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かつては地方固有の多種多様なやきものの技術体系が存在していたことは今に残された当時の品物を見ればはっきりしたことですが、今では地域間の交流が進みまた大学や専門校で学び、あるいは雑誌やネットなどから学んで独学でやきものに取り組む人も増えてくるなかでだんだんとそれは公約数的なものへと収斂していっているように感じます。つまりはこういうある意味自由な時代に個人個人が自由な立場でやきものに取り組んでいるようでいて、現実には一見色やかたちは違うもののその陶磁器としての骨格のところに目をやればそれを支えている技術の基盤はあんがい劃一的で似たようなものであり、かえって無個性なものになりつつあるようにも思うのです。 問題は作り手の側だけではないのでしょう。あるいは別の視点から言うならば、特にこういう事情の中でものが作られている現代では作り手というのもただ普通の意味での作家だけではなく使い手やそれを扱うお店や情報を紹介する雑誌などのメディアも含めてそういう全体で作っているのだと言ってもよいでしょう。使い手にとってもまた情報の共有は国さえ越えていますし、長距離輸送があたりまえである現代にあっては地域差よりもむしろ時々の流行に左右されて同じようなものを求めるきらいがあるようにも思われます。 画一的な工業製品の中でそのアンチテーゼとして出て来たのでしょうあの嫌みなくらいに手作り感を強調した桃山風のでこぼこ趣味の穴窯焼き締めのものがようやく流行らなくなったと思えば、次には白磁が流行ってうつわのお店は白磁だらけ、白デルフトが脚光を浴びればああいう白無地の作家が増えて、スリップウェアが流行れば今度はそんなものばかりが脚光を浴びるというようなことです。そんなふうに流行が消費されているのはうつわの世界も他の多くの商品と変わりはないのです。 土地に固有の陶脈を受けていない立場の作陶家は外とのつながりが遮断されていない限りはそういう流行の中に在らざるを得ないのです。流行に乗らないで自分の好きなものを求めるという姿勢もまた非常に現代的で、そういう在り方自体がひとつの大きな潮流であることは言うまでもありません。流行というのはそこに時代の必然性はあっても根っこが無い。 ぼく自身はそういう中でさえ何百人にひとりの窯からでもいつか良いものが生まれてくることを信じていますし、自分自身も少しでも良いものをとは願っています。 しかし一方だからこそ土地固有の古い技術を受け継ぎえる立場にある人たちはぜひそれを大切に守って次代へと受け継いでいって欲しいのです。自分の仕事が一万年も前からの縄文以来の伝統を未来へと繋ぐ大切な過程なのだという歓びを自覚してほしいのです。やきものの作り手も現代にこれを痩せ細らせてしまってはいけないという責任を感じてほしいのです。 もっとはっきりと具体的に言うならば最初から簡単に京都の学校に行って轆轤を学んではいけないと、そういうふうなことです。自分が知る限りはあれは洗練されたひとつのやり方ではあってもその洗練の過程で抜け落ちあるいは切り捨てたことの中にはうつくしいものの誕生にとっては代えがたい必然性のある技術体系が多々含まれており、また将来の日本の陶磁器をより豊かで多彩なものにするはずの無限の可能性があるのです。それなのにそこを出発点にするということは、すなはち先祖伝来の財産を最初っから捨てさるということなのです。 他から新しいことを学ぶことも、より合理的なほうへと進むのももちろんただ批判すべきことではないとは思うのですが、他からの知識や技術を受け入れる前に身につけた確たる自我を持ち得ないならばそれらを相対化して理解し受容することは出来ません。 今までの非常に豊かなやきもの文化を支えていた多種多様な技術体系が洗練されてはいても痩せっぽっちなものへと一本化されてゆくことに大いに疑問があるのです。新庄、楢岡、小久慈、信楽、丹波、母里、小鹿田、多々良、小代、薩摩、壺屋、などなどほかにもまだまだいくらでも日本各地にはそれぞれほんとうに素晴らしいやきものをこしらえてきた土地があります。こういうところのやきものを支えた技術は現代の学校で教わるような陶芸課程からは既に失われたものなのです。それはしばしば時代遅れなものになりつつあるでしょうが、同時にまだまだ将来に受け継いで活かすべき内容があると思うのです。情報の中核であるマスコミの方も、優れたものを選び出し使い手へと紹介するうつわ屋さんの方も、うつくしいものに出会いたいと願う使い手の方も、もちろん作り手の方も、どうか今にも失われようとしているそういうものにもっともっと目を向けて下さい。そして気が付けば何か行動を起こしてほしいのです。こんなことは一介の作り手である自分のような立場のものが言うようなことでもないという批判もあるでしょうが、こういう危機的な状況である以上は言っておかねばならない責任があります。 また同時に、これはぼく自身もそうですが伝統工芸の受け継ぎ手ではない立場で何かうつくしいものに魅かれて仕事をする人はぜひそのものが生れてきた背景にも注目して失われようとする技術を再評価し、またすでに失われた技術を掘り起こして新しい時代に甦らせて欲しいのです。民族の歴史や土地の暮らしとそれぞれの製陶技法や固有の原料を両親としてやきものは産まれてきました。そういうことを抜きにしていったん失われたものをそのまま取り返すのはなかなか困難なことですが、個人個人が陶芸というようなものに打ち込める現代であればこそ、それも同じかたちではないにせよ決して不可能なことではありません。作陶家というのは過去の作品をなぞることによってその生産過程を追体験することが出来ます。そしてそこから歴史や暮らしぶりや技法の陶脈や原料の種類まで想いを馳せることは出来るはずです。それは必ずしも完全なものではないにしても、さらにそれを修正しながらより確実なものへと仕上げてゆくことが出来るのです。 過去の技術は価値の無いものではないし、またそれを守り伝えることはやりがいのある仕事です。工芸は偶然の所産ではなく長い歴史を積み重ねた技術の上にこそ成り立っています。 例えば日本には朝鮮時代のやきものを愛する人は少なくないのですが、明治政府の朝鮮総督府による朝鮮半島統治に端を発していまなおひとつの民族がふたつの国に分断されているという不幸な現実や、日本との間にある政治的あるいは人道的な様々な問題についてまるでこころを痛めることも無く無関心でいる愛陶家や作陶家を自分は信頼しません。朝鮮のやきものがうつくしいと感じたならば、それがどのようにして産まれて来たのかということは考えられなければならない問題です。それを産みだした土地や民族に対する敬念が無いならばそれは想像力の欠如と言わざるを得ないでしょう。 またぼく自身がそうであるようにスリップウェアを学ぼうとするならば、美術館や個人の所蔵するスリップウェア自体はいうまでもなく、陶片や出版物などの資料、何人かの情報を交換しあえる研究者や作陶家や愛陶家の先達や友人たち、それにまた未だ出会ってはいない未知の友人たちもきっと少なくないことと思います。スリップウェアの縁で繋がる人たちはあの美の世界を知っている以上はそれを将来に繋げたくないわけは無いのです。