全202件 (202件中 1-50件目)
仕事の合間に慌ただしくお茶のお稽古に行ってきました。バタバタしている時こそ、ゆったりした時間を持ちたいものです。が、気分の慌ただしさがお点前に出てしまうのか、「元気よすぎます」と、注意を受けてしまいました。アタマではゆったりとを心がけているのですが、動作に出てしまうようです。これは当面の課題ですね。こういう時こそゆったりした時間を持つということ。必要だと思います。
2009.01.29
コメント(7)
ただ今哲学塾に向かって電車に乗っています。冷たい雨が降ってる上に、かなりの寝不足なのですが、今日はちょっとだけ好いことがあったので、出かける気になりました。本当に些細な事で行動が左右されることに驚きます。本屋に寄ってみたくなったり、喫茶店で一時を過ごしてみたくなったり。まっすぐ帰りたくないって、こんな感じなんでしょうね。さて、乗り換えです。行ってきまーす。
2009.01.09
コメント(2)
久々に更新しようと思ったら、ログインしなおししなければならず、パスワードを忘れてしまった私は、仕方なく新しいパスワードを入手したのですが、なぜか新しい名前に変更されてしまい、継続するには携帯からの入力しかできなくなってしまいました(T_T)コメントを書く際に、青ー衣0796などという、新しい名前とページが表示されてしまいますが、以前のまま、青ー衣の方で更新してまいります。皆様、ややこしくてごめんなさいm(__)m
2009.01.07
コメント(1)
あけましておめでとうございます。今日は家元の初釜に行ってきました。まだ四日ということもあり、少人数でしたが穏やかな一時を過ごすことができました。話題はやはりもっぱら不況について。年金生活のお年寄りにはあまり直接の影響はないのでは?と、思っていましたら、世の中が不況だと泥棒や強盗が増えそうなので恐いという不安があるようでした。不安もいろいろなのですねー。せっかくの外出でしたので、帰りに茶道具店に足を運んでみました。私の財布も実に不況にさらされていますので、余分な物は買えないものの、丑年にちなんだお道具が一つは欲しいと思っていました。できれば十牛図のお茶碗が安くあればなぁーと。で、覗いてみると、ありました!安物ですが、妥協できる絵柄。十牛図は、禅の学習をしていることもあって、実は思い入れが深いのです。このブログのプロフィールの絵も、十牛図の第二見跡の図です。この他に、あかべこの中棗と干支懐紙を購入してきました。今年初めての買い物です。予算内で納まったし、なんとなく満足してます。来週は我が家の初釜です。これらのお道具のデビューとなります。こういうささやかな買い物も、茶道の楽しみですね。生徒さん達の反応も楽しみです。
2009.01.04
コメント(2)
あっと言う間に大晦日。私は徹夜あけで、ただ今千葉にむかっています。約十年間、芭蕉の俳諧を学習するために、毎年大晦日から正月三日までは、通い続けた宿があります。今回でこの宿が終業とのこと、最後の俳諧学習に向かっているわけです。疲れてるけど、眠いけど、なんとか鞭打って歌仙を巻いてきますね。皆様、佳いお年をどうぞお迎えください。m(__)m
2008.12.31
コメント(4)
年内最後のお稽古です。箱が可愛らしかったので、こんなお菓子を用意してみました。久里久里と書いてあります。どんなお菓子だと思いますか?
2008.12.16
コメント(2)
お菓子は冬至南瓜です。 だいぶ冬らしいほっくりとしたお菓子が出てくる季節になりました。 昨日渋谷に折に縁あって購入した物です。 季節に沿って和菓子めぐりをするのも楽しいものです。 今、お稽古の準備中です。外は冷たい雨が降ったり止んだり。皆さんお疲れの中をお越しくださいます。 準備もそうですが、それと兼ねて、今日の気持ちの状態を調べる事ができるのが、抹茶を漉す作業です。 静かに粉を漉して棗に詰めていきます。 心静かで居られるときは、周りをよごしたり、手にも粉はつかずに漉すことができるのですが、心乱れていると不思議と粉だらけになるようです。 今日は少し乱れ気味、昨日の疲れがまだ残っているようです。 生徒さんが見える前にシャキッとせねば。
2008.12.09
コメント(0)
先生と二人で、炉でお濃茶を練って頂いてきました。私にしてはちょっと薄くて不満、とろりとかなり濃いめのお濃茶が実は好みなんですけどね。お話していると、いきなり先生が宣言らしきことをされました。「私決めたの。体力と財力をつけるわ!!」御年八十四歳の宣言です。体力はともかく、財力はどうやって付けるというのだろう?と私の疑問。「無駄をとことんなくすことと宝くじよ!」と、先生。なるほど、宝くじは買ったこともないけど、来年の課題としては私にもよさそう。「じゃあその課題、私もノリますよ!」ということで意気投合。およそ茶席とはかけ離れた話題になったものの、楽しかったので由しということに。帰路、ふと一人で考えていて、体力も財力も一度無くしてみる経験がないと付かないものかも。という答えに発展。しかもどちらも個人個人のものです。一般的基準はありませんし・・・。財力が無くなると体力が付くとも言えそうですし・・・。まぁ、来年まで先生がこの課題を覚えていらっしゃるかどうかも楽しみなわけで・・・。
2008.12.04
コメント(2)
久々に体育会系のノリで管理職をやってる方にお会いしました。権力と支配欲だけで他者を動かそうとする人です。もちろん本人はそうしているつもりなど全くないのでしょう。決め言葉は、「俺が教えてやる!」痛々しいですねー。恥ずかしいですねー。なぜかこちらが赤面します。もう一つの決まり文句。「お、ミーティングやるぞー!」中身は自慢話だけ。「体育会系ですねー、ボーイスカウト向いてますねー、隊長っぽいですもんねー。」言ってしまいそうです。でも喜ばれたらどーしよー。どーにも付いていけない人っているもんですね。
