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◇2007年7月過去ブログです◇ ↓ 『私のメイクセラピストのスタート』 メイクセラピスト?? セラピーメイク?? 何???? よく聞かれます。(^-^)/ 私が、メイクセラピストになって、 “これかぁ”と実感した話です♪♪ 自分が癌摘出手術を受ける病院での メイクボランティアの時でした その方は 38歳、独身、自宅通勤。三度目の転移で、手術 私が入院した時、同室で 『二年ごとに転移するよ』と魔女のような発言?? でも…そりゃ、三度も転移したら…… そんな気持ちにもなるよね……と思い、 彼女の退院時のメイクを考えてみました すごく、心を閉じてる方 表情も、あまりない いつも、転移の可能性が不安で過ごされてる そして、 彼女の退院日と 私の手術日が重なり 手術が午後イチだったので、 午前診察をうけてメイクにいき スキンケアの話から、メイクに入り~ ・彼女は、こんな体と年だし、結婚はする気はない。 ・会社の人には、キツさを分かってもらえないから、あまり話をしない ・友達は結婚していたり、子育て中で、悩みを話す事もできず、 自分は、~するべき…と思いがちで、仕事でも孤立しがち そんな事を、ポチポチと話してくれ 話を聞きながら 会話しながら・・・ 明るいメイクに仕上げていき、 そして 鏡をみせたら 『うわぁ~~~♪♪これ?私?!うわぁ嬉しい♪♪』 と、華やいだ表情に すごく素敵な笑顔 ・:*:・゜☆ d(*⌒▽⌒*)・:*:・゜★,。・:*:・゜ 周囲に、患者仲間が集まり『すごく綺麗よ~♪』と声が入り、とても晴れ晴れとした表情に♪ 手を洗いにいっていた私の所へ彼女が来ました… 『私が固くなになっていたのかも知れないね。 人の話を、まず聞くようにしたり、自分のことを話したり…… そこから、始めてみるわ。 “もぅこの病院には戻ってこない”ような気がする♪♪ ありがとう』 そして、笑顔で退院していかれました(^-^)/ メイクしながら、 心をひらいてもらえて、 笑顔になってもらえた あぁこれが、 セラピーメイクなんだ!と彼女のおかげで、体感(^-^)v こちらこそ、ありがとうございますという気持ちです ・:*:・゜☆ d(*⌒▽⌒*)・:*:・゜★,。・:*:・゜ で、 私ったら、看護婦さんから、 『手術よー!』と、呼ばれて 慌てて支度をしたという “型やぶりな患者”と有名になってしまい(笑) 退院前には、患者さんからのリクエストで、 “スキンケア講座” “メイク講座”をして 挙げ句 …… 退院時には、私のメイクをみようと患者仲間が集まり(笑) 『メイクって、凄いね…別人みたい』 (おぃおぃ) と、なんとも微妙な感心をされました(爆) この経験が、 “私のセラピーメイク”の始まりです 今日も一日、ありがとう 感謝の気持ちをこめて ◆━☆。.:* ━◆ ここまでが 過去ブログでした。 ブログ書いた当時、 私は3○歳?^^; 覚えてなくて、すみません(笑) リハビリメイクを 福岡岡東京を すごい勢いで通いながら、 その後 セラピーメイクのレッスンへ☆ 通っている途中で 離婚、癌、となり 癌術後、退院後すぐにに レッスン開始して まだ、 この手術入院当時は メイクセラピストの ディプロマは、もらっていない状況でした。(笑) ◆━☆。.:* ━◆ 美容は ☆希望・光・癒し・勇気☆へのツール だからこそ ☆ココロ☆が大切 だと 私は思うのです 【お一人、お一人の幸せをココロから願うこと】 その私の中での 美容の基本と 美容の世界に入った頃の、初心を 忘れずに 私は いま出来る私の 精一杯を 歩みたい *:..。o○☆○o。..:*゜*:..。o○☆○o。..:* 『大丈夫』は 私のおまじないです(笑)
2015.10.15