どこでどういう人たちによってどのように産みだされそれがどのように使われていたのかということに想いを巡らせることは出来ないわけが無いのです。 そういうことの積み重ねはきっとやきものの成立をより立体的に実感させてくれることでしょう。そこで見えてきたことをただそのまま再現するかどうかというのはまた別の話しです。当たり前のように言われることですが、伝統というのは絶えず新しく作り続けられるものなのです。いったん受け取ったものは捨てようとしても捨て切れない、忘れようとしても忘れることは出来ない、そういう身体にしっかりと入り込むものなのです。 朝鮮の?と同じものを焼く、英国のスリップウェアと見分けがつかないものを作る、それは確かにうつくしいでしょうし技術者である作陶家にとってはなんとも魅力的なことには違いないのですが、それが成立するだけの必然性も存在意義もすでに当時の彼の地とは全く違うものなのです。そこでやきものの色つやかたちだけが同じものを作ると、仮にもしそういうことができるとしてもそんなことに果たしてどれだけ意味があるのでしょうか。現代の状況の中でただ精一杯誤摩化しの無い仕事をすることが大切なことではないかとただそのように想うのです。 別にこれはやきもの作りに限ったことではないのですがどのような言動や行為であれ自分自身をよりよく成長させないならば価値はありません。さらには他者を認め尊敬し多様な価値を受容したら他我の境を越えてすべてを清浄なものにして返さないのならば生きている意味が無い。真面目に一生懸命取り組むということそれ自体が個人の人生で、個人の生涯が民族の歴史の欠かせないひと駒で、民族の歴史が人類の宝物であるというようなことを自分は信じています。日々両手で抱きくちづけしているその御飯茶?がうつくしいものであるということにはただそれだけにとどまらない意味があるはずだと想っています。だからこそこの釉薬が美しい、というようなほんのちょっとしたことが大切なのだとも想うのです。・・・・・ 先日別のところに書いた文章を受けて現代の個人と土地固有の伝統の関わりについて作陶家の立場でもう少し考えてみました。それは簡単な問題ではないようにも思うしまた逆にわかりきった答えであるようにも思えるのです。
2009.07.31
「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」 一休のこの有名な和歌について子供の頃には「めでたくもありめでたくもなし」というのが正月の世間のなんとはなしに浮かれた気分と、そして冥土に行くことすなはち死とを対比して詠んだものだと思っていた。これだって普通の人は日常であまり気付かない刻一刻と確実に死に近付いて歩んでいるという人生の有り様を鋭く見ている一休の凄さを感じるが、死というそのこと自体をめでたいことだとみなし煩悩の多い現世を歩む姿のほうをめでたくもなしと表したのではないかと思えばまた少し違った歌のように思えてきます。 ほんとうは門松は冥土の旅の一里塚というのが現世の有り様そのままもので、そのこと自体をめでたくもありめでたくもなしと詠んだというのが本意ではないかという気がするのです。ひとの生涯はめでたいとかめでたくないとかそういうものではない不可分の性であると、このように読み解くのがいちばんこの禅僧の和歌としては自然な気がします。 「木喰も冥土の旅に連れもなし 戻りて見れば塔婆一本」 もうひとつ、江戸時代の作佛聖である木喰上人の和歌に似たものがあります。こちらもやはり連れもいない一人の寂しさを詠んだものではなく、ひとの生涯の実相を詠んだものだと思います。日本全国を廻国しながら一千体を越える彫刻を残して入滅した木喰の生涯が卒塔婆一本というのは自らの死が近付いた時に「一代の聖教皆つきて南無阿弥陀佛になりはてぬ」と全ての書籍を焼き捨てた一遍上人の姿に重なります。「木喰もいづくのはての行きだおれ いぬかからすのゑじきなりけり」 木喰はまたこういう歌も残しています。いつかどこかで死んだ時にはその亡き骸は犬か烏の餌食であるというのは現代の日本の暮しからすれば何か凄い感じはしますが、野宿もしながら全国を歩き廻っていた老僧の生涯にとってはあたり前の実感を伴ったことであったでしょう。 どこかで行き倒れたら後は犬か烏に喰われてお終いというのはなかなかその心情としては自分にもしっくりと来るものがあるといつも感じます。日本ではすでにほとんど土葬も無くなっているのではないかと思いますが、自分の小さい頃に亡くなった母方の田舎の祖母は土葬でした。これは大きくなってから聞き知ったことですが棺を村から外れの墓地まで引くための白い綱と死に装束は自らきちんと準備していたというのは立派なことだと思いました。貧しい漁村の無学な漁師の妻として丹後の海辺で生涯を過ごしたその人の亡き骸は棺に納められてやはり海に向きあった墓石の前に大きな穴を掘ってそっと埋めました。去年の春に益子に行って早朝道に迷っているときに見た墓はやはりその人が生前守り続けたであろう田んぼに向かって在りました。こういう墓に入るというのはなんとも幸せなことのように想われてなりません。 丹後の祖母とはどちらが先だったでしょうか、それほどかわらないころに亡くなった父方の祖父は京都のとある老舗のお茶菓子屋でしたので街中であったため荼毘にふした後のお骨を小さな白磁の壺に入れて墓に収めました。子供心にはたとえ死んでも高熱の火で焼かれてしまうのは恐ろしいことのように思われました。命は尽きてもそこに在った亡き骸が数時間の後には白い骨になるというのはなんとはなしにたまらないという気持ちがしたのです。火葬にされるよりは土葬にしてもらって土の中に埋められて朽ちてゆきたいと思うようになりました。 十八歳の頃に出版された当初に買った藤原新也さんの『メメント・モリ』という写真集を見ればガンジス川のほとりでいくらかの薪とともに火葬にされるインドの人たちの姿が写されていました。この正月に藤原新也さんが丹後の村を訪ねて写真を撮っているテレビ番組を見て、久しぶりにこの本を開きました。日本の焼き場のように窯に入れて重油で焼くのではないのでこんなやり方ではもちろん白骨になるまで焼き切れる訳はありません。それなりに焼けば後は聖なる河に流すのだといいますが、生焼けの亡き骸にまったく木喰の和歌のとおりに犬と烏が集まっている場面がありました。 去年の年末頃に自家のすぐ近くで鹿が死んでしまいました。前日にはなにもなかった場所に鹿は死んでいたのですが、昼前に自分が見付けた時にはすでにお腹には穴が開いてその内蔵はなにかの動物に食べられてしまっていました。自然の中で生れて死んで、その肉体がまた次の命を養ってゆくということはあまりにもあたり前の事なのだということを改めて思いました。言うまでも無く人間はたくさんの動植物のいのちに養われて生きている訳です。 生れてきて何を残すのか。べつに何も残さなくてもよいといえばよいのでしょうが、陶工はやきものを焼くことによってしか陶工としての生命はありません。昨年末に小さな窯を新たに作りその月のうちに続けざまに三度の窯を焚きました。一生懸命仕事をしたいと願ったのです。