喜久蔵blog

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十一章:第二のママ



中南米出身で、大富豪のお嬢様である。

家族はみんな輝かしい実績をもつ。

話を聞く限りまさに名家だ。

中南米で英語を話せる人はごく限られているなかで
英語が話せたソニアは学生時代アメリカへ渡った。

そこで日本から留学で来ていたアキさんと出会い結婚することになった。

二人のアメリカ生活はとても貧乏だったという。


その後二人は日本で住んだ。

当時(20年ほど前?)の日本はまだまだ外国人が珍しがられた時代で
ソニアは差別されてるように感じてとてもつらかったという。

日本語もまったくわからなかった。

母国はもちろん、アメリカの文化とも大きくかけ離れた日本の文化になじめなかった。

今ではカリスマ経営者であるアキさんの仕事もはじめからバリバリだったわけではなかったらしい。

支えになったのは二人の子供だとソニアは今でもよく話す。

そしてソニアは一生懸命子供を育てながらワンウェイの開店に携わることになる。


ワンウェイははじめ5人くらいの外国人による共同出資で始まったときいている。

場所は現在"まんだらけ福岡店"の建つビルの裏にあるその名も"シュモンビル"だった。

当時(15年くらい前?)の福岡では珍しいインターナショナルバーで、芸能人も訪れるほど流行ったらしい。

曜日によってレゲエやヒップホップ、ロックを流していて外国人のたくさんいるお店だ。

ソニアがDJするラテンの日もあった。

数年が経ち、みんなの意見が合わなくなり、それぞれ個人で店を出し始めたようだ。

その後ワンウェイに残ったのはソニアだけ。


その後、店を親不孝に移し、その移転パーティで僕はワンウェイと運命の出会いを果たした。




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