全345件 (345件中 1-50件目)
すっかり、パスワードとか忘れてました^^ちょっとずつ、日記更新しようと思ってます。前みたいに、自己満足の世界で^^ここのタイトル変更しなきゃナぁ~ただいま、看護士目指して受験勉強中なもんで^^今年、無事合格を勝ち取れるか・・・がんばります!
2005年10月12日
コメント(1)
なんだか、ゆっくり家でもパソコン向かう時間がない。。もうすぐ香港日記も更新します。って、ずっとのびのびになってるなぁ。。
2005年01月19日
コメント(0)
there isn't many internet cafe.so i'll update my dialy in japan.see ya!
2005年01月14日
コメント(1)
明日の朝、香港へ発つ。すでに荷物の重量は預け荷物で27キロ。機内持ち込みで11キロ。このままでは超過料金の危険が。まだ昼過ぎなので、ちょっと送るかな。チェンマイの日記は後日アップします!
2005年01月10日
コメント(0)
やっぱり俺は規則正しい生活が出来ない。何もする事なくても夜更かしするし。でも、昨夜やっと井伏鱒二著「黒い雨」を読了した。最近、歴史を学びたいと体のどこかで思っている。そんな時バンコクの古本屋でこの本と出会ったのだ。歴史なら、カンボジアでもラオスでも日本でも良かった。改めて原爆の恐ろしさを知った。この本のすごい所は庶民の生活から原爆をあぶり出している所だろう。久しぶりに読書らしい読書をした。旅に一冊本は持っていたいものだ、そう感じた。タイでは古本でも新刊でも手に入るからありがたい。新刊は日本で買う額の倍はする事もあるけど・・。そう!それで夜更かしして寝坊。って、大した予定もないからいいんだ。ただ、チェンマイはチェックアウトが11時と少し早いので慌てた。早速、清潔なゲストハウス探し!案の定ゲストハウス街には手頃で清潔そうな部屋がたくさんある!たった20バーツ(60円)昨夜より多く払うだけで豪い違いだ!床はタイル張り・シャワーは勢いよく熱いのが出る・バスタオルも付いてる。足で宿は探す物だな。引越しが済んだのが昼頃。やっとチェンマイ探検。初日は足で。これが相当疲れた。確かにどこでも歩いていける。が、今日はさすがに歩き過ぎた。と言っても寺院2つ見て、ショッピングセンター行って日が暮れちゃったんだけどね。久しぶりのショッピングセンター、しかも服買う気満々だったから大変。このセンターはチェンマイで一番でかいらしく、3時間以上歩き周ったけど未だに全体把握してない。長袖のシャツ2枚とロンT1枚、3000円也。かなり気に入った。何がってその店。たくさん欲しいのあった。でも、そこのオーナーがオカマだった^^。。試着はカーテン開けて覗いてるし、地肌に着ろと勧めるし。ありゃ、もっと値下げさせるべきだった。そのセンターで久しぶりに映画見た☆「The Polar Express」バリではDVD売ってた^^けど、館内撮影の画質のひどいものだったので買わなかった。いやぁ、感動しちゃった☆童心に帰れるね。やっぱりトム・ハンクスは好きな役者だ。振り返ると今日は充実してたかも。
2005年01月04日
コメント(1)
チェックアウトぎりぎりの12時に安宿を出てバスターミナルへ。そこは帰省ラッシュなのか多くのタイ人で埋め尽くされている。長い列に並んで購入できたバスチケットは17時出発。そんな訳で4時間以上暇だ。俺はネットカフェでほとんど時間を潰した。2人はマッサージしてきたみたい。バスはVIPと呼ぶには古い。トイレも後部に付いていたが、我慢できなくなったのかオジサンが鍵かかったドアをぶち壊した。その後は誰も使う人はいなかった。だって鍵かからないから。約3時間半・139バーツでチェンマイ到着。皆でTさんが前回長期お世話になったと言うホテルへ。日本人経営でとても綺麗で清潔そうだ。今までゲストハウスでは見る事がなかったエレベーターも付いている。だけど、俺には350バーツ(1100円位)は高く感じた。他の宿にすと言うと2人も付いてきてくれた。Tさんの案内でどこに屋台が並び、どこにコンビ二があるか分かったうえ、宿も安い所紹介してくれた。昨日の宿と同額の100バーツ(300円位)だ。部屋にトイレ・水シャワーも付いている。共同ホットシャワーも外に付いている。安さでは文句ない。が、窓は閉められない・トイレは自分でバケツから水汲んで流さないといけない・裸足では部屋内歩けない!なんて不満がでてきた。明日は宿替えだな。安宿2泊したから自分が妥協できる宿が見えてきた☆どうせ香港行ったら一泊2500円以上の宿代は覚悟しないといけないんだけどね。ビビりながら重慶マンションに行く予定だ。チェンマイは何でも揃う街でありながら都会らしさを感じない。噂どおりの素晴らしい街っぽいぞ!
