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ojisan175 @ Re[1]:『根もとっておかないと』&『トンボ獲った』(08/18) 銀色の手紙さんへ お忙しいのに、励ましの…
銀色の手紙@ Re:『根もとっておかないと』&『トンボ獲った』(08/18) お暑うございます。 ごぶさたしております…
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銀色の手紙@ Re:『タンパク質摂取は大変……』&『集団移動待機中か……』(02/05) 時々にしかコメントできずに、しかも中途…
ojisan175 @ Re[1]:『お札を置きに……』&『メジロの観察……』(01/12) 銀色の手紙さんなら別の加工方法もおあり…
銀色の手紙@ Re:『お札を置きに……』&『メジロの観察……』(01/12) 小鳥と柿のお話、興味深く拝見させていた…
2021.02.06
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カテゴリ: 寺社
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ 東海七福神で未訪問だった品川神社・養願寺・一心寺の3寺社と周辺を歩いた1月31日……今年初のロングウォークはいささか疲れた。


 以前は目黒川沿いに歩いたけど、この日は山手通りで大崎へ……立派なビルが立ち並んでいた。夏場は良いけど、冬の水は寒い。酔っぱらってたら落ちるよ~


 FREE Wi-Fiだって……本当に使えるか、携帯を見たら FREEの文字。


 ありがたいけど、こんな所で休んでいる暇はなかった。最近、携帯のバッテリー低下が気になっていたから余計なものは撮らないようにしていたけど、この日は予感的中。帰路で足りなくなりました。


 居木橋(いるきばし)交差点……左から右へ目黒川が流れていきます。前回ここを通過したのは​ 2018年10月 ​だった。時の経つのは早いな~





 春雨寺(しゅんぬじ・俗称:はるさめでら)……見上げるとシャッターが下りていた。ひょっとしたら? と上ってみたら、脇から人一人通れました。


 階段を上って左に参道……寺務所と講堂の入口が右に


 如来堂……このお堂がこの寺の本堂。『多くの檀信徒が戦争で家や職を失い、郷里に帰ってしまった結果、檀家が激減。寺の運営の形も自ずと変化。法事に寄る人の数も20名を超すことが無くなったことが理由で本堂の規模は実質的に椅子式20名とされた。』(同寺HPより)……我が家祖先の法事も10人を超すことはなくなりました。


 扁額……『江戸の時代、品川宿の十余の塔頭を擁した東海禅寺の内にあって春雨庵(しゅんぬあん)と呼ばれていた寺院であり、とり分け、第三将軍徳川家光から東海禅寺の開山に迎えられた沢庵和尚には縁りの深い寺院である。』(同寺HPより)
 東海寺は、以前川沿いから眺めただけだったので、この後お寄りしました。



 厨子に納められているのが御本尊でしょう。
『先々代住職のとき、昭和23年(1948年)、宗教法人法施行を期に大徳寺を離れ、単立(たんりゅう)寺院となる。以来、何れの宗派にも属さず、先々代・先代住職の宗教理念、仏教解釈に基づいて単立を堅持し、世襲で今日に至っている。』
 かつては臨済宗大徳寺派のお寺だったんですね。大本への寄付金やお布施が大変だったんでしょう。
 ※ 同寺HPでは「
単立(たんりゅう) 」とのフリガナでしたが、「たんりつ」とも呼ぶらしい。


 本堂の裏側に失礼して……


 大山墓地……管理は、かつては東海禅寺の塔頭の一つであった東海寺がされているようです。東海道新幹線は何十回も乗ったけど、まったく気付きませんでした。一瞬だものね~


 夢塔……『壇信徒には経済的負担を一切掛けないと云う計画に従って、一部境内地を処分し、10年余の準備期間と2年の工期を費やして、平成4年(1992年)、現在の施設が落慶した。』とのことなので、その際に建てられたのでしょう。


 同寺は、沢庵和尚の絶筆とされる『夢』一文字の書( 東京都指定有形文化財 )を所蔵しているという。夢の字はその写しかもしれません。当地に沢庵和尚のお墓がありますが、ウロウロしたくなかったので手も合わせず失礼しました。
 寛永15年(1638年)に名僧沢庵のためにと、三代将軍徳川家光が東海寺を創建したのだから、こちらに眠っていても当然です。


 西村勝三のお墓……文明開化の幕が開いた明治3(1870年)、西洋式の革靴が日本で初めて作られたと。靴業界の先駆者の一人であるのが西村勝三氏。ちなみに氏が明治3年に築地入船町に「伊勢勝造靴場」を開設した日=「 3月15日 」を東京靴同業組合は「靴の記念日」と制定したと。
 この後立ち止まる「官営品川硝子製造所跡」でも勝三氏の名前が……



 左の東海道新幹線・山手線と、右の東海道線が合流する三角地帯の先端に……


 井上勝(まさる)のお墓……「鉄道記念物」って何?
 明治初期から鉄道敷設を指揮し、逢坂山トンネルを完成させるという快挙を成し遂げた。明治23年(1890年)9月には鉄道庁長官となり、明治29年(1896年)には汽車製造合資会社を興して社長になるなど、鉄道事業による日本の近代化に尽力した人でした。「鉄道の父」と呼ばれるそうで、「東京駅前に銅像が建立された」ともあるけど、どこにあるのかしら?
 ※ 逢坂山(
おうさかやま )トンネル=滋賀県(大津市)と京都府(京都市山科区)の間にあるトンネルで、 始めて 日本人技術者だけで造り明治13年(1880年)6月28日に完成された。


 正二位勲一等子爵……奥様と御子息のお名前も刻まれてます。
 幕末から明治にかけて武士から官僚への転換は容易じゃなかったでしょう。西村氏も井上氏も「勝」の字が使われていました。


 井上勝氏と向き合うように……島倉千代子さんのお墓。
 墓地の後方は島倉さんの母校・品川学園。北品川で生まれ育った地元の歌姫だが、亡くなるずっと以前から「お墓にしよう」と、このモニュメントを購入して自宅玄関に置いていたと……


 合掌……大きな黒御影石の「こころ」と 彫り込まれた字は 自筆らしい。
 左の「音の門」には、「流1998」とある。流政之=『世界的彫刻家 流政之は1923年生まれ。刀鍛冶、装丁家、零戦パイロットなどの経歴をもち、彫刻だけにとどまらず作庭や陶芸、家具デザインなど、多彩な造形においても独自の技法やスタイルを確立した作家でした。(NAGARE STUDIOより)』


からたちの小径   作詞:喜多條忠・南こうせつ
『なつかしいうたを 誰かがうたってる
 遠い日の思い出が よみがえる
 駅から続く からたちの小径を
 手をつなぎ 寄り添って歩いたわ
 …………
 あぁ あなたが歌ったうた 忘れはしない
 好きです いつまでも
 涙が ぽろぽろり』 ​​


 改めてご冥福をお祈り申し上げます。
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Last updated  2021.02.06 14:55:34
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