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今新しい職場で仕事してる コロナヤバい、な ってかかってしまったら もう諦める他には仕事的には無いのだけど、も ...あのですねぇ ウチのクソジジィ←旦那 かち〜んっ‼︎って来る事ありすぎ お前は何様じゃ??? 安倍氏よりゆりっぺよりえらいのか??? 私に偉そうに言うにと思う こちとら毎日感染の恐怖に晒されて仕事してんだ、ぜ 関連から二ヶ所も陽性出たじゃんか、よ ふざける、な お前はバカか???
2020.08.12
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今月から新しい仕事に行き始めた なんだ??? この職場って なんで 早く行っても1分単位で付かない? なんで 閉店後にタイムカード押しても その分付かない??? あたしゃ パートだよ、1分単位で金くれよ 早出は基本付かないと 残業も 何かしらの理由なければ 自己申告だから付かない、と コンプライアンスとか全くないのかねぇ〜 勤務時間中に 喫煙 勤務時間中に携帯 黙認... わけが分からない ま そんな会社と 募集では知らなかったから 採用されて仕事始めたけどね 全てがおかしい職場 今日もレジ締めで 50円合わない 店長 今日レジ締め教えてくれたから こっちはなんで合わないのか??? 全く分からない のに 知りませんか??? って しらねぇ、よ お前しかレジ触ってねぇじゃんか と思った その後 日報 1円合わず... また 何でかなぁ〜と お前が消費税取らずに売ったからだろ??? と思って 軽く指摘 デンタク片手に なにやらやり始め 結局 その1円は見事に消し去られた どこに行ったやら 一緒に入った同僚 若いのに 物覚え悪過ぎ ヤツのせいで 今日もフォロー 顔合わす度 何言われてるのか??? 全然分からないんですよ、と メモ取れよ、メモ 一発で覚えられる脳みそないんなら メモ取れよ 人の努力 勝手にテメェのもんにするんじゃねぇ、よ と思った あぁ〜 イライラする ムカつく 次の更新はしないと心から思った なんだよ あの会社 ふざけるなっ‼︎
2019.11.11
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お酒とタバコ やめられない お酒 先月から減酒してた でも 言い訳なのはわかってるけど 何か 自分都合で理由つけて そんで飲んでる ...最悪
2019.09.12
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もう 半年以上前くらいかな 右の首のリンパ節に しこりを見つけた すぐに無くなると思ってて 放置 そしたら その後 また別にしこりを見つけた 右の首に でも そのうち無くなるかな?と思ってた 先月 精神科の通院 主治医に話した 精神的な病気があるから 他の病院だと 今までの事を 全部話さないといけない 精神科技ある病院じゃないと 何気に拒否される、と... 右側の乳がんをやった だから 念のために検査した方が良いと 他科に予約 入れてくれた 受診した 今月 検査 ...またか、よ もう 治療とか嫌だし 転移してたら 完治は難しいのは 分かってる 頭の中 ぐるぐる 死ぬ前には 南の島に移住したい、な ずっと思ってること ベッドに縛られて点滴の日々 もう 何度も経験してるから... 今月 結果 わかるのかな? 移住出来ますように...
2019.09.12
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乳がんが分かってから ネットで知り合った人 オフ会で会った ある方 全身に転移が分かってて 末期だと その時言ってた 彼女 編み物が得意で お守りを作ってプレゼントしてくれた 中に一言 必ず勝つ‼︎ ...あれから何年経ったのかな 彼女 まだ 好きな編み物してるのかな? ふと 思いました
2019.09.12
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あと10日後 子供の結婚式 今年は色んな事が それも嫌な事ばかり あり過ぎた 昨日もとても嫌な日だった 昼間までは楽しかったのに まるで 地球儀 180度回したみたいに すごく嫌な日になっちゃった とりあえず あと10日 頑張って過ごします その後は 分からない、な 今年も リストカットで動脈思いっきり切って 救急車に乗っちゃったし、ね そのまま 失血死してたら 気持ちはすごく楽だったんだろうなぁ 私は救急搬送されて 助かっちゃったけど 本当に死のうと思ったら がっつりリストカットは 苦しくない選択肢だと思った 個人的な見解だけど ガンをやった時 その時は 死ぬとかは考えた事なんてなかった だから 治療もちゃんとしたし でも それからかな 精神科にお世話になる様になってから 時々 リアルに現実から逃れたいと思う日が多くなって来たし 多分 自己分析だけど 今 鬱期 がっつりと突入しちゃったんだと思う なんで ブログ書いてるか??? 私が死んだら 今までの私の思い 少しだけでも知って欲しいと思ってるから それだけ...
2019.09.12
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いきなりの出来事 受け入れられない どうしたらよいのか??? 夜中 相談 こんな時間に、と 時間さえも分からないくらいに頭パニクった 俺が死ねば良いんだよ、な 保険金 入るし、な と 愛してるのに そんな言葉 キツい ツラい 電話かけた 貴方がもし 死んだら 私もすぐに後を追います、と だから 一時的な感情 抑えて欲しい 死にたいって 本気で思っても 人間って 中々死ねないんだよ、ね それ 私が1番分かってると思う
2019.09.11
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1:33 下り最終電車 疲れた
2019.07.08
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いちばん大切に思っている子 猫を子供の1人に育ててもらえないか 話しました 私1人ならどうにでもなるし 大切な猫だけ 心配 自分なんて どうでも良い 今の現実から逃れたい それだけ
2019.07.08
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先月から 怒涛の如く 色々な事がありすぎた 疲れた 人はなぜ 自分から話しておいて なのに こちらのした事 言った事 受け止めもせずに 安易に否定してくるのだろうか、と だったら 私に相談しないで欲しい 何も言わないで欲しい 自分の思う通りにして欲しい それで辛くなる 私の気持ち 分からないのならば 何も言わないで欲しい すごい疲れてる 一人でいる時だけが 1番楽だなぁ〜って思う
2019.07.08
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痩せたい 痩せたってヤツ 願望だけ 本当に痩せる気があるんなら 努力しろよ 世の中 楽して痩せたって 簡単に口にするヤツが多過ぎる ムカつく
2019.05.26
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昨日から 旦那さんのお姉さんやら その旦那達 その子供 まぁまぁ 大人数で 温泉旅行に行って来ました 最初の宴会 通常の食事の他に 刺身やら 貝類やら 盛り合わせがどど〜んと来て その上に カニ食べ放題‼︎ 飲み放題‼︎ いや かなり盛り上がりました その後 二次会 カラオケ 普段唄わない様な人も唄います ってか 曲名も歌手名も分からず 歌詞だけ言われても... でしたが(苦笑) その後 カラオケルームの終了時間 で、三次会 もう みんな 酔っ払い状態 ...そこで 事件は起きましたのです 私が息子に発した一言が原因で... 息子は言い返して来ます、いつもですが でも その時は 甥っ子 息子よりもずっと年齢的に上 その子が 私の代わりに 息子に色々と言ってくれました でも お酒が入ってからかなぁ〜 息子と甥っ子 言い合いになって マジでやばいっ‼︎と 普段なら 放置する私でさえ思いました なぜなら 甥っ子は それこそリアルに喧嘩上等の子なんです 息子が殺されかねない‼︎ 正直 そこまで思ってしまいました ...冷静に考えたら 絶対そんな事なんてないんですけど その後 息子は号泣しながら 父親と話をし 甥っ子は 私が追いかけて 私も泣きながら説得しました 彼は 自分の立場から考えて 手を出してはいけない相手だと 十分承知して なおかつ この場で騒ぎを起こしてもいけないと 察してくれたのだと思います 彼が 大人で 本当に良かったです ...余談になりますが 甥っ子とは 彼が3歳の頃から知っています、色々やらかした時の事も(笑) でも 本当に素直で良い子ってか なんだろなぁ〜 素直過ぎる??? 私は その甥っ子の事は大好きです ...その 細々とした詳細は 参加したうちのほんの数人しか知らない事です でも、ね 母親だから それは息子をかばってしまうけど... 一発位 殴ってもらった方が良かったのかとも思います 彼らの人生は まだまだこれからです 人生半ば過ぎた人間が 何か?言っても 伝わらないのかもしれませんし、ね まぁ ばぁばの戯言だと思って下さい こんな話を最後まで読んで下さった方がいらしたら 本当にありがとうございます きっと 明日は良い日になりますよ‼︎ だって こんなくっだらない話を聞いてくれる 寛容な方なんですから ありがとうございました
2017.02.22
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今日 いつもの精神科の予約日だったから 受診した 去年 9月に療養を理由に入院しました ...その後どうですか? と主治医 主治医は 元々は別の病院で担当してくれていた方 その後 主治医の転勤が決まって 別の医師が担当になったけど 相性も良くなかったのか? 後の主治医の時に自殺未遂2回 もう この人とはムリだなって思って 転院 でも やっぱりダメだったから 元の主治医のいる病院に行きました そして ずっと通ってます ...今日 受診した時に 具合はどうですか?と 聞かれたので 落ち着いて過ごしています、ただ 時々 何でかはわからないけど 手が震えて字が書けなくなるんです と 伝えました 主治医は たまにならば そんなに気にしなくても 薬の影響も考えにくいし... 最近落ち着いているのは お母さんの事が大きかったんでしょうかね? と、言いました そして 私の今までの全て 母親の事が絡んでるのではないかと... 私が発症したのは もう5、6年も前 乳がんをしてからです それは 私の診察記録を見てもわかる事なのに... 今 私はこれから主治医を変えようか?と考えています 主治医は元々は某公立大学病院に居ました 今は 公立のでは病院に居ます でも 大学病院の時と 明らかに 何か?が違うんです 何か? 具体的には 言葉では言えません でも 感じるんです、受診していて... 今の主治医に診てもらうために 色々な手続きを経て やっと診てもらえる様になりました でも 以前の様な主治医ではなくなって来ていると 少し前から感じてはいたんです 一生治らない、薬で抑えて行くしかない病気 と言われ 覚悟したものの... 何でかなぁ〜 お母さんの事があったからかなぁ〜 って しんどいし 辛いから毎月病院通ってるのに... 来月 転院 主治医に言おうと 今は思っています
2017.02.14
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9月の半ばから 双極の絡みで ずっと入院してました で 現在に至るまで 母親とは連絡をしていません 私が不在中 母親はショートステイに行ったそうです ショートステイで暴れて その日に帰らされたそうです、他の利用者さんに迷惑かけるからって... 私の姉 スナックやってます 自分の店だから 毎月の締めとか 大変なんだろうなぁ〜 っては思います 今日 姉 お客様と温泉旅館でディナーショー あるとかって 行ったらしい 帰り 夜だから 気をつけてね とメール 泊まりだからって... 客と泊まりで出かける??? 正直 びっくりだよ でも 誰にも言えないから そっとブログでつぶやいた 私も10年前 クラブで仕事してたけど 客と泊まりで どこか??? 姉の旦那にバレないようにね って思うわ そこまでしないと スナックって経営厳しいのかな? 私はクラブしか知らないから... 次に どんんな顔して 姉に会えば良いんだろう、か...
2016.12.05
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双極の鬱期に突入した のに 母親が体調不良から 緊急受診やら 救急車の要請やら... 正直 しんどい、つらい 心の奥底で 早く施設入所してくれ 死ぬ死ぬ 言ってるんなら 死んじゃえば とか思う自分がいます 冷たい娘だね、でも 貴女が産んで 貴女が育てた娘です こんな風に育ちましたよ もう 本当に 疲れたよ
2016.09.06
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...おばあちゃんが死んぢゃった 夫の お母さん 私のお義母さん でも おばあちゃんって呼んでた 死んぢゃった 寂しい もっともっと たくさん はなすことあったのに、ね 棺に たい焼きいれるから、ね
2016.07.02
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タヌキ? いえ 違います タヌキに見えるけど... にゃんこです(笑) やっと3ヶ月の赤ちゃんにゃんこ 毛がフサフサだから 大きく見えます‼︎ さてさて どんな風に成長するのかな? 楽しみでもあり ちょっとだけ 不安でもあります
2016.06.15
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昨日 丼丸の海鮮丼が凄いとブログに書きました そして ハマった 私 今日も丼丸(笑) だって 安くて美味しかったら いう事ないでしょ〜‼︎ 今日のメニューは うおがし丼にしてみました マグロ2切れ イカ3切れ ネギトロ 丼の半分?位 大量 そこに ウニとイクラ んで 今日は10日って事で 消費税込み ワンコイン なんか 10日 20日 30日 0の付く日は税込みなんだそうで 得した気分ですわ〜 注文から 1分で出てくる まるで魔法かよ?って感じです さてはて 私 明日は何を食べるのかしら? また 海鮮丼? いや 明日は何か作らなくては‼︎ と 思いつつ また丼丸だったりして、ね(笑) こちらが うおがし丼ってやつです
2016.06.10
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母のアルツハイマーによる 感情失禁は 変わらず 今年のねぇ認定見直しでは 佐々木式 なんと13点 ある意味終わったわぁ〜 そろそろ 老人ホーム 真面目に探さなきゃ と思います 義母は 相変わらず 看取りの病院で 酸素マスク着けて 寝たきり もう 復活する事は ほぼないと思います そんな中 もうさ ご飯作るのも面倒くさい‼︎ いつもなら スーパーのお弁当買って済ませちゃうんだよね でも 近所に 海鮮丼のテイクアウトのお店がオープンしてたの 忙しくて 中々行けなかったんだけど... ワンコインで海鮮丼 それも 種類が色々 な、もんで 買ってみたわ、海鮮丼とか そこのお店のオススメ丼とか... ワンコインだから 期待もしないけど、ね でもね いざ食べてみたら まずはネタがデカいっ‼︎ 女の人とか 子供だと 一口だと ムリだと思われます んで 味は?って言ったら 結構美味しいだな これが... ワンコインで海鮮丼 ちょっと贅沢な気分‼︎ 母親の事とかさ 義母の事 自分の病院 色々 何気にバダバタだから〜 最近は オリ○ンが美味しいって思って 母の所に行く時も買ってだけど... 中々やるな、ワンコインの海鮮丼屋さん ずっと続く様に 頑張って欲しいと思います ちなみにこれ そこのメニュー 丼丸って言う 海鮮丼のチェーン店らしいです どれもワンコインって 凄くないですか? ワンコインとは 思えないボリュームと 美味しさに感動‼︎ 暫く 母の所に行く時は ここの海鮮丼になりそうです 母 お刺身大好きだし、ね
2016.06.09