2008.11.25
コメント(2)
風邪気味なのでマスクを着用し始めました。私は普段はほとんどマスクは使いません。今回着用して驚いたことがあります。「マスクを着けると喋れなくなる」みたいです。わたし。何か話しかけれても、首を振ったりしてジェスチャーになってしまいます。どうやら私にとってのマスクは「喋るな」という自己暗示になっているようです。潜在意識の中に、おしゃべりを良しとしないものがあるみたいです。確かによく喋るお喋りオバサマ方は大の苦手ですが・・・。
2008.11.22
コメント(4)
このところハードな日々が続いています。肉体的疲労が溜まってます。疲れてくると食欲はガクンと落ち、好物の甘いものも食べたくなくなります。で、このボロボロ状態で唯一食べたくなったのが、餃子。中華料理屋の餃子じゃなくて、ラーメン屋の餃子がいい!身体にしみ込むー!という感じです。にんにく・韮・肉・酢を使ってるあたりが身体が必要としているものとぴったり合ってる感じです。毎日ラーメン屋というわけにもいかないので、冷凍餃子を買い置きしてみましたが、期待の味からはちょっと遠いなぁ。ガツンとくるにんにくの効いた冷凍餃子ないかしら?どなたかご存知の方、教えてください。自分で作るのが一番いいのは百も承知。作る時間があったら寝ていたいのか゛ホンネであります。
2008.11.20
コメント(2)
ぎっくり腰ならぬ、ぎっくり尻に悩まされています。昨日から・・・。重い物を持ったのが原因で、これはぎっくり腰と同じなのですが、場所がお尻。ものを持つと、左のお尻に激痛が走って持てない状態です。歩くことはできるのでたすかりますが・・・。左の肩からずーっと走ってる感じです。軽い肉離れとも言われましたが、まだ医者には行ってません。頼むから早く治ってくれ・・・腹筋鍛えていない私がまずかったんだけどさ。
2008.11.16
コメント(2)
二年ぶりに照明写真を撮ってきました。・・・・・ひどい!二年前と十歳は違う老け込んだ写真を見て愕然。確かに今日は寝不足だ。化粧も手を抜いている。それにしても、に、しても、ひどい。七百円、もったいないけど撮り直しだわ・・・。機械のせいよ、きっとそうよ・・・・と、心底思いたいのでした・・・。無理だけど。
2008.11.10
コメント(2)
税理士から送られてきた今月のことば「世間とは人の品定めをする場所である。」私的には、「世間とは人に品定めをされる場所である。」も、加えたい。で、送られてきた今月の健康メモは「ちょうどよい死に時がある!!」ポックリ逝くには、1 できるだけ歩く2 気功を身につける3 旬のもの、地場のものを食べる4 好きなものを少し食べる5 酒をたしなむ6 早寝早起き7 いつも希望とときめきを8 生きるかなしみ・旅情を噛み締める9 この世は品性を磨くための道場と心得る10 折りに触れ死を想う11 わが弱点をサプリメントで補う12 いい場に身を置くだそうだ。税理士クン、私はポックリ逝くことは出来ないとよーくわかったので、せめて節税は考えてくれ!
2008.11.06
コメント(2)
11月になりましたので、風炉から炉にかわりました。お点前もガラリと変わります。さて、皆さんどのくらい覚えてているかと思って楽しみにしていました・・・。一度最初に他者のを見ると、思い出すようで、ほっと一安心。一度やったことは身体がちゃんと覚えているようですね。風炉と違って、お客様に向かってお手前する形になるので丸見えになります。その辺りがどうやら緊張するようですね。逆に、お客様の側からすると、こちらに向いてくれるので、身近に感じられます。私は炉の方が好きなんだけど、皆さんは炉の方が難しいようです。四月までがんばりましょー。
2008.11.05
コメント(2)
三国志好きの私には見ないわけにいかないので、行ってきました、映画、レッドクリフ・・・・・・・・・・・・・・・。三国志を二時間半の前後編で仕上げるということ自体、確かに無理はあると思いますが、ささやかに期待してしまっていた人物描写の浅さにガックリ。はっきり言って、軽いっ!後編は、ビデオでいいかな・・・・・。
2008.11.04
コメント(4)
これから哲学塾。打ち合せ先からそのまま来てしまったので、マックで時間潰ししています。とは言っても貴重なアタマの切り替えタイム。金曜の午前中は禅を素材にした自己講座に出ているため、正反対とも思える哲学塾に切り替えるのが私には大変なわけです。自己講座では心の動くままに、本を読みながら感じたところで言葉にしていく学習です。何が書かれているかとか、正しいとか間違いとかはまったく問題にされません。一方、哲学塾の方は、何が書かれているか、正しい読み方を追求しているように思えます。そう、正反対の読み方を朝と夜でしなければならないのです。比較的前者に慣れてしまってる私には、この後の哲学塾は苦手。苦手なんですが、ただサルトルの考え方が面白くて続けてます。あー、あと二十分。予習する気分にはなれないんですよねぇ。それにしても、なんで一銭にもならないことって、面白いのでしょう・・・。
2008.10.31
コメント(2)
昨日の記事のタグをたどって建築・不動産を見てみると、他者のブログは明るい記事ばかり。「ほんと?」と、正直思ってしまいます。もっとも記事を書いているのは町の賃貸業者さんや職人さんが多く、デベロッパーや設計関連の人は少ないのだけど・・・。それとも、ブログって明るいことだけを書くっていう暗黙のお約束があるのかなぁ?不思議だあー。