私が 美容に入るきっかけや、 私の 美容に対する想いの前に… 過去ブログです *:..。o○☆○o。..:*゜*: 私が想う 美容の一つに スキンケア & メイク には ・勇気をもつパワーをもつ ということが あります *:..。o○☆○o。..:*゜*: ◇2006年12月過去ブログ◆【私:当時37歳】 母は、精神疾患になって、すでに17年たちます。 最初に母が倒れたとき 私は、まだ20歳そこそこだった 私は、美容部員で、 たまたま近くのショップで働いていて なぜか胸がザワつき…… 昼休みに、母の様子をみに帰ると 「もぅダメみたい」といったきり、 母が白眼をむき、泡をふいて倒れた。 父は、 その頃、会社が倒産し^_^; タクシーの運転手をしていていて、 すぐには連絡とれず(携帯なんかない時代) 兄の会社に電話しても、 距離的に急いで帰っても一時間はかかる 私は、震える手と声で、 救急車をよび、近くの総合病院に、母は運ばれた 運ばれた先に、兄が到着。 しかし、そこの総合病院では、 点滴しかうってもらえず、母をつれて帰宅した。 母の、かかりつけの心寮内科に電話しても、 ドクターが 「私には出来ないから、他をあたってくれ」といって、電話に出てくれなかった。 私は、病院に文句をいう受話器の手が、ブルブル震えてしまった。 また母が 「死ぬかもしれない、もぅダメみたい」といったきり意識がなくなった また、救急車をよんだ また、総合病院にしか運んでもらえず、 夜中に父が病院に到着した 父は、 一旦、帰りなさい、といい、私は帰宅した。 ふと気付いた私は、 制服姿で、バックも仕事場だった。 店長には、昼休みからいなくなった理由の電話は、 しっかりした^_^; 夜中、 何か食べなくては……… おにぎりを買ったけど、 喉に通らない。 救急車を呼んだので、近所中に知れてしまい なぜだか? 私は、救急車に母をのせながら、 近所のオバチャン達に怒られた 「こうなる前に、なんでちゃんとしなかったのね!」 ……… 私は 母を 心寮内科にもつれていってたし、 仕事しながら、 家事もして、 母の看病もして 母の病気の勉強もしていたたけど……。 若かった私は、そう思いつつ、 言い返す気力もなかった 翌日の朝、母は、精神科に転院し、入院した それから、 毎日、仕事帰りに、 私は母の病院によりながら あれして、 これして、 という理不尽な 母の要求に答えた。 私の給与は それに消えていった 母が倒れてから、二週間、私は、食べ物が喉にとおらなかった 仕事がおわると、 かなり、 しっかりとメイク直しをした きっちりと 赤いリップをひく。 さぁ! いまから母の病院だ!!と、 自分に喝をいれる儀式。 精神科の病棟に、 派手な若いお姉ちゃん^_^; 目立ってしまったけれど、 【メイクをすることで】 私は、負けない、くじけないと思えた そして 元気そうな私を、 母に見せることもできる 毎日、 キレイにメイクで着飾ってくる娘を、母は、他の患者さんに自慢していた。 あのとき、スッピンでは、いけなかった。 いくら20歳でピチピチな肌でも、 私は、メイクをすることで、 病棟に入って、 現実の母の姿を、 みて 受け入れて 母の話をきく ことができた。 ちなみに…… 他の患者さんに、化粧品が売れましたー^_^; (しっかり営業もしたりして、(笑)) そんな母も、60歳をこえ 引退した父は、本当に、別人のように 母の世話をするようになった でも……… 娘だからかな~?? 母は父との ……昔の、 父との、性生活の悩みなどを、あからさまに生々しく いまでも、 私に、分かって!!と話しをする。 20歳の私には、かなり、 きつかった。 37歳になった私でも、やっぱり、、、、これは、きつい。 娘だから…… という母の言葉に、 時々 兄にも、少しは、話してごらん!といいたくなる私もいる お母さん…… 私は…… あなたに抱かれる日がくるのでしょうか? あなたを抱きながら、 私は、娘になりたい…とたまにおもうのです。 でもね。 お母さん、 あなたのおかげで、 私は、メイクセラピストになれたような、 そんな気がするよ! 私に起こった全ての事が、 メイクセラピストへの元になった気がする だから ありがとう…… ・:*:・゜☆ d(*⌒▽⌒*)・:*:・゜★,。・:*:・゜ 過去ブログ引用より ◆━☆。.:* ━◆ 母は ちょうど70歳で亡くなりました。 あの通夜、葬儀の時に、 たくさんの方々から 励ましを頂き ありがとうございました。 通夜 葬儀でも 電磁波過敏症の最中でしたが 『絶対!倒れない!!』と、 私は きっちりメイクをしました。 メイクすることで 気合いを入れ 人様の前で 挨拶でき 暗く泣きはらした顔では、母を見送りたくなかった 母のエンジェルメイクも、できました 女性にとっての美容とは?の、その1です(^-^)/ 美容のもつ意味の 一つとして 勇気と 未来への希望と光 光については 次に書きたいと思います☆ 感謝(^人^)
2015.10.09
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