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このブログで仲良くしていただいた皆様お久しぶりです。なんとなく途絶えてしまって、そのうちブログを書くのを止めて区切りをつけて゛挨拶゛だけでもと思いつつ、それも書きそびれてしまってとうとう2年過ぎてしまいました。個人的には色々とありまして現在は、1年前から「パソコン教室」を開いています。ブログもその関係もあって昨年の5月頃よりアメブロを書き始めました。こちらでは個人的な日記を書いていましたが、もっぱらパソコンに関する事柄だけです。時たま個人的な事も書いていますが、殆ど小技や便利なソフトやサイト紹介といったものばかりです。アメブロを始めたい生徒さんが何人かいた関係で始めすっかりはまっている状態です。こちらでは皆さんに色々とお世話になったり、温かい言葉をかけて頂いたりまた色々な事を学びました。本当に感謝しています。日々、学ぶべきことが多く何かと忙しくこちらのブログは続けることが出来ないと思います。またどこかで皆さんに出会うこともあるかと思いますが、その時はよろしくお願いします。今まで本当にありがとうございました。特にあえて名前は出しませんが、お気に入りに登録していただいた方々には感謝しています。もし宜しければ教室のホームページを覗いてください。ボランティアで始めた「介護講習会」とブログへのリンクも貼っています。「悠々企画 パソコン教室」最後になりましたが皆様の穏やかな日々が続きますことを願っています。
Jan 9, 2012
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ホテルの近くに風情のある建物が・・・・・朝の開店前の写真だが、開店後はいつも順番待ちの人で店の前はいっぱいだった江戸文化道場とある提灯には永六輔や醗酵学で知られる小泉武夫、三遊亭何某らの名前が並んでいる。ここで定期的に講演会や落語でもしているのだろうか。後で調べてみるとこの店「駒形どぜう」は、享和元年にのれんを上げたそうだ。1801年だから200年も前の事だ。あの池波正太郎もここには「かぞえきれぬほど通っていた」らしく静かに酒をのみながら沈思思考していたとか。今回はこの店には入らなかったが、機会があれば入ってみたい。(しかし食物屋で待つのは嫌いなので我慢できるか。今回も並んでいなかったら入っていただろう)
Oct 2, 2009
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本日も写真のアップだけで手抜きです。雷 門仲 見 世ふと上を見上げると飛行船が・・・ちよっと面白い構図だとおもいません?10月に出産予定の次女に安産のお守りを最近どなたかのブログにも掲載されていましたが、偶然見つけました。
Sep 29, 2009
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それぞれ有名な作品だから、改めて説明も要らないと思う。
Sep 25, 2009
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翌日は半日時間があったので上野公園へ行くことに。お目当ては東洋美術館だ。何度か訪れているが何度でも見てみたい。しかし事前にサイトで調べたところ現在工事中で見ることが出来なくなっている。全部ではないが他の施設に分散して展示されているようだ。駅を降りて木立の中を美術館へ向かって歩いていく。途中小さな野球場を見つけた。野球場といっても草野球クラスの広さで学校のグランドくらいだ。ふと入り口の看板を見ると「正岡子規記念球場」とある。詳しい説明はなかったが、想像するに正岡子規が東京時代に野球を広めようとしていたその頃の球場ではないだろうか。正岡子規といえば現代俳句を確立した俳人で、わが郷土松山の出身である。野球が好きだったらしくその普及にも力を注いでいる。今では死語となってしまったが「四球」も子規の造語であるし「野球」もそうだ。正岡子規が一時期「野球(のぼーる)」という雅号も使っている。最近になって野球の普及に貢献した事から野球殿堂入りをしている。詳しい事は知らないが文化人で殿堂入りを果たしたのは正岡子規だけではないだろうか。ついでにもう一言加えるならば後に正岡子規は結核にかかり松山へ帰っている。その時に身を寄せたのか゛当時「松山中学」の英語の教師として赴任していた親友の夏目漱石である。その漱石が松山中学時代の事をもとに書いた小説が「坊ちゃん」。この小説は松山の事を田舎、田舎者として小ばかにしたような描かれ方されているにもかかわらず、なぜか松山では人気がある。これが伊予人(松山)気質なのだろうか。子規と同じく松山出身の秋山好古、真之兄弟の3人を主人公に描いた歴史長編小説が司馬遼太郎の「坂の上の雲」だ。秋山兄弟はそれぞれ明治の陸海軍大将で特に真之の日本海海戦での度肝を抜くT作戦は有名だ。兄の好古は日本騎兵の父ともいわれており、晩年は教育にも力を注いだ。教育者としても優れた人物であったらしい。晩年校長をしていたのが母校の「松山北高」で門を入ったところに銅像があったような、なかったような・・・・・。その頃はまったく興味がなかったので覚えていないが、なにか像があった記憶はある。この秋NHKでドラマ、「坂の上の雲」を放映予定です。是非見てください。秋山真之 本木雅弘 海軍軍人。日露戦争時の連合艦隊参謀 秋山好古 阿部 寛 陸軍軍人。“日本騎兵の父”とよばれる 正岡子規 香川照之 歌人。俳句や短歌の革新を目指す 正岡 律 菅野美穂 子規の妹。病床の子規を支え続けた 夏目漱石 小澤征悦 小説家。子規とは親交が深かった 秋山久敬 伊東四朗 秋山兄弟の父 秋山 貞 竹下景子 秋山兄弟の母 秋山多美 松たか子 好古の妻 伊藤博文 加藤 剛 初代内閣総理大臣 広瀬武夫 藤本隆宏 海軍軍人。海軍での真之の友人 東郷平八郎 渡 哲也 海軍軍人・日露戦争時の連合艦隊指令長官 高橋是清 西田敏行 神田・共立学校の英語教師。後に大蔵大臣、第20代総理大臣 児玉源太郎 高橋英樹 陸軍軍人。日露戦争時の満州軍総参謀長 山本権兵衛 石坂浩二
Sep 18, 2009
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またまたサボってしまった。お盆からこちら相変わらずの生活だが、この間旅行にも行った。8月の末に用があって東京へ。9月には日帰りで京都。1泊で阿蘇、高千穂峡へ行ってきました。東京へ東京は3年ぶり。前回は孫たちと一緒に遊びに行ったのだが今回は用事があっての旅行だった。羽田に着くといつもはモノレールに乗るのだが今回は代々木に用事があったので直接、代々木に向かい用を済ませ、その後ホテルのある浅草へ向かった。用事は思ったより早く済んだのであとは遊ぶ事にした。日帰りでもよかったのだが、飛行機とホテル込みのパック旅行なら費用も同じくらいなので2泊することにした。この日は人形町にある「辻村 ジュサブロウ館」へ行く。あらかじめ調べておいたので、迷わずすぐに行く事が出来た。駅を降りて角を曲がったところにあった。気をつけてないと見過ごしてしまいそうな佇まいだ。普通の民家を改造したらしく、そんなに広くない2階建てである。戸をあけて入るといきなり本人の顔が目に入ったので少し驚いた。人形は思ったより少ない。多分全国の美術館などに貸し出されているのだろう。常設かどうかは知らないが「仙台と酒田市の方へも行っている」と話されていた。店の高いところにある小箱には江戸時代の゛布゛が大事そうにおかれていた。江戸ちり緬などはなかなか手に入らないので、大事にしてなかなか使わないらしい。出来上がった人形を見ているとまるでその人形のためにあつらえたかのような着物に感心していたのだが、聞くとやはり端布の柄を考えて着物に仕立てているそうだ。本人とも少しは話したが、そんな話を聞かせてくれたのはプロジュースしている人だろうか、寿三郎氏よりは若いが同年代の男の人だった。長年一緒に仕事をしてきた、そんな感じだった。2階は主にみやげ物売り場になっていて、手ぬぐいと風呂敷、ハンカチを土産に買った。会計をすませているとそこの若い女の子が「サインはどれにしてもらいますか」という。どうやらある程度の金額以上買うとサインをしてもらえるらしい。そこで風呂敷にしてもらうことにした。小唄の時に着物を包むのにとおもって買って帰ったのだが、もったいなくて今だ箱に入れたままになっている。新八犬伝の頃の人形と較べると特に女の人の目が変わってきているように思う。茫洋としたたれ目でエロチシズムを感じる。こう書いて改めて人形を見てみるとけっしてたれ目ではないし、茫洋ともしていないのだが最近見て感じた印象は「たれ目、茫洋、エロチシズム」たった。館内は当然のことながら撮影禁止だったのでオフィシャルサイトを見てください。
Sep 17, 2009
