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もう行かなくなってだいぶたつ所なのだけど、幼稚園の頃から行ってたうどんやさんがあります。一時期行かなくなって学校を卒業するくらいから、またいきはじめるようになったのだけどその頃はそこの親父さんも,もうおじいさんになっててお店の隅のテーブルでは、お客がすくないとそこの孫が漫画を読んでたり宿題をしてたりしてたなぁ。何年かして気付くと彼らも大きくなってて、お兄ちゃんが店をお手伝いするようになってたけど、彼もいつのまにか彼女をつくって彼女を追いかけて東京に行ってしまったとか。。。^^;ずっと変わらなかったのは、そこでも、いつもネコを飼ってて、お店の椅子の上で平気で寝てたこと。ニャンたちは、お客からかまぼこやエビの天ぷらのしっぽをもらったりしてた。私たちももちろん日曜日とかに行く常連だったけど、そこにいつも着物をちょっと着崩したように粋に着込んだおばあさんもやってきてた。季節ごとに着物も変わり、夏になると浴衣や絽の着物をスッと着こなして日傘をさして訪れるとてもお品の良い人だった。なんでも、むかしは芸者さんをしてたとか。。夏の暑さのなか、服を着てる人より涼しげに見えて私もああいう風に着物を着こなして見たいと思ってしまうほどだったけどあれも、日ごろからのもので、いきなりは無理よね^^;あとは。。。中年の男女なのだけど、彼らもやはり休日によくやってきていつも隣り同士に座って、味噌煮込みを頼んでるという怪しげなお客もいたし。。。港の近くのうどんやなので、時々外国の船員さんとかがはいってきたりもしたけど そういう人を観察してるのも楽しかった。食べ方がよくわからないらしくて、うどんとか頼んで、汁だけを先に全部飲んじゃったりとか、箸が思うようにもてなくて、レンゲを貸してもらって妙な格好で食べてたりとか。。。そういえば、そこの店のおばさんは耳の遠い人で相当大きな声で注文しないと聞こえなくて「中華ね」って頼んでも、「親子?」とかって聞くような人だったので初できた人は大体が怪訝そうな顔をしていた。常連さんが、「おばさんは耳が遠いんだよ」って教えてあげたり、変わりに、大きな声でおばさんに注文してあげたりしてたな。。。┓(´_`)┏大体うどんを作ってたのはおじいさんになった親父さんだったけど、彼も病気がちになって、耳の遠いおばさんが作るようになったのだけど、これまた困ったことに、とくに中華そばなんぞは行く度に汁の味が濃くなったり薄くなったりで味がコロコロ変わって、今日はどうなんだろって、恐々頼んだりしてたなぁ。。ま、ハズレの時が多かったかな。ひどい時には醤油の味しかしないような時もあったっけ。どうやら、お客で「もうちょっと味を濃くしろとか薄くしろ」とか言う人もいるようで、そのたびに変わっちゃってるみたいだったわ。(-"- )そんなでも、文句いいながら通いつづける人がいるので不思議なものよね。って、私もその中のひとりか・・・(一。一;;そういうことが多くなって自然に足が遠のいてしまった。それでも、あそこのお店は。。。。まだ健在のようである。(=^^=)
2002年03月23日
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いつのころからか、昔ながらのうどんやさんが減ってしまった事が寂しく思います。昔は、市場(公設とも言ってたなぁ)の中に小さなうどん屋さんがあってそこで、白玉(普通のうどん)とか、きしめんとか、煮込みようのうどんだって買ってた。だいたい、そこでうどん作ってたし、おいしかったなぁ。市場の中のうどん屋さんには、奥にちょっとしたカウンタとか設けてあって 小学生の子や、工事のおじさんがお昼に小銭を持って、「おばさ~ん、天ぷらひとつつけてね~」とか言っちゃっておうどんをすすってる光景がみられました。たまに、近くの交番のおまわりさんもうどん(つゆつきで)買いに来てるのをみたこともあったな。昔ながらの市場もだんだん減ってきてその中にあったうどん屋さんもそこで営業をやめてしまった、っていうか、だいたいみんなおじいさんになってたしなぁ。。今はスーパーで昔、給食に出されたようなビニル袋に入った機械で作ったようなうどんがおいてあって、いまいちなことが多いよなぁ。うどんやさんといえば、うどん玉を売っているところでなく、本当のおうどんやさんもこじんまりしたところは減りつつあるように感じます。だんだん、「手打ちうどん」って大きな看板のかかったファミレくらいの大きさのお店が増えてきたように感じる。中にチェーン店になったようなところもあるし。。そういうところも、いいのだけど、こじんまりしたところのうどんや和風中華ってなんかいいよなぁ。。そういえば、ああいう大きなうどんやさんって和風中華って置いてないよね。ちょっと甘めのだしのよくきいた醤油味の中華そば。つづく~