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アルツハイマーの母は 週二回の訪看と 週二回の整形外科 病院同行で なんとなくは落ち着いて来ている様子です 朝の体調不良の電話が 今月はありません 19日に様子を見に行くと 体調が悪い、もう先が長くない と言うけれど 絶好調な様子 簡単な夕飯の食事を作ると 夕方にもなっていないのに 食べてしまう母 でも この日は もう帰っちゃうの?一緒に夕飯を食べてから帰れば? とは言わなかった、多分 自分がもう食べてしまったからかな と思います それからも 特には母からの電話はありません 時々 ケアマネに最近の母の様子を聞いている感じで過ごせています が、病院同行は リハビリの間 ヘルパーが待っていてくれている事を悪いと思っている様で 1人で行けるから大丈夫 と言う母 1人では行かないのがわかっているので 同行はしてもらっていますが 先日 ケアマネに相談して 宅配弁当を安否確認も兼ねて 頼んでみたらどうか?という 話をして ケアマネから 母に話してもらいました が 母は 食べるものは沢山あるから いらない、と 確かに 私が行く時には コンビニのレトルトのお惣菜や フリーズドライのお味噌汁を大量に置いては来るのです 母はもう料理が出来なくなっちゃったから ケアマネが宅配弁当の話をし出した途端に 不穏気味になってしまったとの事で 結局 宅配弁当の話は終了 そんな中 先日 夫の母 私のお義母さんがショートステイ中に 脳梗塞で倒れました たまたま前日から ショートに行っていたのが せめてもの救いで すぐに隣の連携している病院に搬送され 今は入院しています 入院初日は やはり意識混濁が見られ さすがに95才では回復は見込めない、そろそろ喪服の準備をしなくてはならないのか? と思いました お義母さんは右半身麻痺と 呂律が回らない状態です 翌日 私が唯一信仰している神社へ行き お義母さんの事 アルツハイマーの母の事を祈願して その足で お義母さんのところへ行きました お義母さん 前日よりは少し回復していて こちらの声かけに反応を示してくれました 何か?を言いたいみたいなんだけど 呂律が回らないので 何を言っているのか?は わかりませんでしたが 昨日 お義母さんのところへは行けなかったので 今日 これからまた行って来る予定です その足で 母の様子も見てこようと思っています 丁度 今日 姉が母のところへ来るというので 先日 ある金融機関から 定期が満期になりましたが 自動継続されていませんけど どうしますか?などと言う 余計な?電話が入ってしまったため その事で母の頭の中はいっぱいになってしまいました お金に執着が出てきているので 余計に固執してしまうのだと思います そのために 新幹線で母のところへ来る姉 母の金銭的なものに関しては 全て姉に任せているので 私は母が どこに いくら どの様な形で預金しているのか? 全然知らないのです 姉は元銀行員 私は元介護士 なので 役割分担をして 母の介護をしている状況です さて これからお義母さんのところへ行って来ますが 今日はどんな様子かなぁ 少しでも快方へ向かっていてくれたら、と願うばかりです そして出来る事なら 母のアルツハイマーの進行もこれ以上進まないでくれたら もしくはさっさと進んで わけがわからなくなってしまえば 本人も楽になるのか?とも思ってしまったりする自分がいます 最近は 精神的に まだ完全復活は出来ていない様で 睡眠も3時間程度取れれば 良い方です 体重も一向に増える気配もありません 今週 自分の精神科受診がありました でも もう主治医も諦めたのでしょう、ずっと入院と毎回言っていたのに 今回はもう言いませんでした その代わり 前回から処方された薬だけは続ける様に、と 以前 薬を多量に服用していた時に 感情が全くなくなり 何も出来なくなり 廃人化した過去があるので 薬に関しては 増やさないで欲しいとずっとお願いしていますが それでも今 精神科系統が3種類 漢方が1種類 眠剤2種類 処方されています その他に頓服薬 昨夜は ものすごい目眩に襲われて 倒れるのか?と一瞬頭をよぎりました が、しばらく休んでみたら 落ち着きました でも この生活がこの先も続けば そう遠くないうちに 本当に倒れるんだろうなぁ とも思っています お義母さんが このまま快方に向かってくれたら そのまま老健入所してもらい その間に特養を探そうと思っています お義母さんを見てくれているお義姉さん夫婦も もう高齢なので 老々介護は無理でしょう おそらくは 後遺症で半身麻痺は残るでしょうから もう高齢のあ義姉夫婦では 介護は出来ないと思います 老健に入所中に特養申請をする予定ですが 最悪は私が暫くは見ようかと 今の所は考えています 半身麻痺のある高齢者の対応は 介護知識がないと中々難しいとも思われるので... さて 今日は何が起きるのか? わからないけど とりあえず お義母さんの病院と 母の様子を見に行って来ようと思います 雨が降らないと良いんだけど、な
2016.01.31
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現実逃避で逃亡してから 帰宅しても母へは連絡をしませんでした 大晦日から新年2日まで 母の所で一緒に過ごす予定でいた姉にも 体調が良くないからと 大晦日から母宅へ行けないと話しました 大晦日の朝 母へ電話をしました 母へは 12月から入院していた事にしておいたので 29日に退院して来たと言いました そして まだ体調が良くないので 大晦日には行けないと 母はそれまでにあった事を話ました 11月の半ばから再開したデイを週2回から3回に増やすと姉からは聞いていたのですが デイのクリスマス会の日 みんな家族が来ていた、私だけ誰も来なかった 帰りの送りの時に みんな帰ってしまって 1人で暗い中を待たされていた もう少しあんな所には行かない、辞める その事を1時間以上延々と話していました 途中で話を切り替えても すぐにその話しに戻ってしまいます 翌日 デイのスタッフから 電話が入った時に 涙声でその時の事を話した様でした スタッフの方から姉に連絡があったそうです 母の話は1時間半以上続き さすがに傾聴しているのも疲れたので もうすぐ姉がそちらに着くと思うと言って 電話を切りました その後 デイに連絡をして クリスマス会の時の母の様子を聞きました 当日の利用者は30名ほど そのうち家族が参加していたのは5組 あとはケアマネが数名だったとの事 送りは確かに遅い方の便ではあったが 他の利用者3人と待っていてもらった、と 母は暗い所にひとりぼっちで置いていかれたと訴えていたけれど そんな事はあるわけなく 見守りのスタッフは必ず居るわけで でも 母の中ではクリスマス会に私も姉も行かなかった事で寂しかった気持ちが強かったのでしょう そして送りも遅くなり 寂しい気持ちが強い所から 1人にされたと思い込んでしまったのでしょう せっかく週3回に増やした所での このアクシデント また母からの早朝の体調不良を訴える電話の回数が増える事でしょう 新年は3日に息子と母宅へ行く事にしていました 当日 出かける支度をして そろそろ家を出ようか?という時に いつもはほとんど鳴かない愛犬がキャンキャンと4回ほど鳴いたので どうしたのかなと 見に行くと 口から血液の混じった胃液を吐き グッタリとしていました 慌てて獣医に電話をかけたものの 繋がる前に息を引き取りました 母へ 愛犬が亡くなったので 今日は行けなくなりました と電話をかけると 私は大丈夫だから ちゃんと見送ってあげてね と 5分もかからずに電話を切る事が出来ました 愛犬の火葬後 翌々日母のところへ行って来ました 行く前に電話をすると もう身体がだめだと 食事も取れないから どんどん痩せてしまっている もうダメだと思う等々 かなり気弱になっている様子だったので とりあえず行くから 待っていてね と話 母のところへ行きました 到着すると やはり身体がダメだという母 着いたのが昼頃だったので まだ昼食を取っていないという母を昼食へ誘いました お腹は空いていれけど 食べられないから と言うので とりあえず行って食べられそうな物があったら食べましょう と連れ出しました すると食欲がなく痩せてしまった、今日からも食べられないと思う等々言っていた母は サラダやスープ ハンバーグプレートにライスを完食し 饒舌に色々な話をしだしました デイの話はあまりせずに 暮れに姉が来た事 私の愛犬の事 ひ孫の話 自分の姉妹やお墓参りの話など 会話は山手線にはならず 色々と話をしていました 2時間少し話をしていたので 先月誕生日だった母へ靴をプレゼントするというと 今二足あるし 先が長くないから いらないと では何か食べ物を買いましょう と言うと 大丈夫、自分で買うから じゃあ 何か欲しい物が出てきたら その時に買いましょうと話 店を出る時になって とりあえず靴を見に行ってみようか?と言う母 靴屋へ行く途中 デイのスタッフが乗った車と信号待ちをしている時に会ってしまいました するとそれまで機嫌の良かった母は急に不機嫌になり あの男よ あいつが私を1人で置いていったのよ‼︎ と怒り爆発 マズいと思い まぁお母さんが行きたくないところへ無理に行く必要もないから 辞めちゃっても良いんじゃない?と言いました すると少しずつ落ち着いて もう行かないから 辞めるからと言って その後は他の話をしながら靴屋へ向かいました 靴屋では 気に入った物が見つからず では今日は帰ってまた別の日に来れば新しいものが入ってるかもしれないから と声をかけたのですが 何かを買いたかった様で 帰ろうとはせずに ずっと並んだ靴を見ている母 そこへ店員が こういうのもありますけど どうですか?と 靴を持って来てくれました 正直な 私はもう何でも良いから 早く決めて下さいという気持ちだったので あ、それすごくオシャレで素敵じゃない 履いてみたら?と言いました 母もまんざらではなかったのか 試し履きをしました 店員が 少し歩いて履き心地をみて下さい と言うと 歩き出した母は 突然店内を走り出しました 危ないから と言う私に 危なくないわよ‼︎という母 まぁその靴を気に入った様なので それを購入して 夕飯と翌日の朝食用のお惣菜を買いに行きました 食欲がなく食べられなくなって ガリガリに痩せちゃった と言う母は そこでお惣菜を8種類購入 ここのは美味しいのよね と 姉が最近は母のお金への執着が強くなったのか どこで何か買っても 食べても財布を開けなくなったよね と言っていたのですが 確かにアルツハイマーがわかった頃からかな、母は病院と薬局以外の支払いは一切しなくなりました お金への執着が強くなってきている と言う事はこの次はもの取られ妄想が出てくるのでしょう 靴とお惣菜を購入して またご機嫌な8種類を家まで送り そろそろ帰る言うと 一緒に夕飯を食べないのか 食べてから帰れば? と何度も言うのだけれど さすがに精神的に疲れたので 今日は子供達がいるから夕飯の支度をしなくちゃならないから 帰るね また来るからねと伝え お惣菜を冷蔵庫にしまう時に冷蔵庫のチェックをしました 11月と12月半ばの卵が 12月半ばのヨーグルトが出て来たので 母がトイレに行った隙に捨てるためにカバン入れて持ち帰る事にしました 母に賞味期限が切れているから処分すると言うと まだ食べられる、私はお腹を壊さないと言われてしまうので そして 母がベランダにためていた ごみを持ち帰り帰宅 さすがに精神的に疲れが出たのか 夜中々寝付けないまま 朝を迎えました 朝イチでケアマネに連絡 デイに行かないと言い張る母の今後をどうするか?と相談しました とりあえず 母が1人が寂しくなって またデイに行きたくなるまで 医師の指示で整形の定期受診をしなくてはならなくなったと話して 同行ヘルパーを週二回入れてみようと そして そのうちヘルパーを受け入れる様になったら買い物同行や 最近ほとんど料理をしなくなったために 調理の方でもヘルパーに入ってもらおう という話しになりました ただ 母は ヘルパーという言葉には拒否を示すので あくまでもケアマネの部下という事でヘルパーには入ってもらおう斗いう事にしました 上手く受け入れてくれたら良いのだけれど 先月 私が母のところへ行かなくなってから どうやら夜の漢方薬を飲まずに隠す様になった母 何度かケアマネが飲み忘れを発見して指摘すると 飲んでいるのに何で残っているのかしら?とシラを切る母 多分自分の寝室に隠しているのでしょう 母の寝室は 姉や私でも進入禁止なので さてはて 私ですが 先日5日に今年初の精神科受診でした どうせ言われることは毎回同じ 薬だけくれれば 診察初のしなくても良いのになぁ というのが最近の本音です なので いつもよりもグダグダとしていて 家を出るのが30分程度遅くなってしまったら 病院でかなり待たされてしまいました そして まずは南の島での事を聞かれたので 結果としては1人で行けば良かったと なぜ?と聞かれたので 自分のペースで動けなかったから と答えました その後は 毎度同じ 入院しろと、また痩せた様だけど 食事をきちんと取っているのか? お母さんやお姉さんの事もわかるけど このままだと倒れるよ 少し入院して心身ともに休めないとダメだと 先月はお母さんのでところへ行かなくても大丈夫だったんでしょ だったらケアマネさんにも協力してもらって 暫く入院しろ云々 なんだかんだ 他の患者が居るんだから さっさと処方箋書いてくれて帰らせてくれれば良いのにとおもいながら 話しをされる事30分 最終的に 薬を増やす事で様子観察にしてもらいました が 病院から帰るのが遅くなってしまい 帰宅したら すでに夜 疲れがたまってきたのか 10時頃 眠剤飲んでベッドに入ったら 気付いたら翌日の午後2時になっていました どんだけ〜‼︎です とりあえず 増やしてくれなくても良かったのに と思いながら 新しいクスリを服薬開始 以前 薬が大量に出て その時廃人化した事を思い出すと あまり薬を飲みたくはないのですが 仕方ないです 主治医には 薬を増やさないで欲しい事は伝えてあるのですが 入院を迫られれば いう事聞くしかないですから それに他の病院へ移る気もないですし 病気が分かってから 何人もの精神科医にあったけど 今の主治医以外は全て 相性が良くないのか ダメだったので 説教されても 脅されても 何を言われても 今の主治医が1番心を開いて本音を言えるので このまま今の病院へは通院する予定です ただ 万が一にも強制的に入院となったら その時は逃亡するする予定なので 今は もし万が一 予約日に来られなかった時の為に と言って薬を大めに貰ってストックしてあります 先生ごめんなさいという感じですが と 久しぶりにブログを打っている途中 また母から電話が 携帯を見たら 私からの着信があったから かけた、と なので 一昨日かけたのが そのまま残っちゃってるんだと思うよ と話し 今日これから 愛犬の葬儀があるから 出かけなくちゃならないから また帰って来たら電話するね と言って切りました 多分 またかかって来るとは思います と最近は母はこんな感じです そうそう 母はテレビ等でだと思うのですが マイナンバーをしきりに気にしていて私のがない、と 無くしたら大変だから 姉が預かると伝えて持ち帰ったのですが それは覚えていないので 連日マイナンバーの電話が姉に入っています 先日 母の所へ行った時に 紙に姉が預かっているという事を書いて 冷蔵庫に貼って来ました アルツハイマーと診断されて半年 アリセプト開始から半年 進行が抑えられる事もなく どんどん壊れていく母 来年のお正月はどこで過ごす事になるのでしょう
2016.01.09
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とうとう 心身ともに限界を感じたので 現実逃避をする事にしました とりあえず 翌週の精神科の予約を1週間前倒しにして 受診日の翌日から 南の島へ1週間 行く事にしました 目的は何もありません でも とにかく 今の状況から逃げ出したかった、というのが 本当の気持ちです 日曜日に 決めて たまたまメールが来た友人に来週から離島へ行くと話しました その友人は 仕事の限界に直面して 今は休職中で 家に引きこもっている、と 一緒に行きたい、と なので まぁ良いかという感じで そのままネットで旅行会社に予約を取り 翌週の火曜日に 繰上げた精神科受診をしました 明日から離島へ行きます、と 主治医に伝えました 主治医はすごく驚いて とてもそんな事が出来る状態ではないと このまま入院をする様に、と言いました でも 私は生きてるうちに どうしても行きたい場所がある だからそこへ行くと もう飛行機も宿も予約したし 行って ダメだったら その時は素直に入院するので どうしても行きたい と話しました 主治医は半ば呆れたのか? でも 何かあったら 無理をせずに途中でも 旅を切り上げてすぐに帰って 受診をする事を条件に 渋々了解をしてくれました とにかく 現実から逃避したかった それだけでした そして 予約をしてから 主人には 来週水曜日から 離島へ行くと 友人も一緒に行くので 心配しなくても大丈夫だと 伝えました その後 ケアマネ デイ 姉等々 暫く心身ともに休めたいので 少し母と距離を置きたいので 緊急以外は 連絡をしないで下さいと伝えました そして先週水曜日から 明日まで離島で過ごす事にしました でも ゆっくりと心身を休めたいと思っていた私は この旅で 大失敗をしてしまった事に その後 気がついたのです 一人旅ではなくなったので やはり相手に気を使います 3日目辺りから 相手の我儘に精神的な疲れが出て来てしまいました 飛行機に乗れば 怖い、離島から別の離島へフェリーで行こうと言えば 船酔いをするから 乗れない、夕飯に出れば あれを食べたい これを食べたい で 頼んでも 最近胃が小さくなったから あまり食べられない等々 その都度 支払いは私が3分の2を払い その後の コーヒーや ちょっとしたお菓子を買うコンビニも 私の支払い あんまりお金持って来なかったの〜 と言われれば 仕方なく出すしかないかなって 感じでした 1週間 滞在するので その間の2日位は個人行動をしたかったけど どこでもついて来る そし毎日 午後になると 眠いからと昼寝タイム 私は何をしに来たんだろう??? その友人との会話は 仕事の事 友人の母の事 飼ってる猫の事 の繰り返し アルツハイマーの母と過ごす時間に辟易していたのに 貴女も??? そして 緊急以外は連絡しないで下さい とお願いしたにも関わらず メールをして来る姉 なんだかなぁ...って感じ 離島はフェリーで10分の所しか行けなかった 楽しみにしていたグラスボートにも 当然乗れなかった、なぜなら友人が船酔いするから... せめて美味しいものを食べたかった、けど 好き嫌いが多いから 店選びにも気を使う なんだか 中日頃には 軽い気持ちで一緒に来た事を後悔 そして 結構イライラ なんで 毎日午後に友人に付き合って 友人の昼寝のために 宿に戻って 友人が起きるまで テレビを観て過ごさなくてはならないのか? もう 誰かと旅行をするのは今後は辞めようと 心に誓った旅でした 明日 やっと家に帰ります でも 家に居るのも嫌だったから 逃避して来たのに 離島に居るより 家に戻りたいって... 私は一体何をしに来たんだろう??? せめて 家で待っている子供達には何か 少しでも南国の気分を分けてあげられたら と思ってダルボールで お菓子を沢山送りました 明日は 朝の飛行機で 経由地まで戻り 半日 市街観光をして 夜の飛行機で帰宅予定です 家には終電で帰宅する予定 次回 春頃に 今度こそ 1人で来よう、そして 今回出来なかった事を 沢山しよう それまでは また母の介護を また頑張ろうと思って居ます でも 帰宅してからの 心身の状況では 入院してしまうかも?しれませんけど... 今回の教訓 心身を休めたい時は 1人で過ごす事 自分のペースで行動する事 もしも 誰か?と一緒に行く事になっても 滞在中は別行動にして 夜だけ一緒に食事を済ませる事にする事等々 色々学んだ事もあった旅でした 次回は春先に 今度は1人で また来て 今度は色々な島に行きたいと思っています 普段は たまに飲みに行って それなりには楽しく過ごせて居る場合でも 長旅は気を使うし 我儘に振り回されるから かえってストレスになる事 等々 まぁ 明日1日なので どうにか頑張って 我儘にキレる前には帰宅出来たらと思います 今回は 家族と主治医にしか 行き先を伝えなかったのですが それでも 姉や別の友人からのメールで 現実に戻される事が多かった旅でした まぁ それでも 美味しい物 気になる物は食べられたし それだけでもよかったのかなぁ?って感じです さて 私は入院中と思っている母は あれから 私には 連絡して来ませんが 何をして過ごしているんだろう?明日の夜中に帰宅予定なので 明後日にでも電話してみようと思います とりあえず 無謀とも言える 現実逃避中の 私の近況です
