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今日、「キリスト教放送febc」キリスト教放送局FEBCの、あるクリスチャンの方の証しを聞きました。カトリックで洗礼を受けたその人のお仕事は、グループホームのスープで職員として働かれています。ここは、家を失った人々に働く場を提供することと、部屋やアパートを提供もしているそうです。通所されている方は、社会的にも愛されないで過ごした結果愛が必要であることを痛感されて、マザーテレサの言葉に感動し、この仕事を選ばれたそうです。とにかく、なかなか出来ることでは無いなと感じましたし、女性の方ですから、仕事に慣れるまで涙を流す日々を過ごしてきたと語る姿は、仕事の大変さと、聖書の書かれている通りに生きようと努力されていることが伺えます。聖書の言葉にこんなものがあります。-------------------------------------------- 5:46 自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。--------------------------------------------当時、取税人は、とても身分の低い立場でした。税金を国民から受け取る仕事をしている人をこう呼んだのですが、当時の税金は、今のように所得に応じて徴収するものではなかったのです。国に収める税金と、その余ったものを自分の財産にしていたのです。なので、取税人という仕事は人々から嫌われていたのです。自分の何かをしてくれる人を愛したからといって何にもなりませんと言っているのです。それよりも、社会的に弱い人々や愛されない人々と付き合うほうが大事ですと言っているのです。という意味なのですが、なかなか私は出来ません。このキリスト教放送で証しされた方は、その言葉を実践しようとしていることに本当に感動を覚えました。参考ページコーヒーブレイクインタビュー 5月27日放送
2006.05.31
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昨日の午後、金沢区にある野島公園に行きました。ここは、シーパラダイスの近くで、潮干狩りの聖地と言われています。(勝手に私が付けただけですが)弟家族と、私それに両親の合計8人でいざ出発。車ではお酒が飲めないからと合えて電車とバスを使ってのレジャー。ひにくなことに、家族はお酒が飲めるのに、私は全くだめで、かといって私が車の運転などできるはずもなく、1時間くらいで到着。それから、海の香りを受けながら、潮干狩りを3時間ほど楽しみました。甥っ子たち3人は、風邪を引いたことになっていて、最近の子供たちは恵まれているのか、弟が教育熱心で無いのか分かりませんが、久しぶりの海にはしゃいでいました。漁りは面白いように取れて、帰りのリックは非常に重い。こんなに取れるとはと家族全員で満足しつつ電車で帰ってきました。太陽が意外ときつく、腕の辺りがひりひりして、かなり赤く焼けていました。もう夏の香りなのですね。それより甥っ子たち3人は、今日学校へどんな言い訳をしたのだろうかとの疑問は残るのですが、楽しい一時を過ごすことが出来ました。潮干狩り礼拝なんて一度して見たいなとふと感じました。
2006.05.30
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私は、前の記事で、画像文化という題名で日記を書きました。画像や絵文字に頼りすぎると、文章で表現することがおろそかになるのではという物でしたが、でも、画像や写真の良さもあります。それは、将来的に無くなってしまう街の風景や、皆で過ごした思い出の日の様子など、残しておかなければいけないものも沢山あるはずです。なので、写真や画像は、とても良い道具なのです。特に、視覚障害者から見ていて、デジカメを使ってメールで日記に載せたり、友達に添付ファイルで送ったり、ホームページに載せて見たり、技術の進歩とそれを使いこなす皆様の様子を間近に見ていると本当に頭が下がります。
2006.05.29
