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現在、築二十数年の木造住宅のリフォームが進行中。リフォームって、新築には真似の出来ない独特の良さがありますね。二十数年経過した柱や梁が構造体として実際にあるわけで、その上に新たなものを組み合わせる。テレビ番組のように柱だけ残して全体を新しくすることは、予算が許せばそりゃあ出来ます。但し、そこには必ず予算が付いてきます。ここで重要なのは、これまでの家の存在をどこまで残すか?ということ。このリフォームの場合は、幸いほとんどの部分がしっかりしているので、外観はほとんどいじらずに内装を変えることに重点をおいています。既存の柱は全て残します。プラン上邪魔な柱は裸にしてあえてそのまま見せます。和室を洋室に変化させますが、見えていた柱や長押や障子などもそのまま残して見せます。これは、この家を購入したという証だからです。全てを取り外して新しくすることは簡単ですが、それならなぜこの家なのか?ということ。それでもどこかに新しくなった証も欲しいので、肝心の入り口部分だけは、古い外観そのままの中にほんの一部新しいパーツを取り付けた形としています。新しいパーツはこの家の導入部であり、内部の変化を予感させるものです。そうして、またこの家を新たな形で新たな家族が住み継いでいく。そんな住み方もいいなぁ・・・と考えます。夜遅くまで酒を酌み交わしながら、そんな住まい方のことをあれこれ建て主と語り合った週末でした。
2008.02.24
便利さや快適さを追求するあまり人と人の関わりが減っているように思える昨今。声を聞かずに相手と話すメールやチャットもそうですが、どうも便利すぎるあまりに人付き合いがヘタな人間が増えているように思えるのは私だけでしょうか。一度便利さを味わってしまうと、なかなか元に戻れないのは動物も人間も同じ。これが日常的に繰り返されるとどうでしょう。家とは、そんな些細なことの繰り返しの場でもあるわけです。子供が帰ってきた気配を感じられたり、子供部屋の気配が感じられることは、親だから感じたいと思ったりするわけです。部屋に入ったら何をしているのかわからない、何でもその部屋で用が足りてしまう、気配すらも感じられないのでは、子供と一つ屋根の下で共に生活する意味がありません。ましてや最近の子供の凶悪事件等を目の当たりにすると、親子って何だろう?と考えさせられてしまいます。ある程度の時期になれば当然親子の距離は必要なこともありますが、その時期がいつなのか。その辺がすごく重要に思えます。 我が家の場合は、ついこの春まで我々夫婦と息子たち(中1と高2)は一つの場所で一緒に寝ていました。別のところに子供たちのスペースがあるのに。それが、中2と高3を目前にした春休みに二人は引越し計画を立て始めたのです。今までにも何度か引越し計画はありましたが長続きしませんでした。しかし今回は二人とも本気だったのです。今では、狭くてもそこが自分の城のように居心地よさそうにしています。但し、通常の宿題などは未だに食卓でやっていますが。まあ、これは我が家の場合ですが、このようにその家族によってその時期は違います。これまでの生活環境によっても変わるでしょうし、子供がまだ小さい場合はこれからの関わり方で子供も変わっていきます。 子供のスペースは必要最小限に「寝る」だけにして、勉強などは親子共有のワークコーナーで行なうのも、狭い空間をうまく使うコツかも知れません。また、子供部屋だけを考えるのではなく、他の空間のつくり方(子供部屋との関係性)も重要です。気配を感じられるように入り口に視線が通るようにするとか、壁で仕切ってあってもどこかで空間が繋がっているなど、方法はいくらでもあるでしょう。まずは、子供部屋をつくる前に、これまでの親子の関係を振り返ってみてはいかがでしょうか。むやみに子供を大人扱いして部屋に押し込むのではなく、親として今しか関われない時期もありますので、これまでの親子の関係を見直してみることが先決のような気がします。
2007.07.13