2015.12.22
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火曜日は 母の皮膚科とアルツハイマーの脳神経外科の受診日でした 目の周りに出来た 帯状疱疹の治りも良く 来週からは またデイに行けそうと 本人も最近はデイが楽しみになって来てくれた様で ひと安心です 大学病院での受診が終わり 薬局へ行くと 最近喉の調子が悪いので うがい薬を買いたい、と うがい薬を購入し お惣菜屋さんに寄り 母の食べたい物を パックに詰めて その日の夕飯と 翌日の朝食用に購入 病院に着いてから ずっと喋り続けている母に かなり疲れてきたものの 適当に相槌をうちながら 近所の大きな古着屋さんを見てみたい と言う母を連れて 古着屋さんへ行きました 母は古着をみて ここはダメね、と では どんな所か見ただけでも良かったんじゃない? 帰りましょう と言ってんたけど 文句を言いながらも 服や靴を物色しているので 一緒に店内を見て歩きました そして 暫くすると 母は こんな値段を出すのなら 普通に店で買った方が良いわ、と 自分が見てみたい 連れて来て欲しいと言ったのに... とは思ったけど そんな事言って不穏にでもなられたら また厄介なので そうだね〜とだけ 答えておきました 家に戻っても 饒舌にお喋りの止まらない母 最近の話題はもっぱらデイの話 延々と 俗に言う 山手線と言った感じです かなりご機嫌も良かったので 白内障の手術前に約束していた インフルエンザと肺炎の予防接種の事を切り出してみました この年になって インフルエンザや肺炎は命取りになりかねないし デイへ行っているので 感染の危険性は高くなるからです すると それまでご機嫌だった母は 急に不穏になり 今でさえ沢山薬を飲んでるのに そんな事をしたら死んじゃうよ‼︎ そんな事するくらいなら 死んだ方がマシ‼︎ 生きてる意味がない‼︎等々 いつもの不穏状態へ劇変してしまいました そして号泣 まだ 暴れなっただけ マシでしたが もう限界を迎えている私の精神状態と 半月の点滴内服薬 そして それが効果がなく 副作用の強い注射に切り替えた事を等々 もう これ以上 母と一緒に居ると 本当に倒れてしまうと思い とりあえず 1時間程泣いて 少し落ち着いて来た半月に対し 謝罪の言葉を伝え デイの話に切り替えてみました すると 今さっきまで泣いていた母は また饒舌にお喋りを始めました 完全に機嫌が直った頃 ケアマネと新しく病院同行をお願いする予定の ヘルパーステーションの責任者が契約に来たので 契約する事にしました が 母はヘルパーと言う言葉に拒否が強い為 ヘルパーとは言わず ケアマネの事業所の ケアマネの部下で 契約は 更新の為と説明しました 母はケアマネに対しては信頼しているので ヘルパーステーションの責任者に対しても 不信感を持つ事はなく 嬉しそうに色々話しかけていました そして 2人が帰った後に とても優しそうな人 ケアマネさんの部下は ケアマネさんの教育が良いから 良い人ばかりなのよ‼︎ と 母が受け入れてくれれば 今はどんな人でも構わない 私の心身共の負担が減るのならば...というのが 正直な気持ちです 母の機嫌も直ったし 契約も無事済んだ頃にはラッシュの時間になっていましたが それでも母と一緒に明日の朝まで過ごすには 限界だったので 帰宅する事にし 母へ 今週半ばから 少し入院をします 退院の目処は今の所わからないから 何かあったら ケアマネさんか セキュリティに電話をして下さい と伝えました すると 大丈夫よ、電話すれば姉がすぐに来てくれるから、と 姉は新幹線で3時間もかかる所に住んで居るのに もう母には その距離はわからないのです 電話一本ですぐに来てくれると思っている母 その都度 対応していたら 今度は姉が体調を崩してしまいます 姉には その事を伝えて これ以上 姉や私への依存心を高めない為にも ケアマネやヘルパーへ その気持ちを向けていく為 なるべく母の呼び出しに応じない様に伝えました 果たして 姉がどういう判断をするのか?はわかりませんが 私は 私自身がもう限界を感じでいる事 精神科の主治医から 入院と言われた事 今始めた注射の副作用が強く出る事が懸念される事等があるので 年内は入院した事にして 母との連絡を取らない方向で結論を出しました とりあえず それからは 母からの電話はパタッとなくなりました 母の携帯に 入院するので 暫くは来られません と書いて貼ってきたから?かもしれません ただ口で伝えても 母は覚えられないから... そんな事があり 先週後半から やっと少し休める様になった感じです でも これを打っている間に 姉からのメールが入った様なので さてはて どんな内容なのでしょうか? 少し 嫌な予感もしますが とりあえず読んでみようと思います
2015.12.06
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先週 火曜日(11月24日)に 精神科受診予約の為 薬を処方してもらいに 行って来ました 最近の様子を伝え まだどうにか頑張れそう 母の事もあるので 次回受診を4週間後にして頂きました 抗精神薬の処方は 1か月分までしか出来ないのが 理由だそうです その日は 不規則勤務の夫が最近は 帰宅しても 一日中コタツに入り テレビを観ながら 携帯ゲームの日々なので たまには外へ出て 少し歩いた方が良いんじゃないの? と声をかけ 一緒に病院へ行きました(待ち時間の短い病院なので 待っていてもらっても会計まで 1時間程度なので) 以前かかっていた二ヶ所の病院は待ち時間が長く 待っているだけで 疲れてしまったのですが 今の病院は余裕を持って予約を入れているのか? すぐに受診出来 話もゆっくりと出来ます 受診中話も夫を待合室で待っていてもらいました 夫は 私の病気については 話しても理解しようという気持ちがないのか? 調子が悪いと伝えても 何か?をしてくれるわけでもないので 診察室へ一緒に行っても意味がないのです 処方された薬は いつもと変わらず ラミクタール ワイパックス サイレース マイスリー 漢方薬2種類 便秘時に使う頓服のラキソベロン ラミクタールについては 私の最近の生活から 今後落ちるだろうとの医師の判断で 200ミリに増量されました 以前の受診時 鬱期はおそらく3か月後には来るだろう、と その予防として ラミクタール増量になりました 病院が終わったので その足で病院近くのショッピングモールへ行きました ワンフロアが ほぼハワイアンなショップが入っていて マラサダを食べてみたいという 夫の希望もあったので 夫は機嫌よく マラサダを食べ その後 ウインドウショピング 帰宅後は 近所の居酒屋で夕飯を取り その日は何事もなく過ごしていました 翌日は朝から また点滴 それでも 気分の変調はなく 昔の職場の同僚が 今休職をしている事 最近お母さんに認知症の症状が出て来た事等で 久しぶりに会う事になり 夕方出かけて行きました 久しぶりに会い 楽しいはずが 気分が上がらず 早々にお別れし 家でのんびり過ごす事にしました この日は 母も夕方からの皮膚科予約があったので 姉に病院同行を頼んでおいたので 夜の母からの電話もないと判断して出かけました 木曜になり なんとなく 少し疲れたなぁ と思う気持ちが出て来たのですが 他の友人から 義母の施設入所の事で連絡があり その相談メールに長々と付き合っていました ちなみに木曜も点滴を受けて来ました 金曜になり 夫や夫の姉からの連絡があり その内容が 私にとってはストレスに感じましたが あえてその事は話しませんでした そして 夕方 翌日の母の眼科受診(大学病院なので 基本は土日の診察はないのですが 私の現状と 母がアルツハイマーのため 1人では病院は来る事が出来ないため 土曜の朝一での 緊急外来枠で予約を入れて下さったので ) そのために 母の家に夕飯を持って行きました 母は 9月ので終わりに ガスコンロより安全性の高いIHコンロに変えたのですが すぐに使い方がわからなくなってしまい 手順をわかりやすく書いた紙をコンロの壁に貼っても 使えなくなってしまったのです ので 行く時は必ず母の食事の準備をするのですが 土曜に母の眼科受診が終わってから 駅まで送り 翌日 義理の母の誕生日会の予定があったので 早々に帰宅しました が、帰宅をすると 洗い物も洗濯物も山積み 夫はコタツでゴロゴロ 仕方なく 片付けをして 買い物へ行き 夕飯の支度を済ませたのですが どうも食欲がない、というか 食べるのが面倒 そして 誰かと会話する事も面倒な気分になり 翌日外出予定だったので シャワーを浴びて 就寝しました が 明け方3時過ぎには目が覚めてしまったので 仕方なく 音を立てるわけにもいかず 雑誌を見たりして みんなを起きて来るのを待ちました 義母の誕生日会は11:30から 到着時間を考えると10:00時過ぎには家を出なくてはならないのに 夫は9時になっても起きて来ません やっと起きて来たので 今日はとても身体がしんどい 行かなくてはいけないか? と尋ねました が 参加するのが当たり前でしょ?みんな集まるんだし〜的な夫の発言に それ以上は何も言えず 顔を出したら 先に帰ることを了承してもらい 誕生日会に出席しました 義母の子供達 孫 ひ孫まで集まり 95になる義母はとても嬉しそうにしてくれたので まぁ無理しても参加して良かったのかな とその時は感じました が やはり体調の事もあり 早々に退席させて頂きました 帰宅して ぼっ〜と休んでいると 夫と子供達が帰宅 誕生日会の全てのセッティングを私1人でした事に対しては みんな喜んでいた、ありがとう と 体調不良で早々に退席し 1人 1時間かけて電車で帰宅した私へ 大丈夫?の一言もなく... なんだか悲しい気持ちになって来ました 気分は急降下で落ちているのを感じつつ 何もせず 疲れたとコタツでゴロゴロする夫を横目に 買い物へ行き 夕飯を作り が もう完全に食欲はなくなり 夕飯を取らない私に対して 食べないの?と 食欲がないことを伝えると 倒れちゃうよ、と その一言で 会話終了 翌月曜 また点滴と診察 血液検査のため 病院へ行きました 2週間にわたり 点滴や内服薬での治療をしましたが あまり改善が見られなかったため 他の治療に切り替える事になりました が そのための注射は 保険を使っても1回12000円 母の事で 日々交通費やら食事やらの支度で出費が続いている私にとっては かなり痛い出費です が 治療しなければ 今後母の介護を出来なくなってしまうので その治療を受ける事にしました が もう心身ともに限界を感じて来ていた私 金曜には夫にも もう限界だと伝えたのですが 相変わらずゴロゴロだけの夫 少しでも 何かフォローをしてくれるわけでもなく もうこれ以上はヤバいな、と 精神科に緊急受診をお願いし その足で精神科受診へ向かいました 精神科には 片道2時間かかります が もう限界を感じていたので 躁鬱の予防薬では回復は望めないと思い 別の薬を処方してもらいに行きました ...受診し、開口1番に もうすぐにでも入院しなくてはいけない状態だよ お母さんの事もあるだろうけど このまま倒れたら お母さんは誰が見るの? 先を考えたら まず自分の治療をするべきでしょう せめて半月でも入院して 心身とも休めなさい、と それでも入院は今は絶対出来ない事 そして 医師には伝えはしなかったけれど 今後入院しなければ診察出来ないと判断されれば 通院も諦めようと... 病院の帰り 夫に今日一日 二ヶ所の病院で医師から言われた事を メールで伝えました、お金の事も含めて 私は今 専業主婦ですが 自分の母に関わる費用は全て自分のわずかなお金でやりくりをしています 自分の病院の治療費も カードの使えない病院に関しては 交通費を含め 自分で支払いをしています なので 今回の新しい治療にかかる費用は 私にとっては かなり痛い出費となるため 夫に一部だけでも負担をして欲しいと その思いもあり伝えました 返ってきた返信には お金の事 了承しました あとで良いので 注射の事を教えて下さい、と 大丈夫?の一言もなく... 実は 精神科受診時 泣かない 泣く元気もない と思っていたけれど 医師の前で涙してしまったのでした ので 夫には 注射の薬剤を伝え ネットで検索すれば 薬価も含めて 何にどう効果があるのか 詳しく書いてあるので 私に聞くよりネットで調べて下さい とメールをしました その後 夫からは特に返信はありません 一言 辛いのは本人にしかわからないので 出来る事があったら言って下さい、と 日曜までの私の様子を見ていても 何も感じず もう限界だと伝えても 誕生日会へ出席させられ 帰宅しても 誕生日を全て自分でセッティングし みんな満足していた と受け止めている夫に 何を頼めば良いのでしょうか??? 今日は またこれから母の病院同行があります 今日は皮膚科と 物忘れ外来 そして夕方 病院同行のためのヘルパーステーションとの契約 終わってから 母の食事の支度 母が不穏にならなければ 夜帰宅する予定ですが 母の様子次第で 帰宅出来るか否か と言った感じです その事で 今日は夕飯の支度が出来ないので 何か買ってくるなりして 夕飯を済ませて下さいと伝えました が わかりました とだけ 出来る事があったら言って下さい と言った夫 でも 帰れそうなら 迎えに行くよの一言もなく... では 何を伝えれば良いのでしょうか? 精神科の医師は言いました 倒れたら お母さん どうするの? 先を考えたら まずは自分の治療を先にするべき だと 倒れたら その時はなる様にしかならないでしょう 倒れるまでは見るしかないのですから...と その時だけはハッキリとつたえました 今 このブログを打っている最中にも 母からの電話がありました アルツハイマーが進行している母は 予定を紙に書いて貼っても もう理解が出来ないのです ただ 今日 病院に行かなくてはならない事だけはわかっている様ですが...1人では行けない不安から 電話をかけて来た様です さて ではそろそろ支度をして行って来ます 今の状態で いつまでもつのか? 年末までもつのか... 私にも わかりません、今は 先の事はわからないけど 日々の予定を気力でこなしている状況です
2015.12.01
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前回から 3週間もブログを放置してしまいました というのは 母に関する用事で実家と家を行ったり来たりしているうちに とうとう自分の体調を崩し 近所の総合病院を受診した結果 当日分かった血液検査で思いっきりひっかかってしまって... その日から 連日点滴の為に通院するハメになってしまいました 母の事があるので 入院は出来ないため 今週は月曜から木曜まで 毎日点滴を受けに通院し 木曜 病院が終わってから実家に行きました 昨日の金曜が朝から 母の白内障の眼科受診予約日だったので でも 先週末から眼の痛みが出ていた母は 月曜の夜 眼が痛くて仕方ない、まぶたも顔半分もパンパンに腫れてしまっている、お岩さんみたいになっちゃった‼︎ というので 火曜の朝イチでケアマネに連絡して 近所の眼科へ同行してもらいました そこでは 帯状疱疹が眼の周りに出たとの事で ゲンタシンが処方されました が、その前に眼の周りに出来た帯状疱疹の水疱を 滅菌していない鍼で突いて 水を出してしまった母 水疱はぐちゃぐちゃになってしまっていて 腫れも強くなっていた様でした 帯状疱疹と分かったのに なぜ抗生剤の処方がされなかったのか? とも 少し疑問には思ったんですが ケアマネが病院同行してくれて 結果として医師のそういう判断だったのだから その程度なのかな? と思っていました で 顔半分が腫れ 突いた所は少しずつかさぶたになって来ている所もあったりで その顔を見てショックを受けた母はデイを治るまでは行かないと決めた様でした まぁ 他の利用者さんに感染してもマズいし 体力の低下から発症した事を考えると 今月はデイはお休みも仕方ないと思っています で、昨日 白内障の手術を受けた病院での術後検診予約日だったので 同行して行って来ました すると 眼に出来る帯状疱疹は 身体に出来る帯状疱疹と違い 大変危険だと そこで初めて聞かされまして そのまま 皮膚科緊急受診になりました 皮膚科では 科長らしき偉そうな医師が診察してくれたのですが 第一声が 何でもっと早く受診しないっ‼︎ こんなになってから来たって治らないかもしれない‼︎ 普通は抗生剤処方するでしょ‼︎等々 散々怒られました んな事言っても 私は火曜の眼科受診日は自分の点滴があって 実家に行けなかったので ケアマネに頼んだわけで そこで怒られてもどうしようもないんですけど、ね で 抗生剤とビタミン剤を処方してくれたのですが 次回受診が火曜日と言われ 火曜日早く私が自分の精神科の予約日なので同行が無理である事 水曜日も点滴と診察で別の病院予約が入ってるので 木曜以降ではムリなのか?と聞くと 水曜の夕方なら来られるでしょ? 午前中に自分の病院行って 午後から母の病院に同行しろって事らしいです 午前中に点滴打って その足で2時間かかる実家行って 呆けた母を電車で病院に連れて行き 帰りも駅までは送らなきゃいけない はっきり言って 私にはもう そんな体力 残ってません 今もギリギリなんです 来週火曜日は自分の精神科受診予約日 多分 また主治医にお小言を言われるのでしょう そして水曜日には 今週月曜に受けた検査の結果が出ていると思われます 何もなければ良いんだけど〜 点滴は暫く続くらしいです その間をぬって 母の眼科や 皮膚科 もの忘れ外来等々同行しなくてはならない様になってしまったので 早急に病院同行のヘルパーを契約する事にしました もう 母がヘルパーが嫌だの 何だのって そんなワガママに付き合ってられる状態ではなくなってしまったので 来週 水曜日 私は病院予約日 母も皮膚科の予約日 なので 遠方に住んでいる姉にSOSを発信しました 新幹線で来てくれるそうです ので とりあえず来週は金曜の午後 実家に行くまでは 自分の通院に専念出来そうです でも 少し前までは こんな風な日が来るとは思わなかった〜 と どこかで聞いた歌の歌詞の一部の様な日々となってしまいました この先を考えると 本当頭痛いです アルツハイマーは現代医学では まだまだ解明されていない事も多く 完治は出来ない病気であり 薬で進行を遅らせる事は出来ても それでも徐々には進行し 最終的には寝たきりのお人形さんの様になってしまう病気です デイを休んでいる母への暇つぶしに 毛糸を沢山預けました 孫や姉 私にマフラーを編んで欲しいと言って 元々 手先の器用な母なので 昔やっていた事は 身体が覚えているのでしょう 3枚ほど マフラーを編み上げて 昨日 また新たに2枚分の毛糸を買って渡しました でも多分 来週半ばには それも仕上がってしまうと思うので 今度は主人と義兄の分を頼もうかな?と思っています とりあえず 来週は週末までは 自分の治療に専念したいと思います 火曜の検査結果で 何も出ない事を祈るのみです 今は まだ何か見つかっても 入院出来る状況ではないので とりあえず 今月の様子の覚え書きとして書きました なるべくこまめにアップしたいと思ってはいるんですが 中々日々忙しくてアップ出来ないでいます さて これから 2日間家を空けていたので 溜まっている洗濯物を片付けなきゃです 家を空けると 帰って来てから また色々家事が山積みになっているので 中々ゆっくり休む事も厳しい状況になっています 頑張らなきゃです
