崎文化の多様性や奥の深さは、このあたりに要因があるようです。
2010.02.08
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東京は今日も寒い一日です。 このところ取材に出掛けるのでもなく、いろんな雑用で一日が過ぎて行きます。 もう少し生活にメリハリをつけ、時間を有効活用しなければと反省しきりの毎日です。 さて、長崎まち歩きの続きです。 旧居留地だった東山手には洋風の住宅群が今も残されています。 長崎の特徴である傾斜地に沿って、瓦葺き屋根の7つの洋風住宅が建っています。 東山手には、かつてアメリカやロシアの領事館、礼拝堂などがありました。 そして、この洋館群は外国人専用のアパートとして建てられたものです。 この辺りは急な傾斜地で、海側に面して建てられた洋館は、やや窮屈そう。 写真を撮るのも一苦労です。 でも、何とはなく異国情緒があって建物を見ながらの散歩は快適でした。 これらの建物は、現在、町並み保存センターや古写真資料館などに使われています。 なお、この東山手地区は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
2010.02.07
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今日も寒い日ですね。 昨日、finesさんにこのブログを紹介して頂いたお陰で、沢山の方からアクセスを頂戴しました。 とても嬉しく思っています。 finesさん、どうも有難うございました。 さて「長崎さるく」の続きです。 思案橋から丸山方面へと歩き、料亭花月を通り過ぎた先に長崎検番があります。 古い建物ですが、元は料亭だったとかで大きく立派な造りです。 2階には芸妓さんの名前が入った提灯が飾られていました(写真の通り)。 長崎の丸山は、日本三大遊郭の一つとして大いに栄えた花街です(他は江戸・吉原、京都・島原)。 江戸時代には1500人ほどの芸妓さんがいたとか。 井原西鶴が「長崎に丸山といふ所なくば 上方の金銀無事に帰宅すべし」と詠んでいるほどの賑わいだったそう。 検番とは、芸妓さんが属する置屋を取り締まる事務所のこと。 昭和30年代に約100人の芸妓さんが所属していましたが、現在は約10数人とか。 長崎文化継承のためにも、次世代へと受け継いでいって欲しいものです。 そういえば、昔、長崎の離島で大型外航船の竣工パーティに出席した際、わざわざ丸山から沢山の芸妓さんが来ていたのを思い出しました。 下の写真は、丸山華街(花街)跡の表示板です。 後ろが高い崖になっていて、ツタがからまっていました。
2010.02.06
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ここ数日、東京は寒い日が続いています。 寒さが苦手なので、暫く冬眠したいくらいですね。 「長崎さるく」の続きです。 写真は、長崎の孔子廟の正門(儀門)を撮ったもの。 孔子廟は、中国春秋時代の思想家で儒教の創始者である孔子を祀った霊廟です。 日本には、他に東京・湯島聖堂や足利学校(栃木県)、閑谷学校(岡山県)の聖廟などがあります。 でも、ここ長崎の孔子廟が最も立派で見ごたえがあります。 1893(明治26)年に清国政府と在日華人が協力して造ったものとか。 日本で唯一の中国人による本格的な聖廟と言われています。 場所は、東山手の異人館街から少し下ったところ。 その昔は、外国人居留地だった場所ですね。 極彩色の独特の建築デザインですが、長崎のまちとは上手に融合している感じがします。 長崎にとって貴重な建築・文化遺産です。
2010.02.05
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今朝の東京は良く晴れています。 暦では立春ですが、寒さも本番というところですね。 さて、長崎さるく(ぶらぶら歩き)の続きです。 長崎の丸山は、日本の三大遊郭に数えられたところ(他は江戸・吉原、京都・島原)。 思案橋は、丸山への入口にあります。 その昔、思案(行こか戻ろか)しながら渡ったという有名な橋ですね。 現在、この周辺は長崎随一の繁華街となっています。 丸山には、史跡料亭花月があります(下の写真)。 1642年の創業で、数多くの文人墨客が訪れた名店ですね。 坂本龍馬が酔って切りつけた跡が床柱に残る「竜の間」など、最近また人気を呼んでいるようです。 長崎名物の卓袱料理(蘭・中の料理を巧みに取り込んだ和風料理)も、ここで食せます。 花月は、昭和35年に長崎県の史跡に指定されました。 このため、全国でも珍しい「史跡料亭」を名乗っています。 このあたりは、想像力を駆使しつつ興味深く散歩できますね。 なかなか面白かったです。
2010.02.04