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12日に迎え火を焚き、15日にはお寺さんが、おたな経をあげに来て15日には送り火を焚いた。と言いたいところだが、15日の夜は用があり送り火を焚く場にはいなかった。昨日、同居している娘が「お父さん、ばあちゃんからきいた?」と話しかけてきた。「何を?」「じいちゃんが呼びにきたんだって」こういうことらしい。15日の夜夕食が終わり、送り火の事を忘れて母は横になり、そのままウトウトとしていたらしい。すると夢の中で父に名前を呼ばれて目が覚め娘たちを呼んで送り火を焚いたそうだ。「本当にじいちゃんが呼んだんだろうか」と聞く娘。それに対して僕は「理屈を言うと、送り火のことは忘れてしまっても潜在意識としてあっり、それが夢と言う形で出てきたのだろう」と説明したが本当のところはどうなのか・・・・・。魂が帰ってきて欲しいとだんだん思うようになったのは年のせいか。このごろ時々父と話してみたいなと思うことがある。
Aug 17, 2009
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遺跡発掘の仕事はこの暑い時期、今まで室内の仕事しかしてこなかった自分には出来るだろうかともともと不安だった。奮い立たせる意味もあってブログに書いたのだが予想以上の体力消耗だった。結局は2日間しか頑張れなかった。情けないと思う反面、身体を壊してまではする必要のないことだからこれでよかったのだと自分に言い聞かせている。影のない炎天下での7時間半の作業は予想以上にキツイものだった。8時半に作業が始まるわけだが、作業に入る前に全員そろって写真に収まる。勤務した事の証拠写真だったのだろうか。まずは前日、被せたシ-トを取り除いていく。この作業だけで30-40分かかった。前夜雨が降った日は水溜りの水をスポンジで吸い取っていく。あまりにも多く貯まっている穴はポンプでくみ上げていく。全体が露わになったところで各持ち場での作業に入るわけだが、この時点で汗で濡れて上から下までびっしょりだ。服装は下着の上に長袖のシャツ、下はチノパン、頭はまずタオルを巻き、日よけに帽子をかぶり、その上からヘルメットをかぶる。ヘルメツトだけはない方がよいのだが規定らしく仕方がない。確かに深く掘られた穴もあるし、ベルトコンベアなども設置されているから念のためのヘルメットなのだろう。遺跡は弥生時代の遺跡で僕らが担当した場所は川のところだった。7月から発掘を始めたらしくすでに重機でトレンチが掘られ、スコップやお玉などで表土をはいでいく作業をした。午前中は10分間の休みが一度、昼休みは1時間。午後は3時に20分の休憩が1度、その間休むことはない。班長の人も一緒に組んでいた人も「暑いから無理をしないで、お茶を飲みに行け」と言ってはくれるものの、誰一人として持ち場を離れるものはない。トイレへ行くものもない。これはあたりまえで全て汗で出てしまうためトイレへ行く必要がないのだ。何度も云ってくれたし、多分ひどい顔をしていたのだろう行くようにいわれ日に1度はお茶を飲みに行った。ほぼ7時間の間ず-と座りぱなし、これも辛かった。剥いでいった土がたまるとジョレンでベルトコンベアの所まで運ぶのだがこの作業が唯一背を伸ばせ、歩くことが出来るので進んでやった。作業を続けていると暑さと疲れで頭痛がしてくる。結局この頭痛は辞めた後2日間続いていた。朝の食事はなんとか普通に食べたが、昼食は小さなむすびを2つと少しばかりのおかずそれも無理やり食べた。夜は食べれなくビ-ルをグラス一杯飲むのがやっとだった。また辛かったのは疲れすぎて、頭痛がして眠れずウトウトしてはすぐに目覚めまたウトウトする、朝までこれの繰り返しだった。5-6日と行き、7日の金曜日はきり良くこの日まで行くつもりだったが持病の血圧が上がり辞めることに木曜の夜半過ぎに決めた。すると少しは眠ることが出来た。行く事自体ストレスになっていたようだ。金曜日は辞めたいと告げに早めに出かけた。みんな身体がそんな風なのならその方が云いと言ってくれた。今働いている人の中の何人かは倒れた人もいるらしい。だから他人事ではなくわかるのだろう。僕が一番若いくらいでほとんどは60以上中には3-4人、70歳代の人もいた。1週間すれば慣れるとみんな云っていたがそれでもえらいものだ。確かに多少はなれるかもしれないが、仕事が終わって家に帰ってからはなにもする気にならないし出来ないだろう。たった2日間だったが、小さな土器の破片を何点かと骨らしき物を1点掘り出した。またみんな良くしてくれた事が貴重な経験だったと思っている。発掘現場
Aug 10, 2009
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いつまで続くかわからないが、明日から仕事に出ます。と言っても、元の仕事ではなくぜんぜん違うアルバイト。この炎天下の中いつまで続くか、身体が持つかわからないがやってみる。以前から探していたのだが現役のときは時間的に出来ないし辞めてからもタイミングが合わなかった。今日、空きが出来たので明日からやってほしいと電話があった。発掘現場での作業だ。愛媛大学キャンパス内の遺跡なので自転車で10分あまり、前の職場とも5分の距離だ。一時期、考古学に懲りカルチャ-スク-ルにも2年間通ったし講師の先生方とも懇意になり、一緒に飲みに行ったり発掘現場を見学させてもらったりした。その頃は遺跡めぐりの旅行へも行ったりしたものだ。でもなぜか一度もトレンチを掘ったりヘラで発掘作業したりした経験はなかった。仕事を休んでするしかないので時間的に無理だったのだ。明日からその希望がかなう事はうれしいのだが、この暑さに身体が持つかが心配だ。ず-とクーラーの効いた環境での仕事しかしたことがない、おまけに辞めてからは部屋の中で座りきりだ。8時半から17時までの炎天下はきついなあ・・・・。でも行く前から心配しても始まらない。さぁ、明日から少し早めに朝ごはんを食べなくてはいけないなぁ。
Aug 4, 2009
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恒例になっている夏祭りのカラオケ大会だが色々と話を聴いてみると考えさせられる事があった。事前に参加者は申し込んで決めるのだか、今年も募集をかける前から参加の申し込みがあった。なるべく前年の参加者は遠慮してもらっているらしいのだがそれでも大体は同じ顔ぶれになるそうだ。檀家のひとや町内の人ならばそれもいいのだが、どうやらそうではないらしい。祭りシ-ズンになるとあっちこっちでカラオケ大会が催されそれらの大会を渡り歩いている人も少なくないようだ。そのこと自体はいいのだが問題は審査結果について文句を言う人がいるらしい。今年も審査委員はプロの人を2名お願いしていた。町内会長も審査委員になっていたこともあるそうだが、文句を言ってくる人がいて辞めたらしい。どんな事を言ってくるかといえば「あそこのカラオケ大会では、自分のほうが優勝して、あの人は〇位だったのに今回はあの人が優勝したのはおかしい」と審査結果にクレ-ムをつけるのだそうだ。うまいといってもどうせ素人、どんぐりの背比べでその時の調子で出来も違うし審査員の判断によっても違うのが当たり前。よくそこまで自分を過信できるものだとあきれてしまう。またたかが楽しむための祭りのカラオケ大会、聴く者も唄うものも楽しめばそれでいいのに・・・・と思う。そんな人は出て欲しくない。来年は趣向を変えようかと密かに考えている。まずは「ちびっこ」に参加してもらおう。唄いなれただけの大してうまくもないセミプロよりず-と楽しい。幼稚園児のお遊戯もいいし、町内のスナックへ行けば唄っている人は結構いる。やはり町内の人を優先しよう。遠いところから車で駆けつける人は極力遠慮してもらいたいものだ。
Jul 30, 2009
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今年からお寺さんの世話役をおおせつかった。17、18日と夏祭りが開催された。17日は朝からカラオケ大会の会場の設営。土砂降りの雨の中、夜には止んでくれるだろうと見込んでの作業になったが昼過ぎまではバケツの水をまいたような降り方で心配だった。設営が終わりしばらくすると雨も小降りになり道行く人も傘をささないでも歩けるくらいになった。そして夕方には雨も上がり舞台の床も扇風機の風ですっかり乾いた。6時からは本堂で念珠繰りがあり、その後餅まき、カラオケ大会と進んだ。カラオケ大会なかば急に雨が降り始めたが用意していたシ-トとテントで濡れる人もいない様子で一安心。その雨も通り雨みたいにしばらくして止んだ。狭い境内での餅まきは大人に混じり小さな子供が拾うので危ないしかわいそうだ。始まる直前に目の前の子供たちに一番前に来るように声をかけた。2-3人大人も混じっていたが僕の前は子供たちだけになったので一歩前へ出て子供たちだけにまいた。それでも見ていると大人たちは危ない、拾うのに夢中で子供たちが見えていないようだ。来年からは始めに小学生以下だけを前に集め、その後子供たちは下がってもらい大人に餅まきをしようと考えている。拾えなかった子供や親に抱かれた子供には全員あげようと思う。 会場の設営風景 餅まき