2015.11.21
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今日は 朝から雨で肌寒いです 私の精神科の通院日ですさて 今日は何と言われるのでしょうか? 体重は 食事の回数を増やし カロリーの高い物を食べる様にして 少し増えました 主治医から言われていた デッドゾーンからは どうにか離れました 体重を増やすためには ダイエットの逆をすれば良いんだと思って 摂取カロリーを高くする事にしました でも 体脂肪率には気をつけましたけど... 先日は一泊で 亡き父と 亡き祖父母のお墓参りに 母を連れ 遠方に住んでいる姉家族と合流して行って来ました 早朝3時に家を出て 母を迎えに行き クスリ等 忘れてはならない物をチェックして はは 先日渡した お話する人形をとても可愛がり その人形をブランケットで包んで 座布団まで持って 連れていきました 墓参りの一泊二日の間 母はずっと人形と楽しげにお喋りしていました もちろん宿泊するホテルにも 大切そうに抱っこして連れて歩いてました お墓の前では 人形を抱っこするはを囲んで 写真も撮りました ただ 食事や買い物の時には 人形を連れて行けない事を説得して 車や部屋に待たせてもらいましたが 結果としては 母の独りでいる事の寂しさや不安を取り除くのには とても役に立っているようで 朝イチの 具合が悪い という電話の回数も激減しました さて 前回 ちょっとした事件と書いたのですが そのことをチラッと書きたいと思います ある日 母がデイで不在の時に たまたま姉が滞在していました そこへNHKの習近平が来ました NHKの集金? 何で今頃? 引き落としじゃなかったかな? 請求金額 10年分で15万円‼︎ さすがに その場で払う事はせずに 確認して こちらから連絡をしますと伝えたそうです 姉から連絡をもらい 本当に10年も支払いをしていなかったのか? なぜその間に1度も集金に来なかったのか? 母は公共料金等は 全て引き落としにしてはいます、ずっと昔から さて どこからどうすれば良いのか? 母はもうNHKの支払いがどうなっているのか? 10年も前の事は把握なんて出来ませんから それから数日 また集金人が母が1人の時に来ました そして 支払いが溜まっているので 1年分だけでも払って欲しいと 把握は言われるままに 1万5千円を払ったりのですが その時に渡された 領収書と 今後引き落としをします的な書類を2枚渡され その2枚の金額が異なる事 集金人のサインがない事 母の名前以外のすべては おそらく集金人が書いた筆跡だろうとの いくつかの不審点もあり... その集金人は翌日 また母の所に来て こう言ったそうです 今度 NHKの集金が来たら もう年で目も見えないし 耳も聞こえないから テレビを見ないと言えば 払わなくて大丈夫だから、と まるで 老人を騙す詐欺の様です 母は その集金人の事を わざわざ教えに来てくれて とても良い人だと思い混んでしまっています すぐにNHKに電話を入れて 内容を伝え どうなっているのか?等々確認したいと尋ねた所 明日 集金人から連絡を入れますとの話でした それから2日か3日か NHKからは何も音沙汰がありません 私の二男がNHKに電話をかけました 電話に出たのは 先日とは別の男性 どうやら営業所の所長?らしき人に電話が回されたようでした そこで 二男は事の経緯を説明し どうなっているのか?と問うと どうやら謝罪があった様子でした が 二男はブチ切れて 謝罪の言葉なんて聞いてないし 謝る相手が違うだろう、どうしてそうなったのかを聞いているんだ、と 10分少し位かな、二男とNHKの電話が続き 最後に 怒った二男が 呆けたバァさん相手に詐欺みたいな商売してんのか???と 最終的には 今後2度と母の所には訪問しない事になり 最初に置いていった書類は領収書以外は無効という事になった様でした 万が一 今後集金に来たら 二男が電話に出た人と直接 話をしに行くと その時には 今の会話も全て公の場所に出すと そんな事がありました 今後も またそういう問題もさらに起きてくるのだろうなぁと 少し頭の痛い所です でも 母はもうキャッシュカードでお金をおろす事は 1人では出来ないし なんせ暗証番号さえも覚えていないので まとまったお金は全て定期にして 貸金庫に入れてあるので 大した金額は持たせていないので まぁ詐欺で大金を騙しとられる心配はないのですが アルツハイマーの母との今後 どんな事が起きてくるんだろう... 今日は もうすぐ自分の受診です 数日前から 軽い頭痛がしています 今日も身体が重いです 体長崩したのか お墓参りの疲れが出たのか はたまた とうとう鬱期がきたのか わからないけど どちらにせよ 今は結構しんどい状態です 今日は何て言われるのかな? 前回は主治医と話した後 すごくしんどくなっちゃったからなぁ 今日 話をするのも面倒くさくならなければ良いんだけど とりあえずは 病院には行きます 薬をもらわなくてはいけないから 行ってきます
2015.11.02
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またまた ブログを書く間が空いてしまいました その間 私の精神科受診と 母の白内障の2度目の手術がありました 私の受診では まぁこの所 主治医は私の顔を見ると 開口一番に 体重の話をするので 前回からは減少せずに 維持出来ていると伝えました それでも 母の病状を伝えると これからどうするつもり? そう長く話をこのままは続けていけないでしょ?と 私だって それはわかっているんです、でも 今はまだ何か?を変える事は母の不穏につながるので なるべく生活を変えずに穏やかに過ごして欲しいと 少しでも進行を遅らせたいと 思っているのです 主治医の話だと アルツハイマーに使える抗精神薬は無くはない、でも その薬を使うと寿命に影響すると 母の寿命を削る可能性があると言われ それでも使いたいと思うか? 今の私には それは受け入れられません とりあえず そういう薬があるんだなぁ 程度に頭の片隅に留めておく事にしました そして 私の薬が増量されました もう限界だろう、と ラミクタールが今まで 夜1錠だったものが 朝と夜になりました 主治医は あくまで鬱期を予防する為に飲みましょう、と そして 次回通院は 母の白内障の手術と 術後検診が終わり 亡き父の墓参りが済んでからにしてもらう様に話して 来月2日になりました 診察室を出る時に くれぐれも無理だけはしない様に 自分が倒れたら お母さん見られなくなるんだよ、と そうですよね、そうなんです、でも 私もそれはわかっているんです そして その週に母の2度目の白内障の手術がありました 前日に母の所へ行くととても機嫌が良く 穏やかに過ごしていました 母へ 少しでも独居の寂しさを紛らわせてもらえたら? と、ダメ元で お喋りをする人形を渡しました 話しかけると 頷いたり返事をしたりする人形 介護施設でも使われていると聞いたので買ってみました 母がどんな反応をするのか? 人形を渡すと 人形が色々な言葉を話す事に驚いていました そして とても喜んで人形に話しかけ 可愛いね 可愛いね、と 人形に時間を設定する事で 決まった時間に起きたり 寝たりするので それも不思議だったようです 翌日は白内障の手術の為に一泊入院 手術日の様子は 1度目と同じ 手術が終わるまでは絶食 朝は納得していたものの やっぱり空腹には耐えられず また不穏になり 手術が終わっても 医師の事を あの先生は新米だ‼︎ もたもたしていた‼︎ 目が痛い‼︎などなど 不平不満を口にしてしまいます そしてお決まりのふて寝を始めました 翌日も迎えに行くと 前回同様 迎えが遅い‼︎ 何やってるんだ‼︎ もうこんな病院 2度と来ない‼︎ とりあえず 待たせてしまった事を謝って タクシーに乗ってもらい 帰宅後 すぐに食事を済ませてもらいました すると あの病院はすごい病院だから患者さんも沢山来るのよね 偉い先生がいるんだよね と 朝とは激変しました やはり 母にとっては 空腹は地雷とってはなる様です その後 術後の眼薬の点眼 2度目の術後なので 左右両眼共に術後薬を点眼しなくてはならないのですが 2度目の手術の前は 左右でつける薬が異なった為 今日から左右が同じ薬になる事を理解出来ません いくら説明しても 母に母に理解母に出来ないのです チェックリストを作り 一つつけたら○をする 左右3種類ですから 五分感覚で 計6回 30分かけて 点眼する事になります 左右一緒に、が理解出来ませんから それでも 点眼が終われば 暫くは文句や不満を行っていても 1時間も傾聴していると 機嫌はなおります ただ、母の中では 1度目の手術の時は研修医が沢山いたせいか 偉い先生 2度目の手術は もたもたした新米 となっている様で その事では ずっとうだうだと言ってましたが 1度目も2度目も 同じ医師の手術だったんですけど、ね 数日間は 眼薬の自己管理が出来る様になるまで滞在していました 帰宅予定の前日 炊飯器の調子が悪い、と 炊飯器を確認した所 2002年製 さすがに寿命だと思ったので 新しく炊飯器を買いに行きました 炊飯器を買って では 家に帰ってご飯を炊いてみましょう と言うと お腹が空いたから 何処かで食事を済ませて帰りたい との事 わかりました では何を食べましょうか? 和食が良いわ と いう事で 和食のファミレスに向かいました 途中に中華のファミレスがあります その前を通った時に 餃子が食べたい と 和食じゃなくて良いの? と聞くと 餃子が食べたいと言うので 結果中華のファミレスへ 餃子や唐揚げ 野菜炒めや 酢豚等々 色々食べて満足した様です 昨日 2度目の手術の後の術後検診がありました 経過は良好との事でした でも また眼薬が変わります さてさて 母に理解が出来るかな? 多分 また不穏になっちゃうかなぁ とりあえず 明後日から 母を亡き父のお墓参りに連れて行きます お墓が遠いので一泊で行く予定です そうそう 1度目の手術と2度目の手術の間に ちょっとした事件?が起きました その事については また改めて書きたいと思います とりあえず この所の私の通院と 母の様子を 覚え書きとして 書きました これから母の病状は どんどん進行して行くのだと思います まだ コレといった治療法が見つかっていないのですから 母が まだ自分の意思を持ち 出来るだけ楽しく穏やかに過ごせる時間が長く続く様に 出来る事はサポートして行きたいと思います その為には 私自身が まず自分の病状をこまめにチェックして 主治医の受診をマメに受けていかなければいけないのですが 母は 私を産んで育ててくれたから 母親です でも 今は 手のかかる子供が1人増えたのだと思う様にしています さて 明後日から また頑張らなきゃです
2015.10.24
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少し ブログを書く間隔があいてしましました とりあえず 理由は 母の病院同行や 白内障の手術の為に 母宅へ滞在していた為 母に振り回されて 心身ともに ヤられてしまったからです 先月 29日間は 母が最初にアルツハイマーを診断された病院から 居宅と同じ大学病院の精神神経へ 転院し 初受診をする日でした そちらの病院で 予約時間を2時間半ほど過ぎて 診察を受ける事が出来ました 紹介状は持って行きましたが 再度 佐々木式テストを行いました 結果は30満点中 19点 やはりアルツハイマーだとの事でした 母の現在の問題点と 対応についての質問を書いた物を 先に新しい主治医に提出しておきました 母のいる前では 私の口からは 母の様子を話す事は厳禁です 母が不穏になってしまいますので... 主治医は母と向き合って ゆっくりと話しかけ 時に肩を優しく叩いて 優しく対応して下さったので 母は主治医に対し とても優しい良い先生だと好印象だった様です まずは母が 主治医の事を信頼し 主治医の言う事を素直に聞いてくれる事が大切だから 次回 受診は2ヶ月後 それまで 進行がゆっくりならば良いのですが... その後は整体を受診したり 白内障の手術の準備をしたり そして 10月2日 左眼白内障の手術のために 一泊二日での入院 手術が終わるまで 朝の8時からは 絶食となるので 朝食はしっかりと取ってもらい 9時半に病院到着 その後 入院手続きを済ませ 病棟へ 入院後は手術までは 2種類の点眼薬を30分おきに5分間隔で点眼 もちろん 母には理解が出来ない為 そのまま一緒に病室で過ごしました お昼になったので 看護師さんに 昼食を取りに行く旨伝え 病院の外に出出ました まぁ、ずっと病室で母と一緒に居ると 母は同室の入院患者さんの事を 勝手に想像して あたかも事実の如く 声に出して話してしまう為 この時 個室にしておけば良かったなぁ と思いました 2時頃までに戻って来てくれれば大丈夫です、との看護師さんからの話だったので 2時に病室に戻ると 母は泣きそうな顔をしながら 何で私だけ お昼ご飯が出ないの‼︎ もう お腹がぺこぺこで倒れちゃう‼︎ お姉さん(看護師)は何も言ってくれない‼︎ 他の人はみんな食べてるのに‼︎と 手術前は絶食である事は 朝も 入院時も伝え その時は納得したのですが やっぱり記憶が出来ないので 不穏になってしまいます 胃が悪いわけじゃない、胃の手術をするんじゃない、眼の手術なのに 何でご飯をくれないの‼︎ お金払うのに‼︎ 暫く不満を傾聴し 術前はどんな手術でも絶食になる事を なるべく母にわかるように話すと もういいわ‼︎ と ふてくされてしまいました 手術が終わったら 食べられるから何か美味しいものを買ってくるから、ね そうなだめても 空腹で 食べ物に執着している母には慰めにもならなかった様ですが 午後4時半 手術は無事終了しました でも 術後1時間はベッド上で安静にしていなければなりません あと1時間はまだ絶食です もう母はふてくされて寝てしまいましたので お菓子と飲み物を看護師さんに 1時間経ったら渡してもらう様にお願いして 私は母宅に戻りました その夜は 母が病院で不穏になって手がつけられなくなったら 夜間呼び出しがあるのではないか?等思うと 1人になってもあまり精神的には解放されませんでしたが... 翌日は主治医の回診が 朝の7時と言われていたので その少し前には病院へ行ったのですが 結局 回診は8時半を過ぎてからでした 主治医から説明を受け その後は退院の計算が終って病棟に連絡が来るまで待ち その間は 母に顔を見せると 帰るとか言い出しかねないので 全てが済んでから 母を迎えに行く事にしました 10時半に全て終了し 母を迎えに行くと 遅い‼︎ ずっと待ってたのに 何をやってるんだ‼︎と言われてしまいました その後 眼の手術をしたばかりなので タクシーで帰ると伝えると ずっと歩いてないから わたしは歩いて帰るのよ‼︎と どうにかこうにか説得し もうタクシーを呼んでしまったので 今日だけはタクシーで帰りましょうと 半ばタクシーに押し込んできたくしました 帰宅してからは 入院中の同室の入院患者さんの話や手術の話 手術した方の眼がすごく良く見える様になった等 延々と喋り続けていました その日の夜は 何か母の食べたい物を沢山食べさせてあげたいとも思い 母の希望もあったので 外食をしたのですが 隣のお客様の所の小さな子供さんにしつこく話しかけたり...何度も気をそらせる様に 話を切り替えたりとしても すぐにまた 子供さんに絡むので さっさと帰ることにしました 帰る際に 残った唐揚げ2個と お刺身についていた大葉2枚を持って帰ると... 本当 恥ずかしかったです アルツハイマーの症状が出る前には考えられない事ばかりな1日でした その話を姉にすると 翌日姉が飛んで来て 暫く母宅へ滞在してくれるとの事 さすがに心身ともに疲弊していた私は 母の事を姉にお願いして 自宅に帰宅しました 自宅に帰宅した翌日 よほど疲れ切っていたのでしょう 目が覚めたら 夕方の5時になっていました そして 体重計に乗ると 母宅へ行って過ごしていた間に 2Kg減 この数字は 私の精神科の主治医から言われて居る 最低ギリギリの数字で これより減少したら 措置入院となるそうです そこまで 母の症状は私の心身を追い詰めるのです それでも 仕方ないのです、他に母の介護をメインに出来る人間が居ないのですから もっと わからなくなったら 施設入所も可能でしょう 今の状況が一番辛い時期かもしれませんね 身体が動くから 自分では何でも出来ると思っている でも 頭は記憶も認知も機能が低下している上 根底の性格が 頑固であり 他人の言う事は聞く耳持たず 人をバカにしてしまう等 母はどんな人生を過ごして来たのだろうか?と ふと思う事があります そして 私はその母の血を継いでいるのです 年を取ったら せめて子供に迷惑をかけない様に ぽっくりと逝きたいものだと思います、父の様に さて 今週はまた 今度は右眼の白内障の手術があります また 騒ぐのかなぁ〜 今から気が重いです、はぁぁ でも とりあえずは 両眼共に手術を終わらせなくては、ね それまでは倒れるわけには行きません とりあえず 出来る所まで 頑張りたいと思います 火曜日は 私の精神科受診日です 前回から 2週間 措置入院と脅された前回 とりあえずは 母の手術が終わるまでは 待ってもらおうと思っています そうならない様に あと数日は心身を休めて 手術の日を迎えたいと思います 頑張ります