2005年01月03日
コメント(0)
タイ側の国境の町チェンコンからトゥクトゥクとローカルバスに乗って3時間、チェンライ到着。ここも何もない!だけど、もっと何もないラオスから来てるから大都会に感じてしまう。セブンイレブン・5階建てホテル・信号・そんな物からね。夜は3人でピンク系のお店へGO!いわゆるGO.GO.BARってやつだ。でも、チェンライには3店舗しかない。店内は女の子が一人踊ってるだけ。バンコクのとは大違いだ。ビール一杯飲んで帰って来た。帰りはネオンが怪しげなタイマッサージ屋へもGO!女の子を選べる所からして、と期待してると野郎2人同じ部屋に連れて行かれた。いやはや普通のマッサージ屋だった。でも若くて可愛い娘なのになかなか上手。しかもバンコクの相場より随分安い。首や腰もゴキゴキ鳴らしてくれて、腰も踏まれて、初タイマッサージ大満足☆
2005年01月02日
コメント(1)
新年明けましておめでとうございます!2005年がついに始まった・・・気がしないんだよねぇ。年越しそば・御節・雑煮・門松・紅白のない新年なんて変な感じだ。けど、去年も新年Ausだったんだ^^。ま、珍しく日本が恋しくなってるのかな、俺。元旦だって言うのに旅行者には全然関係ない。朝8:30だってのに、俺達のほかにもルアンパバンからフエサイに向かう人達がスピードボート乗り場に集まってきた。フエサイには2通りの行き方があって、スピードボートとスローボート。要は両方船なんだけどね^^俺はお金より時間を節約したくって6時間で着くスピードボートを選んだ。ちなみにスローボートは2泊3日かかるそうです。。でも値段は半額位。いざ船着場に行ってみるとなんとも頼り無さそうな船が2隻停泊。ってか船と言うか小型ボート。6人乗客が乗って皆の荷物を載せたらもう足の置き場もない。現にこのボートにみんな体育座りで乗り込んだ。しかもこんな小型ボートのくせにトヨタの1800cc級のエンジン(推定)を積んで80キロでぶっ飛ばすもんだから、相当危険らしい★全員ライフジャケット・ヘルメットの着用が義務付けられている。小型船に体育座りでライフジャケット・ヘルメットかぶってる俺達、はっきり言って変な集団です^^んでエンジンは大爆音!あんな静かなメコン川と渓谷を族のバイク並の騒音でかっ飛ばす。いやはや、想像以上に辛い移動だった。カンボジアの未舗装道路よりも何よりも一番辛かった!それは座り方からも分かる狭さのせいであり、そして寒さのせいなのだ。昨日今日と昼も太陽が出ない。それは朝晩の冷え込みが昼も続く事を意味する。ラオス情報不足の俺には充分な備えがなく、バンコク出発間際に買ったジャージと唯一の長袖シャツをTシャツの上に着る事が今の俺に出来る最高の防寒対策。が、やはり全然それでは80キロで走るボート上では充分ではない。バリで買った民族スカートにもなる布がここで少し約にたった。けど、6時間も耐えられるものではない。俺は更に先頭でなぜかノーヘルなのだ。出発間際は下痢で腹痛。調子も良くない。ルアンパバンで知り合った二人の日本人と共に乗船、彼らから正露丸を頂いて船上の危機は乗り越えたけど。ちなみに正露丸初体験でしたvスゴイ臭いだ。でも、効き目はあった!便意は催さないし、固まったし。次の旅は必携だ。