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2012/05/12
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カテゴリ: カテゴリ未分類

今日、久々に自宅にいました。

伸び放題になっていた家の周りの草取りに一日を送りました。

草をむしりしながら、色々考える時間ができてよかったかもしれません。

そろそろ日常に戻るためにも気持ちの整理をつけなければと思うものの


ただ、ここで立ち止まっているのは逝ってしまった兄も望まないだろうから
どこかに吐き出すことで形だけでもと思い、ここに書くことにしました。


年の一番近かった上の兄が4月28日に亡くなってしまった。
昨年還暦を迎えたものの海が大好きでこの年になっても3分から5分は
素もぐりでもぐっているという強靭な体力の持ち主だったが、「がん」には
勝てなかった。あのスーパーマンの兄が・・・逝ってしまった。


昨年の夏、声を詰まられた義姉からの電話に絶句した。
「末期のすい臓がんで余命3ヶ月。肝臓、腎臓への転移もあって手術はできないと
言われた・・・」
その後、免疫療法の申し込みはしたものの治療が始まったのは今年に入ってから。
義姉の懸命の食事療法と化学療法、そして免疫療法で9ヶ月生きた。

3月に入ってからは、土曜日が来る度に、「今週もつながった」と思った。

兄のブログでも分るように、急激に体力が落ちたのは3月の始め。 http://blogs.yahoo.co.jp/qpqfn095


いつも私が見舞いに行くと、たぶん「元気」を装って無理をしていたのだろう。
それぞれの段階で、一番元気が良かった。私が帰ると病状が悪化した。
義姉曰く「こんなになっても兄貴風吹かせて・・・」と、兄らしい一面。


最後の3日間、兄の家族と兄弟達と付き添った。
枕元でみんなで賑やかにしていると本人も落ち着くのか、安定した状態が
続いたので、深夜を除いてはできるだけ楽しい話をしているようにした。
付き添っている皆も同じ事を考えていた。


最後の瞬間、兄は、家族だけでいることを望んだのだと思う。
安定しているのでホテルで休むように言われて、家族だけ残してホテルに戻った。

それから一時間ほどして電話がきた。
病院に着いた時は、既に終わっていた。


その後兄の枕元で聞いた話では、最後の瞬間、言葉にはならなかったけど
目の動きや、瞬きでしっかり意思の疎通ができたと言っていた。
そして最後に涙を流して、逝ってしまったと・・・
残念だったに違いない


亡くなって兄の自宅に戻ってから、病院で貰ってきたのだろうが、皆が次々に
風で寝込んでしまった。本来誰がやるのかわからない全体の取りまとめ役が
そんな状態なので私がやった。私も付き添っている時から喉の痛みと
頭痛で薬を飲みながらで、回復もしていなかったが倒れるわけにも行かず
気力のみで乗り切った。付き添う前から深夜の帰宅の仕事が続いていたから
既に体力的には厳しい状況だった。




深夜、長野から茨城の自宅に帰宅。
1日は、3日から孫の初節句のお祝いで熊本に行くことになっていたので準備に追われた。
2日、遂にダウン。病院で診てもらって一日寝込んでしまった。
3日から6日まで熊本。孫に風邪をうつすわけにはゆかない。
7日から仕事に戻った。


そんなシナリオを兄が作ったんじゃないかって思う程に、日程も、この2週間に
起こった様々なことも、でき過ぎていた。

昨年8月にがんの話を聞いてから覚悟はしていた。仕事も、いつ自分が外れても
止まらないように、準備をしていた。25日も客先で電話を受け、客先の担当の方と
自社の営業担当に連絡してすぐに帰宅した。
客先での仕事は27日に完了したと連絡を受けた。


兄のシナリオは、
『皆ができるだけ悲しまないように』悲しんでいる余裕が無いほどに
気持ちや体が、いっぱいいっぱいになるようにって。
そして、全てがまるく収まるようにって。


生前兄は「ひげ」を伸ばしていた。亡くなって病院を出る前に
支度をしてくれるのだが、皆で「ひげは残しておいてもらおう」ということに
なっていた。
ところが、いざその時、看護婦さんに言い忘れている間に、キレイに
帰り支度をしてもらってしまって、ひげもキレイに剃られてしまっていた。

一同が驚いたのはその顔であった。
「こんなに二枚目で、きれいな顔をしていたんだ!」と。
兄の性格上、気を使っていつも自分はひょうきんな三枚目、四枚目に
まわっていた。
最後に、誰にも見せたことの無い本当の素顔を見せたのだと思った。


他にもまだまだ沢山、ここに書ききれないほど、様々な、
『このタイミングでなければできない』事がいくつも起こった。
それも不思議だ。


なんか、まだ、『夢だったんじゃないか』と、思えてならない。


兄との暗黙の了解事項
便りの無いのは健康の便り・・・そのくせ、たまに訪ねてゆくと
パラグライダーで墜落して鎖骨を折って療養中とか言って家にいたこともあった。
結局、心配を掛けるから連絡しない・・・お互いそんな関係で、
たまに電話がかかってきて
『おお! お疲れぇ!』
『おお! どうした?!』
なかなか会う機会を持たなかったけど、いつも気持ちは通じていたような気がする。


先日義姉からきたメール
『体に気をつけて長生きしてお父さんへお土産話を沢山抱えて行けるよう
人生楽しんでください。」と
兄のことだから、それ以上に楽しい話で待ち構えているに違いないとも
思った・・・


そろそろまた絵も描かなくちゃ


また、『おお! お疲れぇ!』
と電話がかかってきそうな気がする








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Last updated  2012/05/12 11:17:42 PM
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