それは土の中に埋め込まれた窯でちょうど寝そべって入れば土葬にされた棺の中にいるような気持ちになります。その窯を初めて焚き終えてその数日後にまた潜り込んで出来た品物を出したまだ素肌が触れれば熱いくらいの窯の中で、小一時間ほどでしょうかお腹の上に手を組んで静かに仰向けになって寝そべっていました。窯の奥ほどすぼまっているので両肩が側面の壁に挟まるまで潜ればちょうど鼻の頭の触れそうなほどに天井があるほんとうにぎりぎりの大きさです。ひびだらけのこの天井ががさりと崩れればきっと生き埋めになって死んでしまうとは思いましたが、その暖かい土の中にいることはなにか大きなものに抱きいだかれているようでなんとも心地の良い不思議な気持ちになりました。このままここで死んでしまうのはいかにも幸福なことのようにも想われたのです。 土の中に寝そべりながら祖母のお葬式の時のことを想いました。その墓は掘り出した土を棺の上から被せれば棺の入った分だけこんもりと土が盛り上がっていたのを覚えています。この土の中に祖母は居るのだという気がしました。やがていくらかの歳月が経ち、木棺が朽ちて崩れた時にその小さな盛り上がりはまわりに並んだたくさんのお墓のようにまた何も無かったように平たく沈んだのでしょう。祖母の亡き骸はきっと虫達や植物を養い彼らの身体の内にいのちは受け継がれたに違いないのです。 また朝鮮のお墓のことも想いました。朝鮮半島に行ったことはありませんが、彼の地のお墓はやはりこんもりと盛り上がったまるいおっぱいのような姿の土まんじゅうです。犬か烏に喰われてなくなってしまうのもよいが、日本人の自分には願っても叶う訳もないことですがこういう朝鮮のお墓に入りたいという気がします。沖縄のあの亀甲墓のうつくしさもほんとうに立派なもので以前はあんなお墓に入りたいものだと思ったこともありますが、あれは一族がしっかり守り続けなければどうにもならないもののような気がします。それに比べれば朝鮮のお墓はいつか人に忘れ去られればやがてそのまま静かに自然に還ってゆきそうなのが好ましいと想うのです。 窯に埋もれて死んでしまうということは充分に仕事をしたならばほんとうは陶工冥利に尽きることなのでしょうが、自分にはまだまだやっておきたいことがありすぎるのです。出来ることならもう一度会っておきたいひとがあります。見たいもの、行きたいところもいくらでもあるのです。その時が来てもう駄目だと分かればあんがいあっさりと諦める気はしますが、生きている自分には現世への執着は強く、生きる間は精一杯生きたいという気がするのです。 いざ死ぬならば犬か烏に食べられて他のいのちの中に生きるというのは当人にして見ればそれほど悪いものではないとは思うものの、現代社会の中では動物に喰い散らかされた身よりのない死体を行政か業者が処理しなければならないというのもいかにも気の毒で申し訳ない話でそう思うとちょっとへたな死に方はしないように気を付けなければという気にもなるしなかなか簡単ではありません。 いつまでも生きている訳は無いことは分かり切っているのに、ただ何となく過ぎた今日のような明日がまたあるとついつい思ってしまいがちですが実際は分からない。今日のうちに出来ることは今日のうちにすませておきたいと思います。怠け者の自分はそんなふうに心がけなければどうにもならないものになる。もう一度、もう一度と執着を忘れず最後にはもう死ぬのは嫌だとわからず屋なことを言い出しかねない強欲な自分は、するだけのことをしたらその時をあっさり受け入れることが出来るように日々全力を出し切ってそれなりの覚悟を決めて生きたいと願います。・・・・・ この文章は後半の初窯のあとの暖かい土の中で思ったことなどを去年のうちに仕事用のブログに書いたものの、いかにも違和感がある気がしたので載せずにいたものに加えて正月の挨拶にと前半を書き足したものです。ここの更新はしばらく止めていましたがこんなものを置く場所はここしかない。 と、書いたままでまた月日は過ぎた。 そして5月2日 忌野清志郎さんが亡くなった。 南無阿弥陀佛
2009.05.04
思うところあって2002年8月7日から長い間書き続けてきたこの「生畑皿山通信」ですがいったんここで更新を打ち切ります。現地点で108135のアクセスカウンターが示すように思い掛けないくらいの多くの方に読んでいただき、ここを通じてたくさんの思い出や交友を持つことが出来たことについても感謝しています。 こちらでは日々の個人生活とそのなかで見たこと出会ったこと感じたことや考えたことなどについての感想などを主に書きつづってきましたが、自分の生き方の中心にあるうつくしいものを見てうつくしいものを少しでもこしらえてということについては「生畑皿山窯」のホームページを通じて引き続き書き綴ってゆきたいと思っています。 少々気負ったことを言いますが最後だと思ってご笑覧下さい。 「うつくしいものさがします」は日々の日常の身の回りのものを少しもおろそかにしないという誓いに他ならず、それは言うまでもなく工芸だけのことではなくて自然環境や様々な人間の営みや、もちろん近しい人たち、家族や友人や恋人とのこころの繋がりについても誠実に丁寧に見つめて生きてゆきたいということです。うつくしいものとは真実が姿したもの以外ではありえないからです。 また「やきものをつくろう」はもちろんただやきもの入門というふうなことではなくうつくしいもの、つまり真実の具現がどういう背景から生れて来るのか、何によって裏打ちされているのかということについて自分の生涯を掛けて見つめてゆきたいというのが本願です。ものを作るとは言いますが、自分とはほんとうのところは未だこの世に生れてこない生れたがっているなにものかがようやく見付けたこの世にポッカリと開いたまあるい穴のようなものではないかと、そういうことがごくあたりまえのほんとうのように実感されるのです。 このサイトは自分にとってはこの6年間の生きた証の記録でもあり何か確かめたいことなどがあって過ぎた過去を時折振り返って見返せばすでに他人事のようで面白かったり、今よりも少し若くて生意気な自分やこう言うのも変ですががんばっている様や気負った物言いもすでに失われた古い交友も全ては懐かしく愛おしいような気がするのもまた正直なほんとうです。また他の誰かここをご覧の方にとっては何か役立ったり楽しめたりするかも知れないということもあり、このまま削除はしないで残しておくつもりではおりますがBBSと各記事へのコメントの書き込みおよびトラックバックは管理上の理由で停止します。何かご意見お問い合わせなどがある方はこのトップページの中央辺りにメールへのリンクが付けてありますのでこちらからお気軽にご連絡下さい。 右側メニューの中にある「やきものができるまで」はこれから陶器を作ろうという方にとっては少しは有意義なものに出来るのではないかと願ってはいたのですが残念ながら「薪」、「土」、「釉薬」についての下準備を簡単に書いただけで長年その先を書き進めないままにしてしまったことが唯一の心残りです。 いつか何かを切っ掛けとして更新の再開をするかも知れませんがまたその日まで。それは近い日のことか永遠にないことかはわかりません。もちろんなにか書きたいこと、書く必要のあることがあるときには明日にも再開することに躊躇いはありません。長い間ありがとうございました。ではひとまずこれでひとくぎりです。2008.8.29 生畑皿山窯 陶工 前野直史