ただ先頭で皆の防風役になっていた為か、出発間際2度もトイレ掛け込んだのに、誰よりも早くトイレ休憩を要求してしまった。船頭に停めてくれって言う前はすごい葛藤があった。俺の為にこの船を止めて上陸してもらっていいものか、漏らした方がいいんではないか?とかね^^結局、手挙げて陸を指差して止めたんだけど。あの時は本当に辛かった!メコン川はすごい穏やかに流れている。けど時速80キロで走ると水面の小さな波が船を大きく揺らす。それが尿意を非常に刺激する。湖面のように平らな場所では平気でも煮だった様な場所ではガクガタと船を揺らし、俺の膀胱を揺らし辛さが一気にピークに達する。ま、そんな話は放っておく。俺らの船は比較的早めに出発したのに、途中エンジントラブルで何回も止まり・ランチ休憩もすごく長くて到着は一番遅かった。おかげでタイ入国は出来なかった。すでにイミグレが閉まった為だ。でも、フエサイの宿がすごい良かった!スタッフが新年のパーティーに誘ってくれたのだ。ビールをウィスキーを回し飲み。ラオ音楽をガンガンにかけて歌って、踊って。ラオフードをご馳走になって。大晦日と違いって皆で楽しく最高の新年を迎えられた^^b
2005年01月01日
コメント(0)
タイ・バンコク以来ネットカフェにメールチェックに行った。ありがたい事に妹・彼女・元同僚・ワーホリ仲間たちから安否を気遣うメールを多数頂いた。本当にありがたい。日本でもスマトラ沖地震は大きく取り上げられているようだ。こっちでも毎日ニュースをやっている、が英語やタイ語・ラオ語で理解できない。しかもラオスのゲストハウスは各部屋にテレビなんてないから俺達のほうが情報遅れてる。日本人も多数亡くなられたと聞いた。ご冥福を祈りたい。俺はインドネシア・バリを発ち、プーケット島ダイビングもせず幸運な事にラオス・ルアンパバンにいる。街ごと世界遺産てどんな街だ?って思ったけど以外と普通。もちろん普通の訳ないんだけど、観光客がたくさん来るせいで観光業が伸びすぎて、評価された寺院が目立たなくなってる気がする。どこ行っても土産屋・食べ物屋の屋台がある。メインストリートにはネットカフェ・DVD屋・偽ブランド屋・ツアー会社・レストランが競って並んでる。俺の期待する「今は無き栄華を誇った時代を偲べる街」とは程遠い。それでも一日チャリで疾走した。昨日プーシー山から見えた金色に輝く仏塔をまずは目指した。新旧両方の橋を越えて到着。橋はバンビエンに比べたら立派。お金も取らないし。チャリ乗ったままでもまず落ちる可能性ないし。そして何より橋からの見晴らしが最高。気持ち良い!大きな川の両側を耕された畑が広がり、曲がりくねった川の向こうには白い雲を首に巻いた山々が連なっているのだ。珍しく雲って肌寒い。が、チャリを漕いでいると冷たいはずの風が気持ちよくて仕方ない。結構遠いからか仏塔に最近訪れた日本人は居ないようだ。仏塔の中は5層に区切られていた。上に行くほど高さも幅も狭くなっていく。各層に仏陀と弟子にまつわるストーリーが壁に描かれている。もう午前の見学時間が過ぎて居た為か坊さんが冷たい。ただ俺が無礼なだけか?手を合わせて挨拶の一つでもした方が良かったのだろうか?仏塔から見えた寺を目指した。が、見当違いでローカル向けのマーケットに到着。やはり安かった☆遅い朝食を頂いた。途中、名前も知らない寺院に何回も入っては写真を取り捲った。すぐに寺院は飽きてしまった^^。何も背景を知る情報がなかったから余計ね。博物館はすごい感動!博物館と言うか元王宮?!豪華な応接室。寺で金ピカは飽きていたところにステンドグラス風で統一された部屋を見て感動。グラスではなく各色ミラーで絵を描いている。朝夕の冷えこみは半端ではない。ジャージだけでなく、帰国用の冬服もラオスに持ってくれば良かったと本気で後悔。大晦日は一人部屋でビールとつまみを用意して映画見てる。さみしぃ~。