2008.10.29
コメント(2)
このところ、仕事で接する人全員から必ず耳にするのが業界不況です。たぶん今のこの不況はこの業界に限ったことではないのでしょう。一部の成り上がりセレブ以外は。ざーーーーっと眺めてみると、いわゆるミニバブルの崩壊とサブプライムの問題であることは確かなのですが、私が気になっているのは「ただ安い」という方向だけに人が動いているような気がしているということです。技術・質の競争ではなく、価格競争です。価格競争に勝てない企業が崩壊していく。リフォームは特にそれを感じます。企業努力としての「安さ」は良い事だと思うのですが、安かろう悪かろうが横行しているように見えてなりません。適正価格と言うものが有るようで無く、無いようで有るのがこの業界です。安いという理由だけで自分の住まいを決めていく、この発想が私にはよくわかりません。子供の頃、祖父が母を叱っていた言葉を思い出しました。「うちはお金持ちではないのだから、安物は買うな。安物を買って使い捨てできるのはお金持ちの人間だけだ」祖父もちょっと変わった人ではありましたが、一理あると思います。日本人て、お金持ちが多いのかしら?
2008.10.28
コメント(4)
自分の「顔」の在り方が不安です。若い頃は顔そのものの造作や化粧で、いかに「綺麗に見せるか」を考えていたのですが、この頃はよく言われるように、「どう生きてきたか」が、そのまま顔に出るということを思い知らされています。化粧では誤魔化せない内面が顔に出てくる歳になったということです。他者と接している時に多く感じることですが、わが身を振り返ると・・・・。苦労らしい苦労をしてきていない人は、それがそのまま顔に出ているようですし、(こうなりたいとは思いません。なれませんけど・・・)苦労してきている人は、それが良いほうに出るか、悪く出るかがはっきり分かれているように思えます。鏡は嘘をつきますが、写真は嘘をつきませんので恐いです。四十を越えたら自分の顔に責任を持て!これは女性にも言えることだと思います。
2008.10.27
コメント(2)
いつも通勤時に気になっていた美容院の看板「シャンプー・カット 2500円。プローはご自分でどうぞ」安い!いつもシャンプー・カットで一万円前後、カラーリングを入れると一万五千円は超えるのが美容室。と、ここで過るのは、「安いからカットは悲惨かも・・・」という不安。なぜか今日は「まぁ、実験」という気分になれたので、行ってきましたこの美容室。場所が解らなかったので、電話でまず問い合わせ。ついでに予約が必要かどうか尋ねると「あ、どちらでもいいですー」いいなぁ、このゆるさ。結果、まずシャンプーが昔ながらのゴシゴシシャンプーで、私的に極上!あのいわゆるシャンプーしているうちにめちゃくちゃかゆくなる(血行が良くなって)ぐらいのシャンプーでした。「どこかおかゆいところは?」の問いかけに「全部!」と言えてしまうくらいの一昔前の美容院。(セットのオカマまでありました)かといって古すぎるわけでもなく、今の都心のヘアーサロンのように、こちらが緊張する必要のない内装も楽でありがたかったです。担当の「おじさん」も私には楽なタイプ。しゃべりすぎず、カリスマっぽくもなくて。カットもいつもどおり。安いからと言って下手なこともなく、私とすれば洗って乾かすだけでサマになってくれるカットがありがたいわけで。ブローなんてしないんですから。「今暇だから乾かすだけならやってあげますよー」とのことでしっかり「ブロー」までやってくれちゃって、その値段でした。しかも早い。小一時間で全部終了。十年位前からそのシステムをとっているようです。次回はオプションのマッサージも追加してみよう。してみるもんですよー、冒険。行ってみるまではわからないので、「値段なりの悲惨なシャンプー・カット」の「覚悟」はとりあえず必要ですが。
2008.10.25
コメント(2)
毎日のようにずけずけと押し掛けてくる営業マン。しつこさと図々しさは、なんとか我慢できるものの、あの営業特有の「空気の読めなさ」だけは我慢できません。打ち合せ中でも来客中でも一方的に話し掛けてくるあの神経についていけないのです。全ての営業がこうだとは思っていませんが、あまりにも多いのであしからず。空気読んでるようでは営業は成り立たないのかもしれませんが、あれは逆効果に思えて仕方ありません。職業で差別をする気はありませんが、営業とは極力会いたくないし、自分もこうでありたくありません。あぁ、いやだー。
2008.10.24
コメント(4)
以前から、幸田露半が娘、文に仕込んだ日常の生活、特に掃除には興味を持っていたのですが、先日テレビで農家の方の一言を聞いて、我が身を振り返り再考してます。「毎朝拭き掃除まできちんとやる。続けているとやらずにはいられなくなるもんです。」習慣というのはこういうことだと思います。私の日常では、お稽古前にざっと掃除機をかけるのがやっと。トイレ掃除も毎日なんてできません。掃除らしきことは週に一度がやっとの現実。でも、これも一つの習慣に過ぎないわけですよね。一時間、早起きを習慣にすれば毎朝の掃除も習慣になっていくでしょうか。毎日パリッとしたシーツに替えることを習慣にしているかたもいるようですが、私にはそこまでは無理。和敬清寂にのっとり、朝の掃除を習慣にすることが、先決のような気がします。同じ習慣なら、少しでも心地よいことを習慣にしてみたいですねー。
2008.10.23
コメント(0)