Jul 20, 2009
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先日、松山地方で一番初めに行われる夏まつりが近所であり孫のおともで行って来ました。お参りをすませ一通り夜店をひやかして帰るつもりだったのだがなにも買おうとしない。もう一度見ると言う。仕方ないのでまた人ごみの中を歩く。端まで行ったが買うものが見つからない様子でまた引き返す。3度目に買うものが決まったらしく「金魚すくい、風船つり、アイスクリ-ム、くじ」と次々に買っていた。子供はこうして何を買おうか考えながら歩くのが楽しいのだろう。ついこの間、わが子を連れてきたのに孫を連れ歩いているなんか不思議な感じだった。
Jul 16, 2009
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昨日なにげなくラジオを聞いているとサヘル・ローズという女優とのインタビュ-が流れてきた。始めは聞き流していたのだが、そのうち引き込まれていき聞いているうちに何度となく涙を流した。“滝川クリサヘル”として一躍脚光を浴びたサヘル・ローズ。2009年1月、その数奇な半生を描いたエッセイ『戦場から女優へ』という本を出版したそうだ。全くその存在を知らなかったサヘル・ローズだがもつと彼女のことを知りたくなり、さっそく注文することにした。「戦場から女優へ」はこちらから内容はというと・・・・・・。イラン・イラク戦争での空爆により村が全滅する中で、ただ1人生き残った少女が、ボランティアの女学生の手で救い出され、孤児院に。やがて女学生が養母となる形で引き取られますが、養母は「未婚の母」となることで両親から勘当されます。日本で働く婚約者を頼り、来日しますが、今度は「連れ子」の存在が原因で……。 公園でのホームレス生活、食事もままならない極貧、クラスメートからのいじめ等、幾多の苦難に耐えながらも、少女は明るく成長し、やがて芸能界入りを果たします。
Jul 15, 2009
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いつものブログ巡回でNAOMIさんの7/7のブログに北海道における七夕祭りの事が出ていました。以下抜粋です。詳しくはこちらを。
Jul 9, 2009
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浮気同士が つい、こうなってああでもないと四畳半湯のたぎるよりも音もなくあれ 聞かしゃんせ松の風今習っている小唄です。現在なら「不倫」と言うところだろうが「浮気」と言ったほうがなんとなく軽い、深刻でないニュアンスを感じるのは僕だけだろうか。不倫も浮気も同じはずなのに。でも時代背景を考えるとあの時代のほうが、文字通り命がけ。だからこそよけいに身も心も燃えるのだろう。その真剣さをさらりと゛遊び゛と流してしまうところが゛粋゛なのだろう。恋の道行き、刃傷沙汰、心中など時代は変わっても男女の仲は同じことの繰り返し。この粋さが男も女も互いに゛らしさ゛に通じて、色気のひとつになっている。現代の女性にはこの色気がなくなった。いや女性に言わせると男も同じだろう。この色気、時代が必要としなくなったのか、それとも心のどこかには失ってしまったこの色気を求めている心があるのだろうか。みなさんはどうですか。一度自分の心の中を覗いてみてください。
Jul 6, 2009
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子供の頃から字が下手でよく父から「みみずが這っているみたいだ」と言われたものだ。そう言う父も悪筆だったのだが。自分は字が下手なんだからと開き直り今日まで生きてきた。もちろん、字が上手だったらよかったのにと思った事は数限りないのだがそのつど積極的に練習しようなどと考えた事はなかった。それが・・・・・・今年の2月から習い始めたのだ。まさか自分から習ってみようと考えるなんて思いもしなかった。小唄の稽古のときは、師匠と対面して唄本を見台に置いて唄うのだが、その時まわりには他の人が座っている。当然のことながら見台の上に置いた本の字が丸見えなのだ。新しい唄を与えられると、唄本に詞を自分で書いておく。唄本には結婚式などで使う和とじの芳名録帖を使用している。あまりにもへたくそな字が皆から丸見えになっている状態で唄わなければいけない。みなさんの字はと言うと、字のうまい下手はよくわからないがそれなりに人様にみせても恥ずかしくない字ばかりだ。一人の人などは゛無審査゛だとか。その人の書は清水寺に永久保存されているとか。そんなすごい人もいる。あまりにも恥ずかしいので習いたいなぁと思うようになり人を頼って習い始めたのが今年の始め。習い始めて5ヶ月。小唄は休みたいと思ったことはないが、習字はまだまだ口実をつけては休みたくてたまらない。これまでに休んだのは2度ばかりある。休みたいけど、休んだらますます行きたくなくなるのがわかっているから自分の気持ちを奮い立たせて出かけている。何事でも1年通えば、それほど苦にならなくなるのでないかと考える。小唄の場合は辛いと思ったのは習い始めて2-3ヶ月頃だったと思う。いずれまた詳しく書くが、その頃は初心者が習うような曲でない難しい曲を3曲集中的に覚える羽目になったからよけいだった。習字は週一回、夜の7時から2時間くらい公民館で習っている。生徒さんはと言えば小学生、中学生、高校生、一般人とさまざまだ。一般の方は長年習っている人(師範級の人ばかり)又はしばらく休んでいて再び始めた人といずれも上手な方ばかり。その人たちと机を並べるのは恥ずかしいが、あまりにも違いすぎるので開き直っている。一番恥ずかしいのは両隣に中学生くらいの子が座ったときだ。彼らも僕から言わせると上手な子ばかり。その場にいたたまれなく早く帰りたしなる。「字の上手さは年には関係なく、それが事実なのだから仕方がない」と自分を戒めに似た気持ちで言い聞かせている。いつになったらこんな気持ち味をなくてもよくなるのだろうか。
Jul 1, 2009
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淡路山の中腹、町を見下ろす高台にある五十番札所、繁多寺は落ち着いた佇まいであるが、疲労困憊とてもじぁないが風情を楽しむ余裕などなかった。繁多寺と書いて「はんたじ」と読む。ここらの地名は「畑寺ーはたでらー」といい、繁多寺からの転化したものと思われる。繁多寺本堂繁多寺を出た後はなだらかな坂道を下り、石手寺までの約3キロは平地を歩くだけだったので少しは楽だった。途中で時計をみると5時になっていた。石手寺はすでに納経しているので今回は納経所へは行かない。だからゆっくり歩けばいいのだけど、納経してもらうのなら5時までにお寺へ着かなければいけない。閉まってしまうのだ。すると朝一番に納経してもらい次の札所へと言う事になるわけだが前日に済ませているのと、済ませていないのとでは翌日の予定が大きく変わってくる。歩き遍路の場合少しでも距離を稼ぐために朝早く夜が明けたころに出発する人が多いのだが納経所は朝7時からなので、それより早く行っても書いてもらえないわけでそれにあわせての出発となる。車が多く行きかう道を歩いて行くと小高い山の上に大きな大師像が見えてきた。もう少しだ。五十一番札所、石手寺に着いた頃には参拝客もまばらで、境内では僧侶が一日の終わりの片付けをしている風だった。このお寺は道後温泉から歩いて10分くらいの所にあるので観光客も多い。また毎日お参りに来る信者も多くいる。安産祈願のお寺として知られ、祈願にお寺にある石を持ち帰り出産後にはお礼に石を2つ持ってくる。わが子のときも孫のときもそうした。石手寺本堂三重の塔石手寺についてこれで本日の歩き遍路は終了。朝から何も食べていないので、その足で道後温泉の本館のすぐそばにある地元の酒造会社が出しているビ-ル店へ立ち寄り夕食をすませてというか飲んで帰った。疲れていたし空き腹だったのですぐに酔いがまわり、いい気持ちで市内電車にゆられて帰路に着いた。黒ビ-ル゛坊ちゃん゛
Jun 30, 2009
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今回のへんろアルバムを更新しました。
Jun 28, 2009