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昨日は、第8回横浜交流音楽祭でした。私達のケーなの他、尺八と琴の演奏、口笛の合唱、朗読劇や男声合唱団など、バラエティに飛んだ音楽が沢山聞けました。募金の額も何時もより多かったと関係者の方が言ってました。それだけこの催しが浸透してきた印であることは間違いありません。さて、私たちの楽しみでもあるアフリカの太鼓の演奏、「ホンキートンク」は、去年より演奏内容も格段に上がっていました。かなり練習してこられて、アンコールが出るくらい素晴らしい演奏でした。このホンキートンクの演奏で、「良かった」と感動を味わいながらこの音楽祭は幕を閉じるのですが、私達がロビーで話していると、口笛の合唱団のリーダー高橋さんが、笑顔を見せながら私たちの方に歩いてこられました。「どこかで聞いた声」と少し考えながら、うえやなぎまさひこのサプライズ! ニッポン放送の番組に出ていらした方でした。高橋さんに、「ラジオにでていた人」と大変失礼と思われる言葉を言ってしまったのですが、その方は私に笑顔で「甲高い声なので直ぐに分かりましたか?」と握手をしてくださいました。ラジオがくれた素敵な出会いでした。今回のコンサート、振り返ると聖書を引用した話が多かったです。朗読劇も、聖書を読んでいる人にはあの箇所と分かるものでしたし、交流会で市谷のルーテルの方が、息子さんとの話の中で、「人は誰でも外れ籤はひとりもいない人が生まれる時に、神様が間に仲介されているんですね」と話していました。横浜市の主催で行われたコンサートですので、勿論宗教的な話題は厳禁なのですが、それでもさりげなく神様の働きを述べたことに私はなんとも言えない感動を貰いました。これを見ている皆様、来年こそ一緒に楽しみましょう。もしかしたら昨日のコンサート、来られた方もいらしたかも知れませんね。
2006.05.28
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今日は朝5時に目が覚めました。睡眠時間としてはとても短かったのですが、頭は冴えて普段より気持ちの良い朝を迎えました。私の睡眠時間は、大体4時間から6時間で、これが健康に良いのか悪いのかは良く分かりませんが、普段滅多にしないことをしました。まず、半年前に買ったコーヒー(ブルーマウンテンブレンド)を飲んだり、インターネットで放送しているキリスト教放送を小さく流したり、朝って良いなと感じつつこれから仕事に向かいます。その、キリスト教の放送の中で、ヨハネの福音書の8章3節から11節までの言葉が朗読され、内灘キリスト教会の横山先生のメッセージを聞きました。詳しくは、BBN聖書放送で、午後7時から7時半に放送されますので、お時間の在る方はお聞きください。実はこの箇所、私の日記の、「心の律法」で引用した聖書箇所です。
2006.05.26
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私は2000年から解禁日を作っています。トマトやバナナが一年中見かけるようになりました。これでは自分の心に季節感が無くなると感じた私は、いろいろ自分なりに食べる日にちを設定して見ました。まず、冷やしラーメンは、7月一日、西瓜は7月15日、苺は11月30日とこんな感じでしょうか。一番困るのが、ショートケーキで、苺が飾ってあるのを発見すると、食べようかどうしようか悩んでしまいます。日にちを決めたことで、待つ喜びが在ることと、いつでも食べれる状態の時よりも、気分的に美味しく感じます。俳句は季語(季節の言葉)を17文字の中に一つ入れることが条件となっています。夏の季語は、トマト・冷麦・素麺・簾・花火他にも沢山ありますが、季節感を味わいながら過ごすのも又楽しいです。最近は、季節感が無くなってしまったのと同時に、果物が大きくなっていることです。特に苺は昔より粒が大きくなってます。
2006.05.25
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日曜日に障害者の会で伊豆にあるサイクルスポーツセンターに行きました。ボランティアで若い大学生の男の子と一日楽しみました。私の生まれたのが、和田博とマヒナスターズのお座敷小唄が流行った都市(1964年)、ボランティアをしてくださった彼が生まれたのが松田末子の天使のウィン区(1985年)かなり年の差が在ることがお分かりいただけたと思いますが、いろいろな自転車があり、水で動くもの、レールの上を走るもの、ufoの形が出てくるものなど面白い体験をしました。水で漕ぐ物が一番大変だったのですが、一番楽しめたのが、二人乗りの自転車で1週2キロの道を3週してきました。急な上り坂あり、南風に(みなみ風)が大変心地よく、二人とも大変盛り上がりました。勿論家事を取ってくれたのは大学生の彼でしたが、バスに乗って一息付いているときに、「やっぱりボランティアは楽しまなくてはいけませんね」と私に言いました。私もボランティア以外でも、仕事でもやはり楽しい気持ちで過ごす方が良いなと思いました。でも、楽しめないこともあるのですね。例えば会議とかは本当に楽しくいようと思っても、投げかけられる問題が重すぎて、楽しんでいる場合では無いと切迫感が私の心を支配するのですが、それでも会議の終わった後の打ち上げで楽しんでいるのでまあいいかと納得して落ち着かせています。でも、今の大学生、大変頼もしかったですよ。午後は、修善寺に行き、甘味どころで餡蜜を食べて足湯につかりました。とても気持ちよく、温泉気分を満喫しました。もう一つ、足湯が在ったのですが、入ったら異常に暑く熱湯のようで入れませんでした。