運動不足の極みであちこちたるんできているこの頃、見るに見かねたカトロから竹刀の素振りを習う事になりました。押し入れから以前貰った竹刀を引っ張り出し、庭で稽古です。足をつけるところまでできないので、まだ腕だけの素振りです。振り下ろした時に腕を「しぼる」というのが難しくて、なかなか型になりません。普段使わない左腕で持つので、即、筋肉痛です。竹刀ってこんなに重かったっけ・・・。課題は毎日五十回。早く庭で剣道ごっこくらいはできるようになりたいなぁ。
2008.10.22
コメント(2)
茶道関連のブログで見つけた一文。「茶道の師匠をやってるかたは、経済的・時間的に余裕を持ってらっしゃる方ばかりです。」ああ、私はこれをひっくり返したいんですよねー。私自身、経済的にも時間的にも余裕ありませんし・・・。学習のために誘われたお茶会などは極力参加してますが、道具に凝ったりはしていません。気に入った物を長く使えればそれが一番!時間にもお金にも余裕の無い人・時こそ、その一時だけは心地よい場を味わえるのが茶道だと思っているのです。いつか誰かに「茶道って本当はお金がかかるものじゃないんだー!」と、言わせてみたいなぁ・・・。
2008.10.21
コメント(2)
マンションの価格暴落や不動産不況が騒がれています。この業界で仕事をしている私としても、仕事が減ることは困ることなのですが、反面この不況が当たり前にも感じています。だって・・・建てすぎですよー、ぼこぼこと。こんなに人口多かったっけ?と思うくらいに新築が建っています。特に高層マンション。高い所から見ろ下ろす眺望は、多くの方にとって魅力であることは想像に難くないのですが、それにしても発想と食い付きが安易すぎる気がします。耐久性や耐震性をウリにしたい気持ちはわからないでもありませんが、耐久性や耐震性は本来あって当たり前のモノのハズです。新築新築と騒ぎ立てる方向から、今あるもの、古くても良い物を手直ししながら使って行く発想の方向へは行かないものでしょうか。確かに古いものに手を加えるより、新しく造った方が「簡単で楽」なのはわかりますが・・・。
2008.10.20
コメント(6)
イベント続きの十月を送っています。おさらい会に十牛図の講座、学習のためのお茶会参加に哲学塾。と、動いている割に充実感が得られません。どれも中途半端にかじっているだけの感じがしています。没頭集中できることは、私にとって楽しい快楽とも言えるのですが、最近はこれが無く、いまひとつどれもが物足りない状態です。ついこの間まではそんなこともなかったのに・・・。まあ、そんな時もあるさと半分自分に言い聞かせ、半分焦りを感じているこの頃です。精神的老化を感じてしまうのですよねぇ。
2008.10.17
コメント(2)
師曰く「人間は皆増長しますからねぇーーー。」ここでいう増長は、つけあがるという意味です。私のこの自己講座の師も「叩く」(暴力ではありません!)もしくは共感を示すことはあっても、褒めているところを見た事はありません。どうしても人間、褒められるといい気になってしまうようです。一方、茶道の師はよく人を褒めます。こちらはその人の良いところを伸ばしていこうという考え方からきているようです。ただ、茶道と言うもてなしの性質柄、叱ることを嫌う風潮も見えます。で、どちらも「生徒のため」という視点では同じことなのですが、両極の師に挟まれている私としては、やはり前者の師を基本に置いています。誰に対しても、褒めることは殆どしていません。つけあがらないように修身していくことの方が、難しいと思います。叩いたり叱ったりすれば嫌われるのは覚悟の上ですから。禅では、褒めるはくさす、くさすは褒めると云われているようです。うっかり褒められて喜んだりしたら、こんなに恥ずかしいことはないわけです。オソロシや・・・。
2008.10.10
コメント(2)
庭に茶花が欲しくて、雑草をとらずに待つこと半年、やっとねこじゃらしが来てくれました。 楚々とした茶花には、雑草が一番なんですね。 さて、おさらい会を終えてのお稽古。何より驚いたのはそのお点前と動きがスムーズなこと! 生徒さん曰く、 「本番を経験するのは、お稽古百回より効果ある!」 その通りかもしれません。自信がついたのか、動きにも余裕が見られます。 おさらい会の甲斐がありましたねー。 来月から炉に替わるので、またガタガタになることは必至なのですが、一度ついた自信は変わらないものだとおもいます。 自分の経験からきているのですから。
2008.10.08
コメント(2)
なんとか無事におさらい会を終えました。案の定、昨日は全身発熱で寝込むことになりましたが、今日は大丈夫です。と、いうより、今日からまたお稽古です。生徒の皆さんは、初めてにもかかわらず、本当によくやってくれたなぁ感心しきりです。私はと言えば、やはり席主の訓練を積まないとならないなぁと反省。お客様との挨拶も練習せねば・・・。茶席では正客と席主しか会話が許されませんので、席主の私が知識や経験を積まないと、しーんとした席になってしまうわけです。こればかりは数をこなすしかないのでしょうけれど。さぁ、全身筋肉痛に鞭打って頑張ることとしましょう。
2008.10.07
コメント(2)
いよいよ明後日がお茶のおさらい会です。なんとなく慌ただしく生徒さんの緊張も感じられます。ぼーっと私自信を眺めてみると、おさらい会を無事に済ませたいとか成功させたいという気分はないようです。なんとなく望んでいるのは、生徒さんに「お茶会って結構おもしろい!」という経験をしてもらうことのようです。何がおもしろくても構わないと思います。綺麗事で望んでいるのではないようです。私自身が、初めてのお茶会で失敗だらけながらも、おもしろいという経験を得られたから今日まで続いている気がするのです。身体はくたくたに疲れましたが、爽快さが今でも残っています。皆さん一生懸命に通ってきてくれています。時間の都合を工夫したり、遠くから仕事帰りに来てくださる方もいます。お稽古や日常のなかで、「茶道をやっててよかった」と思える経験ができるのが何よりなのだとは思いますが、いわゆる晴れの舞台の気持ち良さも味わってもらいたくなってるのが正直なところです。お点前を間違えるとか間違えないとか、そんなことは本当にどうでもいい気がしています。私自身が初めての時の追体験をしたがってるだけなのかもしれませんが・・・。