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(訂正)23日の日記で「その後住職から本尊の話をうかがった」と空也像の事を書いたがこの像、本堂に安置されているが、本尊ではありませんでした。本尊は釈迦如来でした。昨日の久里風さんへのコメントを書いて、間違いに気づきました。各地の浄土寺の本尊は釈迦如来ないし薬師如来のようです。さて、浄土寺をあとに次の札所50番、繁多寺へ向かう。浄土寺の山門を出たところでアイスクリ-ムを買うことにした。入ってきたときに気は付いていたのだが帰りでいいと思い先に参拝したのだ。くださいと言って見るとすでに店じまいしている「終わったのですか」と聴くと黙って荷を解いてアイスクリ-ムを作ってくれた。お金を渡しその場を去ろうとすると「店じまいだから・・・・」といって引き出しからストラップを取り出すと、手渡してくれた。仏さまの手の形で開けると仏像が見える金色をしたものだ。うれしかった。山門の所で朝から夕方まで1個200円のアイスクリ-ムを一日に何個ぐらい売れるか知らないがその儲けの中からこうして施しをするのは、やはりこのお寺さんの場所で商売をさせてもらっていると言う思いとお遍路さん、しいてはお大師さんに対する思いなのだろう。すくなくとも、もらった方にとっては「お接待」だった。これが観光地での出来事だったらもらっても「おまけを貰って得した」ぐらいにしか感じなかっただろう。それが現代の日常の感覚だ。やはりお遍路さんは別の世界だと思う。アイスクリ-ムを食べながら車の行きかう歩道のない道を1キロくらい歩いて途中、比較的新しい住宅の立ち並ぶ道筋に出てひたすら歩いた。この頃が疲労のピ-クで、おまけに上がったり下がったりの坂道続きの道を墓の中の道を突き切り山手のほうへ登っていった。股関節が痛く半分びっこを引きながらの歩みだ。ただ一歩一歩足を運んでいると言う感じで西日を受けながら歩き続けた。そんな時、手押し車(なんて呼ぶのか知らないが買い物などで押してたり引いたりしている車)を引いた母ぐらいの年の婦人とすれ違った。すれ違いにかるく会釈をしてそのまま歩いていると「お遍路さん」と呼び止められた。何事かと2-3歩引き返すと手押し車のポケットの中からアメを出し「これでも食べながら気をつけて行って」と手渡された。ありがとうございますと言って歩き出したが、ふいに思わず涙があふれてきた。苦しいときに優しい言葉をかけられると本当にありがたいものだ。
Jun 26, 2009
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昨日に続いて浄土寺です。今回は写真を撮ってないので春ごろに撮った写真を掲載します。 山号を西林山といい少しユ-モラスな仁王さんが迎えてくれます。 ん、ちょっと・・・・迫力に欠けるなぁ 正面が本堂、右手には大師堂があるお参りは、まず本堂へ向かいお札と写経を納め、次にお灯明と線香、賽銭をあげ読経する。次に太子堂へ行き、ここでも本堂と同じように参拝をする。その後納経所へ行き納経帖に朱印を押してもらう(300円)。八十八カ所のお寺にはすべて本尊を安置している本堂と、大師を祀る大師堂がある。 門の奥が納経所になっていて、ベンチに荷物を置いたお遍路さんが 納経を終えて出てきた 昨日話した池で、すっかりきれいになっていて小さな祠が祀ってある 境内には空也上人を詠った正岡子規の句碑がある
Jun 24, 2009
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西林寺を後にして次は49番札所浄土寺。ここは小唄の師匠の家のすぐそばだから毎週眼にしているお寺だ。実はその事以外にもこのお寺には思い出がある。高校1年のとき新聞部に入った僕は、「日曜歴史探訪」というコラム記事を企画した。史跡めぐりの記事だ。その2回目の訪問先がここ浄土寺だった。なぜここを選んだのか覚えていないがある日曜日バスを乗り継いで取材に訪れた。その日は雨が降っており山門を入ると沼と言っていいような淀んだ小さな池が草に囲まれてあった。その草に囲まれ、縁取るように真っ赤な曼珠沙華がひっそりと咲いていた。人気のない寺と雨にぬれた曼珠沙華の咲く池のたたずまいが、なんともいえず深くこころに染み入った。こうして40年以上たった今でも目に浮かべる事ができる。取材はそのあと住職から本尊の話を伺った。ここには重文の空也上人像が安置されている。多分教科書などで一度は目にした事があると思うが、空也上人の立像で口から6体のちいさな仏像が出ているあの像だ。6対の仏は上人が唱えた「南無阿弥陀仏」の文字を意味しているとか。この像は2体あり、もうひとつは京都西国六波羅蜜時にある。学者が調べたところ松山の像のほうが上人が若いときに彫ったらしい。そんな話を教えていただいた。15歳のときの事である。今回も納経帖に書いてもらった後で住職に、この時の話をした。前住職の話には残念ながら何の反応もなかった。年齢的には前住職はもうすでに亡くなっているだろう。もしかしたら前々住職かもしれないし、現住職とは何の関係もない間柄かもしれないな。このお寺もすっかりきれいになっていて、昨年訪れたときには遠い記憶と結びつかなかった。もちろんあの風情ある池もこぎれいになって、見る面影もない。
Jun 23, 2009
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最初の予定では昼過ぎに歩き終える予定だったのでリュックの中はお茶しか入れてなかった。予定変更で八坂寺、浄瑠璃寺まで足を伸ばした。浄瑠璃寺へ着いた頃ちょうど昼時だった。しかしこのあたり店屋はない。浄瑠璃寺をでてしばらく歩いているとなにか売っている店があったので覗いてみたが、食べるものはアイスクリ-ムだけだった。聞いてみたがこの辺りには食べも所はないと言う。仕方ないので丸いケ-スに入ったみぞれアイスを買い、溶かしながら食べ食べ歩いた。歩いてきた道を引き返し次の札所、西林寺へ暑い中をとぼとぼと・・・・・。同じ道を引き返す事はこれほどストレスがかかるということをイヤというほど知った。前に向いて進む(次の札所へ進んでいるのだけど)のなら辛くてもこれ程は辛くなかったはずだ。暑さに耐えながら、そろそろ足腰に痛みを覚えながら歩いているうちにやがて西林寺へ着いた。この頃から道路の脇に喫茶店やコンビニがチラホラ目に付き始めたがもうひとつ入る気力もなくなりかけ、おまけにこの日はこの先もず-とこれらの店が歩いている反対側にばかりあった。車の行き交う道を渡るのも億劫で次の店で・・・と。次の店ではまた反対側を歩いていて、店も反対側に。これの繰返しだった。そのうち食欲も失せて結局は昼抜きで 歩きとおした。今回の歩きでの教訓。たとえ半日の歩きでも、チョコやアメ、クラッカ-ぐらいは携帯しておくこと。浄瑠璃寺境内のイブキの大木
Jun 19, 2009
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この日は暑かったが、少し風があったので助かった。それでも半袖で歩いたので、腕時計のあとがくっくりと残り皮が少しむけかけている。さて郊外電車で「鷹子」と言う駅に10時に降り立ちひたすら南へ伸びる道を歩き続けた。途中「重信川」と言う一級河川にかかる橋を渡った。扇状地を流れるこの川は伏流していて、ひとたび大雨が降ると水害に見舞われる事も多い。橋から覗いてみるとまったく水が流れていない。草しか見えない。普段はチョロチョロとでも流れが見られるのに・・・・。草ぼうぼうの川。右手に見えるのは河川敷のミニコ-ス1時間ほどで「文殊院」へ着いた。ここはいわゆる八十八番札所ではなく、別格霊場寺院となっている。四国遍路に関係が深い「衛門三郎」の菩提寺である。詳しくはリンクを見てください。文殊院本堂と納経所入り口で遊ぶ3匹の猫。ここで飼われているらしい文殊院から40分ほどで「八坂寺」へ、それから又30分歩いて「浄土寺」へ。逆打ちなので近くにあるはずなのに迷いながら又、丘陵なので思わず時間がかかった。標識のそばにある畑では小さな柿の実がなっていた。
Jun 17, 2009