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長崎新地中華街の楼門のそば、湊公園に面して建つのが「つりがね堂薬局」です。 写真のように、その外観は、なかなかインパクトがあります。 この薬局の創業は、明治43年とか。 そして薬局のトレードマークが、大きな梵鐘ですね。 さらに、軒先にはプロペラが飾られています。 このプロペラは「つりがね堂薬局」が、その昔(昭和初期)、戦闘機を寄附した際のお礼だそう。 どうやら九一式戦闘機のプロペラらしい(本物だそうです)。 そう言えば、私の父が、昔、旧陸軍のパイロットだった頃、練習機を墜落・大破させて困っていたところ、それを聞いた満州の商人が飛行機をポンと献納してくれた、と話していたのを思い出しました。 昔は、そんな剛毅な(?)商人がいたのですね。 献納機のお礼を、店の軒先で発見するという長崎での意外な経験でした。
2010.02.03
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東京は昨夜から雪でしたが、今朝は薄曇りの天気です。 オフィス街では、積もった雪も溶けてしまいました。 さて長崎の続きです。 長崎新地中華街は、日本三大中華街の一つに数えられます。 (他には横浜中華街、神戸南京町) 江戸時代の鎖国下でも長崎は対中貿易港として栄えました。 往時には福建省を中心に約1万人もの中国人が居住していたとか。 上の写真は、中華街の入り口にある朱塗りの楼門。 ここをくぐると、中華料理店や雑貨店などのお店が40軒ほど軒を連ねています(下の写真の通り)。 規模的には、そんなに大きくはないですね。 長崎には、今も中国文化の影響が数多く残されています。 長崎くんち、精霊流し、ペーロンなどの祭りやイベントなどが、その代表格。 これらが日本の文化と融合して、まちの魅力を大きくしています。 文化が多様で、奥が深い、まちにとって非常に大きな財産です。
2010.02.02
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今日から2月。 一年で最も寒い時期ですね。 今晩から明日にかけて、関東周辺は雪の予報。 寒さに負けず今週も頑張りたいと思っています。 さて長崎のまち歩きの続きです。 長崎を訪れると立ち寄るのが福砂屋本店。 長崎カステラの老舗ですね。 カステラはポルトガル伝来の南蛮菓子。 福砂屋は1624年の創業です。 この本店建物は思案橋の近くにあって、明治初期の建築とか。 なかなか、重厚な造りです。 今回は「特製五三焼カステラ」を買いました。 1本2,520円と少々高価ですが、味は一級です。 砂糖、粗目糖、卵は多め、小麦粉は少なめの配合で、熟練の職人さんしか焼けないとか。 これを買えただけでも、長崎に来た甲斐がありました。
2010.02.01
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今日の日曜日はノンビリと過ごしています。 久し振りにクルマに乗ろうとしたら、バッテリーがあがって動かず。 このところ田舎との往復が続き、クルマに乗ることも久しくなかったためか。 何についても、きちんと目配りしていないと上手くいかないですね。 さて長崎の続きです。 上の写真は東山手十二番館(ラッセル記念館)。 石畳のオランダ坂を登りきった、活水学院の隣に建っています。 元々、明治元年にロシア領事館として建てられた洋館です。 以降、活水学院が買い取って所有していましたが、1976年に長崎市に寄贈されています。 ラッセル記念館とは、活水学院の創設者(ラッセル女史)の名前から名づけられたものですね。 この建物は、海への眺望に配慮して建てられており、海側3面がバルコニーとなっています。 さすがに元領事館だけあって、立派な造りです。 このあたりには多くの洋館が残されていますが、なかでもこの十二番館は造り、意匠などに優れていますね。 下の写真は、オランダ坂の入り口あたりの切り通しを撮ったもの。 長崎らしい風景のひとつです。
2010.01.31
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このところ週末は兵庫の実家に帰っていましたが、今日は久しぶりに東京です。 部屋の片づけやら、資料の整理で一日が終わってしまいました。 さて、長崎の続きです。 長崎は周辺を山と海に囲まれた地形から、平地が少なく坂道が多い。 なかでも有名なのがオランダ坂ですね。 外国人居住者が、丘の上の教会(英国聖公会会堂)に通うため造ったものとか。 写真は東山手の活水学院の側で撮ったもの。 雨上がりの石畳の坂道は、なかなか風情がありました。 日本三大がっかりの名所の一つに数えられたりしますが、私には、とても素敵な景観に見えます。 訪れた日は、雨模様。 余り人もいなくて、ゆっくり散歩できました。 (なお日本三大がっかりの名所には諸説ありますが、札幌の時計台、高知のはりまや橋、沖縄・首里の守礼門などがあげられています。 ご参考まで)
2010.01.30
