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長崎では、大浦天主堂の他、平和記念公園に行き、ブロンズ製の長崎平和記念像を見に行ってみました。「天に秩序、地に平安」と祈っているのかも知れませんが、顔付きは縦長で日本人には見えないのです。北村声望氏は、ニーチェが言うが如く、超人(Uebermensch、Superman)と世界を席巻する様な姿勢を目指したのかも知れません!等身大のモックアップは、三鷹市の井の頭文化園の奥に敢然と飾られているのです。北村声望氏は昭和を代表する彫刻家の一人。代表作に長崎平和公園設置の巨大像「長崎平和祈念像」、国会議事堂内設置の「板垣退助翁」がある。文化勲章・紺綬褒章受章者、文化功労者。日本彫刻会では西望の功績を称え、同会展覧会における最優秀作品に贈られる賞の名称を「北村西望賞」(西望賞)としている。
2026.07.26
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7月25日は、五島から長崎大波止に帰着して近くのホテルに泊まって、午前中に市電に乗って大浦の天主堂に行ってみました。65年前に大学生だった時に訪れたことがありましたが、その当時は内部を見学が出来ず、入口の「日本の聖母像」とされる優しいマリア像と共に写真に収まったものでした。日本が開国、長崎にも外国人居留地が形成され、外国人信徒のために大浦天主堂が建設されます。ローマ教皇は、開国する日本への再布教を目指して、長崎にはフューレ神父、プティジャン神父らが派遣されました。天主堂の完成後、浦上地域の潜伏キリシタンたちが大浦天主堂を訪れ、プティジャン神父に自分たちがキリシタンであることを告げました。潜伏キリシタンとプティジャン神父の出会いは、お互いが待ち望んでいた大きな出来事でした。
2026.07.26
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教養学部2年生の1961年夏、五島出身のクラスメートから五島への旅行を提案されたのです。当時、沖縄返還は1972年迄待つ必要がありまして、日本の最西端は五島列島最大の福江島にあったので、其処迄行ってみようと出掛けたのでした。4人連れとなりましたが、その中の1人は元満鉄社員が父親で、貧乏学生に無銭飲食出来る様に手配してくれたのです。其処のお宅は五島列島第2の面積を誇る中通島にあり、遠慮なく泊めて頂き、高葉下駄を駆使しては歩き回り、途中の海で海水浴を楽しむことにしたのでした。標高360mの似首番岳の上に広がる青空は五島の象徴の様に思われたものでした。お世話になった家のお嬢さんが東京で大学生になろうと上京していましたので、お礼を兼ねてお付き合いをしていて、遂には結婚するまでに親しくなったのです。
2026.07.09
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1983年9月末のことでしたから、もう43年も前のこととなりました。4年間のテキサス州駐在生活を終えて、ヨーロッパ経由で日本に帰国することになりました。やはり美しい自然の国スイスを横断して、パリまでレンタカーで行くことにしましたが、その中でもZermattに泊まって、登山鉄道の終着駅からのMatterhorn眺望は秀逸だったのです。その夜はZermatt市内のHotel Romantikaに泊めて貰うこととなりました。
2026.07.05
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7月4日はアメリカの独立記念日、建国記念の日:1776年にフィラデルフィアの独立ホールでアメリカ独立宣言が公布され、アメリカ合衆国が誕生した日です。其処にはその際に打ち鳴らされた釣鐘は、その後割れが生じてしまいましたが、Cracked Bellとして展示されています。一方、2月11日は日本の建国を偲ぶ日で、1966年に祝日として制定されました:初代の神武天皇が東征したとされる紀元前西暦660年を建国起源とする日本書紀の伝説に依るもので、歴史的真実か否かは疑問の残る処ですが・・
2026.07.05
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私は現在84才、平均寿命を超えて所謂ロスタイムを生き続けています。生き過ぎている感も拭えませんが、昨年脳梗塞を患いながらも後遺症も無く、又生活費は厚生老齢年金だけで、月割り20万円から税金・老齢介護費を差し引かれて18万円しか無いのですが、団地組合費7000円、駐車場費3000円、固定資産税月割り1万円を差し引かれても、裕福ではありませんが別段生活に困ることもありません。大田 南畝(1749年4月 - 1823年5月)は、御家人 天明期を代表する文人・狂歌師。字は子耕、南畝は号である。別号、蜀山人、玉川漁翁、石楠齋、杏花園、遠櫻主人、巴人亭、風鈴山人、四方山人など。狂名、四方赤良。法名は杏花園心逸日休。登城中での転倒が元で3月28日から脳卒中症を発し、4月6日に75歳で死去。辞世の歌は「生きすぎて 75年食ひつぶし かぎり知られぬ天地の恩」と詠む。「今までは人のことだと思ふたに俺が死ぬとはこいつはたまらん」と伝えるものもある
2026.07.05
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今日から、家内の実家の管理をする目的で五島行の積りでしたが、叶いませんでした。午前6時起床、今朝は卵の紅茶で朝食として、7時半に出発して。駅前からの羽田空港行きに乗り、聖蹟桜ヶ丘経由で午前10時半には第1ターミナルに到着、入る資格のあるJAL桜ラウンジで珈琲を飲みながらゆっくりと過ごしました。JAL12:30分発の長崎行きに乗って、長崎空港から大波止迄の空港バスを利用して、五島産業汽船の高速船最終便で、鯛の浦港に到着、其処で手配しましたレンタカーで家内の実家に着く予定だったのです。上手く行かない時はこんなもので、海上空港である長崎空港は悪天候により着陸出来ないので、福岡空港の上を旋回しながら様子を観ることにしたのですが、何と「天候回復は見込めず、羽田空港に引き返す!」とJAL機長は判断したのです。戻った羽田空港で、矢張り空港バスに又乗って、高速や一般道を利用して、聖蹟桜ヶ丘駅経由で最寄りの「多摩センター駅」に到着、カレーショップで夕食として、街の循環バスに乗って我が家到着は午後7時となりました。骨折り損の草臥れ儲け又は元の木阿弥とこんな状況を言うのでしょう!
2026.07.01
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