キューバの砂糖産業が最盛期を迎えた1920年前後に、仕事を求めて移り住んだ日本人たちがいました。キューバへの移民は1143人ということで、一万数千人ともいわれるブラジル移民などと比べると、少ない人数でした。さらに、移民の17%が沖縄出身というのも特徴です(映画のタイトルに「チャンプルー」の文字があるのはそのせいです)。彼らの多くはキューバの本島の南にあるIsla de Juventud ("若者の島"の意)という島に住み、農業を営みました。しかし、1929年の世界恐慌で仕事がなくなり、多くの人々が辛酸をなめることになります。第二次大戦が始まれば、敵国の人間として、強制収容所に送り込まれました。