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しばらく跡絶えていた歩きへんろにでた。予定は48番札所西林寺から51番札所石手寺までだ。6キロくらいで遅く出発しても3時過ぎには帰れるだろう。足慣らしのつもりで9時過ぎに家を出た。市内電車、郊外電車に乗り継ぎ「鷹の子」と言う駅に降り立ったのは10時だった。ここからが始まりだ。まずは48番札所西林寺へ。2キロくらいだ。そして再び引き換えし49番、50~51番へと歩く。楽勝だ。歩き始めて地図を改めてみて気づいた。49番の前に高知県から四国山脈を越えて松山平野に降り立ったところに四十六番、四十七番とある。地理的にはここを廻らなければこの2つの札所が抜ける形になってしまう。急遽、変更することにした。変更すると言ってもルートは変わらず先へ伸びるだけなのだが長い距離を往復することになる。ふつうへんろは多少の往復路や引き返しなどはあるが、今回みたいな゛無駄な往復路゛はない。これならバスで46番さんまで行き、そのまま五十一番まで歩けば良かった。しかし仕方ないので歩くことにする。四十七番、四十八番は素通りしてそのまま四十六番まで歩く。このように番号の若い方へ巡るのを「逆打ち」という。現在「国土交通省」と「へんろ保存協会」の道路標識がそこここに掲げられているのでこれを目印に巡るのだが、逆打ではこれがわからない。順打ちでの標識になっているからだ。ここで「四国八十八ヶ所へんろ」のことに少しふれておく。簡単に言うと弘法太師、空海が今から千二百前に新光の道場として開かれた。阿波の一番札所(札所とはお寺のこと)、霊山寺から始まり、讃岐の八十八番札所大窪寺までの八十八ヶ所のお寺を巡礼することをいう。四国では巡礼とは言わず「打つ」という。この大師信仰は古くからあったらしいが、盛んになったのは江戸時代だそうだ。現在、へんろに出ている人は多分その大方の人はレジャー感覚だろう。かく言う僕もそれに近い。バスやタクシーで回る人、自転車、バイク、自家用車そして歩きと多種多様だ。そして巡る動機も人それぞれだ。何かの区切りとして回る人、大事な人を亡くした回向のため、心を病んでいる人不治の病で歩く人、はたまた世相を反映して職を失い巡っている人など様々だ。僕が幼い結核が不治の病だった頃は、結核患者が死出の旅として巡っていた人も多くいたと聞いている。さまざまな思い、様々な過去、境遇でその時代時代、多くの人々が回ってきた。多分、その多くはどうしようもないものを背負いながらのへんろ旅だったのだろう。現在もそのような方も多いだろうがその反面、旅としてのへんろも多くいる。その中で歩きへんろは幸せだと言われている。1つに通しであるくと約五十日位はかかるのだが、その時間が取れる幸せ。2つ目は一日約一万円くらいは宿に泊まるとかかる。経済的な幸せ。3つ目、歩ける身体があることの幸せ。4つ目、送り出してくれる人のいる、環境があることの幸せ。むろん不自由な身体で歩いている方もおられるし、寝袋を担いで節約しながらの方もおられる送り出してくれる人すらいない方もいる、さまざまだ。へんろに出る、人の数だけ動機も回り方も人生も違う。
Jun 15, 2009
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やはり年ですね。筋肉痛の方は和らいできたのですが、昨日小唄の稽古では正座ができませんでした。ふくらはぎが張っていたのでしょう。股関節はさすがびっこを引く事はありませんが注意が必要のようです。へんろ日記は明日から始めますが、写真をPCに取り込んでみると思ったより枚数を撮っていませんでした。特に最後のほうは疲れていて撮ったつもりでいたのに、全然撮ってなかった。写真は番外札所の境内に咲いていた紫陽花
Jun 15, 2009
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昨日は歩きへんろで一日中歩いていました。変則的な歩きだったのでよけい疲れた。最後の頃は足が重く、股関節にもへんになりびっこを引きながらの歩き。今日は身体がガタガタです。本日昼から習い事、夜はお寺さんの集まりで親睦会。つらい一日となりそうだ。いずれ写真をアップして日記に書いていきます。色々な動物を目にすることが出来て、うれしい出会いでした。トンボ、蛙、蝶、おたまじゃくし、鯉、どじょうなど。
Jun 13, 2009
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昨日は又親戚の葬儀だった。母と共に参列してきました。今年に入りこれで3度目だ。昨年の前半も親戚や近所の葬儀がほぼ月に1度あった。この年になってくるとお慶びに出席することは滅多にない。不幸事だけになってくる。そして不幸事の出席者は高齢者が70-80%くらいだ。お慶び(結婚、出産、新築など)はやはり若い世代の専売特許なのだろうか。最近は熟年者の結婚も多くなってきたようだが、それ以上に離婚も増えている。年をとっての新築はするなと言われているし、やはりお慶びと若さは相性がいいのだろう。葬儀にでて最近よく思うことがある。亡くなった方よりも高齢の参列の方、これらの方はどんな思いで参列しているのだろうかと。僕は自分の死をまだ実感していない。いくつぐらいになれば実感し始めるのだろう。もっと年をとって病気がちになってからか、それとも元気でも回りの人が亡くなり取り残された気持になった時なのか。そしてその時に葬儀に参列しているときに自分の姿と重ね合わせるのではないのだろうか。それはとても辛いことだろうと思う。母もその年になっていると思うが、どんな気持なのだろう・・・・・。
Jun 11, 2009
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入門を許されてはじめての時。みんなの前で唄う番がきて、席に着いたときは緊張した。まず第一声が出るかどうかわからない。自分の声でどのキ-で出せばいいのか、かいもく見当がつかない。唄の題は「梅は咲いたか」でなんとなく聞いて出だしぐらいは知っていたのでその点は良かったのだが、やはりとんでもない声が出るのではないかと心配だった。゛案ずるよりは生むが易し゛正にこの言葉通りに第一声はすんなりと自分でも驚くほどに唄えた。そして出だしのタイミングもわかった。音痴の自分にしては上出来だ。唄はまず三味からはじまり出だしに「はぁっ」という掛け声をかけてくれる。その後に唄い始めるのだが人によっては中々タイミングが合わず、出だしでつまずく人もいるとか。よかった・・・・。一番始めにここでつまずいたら、多分その後も出だしのタイミングで苦労しただろう。意識すると余計に出来ないものだ。慣れてきたこの頃、半呼吸タイミングが遅れているような気がする。小唄の場合始めに習う唄はこの「梅は咲いたか」だそうだ。一度はなんとなく聞いたことのあるなじみの唄で、リズムがあり詞も短く本調子の唄いやすい唄だからだ。だいたいひとつの唄をひと月ぐらいかけて習っていく。
Jun 9, 2009
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約一年半ぐらい前からハムスタ-を飼っていた。雄なのだが気が弱くペツトショップでは皆にいじめられていたらしい。気が弱いほうが噛まないだろうと決めてきたとか、長女が言っていた。わが家の一員になって、誰に対してもどんなときでも噛む事は全くなくなでるとされるがままにおとなしくしていた。孫たちも可愛いがっていたのだが、昨日朝起きると死んでいた。一月前頃から運動もしなくなり、餌もほとんど食べなくなっていた。食べないのではなく、食べれなくなっていた。前歯が細くなりすり減っていたようだ。ここ1週間は蜂蜜水を小皿に入れて置くとそれを舐めていた。ハムスタ-の寿命は2年くらいらしい。それで昨日は城山へ埋めに行った。下の孫は死の意味がまだよくわかっていないようだ。いつもいたものの姿が消えてしまうと寂しいものだ。籠から出してダンボ-ルの中で遊ばせている
Jun 6, 2009
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もともと都々逸希望だったのが、そんなわけで小唄を始めることになった。そもそもなぜ都々逸なのかというと、35年も前の学生の時のことである。ある夜いつものようにFM愛知の深夜番組を聴いていた。その番組の中でひとつの都々逸が紹介された。いいなと思い、不思議と書き取るまでもなく頭に残った。それは今でも覚えている。その唄はというと「酒はまわったし外は雨、あとはあなたの度胸をまつばかり」多分この後の詞もあったのだろうが、紹介されたのはこの部分だけだった。四畳半の粋な唄ではないか。日はとっぷりと暮れ、夜半から降り始めた雨がいっそう激しくなり障子戸を濡らしているようだ。銚子徳利も四本、五本と空になり転がっている。気持は互いに同じはずなりに・・・・・・・。じれったい。とまぁ、こんな雰囲気の唄だ。男なら誰でもこんなセリフを言わせてみたい、言われたいものだ。その唄がずーと頭の片隅に残っていて、唄えるかどうかはわからないが一度は唄ってみたいと思っていたのだ。
Jun 5, 2009
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「入門を許された」事についてコメントがありましたのでその事に関して少し書きます。師匠は教えることで生計を立てている方ではなく趣味で教えているので生徒さんは誰でもいいという事ではないようだ。ご主人はいわゆる゛名士゛と言われる方なのでその事にも配慮しておられるのかも知れない。しかし、それよりもせっかくいい雰囲気が出来上がっているのを一人はいることにより壊されたくないのが一番ではないだろうか。多分そんな意味で僕は゛雰囲気に合った゛人物と映ったのだろう。おかげで僕も今では打ち解けてなじんでいるようだ。