最近ふっと思ったことがある。就職した20代前半からず~っと一緒にいる三つの道具。いつも身近にあり過ぎて何も思うことなく過ごして早20数年。その中で一番付き合いが長いのがシャープペンシル。就職した頃からずっと使い続けている。勾配定規は壊れてしまうたびに買い換えている。平行定規は事務所を始める少し前に購入したものだからこれももう20年以上経つ。シャープペンシルなどは、先に買ったものはノックする部分の先端が丸く磨り減っている。新品の時は円筒形で角があったのに。あとから買ったものはまだ少しは角がある感じ。皆年月と共に身体の一部のように馴染んでいる。しかし、そんな思いとは裏腹に、手描きの時代はどこかに行ってしまうのか・・・などという危機感を感じたり、寂しさを感じたりもする。確かに効率は悪いし不便なことが多い。だが、若い頃先輩たちにしごかれながら教わった鉛筆の感覚を忘れてはいけないと、未だに手描きにこだわっている頑固オヤジ。まだまだ踏ん張ろう・・・ペン先に住み手の思いを籠めながら、いつの日か手が動かなくなるその日までは。
2007.04.14
この世に数々の名作椅子を送り出した巨匠ハンス J ウェグナーが1月26日に亡くなったと・・・今朝の新聞を見て知った。余談だが、この日は二男の誕生日でもあったのでより一層驚きが増した。惚れ惚れするようなデザインと、まことによい居心地を兼ね備えた椅子たちを生み出した彼。私が一番に惚れ込んでいるのが彼の椅子たち。我が家にも彼の作品の一つ「Yチェア」が家族の人数分だけ置かれている。見事なまでの曲線と木の質感・ペーパーコードの絶妙なバランスがたまらない。座って満足、眺めても満足。次の世代まで引き継いでもらいたいと願う。狭い家なのでこれ以上なかなか置けないのだが、まだまだウェグナーの椅子は欲しい。いつの日かこっそりと次の一脚を・・・などと企んでいるのだが。
2007.02.10
昨年後半から進めている週末住宅。月に2~3回のペースで打ち合わせを進めている。もう少しで実施設計も終わる今では、ご夫婦共に親しい友人のようになっている。打ち合わせが終わるとそのまま事務所で食事しながら少々呑む。奥様は呑めないことと運転もあるのでコーヒーで。たまたま同年代ということもあり、昔の話(音楽から恋愛話まであれこれ)や子供のことや生活のことなど話が尽きない。もちろん家具やインテリアのことも。気心知れてくるとお互いがいろいろなことを話せるようになるので面白い。家のこと以外のことを話すことでお互いをもっと知ることが出来る。出来上がる家のイメージも伝えやすいし、理解しやすい。一つ出会いがあると、またすばらしい仲間が増えていく。家のことも住む人のことも、とことん打ち合わせをするという私のやり方。
2007.01.30
星の数ほどある設計事務所の中から、自分に合った所を見つけ出すのは大変なこと。どこにどんな設計事務所があるのかわかりにくいという現状もあったり。しかし、「家」をつくるのは、ほとんどの人が一生に一回。これを考えると、どの設計事務所をパートナーに選ぶかということはとても重要なこと。雑誌やインターネットで探したり知人の紹介であったり。知る手段はどうであれ、まずは、気になる所をいくつか選んだら必ずそれぞれと直接お話をすること。お互いの考えや感覚を直接やりとり出来るから、とてもわかりやすい。「家」には住む人がいるように、そのデザインの中にはその人がいるのです。 パートナーを組むということは、お互いを信頼し合うことであり大切な「家」をつくり上げていく第一歩ですから・・・!
2007.01.08

これまで私が設計した住宅には「土間」を設けているものが多い。今回はその土間のお話。日本には古くから土間が存在している住まいがある。それが町家や農家であれば、通り抜けが出来たり、作業場や履物を脱がないまま気軽にそこでお茶を飲んで休んだり出来る場となっている。それぞれがちゃんと意味を持ち存在している。 今どきの住宅にもこの「土間」を再現できないだろうか・・・。現在の住まいには、このような場所がない。せいぜい狭小な靴脱ぎ場があるくらいであとは使い方を限定した「部屋」で占領されているからである。使い方を限定しないで、使いたい時に使いたいように使う。そんな場所があってもよいのでは。しかし、面積的に制限される現在の状況からすると、すごく無駄な空間に感じる方もいるはず。では、考え方を少しだけ変えてみる。どの家にも玄関はあるはず。そして長い廊下も。このようなスペースをまとめてみると、面積的にちょっとした部屋が出来てしまうくらいの場所が生まれる。 これまでに設計した家の「土間」は、入り口から庭先まで通り抜けられたり、帰宅してそこでちょっと一休みしたり、家族の気配を繋ぐ共有の場であったり、趣味の場であったり、子供たちがそこで遊んだり、簡単な接客の場であったり、くつろぎの場であったり・・・と使い方は限定されていない。それぞれの家族が、この共有できる自由空間を楽しみながら生活している。外と内の中間に位置する何とも不思議な場所。この「土間」には、まだまだ無限大の楽しさが隠れていそうである・・・!