2006.05.23
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横浜の名産はシュウマイです。でも、突然食べたいと思ったことはありません。私が小さい時から突然食べたくなるのが、味噌ラーメンとカツ丼です。最近はこれに餃子が加わり、あれだけ好きだったポテトチップスやハンバーグは私の脳裏から消え去ろうとしています。やはり、子供の頃と今とは好みも食べたいものも変わってきているようです。年を取ってもいつまでも食べたいと思うものは、本当に良いものと私は思っています。人それぞれ面白いですね。聖書には、「いつまでも残るものは信仰・希望・愛」とありました。私の場合、今のところ食べ物では「味噌ラーメン・餃子・カツ丼」になりそうです。これを毎日食べようとは思いませんが、10年後には、おでん・肉じゃが・鰺の干物が加わりそうです。こんなことで、聖書の言葉を使うのは少し抵抗が在ったのですが、一つ大らかな気持ちで読んでくださると私はとても幸せです。今日はラーメンの食べたい日になりました。Flutist♪さんのブログでラーメンの話題が出た瞬間、頭の中はラーメンモードでした。
2006.05.22
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一昨日のラジオのニュースで、新しい果物が話題となっています。原産地はペルーで、カムカムという酸っぱそうなものです。未だ私は食べたことが無いのですが、ビタミンcが檸檬の55個分、何か、これ一つで健康になれそうなのですが、この果物がどうして話題になったかというと、日本の農学部に通う学生が、ペルーに行ったときに、覚醒剤の原料となる物が農作物で多かったそうです。これではいかんとカムカムの木を栽培するように農家に育て方を指導したのが切欠だそうです。いまでは、覚醒剤の栽培している農家はかなり減り、カムカムの身を栽培する農家が増えていると聞きました。日本でも、かなり好評のようで、キリンビバレッジから、午後の紅茶にカムカムの実を加えたものが売り出されているようです。楽天でも、フルーツショッピングでも買えるようです。私も味が気になります。
2006.05.20
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今日仕事から帰ってきて、友達のホームページを見ていました。しばらくアクセスしない間に、音楽が付いていて、とてもリラックスするページに返信していました。「私も」と思って、どうしたら音楽を鳴らせるのかをパソコンの本を眺めていました。「むずかしい!」しかし、何とか出来た様で、自由に使用しても良いと書かれている音楽のファイルをインターネットで検索して、遣ってみました。こんな感じになりました。視覚障害者の独り言続けて、楽天のトップページでも出来ないかなと思ってチャレンジしたところ、出来ませんでした。これは残念。楽天でも、出来るようになればいいなと感じました。でも、著作権の問題でだめなのかも知れませんね(独り言)実は、横浜交流音楽祭まで後十日です。こんなことをしている場合では無いのですが、気分転換にパソコンと遊んでしまいました。
2006.05.18
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一昨日は、バレーでぴっちりと運動してきました。帰りの飲み会はパスしました。実は、昨日親知らずを抜きました。歯科衛生士の方がバレーに来られていて、どうやら無理してしまうと後々直りが悪いそうなので、帰ってきたのですが、親知らずは無事に抜けて、多少痛かったくらいで痛み止めを飲むことなく乗り切りました。本当は、絶対安静を言われたのですが、麻酔のかかっている間だったら良いかなと思って、仕事してたら、治療してくださった先生が私の仕事場に来て、「無理しないでくださいね」と優しく声をかけてくれました。「申し訳ありません。どうしてもしなければいけない仕事だったので」答えたのですが、絶対安静を咎めもせず、優しく接してくれた先生には、本当に若いのに出来た火とだなと感心してしまいました。神様の姿勢もこれと同じですね。もしも、私が、神様の願うことと反対のことをしていても、叱るのでもなく、咎めもしない方なのです。姦淫の現場を捕らえたパリサイ人がこのような女は石打ちにするようにと書かれているが、あなた(イエス様)はどう思うかと尋ねました。最初は無視していたのですが、こうおっしゃいました。