2015.10.11
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昨日は 3週間ぶりに 自分の通院日でした 天気が良かったので 気分も少しは落ち着いて病院へ行く事が出来ました 予約時間より 1時間前位に病院へは行ってます 主治医が 午後の診察を早目に始めてくれるので 昨日も 外来受付について 5分もしないうちに呼ばれました ここの所の様子を伝え... また痩せたでしょう って 確かに 以前よりは緩やかではあるけれど まだ体重減少は続いています せっかく処方してくれたジプレキサも 生活に支障があるので 飲めなかった事も伝え 最近の母の症状も合わせて 伝えました 明日から 母の所に暫く行かなくてはならない事も... 出来れば極力避けたい事だと 主治医は言いました でも それはムリな事 それでなくても 先々週から 私は入院した事にして 母からの電話に出ずに 姉とケアマネに対応をお願いしていたわけで 火曜 母が転院する精神神経科への同行は 行かなくてはならないし 金曜からの白内障の入退院も付き添わなくてはなりません その後の 眼薬の管理等 その前に ガスコンロをIHコンロに変えるので 使用方法も 何度も教えなければなりません 日曜には姉がバトンタッチしてくれるそうです でも またその週 眼科の術後検診で病院同行なのですが 私の主治医から 注意された事 これ以上体重を落とさない様に、と 主治医も セロクエルやジプレキサを処方しても 生活に支障をきたすから 飲めませんという私に対して このまま暫く様子を見るしかないのか?といった所だったようです ラミクタールの増量は 今回は見送りになりました あの 7月の急激な軽躁転が引っかかるのか? このままの量で もう暫く様子を見るそうです 日曜日に 低血糖の様な症状を起こし 1日寝込んでいました その事を伝えると 低血糖ってよりは 自律神経系統の絡みじゃないかと... てっきり 低血糖だと思って アイスクリーム食べました そして 受診の時に ブドウ糖でも入れてもらおうか?と思っていたのですけど ということで 薬の処方内容は また以前通り ラミクタール ワイパックス サイレース マイスリー 抑肝散 大建中湯 あとは 頓服のラキソベロン ラキソベロンは液体なので 自己調節がしやすいので 1番使い易い下剤です 2日間 便秘になると 頭痛がするので その時に服薬しています 大建中湯飲んでいるのに 時々便秘になってしまうという 食生活がいけないのかな? でも 野菜沢山食べてるんですけど、ね さて これから支度をして 母の所へ行って来ます 今回は数日泊まり込みなので スーツケースを ガラガラと引きながら さてはて どんな数日になるのでしょう 母が 不穏にならずに過ごしてくれる事に 淡い期待をしつつ 行って来ます
2015.09.29
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ここ数日 いきなり寒くなって 慌てて衣替えをしました そして 体重減少による服のサイズの変化のため 何枚か 買い足したり また薬で太らない限りは着られないだろう服を 知人に送ったり... あれからの 母の様子は 姉から私が入院したと言われた事を 母なりに理解した様で 一切電話がありません 本当は入院してないけど 精神的に落ちて来ている私は 母には申し訳ないけど 今週はゆっくりと休ませて頂いています 姉にも電話がないそうです 母の様子は ケアマネやデイスタッフから聞いているので 特に問題は無いようです 要は 母の私に対する依存が強く でも その依存先がムリ だと それなりに一人でも過ごせている様です 入院 という前は 毎日何度も 具合が悪い等 呼び出しの電話がありましたから 電話がなく 母の所に行かなくても良い日々が続いている今週 どうにか 私もメンタルの下降速度はゆっくりと過ごせています 明後日は自分の通院日 そして その翌日は 母のアルツハイマーの通院日 今まで通院していた病院から 紹介状を頂いて 新しい病院での初めての受診 今度こそ 主治医に対して 母が信頼してくれると良いのだけれど... 今までお世話になっていた病院の主治医は 説明する時に 難しい言葉を使ったり まだ自分の事は自分で出来る と思っている母に施設を勧めたり と、母を不穏にさせてしまう事が 多々ありました 説明を受けている時も 介護に携わっていた私には理解出来ても 介護素人の姉は 何を言ってるのか?分からない事もあったという事もあり これから長いお付き合いをしていく事になるだろう アルツハイマーの主治医を変える事にしました 病院選びは ケアマネさんにも相談して... さてはて 母はどんな反応を示すでしょうか そして 母の受診日から 暫く母の所に滞在します 理由は その週末 金曜に一泊二日入院の 白内障の手術があり、病院への送迎と 術後の眼薬や 生活の管理があるからです 術後 一週間後に 術後検診 その翌週 金曜に もう一度 残りの片眼の白内障の手術 という事で 来週火曜から 1ヶ月 ほぼ実家暮らしになります 今 一人でもとりあえず過ごせている状態なので 本当は 白内障の手術を先延ばしにしたい気持ちも ちょっとだけあります、私都合ですが 鬱期に入り始めているのを自覚しているので 母とほぼ1ヶ月過ごすというのは 私のメンタルは相当ヤられるだろうと思っています 来週の自分の受診の時に 主治医に相談して 頓服薬を処方してもらおうと思っています あと ラミクタール 増量も相談してみようと思います さて、主治医はなんて言うのだろう... ジプレキサが飲めなかった事も伝えなくては 飲んだ翌朝に残る薬は一切飲めません 朝食やお弁当の支度も出来ないし、身体を動かせる様になるまで 最低2時間位かかってしまうので 生活に支障をきたしてしまうのです 以前は 沢山の薬を処方されていたので ジプレキサ自体の身体への影響はわからなかったんだけど セロクエルもジプレキサも それぞれ 別々に試してみたら ダメだという事がわかりました 沢山の薬を飲んでいた時は 鬱期に入ると本当に悲惨でした 布団から出られない、何も出来ない、顔さえ洗えない 鬱期が過ぎるのを ただただ ひたすら耐える、といった感じでした そして 沢山の薬を飲んでいても 希死念慮にかられ 自傷行為を繰り返し お酒に逃げたり 挙句は自傷で救急搬送 緊急手術でICU行き 主治医から 完全閉鎖の精神病院への転院を勧められる始末 要は その時の主治医は 私の様な重い精神疾患患者は診たくなかったのでしょう 自分が受け持って 診察している患者に死なれたら困るからでしょうね 診察して 薬出して それで悪化されるわけですから 医師としては 関わりたくない患者だったのだと思います 今の主治医は そんな私を2年経っても覚えていてくれて 今 沢山の患者を抱えながらも 時間をかけて 話をきちんと聞いてくれる 医師にとって 患者は沢山だけど 患者にとって 医師は一人なのですから それが どれだけ患者にとってはありがたい事か... 主治医は 母の事も心配してくれる 母の病状についてのアドバイスもくれる 主治医を戻して 本当に良かったと思っています 精神科は 薬も大切だけど やっぱり医師と患者の信頼関係が大切だと思います もし、この拙いブログをたまたま読んでいる 私と同じ様に精神疾患で苦しんでいる方で 受診して 薬もちゃんと飲んでいるのに 悪化している気がする そんな方は 病院を変えてみるのも 一つの方法だと思います 病院を変えたい とは中々言いにくいものだと思います そんな時は 引っ越さなきゃ行けないので まだ受診する病院が決まっていない と言うと 宛名のない紹介状を書いてくれますから 転院も視野に入れるのも良いかと思います 医師が受診時に ちゃんと目を見て とりあえず ゆっくりと話を聞いてくれるか? 患者の顔も見ず パソコンに向かって キーボード打ちながら じゃ薬出しますね なんて言う医師なら 転院考えた方が良いと思います、悪化して 生死の境をさまよった私の二の舞になる前に... さて 今日明日 もう少しだけ のんびり過ごして 来週から 出来る範囲で 母と過ごしたいと思います ま、これ以上はムリだなってなったら 姉が来てくれる事にはなっていますので ケアマネさんも とても早急かつ柔軟に対応して下さる方で 母もとても信頼してくれているので どうにか みんなに助けてもらいながら 1ヶ月を乗り切りたいと思います それが終わったら 少し本格的に休養という名の 入院でもさせてもらうかもしれませんが...
2015.09.26
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前回 母の介護に対して 主治医から ドクターストップがかかってしまったと書きました が、それでも辞めるわけにはいかないわけで どうにかなるさ、ってか 出来るまでは やらないと という感じで過ごしています 今のところ なんとか無事です が 先週は母の体調不良を訴える電話が 頻回で さすがに1人では対応しきれず ケアマネさんも巻き込んで バタバタでした 17.18日 私の誕生日を前に 旦那さんが温泉に連れて行ってくれたのですが 行く途中から 母からの着信 数回 姉には 温泉に行く事を伝え その間の母の対応をお願いしていたので 母からの着信がある度に 姉に連絡して 姉が母へ電話をしてくれるという 温泉で ゆっくりと過ごして 疲れきった心身を少しでも回復したかったのだけれど 結局 母からの電話攻撃はずっと続き 姉からの話だと 近所の方が亡くなった、香典を包みたいが香典袋を買って来て欲しい等 母の家の裏はコンビニ なのに わざわざ 私に香典袋を買いに行って欲しいと そして 勝手にデイへの 休みの電話 デイから 私に連絡が来たり 翌日 自分でケアマネに電話して ケアマネを呼びつけ 香典袋を買って来てもらい 名前も もうちゃんと書けないから ケアマネに書いてもらい デイのお迎えは 具合が悪い ケアマネが来ると断ってしまう始末 旅先の私は はっきり言って もう何をしに来たのか? 疲れを取りに来たはずが ぐったりしてしまいました 母の電話は 私の病気 双極性2型を どんどん悪化させる それでも 関わらないわけにはいかない でも 帰った翌日 私はぐったりとして 起き上がることが出来なかったのも 事実 来週 自分の精神科受診 翌日は 母のアルツハイマーの受診 そして 来月初めから 母の白内障の手術の絡みで 暫くは滞在しなくてはなりません 多分 1週間程度の滞在が2回 その間に 病院同行が2回 そして 白内障の手術後の検診が終わったら 父の墓まいりのため 母を連れて一泊二日の遠出の予定 それまで 私の精神と身体は持つのかなぁ 結構 今現在でも ギリギリって感じです 来週の受診で ラミクタールの増量か? 他の頓服を出してもらうか? 7月に軽躁転した時から比べると はるかに頭も身体も動かなくなってきています いつまでもつのか いや、もたせられるのか 今 一番の不安です 私が温泉へ行っていた2日間 姉は 母に私へ電話させない様にと 具合が悪くなって病院行ったら そのまま入院になったから 暫くは電話に出られないんだよ と 話したそうです でも 母は 留守電にしてるから出ない と 母は もう自分の思い以外には 気が回らないわけです 今日は電話がありません 私が入院してると思ってくれているのかなぁ うそをついてしまったことは 悪い事をしたと思っています でも そうしても 何か 自分の気になる事がある時は 相手の都合なんて 考えることが出来ない だから 香典袋を買って来いと 私がダメなら 姉 姉がダメなら ケアマネ ケアマネがダメだったら どこに電話したんだろう そんな事もあり かなりキツい状況になって来てしまった私 出来れば 今週は 来週からの母の介護のために 心身を休めたいのだけれど さてはて どうなるのかなぁ、不安です
2015.09.20
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今週は 雨がすごかったです 我が家地方は まだマシだったけど 茨城や栃木 千葉等々 物凄い被害で 死傷された方々が沢山いらっしゃる 心が痛いです 本当に怖いです、被災された方々が1日も早く また元の生活を送れる様に 切に願います 月曜に 自分の病院に行って来ました 着いてすぐに呼ばれ...ドアを開けると 主治医が怪訝そうな顔をして 第一声が また痩せた?と いや、確かに2ヶ月で5キロ減ったけど 前回の受診からは 1キロしか減ってないですよ と答えました それでも このままなら また措置入院になるよ、もし倒れたら 救急搬送で 近くの病院に入院する様だよ、と お母さんの事はわかるけど 自分が倒れたら それこそ本末転倒でしょ、色々事情はあると思うけど 施設も考えなきゃダメだよ、と ま、簡単に言うと 母の介護に対して ドクターストップがかかってしまったって感じです そして 食事はちゃんと取れているのか?と聞くので それは大丈夫です と答えたのだけど 結局 少し体重を増やした方が良いと ジプレキサを処方されました そして 結局 また3週間後の受診になりました 2週間後だと シルバーウィーク 4週間後は 母の白内障の手術後の眼薬管理の為 実家で数日を過ごさなくてはならないので 3週間後しか 空いて無かったのですが でも ジプレキサも 朝の覚醒が悪く 這って起きても 何も出来ない、お弁当も朝食の支度も出来ない やっぱり 飲めません、生活に支障をきたしますから そして 当の母ですが 急速な勢いで アルツハイマーが進行しています 先週 緊急搬送され その2日後はケアマネさん同行で また緊急受診 月曜には 姉が紹介状を持って 母を元々 血圧の薬を処方してくださっている 近所の内科へ同行し また具合が悪くなった時の為にと 頓服を処方してもらいました が、実のところ 緊急搬送された時も 緊急受診した時も 紹介状持って行った病院でも 全てで心肺機能の検査をしても 全く異常はありませんでした 母は それでも 私はこんなに具合が悪いのに 先生はちゃんと診てくれていない、と そして その数日後 とうとう母が壊れました っても もう壊れかけていたのですが 半壊状態になりました 訪問看護の日 ケアマネさんは看護師資格を持っているので ケアマネさんが訪問看護として来て下さるのですが 毎朝 体調が悪いと訴える母に 朝が心配だから 午前中にヘルパーさんを頼んだらどうでしょうか? と提案してくれました これは 私からの希望もあったので ケアマネさんが母になりました話してくれたのですが すると母は 急に不穏になり そして 泣き出し それは号泣に変わり 怒鳴り散らし 自分の頭を 両手を拳にして殴り始めました ケアマネさんは 母の不穏を初めて目の当たりにして とても驚かれた様子でした が、普段 家族が母の不穏時の状態を話 大変だと言っても どの程度なのか?は 見なければ分からないわけで そういう意味では リアルに母の変貌を目の当たりにしてもらって こうなるんだと言うことを知って貰えて良かったのだと思っています その後 とりあえず 日曜からずっと母の体調を心配して滞在してくれていた姉と ケアマネさんに帰って貰い 泣き叫び 死にたい 生きてる意味がない もう病院も行かないし 薬も飲まないで このまま死ぬ等々 母の訴えを1人 聞いていました 1時間半ほど経った頃 泣く事にも疲れたのか? 時折 過呼吸気味にはなりかけたりもしていたけど 少し落ち着き始め それでも 私に 帰れ‼︎ 1人で何でも出来る 誰にも迷惑かけない もうどこにも行かないで ずっと家の中にいるから 帰って良い等々 まさか こんな状態で まともではない母を置いて帰るわけにもいかず 迎えの車を頼んだんだけど まだもう少し待ってないとムリみたいだから 少しだけ居させて とお願いして 横になり寝たふりをしてみました すると母は 仏壇にお茶と線香をあげ 亡くなった父に 何やら色々と話しかけていました そのうちに 母も泣き叫んで 暴れて疲れたのか? 横になり 寝だしたので 夕方まで様子を見る事にしました 夕方 起きてきたので 少し話をすると かなり落ち着いてはいました でも 夕飯に誘ってみたけど 窓の鍵を確認しようとしたら 自分でやるから 何でも自分で出来るんだから‼︎ と まだ少し不安定感も見えたので その日は1度帰る事にしました 翌日 昨日の一件もあるし 多分本人も意地になって 暫くは電話もないかな? とりあえず 日曜にでも電話してみようかな?と 思っていたら 夕方 母から電話がありました でも すっかり 不穏になる前の母に戻っていて 昨日の事は何も これっぽっちも覚えていない様子で いつもの様に 1人饒舌に喋り続けていました 母はいつも 携帯に電話をかけて来ます 正直 結構メンタルが疲れていた私は 少し話を聞いた後 家族に家の電話を鳴らしてもらい 電話がかかって来ちゃったから 切るね、ごめんね と言うと あ、ごめんね じゃあ またね と母からの電話は切れました 母のアルツハイマーの確定は6月の終わり頃でした そして 介護保険の認定が8月におり すぐにデイと訪問看護を開始したのですが アルツハイマーの進行の速さに驚いています 物忘れが酷くなって来て困ってる という母を物忘れ外来に初めて連れて行ったのが 6月の始め それから3カ月で 母はもう半分壊れてしまいました 先日 母のアルツハイマーの主治医が 今が一番大変な時だと思います、もう少しすれば 今よりは楽になりますよ、と 裏を返すと もう少しすれば 母はもう自分の意思を示す事もなくなり 感情表現もなくなり こちら側の人間が言うことに従う人形になると言うことにでしょうか ドクターストップがかかってしまった私 そして 今が一番大変な時だという 母 それでも 母を1人には出来ませんし どうにか自分の体調を崩さない様に 細心の注意をしながら 母の介護は続けて行くと思います、主治医のいう 措置入院か? どこかで倒れるまでは そこまでは やらなかったら 後で後悔しそうだから 母が もう何もわからなくなってしまったら その時は施設にお願いするかもしれません 私が措置入院させられたら その時はショートステイを使ってもらうかもしれません でも 今はまだ もう少しだけ サポートしながら 自宅で過ごさせてあげたいと思っています いつまで そう思えるのか?は わかりませんが
2015.09.12