2006.12.13

先日、Kさんのお宅を訪ねた。引越ししてから片付けなどに追われていたKさんのお宅もようやく落ち着いたようである。念願の椅子も揃ったとの連絡を受け、この日は名作椅子探訪にお邪魔した次第。まず、目を引いたそれはマスタールームにあった。届いたばかりのCharles & Ray Eamesの「Lounge Chair」。見るからに存在感のある重厚なデザイン。重厚でありながら繊細さを感じさせる。見ているだけでもなんなので座らせていただく。「うわ~っ」さすがは一塁選手のグローブのイメージ。暖かく包み込まれるような感触である。このまま、いい音楽♪でも聴きながら、うまい酒が呑みたくなる。そんな、まさに至福のときがやってくる。周囲には「LCW」と「Wire Chair」。2階に上がると、ダイニングには柳宗理の「Side Chair」がある。これは、おしりの曲線がキュートな椅子。背中のアイボリーもすごくいい感じである。隣には同じく柳宗理の「Elephant Stool」。小ぶりでかわいいこれは、椅子以外にも子供の踏み台としても使われていたりする多機能選手である。結論。やっぱり「いいものはいい!」現実的な話をするならば、このような名作椅子と呼ばれる椅子は、デザインが不変であるから買い足しが可能なこと。家族が増えても大丈夫!それから、やはり「見てよし!」「座ってよし!」だ。安定した感触、飽きのこないデザイン、孫やその先の代までも使える素材でもある。値段は少々高いが、そのような財産と考えたら納得できるはず。また、椅子はインテリアを大きく左右する重要な役割を持っている。きっと一度買ったら二度とは買い換えないでしょう?だとしたら、安易に間に合わせで選んではダメ。もっと椅子のことを気にしてみてはいかが?!そこで一つ簡単なアドバイス。ショールームに行ったら、必ず靴を脱いでから座るべし。さあ、それでは一日の疲れを癒してくれる椅子たちに・・・乾杯!
2006.10.10
戦後の工業化へのあこがれの時代から、どんどん進歩し現在の量産化の時代になり商品開発が盛んに行われている。その結果、これまでの社会を支えてきたそうした方法が、今度は物余りの状況を生んでいる。これは建築に限ったことではない。環境問題や子供たちのことにまで及ぶ。ご多聞に洩れず、家もその中の商品の一つになっている。 いろいろな商品(家)が、うちの工法なら工期が早い・うちの設備は便利…と競い合って、消費者はどれを買おうか悩まされる。住み手と直接接するのは建築を知らない営業マンだったりする。それが一般解となっている。昔のように職人と接し、職人が1軒の家にじっくり取り組む時間などない。そして、洋風建築へのあこがれ・住み手の手の届く値段の設定・商品販売の戦略・工期の短縮などから、建築資材も○○調や○○風のホンモノそっくりのニセモノが氾濫し始める。そうなると今までホンモノに携わってきた職人は不要になる。左官・建具・板金・塗装などなど…。専門技術を持った職人の出る幕はほとんどない。また、古くなった建物は解体し建て替えるのが当たり前。その繰り返しで、街はいつの間にかニセモノだらけになり姿を変えていく。これが今の現状。これらのことは、日本人自らが自分たちの過去を消し去ることになるのではないか。日本の伝統技術で出来上がった住まいはどこへいってしまうのか。職人たちはどこで本領を発揮するのか。本来の技術を持った職人がどれだけいるのかさえ疑問になってしまうが。職人の世界もそのような状況の中で技の継承さえ難しくなっている。このままでは、職人技が消えていく…。 そこで、我々設計に携わるものとして出来ること…時代の流れを変えることなど出来やしない。せめて…職人技を発揮できる場をつくること。木組み・木製の建具・塗りものの壁・塗装するもの…など。機械で出来ることや既製品はたくさんある。安易な方法はいくらでもあるが、それに頼らずに出来るものもたくさんあるはず。我々も住み手も、職人を消さないための努力を惜しんではならないと思う。「人」がつくった家に「人」が住むこと・・・それが大切なのではないだろうか。
2006.08.14