2008.10.03
コメント(2)
昨日いきなり会社ブログの写真が全て×印に変わってしまいまして・・・。要は画面に全く写真がでなくなってしまって、どうやらサーバー側の障害らしいのですが、サーバー側も復旧出来なかったらしく、再度アップロードしなおしてくれと言うお知らせ。簡単に言ってくれるよなーーーーーー。この現象に巻き込まれていないユーザーも居るらしいのですが、「ツイテない」とは認めがたいので、只今黙々とアップロードしなおし中です。途中、アップロードも出来なくなると言うアクシデントに見舞われましたが、意地で乗り切りました。(こう思わせてください。)まだ三分の一しかできていません。パソコンて、やっぱ嫌いだわ。私の言う事聞かないし・・・。
2008.10.02
コメント(2)
なぜか昨日から、カルロストシキ&オメガトライブの「アクアマリンのままでいて」が頭の中で鳴っていて、仕方がないのでyoutubeで検索していたら出てきました!そう、トレンディドラマのはしり「抱きしめたい!」浅野ゆうこと浅野温子のW浅野で騒がれたドラマです。なつかしい・・・・。ドラマが懐かしいというよりも、これを見ていた頃の自分が懐かしいという感じ。1980年代、バリバリに馬鹿をやっていた頃です。「悪かったわね、30で!」という決め台詞は、20代だから言えたセリフ。これ、ビデオでもう一度見たいけど、無いだろうなぁ・・・。
2008.09.30
コメント(3)
日曜日組のおさらい会前最後のお稽古ということで、ちょっとお菓子も奮発。虎屋の残月にしました。 見た目より固いのには少し驚きましたが、見た目よりしっかりとした甘さでした。 さて、最終ということもあって、当日亭主を努める方は二回づつのお稽古での特訓でした。 特訓をするのは、当日間違えないためではなくて、自信を持って臨んでいけるためのものです。 自信を持てていると、たとえ間違えてもあたふたしないで居られるものです。 備えあれば憂いなし。と言ったところでしょうか。 明日は火曜日組の特訓があります。 お点前二回は疲れることと思いますが、その真剣さには気持ちの良いものがあります。 私は座ってみているだけなのですが、それでも終わるとドッと疲れが押し寄せました。 一週間後の本番、それぞれの和敬清寂を以て、臨んでもらえれば、言う事なしです。 さて、私も席主の練習しなければなりませんが、こればかりは練習のしようがなくて、ぶっつけ本番になりそうです。
2008.09.29
コメント(4)
この一週間、かゆみと闘っております。特に洗顔後、顔がやたらとかゆいのです。かきむしるわけにもいかず、洗顔料のせいかとか、化粧品のせいかとあれこれ変更思案していましたが、どうやらそういう訳ではないみたい。あと、かゆいのは頭皮。アタマかきむしっています。どうやら犯人はアレルギーの薬にアレルギーを起こしていることと、季節の変わり目にあるみたいです。今までアレルギーなんて全く無縁だったのですけれどねー。年と共に体質も変わっていくようです。只今乾燥が大敵。あーかゆいーーーー。
2008.09.27
コメント(4)
昨日の帰路の電車、なんとかシルバーシートが空いていたので座れました。すると、この席を狙っていた子供がいたらしく、「座れなくなっちゃったー」と、大声で泣き出しました。と、ここで母親のセリフ「ねぇ、取られちゃったわねぇ」ここまではよくある光景なので、またかと思いつつも無視。私は絶対に子供には席を譲らない主義です。幼稚園くらいの子供なら立たせておけばいいと思うし、ましてやシルバーシートです。これを見ていた二人組のオヤジ、にっこり笑って子供に席を譲りました。子供はありがとうもなく、どっかとシルバーシートに座り込み、母親は同じくどっかと座りこんで携帯ゲームを始める始末。オヤジ二人はさっさと電車を降りて行きましたが、私には非常に気に食わない光景。しばらくその子供を睨みつけていましたが、動じないふてぶてしさ。まさにこの親あってこの子あり。だけど、この中で一番許せないのはオヤジの二人組。一人は「なんで譲るの?」みたいな顔をしていましたが、一人は当然のごとく子供には優しくを強制してくるタイプに見えます。このオヤジに聞いてみたい。自分の子供にもシルバーシートに座らせたいのかと。たぶん教育なんかしたことないオヤジなんだろうけど。
2008.09.19
コメント(5)
私ではなく、相方カトロの謎甘いもの好きで、特に和菓子には目が無い奴です。その中でも餡子菓子にはうるさいです。奴のこだわりは「餡子は絶対こし餡に限る!」と、言い切ります。が、どうにも理解できない点が山ほど。カトロ「羊羹は嫌い」私 「羊羹はこしあんじゃありゃーせんか」カトロ「水羊羹と栗蒸し羊羹は好き。本練羊羹はダメ」だけならまだしも、お汁粉の粒ありはダメ、練り切りは好き、鹿の子はダメ、豆類嫌い、でも甘納豆は好き。そんなカトロがおやつを買ってきました。今川焼き。しっかり粒あん。カトロ曰く、今川焼きとたい焼きの粒あんは食べられるそうです。確かにこしあんの今川焼きもたい焼きも見たことないけど・・・。この区別についていけませーん!