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今朝の東京は薄曇りの天気です。 はや週末の金曜日。 1月も、あっという間に終わってしまいそうです。 さて「長崎さるく」の続きです。 (「さるく」とは、ぶらぶら歩くという長崎言葉です)。 久し振りに長崎を訪れて懐かしかったのが路面電車です。 長崎のまち歩きには、大変便利な足ですね。 その昔に訪れたとき、料金の安さに驚いた記憶があります。 確か均一料金で80円とか100円だったはず。 今回久し振りに乗ってみると、120円でした。 21年10月から値上げになったとか。 でも安いですね。 いま環境問題や高齢化社会などへの対応で、路面電車が見直されています。 長崎では、一日5万人の利用者があります。 経営は民間会社で、黒字計上。 立派なものです。 成熟化した日本では、これから個人観光客が増えてきます。 その際、この路面電車の存在が長崎にとって大きなプラスとなることは間違いない。 また、電車そのものが観光資源ともなる時代ですね。 その昔、長崎にはやたらと歩道橋があった印象があります。 多分、電停の位置との関係ですね。 でも高齢者等にとって歩道橋は辛い。 今回訪れると、歩道橋の数がかなり減ったように感じました。 地域住民が住みやすいまちづくり、それが観光客を呼び込む第1歩です。 なお上の写真は、長崎駅前の路面電車の軌道敷きを撮ったものです。
2010.01.29
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長崎は古くから観光立県を標榜してきました。 そして日本、中国、南蛮の文化が絶妙に調和した長崎には、他所では見られない名所や旧跡が沢山残されています。 にもかかわらず、近年、長崎県を訪れる観光客は減少気味。 例えばハウステンボスなども、引き受け手が決まらず四苦八苦の経営状態ですね。 原因は、旅行者のニーズの変化に長崎の観光スタイルや対応が追いついていないことにあります。 団体客向けに組み立てられた受け入れスタイルを、根本的に見直していくこと。 長崎の観光振興のためには、このような意識改革がまず必要だと思うのです。 長崎に良いものは沢山ある、でも旅行者は減少気味。 これは景気のせいだけではないですね。 現に長崎県のなかでも、旅行者が増えている地域が存在します。 長崎の観光振興に何が必要か、長崎のまちを歩きながら考えてみたいと思います。 写真は「大浦天主堂」。 現存する日本最古の木造ゴシック教会で、国宝に指定されています。 側面から見ると瓦屋根の建物で、随所に日本の建築様式が入っています。 1864年にフランス人神父によって創建されました。 訪れた日は雨模様で、人の姿もまばら。 荘厳な雰囲気の建物で、立ち姿が美しく、しばし見入ってしまいました。
2010.01.28
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昨年末、久し振りに長崎を訪れました。 NHK長崎放送局の討論番組「長崎のこれから」への出演のためです。 番組のテーマは「龍馬伝と長崎の観光」。 年明けから始まった大河ドラマ「龍馬伝」で、長崎が主要舞台の一つとなることから企画された番組ですね。 訪れた日は生憎の空模様。 みぞれ混じりの雨で、かなりの寒さでした。 長崎は、日本でも有数の観光立県です。 でも、このところ入込み観光客数は減少気味。 「龍馬伝」をきっかけとして観光客増へとつなげていきたいということでしょう。 今回はタイトルを「長崎さるく」としました。 「さるく」とは「ぶらぶら歩く」という長崎言葉とか。 私も久し振りに長崎のまちを、ぶらぶら歩いてみようと思います。 なお写真は、上が「眼鏡橋」、下が「グラバー園」から東山手の活水女子学院方面を望んだ風景です。
2010.01.27
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今朝の東京は、よく晴れています。 昨年末から母の入院などで、ほぼ毎週、東京と兵庫の実家との往復を続けています。 旅が仕事の一つとはいえ、さすがにやや消耗気味。 はやく落ち着いてくれると有難いのですが・・・。 写真は先日、兵庫の実家に帰った際に撮った「とんど」です。 「とんど焼き」とは、1月15日に門松や注連縄(しめなわ)、書初めなどを燃やす年中行事ですね。 私の田舎では、刈り取った田んぼに太竹をピラミッド状に組んで、その周りを藁やムシロなどで覆います。 そして上部には飾り物をつけます。 15日の夜に燃やし、「とんど」の倒れた方角によって今年一年を占ったりします(最近は15日前後の休日に燃やしているそう)。 その火で鏡餅などを焼いたりします。 私の子どもの頃は、楽しみの年中行事の一つでした。 一時は廃れて取りやめた集落が多かった。 でも近年になって、また復活し始めています。 このような地域文化は、将来に亘って引き継がれるべきものですね。 私が熱心に写真を撮ったりしていると、地元の集落の人が話しかけてきて色々と教えてくれました。 田舎の年中行事ですが、とても懐かしかったです。
2010.01.26
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今日も一日、バタバタと走り回っていました。 どうも時間に余裕のない生活でいけません。 さて長かった宮崎の旅も今回でお仕舞いです。 宮崎は農産物などの特産品や神話の国のイメージが強い県です。 でも、これからの宮崎にとって大事なことは「文化・環境ブランド」の構築だと思うのです。 そのための地域資源は、このブログで紹介した飫肥や油津などを始め探せば沢山あります。 これらを如何にして活用していくか。 特産物ブランドで成功した宮崎にとって、これからの大きな課題ですね。 上の写真は、日南市で撮ったマンホールです。 市の鳥であるカワセミが描かれています。 下は、飫肥城近くで出会った子猫。 私の顔を見て駆け寄ってきました。 良い町には、必ずといってよいほど猫が住み着いています。 これからも、可愛い猫の住むまちを沢山訪れたいと思っています。 (宮崎の項、終わりです)