2008.08.29
中学校の時はワンダーフォーゲル部で京都の周辺の野山をあちこち歩きまわっていたので馴染みのある花背峠の下の湧き水でお茶を飲むために出掛けた。鞍馬の駅を降りて峠まであと一息というここまできて冷たくて柔らかいこの水を飲んだ時の心地良さは何年経っても忘れない。 野点といってもお抹茶に毛氈ではなく例のフレンチブルーの紅茶を楽しむためでもっとお気軽なものである。車に陶器まつりでも使っていた和紙張りの台や椅子などとともに携帯用の小さなガスコンロや茶器などを積み込んで途中でケーキを買って市内からは数十分のドライブ。 花背では二十歳前後の頃に先輩達と何度も小さな野外コンサートのイベントを企画して自分たちも演奏した。今回何年ぶりだろうというくらい久々の花背だったが懐かしいカフェもそのままにあってここで簡単なお昼をすませた。雨上がりの曇りがちの日だったとはいえ道路の温度計表示は17度とあってやはり街と比べれば相当涼しい。 湧水の所まで引き返してお茶を楽しんだ。それほど車は通らないが道路沿いなので自家の畑で採れた玉蜀黍を茹でたり花背の農家直売のトマトを食べたりしているとバスの窓からのんきな人がいるもんだというふうに笑顔で人が見ている。 夏の終わりの心地良い時間を過ごすことが出来た。仕事の区切りにリフレッシュする必要があったのだ。 マリアージュフレールのアールグレイフレンチブルー、下鴨パウンドハウスのバナナタルトとフルーツタルト、生畑のトウモロコシ、花背のトマト、和紙張りの台、イギリスの子供椅子、アメリカのスリップウェア、柳宗理とインドのカトラリー、櫻井智子さんの型染手ぬぐい、自作の黄釉ティーポットと藁灰釉と白釉のカップ&ソーサー、ビタクラフト鍋、EPIガスコンロ
2008.08.24
五条坂の陶器まつりも終わりました。炎天下と排気ガスに人込み、そして今年はほぼ毎日のように夕方か夜に一時間ほどでしょうか雨が降りましてなかなか大変でした。 しかしあれだけたくさんの作陶家のやきものがあるなかで、それほど多くはないとは言うもののぼくのものの前で立ち止まって手に取って下さる方があるのはありがたくも不思議なことのような気がします。去年やはり同じ場所に出していたので何かお求めいただいた方で今年も何か、とお立ち寄り下さった方も何人かはあってこれは一年間家庭で使ったうえで一応の及第点をいただいたようで安心しました。陶器というのはぼくの実感では轆轤して窯から出て来て完成ということではなく、どこかの食卓で用いられていつか釉薬は擦れて艶を失い、土が染みになったりあるいは縁が少し欠けたりしてこそのものだと思うので、そういう方とは制作の後半の仕上げをおまかせしているある意味では器を作る共作者という気もして、暑く落ち着かない場所なのであまりゆっくりとは行かないもののそれでも一年ぶりにお話出来たのもうれしいことでした。 またこのブログを見て旧知の友人なども訪ねてくれたり、また他の誰かにお話しして下さってその方が声を掛けて下さったりそういうこともうれしいことだし、まわりに出している作陶家仲間も何かと不慣れでひとりで困っているぼくに親切な気遣いをしてくれたのも感激した。また最終日の片付けに遅くまで付き合ってくれたMさんにもいつもながらお世話をお掛けした。 なかなかご縁の結ばれることのない窯の中で色やかたちが上手く行かなかったものや窯傷のものなどの働き場所が見つかるのも陶器まつりのような場ならではのことでありがたいです。 多くの人が手に取り使いたいと思う器というのはそのこと自体がその器の社会性があるということを表しているわけで非常に立派なことですがぼくの器は残念ながらそうではないのです。が、しかしだから社会性が無いのかといえばそういうことではなく様々な点で現状に受け入れられにくいものではあるとしても、かくあって欲しい、あらねばならないという理念を呈示する仕事というのはやはりまた必要だとは思っているのです。つまりは現状の社会を動かす政治家だけではなく、別のところでは坊さんも行者もいらないとは思っていないというふうな意味です。滝に打たれたり山道を歩き廻っている行者には少しも生産的な点はないとしても、それでも誰かが彼を支えている。そういうことは確かに必要とされているのです。 手仕事の残した品物の命脈は長くてもその仕事それ自体は人と共にしか存在しません。例えば土を掘るところからかたちして釉を掛けて窯で焼くところまでの方法や技術というのは数千年の連綿と続いた伝統が裏打ちするものではありますがいったん途絶えてしまえば儚いものです。未来永劫意味の無いものならばそれでもかまわないのだろうとは思うのですが、ぼくが見るかぎりうつくしい陶器はどういうところから生れてきたのかということを考えればなんとか誰かが守らなければならない仕事というのがあるような気がします。趣味的な美術工芸ではなく、もっと切羽つまった実用工芸の仕事がうつくしいものになって欲しいというのがやきものを愛する自分の願いです。
2008.08.11
今年もまた京都五條坂の陶器祭に参加しています。お近くにお出での方はお立ち寄り下さい。B品などの特価ものとその他は白釉の物やスリップウェアなどいつもの仕事の中からいろいろを持って行ってます。期間は例年通りの7日から11日までで9-23時までです。参加のスタンスも場所などの詳細情報も去年と同じなので去年の記事を参照して下さい。テントと言うか?小屋と言うか?の設営を今日すませたのですが炎天下で大汗をかいたあと夕方からは雷を伴う激しい雨で、靴や服もべちゃべちゃで気持ちが悪いことになったが、気分はこういうのは気持ちがよいものの作業ははかどらず。まわりのメンバーもだいたいのひとは1年ぶりで懐かしい。あいかわらず一年は長くてもっと久しぶりのような気がした。
2008.08.06
朝市に行けばいきいきと生命感にあふれたいろいろな夏野菜が並んでいます。そして自家の畑でもナスやトウガラシが収穫出来るようになりました。レタスも時々外側の葉っぱを数枚づつ採って食べています。タマネギとニンニクを炒めてトマトソースを作り、茹でたフジッリとあわせて器にいれたものにオリーブオイルあえたナスとチーズを乗せてオーブンで焼いたもの。うつわはこれも一種のスリップウェアの仲間でデボンで作られたものだそうです。夏野菜のオーブン料理にはこういううつわが似合いますね。
2008.08.01