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この所 肌寒い日が続いて 少しずつ体調を崩し初めてしまっています 私のメンタルも かなりの速度で下降している気がする 母の介護疲れの影響だいだと思います 今週 日曜から 母の用事を済ませる為に実家に1泊 整骨院へ行きたいと言う母を連れて行ったのが 月曜日 施術を受けて とても調子が良いと言う なのに 翌日 朝から体調不良を訴え 救急搬送された母 慌てて病院へ向かう そこには ベッドに ちょこんと腰掛けた母の姿が すごく心配したんだよ 何かあったら どうしようと思った 何でもなくて 本当に良かった 元気そうな母の姿を見て ほっとした が その言葉が母の気にさわってしまったのだろう 母は そんなに邪険にしないでよっ と 私に拳を振り上げて 殴りかかろうとしました 正直 今まで生きてきて 母から暴力的な態度を取られた事は一度もなかったから とてもショックを受けてしまいました そばに看護師さんが居たので 苦笑いしながら ごめん ごめん さぁ帰ろうね と母を促して 靴を揃えると そんな事くらい 自分で出来るわよ とまた怒りをあらわにする母 おそらく 病院で顔を見て ほっとした私が発した言葉が 母にとっては 具合が悪くなったんだから 仕方ないじゃない そんな事言わなくても良いでしょ と 思ったのかもしれません 母の診察結果は 心電図やらなんやら 色々検査をしたけれども 特に異常はないとの事 おそらく 不整脈から 過呼吸を起こして パニックになってしまったのだろう 入院出来なくはないけど 治療する事も何もないし アルツハイマーの母を入院させて 環境を変える事で 夜中に不穏になれば 結局家族に来てもらう事になるから 帰宅した方が 母のためには良いだろう との医師の見解でした 帰宅する車中 母は饒舌にずっと喋り続け 救急搬送された人間とは思えないほどの元気っぷり 帰宅後も ずっと喋り続けている ので 処方された 不整脈用の薬と精神安定剤よ頓服薬の説明を紙に書いて 薬を置いている場所に入れました 夕飯食べて行かないのかと聞く母に対し すでに疲れていた私は 子供達の夕飯の事もあるし 帰ろうと思うけど 1人で大丈夫 と聞くと 大丈夫よ と言う母 その日は とりあえず自宅へ戻りました もうすでにクタクタ状態 が 翌朝 また不調を訴え 朝一での電話 頓服薬を飲んで 横になる様に促して その日はその後は電話もなかったので 薬で落ち着いた様子 そして翌日 また早朝から 体調が悪い 気持ち悪い 心臓がおかしい等々 母からの電話 検査では異常はなかったのに ケアマネさんに 朝一で連絡をしました ケアマネさんから 母に電話を入れてもらうと すぐに来て欲しいと言ったそうです ケアマネさんが母を訪問して 結局 病院に同行してくれました おそらく アルツハイマーと不安神経症が原因なのではないかと 不整脈用の頓服薬と 近所の開業医宛の紹介状をもらい 帰宅した母 心配だったので 電話をすると 普通に元気そう とりあえず 一応 姉にも昨日今日の様子を伝えました 姉が母に電話をした所 今日は体調が良いから 今ベランダの片付けをしていると 汗をかいたのでシャワーを浴びてから 整骨院に行って来ようと思うの と アルツハイマーって 本当すごいね こうやって 周りの人間を振り回し 自分は何も迷惑かけてない 不安神経症からくる体調不良も 医師はどこも悪くないって言うけど 私は具合悪いんだから 医師がちゃんと診てくれていないのよ と主張する 救急搬送された日の夜 母から着信があった 夜中に具合が悪くなったのか と思い慌てて折り返しの電話を入れた所 何か私に聞きたい事があったけど 忘れたと言う そして その電話は延々2時間にも及んだ アルツハイマーの母は時間も関係なく 同じ話をずっとしている まるで山手線の様に ぐるぐると延々と 一方的に喋り続ける 結局 その電話は深夜12時を過ぎても続いた そんな事もあってか 私の精神的疲労は かなりの勢いで加速してしまいました 来週 月曜が 自分の精神科の受診日 主治医に 今後の相談をしようと思っています デイサービスも しぶしぶ行き始めたものの すぐに自分で 休みの電話を入れる様になってしまった母 ヘルパーは嫌だと言う でも ケアマネさんの訪問は ケアマネさんを信頼しているのか 受け入れてくれている様子 とりあえず 母に関しては 訪問看護の回数を増やし 徐々に病院同行や買い物同行で ヘルパーを入れようと思っています それでもダメなら ショートステイか 最悪老人ホームも視野に入れていかなくては 多分 私は倒れる事でしょう 今週 こんな日々を過ごした私に 姉が 今倒れられたら困るから とりあえず日曜に母の所へ行ってくるね と ので 今日明日 母からの電話がなければ 来週水曜の母の病院予約日までは 少しだけ休めそうな私です この所 ずっと母の事で動き回り 心身ともに疲労し 食欲も全くなくなってしまった私 気づけば ジーパンがゆるゆるになっていた この夏に サイズダウンしたので 新しく何本かパンツを購入したのに また無駄になってしまいました 仕方ないので 某プチプラ量販店は パンツを買いに行きました が やつれ過ぎた私の身体は そこのお店で一番小さいサイズのジーパンさえもゆるかった こんな日々が続けば おそらく私はまた医療措置入院になるでしょう 軽躁期も長くても あと1ヶ月 が もうすでに後は鬱期を迎えるだけの状態まで 精神的に落ちている状態 今月 まだ母の病院予約が何日か入っている 来月は 母の白内障の手術で1泊入院が2回 退院後の薬の管理のために しばらく滞在しなくてはならない それを考えるだけで 今からとても憂鬱な気分になります 決して母を嫌いなわけではないし 病気だということも 私なりには受け止めて接しているつもりだけれど 双極性障害の私にとっては 健常な人の何倍も負担に感じてしまいます 私が元気なら 独居が難しくなっている状態の母のそばに居てあげたい でも それは今の私には出来ない 自分の精神をすり減らし 身体が悲鳴をあげ始めているから アルツハイマーの母 そして 双極性障害の私 今後 どう向き合っていけば良いのだろう そんなこんなで 今週はかなり疲れました 明日明後日 母からの体調不良電話がないことを祈るのみです
2015.09.04
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8月もそろそろ終わりです そして MAX軽躁期も山場を過ぎ 今緩やかに下っている感じの今日この頃 最初は気候のせいかな なんて 思ってたんだけど どうやら 何かするのもかったるい 出かけるのも 面倒くさい 頭 重い 軽い頭痛がする等々 多分 軽躁期が下降に向かっているのでしょう なのに 今日は母の所へ行かなくてはなりません 行くのが面倒くさくて 朝からぐずぐず もう 夕方になります、今 母の家に向かっている電車の中です 今回 母の所へ行く理由は2つ 介護サービスの 居宅と訪問看護の契約は済んだものの 口座引き落としの紙を 契約時にケアマネが持ってくるのを忘れたから 口座引き落としの用紙記入のため 母は もう自分では こういった類の書類は一切書けません、理解出来ないから ね もう1つの理由は 来月末に 母の家のガスコンロを IHコンロに取り替えるのに 住んでいるマンションの管理会社に 工事の申請書を提出しなきゃならないため 正直 とっても面倒くさい でも 母はもう そういう類は全く理解出来ないので 仕方ないのです とほほ 片道1時間半は軽くかかる実家まで 電車3本乗り継いで 行ってまいります 来月は 7日に自分の精神科の受診予定です それまで 精神力が持つかどうか 不安です そこまで持ったとしても その後 母の脳神経外科受診やら 白内障の手術前の検査やら なんやかんや 来月も予定 色々入ってます 母の介護は 正直 今の私には かなりのストレスになっているのは 事実です が 他にこういう雑用の時に行ける人間が居ないので 仕方ないですが 母の白内障の手術は 10月 2週間毎に 片眼ずつ 一泊入院で 退院後は しばらく目薬の管理のため 実家に滞在しなくてはなりません ということは 10月は一カ月 母と一緒に過ごさなくてはならないと思うと 今から気が重いのが 本音です 11月に入ったら 母を墓参りに連れて行かなくてはならないし それが済んだら 主治医に頼んで 休息という名の入院でも させてもらおうかと ほんの少し思ったりしています
2015.08.30
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今日は 曇っているのにも関わらず 暑い 蒸し蒸しっとする 昨日は3週間ぶりの 精神科の通院日でした 珍しく小雨模様の中 午後一時半予約 でも12時半には病院到着 少しすると呼ばれました 主治医が顔を見るなり また痩せた?と はい、一ヶ月半前に2年ぶりにお会いした時から さらに4キロほど痩せました と答えました 原因は 一つ 母のアルツハイマーの介護による 心身共の疲労以外には ありません 主治医は 母の今の症状や介護環境を色々聞いてくれて このままではムリだよ また入院になるよ って そりゃね、私だって それはわかっているんです でも 今現在 私以外に頻繁に母の緊急呼び出しに対応出来る人間がいないんだもの 姉だって 先月だけで 地方から新幹線で3度も来てくれているのに 自営業の姉に これ以上は負担かけたくない けど まだ自分の意思のある母を無理やり 施設に入れるなんて事は 出来ません 結局 主治医も色々提案して下さったけど 中々 これだっていう方法が見つかっていないのが 現状です で 私の病状がどうなっているか というと 少しメンタルダウン気味 でも まだもう少し持つかなぁ といった感じです 前回 処方されたセロクエルは 朝5時起きでお弁当と朝食の支度をするのには ムリが出る はって起きても睡魔で2時間は動けない等々 問題点を伝え 中止になりました ラミクタールも増量なし 1日25ミリを一錠のみ あとは セロクエルの代わりに 頓服だったマイスリーを毎晩 サイレースは変わらず ワイパックスも1日一錠 他は 大建中湯と 抑肝散 以前は 薬を大量に処方されていた時は 1日に30錠以上の薬 それも種類が多すぎて 何が何に効くのか 把握も出来ない状態だったので 今は 把握出来る範囲なので 結構安心してます 今日は 母の介護関係の契約のため 実家へ向かっています 上手くいけば 明日から 水曜と土曜はデイサービス 火曜は訪問看護がはいる予定です でも 母は基本的に頑固で他人の意見は聞かない 自分に不利な事や否定をされると 泣き脅しをする 都合の悪い事は全て人のせいにする とんでもないくそばばあ←私の心の声 なので 上手くいくか どうか 蓋を開けて見なければ わかりません 上手くいってくれたら 私や姉の負担は減るのですが とりあえず 天国の父に上手くいく様にお願いしたいと思います そうそう 前回の受診で結構ひどい貧血だと言われてしまったので 昨日は鉄剤を出しましょう と言われましたが 以前 鉄剤でひどい便秘になった事があるので サプリメントで代用するので 鉄剤はやめて下さいと答えました 普通の人より多めに飲んでね だそうです 私の軽躁期 主治医の予告では 長くて10月半ばまで でも そろそろヤバいかも です 母の事が落ち着けば 鬱期に入るまで もう少し大丈夫だとは思うのですが こればかりは 当の本人である私にも わかりません 次回受診は 3週間後 やっぱり 一ヶ月はあかない様です
2015.08.18
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連日の猛暑で かなりヤられてます、私 でも 今日は母が介護認定を受けて 初めてケアマネさんとお会いする日なので これから実家へ行く予定です 私はまだ軽躁期を維持しているので 無事に実家へは行けそうです 母のアルツハイマーは 驚くほど進行が早い様に感じます 最近では 早朝からお金がない 通帳がない等 電話をかけて来る様にもなりました ◯◯を見てごらん と言っても そんな所にはしまってない の一点張り でも そこから 出てくるという 主治医に対しても 説明に不穏になってしまうし 腫れ物に触ると言うのは まさに今の母に対して 私や姉がそうなのかもしれません 母の言うことは絶対であり 万が一否定でもしようものなら 生きてる意味がない、辛い、死にたい と泣きわめくから そして その事が原因か 最近どうやら十二指腸潰瘍が再発してしまった様な私 以前 仕事でストレスを溜めすぎて 十二指腸潰瘍を患い 初期だったので 半月ほど仕事を休んで 薬で治療したのですが 今度は母の事がストレスの原因の様です でも 仕事は休めても 母の介護関係は 予定通りに動かなくてはならないので 結構しんどいのが 本音です 今日 ふと腕を見ると 火傷の様な跡が そして 両ひざに 転んだか ぶつけた様な内出血みたいな跡が 昨晩は アルコール飲んでないし 火傷した記憶もないし 転んだりぶつけた記憶もなく なぜなのか 私は寝ている間に何かやらかしているのか と怖くなってしまいました マイスリーの影響で 夜中に何かしても 記憶がないと言う話を聞いた事がありますが 私もそうなのでしょうか だとしたら マイスリー止めなきゃです サイレースとマイスリーで そこそこ眠れる様になって来ているので まだ止めたくない気持ちもあるのですが また同じ様な事があったら 次回の受診で主治医に相談してみます さて めっちゃ暑いけど そろそろ支度して 母の所へ行って来ます 明日は 母の眼科に同行予定です 白内障のため 入院 手術予定なので それについての説明と もう一度診察があるみたいです とりあえず 今日明日 頑張らなくてはです
2015.08.06
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今日も 暑い この暑さは 異常だと思う 私の体力を どんどん奪って行く 昨日は 元主治医の受診日でした 元主治医は 私が精神疾患を発症してからの 5年間のうち 2年目と3年目を受け持って下さった 私が関わって来た 精神科医の中では 1番信頼出来る医師です 4年目に移動で 別の主治医に1年程診て頂いたのだけれど その間に 2度の自傷行為で救急搬送 そのうち 1度は緊急手術 ICU行きになったという そして 精神科受診を辞めようと思う原因を作った医師 彼は いつも 言葉をごまかす はっきりとは 言わない その度に 私は真実がわかると 失望する事を繰り返した 彼に診て頂いた間 3度 ICUを含めたら 4度入院をした 1年間に 4度も そして 漢方薬に転向したけれど やっぱりダメだった私は 元の主治医に泣きついて 今に至っているわけです 昨日は 新しい病院での2度目受診日でした この猛暑で 何か起きたら大変という事で と、いうか 私は広場恐怖もあるので 最近は 広場恐怖は影を潜めているのだけれど 旦那さん同行で 行って来ました 前回 家から病院が遠いので 午前なら最後 午後なら最初の予約を希望したので 昨日は午後イチで行きました 午後も 予約よりは1時間くらい早くから診察してるよ と言う主治医の言葉があったので 早目に病院に行きました 本当 10分位待っただけで 呼ばれました 診察の時 前回からの様子 ラミクタール服用から 1週間で軽躁転した事を伝えました 主治医は たまたま鬱期を脱したのか ラミクタールの影響か 判断はまだつきにくい ので 増量予定を辞めて 今の量で 様子をみようと そして アルツハイマーの母と双極性障害の私が同居出来るか と聞いた所 出来れば辞めておいた方が良い でも どうしても同居が必要ならば 躁期かフラットな時に限ってなら仕方ない 鬱期を少しでも感じたら厳禁と 共倒れになるから と 確かに 生きてる意味がない 辛い 死にたいと 母が言った時 私が鬱期ならば 無理心中をしかねないのだとは 自分でも思います そりゃ 危険だよな 私が鬱期に入ったら ショートステイを利用する事 それ以外はデイやヘルパー利用で 他の人の助けを求めるのが 母にとっても 私にとっても良いと そんな事は分かってはいるのだけれど 母は今の家から離れたくない デイは嫌 ヘルパーも嫌 でも1人は不安だから 誰か一緒に住んで欲しいと うぅむ 悩む所です アルツハイマーとはいえ まだ意思を持っている人を こちら都合で デイやショートは多分無理だよなぁ でも 母の死にたい宣言や すぐ号泣するのは アルツハイマーの症状というよりは 元々の性格がそうさせているのだと 母の性格 うるさい親だったとしか 今となっては思い出せないのですが 父親が 衝動性と攻撃的な態度が酷い性格だったので 母はいつも父親のご機嫌を損ねない様にしていた様な記憶しかない様な その事を 姉にメールすると 同じ事を言っていました そして 妹の性格は その父の遺伝子をまるまると受け継いだ様だ と 確かに そうだと思います 私は 去年の夏 今年の2月 妹からのメールで打ちのめされ 10日位寝込んだ事があり 今はその事がトラウマになり 妹からの電話に怯え 居留守を使い どうしても伝えなくてはならない事がある時のみ 母の病院の報告等 メールで用件だけを報告している状況です そんな話を主治医にしたら まだ不安定なんだね と ワイパックスの頓服を処方してくれました 睡眠も グッドミンは全く効かなかった事を伝えると サイレースと 頓服でマイスリーを処方してくれました 私は ハルシオンは全く効果ないのです そして 眠りの質を良くする為に と セロクエルを出してくれました セロクエルは太りやすい精神薬と言われているので 前回私が 薬で太るのは不経済で困るから 太る薬は辞めて下さい とお願いしていたので 少し考えていた様ですが 現在 1番太った時より 15kg体重減少しているので 多量服用しなければ大丈夫だろうとの 見解の様でした が 昨晩 セロクエルを服用したら 眠れた事は眠れました 思いっきり爆睡状態 でもね 朝起きられない 起きても眠気が強くて 何も出来ない 覚醒するまで 2時間かかってしまいました 以前もセロクエルを飲んでいた時期はあるのですが その時は 他の薬も沢山飲んでいたので セロクエル自体が 私の身体に与える影響は考えた事がなかったのです 恐るべし セロクエル 今後は 次の日の朝 何も予定がなく 起きなくても良い時だけの服用にしようと思いました 早目に病院に行ったので 割とゆっくり 主治医と話が出来たので良かったです 次回受診は 3週間後 私の場合 鬱期か軽躁期しかなく フラットな状態がないので 