Jun 3, 2009
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あれよあれよと言う間に話は進み、入門できるかどうかは別としてとにかく一度見学においでなさいという事になった。当日、間に立ってくれた方に連れられてそのお宅へ伺う。6畳くらいの離れに、炉を囲む形で3名の男性と2人の女性が肩を寄せ合う形で座り奥の席に師匠が座っていた。師匠は着物をきれいに着こなしショートカットがよし似合う女性だ。年齢ははかりかねるが60歳以上の方だとおみうけした。生徒さんも殆んどの方が60代で女性はやや若い。この日は生徒さん方の練習をしばらく見て途中先に帰った。後で連絡するとのことである。2-3日して間に立ってくれたYさんより入門を許されたとの電話があった。こうして週1回、日曜曜日に通うことになった。
Jun 3, 2009
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以前少し触れましたが、実は昨年の9月より小唄を習い始めました。小唄が習いたいと思っていて始めたわけではなくひょんな事から始まったのです。ある日30年来通っているスナックへ久しぶりに行ったときのことです。酔った事もあり何の話からかママさんに「ママ、都々逸を教えてくれるところない?」と聞いたところ「さぁ、都々逸は知らないけど小唄なら知っているわよ。私も前に習っていたから」このママは多趣味で色々なことに手を出している。僕が知っているだけでもお茶、お花、書道、着付けなど一通りの事とに加え狂言も習っていて何度も舞台を踏んでいる。「小唄かぁ・・・・・」よく知らないけどちょっとちがうなぁと考えていると「聞いてあげようか」返事を待つまでもなく、すぐにちょっと離れて電話を始めた。「あぁ、◯◯さん。小唄を習いたいという人がいるのだれど・・・・」止める間もなかった。そんな訳で話が進んでいったのです。
Jun 2, 2009
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昨夜は久しぶりに遅くまで起きていた。寝たのは12時半くらいだった。最近にしては珍しいことだ。いつもは夕食後風呂に入りパジャマに着替えていつでも寝れる体制、で本を読んだり映画を見たりでそううち早い時間にいつのまにか眠っている、そんな毎日だ。昨日は檀家の集まりがありそれに出席した。先日お寺さんから役員をして欲しいと電話があり、断れなくて引き受けたのだ。議題は七月に行われる夏祭りの準備について。住職を含めて9名。新役員は僕を含めて二人、みなさんご高齢の方ばかりだった。今までは行事事にも殆んど参加しなかったが、これからはそうはいかない。近い将来、いずれは僕を含めた若い年齢層に交代することになるだろう。任期はあってないようなものだから、よほどのことがない限り続けることになるだろう。そして町内会の役員の仕事も近々お鉢が廻ってきそうだ。これも高齢化でする人がいないし、町内の半分は住居が別の商売人なので住人自体が少なくなっている。当番なども3-4年に一度は廻ってきている状態だ。以前住んでいた所で町内の仕事(上下水道のやり代え)をやった時は随分と苦労した。時間も金も使ったがストレスも随分と感じた。皆、議題に対して賛成なのだがいざ金の話になると前向いて話が進まない。なんだかんだと難癖をつけるのだ。じゃ、止めるのかというとそうでもない。確かに半分以上の世帯がリタイア組、僕が引っ越す前には色々と揉め事もあったらしく、その事が話をまた妨げていた。あの時に話をまとめていなかったら以後、話はでないだろうと思い、何とかまとめようと必死だった。おかげで何とかまとまった。その時に影で協力してくれた隣の人は後に゛僕でなければまとまっていなかったろう゛と言ってくれた。話がそれてしまったが、人のお世話をすることはやはり、しんどい。でも誰かがしなければいけない。町内会のことも゛改革したい゛事を感じでいるがそれはある程度仕事をしてからだと我慢している。でも言い出したら自分が一番苦労するだろう事も承知のなだが多分してしまうだろなぁ。昨夜遅くにさっそく住職にひとつの提案のメールを出してしまった。性分だから仕方ないか・・・・・。取り留めのない話になってしまった。
Jun 1, 2009
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久しぶりのアップです。心配してくださった方、本当にありがとうございました。また定期的に訪問してくださった方、ありがとうございます。そして、すみません。身体の調子が悪くて入院していたとか、手が不自由で打てなくなったとかというのではなくただただサボっていただけなのです。毎日ほぼ決まった時間にブログを書いたりみなさんの所へ訪問していたサイクルが途切れてしまうと、ついつい「後から・・・・」と考えそれが明日になり、明後日になり・・・・。そうなると「休むのなら休むでけじめだけでも」と考え、それがまたストレスになりその繰り返しで今日まできました。明日からはまた少しずつ書く事を習慣づけていこうかと考えています。もともとブログを始めようかと考えたのは「最近は日記も付けていないし何にも文章を書かなくなったなぁ。それでは日記がわりにブログでも書いてみようか」と考えたからです。初心に帰って書いてみます。しばらくは皆さんのところを訪問してもコメントを残さないかも知れませんがお許しください。写真は「四国八十八カ所、五十九番札所 浄土寺」今朝、いつもの小唄の稽古の途中にあるので撮ってきました
May 31, 2009
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温泉旅館に泊まった時のことです。暖房が効きすぎていて中々眠れないで悶々としていたがいつの間にか熟睡。ふと目が覚めると横で寝ている母が、立って入り口のふすまを開けようとしているのが目に入り「どうしたの」と声をかけようとするとその姿が消えてしまい横を見ると母は布団の中で寝ていました。夢のなかで目を開けて゛ふすまのあたり゛を見ていて、そのまま目が覚めて゛姿が消えてしまった゛と思ったのでしょうが、あまりにもリアルで「あれはなんだったのだ」と考えて暫くは寝付かれず、そんな気持ちだから暑いくらいはずの部屋なのに足だけが急に寒くなり、そのうち足を触られるのではないかと恐怖心だけが膨らんで・・・・・・・でもそのうち眠りに落ちていました。家でも年に1度くらい金縛りに合い怖くなり布団をかぶることもあるのに、この夜は不思議とそれほどは怖くありませんでした。季節はずれの怪談めいた初夢でした。
Jan 10, 2009
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おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。今、気づいたのですがこのブログを始めてから明日でちょうど1000日になります。あきっぽい自分にしては、よく続けて来れたものだと思う。これも読んでカキコミをしてくださる皆さんのおかげです。ありがとうございます。少々ムラのあるブログですがこれからもよろしくお願いします。さて今年の正月はよく食べ、よく飲み、よく眠った。おかげで、さっき風呂の中で孫に「メタボになってる」と指摘されました。大晦日から道後温泉に泊りがけで行ってきました。その時の写真を何枚かアップします。おなじみの道後温泉本館ですこの石段を登って伊佐爾波神社へ初詣に行きました二日目の夜は子供たちも呼んで食事をした。総勢9名で、にぎやかな新年の宵となりました。
Jan 7, 2009
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旅日記もとうとう書きかけで新年を迎えることになってしまった。どうも中途半端な性格がここでも出てしまっている。来年は直さないといけないと反省はしているが・・・・・。今年一年身辺は大きく変わった。3月に35年間勤めた職場を思い切って辞職し、家の近くに部屋を借りて毎日゛出勤゛の生活。PCとにらめっこの毎日だったので、おかげで腰を痛めてしまったようだ。やはり椅子でないと負荷がかかりすぎるようだ。新年になれば使ってない机と椅子を運び込むことにしよう。新しい事に挑戦し始めた。小唄だ。また新たな試みも2つほどトライしてみたが、これは失敗だったようだ。新しい環境に慣れ始めてきたころ、前の職場から是非復帰して欲しいとの誘いがあった。せっかく自由な時間がもてたのにと言う気持ちだったのだが予期せぬことで人手が足りない、その事情がわかるだけに断りきれなかった。そこで週3日の勤務が始まった。今までとは違い、ある意味責任がない時間労働だけに楽だ。そして3ヶ月。周りからも違和感がないといわれ、自分も退職したのが嘘みたいに違和感なく勤務している。この状態は3月頃まで続きそうだ。ただ休んでいた者が1月から復帰することになったのでいままで以上に勤務形態は融通がきき、自由な時間が持てることになるだろう。今年も実生活、バ-チャルの世界ともに新たな出会いがあった。ネツトでの出会いは、気が楽な反面やはりどこか違和感を感じる。繋がっている事の危うさがそんな気にさせるのだろう。出来ることならば、やはり実際にあって顔を見て話しをしてみたい。もし、旅行に行ったとき近くに立ち寄って逢ってやろうと思われる方逢ってくれますか。来年はそんな旅もいいかなと思っている。まずは近場から声をかけてみようかな。今年一年ありがとうございました、来年もよろしくお願いします。