2010.01.25
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今日は東京での仕事を終えてから新幹線に飛び乗り、兵庫の実家に戻ってきました。 親が倒れると本当に大変ですね。 仕事も混んできたし、はやく落ち着いてくれればいいのですが・・・。 今回も宮崎は油津(日南市)です。 ここ何回かで紹介した通り、油津・堀川運河の景観は本当に素晴らしい。 日本の古くからの港町の良さが残されています。 ここは、山田洋次監督の映画「寅さん」シリーズの舞台となりました。 確か第45作目ですね(マドンナ役は風吹ジュン)。 この「寅さん」シリーズの舞台となる町は、いずれも昔ながらの日本の原風景を守っているところが多い。 私にとって一度は訪れてみたいところばかりです。 そして住民の人柄もいいですね。 私も、また旅に出たくなりました。
2010.01.22
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このところ珍しく仕事が混んで、ブログの更新が思うにまかせずです。 あと暫くすれば、落ち着くはずなのですが・・・。 宮崎のまち歩きも、あと少しです。 今回の写真は、日南市・油津にある堀川橋を撮ったもの。 堀川橋は、堀川運河に掛かる石造のアーチ橋(眼鏡橋)です。 明治36年の建設で、長さ21m、幅員は6mほど。 橋の向こうには吾平津神社があって、その参道橋の役割も担っているとか。 石橋の架橋により取付道路が嵩上げされた結果、堀川運河沿いの家は二階を入口とする造りとなったそう。 現在は、国の登録有形文化財に指定されています。 ここは、日本の古い町並みの良さを凝縮したような場所ですね。 時折、自転車などで人が通り過ぎる様子には、懐かしさすら覚えました。 この景観を見たさに、はるばると油津までやって来た甲斐がありました。 とても素晴らしかったです。
2010.01.21
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このところ公私ともにバタバタ続きで、久し振りのブログ更新です。 宮崎の旅も、最終の目的地油津(日南市)にやってきました。 ここ油津は、太平洋に面した天然の良港として、中世には南蛮貿易の拠点として栄えました。 やがて飫肥杉の積出港としても繁栄し、今もその面影が残されています。 写真は、堀川運河を撮ったもの。 1685年に飫肥藩が、特産の飫肥杉の船積用に造った人口運河です。 延長900m、幅員27m、深さ3mの立派な運河を、飫肥杉の筏(いかだ)が下っていたとか。 往時の賑わいはなくなり、今は静かな港町の風景です。
2010.01.19
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今日も寒い一日でした。 年末に母が入院して以降、毎週末ごとに兵庫県の実家に帰っています。 いかに旅好きでも毎週同じ新幹線に乗るのは、やや食傷気味ですね。 早く落ち着けばと思ってはいるのですが・・・。 さて今回も宮崎・飫肥(おび)の続きです。 古い城下町の飫肥では、その優れた景観もあってロケ地として使われています。 2004年度下期のNHK・朝の連ドラ「わかば」では神戸と飫肥が舞台として設定されました。 写真は、主人公の若葉が思い悩むたびに訪れた杉林です。 場所は飫肥城址の旧・本丸跡。 森閑とした雰囲気のなかで、時間だけがゆったりと流れていくような空間です。 今、全国各地でロケ誘致が盛んに行われています。 ロケ地になった映画やドラマがヒットすれば、観光客が増える効果が期待できるからですね。 確かに、その効果は大きいと思います。 でも私が注目したいのは、ロケ地に選ばれることで、地元住民が自らの住む地域を誇りに思うということです。 そして、景観などに配慮したり、訪れる人たちへの「おもてなし」の心が芽生えてくるなどの効果があります。 地域ブランドや観光ブランドの構築とは、実のところ地域住民の意識改革が最も大きな効用と言えるのかもしれません。 飫肥のまちを歩きながら、ふとそのようなことを感じました。
2010.01.16
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今日は急な仕事でバタバタしていて更新が遅くなりました。 時間の使い方が、いつまでたっても上手くなりません。 限られた時間をどう有効活用していくか、私にとっては大きな課題ですね。 さて宮崎・飫肥(おび)の続きです。 町をぐるりと廻って、飫肥城址まで戻ってきました。 写真は、飫肥城址の堀跡を撮ったもの。 空堀ですが、周辺の町並みと溶け合って素晴らしい景観でした。 地域に文化・環境ブランドを成立させるには、美しい景観を整備することが最も有効です。 それも、なるべくなら歴史的環境を活かしたものが良いですね。 そうすることで集客力が向上し、地元住民のまちを誇りに思う気持ちが強くなります。 文化・環境ブランドは、暮らしブランドでもあり、そこに住む地域住民の満足度と直結します。 実際に住んでいる人が誇れるまちづくり、それが外部から旅行者をも惹きつけるのだと思います。 次回は文化・環境ブランドとロケ地の関係について、飫肥を例に取り上げます。
