存在の不確実性



「存在の不確実性」という言葉を御存知でしょうか。誰だか忘れましたが、どこかの哲学者が言っていた仮説です。

例えば、あなたがテーブルの上にリンゴがあるのを見たとします。次に、テーブルに背を向けてリンゴが見えない状態になった時、そのリンゴが今そこにあるのかどうか、また自分が見たリンゴが実際にテーブルの上にあったのかどうか、あなたは証明できるでしょうか。

そのような問い掛けに対し、そこで振り向いてリンゴの存在を確認し、「ほら、あるじゃない!?」と言うのは簡単です。ただし、リンゴが無くなっていたら、あなたはいよいよ混乱するはずです。あなたが見たリンゴは「実在」したのかどうか??? あなたが夢を見ていたんでしょうか、あるいは誰かがテーブルの陰に隠れていて、後ろを向いている間にリンゴを取ってしまったのでしょうか。

別の見方をすると、あなたは確かにリンゴを見ましたので、リンゴは実在したはずだと確信しています。ところが、他の人間にそれが見えていたかどうか、断言できるでしょうか。1回目に見た時、他の人間も同時に見ていた場合、その人が「自分も見た」と言えば、恐らく実在したのでしょう。あなたもホッと胸を撫で下ろします。しかし、「自分はリンゴを見ていない」と言われてしまったら、あなたはそれが「実在」したかどうか、どうやって証明しますか? 不可能です。・・・これに関わる人数が増えても同じ事です。「あった」と言う人と「無かった」と言う人、どちらが正しいのかは、多数決の問題ではなく(それは確率論にしか過ぎません)、証明する方法はありません。

このように、我々が生活している(と思っている?!)この時空において、そこにある物(全てに当てはまります)が存在する事を誰かが証明するという事は、ある意味ナンセンスであり、その物の「存在」は数多くの人が「存在する」という「共通認識」を持っている事のみによって成り立つ、非常に不確かなものだという事が言えるのです。

この辺の話は、映画「マトリックス」を観た人なら、その中で「現実とは何だ?!」と主人公が問い詰められて答えられない場面に象徴的に描かれていたので、ピンと来るはずです。原作者もこの「存在の不確実性」を映画の主題に盛り込んでいるな、と思いました。あなたも、今、自分の手を見て下さい。あなた自身は「実在」するのでしょうか??

前置きが長くなりましたが、この後別項で述べる(予定)の、 地球外生命体の話 、ユーレイの話等も、こういう哲学的な論議とは別に、「見た」という人が本当にそれを見たのか見ていないのか、またそれが存在したのかしなかったのかは、誰にも証明はできないという事です。また、本人も実際に「見た」物が実在したのかどうかは、客観的な証拠があり、総合的な分析によってそれが別のものであると証明できない場合にやっと、自分自身の見た物が「何であるか分からない」という所にたどり着けるのであって、それがUFOだとかユーレイだとかに直結させるのは余りに短絡的だという事を理解せずに軽々しく言いふらすので、それらを「信じない」人々からすると、その度に「いよいよ怪しい話だ。存在する訳が無い。」というこれまた短絡的な思い込みを増長させる事にしかならず、この種の話をややこしくする原因になってしまうのです。

その辺は各項で詳しく述べるとしてとにかく、「存在する」という事自体をゆっくり顧みる事により、世の中の見え方もいくらかは客観的になれる事は間違い無い(他の項で主観バリバリの事を書いておきながら、スミマセン)と思うので、一度お試し下さい。

平成14年12月23日

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