Dec 31, 2008
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今回のたびの目的である同窓会がこのひの夜開催された。卒業以来3度目の同窓会で、前回は約10年ほど前である。集まったのは予想通りの顔ぶれで前回の出席者とほぼ同じ。今回ひとりだけどうしてもわからなかった者がいた。忘れたのではなく印象があまりにも変わってしまっていて、わからなかったのだ。顔つきが特に目つきが変わってしまっていた。聞くと色々とあったようだ。すでに鬼籍に入ったものも数名、病気を患っているものも数名。卒業して35年、みんなそれぞれ色々な人生を送ってきたのだろう。こうして再会しているときは、昔にかえり同じ感覚で会話できるその事が嬉しい。ホテルからの景色。左手のユニ-クな形のビルは名古屋駅近くにある専門学校(ハル)のビル同じくホテルの部屋からの夕日
Dec 25, 2008
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夕方一緒に食事をしようとホテルで友達と待ち合わせをしていた。一年前に下呂温泉まで遇いに行き高山、白川郷と案内してもらった友だ。おかげ横丁も時間なくて素通りのかたちで伊勢から急いで帰った。ホテルに着き部屋で着替えをしていると、ちょうど約束の時間になった。食事はホテルの近くのちょっと小奇麗な店を予約しておいた。そこで1年ぶりの再会にまた話の花が咲いた。またまた二人とも酔っ払いそのあと名古屋駅の近くまで行きカラオケを歌って多分11時ごろに別れた。友はJRで大垣まで帰っていった。今回の旅行では名古屋ヒルトンに2泊した。今まで貯まったヒルトンホテルのポイントを始めて利用した。VISAポイントなのだが、このカ-ドは普通のカ-ドみたいにVISAポイントが貯まるのではなくホテルポイントが貯まるようになっている。だから日々の買い物などの支払いもこのカ-ドを使うようにしている。それらのポイントを使ってヒルトンホテルの宿泊やレストランでの支払いなどに利用出来る。今まで一度も使ったことがなかったので、名古屋ヒルトンならば10泊東京ヒルトンなら7泊くらいのポイントになっていた。今まで使わなかったのはまとめて海外で使おうかと考えていたのと、手続きが面倒なので使わなかっただけだ。面倒といってもただ電話するだけなのだが・・・。名古屋の3日目は特に予定はない。夜、同窓会があるだけでそれまではフリ-だ。美術館でも行こうかと考えたが、軽い二日酔いもあり結局はホテルで過ごした。これならやはり水着を持って来ればよかった。以前、どこかのホテルでは確か水着を2000円くらいで借りてプ-ルを利用したことがある。しかし今回は2000円払ってまで行く気にはなれず、身体を休めていた。この2日間のカロリ-オ-バの脂肪をプ-ルで落とせばよかったかな。写真は名古屋ヒルトンのエグゼクティブランンジヒルトンホテルの会員なので普通の宿泊でも部屋が空いていればエグゼクティブフロアに泊まることが出来るので、これが嬉しい。当然ラウンジでの飲食やフィトネスクラブの利用は無料。ゆつたりとホテルライフを楽しむこの時間はまた別のリフレツシュタイムになる。
Dec 21, 2008
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お久しぶりです。旅行日記も中断したままになっています。話は変わりますが、この9月より新しいことを習い始めました。マイナ-な趣味の部類に入りますが「小唄」です。小唄のことは又いずれ報告したいと思います。その小唄の稽古中のことです。一月前のことですが、練習中に右の耳周辺の頭部のこわばりを感じ同時に両手のしびれを感じました。こわばりとしびれはうたいが終わったら薄れてゆきましたが気味が悪く、もしかしたら血圧が上昇したためかと思いすぐに降圧剤を飲みました。その後同じようなことがもう一度あり、気をつけていると意識すると感じる程度のしびれですが、右手にいつもあり仕事の合間に内科にかかりCTを撮ってもらいました。脳神経科とMRIはないのでとりあえず内科で診察してもらいました。結果は緊急性のものはないが、この際MRIをとってはどうかと言うことになり他院への紹介状を書いてもらいました。と同時に云われたことが、年の割には脳が萎縮していると言うことでした。それが12月1日のことでした。そして12月10日にCTフィルムを持参して脳神経科にかかり診てもらいましたがやはり急性のものはないが、この際MRIを撮ってもらいましょうという話になった。そして12日にMRIを撮ってもらい診てもらったのだが、結果は異常なし。萎縮も年相応のものなので心配は要らない、と言うことだった。そんなわけで一応ほっとしたところであるが、なんとなく気分的にスカッっとしない。もやもやと何かが引っかかっている感じだ。今回のことで色々と考えた。こんなときに考えることはプラス思考は出てこない、最悪のことばかり考えた。可能性としていわれた゛もやもや病゛ならば手術になるかもしれないし適応外なら爆弾を抱えてこれからすごさなければいけない。でもこの病気ならば多分、半身不随や言語障害などになるだろう。これも周りの皆に迷惑をかけるが、それより怖いと感じたのは萎縮していわゆる認知症になることだ。それだけは避けたい。といっても逃れる方法はただひとつみずから命を絶つことしかない。できるだけ迷惑をかけずに死ぬ方法はないものか。そんなことばかり考えていたこの半月でした。60年ちかく生きてきてあまりにも多くのものを引きずって生きている事を改めて知り考えさせられました。今現在のもやもやとした晴れない気持ちは、そんな事を考えた後遺症とでも言うべきものでしょう。べつに鬱状態になっているわけではありませんのでご心配なく。しかしここらで整理するべきものがあればしておかないといけないなぁと考えているところです。やはり心身ともに健康が一番。出来ることは出来るうちにしておかないといけない。今後10年の寿命と考えて人生の計画みたいなものを立ててみようと思っています。
Dec 15, 2008
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**前回の一番下の写真の説明で「内宮の本殿」は「外宮」の間違いです**外宮前からバスに乗り内宮へ。やはり内宮は人が多い。外宮には寄らず内宮だけ参拝する人が多いからだろう。伊勢神宮は今回で3度目だが、いつも感じることは伊勢神宮の信奉者が多いということだ。あきらかに観光客とは違う一団の人たちを毎回見てきた。今回も何組かの人たちを目にした。学生の時に参拝したとき参道沿いの大きな木の本にござを敷いて拝んでいる家族連れを目にして驚いた記憶がある。その家族連れの中には自分といくつも違わない女の子もいた。すぐそばを観光客が通っていく道端で゛拝む゛姿はやはり恥ずかしいだろうにと思ったのだが、それは無信仰者の考えだったのだろう。内宮の写真を何枚か内宮本殿五十鈴川放し飼いにされている鷄(熱田神宮でもよく見かけた)おかげ町のにぎわいこの日は夕方6時に親友と食事を約束をしていたので、間に合うように早めにお伊勢さんを後にした。
Dec 1, 2008
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またまたサボってしまいました。この頃、毎日毎日時間のたつのが早いこと。一週間があっという間に過ぎてしまいます。仕事に復帰して二重生活のような感じで日々をすごしています。責任がなくなった分仕事は気分的にずいぶんと楽になりましたが、仕事場と借りている部屋、家との行き来で時間が細切れのような感覚で落ち着きません。仕事のときは部屋にはよらずに帰宅しているので、細切れの感覚はないように思われるかもしれませんが、気持ちの切り替えが中々できないのが原因だろうと思います。この生活も多分あと2ヶ月くらいのめどが立ってきたので気分的に楽になりました。
Nov 25, 2008