2008.09.18
コメント(2)
と、言いましても昨日の茶道です。お仕事帰りの方が多い火曜日のお稽古でしたが、昨日は終りが十時半を回ってしまいました。おさらい会を十月に控え、なんとなくというよりは、かなりはっきりと皆さん緊張してお稽古されています。お手前はできなくても間違ってもいいと言われても、極力間違えずに居たいと言うのは人情なのでしょう。間違えたところを自主的にもう一度やり直す方が多くなりました。でも実は私が気にかけているのは別の事です。お辞儀とご挨拶。当日初対面の方に多くお会いします。水屋だけを受け持ってくださる先輩もいらっしゃいます。私が気にかける理由は、当日のドタバタの中で私も挨拶を忘れる事があるからです。席主と半東さんにもバタバタの中で挨拶を交わさなければなりません。これが結構ないがしろになるんです。でも、これがちゃんとできていれば、お点前と言う形式は二の次で好いわけです。と、あとはお辞儀。まだまだそそくさとお辞儀の様子が見受けられます。気を整えて美しく端正にお辞儀をできるには、当然年月がかかることですが、せめて気をせかすことなく、落ち着いたお辞儀からお点前を始めて頂きたいものだと願っています。さあ、本番までお稽古はあと一回です。挨拶は教えることができませんが、お辞儀のお稽古に注意を向けることにしましょう。
2008.09.17
コメント(2)
最近、哲学塾がおもしろいんです。何かが判るから面白いと言う事ではなさそうなんです。何が面白いのかを考えてみたら、「劣等生が劣等生で居られる場」だからのようです。私にとっては。周りは何年も学習を重ねている人や、哲学科の学生ばかりです。哲学書をまともに読んだこともない私は、本を読むことはおろか、その解説についていくのがやっとという状態です。おそらくは「バカな質問・感想」を繰り広げる私に、他の場だと妙な「配慮」が働いて、劣等生ではないかのような扱いを受けたりします。そう、そういう場では「劣等生と言う優等生」が造り上げられるわけです。ですが、哲学塾では劣等生は劣等生として、バカだちょんだと呼ばれながら居る事ができるわけです。違うものは違うと、ぴしゃりと痛快に否定されます。くだらない事言ってるなと、露骨に嫌な顔もされるし、自分でもするわけです。妙な「自由感」があると言えばいいでしょうか。誤解を恐れず言えば、カウンセリングなどという半ば癒しの学習形式と同じとは言わないまでも似たような場で長年居ると、こういう痛快な否定が恋しくなるようでもあります。しかも妙なフォローは一切なしで。ぽつんと正しい劣等生で居られるわけですよ!変な言い方ですが。ただ、この、劣等生が劣等生で居られる事に楽しさを覚えてしまうと、劣等生と言う優等生になってしまうので、注意が必要ですねー。別に優等生にも劣等生にも価値を置いている訳ではないのですけどね・・・。
2008.09.13
コメント(6)
相方カトロが、「江ノ電にのったことがない!」と、言いだしたので、電車で鎌倉まで散策に行ってきました。普段、こちら方面へは車でばかりなのですが、確かに車では観られないところがたくさんあります。写真は明月院の方丈。たまに中でお茶を出してくれるのですが今回はダメでした。というわけで、北鎌倉で下車し、鎌倉まで歩き、小町通りを散策し、江ノ電で江ノ島まで行き、噂のシラス丼は売り切れで食べられず、小学校以来の大仏まで見学して、七里ヶ浜の珊瑚礁で食事をして、足をひきずるように帰ってきたのでした。いやー。今朝もまだ足がはれあがってます。運動不足ですねー。
2008.09.12
コメント(5)
たぶんご覧になっていない方には全くわからない話かもしれません。映画「コーラスライン」は、最後のONEのシーンが好きでよく見ていた映画でした。が、昨日は見ている時に視点が違いました。他者より秀でているダンサーは群舞に入れないと言う事です。秀でている事が仇となって、スタンドプレーになってしまうからです。群舞は揃っていてこそ価値があり美しく見えるものです。映画を見ながら、バレエ漫画の「昴」を思い出していました。あまり漫画は見ない方なのですが、珍しくはまった作品でした。主人公は天才的能力の持ち主で、そのカリスマ性ゆえに孤独で理解されずしかも我儘で、基本ともなる群舞に入れない事に悩み苦しむのです。が、能力の下回るレベルに合わせていたのでは、良いステージにはなりません。ところが、とんでもなく秀でているダンサーは群舞に入ることができ、しかも他者を自分のレベルに引っ張り込むことができるのです。で、私がこの二つの作品から学習したことは、「単なる秀才は群舞に入ることはできないが、秀でた天才はメンバーにより以上の能力を発揮させることができ、その群舞はレベルの高いものに仕上がる」というものです。経営者や管理職に望みたい能力ですよねー。
2008.09.08
コメント(2)