2002年03月22日
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軽くたたくキーから出てくる言葉が あなたの心の中に優しく降り注ぐ雨のようであればいいなたとえ どこかに流されてしまったとしてもあなたの心の中が少しでも潤うような言葉が使えたらいいな
2002年03月21日
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どきどき君がそばにいるだけで ボクの心臓は 全速力で走ったあとみたいにドキドキさ 君がボクの手を握ったら ボクの血は逆立ちした時みたいに みんな頭のてっぺんにあがっちゃうのさ 君がそっと寄り添ってきたら ボクは・・・ もう固まって身動きできないよ でも 君とずっとこうしていられるなら それでもいいや・・・
2002年03月20日
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「アルジャーノンに花束を」という本を読みました。アルジャーノンと言うのは実験用に脳の知能をつかさどるところを手術されたねずみ。チャーリィという男性が主人公であるけれど、彼は33歳だが、知恵遅れで、パン屋の雑用を17年くらいして過ごしている。小さい時から、利口になりたい、というのが彼の夢であったけど、アルジャーノンの経過をみて、チャーリィへの手術が施された。人体実験のようなものでもあるけれど・・手術を受け、彼は目まぐるしく賢くなっていく。いろんなものをすごい勢いでどんどん吸収し、その研究に携わっていた人たちよりも賢くなる。しかし、その反動というか副作用は大きく、いきなり、早いスピードで知能もろもろが退化していくという話。どんなように賢くなっていくかというより、彼をとりまく人々の心情、態度、彼自身の戸惑いが焦点にはなっています。何も解らない知能遅れの時は、賢くなりたいとい夢を持ち人にばかにされ、からかわれているのもわからず、みんな友達だとおもいこんでいる彼。そして、やることがのろく判らない事が多いためそれによってしかられるという恐怖心を持ちつづけていた。しかし、賢くなれば、反対に回りの大体の人間は彼が自分より勝ってしまったため劣等感を抱き、それは憎しみに変わり、彼から離れていく。昔も賢くなった時も結局は白い目でみられることになったのだ。チャーリィは知識ばかりが先走り、なかなか感情をコントロールできず、心の中の昔の自分に恐れながら、でも、徐々に理解して自分も人の事も見つめなおす。物事がわかってくるにつれ人の心の裏側を覗き見るようになり、過去の自分にみんながどのように接してきたか、そして、自分が天才になったときに、今まで威張りくさってきた人たちがいかに凡人であり欲望の塊だったかを知る。結局、最後は彼はもとよりひどい状態になってパン屋にも戻れずすべてを失うが、ひとときでも「利口になりたい」という夢をかなえられたことは幸せだったのだろうなぁ。彼は友達と思っていたものを失ったけど、再び、友達をえられるようになるのだろうな。人々は常に優越感と劣等感と言う自己中な中にいるのだろうか。自分より劣ると優越感に浸り卑下し、勝ると、自ら劣等感にさいなまれる。。どんぐりの背比べでいなければ普通じゃないのかな。何かに勝るという事で自分の中の安定を保っているのが凡人なのかな。
2002年03月19日
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あなたは 恋していますか 朝の光に 心震えますか あのオレンジの雲を美しいと感じることできますか あなたは切ない想いをしていませんか 冬の夜空で凍えている星をいとおしく感じていませんか あなたは 幸せ 感じていますか まだ 少し冷たい空気の中を 貫いてくる日差しにぬくもりを感じられますか あなたは辛い想いをしていませんか あらゆるものから目をそむけてはいませんか それか 目まぐるしく流れていく毎日に 押し流されてはいませんか 少しだけでも そっと目を閉じ 風を感じてください あなたの心の趣くままに 周りのものはその色を変えます あなたの目には今 何が映っているのでしょうか
2002年03月18日