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名古屋には3泊した。同窓会が旅行3日目だったので、このようなスケジュ-ルになってしまったのだ。2日目の10月11日の朝、次のホテルに荷物を預けると伊勢に向かった。伊勢神宮は2年前に母を連れて行ったばかりなのだが、今回はゆっくり見て廻りたかったのと今まで一度も外宮に行ったことがなかったので、外宮にも行ってみたかったからだ。名古屋駅から10時10分発の近鉄特急にのり、伊勢市には11時32分に着いた。 JR伊勢市駅。中でJRと近鉄とが繋がっている。 駅前の案内板外宮は駅から歩いてすぐのところにあった。案内によると伊勢神宮は、外宮→内宮と参拝するのが正式な参拝の仕方だとか。外宮は内宮よりこじんまりとした感じだった。 社務所 内宮の本殿この後外宮から連絡バスに乗り、内宮へと向かった。
Nov 13, 2008
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旅日記はお休みして「ふりむかないで」についてNAoMIさんからコメントで助言をいただき検索してみました。歌っているのはハニ-・ナイツでした。歌詞はこちらにあります。名古屋バ-ジョンは納屋橋は出てきませんでした。僕の勘違いのようです。もしかしたら納屋橋での撮影だったのかもしれません。歌はこちらから聴けます。懐かしのCM曲-ふりむかないでハニー・ナイツ「ふりむかないで」~ライオン「エメロンシャンプー」CMソング シングルでは6番までで、LPでは7番~12番の歌詞でも歌われたが、実際には72番まで歌詞が作られレコーディングされた(ただしレコード等で発売はされていない)。2002年のリバイバル版テレビCMでは郷ひろみが歌っていた。2002年に三浦弘とハニーシックスがカバー。なつかしいCMソングがこちらで売られていました。価格2,838円
Nov 7, 2008
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「♪泣いているのか?笑っているのか?後ろ姿の素敵なあなた~ ついて行きたい~あなたの後を~振り向かないで~大阪の女(ひと)」 ...このCMソングを覚えていますか。大学時代、昭和45-46年頃にヒットしました。好きな歌のひとつでした。ヒットしたので曲の最後のフレ-ズ「振り向かないで~○○の女(ひと)」の地名を変えたバ-ジョンが次々と発表されました。その中に名古屋バ-ジョンもあり、「納屋橋あたりにたたずむあなた~」と歌われていたのを覚えていますか。前置きが長くなりましたが、その納屋橋も歩いてきました。名古屋駅からこの納屋橋のかかる道をまっすぐに歩いていくと、一番の繁華街である゛栄゛に行けます。学生時代もよく歩きました。今回もホテルと駅との往復で何度か歩きました。やはりここも佇まいが変わり゛きれい゛になっていました。今も変わらない橋の袂の柳道頓堀よりはすっきりしているが、よく似た橋からの眺め橋の袂に在る古い趣のある建物今回これを書くにあたり検索してみましたがCMの詳細を見つけることが出来ませんでした。歌詞や歌手などご存知の方がおられたら教えてください。
Nov 4, 2008
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鳴海から普通電車に乗り有松へ行った。ここは1年のときに1年間だけ生活した、寮があった所だ。寮は卒業後すぐになくなった事は風の便りに聞いていたので探しにも行かなかった。今回は古い町並みが残っている街道筋を歩いた。もちろん学生時代にも町並みはあり、友達の下宿先へ遊びに行ったりしてなじみのある町なのだが、その頃はただ「東海道筋の古い町」ぐらいの認識しかなかった。町並み自体はあまり変わっていないのだが、きれいに整備されすぎて生活感が希薄になっていた。これも観光地としての町おこしの一環なのだろう。昔はただの町並みだったのに、観光客を意識した佇まいだ。暗い通りというイメ-ジがあったのだが、明るくなってしまいなんだか寂しい気持ちになった。ここ有松は東海道53次の宿場町で栄えた゛鳴海宿゛のすぐ隣にある町で有松絞りが有名だ。宿場町である鳴海で有松絞りをみやげ物として売っていたらしく別名゛鳴海絞り゛とも云ったうだ。このような店が並んでいる。
Nov 1, 2008
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今週はじめから息子が帰ってきて、昨日和歌山へ帰っていきました。そんなわけでブログも中止、この4日間よく飲みました。皆で食事に行ったり、買い物に行ったりとあっと云う間に過ぎてしまいました。食事の後、息子と次女(嫁いでいるが息子に会いに帰ってきた)、長女の娘婿の4人でスナックへ行き遅くまで飲んでいた。(長女は孫を風呂に入れるため先に帰った)ボックスで飲んだりしゃべったり歌ったりしていたわけだが、店の人から「いいわねぇ、こうしてこれて。幸せよ。」と云われた。確かにこんな形で集まれるのは幸せだ。なにより兄弟仲がいい事が親にとっては一番だ。慌ただしい4日間だったが、昨日の昼過ぎに帰っていった。いつも感じるのだが、帰るときに少し寂しそうな息子の顔を見ると親として胸にこみ上げてくるものがある。はやく結婚すればそんな寂しいも顔みなくてすむのだろうが次女は結婚したら寂しいからまだ独身でいて欲しいと云っていた。姉というものはそんな気持ちなのかと初めて知った。写真は、食事の後ふざけている次女と息子。まるで中学生みたいだ
Oct 31, 2008
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さて市内のホテルに荷物を預け再び名古屋駅に出る。目指すは鳴海と有松だ。特急か急行でまずは鳴海に向かいその後、普通で有松へ行く予定にする。鳴海は東海道五三次の四一番目の宿場町として栄えた所だ。四二番目の宿は「宮の宿」で熱田神宮があるところ。伊勢参りの場合は宮の宿から船で向かっていたそうだ。話がそれたが僕にとっての鳴海は、学生時代の三年間を過ごした思いで深い所である。卒業してから10年くらい前に一度だけ立ち寄ったことがあるが、この時は時間がなく人を訪ねただけだった。今回はゆっくりと散策して見ようと思い立った。鳴海の駅に着いてまずは駅舎が大きく様変わりしていることに驚いた。一〇年前にも驚いたが、今回はそれ以上に変わっていて全く面影がなかった。高架になり駅周囲の道も新しい道ができたり、広げられたりでどうしても三五年前の記憶と結び付かなかった。それでも記憶をたどりながら当時下宿をしていた家を探し始める。記憶によれば駅を出て、踏み切りを渡り左手に交番を見て少し歩くと左に路地がある。その路地をから4-5件目に下宿していた家はあったはずなのに交番もなければ、当然踏み切りもない。駅、そのものの位置が少しずれているようだ。それでもなんとか検討をつけて歩いていると家は新しくなっているもののそのお宅をみつけた。珍しい名前だったのでわかった。その後駅から少し歩いたところに古い城跡(鳴海城)があったはずなので訪ねてみることにする。あたらしい道のゆるやかな坂を上っていくとあった。でも感じが違っていて確認しなければ「ここだ」と言う自信はない。史跡なので確認はすぐとれたが、以前は小高い丘の上にあったのに現在は道とほぼ同じ高さになっていた。当たり前と言えば当たり前なのだが、35年と言う年月の変貌は驚くべきものだった。下宿があった所駅前広場とテナントビル。まだ開発中である。鳴海城跡。ここには鳴海神社(祠ていどだが)もある
Oct 24, 2008
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一時間ほどで中部国際空港へ無事着いた。この空港は昨年の飛騨への時にも立ち寄りブログでもふれたがこじんまりとした国際空港だ。開港当初は、空港に風呂があることや、レトロ調の商店が並んでいることなどTVでよく取り上げられていたのを覚えている。民芸品店の内から見た通りの様子このような店が並んでいて「横町」と云った感じである食べ物屋、菓子屋、民芸品などの店が並んでいる。この一角は「ちょうちん横丁」と名付けられていてやや照明が落されている。また写真は撮っていないが、この他にヨーロッパ調の街並みの「レンガ通り」と名付けられた通りもある昭和をイメ-ジした店で駄菓子、おもちゃなどを置いている「ちょうちん横丁」から出発カウンタ-がならんでいるロビ-を見下ろす全長300メ-トルの展望デッキ南ウイングの国際線急ぐ旅でもないので空港ビル内をぶらぶらと見学してまわりその後空港ビル内に接続している名鉄で名古屋へ向かった。ホテルへ荷物を預けて鳴海、有松へ向かう予定だ。
Oct 21, 2008
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