2010.01.15
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東京は今朝も寒い朝です。 植木鉢で育てているシマトネリコに元気がありません。 このところバタバタ続きで植木などに十分目配りできなかったからでしょうか。 大事に育てているので、元気を取り戻すか心配ですね。 さて、宮崎県・飫肥の続きです。 飫肥の町並みの見どころは武家町にあります。 一方、商人町の面影もわずかながら残されています。 城跡から、やや下ったところにあり、今は道路拡幅によって以前とはその様子もかなり変わったようです。 下の写真は、現在の商人通りを撮ったもの。 道幅が広くなって商人町の風情は、さほど感じられません。 ただ周辺環境に配慮した建物や道路整備を行っているので、景観的には優れたものとなっています。 この商人通りの一角にあるのが商家資料館です(上の写真)。 もとは妹尾金物店で、飫肥城下の商人町の代表的建築物でした。 建物は明治3(1870)年築。 木造・白漆喰壁の土蔵造り、樹齢200年以上の飫肥杉を使っています。 見るからに豪壮な造りで、なかなか見ごたえがありました。
2010.01.14
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今朝の東京は、昨日とはうって変わって良い天気となりました。 昨日は初雪が降り、今日は晴れながらも寒い日が続いています。 さて、宮崎県は飫肥(おび)の続きです。 飫肥の町並みは、武家町として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。 城跡周辺から、少し町のほうに下ってくると、上の写真のような景観に出会いました。 古い家並みの前に小川があり、鯉が放流されています。 水音が、とても気持ちよく響いています。 下の写真は、民家の石垣の向こうから顔を覗かせた花を撮ったもの。 花の名前は分かりませんが、とても綺麗に咲いていました。 飫肥の町並みを歩いていると、とても気持ちが落ち着きます。 和の良さを歴史と文化が磨きをかけたような景観。 このような町並みが、文化・環境ブランドを創り出すのだと思います。
2010.01.13
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今日の東京は曇り空で、かなりの冷え込みです。 年中で一番寒い時期になってきましたね。 庭の木々も、枝を縮めて寒そうです。 宮崎県日南市・飫肥(おび)の続きです。 近代、飫肥が生んだ偉人と言えば小村寿太郎ですね。 小村寿太郎は、明治38(1905)年に日本側全権としてポーツマス条約(日露講和条約)を締結して日露戦争を終結させたことで、よく知られています。 小村は飫肥藩の下級武士の子として生まれました。 父親は藩の物産方で、維新後、それを引き継いだ商社の経営者となりましたが事業に失敗。 その借金で、小村寿太郎も大の貧乏暮らしだったようです(昨年のNHKドラマ「坂の上の雲」で、タバコも買えない様子が出てきましたね)。 飫肥では、小村寿太郎の生家が復元され公開されています(上の写真)。 簡素な家で、当時の下級武士の暮らしが想像できます。 ここは大正期に移築された場所で、もともと生家があった場所には石碑が建っています(下の写真)。 私が訪れたときには、団体旅行客が沢山いて写真を撮っていました。 このような小藩から小村のような人物がでる。 どうやら明治期は、万人に希望があり、生き方も面白い時代だったようです。
2010.01.12
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今日は成人の日ですね。 近所にある町の公会堂の前を通ったら、着飾った新成人が集まっていました。 華やかで、いいものですね。 さて、宮崎・飫肥(おび)の続きです。 写真は、旧伊東伝左衛門邸です。 建築時期は19世紀初め頃だとか。 飫肥の武家屋敷の典型といわれる建物のひとつです。 写真でもわかるように、床が高い造りとなっています。 たぶん、夏の暑さを凌ぐための工夫ですね。 簡素ですが、見るからにしっかりした造作。 横馬場と八幡馬場の二つの通りに面して、周りを石垣で巡らせています。 立地と造りから飫肥藩の上級家臣だったことがわかります。 庭は枯山水で、ソテツなど南国らしい雰囲気がありました。
2010.01.11
