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昨日の続きみたいなものですが・・・
思い起こせば、私はふたり兄妹で6歳離れていたせいか、どちらかといえば1人遊びが多い子だった。
もちろん幼馴染と呼べる子はたくさんいたし、学校でも友人も多く持てた。
ただ住んでいた家が校区外だったために、放課後や休みのときはあまり人と交わらず、
1人でのんびりする方が楽だった。
大学でも社会人になってからも、友達は幸いなことにたくさんいてくれた。
学生の時は寮生活を送っていたおかげで、寂しい思いをすることもなく、青春を謳歌できた。
大学に少し残っていたのだけど、1人で部屋にこもったり、昼夜逆転することも多く、
結果的に1人でマイペースに物事を進める「楽」にすっかりはまってしまった。
結婚してから社宅住まいも少しの間経験したけれど、子供を産むまでも
あまり同じ社宅の人とおしゃべりをする機会は積極的にはもたなかった。
嫌なのではなく、1人であれこれやる方が楽しかったからだ。
子供が生まれてからも、ある程度は人と交わってみたけれど、子供と1対1で向き合う方が
楽しいと思うほどだった。
今でもそれはしっかり残ってるように思う。
子供の学校のPTA活動を通じて知り合ったり友達になった人も多いけど、
あまり私の方から積極的には会ったりしない。
誘われれば喜んで行くけれど、自分からあれこれ誘って出かけるよりも、
自分の趣味のことをしたり家であれこれ用事を片付ける方が好きだからだ。
だから、今、義母に時間を割く時間が少し増えただけで、「邪魔された」とか
「面倒だ!」ってつい思ってしまうのだろう。
自分のことだけを考えていればいいという歳は、とっくに過ぎてしまったのに。
義母に心から寄り添えないのは、そこなのだ。
発症前の義母の言動が、今とは文字通り180度ちがっていた。
人に頼らず、なんでも自分でやってみる人だった。
病気はその人の持つ本来のあり方までも変えてしまうのだろうか。
今では人に頼らなければ何もできなくなってしまった。
もちろんそんな義母を可哀想だと思うし、何かできることはしてあげたいと思う。
でも私が持っている本質が「超マイペース」という我がままな性格だから、
全力で頼られると「重い」と思ってしまう。
社会に出るためにいろいろと経験したり勉強する必要が本当にあったのに、
学生の時には何も考えず、ただただ自分の思う通りに生きてきてしまったツケ
みたいなものが今きてるのだと、しみじみ思います。
これからが本当の勉強なのかもしれないですね。
これから先、どんなに慣れていっても、