「照明器具は部屋の天井に明るいのが一つあればいい」と思っていませんか?私が以前伺ったアメリカのアパートメントには、ダイニングのペンダント照明を除き、各部屋の天井には一つも照明器具がありませんでした。一瞬暗いような気もしましたが、それは日本の「明るい部屋」と比較したからでした。リビングには、壁付けのブラケット照明とソファ脇のフロアスタンドだけ。しかし、くつろぐには十分で、新聞や雑誌を読む時にはフロアスタンドを利用するのです。部屋全体が煌々と明るくはないものの、白熱灯による暗い所と明るい所のメリハリのある光は空間を落ち着いた雰囲気に演出します。 蛍光灯一つで部屋全体を明るくするのではなく、食事・団欒・読書・家事などのシーンごとに照明を考えてみてはいかがでしょう。世のお父さん方が、蛍光灯のついた昼間の職場から帰ってきた時、住まいまでが昼間のような煌々とした蛍光灯の光ではくつろげないでしょう。また、家路に着くとき窓から洩れる光も、青白く冷たい蛍光灯の光より、あたたかい白熱灯の光が迎えてくれた方がホッと出来ます。これは、白熱灯が明かりの原点である「炎」の色に近く安らぎを感じさせるからです。 さあ、今晩あたり実験してみましょう!身近にある白熱灯のデスクライトやクリップライトを壁や天井に向けて照らし、枕元あたりにあるスタンド照明を床の隅に置きます。向きや明るさは適当に調整します。そして蛍光灯の照明を全部消してください。もうこれだけで昨日までとは全く違う雰囲気になりますよ。いい音楽♪でも聴きながら、一杯やるもよし(^^)ぜひ、お試しあれ!
2006.07.29
今や住宅は「つくるもの」から「買うもの」になってしまっています。かつて日本の気候風土だからこそ生まれてきた伝統工法や職人技術は消えてしまうのでしょうか・・・。コスト削減でいろいろなことが機械化され、商品開発も盛んに行われモノが豊富になり過ぎている現在。住宅建材では何々風というニセモノが氾濫し、今までホンモノに携わってきた職人たちは不要になってしまうのが現状です。大工の仕事も機械化され、墨つけが出来る大工さんがどんどんいなくなる。建具は既製品になり、昔から建具をつくってきた職人が減っていく。タタミの部屋などほとんどない家。職人が塗装しなくても既に出来ている建築部品の氾濫。左官職人の必要がない外壁や内壁・・・etc。そして少し古くなっただけで解体され、新しい形に生まれ変わってしまうという現状。こうしたことの繰り返しで、個々が姿を変え、街が姿を変えていくのです。これらのことは、日本人自らが自分たちの過去を消し去ることになるのではないでしょうか。日常の買い物では「こだわり」がある人でも、いざ「家」となると感覚が違うのでしょうか。住まいにも、もっと日本人としての「こだわり」を持って、職人たちの技が活かせるような家づくりをしてほしいなぁと願うばかりです。そして、もちろん我々考える側も職人を消さないための努力を惜しんではならないのです。
2006.07.24
「便利さ」「快適さ」「体裁」などを気にしすぎて、家族の団欒やつながりを見失っていませんか?「各自に個室がありそこで何でも用が足りてしまう」当然それは便利。「部屋はあまり広くせずに空調設備の効率重視」それもいいでしょう。しかし、個室が快適すぎてそこにこもりきりになり、家族が顔を合わせるのは食事の時だけ。子供たちは家に帰ると、親と顔を合わせることもなく個室へ直行。親は、子供がいつ帰ってきたのかわからない。このようなことを考えた時、果たして便利さ・快適さやプライバシーはどの程度必要なのでしょうか?通常「家」とは家族が一つ屋根の下で生活する場です。他人が共同生活する場ではありません(中には例外もありますが)。それならば、多少の物音・話し声・気配・料理のにおいなどが感じられた方がよいのではないでしょうか!?「あぁ子供たちが帰ってきた!」「また兄弟喧嘩しているなぁ」「今日の子供の様子は何か変だぞ」「今日の夕飯はカレーだな!」という具合に。例えば、上下階が繋がっていたり、ガラスで視線が通るような工夫をする・・・など方法はいろいろあるでしょう。「家」は知らず知らずのうちに住み手に大きな影響を与えています。それは子供たちの性格や人格にも影響があると言っても過言ではないでしょう。周囲の蔓延した情報に惑わされず「自分たちはどう住まうのか」「今自分たちには何が必要なのか」ということをもう一度原点に戻って、慌てずにじっくりと考えてみてはいかがですか?家に合わせて住まわされるのではなく、住む人がいて家をつくるのですから!
2006.07.20
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