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」とお答えになりました。誰でも、心に律法を持っています。それはとても大切なことです。でも、どうしても相手の心の律法に反することをしなくてはならないときもあります。人間関係で、躓く原因は、大体律法の違いからです。これをしてはいけないとか、これをしようという思いは、多分一人一人に心に律法があるからです。でも、イエス様がおっしゃったように赦すことが出来れば、相手とうまく遣っていけるのですが、それがなかなかできないんですよね。歯を抜いてくださった先生も、「絶対安静」という律法を与えたのですが、私は不覚にもそれを破りました。先生の態度に学ばせていただいたような気がします。下に聖書の言葉を書かせていただきます。------------------------------------------ 8:3 すると、律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕えられたひとりの女を連れて来て、真中に置いてから、 8:4 イエスに言った。「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。 8:5 モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」 8:6 彼らはイエスをためしてこう言ったのである。それは、イエスを告発する理由を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。 8:7 けれども、彼らが問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」 8:8 そしてイエスは、もう一度身をかがめて、地面に書かれた。 8:9 彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。 8:10 イエスは身を起こして、その女に言われた。「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はなかったのですか。」 8:11 彼女は言った。「だれもいません。」そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」〕(ヨハネの福音書8章3節から11節)------------------------------------------
2006.05.16
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明日は久しぶりのバレーです。3月4月とお休みだったので、非常に楽しみです。私たちのバレーは、床に転がしてするのですが、誰が作ったかに付いては、いろいろな人が「私が」と視聴しています。なので、バレーボールの教会では、二人の先生が協力して作ったことになっています。帰りが非常に盛り上がってしまうので、健康のためにしているバレーですが、馴染みの居酒屋さんで不健康に返信するので、何のためにバレーしてるのか分かりません。最近、「メタ簿リックシンドローム」が急に出てきて、居酒屋巡りが、メタ簿リックに一歩筒近づいているのに打ち上げは止められません。今日は1日休みました。ゴールデンウィークを返上して仕事したので、その分休みを今日に回したのですが、改めて松井秀樹選手は偉いなーと思います。連続出場1768試合、私は連続で仕事することは全く出来ません。休みたいとか、この日に仕事して、平日に休むとか、とにかく怠け者なのですね。
2006.05.13
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久しぶりに、聖書を読んでいました。十字架に付けられる前、イエス様の弟子の一人、イスカリオテユダが裏切るのです。聖書にはどういう理由で裏切る行為に至ったかが書かれていません。以下聖書の箇所---------------------------------------- 14:10 ところで、イスカリオテ・ユダは、十二弟子のひとりであるが、イエスを売ろうとして祭司長たちのところへ出向いて行った。(マルコの福音書14章10節)----------------------------------------と書かれています。イエス様はユダを非難したとは思えませんし、別の箇所でこんなエピソードがあります。女の人がイエス様の足に香油(高級な油)を塗りました。その時にユダはこう言いました。----------------------------------------「なぜ、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか。」と。