相変わらず無関心は続いているものの、考え始めたことが一つ。責任をとるってどういうことだろう?もっと正確に言うと、自分に責任を持つってどういうことだろう?かな。小学生レベルの疑問が正直今になってわからなくなってます。ある人と接していて生じた具体的な疑問です。その人に対して、「自分に責任をとれない人だなあ」と感じたものの、その逆がわかりません。自分に責任をとれる人だなぁと感じる人にも出会いながら、その意味がはっきりしていない感じです。こういう事だ!と言える、私の答えが見当たりません。出てくるのは否定形のみ。自分のやったことだと諦めることではない。反省するということではない。自分に厳しく居るということではない。ただ正直でいるということではない。自分にも他者にも。引き受けるものがわからない。「責任」という辞書的ではない、私が感じ取っている意味が言葉にならない。まだまだでてきそうですが・・・。
2008.09.05
コメント(12)
このところ、自身の無関心と興味なし状態に悩まされています。単に年なのかしらー・・・とも思うものの、物事に無関心になるにはまだ早い。「精神的老い」をひしひしと感じている次第です。もともとが私は熱中症のタイプです。何かに夢中になると突っ走るクチです。今までは突っ走っていても息切れせずに居られたものが、ここにきて息切れと言う状態なのでしょうか。とりたてて大きな「絶望」に遭遇したわけでもなく、特別落ち込むこともなく、ただ物事に無関心・・・・。まぁ、こんな時もあるさと自ずから自身を慰めてみるものの、やはりどこかで「これじゃあまずいよねーーー。」の声。あれほど楽しかった禅の学習や読書のあれこれが色あせて見える今日この頃。興味のあるものとは探して見つかる訳でもなく・・・。まぁ、しばし待ちますか・・・・。
2008.09.01
コメント(6)
おさらい会が近付いて、あらためて思いだしたこと。利休四規七則「和敬清寂」が四規です。一般的には、「和」はなごやかに、「敬」は目上を敬い後輩にも気を配りもちろん客も敬う。「清」は場所も道具も心も清らかに、「寂」しずかな動じない心。という感じで説明されていますが、私は生徒さん個人個人のテーマに沿った「和敬清寂」を考え実行するよう宿題を出しています。漢字一字の重みは深いものがあります。それぞれの方が時間をかけて茶道を通して「和敬清寂」とは、を哲学していくのもいいものだと思います。続いて七則ですが、茶は服のよきように点て炭は湯の沸くように置き冬は暖に夏は涼しく花は野の花のように生け刻限は早めに降らずとも傘の用意相客に心せよと、まあ、当たり前すぎることが並ぶわけですが、この当たり前が実に難しい。現実には服のよきようにお茶が点てられることはめったになく、そう、熱かったり薄かったりです。まぐれに美味しいお茶に遭遇すると感動ものです。刻限は早めに、とは、時間には余裕を持てという意味でしょう。降らずとも傘の用意とは、傘を用意することではなく、何事にも準備を怠るなと言うことでしょう。相客に心せよに至ってはいやはやなんともです。ただ、どれもこれもが日常での生活や仕事の場に於いての心得としても使えることばかりなわけですよね。お稽古の冒頭で必ず出てくるこの四規七則ですが、生徒のみなさん覚えていてくれているのでしょうか・・・。
2008.08.28
コメント(4)
結構普段片っ端から映画を見ている方だと思います。予告やコマーシャルで知ったり、ぴあで検索して探したり、レンタルショップで見たいものを物色することが多いですが、一番多いのは他者と話をしていて、そこで薦められて見るケースかもしれません。レンタルの場合は特に。そのくらいに、他者との会話の中には映画が数多く登場するようです。今回は、ある男性に「パリ、テキサス」を薦められてレンタルしてきました。内容は全く忘れていましたが、公開当時に見た記憶のある映画でした。今回観た感じの方がタイムリーというか、則していると言うか、背伸びせずに見られる感じがしました。通り過ぎるわからなさのまま見ると言うより、勝手に判ってしまえながら観ていたという感じでしょうか。当然のことですが、年齢と共に感じ方も変わっていくようです。なんで親しくもない他者から薦められて映画を見るのか?と、考えることしばし。その「他者」にもよるのですが、どうやら私の場合はその薦めてくれた人に興味がある場合に、その他者を知る意味も兼ねて見たくなるようです。その人の視点と、自分の視点の違いを後から話すのも楽しいものです。書籍でも同じようです。でもそれだけでもなさそうです。ただ薦められただけで見たり読んだりする訳ではなく、そこに私の興味やらその時のテーマやらの匂いを感じた時に触手が動くようです。触手は、他者と私の状態と作品との三つの兼ね合いの中で何かが作用して動くようです。
2008.08.25
コメント(2)