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三連休の中日。 母の介護のため兵庫県(太子町)に帰省しています。 今晩は町内会の「とんど祭り」の日。 近くの田んぼに藁と竹の木で背の高い藁グロをつくり、そこに正月飾りや書き初めなどを入れて燃やします。 私も小さい頃は、とても楽しみにしていた行事です。 昔は、その火で餅を焼いたりしていました。 写真を撮ったので、近いうちにブログに載せたいと思っています。 さて、宮崎県日南市の飫肥(おび)の続きです。 ここは飫肥藩の城下町で、武家屋敷が沢山残されているのが大きな特徴です。 城跡の周りは閑静なお屋敷町になっています。 今回の2枚の写真は、いずれも武家屋敷通りを撮影したもの。 花が咲いていたりで、とても良く整備させています。 歩いていて、とても気持ち良い空間でした。 なお、この辺りは国の重要伝統的建造物群保存地区(文化財保護法)に指定されています。
2010.01.10
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三連休ですね。 入院している母の世話もあって、兵庫県(太子町)に帰省しています。 母は高齢なので、暫くは田舎と東京の往復生活が続きそうです。 さて、宮崎の城下町・飫肥(おび)の続きです。 私の印象では、城下町としての飫肥の特徴は、よく残された沢山の武家屋敷にあるように思います。 城跡の周りは、よく整備された通りの両側に昔ながらのお屋敷が沢山残っています。 なかでも一際、目立って立派な建物が旧藩校の振徳堂。 天保2(1831)年に、飫肥藩の藩校として建てられたものとか。 高さ2m以上の石垣に囲まれた広い敷地に、長屋門や主屋が当時のまま残されています。 ここからは、明治期に外交の舞台で活躍した小村寿太郎(年末のNHKドラマ「坂の上の雲」にも登場しましたね)などが輩出されました。 見るからに厳格そうで、道場のような建物です。 このような小藩から小村寿太郎のような人物が出たことに、明治初期の大いなる面白さと愉快さを感じますね。
2010.01.09
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宮崎県の城下町・飫肥(日南市)の続きです。 前回に紹介した大手門の近くにあるのが豫章館です(上の写真)。 この建物は、明治2年に建てられた藩主・伊東家のお屋敷ですね。 広い敷地に、大きな構え。 飫肥城下で最も格式ある武家屋敷といわれています。 南面には、武学流の作庭とされる庭園(枯山水式)が広がっています(下の写真)。 城下町をみる場合、それを構成する4つの要素がどれほど完全に残されているかが大きな評価ポイントとなります。 その要素とは、城(跡)、武家屋敷、町家、寺町の4つです。 この4つが完全な形で残されている城下町は、とても少ないのです。 豫章館は飫肥を代表する武家屋敷で、このほかいくつもの武家屋敷が連担して残されています。 文化・環境ブランドの構築を考える場合、このような歴史的建築物が非常に大事になりますね。 次回も、飫肥のいくつかの武家屋敷をみてみたいと思います。
2010.01.08
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宮崎まち歩きも今回から飫肥(おび)に入ります。 飫肥は宮崎県日南市にあります。 飫肥藩伊東氏5万1千石の城下町で、九州の小京都といわれる歴史文化都市です。 今回の宮崎行きで、最も楽しみにしていたのが、この飫肥を訪ねること。 宮崎県は神話の国で歴史が古い地域ですが、案外と城下町など古い町並みを持つところが少ない。 このため、この飫肥の存在は宮崎県にとって非常に大きな財産だと、かねてから思っていました。 このあたりは、かつて薩摩の島津氏の影響力が強かった地域です。 しかし、島津氏と伊東氏の覇権争いの結果、伊東氏がこの地域を14代(約300年)に亘って明治初期まで治めることになりました。 ここには、薩摩・島津氏とは異なった地域文化が育まれているはず。 (因みに、伊東氏も外様大名です)。 できれば、その一端に触れてみたいという思いを持って、この地を訪れました。 上の写真は、飫肥城跡に建つ大手門です。 樹齢100年を超す飫肥杉を使い、1978年に復元されたもの。 どっしりした櫓門で、なかなかの貫禄です。 下の写真は、大手門を入った城跡を撮ったものです。 今回から、暫くこの飫肥の城下町を歩いていきます。
2010.01.07
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おはようございます。 今朝の東京は、とても良い天気です。 宮崎まち歩きの続きです。 宮崎の中心街から少し南に歩くと、大淀川に出会います。 大淀川は、鹿児島県曽於市を源として宮崎平野を流れ、日向灘に注ぐ延長107kmの大河です。 川面は広く、満面に湛えた水がゆっくりと流れるさまは、まさに雄大です。 私は、この河畔からの眺めが好きで、宮崎に来るたびに訪れています。 写真の左手の建物は、ホテル群で部屋からの眺めも最高ですね。 九州では珍しく、近年まで宮崎市内には温泉がありませんでした。 そこで近隣のホテルが共同掘削したのが「たまゆらの湯」。 泉温45.6度の塩化物泉です(入ると潮の香りがします)。 温泉の名前は、この大淀河畔が舞台となった川端康成の小説『たまゆら』からとったもの。 「たまゆら(玉響)」とは、勾玉(まがたま)が互いに触れ合う時のかすかな響きのこと。 ほのかな風情を表す言葉として使われています。 今回の旅では、河畔のホテルに泊まって川面を眺めたり、温泉にゆっくりと浸かってきました。 なお、この大淀川には日豊本線の鉄橋があって、夕方から夜にかけて列車が通る様子はとても幻想的です(鉄ちゃんの聖地ですね)。