1ヶ月間が空くことはありません 鬱期に入ると 最初は2週間に一度の受診 鬱期が酷くなると毎週 そして それでもダメだと 入院となります 今回の軽躁期が あとどの位続くのか と聞いてみた所 長くても3ヶ月 それよりは短いかもしれない 躁期はエネルギーを使うので そう長くは続かないのだと なんか 余命宣告を受けた気分になりました 乳ガンの告知の時より 複雑な気持ちになったのですが とりあえず あと長くて2ヶ月半の この軽躁期に母の介護サービスをどうにかしなくては と 思いました 軽躁期は 他人から見ると 調子が良さそうに見える様で 主治医も昨日は 前回よりも元気そうだね と でもね 鬱期の長い私にとっては この軽躁期 結構しんどいんです 主治医は 私がまだ発症前に バリバリサラリーマン親父の如く 仕事をしていた時期を知らないので 以前はもっと活動的だったんじゃない 今は 鬱期が長かったから 躁転して そう感じているのではないか と言っていました そうかもしれません でも 正直 しんどいのは事実です 明日は母のアルツハイマーの受診日です 遠方に住んでいる姉も わざわざ出てきて病院に同行してくれるとの事 お店をやっているのに 本当申し訳ない けどとてもありがたいと思います 母は 私が乳ガンになった事 そこから精神疾患を発症した事 全く覚えていません 元気なのに 働かず 呑気に過ごしている程度に思っているのだと思います ので 私も元気な娘を 演じているのですが 鬱期は 母からの電話もしんどくて 居留守を使わざるおえない事も多々あり 今後 どうするかも 姉と相談しなくては と思っています アルツハイマーも双極性障害も 完治はない病気 でも 双極性障害は薬である程度のコントロールが出来るのが 唯一の救いです アルツハイマーは 薬を服用しても 進行を抑える事は 今の医学では出来ないので そういう意味では まだ私の方がマシか とも思ってしまいました こうやって 長々と文章を書き続ける 軽躁期だから ね 明日 母の主治医に アルツハイマーと双極性障害の同居について また聞いてみようと思います さて なんと答えてくれるでしょう 母の主治医だから 母をメインに考えてくれるだろうと思うので また違う案を出してくれたら良いなと 淡い期待をしつつ ちなみに 母の主治医の勧めで申請した介護認定 結果は 要介護2だそうで 要介護2と 双極性障害が同居 笑えない けど 最悪は笑うしかないわけです ちなみに私は元福祉関係従事者ですが 仕事の時は 認知症だろうが 寝たきりだろうが こなせていたし ヘルパーの指導や育成 教育もしていたのだけれど 実際に 自分の親となると どうしたら良いものか さっぱり わかりません 春に旦那さんのお義母さんが 骨折して入院した時は あれこれと提案して 病院や施設のケアマネやリハビリのスタッフさんとも 相談出来たのに まぁ そんなものかもしれないですね 明日 母が不穏にならず 機嫌が良い事を祈るのみです
2015.07.28
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先週半ばに 軽躁転したのか?という行動をとっていた私ですが 翌日 朝 母親から 具合が悪いと電話があり 急遽 実家へ行って来ました 実家まで 電車で2時間程度かかります 到着した頃には ケロっとしていました、多分 独居の寂しさから 電話をかけて来たのもあると思います でも せっかく行ったのだし、またすぐに呼び出されるのは 私も体調が悪いとしんどいので とりあえず 病院をハシゴして 病院が全て終わった頃には夜になっていましたので 外で食事を済ませて その日は実家に泊まりました やはり寂しかったのでしょう、母親はずっと喋り続けていて 軽躁転している私でしたが さすがにしんどくなってしまい 先に寝る事にしました それでも 独り言の様に喋り続けている母親 翌日は コンサートに招待されているとの事だったので 駅まで送ったのですが 待ち合わせした方と どうやら時間を間違えていた様で 結局コンサート会場まで送りました ...その2日間で かなり疲れてしまったのですが 今 住んでいる家の他に 山の中に家があるため 草むしりと植木の枝切りに 行きました 母親の所で疲れたはずなのに 行った日は 夜3時頃までテレビを観て 翌日は朝の7時には起き 8時から草むしりや枝切りをしました やっぱり 躁転しているのだと思われます その日 自宅に戻るのが遅くなってしまったので 旦那さんと子供達と外食をしたのですが 自分でも なぜなのか? 良く喋った様に思います 鬱期は 1日ほとんど喋らないので これも躁転したからだと思います 私の場合は 躁期でも 軽躁なので 多分これ以上何か? びっくりする様な事はないと 思うのですが 過去に何度か自傷行為など ありますから この 鬱期と躁期の変化する時に 気を付けなくてはと思っています 昨日 今日は比較的落ち着いて 過ごせています 昨日は軽い熱中症になったのか? 一日中頭痛がしていました 梅雨も明けたそうなので 気を付けなくてはいけないですね 食欲もわかないので なるべく食べやすく ある程度のカロリーが取れ なおかつ簡単なメニューを考えなくてはです 今は まだ台所に立てる状態なので 鬱期に入るまでは 出来る事は 少し頑張ろうと思っています ラミクタールを飲み始めて一週間での軽躁転 いつまでつづくのかなぁ?
2015.07.21
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最近 また改めて自分の病気=双極性障害2型 について勉強する事にしました これまでは 主にネットから情報を得ていました 最近 本を買い 改めて勉強してみました 病気について もう一度ちゃんと知る事で 前向きに治療を受けていこうと思ったからです 双極性障害の発症の原因は 主に3つあり 遺伝的要素・環境的要素・性格的要素があるそうです そこで 自分に照らし合せて考えてみました まず 遺伝的要素としては 亡き叔母は精神科にずっと通院していました、病名はわかりませんが 血縁に精神科に若い頃から通っている人がいて 多分ですが その精神疾患が原因で離婚したのだと思います そして てんかん持ちの血縁が 私の知る限り 2人居ます、が そのうち1人は治った様ですが そして 私の亡き父親は 今にして思うと 境界性人格障害だったのではないかと... 当時は 毎日お酒を飲んで居たので アルコール中毒なのか?と思っていたのですが でも 仕事は真面目に行っていました 突然 人が変わった様に鬼の様な形相で怒鳴り散らし 物を破壊する事が度々ありました それ以外にも 今にして思うと、という点があり きっと境界性人格障害ではなかったとしても 何かの精神疾患があったのではないか?と思います そして 私の子供の1人は 幼児期にLD障害とADHD(注意欠陥多動障害)と診断されました 今は その症状はほとんど見受けられませんが 双極性障害とADHDは 密接な関係性があると 本には書かれていました と言うことは 子供に私の精神疾患が遺伝した可能性はかなりの高確率で 当てはまるのではないかと思います そして 環境的要素としては 当初 不眠症と言われた頃だと思うのですが 乳がんの診断を受け 手術をしたり、治療が長引いてしまい 仕事を辞めてしまった事が原因なのでは?と思います 最後に性格的要素ですが 私は普通の人に比べて 相手の言葉に対して 過敏に反応してしまうそうです、これはI医師から言われるまでは 自分では気付かなかったのですが その事を旦那さんに伝えたら そういう所は多々あるよね と言われました この3要素 全てが重なった事で 発症したのだと思います 学生時代にも よく友人関係で悩む事がありました 物事に対して 固執して考え過ぎて悩んでしまうのだと思います 改めて この3要素と今の自分を照らし合せて 今後どう治療に向けて 自分に取って良い選択が出来る様にするか? もっと勉強して行きたいと思います ...今日は 昨夜ほとんど眠れなかったのに 朝から動けました そして 何故か?自分でもわからないのだけれど いつもは行かないお店へ行って なんだかんだと買い物をして来ました、それも 何故か?化粧品とか健康食品とか これって マズい症状だと思います うつ期を脱して 躁転している? 自制しなくてはいけないと思うのですが なぜそんな気になったのか? 帰って来てから どうしてだろう???と考えてしまいました 次回の受診まで まだ2週間近くあります その時に I医師に今日の事は話そうと思っています ラミクタールの影響なのでしょうか? ラミクタール まだそんなに量多くないんですが 1年ほど精神科の薬を辞めていたから 身体が敏感に反応してしまって こんな事になったのか? 何だかわからないけど 気をつけなくてはと思っています
2015.07.15
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私は5年半ほど前に 乳がんの手術を受けました その後 不眠が続く様になり 当時かかっていた公立病院の神経科受診を勧められ 1年ほど神経科で 不眠の治療を受けていました 最初の診断名は 不眠症 暫くすると 幻聴や幻覚が現れる様になり 診断名は 適応障害 そして 薬も増え 睡眠導入剤から 精神安定剤やら 抗うつ薬やら 何だか よくわからないけど 薬の種類が増えて行きました その頃から 少しずつ体重が増えて行ったのですが その時は 眠れない辛さや 鬱状態になる事が辛かったので 指示されるままに薬を服用していました が あまり症状は改善されず うつ病と診断されました この頃 主治医の勧めで 初めて入院する事になりました ただ その公立病院には 神経科の入院病棟がなかったため 公立の大学病院の精神科での入院となりました その病院では 躁鬱病と診断されました そして また薬が変わったり 増えたり 私の体重は あっと言う間に増えて行きました そして その後も何度か 任意や医療措置での入院を繰り返し 最後についた診断名は 双極性障害2型でした 四年間 神経科 精神科にかかっていたのですが その間に 見事に 体重は 12〜13Kgも増えてしまいました 治療前と治療開始で 食欲に大きな変化があったわけではありません むしろ 拒食気味になり 入院中も食べられない、でも 食事チエックをされているので 食べないと退院出来ない、食べたふりをして トイレのゴミ箱に食事を捨てる事を繰り返し 血糖値が下がり過ぎて バレてしまうなどの事もありました 強いて言えば 治療を開始する前よりは 運動不足になった、というか 薬を服用し始めてから あまり動けなくなってしまった、という感じでしょうか 去年の5月 私は入院中に もう このまま治療をしても良くはならないのではないか? だったら もう治療を辞めよう と 勝手に脱走の様な形で大学病院の精神科を退院しました 入院中なのに 主治医の許可も取らず 勝手に帰って来てしまったわけです その後 漢方薬で精神の安定をはかる事は出来ないのか?と思い 漢方薬専門の病院にかかる事にしました 当初 漢方薬の病院の主治医は 貴方の様な精神疾患は漢方薬では 治す事は無理だろう とおっしゃっていましたが 無理矢理頼みこんで とりあえずやってみましょうか... となり 1年ほど漢方薬を服用してみました 漢方薬開始をして暫くすると うつ状態を脱して 精神的に安定した日々を過ごす事が出来ていました 今にして思えば 単純にうつ期を脱していただけだったのですが そして 体重はみるみるうちに減り 精神科の薬を服用する前にまで 戻りました よく ネットで 精神科で出される薬で太ったなどと書き込まれていますが、私の場合も多分そうだったのだと思います が、結局 今年の春以降 またうつ期に入り 再発してしまったので 大学病院の最初の主治医 I医師の受診をする事になったのです I医師には 前回の受診で 異常な体重増加を伝え なるべく薬の種類は増やさないで欲しい事 体重増加の可能性がある薬は処方しないで欲しい事を伝えました なぜ 体重増加にこだわったと言うと はっきり言って とても不経済だからです 体重増加してから 服も下着もほとんど買い替え 治療費以外の出費が かなりありました そして 体重が戻った今 持っていた服は大き過ぎて ほとんど着れず また買わなくてはならなくなりました 4年もの間 太り続けていたのだから仕方ないのかもしれませんが 安い普段着なら まだ仕方ないで諦められるけど スーツなどは そんなに着る機会もないままで 今後も着る事はもうないと思うと 本当に不経済だと思いました そして 元に戻った体重ですが 今現在 この暑さのせいか? 食欲がほとんどないため さらに落ち続けています ので なるべく食べる様にはしているのですが... 体重管理 難しいですね ちなみに 精神科の薬の服用を辞めたと言っても 不眠症と不安感があったので ワイパックスとマイスリー デパスは必要に応じて服用していました でも 体重が落ちたということは この薬に限っては 体重増加の副作用はないのかな?と思います 精神科で出される薬のどれが 体重増加の副作用があるのか? あまりにも沢山の種類を服用していたので わかりません とりあえず 今後はI医師と相談しながら 体重増加の副作用のない薬を処方してもらおうと思っています ...太っていた時に購入した服は 万が一にも また体重増加した時のために お気に入りと高かった物は まだ取ってあります どの位 サイズアップしたかと言うと 7〜9号 Sサイズ から 11〜13号 L〜LLサイズになりました(メーカーやデザインによって 多少のサイズの差があるので) 今は またSサイズに戻りましたが 治療開始から5年以上たってますから 治療前の服も下着もほとんど捨ててしまったので とんだ出費となってしまいました 体重が戻った分 身体は軽くなりましたが お財布も軽くなりました
2015.07.14
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昨日は 午前中はダルダルしていたものの 母親に頼まれた用事を延ばし延ばしにしていた事もあり 夕方から 外出しました 途中で具合が悪くなったら...と 不安もあり 旦那さんにも一緒に行ってもらいました とりあえず 用事を済ませ 思ったよりは動けたので ちょっとお店に寄って 帽子を買いました 帰りは 少し疲れたので 夕飯を個室の居酒屋さんで少し食べて 帰宅 本当 久しぶりにビールを飲んだけど 暑い日だったから 美味しかったです 寝る前に グッドミンは 私には効かないなと思い デパスジェネリックと ベルソムラ ロゼラパムを服用しました 昨日の朝 5時には うとうとも出来ずにゴロゴロしていたので 暫くして 少し眠る事が出来ました グッドミンよりは まだ多少効果ある様です 今朝は 旦那さんと3男君のお弁当と朝食の支度があったので 頑張って5時から動きました 調子が悪い時は 身体を起こす事も出来ないので 大分調子が良くなってきている様です でも 旦那さんが仕事に出た後 またベッドに戻って 暫く休んでしまいました 少し動くと やっぱり頭も身体もすごく疲れます でも 昨日出かけて それでも今朝動けたので 調子は良くなっているのだと思います 午後 溜まっていた洗濯物を片付けて 洗い物を済ませる事もどうにか出来て そして またゴロゴロして 身体休めています でも 一日中横になっていた状態から 脱する事が出来始めたので 鬱状態脱出まで もう少しかな 鬱の時は 何もしたくないし 何も食べたくない 何か欲しいなんて事もない でも 昨日は洋服屋さんにかけてあった帽子を見て 欲しいと思ったから... 今日は結構動けたけど ちょっとパワー使い過ぎたかな 夕飯は2男君が作ってくれるそうです 買い物 しんどいから 本当助かります 私は 広場恐怖の症状が以前あって そのため 時々 人が大勢居る場所に行くと また発作の様な症状が出るのではないかと不安になってしまいます だから 外出する時は必ずワイパックスやロゼラパムを服用しています 去年一年間 精神科受診を辞めて 漢方薬に切り替えてみた時も 残薬のワイパックスが沢山あったので それは服用していました このまま 鬱期を脱する事が出来たらありがたいのだけど... 何事もなく ストレスがなければ 復活出来そうに感じている今日です
2015.07.13
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昨日までの 様子をまとめて書いておこうと思います やはり グッドミンでは眠れませんでした ロレザパムも一緒に服用しても 夜は眠れず 朝になって しんどくて動けないという数日を過ごしました 家事もほとんど出来ず 子供達が 洗濯や食事の支度をしてくれました 自分が何も出来ないという思いもあって 旦那さんの朝食とお弁当だけは 作るものの その後は ベッドに這うように潜り込んで ひたすら身体と頭を休ませていました その間に母親から電話があったのですが 母親は最近アルツハイマーと診断され 記憶機能と認知機能の著しい低下が目立って来ています その母親の電話に 回らない頭で出てしまった私は 前日の夜と同じ話をする母親に 「あ、昨日言ってたヤツね」と ポロっと言ってしまい、昨日も同じ内容の電話をかけて来た事を覚えていない母親を泣かせでしまいました 母親の地雷を踏んでしまったという感じでしょう その後 一生懸命フォローして 何とかその場は収まったものの 私の鬱は悪化してしまいました また ベッドに潜り込んで 軽い頭痛の中 鬱々としていました まだ ラミクタールを飲み始めて数日、効果はさほどないのでしょう 昨日は 午後になり 泊まり勤務の旦那さんが帰宅していた事に気付いて 身体をベッドから引き剥がす様に起き 最低限の家事を済ませ 夕飯も ごくごく簡単な物を作り ...そしたら もう身体を起こしている事がしんどくてしんどくて ベッドに這うように潜り込んでしまいました ずっと なんとなく うつらうつらと言う感じで 朝を迎えました ラミクタール 早く効いて欲しいなぁ まだ 25ミリだから 中々効果は感じられないですね 次回受診が月末だから その時には増量されるかな? グッドミンは 私には全く効果が無いようなので 他の眠剤に変えてもらおうと思っています でも 月末の受診まで まだまだ日があるから しんどいです とりあえず 手持ちのベルソムラとデパスジェネリックも併用して 次回受診まで乗り越えなくては と思っています 鬱期に入って まだ1ヶ月半位なので もう暫くしんどいのが続くと思うと 気が重いです 発症からは丸5年 その間の精神科受診は4年間 なので 自分が今どんな状況かは ある程度わかるのですが 今回 希死念慮が収まって来ているので まだ楽な方だと思います
