気まぐれ屋。

気まぐれ屋。

2017.03.11
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テーマ: つぶやき(14204)
カテゴリ: ヒトコトモノ


空の色も、澄んだ空気も、ダンナや同居姑のやりとりも
近所の人達の騒いでる声や話の内容も・・・・・・
ぜんぶ丸ごと忘れやしない。

家のTVが点いてから、そこに映し出されたこの世の終わりの始まりのような
見たことのない惨状に、どれだけの恐怖と哀しみを感じたことか・・・
東日本に大震災をもたらしたあの日から、今日で6年。

当日の自分を今もなお忘れられないでいるのに、
その後の私が、あの日抱いた思いをどれだけ自分への教訓や糧にできたのか

ただ、どこに居ても、誰にでも、予期せぬことは起きるのだと
人間には自分の力だけではどうにも避けられないことがあるのだと・・・・・・
だからこそ、平々凡々な毎日でも、取るに足りない出来事でも
ひとつひとつ、自分にとって何かしら意味があるのだと
ありがたく受け止めて、自分なりに向き合うようにはしている。
あの日を境に、そういう気持ちが、更に強まった気がする。

とはいえ、実際に何をがんばれたのかと振り返っても、
ここ数年の我が家に起きた事が濃厚すぎて、よく覚えていない。
記憶は確かに刻まれている。けれど、すべてがヘビーで辛すぎて
それを乗り越えるのに必死だったこと、それしか思い出したくない
というか・・・


どこにでも起きうる主に家庭内の問題だったりするから、
そんな小さいことで・・・と突っ込まれそうだが、
休みなく次々とふりかかられては、さすがにきつい。
みずみずしくまぶしい若さ溢れる頃なら、気合や気力体力に任せて
何だって跳ね返せる自信があったし、何でも来てみろ!くらいの

味わっただろう。

この歳にもなると、もう。
気持ちはあっても・・・と言いたいが、はっきり言ってそれほど
気合も入らない。枯れ始めているのは、自覚している。
ただ、あの震災から6年経って思うのは。
より一層、今まで以上に当たり前の毎日を、なんてことない出来事を
大切にしたい、と思うのだ。

当たり前って、難しい。

特別なことをしないで、“普通に生きる”ことこそ、
なかなか手に入れられないと、歳を重ねる度に思う。

私もダンナも生まれつき体が弱く、私はもう20年程、薬や通院が
欠かせない病と闘っている。だから、健康面での普通は、どんなに
医療や新薬が進歩しても、手に入らない。
だからこその、普通の大切さ。

当たり前に生きること。
今日一日、体の痛みを感じず、副作用に怯えることもなく
あくびが出る程退屈に過ごせたことへの感謝を・・・・・
“ふつう”じゃない分、しなければ。
ありがとう。ありがとう。
今日が普通でありますように。

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最終更新日  2017.03.11 14:18:19 コメント(2) | コメントを書く


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