南あわじ市淡路人形浄瑠璃資料館にて6月1日より7月31日まで開かれていた「仲野 文コレクション・藤井佐知 陶の仕事」展を見に行った。 藤井先生の御作はそれまで数点しか見たことはなかったがそのどれもが隅々まで神経が通って生命感にあふれた楽しいものであり、また確かな骨格を持っていながらおおらかなかたちとともに大変印象的なもので、藤井佐知という名前はぼくの中では特別なものとして記憶していた。もっと多くのものを見たい、どこかでまとめて御作が見たいと念じながらも20年間その機会は訪れなかった。 日本のスリップウェアとして最も重要なのはバーナード・リーチ、濱田庄司、河井寛次郎がその先駆けとして手がけた一連の作の他には出雲の舩木道忠、倉敷の武内晴二郎、そして淡路の藤井佐知さんによるもので、なかでも舩木、藤井両先生のお仕事はその生涯のお仕事の中心にスリップウェアがあってしかもそれがみずみずしい日本のやきものとして表現されているところに大変な意味があると思い尊敬していた。 藤井先生には以前に大阪の民芸館でも偶然に出くわしたことがあって少しお話させていただく機会があったし、またたぶんこちらが後だったような気がするが自分が国画会に出して会場の当番だった時にもお目にかかりもした。親切で暖かくて同時に上品で凛とした空気を感じたがやはり随分御高齢で腰は深く曲がってもう陶器作りの仕事はしんどいのではないかという気がした。 最近もやはりスリップウェアを仲立ちとした御縁のある方と会うたびに藤井先生の話をして、一度お話を聞きに行けないだろうかと計画して、また先生ともお付き合いのあったある別の方に御紹介戴けないかと相談してみたりもしたのだがやはり御高齢でご負担だろうとの返事をいただいて何年か遅すぎたことを残念に思っていたのだった。 そんな折り先生の地元淡路で長年のお付き合いの中でコレクションされてきたものの展覧会が開かれるということを知った。これを知ったのはもう会期も残り少ない時期ではあったがこの機会は逃すことなく何としてでも行かねばならないという思いもあって丹波篠山の作陶家平山元康さんを誘って出掛けたのである。 早朝に出発して午前も早いうちに別の用事を済ませたあと昼頃に淡路に渡った。海と山とに挟まれた気持ちの良い道を走って会場に着いた。会場はそれほど広くはなかったがそれでもたくさんの品が並んでいた。全ては長年憧れて過ぎるほどに期待していたそれ以上のものだった。ものがどう良いかなどということは文章に出来るものではないが、あるいは陶器の技術者として詳細に観察して、またあるいはただ作品の世界に遊ばせてもらいながら、打たれ切った二人は夕方近くまで長い間会場で過ごした。 いまネットで調べても藤井佐知という作陶家についての情報は多くはない。濱田庄司門下の民藝派の作家として一部では認知されてはいるがどういう訳かまとまった図録や資料や公的コレクションも無いように思われる。濱田門下には高名な作家もあるがその誰よりも冴えた藤井先生のお仕事は未だ正当な評価はされていないのだというのが事実で、埋もれてはならないものが埋もれてしまうというのはほんとうに大きな損失だが、今この時期に長年のコレクションを公開された仲野文さんにも会場でお目にかかれたのだがほんとうに得がたい良い機会を作っていただいて有難い気持ちがした。 いつか藤井先生の御作をひとつでも手元に置いてみたいのと同時に、なにか自分に出来ることがあればしたいという気持ちになった。今回たくさんの御作を見て改めてはっきりわかったのだが、藤井佐知は日本の最も重要な作陶家のひとりであると確信した。これほどの仕事を残したひとは実際数えるほどしかいない。
2008.07.29
マリアージュ フレールのアールグレイ フレンチ ブルーという紅茶です。ほんとうに上質の茶葉を用いているのでしょう。すっきりとして全く雑味も嫌な渋味もないとっても美味しいお茶にベルガモットの素晴らしい香りがします。そして目にもうつくしいのはブルーエという花が入れられていることです。この深い青の色からフレンチ ブルーという名前が付けられたのではないかと思います。このうつくしくも美味しいお茶はある方がアールグレイ好きのぼくのために贈ってくれました。自分の日常にはいかにも上等すぎるような気がするのですが少しづつ大切に楽しんでいます。ありがとうございます
2008.07.28
いよいよ夏も真っ盛りで暑い毎日が続いているが、ここ数日炎天下で外の作業をしていたら身体もすっかり疲れ果てて気持ちまでぐったりとしてしまった。地元のゾンネ・ウント・グリュックというお気に入りのパン屋さんに時々行くのだが、ここで初めて見付けた星形のお菓子を買う。普段はライ麦を使ったドイツパンやフランスパンか食パンなどを選ぶことが多いのだがちょっと甘いお菓子が欲しくなったのです。 お菓子や料理の成型や装飾はしばしばやきものの仕事ととても似ているように思うのです。このようなカップケーキがどういう型の使い方をしているかというふうなことがふと気に掛かったりするのです。 白無地のお皿はフランスの ジアン社で1871-5に作られたものだそうで、近ごろ人気の古いオランダデルフトでなくても全くひけを取らない。器の底を見れば高台も削られており中央にはロゴマークも押されているのでああいう素朴な手仕事よりは余程変化してはいるがその確かなかたちと釉薬のうつくしさはむしろデルフト以上に好きな感じだったのでよろこんで求めた。雑誌か何かでフランスのお皿としてこんな感じのものが紹介されていたのを見て気になってはいたが実際にこれほどよいとは思い掛けないことだった。 普段使い用にと思って二枚求めたのだがもう一方は1886-1938までのわりに長い期間用いられたロゴが押してあり、この二枚の皿が作られた間に同じメーカーのほぼ同寸同型の無地のものであるにも関わらず様々な製陶技術上の変化が見てとれるのも面白い。第一に素地が違う、おそらくは釉薬が違う、窯詰の方法や焼きかたなども違う。これらは全く別物でありそれぞれにうつくしい。東洋のやきもの屋としては不思議な事だらけの全く別の系譜の技術の発展を見る事は大変興味深い。 こういう紋様もない白無地のものはそういう美意識に裏打ちされたものだろうとも思うが、またこれが同時代の紋様のあるものと比べればいかにも手間もコストも省いた普及品であることを感じずにはおれない。ところがそういうものが時代も文化層の違いも超えて今の日本でさえいかにも使いやすく、またただ眺めていても少しも飽きないうつくしさに恵まれているというのは不思議といえば不思議な気がする。古いほうは特にその使い込まれた風合いが無地をすでにただの無地ではなくしているのだが、こういうものを目が味わう感性というものはいかにも日本の数寄者にとっても馴染みのあるもので、茶人が朝鮮の粉引などを見る目と何も変わらない。
2008.07.23
イギリスの西南部にあるセントアイブスのバーナードリーチ工房のタンカード。リーチは自らの作品とともに職人や弟子たちとともにスタンダードウェアとしてこのような普段使いのための量産品をデザインして作り続けていました。ビールかなにかを飲む器で普通にマグカップにするには大きすぎて使わないでいたのですが、暑い日中に大汗をかきながらの仕事のときはこれにたっぷりの氷とアールグレイティーや麦茶などを入れて飲んでいます。さすがにヨーロッパ人の仕事だけあってハンドルの曲線と親指を支えるボタンが見事に決まっています。ハンドルの下部の渦巻きはいかにもリーチ好みな感じはするけれどこういうスタンダードウェアにはなくてもいいかなという気がしないでもないような気がします・・・
2008.07.19
まだひと月ほどの畑で昨日ナスがひとつとトウガラシを数本収穫した。最初に鶏糞と油かすの肥料をやったがあとは日々草を取ったり水をやったりしているだけだが、眺めていると確実に大きく生長しているのがわかる。ミニトマトとナスには生長に伴って竹の支えを立てた。ちいさな苗をいただいたのだが花が咲いて実がなりはじめるとあんがい早く大きくなるものだと驚いた。水ナスもまもなくひとつ採れそうだしトウガラシもまた数日すれば何本か採れると思う。畑はなかなかやりがいと楽しみのある仕事でこんな事ならもっと早くやるべきだったと思った。