----------------------------------------ヨハネはこう説明しています。----------------------------------------「しかしこう言ったのは、彼が貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからである。」----------------------------------------イエス様は、ユダを窘めました。----------------------------------------イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。マリヤはわたしの葬りの日のために、それを取っておこうとしていたのです。----------------------------------------十字架の前触れなのですが、イエス様はマリヤ(友達のマリヤ)のしたことは良いことをしたので心配しなくても良いと行っているのです。ユダはこのときも、真坂自分がイエス様を殺そうとは未だ思ってもいなかったのでしょう。お金を誤魔化していることを咎めることはイエス様はしませんでした。だからといって、このことが切欠で、イエスを裏切るようなことをするかなーと今日疑問に思ったのです。イエスを引き渡してユダが受け取るお金は、銀貨30枚でした。それも、彼らは先にユダにお金を渡しているのです。ネットで調べると、銀貨30枚はあまりにも安い金額だったようです。解説が書かれていました。日本ホーリネス教団の牧師先生のメッセージからなんだかこの解説を見ると、余計に疑問が深まってしまうのですが、それでも、先のことを見通せなくしてしまい冷静な判断が出来なくなるような状態に追い込んでしまう悪魔って怖いなと感じました。
2006.05.12
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私は時々思うことがあります。人をついつい年月で判断氏てしまいます。家の近くに歯科医院が出来ました。今日早速歯の健康診断を兼ねて行ってきました。未だ若い先生らしく、とても不安だったのですが、口を空いていざ治療となりました。小さい虫歯がありました。幸い金属を被せる様な物ではなく、何か分かりませんが、小さく削ってセメントのようなものを詰めれば良いそうです。最後に歯の磨き方を丁寧に教えていただきました。どうやら、親戚の人で視覚障害者の人がいるらしく、教え方も大変分かりやすく、良い気分で一日を過ごすことが出来ました。前に通っていた歯科医院では、私が視覚障害者という原因かどうかは分からないのですが、「あなたは目が不自由なので教えることが私には出来ない」と言われてしまいました。「おいおい・そんなーー」人は年月で計ってはいけないことを学びました。イエス様はこんなことを言いました。--------------------------------------- 5:38 新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れなければなりません。 5:39 また、だれでも古いぶどう酒を飲んでから、新しい物を望みはしません。『古い物は良い。』と言うのです。」ルカの福音書 5章38節から39節---------------------------------------何かを学ぶとき、古いものは一回リセットして新しい気持ちで取り入れるとそれが利益となります。古いもの、つまり経験や、年月は、人を計るためのものではありません。でも、時として古いものは何かを伝えるときに大切な道具です。イエス様の例えで考えると、新しい知識は、新しい皮袋にいれなさいと言う事ですね。古いものに入れてしまうと、実にならず、流れてしまうのですね。明日も新しい気持ちで頑張りましょう。
2006.05.11
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最近と言っても日記を始めた当初から私なりに心がけていることがあります。それは、どうしたら分かりやすく伝えられるかと言う事です。出来るだけ日常的に出てくるキリスト教の言葉は使わないとか、使うとしたら解説を付けるなど、考えるのは容易いのですが、いざ文章に纏めるとなるととても難しいことに気づきました。書いている途中でも、「ハレルヤ・アーメン」など書きたいなと思う気持ちを抑えて、どのように嬉しかったかなどを伝えるようにしています。これは私の個人的な考えなのですが、ハレルヤ・アーメンは、とても便利な言葉です。この言葉が書かれていると、その人が言葉では言い尽くせないほどの感謝であることがこちらに伝わってきます。しかし、クリスチャンで無い人もこの日記を見ていることを考慮して、合えて日記上では使いません。ただ、クリスチャンの人にメールを出す場合は、かなり子の言葉を私は用いて使います。後、クリスチャンの人の日記で良く出てくるのが、聖霊です。私も会話でも使っていますが、説明せよと言われたら大変困ります。神様が私たちに働いていることを感じ取ること。或いは、風のような物で、目には見えないけれども、体や心で感じ取れる現象。私はあまり言葉を知らないので、こんな説明しか出来ませんが、何時も教会に始めて来た時のような気持ちでこの日記を書き続けて行きますので皆様も宜しくお願いします。