2015.07.12
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昨日は通院の疲れもあり 夕飯は帰りに駅のデパ地下で お弁当を買って帰りました 疲れたので 夕方早目に食事を済ませ... 最近 食欲があまりなく お弁当もオカズだけしか食べられなかったのだけど とりあえず 抑肝散 大建中湯 ラミクタールを服用しました 7時を過ぎた頃には もう身体を起こしているのも辛くなってきたので 寝る事にして と、言っても いつもは中々寝付く事が出来ないのだけど 処方されたグッドミンを飲んでベッドへ... デパスのジェネリックよりは良かったみたいで 暫くして入眠出来ました が、11時には覚醒 さてはて どうしたものか? このまま起きてるのは 身体が辛いし... 仕方なく 回らない頭で考えた結果 手持ちのデパスジェネリックと 単品では 私には効果のなかった ベルソムラ(眠剤) ロラゼパムを 服用する事に 結果 その後 疲れもあったのか 今日のお昼近くまで眠りました、効きすぎたかな? 起きて 抑肝散と大建中湯 服用 が 起きても薬が体内に残っていたのか? 中々動けずに 活動開始したのは 午後3時過ぎでした どうにか身体を動かして 洗濯を済ませ... でも 出かけた翌日に動けるのは 最近の私には珍しいこと 夕飯は 旦那さんにデパ地下のお魚コーナーで お刺身を買って来てもらう様にお願いし どうしても必要な物を買いに 徒歩30秒のスーパーに行きました ラミクタール 昨日の夜 久しぶりに飲んだだけ あとは とりあえず寝ていた のに 動けたのは 今の私にとってはすごい事だと思います 以前 最初にかかっていた神経科の医師が 身体が辛い時はとにかく寝て 頭と身体を休めて下さいと言っていたけど その通りだと思いました 寝たから? ラミクタール飲んだから? 今日は この1、2ヶ月で1番調子が安定している様に感じます 昨日 I医師の受診で 辛い事を話せたから それもあるのかもしれません このまま 鬱期を抜け出せたらありがたいなぁ〜と 思ってます I医師に とりあえず入眠が出来る薬を処方して欲しいと お願いして 処方されたのが グッドミン 本当に 入眠は出来たものの 覚醒が早かった もう少し そのまま眠れてたらなぁ... デパスジェネリックやベルソムラ 勝手に飲んでしまったし あと数日 様子をみて ダメだったら グッドミンを他の薬に変えてもらおうと思います
2015.07.09
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大学病院の精神科の最初の2年間 主治医として診て下さった医師 I医師 I医師が 他院に移動になり その際 移動先の病院が遠い事 私の病状は薬でコントロール出来る事から 後任のH医師に引き継がれました が私は そのH医師に担当して頂いた1年間の間に 2度の自殺未遂で救急搬送 入院をする事になってしまったのですが... その間にも 任意での入院もしました が 私がH医師を信頼出来なかった事が 自殺未遂を引き起こした 原因の一つだとも思っています 昨日 2年間振りにI医師の受診を受ける事が出来ました 公立病院の神経科やクリニックなど 色々行った中で 1番信頼出来たI医師 2年振りでしたが 覚えていて下さいました I医師が移動してからの事を話し 今後について話をされました I医師は H医師はとても良い医師であり なぜ不信感を持ってしまったのか?と 聞いてきました 私なりの理由を答え I医師以外の受診はもう無理だと思うと伝えました 家が遠いけれど 通えるのならば こちらに通ってみますか? とおっしゃってくださり 今後は当面I医師を受診する事になりました 大学病院の通院を辞める時に H医師が書いてくれた紹介状 もう精神科を受診する事はないだろう...と開封してしまったのですが 1年前の開封された紹介状を 「普通さぁ こういうのって開けちゃダメなんだよ」と 半ばあきれ顔?で 読んで 途中までは 僕と研修医が書いたヤツ(サマリ)だね と、さらっと読み流していました 次回は 今月の27日の受診予定 帰り際 血液検査を受けました 処方された薬 ラミクタール 25ミリ 1日1T ロラゼパム(ワイパックス ジェネリック) 0.5ミリ 1日1T グッドミン(ブロチゾラム ジェネリック) 0.25ミリ 1日1T ツムラ 抑肝散 1日 2.5g×3 ツムラ 大建中湯 1日 5g×2 病院代 (3割負担) 6510円 薬代(20日分) 1900円 ...次回 I医師と相談して 障害申請をしようと思っています 大学病院の精神科にかかっていた時は 障害申請をして 医療費の負担が1割だったので 手続きにいくのは 面倒なのですが これから先を考えると 申請しておいた方が良いと思いました
2015.07.09
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6月のある日 スーパーで買い物中 夕飯に何を作って良いのか? 何を買ったら良いのか? 全く わからなくなり 涙が流れて来ました ヤバい? これって 以前大学病院の精神科で治療を受けていた時 同じ様な事があったな、と その後 日を追うごとに 起きている事が辛くなり ベッドに横になる時間が長くなり 家事が出来なくなり... わけもなく 涙が流れて来て 不安感と 自己の存在価値がわからなくなり 生きている意味がわからなくなる そして 希死念慮が出てしまう という負のスパイラルが 復活してしまいました 大学病院での治療を辞め 漢方薬での治療に切り替えた後 ずっと不眠に悩まされていたので 睡眠導入剤として 近所の総合病院の内科で マイスリーを処方してもらっていたのですが ある日 突然「貴方の様な不眠は 精神科か心療内科へ行って下さい、もうこちらでは薬は出せません」と 言われてしまいました 精神科へまた行く事に 抵抗があったので 個人輸入で デパスジェネリックを購入する事にしました 100Tで 約1万円 けして安い物ではないけれど それでも少しでも効けば...と 正直 デパスのジェネリック 私には効果はあまりなかったと思います それでも 他に睡眠導入剤を手に入れる方法 病院にかからないで...と なると これしか思い浮かびませんでした でも 6月に 再発の症状が現れた時 やっぱり漢方薬ではダメなんだ、漢方薬が効いていた と思ったのは 単純に鬱の期間を脱していたからなのだ、と認識しました どうしよう、多分 このまま行くと また自殺を図るかもしれない... その頃は 毎日わけもなく泣いて 家事も出来ずに ただただ 寝込む日々にまで落ちていました そして 回らない頭で考えた結論が 大学病院の最初の主治医(今は移動で 他の公立病院に勤務しています) その主治医の勤務先の病院へ電話をかけ 主治医の受診を受けたいと 伝えました その電話は 受け付けから 看護師 そして主治医につなげてもらう事が出来 主治医が移動になった後 新しい主治医の受診〜現在までの事を 話しました 一通り 私の話を聞いて下さった後 「遠いけど 通えますか?」と もちろん 診てもらえるのなら 通いますと答えました そして 昨日 やっと 大学病院で 最初の2年間診て頂いていた主治医の受診を受ける事が出来ました
2015.07.09
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このブログでは 乳がんの手術後から 精神疾患を発症し その間の日々の事を書いてきました そして 去年 自殺未遂をし 入院 その後 精神科受診を自らやめて 漢方薬での治療を選択しました 精神科の薬を全て辞め 漢方薬に切り替えたのですが 暫くは 激しい不安感と希死念慮に襲われて とても辛かった日々でした それでも どうにか 身体が慣れてきたのか? たまたま 鬱の期間を脱したのか? 普通の生活に戻りつつあり 年明けには 夏くらいから パートで仕事に行けるかも? 位まで 落ち着いて過ごせていたのですが... 4月も終わりの頃から 何か?変だな と、5月に入り 気分が滅入る日がやってきて 6月 とうとう 双極性障害2型 再発してしまいました ので 今日から また その記録として こちらのブログを書いていこうと思います
2015.07.09
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ブログを書いてなかったので、忘れない様に覚え書きです 8月 友達とビアガーデンとカラオケに行った 漢方薬の病院と 近所の総合病院に行った 夏風邪ひいて 飲み会に行けなかった チビちゃんと夜中にカラオケに行った 9月 1日から念願のUSJと大阪観光に行った 何十年ぶりに新幹線に乗った 帰って来てから 歯が痛くなり ずっと歯科通院中(現在も) 漢方薬の病院と 近所の総合病院に行った 誕生日に旦那様がケーキを買って来てくれました 夜は近所の居酒屋さんで 中兄ちゃんと旦那様と3人でご飯食べました 年末の旅行わどこにするか?で、ただいまプランニング中 9月も不眠がきつかったので、あまり出かけられなかったなぁー こんな感じで 覚え書きです 来月から ブログはアメブロに移行します 拙い私のブログを読んでいて下さった方々 ありがとうございました 乳がん 精神疾患で辛かった5年間でしたが、ブログを読み返すと 当時の事が思い出されて 書いていて良かったと思います 健康な身体は本当に宝物ですね 皆様 くれぐれもお身体ご自愛下さい
2014.10.04
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水曜日から熱海に行って来ました 肩こりがあまりに酷いので 温泉で温めたら少しは良くなるのか?と、思って 温泉でがっつり温めた後に マッサージ機で肩をメインにモミモミしてー また温泉入ってー の繰り返し 気持ち 楽にはなったかな 翌日は熱海の海釣り公園に行ってみました 魚釣りをする予定だったんだけど、先に釣りをしていた方々の釣果をしばし眺めー 全然釣れてない、ので 釣りは今回はやめました 実は 先週 中兄ちゃんがお小遣いをくれまして 好きに使いなさいと言ってくれたので 整体に行ったのです そこの先生 タイで整体の医師免許を取ったという人 タイではマッサージ師は医師免許(国家資格)らしいです 背中を伸ばしてもらったら バキバキバキってすごい音がしました で、一時間丁寧に 首から足先までマッサージしてもらったんですが 肩と背中がすごく凝っていたそうで、これじゃ辛いよねーと言われてしまいました 中兄ちゃんからもらったお小遣い 整体の残りは 以前住んで居た所のお友達と久しぶりに飲みまして ありがたく使わせてもらいました で、熱海に行って 肩こり少しは良くなったかなーって感じでいたのですが チビちゃんが マッサージ機をプレゼントしてくれました 今のマッサージはすごいです、しっかりモミモミしてくれます 前から持っていたマッサージ機は叩きがメインだったので モミモミメインだとすごく気持ち良いです 今月の頭に独立している大兄ちゃんから お中元でジュースの詰め合わせを頂きました 今月はなにやら息子さん達からのプレゼントが多かったですな ありがたいコトです 先月 息子さん達と久しぶりに全員で顔を合わせたので ご飯を食べて カラオケに行きました とても楽しいひと時を過ごしました 大兄ちゃんに泊まっていったら?と聞くと 明日朝イチ出張だからムリとのコト なかなか忙しいようです また時間作って 家族みんなでご飯したいなぁって思います っても なかなか皆さん忙しくので厳しいのですが... いつまでも息子さん達と遊べる様に元気でいなきゃですね
2014.07.26
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前回のブログを書いたあと、体調を崩して寝込んでいたため、だいぶ間が空いてしまいました さて、下田の2日目のことを書いていきたいと思います 朝 9時にホテルを出発 空は小雨模様 とりあえず 6月30日まで 紫陽花祭りが開催されていた下田公園へ 下田水族館方面には無料の駐車場がある様ですが、ペリーロードにも寄りたいので コインパーキングに駐車 ペリーロードを抜けて 下田公園へ 紫陽花祭りは終わっていましたが 紫陽花はまだまだ満開状態でした 紫陽花の根元には穴がポコポコ空いていて カニがいました 多分下田公園の紫陽花は日本一なのかな? 山一つが紫陽花に埋れていると言った感じで 種類も色もとても多くて 紫陽花のトンネルや小道と言った感じの所を歩きます 朝降っていた雨も上がって 素晴らしい紫陽花鑑賞が出来ました それにしても すごい紫陽花の数 感動ものでした 下田公園を後に ペリーロードへ寄りました 小さな川の両側が歩道になっていて 歴史を感じさせる建物が建っています 昔 開国をせまったペリーさんが歩いたという道 歩道沿いには こじんまりした食堂やカフェがありました 平日だからか お休みの所が多かったですが ペリーロードは思ったよりはすごく短くて これをメインに観光した少し物足りないかなぁ 下田公園とセットなので 楽しめましたが 下田公園とペリーロードのあとは izooという 爬虫類専門?の動物園に向かいました この施設は以前はアンディランドといって 亀の専門観光施設だったんですよね 入ってみると ヘビ トカゲ カメが居ました あと、ワニとビーバーも居たな 係員さんが ヘビやトカゲを抱っこして歩いて居ます 希望すれば 抱っこして写真を撮ることも出来ます ので、私はヘビを首にかけたり 1m位?のトカゲを抱っこさせてもらいました 爬虫類は人に懐かないと思っていましたが 個体差があるそうで 抱っこさせてもらったヘビもトカゲもとてもおとなしかったです 思わず 飼いたくなりまして、旦那さんに欲しいと言いました が、今 我が家には犬と猫と熱帯魚がおりますので 今は無理と言われちゃいました ま、そりゃそうですな カメはリクガメが沢山いて、触ったり餌をあげたりできます リクガメは通路をウロウロと歩き回っていて 放し飼い状態でした 建物の外にもものすごく大きなリクガメが沢山いました 今は 求愛の時期との事で リクガメが鳴いていてびっくりです おぅっ!おぅっ!って 大きな鳴き声を出していました なかなか面白い施設です ほとんどが屋内なので、雨の時には良いですね で、下田はこれにて終了 あとはお土産屋さんで 干物や煮付け 貝 カマボコ等を買って 高速のSAで地元野菜を購入 帰宅してから 買ってきた物で夕飯にしました いつもは出掛けても 温泉と食事位で観光らしい観光はしないんですが、今回は結構あちこち寄って面白かったです で、帰って来た翌日 不眠の改善のために 近所の内科へ行きました マイスリーを処方してもらいました 一ヶ月分しか処方出来ないそうです ので、一ヶ月分頂いて 10mgを処方してくれたので 半分に割って服用してます で、夜からなんとなく喉の具合が悪くなってきたのですが、 多分 温泉で朝風呂に入ったせい?かと 水曜から日曜までダウンしました 久しぶりに熱を出し 鼻水と咳と痰と格闘してしまいました 年齢的にもかなり体力がなくなっているのを痛感しました 今はかなり復活してきましたが まだ咳と痰が続いてます、しつこい!! 帰って来て一週間、でもまたどこか温泉行きたいなぁと思っております が、旦那さんの仕事が ね 結構 お忙しい様で 残業続きです そういえば USJにハリーポッターオープンしましたね 行きたいーっ!行きたいなぁ でも、夏休みは混んじゃって無理だろうな 夏休み過ぎて行けたら良いなぁと淡い期待をしつつ でわでわ また
2014.07.16
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沖縄が大変な事になってますね 我が家地方はまだ全然関係無いといった感じですが、週末辺り台風来るのでしょうか? 日曜日の午後から伊豆下田方面へ一泊で行って来ました 圏央道と東名が繋がったので、かなり時間短縮されて 3時過ぎには下田のちょい手前のホテルに到着しました ホテルの窓からは白浜海岸が目の前に広がり とても綺麗です 早目にホテルに到着したので 海岸の端の岩場へ行って釣りを試しました ...釣れました、フグ それも10cm位の もちろんリリースです その後 何度か試すものの フグに糸を切られてしまって 結局 他のお魚はダメでした、くすん ホテルに戻り温泉タイム なかなか良い感じの温泉です 洗い場も個々に仕切られていたしね 露天風呂も丁度よい温度 少ししか温まってなくても 汗が吹き出てきました 夕飯は5時半から8時までの好きな時間となっていたので、6時頃に食事会場へ これといって 目新しい物はありませんでしたな 伊豆なのに 刺身の盛り合わせがびっくりする位まずかった、ので残す でも 伊勢海老の鬼殻焼き 鮑の踊り焼き 金目鯛の煮付けはとても美味しかったです なんか 屋台券なる物が1人3枚あって あげたて天ぷらや カツオの刺身 茶碗蒸しとか 手羽先とか...あとはケーキやフルーツ アイスと交換出来る様になってました 旦那さんと二人で6枚あったので カツオと天ぷらと茶碗蒸し フルーツを3種類交換しました 先付けとお刺身の盛り合わせのまずかったのを外せば 料理もまぁまぁかな 生ビールは売り子さんがワゴン押しながら来て 入れてくれました なかなか面白い趣向のホテルでした 部屋食もよいけど こういうのもたまには面白いと思った私です エステも行って来ました 肩から足元までしっかりマッサージしてもらって、不眠からきてる肩こりも楽になりました エステのお姉さんいわく 左肩がガチガチだったそうです 良かった エステうけて 夜は窓を開けておくと 波音が聞こえてきました なかなか心地よいです でも 眠れない私は諦めて 眠剤飲んで寝ました、なんとなくうつらうつらと朝を迎えました 朝食はテラスレストランでバイキングでした 和食洋食共に まぁまぁの品数で これまた目新しい物はありませんでしたが、美味しく頂きました で、ホテルの売店でやっている朝市で 金目鯛のひらきや鯵の開きなどを買って 天気が心配でしたが、下田へ向かう事にしました ホテルは建物自体はかなり古かったけど、掃除も行き届いていて スタッフさんの感じもとても良かったので また機会があれば行こうかなって思います、ま 刺身の盛り合わせが改善されることを祈りますな
2014.07.09
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