2010.01.06
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今朝の東京は、よく晴れています。 寒波の影響か、かなり寒くなってきました。 さて南国は宮崎の続きです。 宮崎県庁の前庭で懐かしい花を見つけました。 「海紅豆(かいこうず)」です(上の写真)。 原産が南米で、マメ科デイゴ属の樹木。 沖縄のデイゴの仲間ですね。 夏から初冬あたりまで、枝の先に真っ赤な花をつけます。 花言葉は「愛」とか「童心」。 下の写真は、「県庁楠並木通り」です。 宮崎県庁前の延長650m、幅30mの通りに約30本の楠が植栽されています。 樹齢は、いずれも100年超の古木で、鬱蒼と葉を繁らせています。 この通りは、とても素敵な雰囲気があって、ドラマのロケなどにも使われたことがあります。 その昔、鹿児島に転勤で在住していた頃、宮崎県も担当エリアでした。 このため、県庁やその周辺には、しばしば訪れていました。 海紅豆も楠も、南国の特徴ある樹木です。 久し振りに宮崎で、これらを見てとても懐かしかったです。
2010.01.05
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今日から仕事始めですね。 今年も元気に全国を巡りたいと思っています。 宮崎県庁本館の隣に「みやざき物産館」があります。 宮崎県産の名物や特産物などの直売所ですね。 その前の歩道など周辺には人影が見当たらず・・・。 何だと思いきや、「物産館」の中に入ってみると沢山の観光客が買物をしていました。 知事のお陰で宮崎の特産物の人気が急上昇と聞いていましたが、結構な人気ではありませんか。 見ていると「地どりの炭火焼」などの売れ行きは、かなりのものでした。 また「宮崎産マンゴー」と北海道の花畑牧場がコラボした、生キャラメルなども置いてあります。 これだけ見ても、宮崎の特産物のブランド化は昔に比べて格段に進んだ感じがします。 以前にも書いたように、地域ブランドは「特産物ブランド」と「文化・環境ブランド」、それに「観光ブランド」から成り立っています。 この点で宮崎の「特産物ブランド」化は成功しつつありますが、課題は「文化・環境ブランド」をいかに構築していくかにありますね。 今回、宮崎での講演では、この点を強調したところです。 宮崎の「文化・環境ブランド」の芽については、今後、紹介していきたいと思っています。
2010.01.04
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お正月も、はや三日目。 昨日まで帰省していたので、今日は近くの八幡神社に初詣に出かけました。 今年こそ飛躍の年となりますよう、お願いしてきました。 さて、宮崎の続きです。 東国原知事になってから県庁舎が観光名所になっているとか。 そこで、久し振りに訪れてみました。 県庁舎は1932年に完成したネオ・ゴシック建築様式(上の写真の通り)。 設計は置塩章です。 現役の県庁舎としては、我が国で4番目に古いものらしい。 なかなか立派な建物です。 前庭も宮崎のシンボル、フェニックスが植えてあったりで南国ムードが漂っています。 現知事就任以降、昨年の9月までに見学者が100万人も訪れたそう。 正面玄関には、知事の等身大パネルが設置されています(下の写真)。 玄関の守衛さんは、とても気さくな感じで、私が入っていくと知事のパネルと一緒に写真をどうですか、と勧めてくれました。 これは丁重にお断りしました。 県庁舎自体は素晴らしい建築なので、これを見にくる人がいることは分かります。 でも、知事に会うのでもなく、単に県庁見学ツアーが人気となるとは・・・。 このような形の観光名所もある、ということでしょう。 なかなか参考になりました。
2010.01.03
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さきほど東京に戻ってきました。 母親の入院などで、落ち着かない新年の幕開けとなりました。 でも今年も良い年とすべく頑張りたいと思っています。 さて、宮崎まち歩きの続きです。 宮崎の中心街を歩いているとチキン南蛮の看板が結構目につきます(写真の通り)。 全国区のチキン南蛮ですが、元々は宮崎県が発祥ですね。 延岡市の洋食店の賄い料理だったのが、宮崎県全域に広がり、次いで全国区となったもの。 2009年には、延岡市が「チキン南蛮発祥の地」宣言を行っています。 農水省が2007年に選定した「郷土料理百選」で、宮崎県では「地鶏の炭火焼き」と「冷や汁」が選ばれました。 加えて「チキン南蛮」も別枠の「ご当地人気料理特選」に選ばれています。 食は、大事な地域文化のひとつ。 食だけで観光客を誘致するのは難しいですが、食がなければ観光客のリピートが増えないのも事実です。 この点で、チキン南蛮をもっと売りだす手立てを考えると宮崎の魅力を増す一助になると思います。
2010.01.02