2006.05.10
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宮崎県で牧師をされている先生の日記を見ていました「完全」について書かれてました。イエス様は、「完全でありなさい」とおっしゃいます。牧師先生の日記によると、「完全」は、ギリシャ語で{「テレイオス」という言葉だそうです。意味は、「人がまだ鑿(のみ)を当てない状態」で、神様のようになりなさいということではないそうです。本来の姿に戻りなさいと言うことだそうです。昔のユダヤ人は、祭壇を石で作りましたが、綺麗に形を整えたりせず、本来の石の姿のまま作ってあったのですね。そんな風に日記に書かれてました。完全って深い意味があるのですね。知りませんでした。創世記(聖書の一番最初の書物)を見ると、人は善悪の木の実を食べる前は、善しか知らず、嘘や殺人などこれっぽっちも考えなかったでしょう。一つ勉強になりました。昨日は午後10時過ぎから仕事が入りましたので、慌てて職場へ行きました。家から歩いて15分くらいかかる道則は、朝とは違い少し不気味な感じがしました。帰ってきたのが今日の12時でした。治療の時間は1時間くらいなのですが、毎日日誌を書いているのでそれに時間を取られました。
2006.05.10
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最近地下鉄の弘明寺駅の近くに、沖縄の物産を扱っているお店を見つけました。商店街を入るとすぐ右側に見えてきます。ゆいまーる堂早速ラフテーを買ってみました。意外と安く、260gで、420円他にも、サーターアンダギーというチューリップの形をしたお菓子もとても美味しかったです。なかなかスーパーやデパートでは買えない物もこちらでは手に入ります。沖縄料理を堪能したい方は、系列店があるのでそのお店に聞いてみると良いかと思います。パソコンで調べると、住宅街に在り、とても分かりにくい場所のようです。
2006.05.07
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今を輝いて生きるとはどういうことかを学ばせて頂きました。では輝きを無くした人生とはなんだろうと考えてたら、その答えが田中先生から示されました。まず、そのままの自分をなかなか受け入れられないということです。試練が襲ってきたときに、こんなに落ち込んでしまって弱い自分を恥じてしまうのですが、まずそこから考え方を変えなくてはと感じました。先生のおっしゃるのには、与えられた情況をまず受け入れて、そのことを必ず益となることを信じることだそうです。例として、ある青年が、沖縄から山形までこられて、神経症の治療に先生の所に来られたそうです。青年は、「自分がこの病気のおかげで、先生や沢山の人に出会うことが出来た」といっていました。母親から青年にこんな手紙が来ました。「おねえちゃんが結婚するので、病気のことは手紙には書かないように」青年は、こう答えました。「病気のことで壊れるような結婚相手だったら最初からしない方が良い(笑い)」こんな風に、青年は、病気を益(りえきのえき)として、歩んだ結果、輝きのある人生を送れるのですね。それから、初心に帰ることも大事なのですね。先生がアメリカにいたときに、あるご夫妻の所に下宿していたときのお話です。妻が夫に、「お砂糖をいくつ入れますか?」と毎日の用に聞いてきます。夫婦ですから、幾つ入れたらよいか分かるはずです。先生もそれに気づいて、奥様にそんな風に言ったのですが、奥様はこう答えました。「新婚当初のことを忘れないために尋ねているのです。」と。これには負けたと先生は思われました。私は、今日磯子公会堂に出かけたのですが、一つ気づいたことがあります。それは、館内は黄色い点字ブロックが引いてあるのですが、その上に、人が沢山立っていたのがとても気になりました。確かにロビーやその周辺は、とても狭かったのですが、それにしても、点字ブロックの重要性をなかなか分かって貰えないのがとても残念でした。点字ブロックは、視覚障害者にとっての道案内です。駅や切符売り場で並ぶためにその上を乗ってしまうことは仕方の無いことです。でも、この黄色い線は、視覚障害者の歩行の助けであることを健常者の皆様は忘れないでほしいなと感じました。