2008.07.18
思い掛けない相手から突然声を掛けられた。思いもよらないことで答えにならない返事をしてしまって笑った。こういうのは嬉しいもんだと思った。そんなことでよろこぶとは向こうは思いもしてないと思うが自分はこういうちょっとしたことが嬉しい気がした。人にはなるべく親切にしようと思った。
2008.07.17
Clarence Whiteの命日でした。Googleで見たらやっぱり日本でもとても彼を愛している人がたくさんおられました。素晴らしく詳しいサイトもあった。あの痛ましい事件から早くも35年が経った。。。思い出す年もあったし忘れて過ぎた年もあった。1973にはぼくはまだ子供で彼のことを全く知らなかったが1983のこの日にはなんという取り返しのつかないことだという気がしたのを思い出す。その時はぼくはもうギター少年だった。実家の部屋には学校の音楽室にあるようなJ.S.Bachの肖像と並んでClarenceの大判のポスターが貼ってある。あの事故が無ければまだまだたくさんの録音を残したに違いないのに。。。
2008.07.15
大阪日本民芸館にて3.20~7.13までの期間開催されている「インド・大地の布展」を見に行った。すでにこの展覧会には5月16日に一度行ったのだがもう一度見ておきたくてふたたび訪ねたのである。民族染織研究家の岩立広子さんが長年掛けて蒐集されたインドの絞りや刺繍やたくさんのミラーを縫い付けた衣裳は大変見応えがあるもので、また別の部屋に併設されていた濱田庄司のやきものとそしてこれはおそらくまたとは得がたい機会ではないかと思うのだが、アメリカとイギリスの古いスリップウェアが同時にそれぞれ10数点づつほども並べられていたのはスリップウェアに関心のあるものにとってはほんとうに貴重な良い機会だった。アメリカのものはぼく自身が集めたものもお預けして展示に使っていただいた。よいものは個人で所蔵して手に取りそして時には使いながら大切にするのもよいがこのように広く多くの方に公開して楽しんでいただけるのはスリップウェアというものの認知と理解を得るためにはもちろんのこと、ついつい閉鎖的になりがちな蒐集ということの社会性という点でも有意義なことで有難い機会だった。 スリップウェアはアメリカのものとイギリスのものをこうして同時に眺めて比べてみればその類似性と同時にそれぞれの違いもはっきりと見える。イギリスのものは大きいものが多く厚手でかたちも骨太で紋様も大胆ではっきりとしている。黒と黄色の対比は調子が強く鮮やかである。一方アメリカのものは紋様の線も細くてたどたどしいようなものも多く、赤茶けた地の色になじんでしまって紋様はあまり目立たないものも少なくない。かたちも浅くて小さいものが多く薄作りで、陶器としての質も焼き上がりはより柔らかくもろい印象である。 ぼくの好みからするとイギリスのもののほうが余程好きで、両方並べればへなちょこなアメリカのものは吹っ飛ばされてしまうのではないかとも想像していたが、予想外にそれ相応の存在感で対峙していたのは意外なことでもあった。現代のアメリカ文化からすればこう表現してはちょっと不似合いな感じはするが実のところこの時代のアメリカの工芸はやきものにしても家具などにしてもヨーロッパのものに比べればより渋くて実直な感じのするものが多いような気がする。これは今の目で見ても実用工芸としては好ましい性質であり、両国のスリップウェアの印象にしてもやはりそういうような感じがする。地味なアメリカのスリップウェアはなかなか好ましい。
2008.07.12
この前の石の器にしていた玄昌石の瓦はこんなかたちをしています。長年屋根の上で風雨に、あるいは雪や日光にさらされて艶を失った跡が見てとれます。それぞれに二ヶ所釘で止めるためと思われるちいさな穴が空いています。どのように重ねて葺かれていたかが想像されます。 この石瓦で葺かれた屋根の姿はさぞうつくしいことと思われますが、これを彼の地ではスレート葺きと呼ぶようです。ぼくなどはスレートといえばセメントのようなものでこしらえた屋根を想像しますが、本来はこちらが先でセメントが代用なのでしょうか。
2008.07.09
畑に動物よけの柵を作ったり肥料をまいたり少し拡張したり、そしてやきものもおもいがけず相次いでよいものが手に入っていろいろ調べ事をしたりしながら新しいかたちや釉のことなどにあれこれ思いをはせたりしながら過ごしています。これは仕事にとっての栄養のようなものでしっかり食べて少しでもよいものを作りたいものだと念じています。伝統に守られた産地や家で仕事を繋ぐ人はそれはそれですが、そうではないところで仕事をしている自分のようなものは意識的に貪欲に吸収し続けなければ仕事は途端に薄っぺらで根っこの浅いものになってしまうでしょう。ここにひとつのうつくしい品物があるとして、それを写して安直に再現しようとすることの中にもその追体験にはたくさんの学びと発見がありまた工夫も必要でしょう。中にはそのままの姿で作ったほうがよいというものも少なからずあり、これはこれで否定すべきものではないと思っています。しかしより肝心なのは長い時間をかけて身に付いた後に生の姿ではなくまた別のなにものかとなって出てくるというふうなものではないかと思います。例えばイギリスの古いスリップウェアのうつくしさにあまりに魅かれて作っている自分のスリップウェアはまだまだイギリスの古典が生で出すぎていると思っています。民族が違う、時代が違う、原料が違う、工程が違う、そして使用する側の暮らしもあるいは用途も違う。と、こういう事情の中で仕事する以上はほんとうは今だからこそというものが生れてきていいはずなんです。たとえスリップウェアのうつくしさは時代も民族も越えて普遍的であるとしても、その具体的な姿は何処かでまた違ったものになりえるのではないかとそういう気がするわけです。 京都の街中よりもよほど涼しいはずの生畑でもやはり日中は暑くて動くと大汗をかきます。アールグレイが好きなので、日に何度か氷をたくさん入れた大ぶりのカップに濃い目にいれたものを注いでアイスティーで楽しんでいます。 畑の野菜は確実に日々生長しています。螢は少なくなったとはいえまだまだ飛んでいます。今年の梅雨は早くもすんでしまったのかという気がするほどしばらく雨が降りません。空梅雨を今までは喜んでいましたが、勝手なもので畑を少しでもしているとやはりこの時期には雨が降ったほうがいいのではないかという気がします。
2008.07.03