お稽古前に一時間ほど時間があいたので、久しぶりにブックオフに寄ってみました。ブックオフはその店のエリアによって置いてある書籍のジャンルに偏りがあって面白いです。普段は書籍の目的を持っているので、大きな書店に行ってしまいます。今日みたいな時間つぶしに古本屋というのは、おもしろい経験が出来る事を発見しました。まず、私の人格が変わるらしいこと。認識している興味とは全く別の本を手にとったりしています。定価では買う気がしなかったものを手にしていたり。次に、こんな本出ていたんだー!と思えるような本に遭遇すること。いかに普段狭い範囲で本を読んでいるかなのでしょう。で、不思議な事に目が行くのは単行本ばかりで、百円コーナーには読みたい本がないこと。せっかく百円なのに。2冊ばかり半額小説を買ってきましたが、タイトルは内緒です。上野千鶴子らが、オトコ文豪を「女をわかっとらん!」と斬っている本に手が伸びましたが、これは半額の価値無し!となぜか判断して買わずに来ました。興味はあったんですけどねー。
2008.08.21
コメント(2)
先週に引き続き、冷茶点前。十月第一週にはおさらい会のお茶会があるのですが、基礎は大丈夫だろうと応用のお点前をお稽古していました。が、だめだ!できてない!ということで、急遽釜を引っ張りだし、お湯を沸かして再度風炉点前のお稽古とあいなりました。ダブル稽古です。切羽詰まってから本気になるのは、皆さん同じの様子。半東さんへの挨拶の仕方からお道具の拝見、お運びの仕方までと一通りのおさらいとなり、皆さんヘロヘロとあいなりました。私も今日はヘロヘロです。間違ってもかまわないので当日は堂々とお点前をしてもらいたいと思った次第でした。
2008.08.19
コメント(2)
が、怖い。そして嫌。何が怖くて嫌かと言うと、こちらの都合はお構いなしだというところです。通常(私が思っている通常ですが)、携帯に電話をかける際は、相手がどういう状況だかわからないので、「今、大丈夫でしょうか?」という一言を付け加えるのですが、携帯を持たない主義の方はこの発想自体がないようです。電話に出た途端に、いきなり延々としゃべりまくります。一方的に。「今、電車の中なので後でこちらからかけなおします」と伝えても、なかなかその意味が通じることはありません。私の周りの持たない主義の多くの方はお年寄りが多いのですが、持たない理由を尋ねてみると、「拘束されるのが嫌」だとのこと。なんとも笑えない理由なのですけれど、お年寄りが相手だと仕方ないのでしょうかねぇ。
2008.08.16
コメント(2)
なぜか今頃「エクソシスト」続けて二回も見てしまいました。相方、カトロから、子供の頃の怖さが残っていて未だにまともに見れない映画だと聞きましたが、私にはあまり怖い印象が残っていなくて、今見たら、また別の感じが受けられるかしらと思い、見てしまっていたのです。なるほど。今見ると、カラス神父の母親に対する弱さが怖い。その弱さにしっかりつけこめる悪魔の賢さも怖い。でも、私のトラウマになっている映画達の怖さとは全く別の物。やはり子供の頃に受けた印象は強いものだと実感です。洋画好きだった父とよく映画を見に行っていましたが、子供向けの映画を見た記憶は「チキチキバンバン」のみ。日曜洋画劇場も眠くならずによく見ていた記憶があります。で、そのトラウマになっている映画とは、まず「家」。家が人間を食べて再生されていくという陳腐なストーリーだったけど、これ以来洋風の家が怖くなったことは確か。カレン・ブラックの名前は忘れられなくなりました。今の仕事とも関係しているとしたらなんて妄想すると、笑えない。次は「カサンドラ・クロス」の音楽。今でもたまに頭の中を流れて行きます。いい曲なんだけど、やはりトラウマ。で、次が「2001年宇宙の旅」。わけが判らないまま怖さだけが残っている映画。特に冒頭と最後のシーンとハルの言い訳が妙な怖さでした。原風景的な怖さとでも言いましょうか。そして「キャリー」では友人の怖さと親の支配という怖さと信仰と言う怖さを植え付けられた映画。と、すぐに思い出すだけでこれだけ出てくるのですが、思いだせないトラウマ映画がありそうで、そっちの方が怖い気がしてます・・・。自覚しているトラウマ映画は、再び見たくなるのも不思議です。
2008.08.15
コメント(2)
オリンピックにも興味なく、去年までは噛り付いて見ていた高校野球にもなぜか興味が薄れ、テンションの低い夏休みを過ごしています。若い頃は夏ともなれば海へ山へと時間を作っては繰り出していましたが、元々旅行は一人が好きな性質もあり、最近は行きたいという気分にもならないでいます。アンチエイジングが騒がれている昨今ですが、あちこちに飛んで歩いている妙に若いオバサンにはなりたくもなく、かといってご隠居よろしく家に籠っているのもまだ早いという中途半端なお年頃なのでしょうか・・・。ぐーたらを楽しめれば何よりの夏休み。なのに、「やらなければならないこと」だけが頭を占め、「やりたいこと」がなかなか出てきません。今日も天気は良さそうです。まずは大洗濯でもするとしますか・・・。
2008.08.14
コメント(8)
全202件 (202件中 1-50件目)