2006.05.05
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昨日私が出かけている間に、甥っ子が来たそうです。確かに、キーボードとマウスの位置が微妙に変だったので、両親に尋ねると、パソコンをいじっていたとのこと。アクセス解析を見ても、私がいないのにホームページにアクセスされていて、あららって感じでした。出かける前に、サイトからログアウトしておけば良かったのですが、ばたばたしていてそんな余裕はありませんでした。今日は田中先生のお話を聞きに行きました。「今を輝いて生きる」と題された内容のメッセージは、とても私の心を打ちました。又、話の内容は次の日記に書かせていただきます。
2006.05.05
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今日は常磐線の勝田駅で会議をしました。一昨日、参加予定の方が、具合が悪くなり、私に出席してくれないかと電話がかかってきて、丁度連休の合間だし、交通費ぐらい出るのだろうと思ったら、自腹でした。見返りを期待してはいけませんね。なんだか神様に叱られた様な感じがしました。さて、この勝田は、町全体が、海の香りがしました。空気も美味しく、朝の眠さも吹き飛ぶほど良いところでした。全国の視覚障害者が集まっていたのですが、私は福島の方とお話しました。その方は、月1回は東京に行くと話していました。どうやら高速バスが毎日出ていて、東京へのアクセスが大変楽になったのと、福島県では手に入らないものが沢山あるそうです。最近は遠出をしていなかった私、その方の年齢を聞いたら65歳。元気で今日も頑張って会議を盛り上げていました。今日は午前5時半に家を出て、午後8時に帰ってきました。明日は田中信生先生のメッセージ、話の合間に睡魔が来ないように心の中で祈っていますが、お話の内容や感じたことを少しだけ皆様におっ祖訳したいなと思っています。
2006.05.04
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今日はとても暑い日でした。こちらでも28度でしたが、山梨では30度とそんなニュースが流れました。昨日から暑いとは思っていたのですが、真坂こんなに気温が上がるとは思いませんでした。さて、昨日のメッセージから私が感じたところを書かせていただきます。イエス様が処刑されて三日後復活されたところを学びました。4人の執筆者(マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ)がこのことを紙に書き記していますが、私の学んだところはヨハネの書いたもの。ヨハネは物事を見抜く力があるのですね。イエス様が復活されて、墓が空っぽになりました。一番先に発見したのが、イエス様と交流の深かったマグダラのマリヤです。墓の中に処刑されたはずのイエス様がいない事をペテロとヨハネに伝えました。二人は信じられなかったのですが、空っぽの墓を見て、信じたと書かれてます。でも、この信じたは、マグダラのまりやの言うことを信じたのか、イエス様の復活を信じたのかがこれだけでは分からないのですが、後の方で、復活されたイエス様を見てヨハネは「主だ」と叫んでます。それを聞いたペテロはあんぐり状態だったと察するのです。だって死んだはずのイエス様が現れたのですから。こんな風に物事を見抜く力は抜群だったと思われます。福音書の書き方も、読み手を考えて、「なになにだったからである」と注釈が付いているのがやはりヨハネの人柄と性格が現れています。だから、聖書の最後の書物「黙示録」をどうしてヨハネに書かせたのかがなんとなく分かります。神様は、ヨハネの見抜く力をご存知だったのです。牧師先生のメッセージを聞きながら、そんなことを考えていました。若い人が、社会に出て頑張っています。高齢者の施設で働いているのですが、日曜日も出勤だそうです。教会も、仕事で礼拝できない場合、牧師先生に連絡すると、礼拝する時間を作ってくれるようになりました。仕事と礼拝、本当にクリスチャンにとって社会と関わる上で大切な問題ですね。カトリックの教会では、土曜日の夕方と、日曜日にミサが行われていますが、仕事やそれぞれの事情で礼拝できない人のことを配慮していることが分かります。私は、日曜日に教会に行くときに、バスを使います。もしも運転手さんが日曜日は教会があるからお休みとなったら、礼拝は出来なくなりますので、そう思うと、本当に日曜日に仕事されている方には、感謝しなくてはいけませんね。
2006.05.01
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