京都のお菓子屋さんに平安殿という古いお店があるが、これはここのサブレー。実家とは多少の御縁もあったここのサブレーは子供のころから馴染みがあって好きだった。先日いただいて久しぶりに味わって懐かしかった。むろん子供のころにはこれが何のかたちをしているのかなど知らなかったし、包装の文字が富本憲吉の筆によるものだとももちろん知らなかった。今見ればあの不器用で実直な富本憲吉の独特な文字に心が魅かれる。 その味もさることながら鴟尾(しび)の姿をしたサブレーは和洋両方の菓子を作る京都のお店だからこそのような気がする。鴟尾というのは飛鳥時代に大陸か半島から瓦の技術が伝わってきた時に同時に伝わった装飾で寺院などの屋根の棟の両端に見られるものである。和菓子の世界では何かの姿を模したものを作るのは常道であるが案外洋菓子には少ないのではないだろうかとも思う。和菓子に限らず様々なかたちでの模倣は本歌取りということで日本の伝統的な文化の中ではしばしば行われてきたことで、それは和歌であれ茶であれ絵画であれ極めて創造的な文化の継承にとって欠くことは出来ない要素であったと思う。本歌取りは古典に対する知識と共に確かな技術がなければ成り立たないもので、このようにして過去の偉大な技術と知識が絶えず新鮮なものとして今に生き続けてきたのはなかなか興味深い有様ではないかという気がするのである。 サブレーは瓦屋根の装飾ではあるがこの器は屋根瓦そのものである。瓦といえばやきものの瓦があたりまえだが、これは東北地方で使われていた玄昌石という石の瓦である。石の瓦ならこの前益子に行った時にもしばしば見かけたが栃木県の大谷石などが有名であるが、これはどっしりとした量感の大谷石の瓦よりも余程薄くてその質も堅そうに思われる。切って研ぎ出したとは思えないのでおそらくは石の目に沿って薄く割れるのではないかと思うが使い方も加工のしかたもどういうものなのか詳しくはわからない。ただ鉛筆の芯のように真っ黒でつやのないこの風合いは石として見てもまた板としてみてもたいへん美しいものであるから使い方を工夫すればいろいろと用途は拡がるのではないかと思う。器として見ればサブレーでもいいのだが、例えば夏の暑い時期に蕨餅や葛饅頭など半透明の冷たいお菓子を器ごと冷やして乗せればよさそうな気がする。
2008.06.24
数日前からいよいよ梅雨らしくなってきて雨が続いている。昨日はひどく蒸し暑い一日だった。霧に螢が滲んでいる。畑に植えたのは買って来た水茄子とミニトマトの苗といただいた茄子とレタスと唐辛子と玉蜀黍の苗だがたくさんの雨の恵みを受けてしっかりと根付いたようで日々成長しているのは頼もしい。今朝雨の止んでいる間にアスパラガスの種を蒔いた。
2008.06.22
家の側で薪小屋に借りているのは以前に畑だった土地で、ここに少しだけ何か植えてみようと思って耕した。何年も使われていなかったのですでに畝は無く、土は固まり雑草に覆われているので一仕事なのだがスコップと鍬で数メートルのほんの一畝だけ作った。ほんとうに畑をしているひとからすれば作ったといえるようなものでは決してない。 畑仕事に学ぶものは少なくないということは頭ではわかり切っていることのつもりでいたが、実際にやるには生畑では鹿や猪除けの柵やネット無しではどうにも成り立たない。実際に以前少し試した時にはヘチマとゴーヤだけは大丈夫だったが黒豆やカボチャやジャガイモはことごとく動物に食べられてしまった。他にも数日留守にすることもしばしばあるので手入れが出来ないとか、自分が食べる程のものはたかだかしれているのでわざわざ作る程ではないなどということを理由にして今まで手付かずでいたのだが、思い立ってとうとうやってみる気になったのだ。頭で考えればわかるということをあえて実際に身体でやってみるというのは案外よいことのような気がする。やってみてこそわかるということもあるかもしれないし、またやってみたとしてもわからないことだってそれ以上にあるはずである。わからないことをわかるために努めるのも立派なことだが、わからないことをそのままに受け入れることもまた消極的な態度だとばかりは言えないと思う。 これは誰だってそうだが短い限られた生命の時間を自分の嫌いなことに費やすことや、自分でも好きになれないような自分でいることはもったいないことのような気がする。自分好みの自分を作り、自分の好きなひととものとにたくさん出会いたい。無駄を何かに昇華出来る力量を持っているひとはまた別だろうが、普通の場合はつまらない物事にかかわりあっているひまなんか無い。食べるものを作り、身の回りのものを作り、消費よりは生産に努め、なるべく小さな経済を個人でも国でも回すようにしたい。少しでもたくさんお金をかき集めて贅沢したいというような考えはどうしても浅ましいもののように思えてならない。
2008.06.16
ようやく生畑にも携帯電話のアンテナが立ったのが5,6年くらい前でそれからまた数年して自分もようやく2005年の秋から携帯を使うようになりました。まわりの知人にDoCoMoが多かったのでDoCoMoのいちばん小型の機種にしたのです。その時はまだここはFOMAの圏外でMOVAのみだったのですがその後このあたりでもFOMAが使えるようになり今年の2月にカメラ機能のよさそうなSO-905icsに換えてそれなりに便利に使っています。カメラとしては操作性も画質ももの足りないものですが、それでもちょっとした記録の写真には充分だという気がするという程度のものでこの携帯からここのブログにも先月は益子や大阪からたくさんの写真をアップしました。 このブログももともとは文章にときどきは写真を添えて、というスタイルではじめたものですが、カメラで撮ったものをMacに取り込んでリサイズした後アップするというのに比べて外からでも気軽に撮った写真をその場ですぐにアップ出来るというのは全く別次元の便利さでとても楽しみました。これをやるにはパケホーダイの契約が必須ですのでそのコストの問題はありますが。 それはともかくとして、日本ではiPhoneとの契約に成功したのはSoftbankでした。まだ新しいこの携帯ではありますがこうなったからにはSoftbankに変えたいような気になって困ります。Softbankというのは正直なところどうも自分の中ではあまりイメージのよくない企業だったのですが(といっていかにも保守的なDoCoMoが好きというわけではありません)それでもそんな気になりました。もったいないので実際にはたぶん変えないと思いますが、これは何かが大きく変るでしょう。ネットやケイタイの普及がそうであったようにiPhoneもまた人びとのライフスタイルが変るきっかけであるような気がします。こういうことは人間の念願であったテレパシーのテクノロジーによる獲得に違いないのです。田舎で陶器を作っているような仕事には早期には特別な変化はないのでしょうが、これに対応したたくさんのアプリケーションやシステムなどが発展して飛躍的に便利になるのでしょう。こういうことを考えるとこれはただ新しいメーカーが参入したとか新型の機種が出たとかいうことではない内容のような気がするのです。
2008.06.10