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皆さん、あけましておめでとうございます。 新年は、兵庫県の田舎で迎えました。 年明けとともに、氏神様と斑鳩寺にお参りしてきました。 年末から母の具合が、いまひとつで心配しています。 でも今年も昨年と同様、きっと良い年になると信じています。 今年の目標は、いくつかあります。 ・先延ばしになっている地域ブランド本の出版 ・できるだけ多くの地域を訪れること ・観光振興で地域の活性化に寄与すること ・ブログを書き続けること ・社会に役立つ新たな専門分野を構築すること などなどです。 年頭にあたって、私がいつも心においている言葉をひとつ。 「因果倶時(いんがぐじ)」。 これは、原因と結果は必ず一致するという釈迦の言葉です。 未来の結果も今日の自分の積み重ね。 今年も頑張ることにしましょう。 なお写真は、昨年プロペラ機で成田空港から中部空港(名古屋)まで飛んだときに撮ったものです。 高度が低く、真横に富士山が見えました。
2010.01.01
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今日は、大つもごり。 今年も、あとわずかですね。 バタバタした一年でしたが、得たものもそれなりに大きかった年でした。 本当にたくさんの町を歩きましたが、どこでも土地の人々と交流できて本当に楽しかったです。 私の観光アナリストの仕事は、観光の調査研究だけでなく、地域学を究めることでもあります。 全国市町村をくまなく歩く目標は、まだまだ道遠しですが、これからもできる限り出歩いて地域の実態を見ていきたいと考えています。 さて、宮崎まち歩きの続きですが、今回は写真のみの更新です。 写真は、飫肥(おび)で出会った子猫。 私を見て駆け寄ってきました。 かわいいですね。 宮崎でも沢山の猫に出会いました。 いい町には、必ずと言ってよいほど猫が住み着いています。 これからも数多くの猫に出会いたいと思います。 来年も、本ブログをよろしくお願いいたします。 それでは、良い年をお迎えください。
2009.12.31
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今年も、あとわずか。 家の掃除やら、買い物やら何となく気ぜわしい一日でした。 宮崎の続きです。 神話の国・宮崎に来たら、まず訪れるのが宮崎神宮です。 主祭神は神武天皇。 わが国の初代天皇ですね。 宮崎神宮の創建時期は不明で、かなり古いお社らしい。 宮崎は「神武天皇の宮の前にひろがる所」が語源です。 ここは神武天皇が住まわれていたのですね。 写真は、狭野杉で造られた流造りの社殿です。 鬱蒼とした森のなかに鎮座する社殿は、シンプルながら重厚感があります。 私の宮崎のまち歩きは、いつもここから始まります。
2009.12.29
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今回から宮崎県内のまち歩きです。 宮崎には12月初めに講演のため訪れました。 テーマは「宮崎の観光と地域ブランド」です。 宮崎県は知事の知名度と露出度が高いおかげで、特産物ブランドでは全国有数の県となりました。 でも次に、どう展開していくのか、やや不透明なところがあります。 特産物ブランドと知事の知名度で、かなりの誘客効果を得た宮崎が次をどうするか。 私は、それが文化・環境ブランドの構築にあると思っています。 講演では、文化・環境ブランドをいかに宮崎で構築し根付かせていくか、について具体的に話してきました。 講演していつも思うのは聴衆の反応ですね。 受け手にいかに納得してもらうか。 なかなか難しいものです。 次回から宮崎のまちを歩きながら当地のこれからについて、いろいろ考えてみたいと思っています。 なお写真は、JR宮崎駅です。 1993年に高架化に伴い完成したもの(設計:J.フェルナンド・テルヤ)。 南国らしい意匠と明るい雰囲気で、素敵な景観を創りだしています。
2009.12.28
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おはようございます。 最近はクリスマスも正月も、普段とあまり変わらない一日ですね。 昔のようなワクワク感がなくなってきたように思います。 単に歳のせいかも知れませんが・・・。 それにしても時間だけは、あっという間に過ぎていきます。 さて勝沼まち歩きも、そろそろお仕舞いです。 山梨県には約80社のワイナリーがあります。 そのうち30社ほどが勝沼(甲州市)に集中。 なかでも原茂(はらも)ワインは、130年前の古民家をショップに改造していて、これを見るだけでも訪れる価値のあるワイナリーです。 建物の前には、一面にぶどう棚があって2階のカフェのテラスから眺めることができます。 建物の1階は、テイスティング・ルーム。 ここの「ハラモ ヴィンテージ 甲州シュール・リー」はお薦めのワインです。 2階のカフェの居心地もいいですね。 庭には、ワイナリードッグのボーダーコリー君がいます。 勝沼に行かれたら、一度訪れてみてください。 お薦めです。
2009.12.27
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