鉄瓶



 鉄瓶が欲しいというのは数年来の願いだったのだが、ようやく気に入ったものに出会うことが出来た。これほど時間が掛かったのは値段が高くて買えなかったということではなく、よい鉄瓶がなかったということなのだ。
 南部鉄器は今も名高く、出来れば新しいものを選んで丁寧に使い込みたいと思って探していたのだが、今風のデザインのものはどうにも未熟な感じがするし、かと言って伝統的なものも今出来のものはどこかフォルムが緩い。鉄という素材の強さとかたちとの不調和がどうにも納得ゆかなかったのである。
 また多くの鉄瓶の場合はそればかりではなく、これは古いものにも共通することだが、せっかくかたちや肌が美しくとも弱々しい線で胴に浮彫りの花鳥紋などがあるものでは満足出来ない。それにしばしば見られる欠点は蓋の調子がさらに弱くつまみも繊細過ぎると言うことである。真鍮蓋でつまみが鈴になっているものなどはその一例であるが、こういう非常に繊細で情緒的なものも日本の工芸にしばしば見られる特徴だとは思うし、これはこれなりの情趣もあっていちがいにいけないとも言いにくいのだが、たとえば同じ鉄器でも古い天命釜などを見るといかにも工芸としては余程純な本筋の感じがして、趣味性の強いこういう花鳥紋の鉄瓶には勝ち目がない気がする。
 「霰」と呼ばれる突起が無数に有るものが比較的よいと思ったが、それでも古作の鬼霰のような大粒の調子の強いものは今出来のもののなかには見つからず、細かい粒があまりにきちょうめんに並んでいるのはこれもまた面白みの無いものである。

 そんな時に素敵な李朝の鉄瓶を見付けたのだがこれは値段で買うことが出来なかった。また イギリスの鉄瓶はやはり躊躇っている間に友人が買ってしまって手に入れ損ねた。
 それからまた数年が過ぎてようやく出てきたのがこの使い込まれた古い鉄瓶である。胴の鋳型の継ぎ跡もあらわで、上向きにぐっと突き出した注ぎ口も、肩から真っ直ぐに立ち上がる首も調子が強い。三つ脚も鉄瓶の初現の古格を表しているようで、実に素っ気無いながらもこれこそほんとうの鉄瓶だという気がして悦んで求めた。今どき鉄瓶で湯を沸かすというような一種の風雅を好む人の中にはこんな武骨な鉄瓶を尊ぶ人もそう多くはないものか、これほどのものが思いがけなく安く買えたのは嬉しいことだった。

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