気持ちはあれこれいろんなことに絶えずかきたてられて追いたてられているような感じが無くもないのですが、それでも実際にはわりあい時間はゆったりと流れています。ところが3月ごろからいよいよ仕事に追われ4月の頭にようやく遅れ遅れになっていた窯を焚いて以後ずっとゆっくりする間も無く慌ただしい日々を過ごしていました。こういう期間も有意義で大切なことには違いないのですがこのままでは身体は疲れを溜めて気持ちは消耗してしまいます。 いろんな人とやりとりしたメールとともに自分にとっての自分の記録としても機能しているこのブログに書き残したいこともそのままに過ぎていました。益子で見た様々なことはたくさんの画像をアップしましたが反面じっくりと文字に残す機会を得ることは出来ませんでした。はじめてのそして念願の益子行きは会いたかった人にも会うことが出来、ほかにもいろいろな出会いもあり、多くの人に親切にもしていただき、ほんとうに楽しく有意義なものだったという気がします。いろんな人と出会いたくさんの話をして学んだことや感じたこと考えたことがいろいろありました。益子のことは機会があればまたいつか書いておきたいと思っています。 伸び放題に伸びていた家まわりの草を刈り、また薪を運んで、長らくお待たせしていた納品もすませてようやく少しゆっくりしています。後は薪もう少しと、雑然と荒れた家の中の掃除と整理、そして会うべき人に会いいくつかの約束を果たすこと。以下は記憶のためのメモ4/1-27 美山かやぶき美術館展krd1-3 窯焚きttm、tkd5 窯出し 8-13 草萠舎展11 znry15 奈良薪ued、ysd24 sskr26-5/6 益子陶器市tti30 hnc5 岩倉ued邸7 東京srym8 土岐ttmt16 大阪民芸館msrn20 4甕kn21-27 梅田阪急orn、hrym25 天神さんngsw、kn29 塩釉krht30 縄文tkd、hrym
2008.06.04
このような地味で小さくて目立たない花があのようなたっぷりと充実した実になるとはなんという不思議なことでしょう。秋の侘びた景色の中で柿の実は鮮やかに色彩を際立たせています。
2008.05.31
カップのハンドルですが友人に頼んでいたもの
2008.05.30
カップはエンボス加工で普通より熱の伝わりかたも穏やかなやや厚手のもので、それは納得のゆくものなのだがこのキャップがわからない。矢印の部分を上にはねあげて四角い飲み口から飲めということだろうが、これが心象的にも口当たりからもどうにも感心しない。こんなものいらないと思うが、カウンターで受け取って席に運ぶまでこぼしにくいのと冷めにくいことだろうか。そう言えばマックフルーリーに付いているスプーンはこれどころではない。先日梅田のお店で見たときはほんとうに目を疑った。ここまでひどいデザインもめったにないと思うがこれを平気で使っているのがマクドナルド程の大企業だというのも信じられないことだ。それともあの醜いスプーンのかたちには何か機能の上でどうにも譲ることが出来ない意味でもあるのだろうか?店舗や制服や広告と比べてもマクドナルドの商品パッケージ関係のデザインはいかにもお粗末過ぎないか、と思う。エビちゃんがんばれ!
2008.05.28
ちょっと会って話してみたい人があったのだが今日は彼はそこにはいなかった 道ばたには黄色い花
2008.05.28
やはずすすき、しらいとそう、おおやまれんげ
2008.05.28
生畑とはまるで違う大阪梅田の夜景。 来年、あるいは数年先にぐるっとひとまわりしてまたここに戻ってくるのでしょうか、というような象徴的な意味がありそうな写真ですが、そういう意図は更々なくまたそんな感慨もありません。ただ赤くてきれいだと思っただけです。 それはそうと今回二人展にお越しくださった皆様、また何かお話しさせていただいたり陶器を通じて結縁した方々に感謝します。和ダイニングや美術画廊のスタッフのみなさまにも大変お世話になり、よくしていただいたことも心に残りました。ありがとうございました。 梅田の阪急百貨店は西日本一の集客数だと聞いて高島屋などもあるのにとちょっと意外に思ったのですがこういうよいスタッフがあればそれもいかにもという気がします。
2008.05.27
2008.05.27
あっ、写メの添付を忘れてた… かわいいものが見えるわけないね。
2008.05.27
今日みたいな天気のいい日は、電車に乗って通勤しているひとはどこか遠くへ行きたくなるだろうな、という気がする。線路は案外つながっているロマンチックなものでいつもの駅とは違う知らない駅に、初めての駅に降りてみたくなるにちがいない。 窓から外を眺めていたら、目に飛び込んでくるのはものすごい生命感そのもので、山や川や家やビルや自動車や田んぼや工事現場や、そしてたくさんの人たちのすがたや鳥たちやネコ。全ては光に包まれて輝いている。こんなものを見せられては誰だって心が沸かないでは居れない。この中に飛び込みたいと思うのはあたりまえだ。
2008.05.27
なにかかわいいものが見えるかな?
2008.05.27
2008.05.27
電車のシート
2008.05.26
電車の窓のブラインド
2008.05.26
2008.05.25
2008.05.25
以前にこれを紹介した後もあらゆる機会にほんとうにたくさんの方に見ていただいた藁灰釉のこの小皿ですがやはり手に取って見てはいただくもののなかなかどなたともご縁は繋がらないでいたのですがついに昨日若い女性のお客様に他のものと合わせてひとつ選んでいただくことが出来ました!すばらしい!! ありがたい!!!自分としては珍しく非常にうまく仕上がったという気がしていたものですから身近ないろんな方に何かの折りに贈ったりしていたら先日またこれを押し付けようとしたら「それ、以前にくれたじゃないですか」などと言われてしまいました(苦笑)高台を削り出さないベタ底の小さな小皿の話です。
2008.05.24
2008.05.23
2008.05.23
2008.05.23
2008.05.23
2008.05.23
2008.05.23
2008.05.23
21日より27日までの一週間のあいだ大阪梅田にある阪急百貨店9Fの和食器売り場の一角で丹波篠山の作陶家である平山元康さんの御作とともに二人展コーナーを設けていただいています。会期中は会場にも正午から閉店時間までは基本的にいる予定です。久しぶりに都会の通勤生活を楽しみます。同売り場は他には沖縄の読谷村の北窯の作など。 美山かやぶき美術館、ギャラリーアール、益子陶器市、京都民藝協会の蚤の市で春の予定は一区切りのつもりでいましたがさらにもうひとつ、珍しく慌ただしく過ごしています。 初日行って見るまではどのような状況のどういう企画なのか今一つよくわかっていなかったのですが丹波立杭焼の窯で学んで独立した二人を合わせた二人展とのことでしたので、昨日の案内を少々手直しして再掲しました。
2008.05.22
2008.05.21
2008.05.21
今日から一週間のあいだ大阪梅田にある阪急百貨店9Fの和食器売り場の一角で丹波篠山の作陶家である平山元康さんの御作とともにコーナーを設けて預かっていただいています。会場にもふたりかあるいはどちらかひとりはいる予定です。久しぶりに都会で通勤生活を楽しみます。他には沖縄の読谷村の北窯の作など。 美山かやぶき美術館、ギャラリーアール、益子陶器市、京都民藝協会の蚤の市で春の予定は一区切りのつもりでいましたがさらにもうひとつ、珍しく慌ただしく過ごしています。
2008.05.21
2008.05.20
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