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コンサート会場に入って気付いた事は、ほとんどの人が席につくと携帯を開ける事だ。え?私?アハハ、、私もだった。f(^O^)私は、2階席だったのだけど、下を見下ろしてみるとほのかに薄暗い中で携帯の明るい画面がそちこちで光ってる。今は写真もとれるのがあるから、もちろん始まる前であるが、ステージの雰囲気を写真にとったりしてる人もいた。コンサートも終わって、場外にみんなが溢れ出す。会場にはあちこちに公衆電話も設けてある。ちょいと前まではコンサートが終わると、公衆電話の前は長蛇の列だったけど、今は誰一人振り向きもしない。。会場から結構歩いて地下鉄の駅までいく。久しぶりに星が一杯出てるのをみた。。9時半過ぎ。。。こんな時間に外に出ることは滅多にないもの。。ちょっと気持ちよかった。それでもバスの時間が気になるので、星ばかりも眺めて歩いてもおれず、足早に駅にむかった。駅のホームまでくると、やっぱ、みんな携帯を開いてる。^^;あ。。私もでした^^;友達に一個メールを打つ間に地下鉄もやってきた。家と反対方面一駅の所は総合駅になっててバスターミナルもあり、そこからバスに乗ってのんびり揺られて帰ることにしました。(えへへ、30円安上がり。。^^;;)あとね、いいわけじゃないのだけど、地下鉄から地上への階段数があまりないから。。いつもの最寄の駅は階段数が半端じゃない。(; ̄▽ ̄A あせあせどっちにしてもそこからまたちょこっとバスだしね(∂.∂)bで、バスの時刻ぎりぎりになってしまって地上への階段を息切れしながら、必死でかけあがると、なんとかバスもまだいた~ハァハァしながらバスに乗り込み、そこが始発だし、人も5,6人しかいなかったのでしっかり席も確保できてすわった。そこですぐ目に付いたのは、やっぱ、みんな乗ると携帯を開くのよね。。なんだか、みんな寂しいのだなぁって思った。でね、反対側に痩せてちょっとたよりなさそうなくたびれた男の人がいた。30歳前後くらいかなぁ・・彼女もいそうにない感じ。。(あ、いたら、許してちょ。^^;)その人は、携帯を大事そうに持ってる。で、コンパクトタイプで何回も開けたり閉じたりしてる。まるでなにか待ってるように。。^^;メールを打ってるようでもないし、開けては画面みつめてる。。。私は乗ってすぐにもう一通メール送って返事を待った。うん、私もそうやって待ってるののひとりってことか?f(^O^)みんな一緒なんだなぁって思ったな。。そうこうしてるうちに、友達からのメールが届いたりして、、、でね、外は暗いから、窓をみると、反対側の男の人がうつってみえる。^^;あいかわらず、携帯を宝物のようになぜたり、画面開いて覗きこんだりしてる。。。なんだか、みんなメールやり取りしてる中で、来るのだかどうだかわからないメールを待ってるようでちょっと惨めって感じがした。ふと気付けば、私も手に持ってたわさ。(; ̄▽ ̄A あせあせで、私はバッグの中にしまいました。^^;彼はというと、、いくつかの停留所を過ぎ、彼が降りる停留所の一個前のところで、そっと大事そうに携帯をカバンの中にしまった。。
2002年03月17日
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日にちがずれずれだけど、13日に以前書いた「花束の君」(2/10参照ください^^;)のコンサートに行ってきました。コンサートは、私の中では、思ってたとおりのものになっちゃった。おととしに行ったとき(あれはソロコンサートだったけど、、)ちょっと乗れなかった私だった。そのときに、ちょっと道がそれ始めたのかなって思ったけど。。今年は、二人揃って(デュオなの)のコンサートだし、彼一人の時とはまた違うから、大丈夫かなって言う思いはあったけど。。追っかけしてた時の私の情熱はどこに飛んでったのか。。。(v_v)彼の詩も変わった。。。今、もう彼も40代半ばになったけど詩も恋愛ものから昔を懐かしむものや、人生全般のことを歌ったものが多くなった。。恋愛ものもあるのだろうけど(すいません、、、ここのとこCDも聞いてないの。。(v_v))昔歌ってたような、切なさや情熱がいまいち飛び込んでこないの。う~ん、、安定したものしずかな愛情って言う雰囲気なのかなぁ。。。もう一回、甘くて情熱を秘めた切ない想い(恋)って言うのを聴きたかったなぁ。。バラードも歌ったし、恋の歌も歌ったけど、恋の歌は昔の曲がほとんど。。以前、一回聴いただけで心に響いて来るような新しい曲は残念ながら、私の耳には飛び込んではこなかった・・彼のことは好き。。。あいかわらず、彼なりの信念、意志というものは強くあるし、元にあるものは変わらないのかもしれない。ただ、ちょっと今は道が私とは違う。。ファンクラブ、、やめるつもりはない。次回のコンサート。。。予約する時、やっぱ、ためらうだろうなぁ。。でも、きっとたのんでるだろうなぁ。。また、心の想いが同調する時があるかもしれない、そう信じよう。花束の君 あの日のあなたははいつまでも心の中であの日のまま夢の小箱の中で微笑みつづける
2002年03月16日
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幸せが目の前にあるのになぜ 目を伏せようとするのなぜ 逃げようとするの君が手を伸ばせばいつでも掴めるんだよ君の瞳には何が映っているの僕が入る場所はないの君の虚ろな微笑みが 僕の心を震わせる
2002年03月15日
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たとえば 僕たちは あの夜空の星だとして 広い宇宙の中で 何万光年も離れて輝く星 暗闇の中で捜し求め やっと見つけ出せた・・・・・ 離れていても 互いを見失わないように 心熱く 輝き続けてる でもね どんなに遠くても大丈夫 僕たちはとても幸せなんだよ 遠い違う星から見れば ほら あんなに近く 寄り添いながら輝いているだろ いつも離れる事はないのさ いつまでも僕らはいっしょなんだ 輝きを失わないかぎり・・・・・
2002年03月13日
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あなたの「おやすみ」は私をとても穏やかに眠りにつかせふわふわな夢をくれるわあなたの「おはよう」は 私にその日一日明るい陽射しをくれるの 冬の肌さす冷たい風にでさえ負けないくらい心が温かくて長い夜の闇にいたって心静かにさせてくれるのあなたには 何気ない言葉だよねでもね 私に地球ぐるりの幸せ与えてくれるよ ありがとう・・・・・・・
2002年03月12日
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ハリーポッターが流行りだして、書店にはハリポタもどきの本が多くおかれるようになったよね。私はそういう関係のものは結構興味があるのでハリポタ以外の本も読んでみたいって思ってはいるのです。他の本をしっかり読んだ訳ではないので違うかもしれないけど、系統が2つに別れると思うの。ひとつは魔法使いの話。もう一つは本当の冒険もの?ハリポタを読んだ時、ゲームの世界(RPG)みたいだって思ったけど、どうもちょっと私の中では違うような気がしてきました。この間、「指輪物語」という本を一冊だけ買ってきて最近読み始めてみたのだけど、ハリポタのような家と学校で起きたことをつづっていったものでなく、なにかをさがしもとめるように旅にでて、誰かと戦い、というこっちの方がよりゲームに近い気がしました。最初のページに地図までついてるのだもの。それに、ゲームでよく聞く、エルフとかドワーフとかでてくるし。。私はRPGもののゲームが好きです。いろいろお宝を探し、いろんなキャラのそれぞれの人生を知り、探検していくって言うのが大好き。しらないうちに自分もその世界にはいっていってる。まるで小説のようだよなぁって思いながらゲームに凝ったときもあります。だから、そんな世界がほんとに本になってるものならすんなりと受け入れられると思ってた。でも違った。ゲームに慣れてしまったのか。。つまり、映像というものがないとつまらないのか。それか、決まった道を歩いていくにはかわりないのだけど、自分でキャラを好きなように動かして歩かせる魅力にとりつかれたのか。。。ゲームもどき?の本の中にすんなりはいっていけない自分がいたのです。ちょっとショックだったなぁ。。楽しみにしてたから。。でも、読む気になれない。最初、無理してでも、読んでいくとその世界に入れるのかなぁ。。ところで、そういう本の中にゲームででてきた種族とかも多数でてきてるけど、これはゲームが先なの?こう言う系統の本は昔からあったものでゲーム作家が本を読んでそれをもとにしてゲームを作ったのだろうか?ゲームを作る人っていろいろ考えるものだなって思ってきたけど、どうなんだろ。最近、気になることのひとつです。へっへ、あほみたい?
2002年03月11日
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月の魚 その跳ね上げる尾から 星の雫を飛ばし 長い一筋の線を描いて 黒い海に飛び込む ふたり さざめく波の音にそっと耳を傾け 沖に向かい船を出す 灯台の灯りからも逃れ 誰にも知られることなく 水原の上を滑っていく ただ月のみが雲間に見え隠れふたりの姿を追いかける
2002年03月10日
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