2004年12月31日
コメント(0)
VIPバスより50円高い700円のミニバスに乗った。その方が3時間程到着が早く、ゲストハウス街まで連れて行ってくれるらしいので。9時発3回休憩して16時着。途中意味不明の停車が数回。どうもガンジャの葉の運送もやってるみたい。うーん、ミニバス業は儲かりそうだ。思ったより長時間のバス旅。道は一部工事してる所を除いて完璧に舗装されている。ただ、延々山道だからくねくね曲がりまくる。俺は運悪く後部座席3人掛けの真ん中。何にも掴れなくて足でずっと踏ん張ってた。俺の両隣はタイかラオス人。なんでこんな高級車で?って思った。急ぎ?本当は金持ち?でも休憩中は絶対何も買わなかった。よう分からん。ルアンパバンは町ごと世界遺産に登録されている。それは町中に寺や仏像が立ち並んでいるから。確かに京都のようだ。修学旅行でしか行った事ないけど。年末の為か、旅行客が多いからか物価がラオスのどこの町より高い!宿はどこも満室。やっと見つけた所は一泊$7。バンビエン2泊分より高い!それで共同シャワー・トイレ。無料コーヒー・飲料水が懐かしい★仕方なくそこでチェックイン。早速行ったプーシー山は夕焼けスポットだったらしく観光客で賑わっていた。町全景が見え、メコン川、夕焼けと最高の見晴らしだ。
2004年12月30日
コメント(0)
このバンビエンで積極的に出来る事。サイクリング・ツーリング・ウォーキング・チュービング(ゴムタイヤで川下り)・ケービング(洞窟探検)・ガンジャ^^。他には宿でのんびり昼からアルコール・読書・昼寝するしかない。俺は良かったのか、この町を明日経つことにしたから慌しくチャリ観光した。チャリやバイクを借りて見に行く所と言っても洞窟しかない。周りが奇形な山に囲まれてるからか洞窟がゴロゴロしている。昨日買った簡易地図に載ってるだけでも12個。だけど、実際チャリで走ってみるとその倍はあるようだ。中には今年発見しました!みたいな看板掲げてる所もあるし。要は観光でのみ発達した町だから、宿・飲食店を持てない貧しい村人は洞窟管理人に勝手になって通行料を取ってるようなのだ。数年後ラオスにまた来たら、更に洞窟は増えているような気がする・・・。さて、一番有名で唯一ライト付きなのがTham Chang。バンビエンリゾート内にあって、洞窟入場料最高額9000キップ(90円)。5年前のガイドブックには400キップになってるから23倍位値上がってる!山間部だからかただのツーリストプライスだからかレストランも比較的値段が高め!ボロレストランでも焼き飯が100円以上する。その代わり宿は競争が激しいのか安いけど。屋台利用すれば食事も安上がりになる事が夕飯時に分かったけど。洞窟は他にも5つ位周った。どこでもくたびれた小屋に人が居て入場料を請求してくる。しかも川に丸太と板きれ数枚で作られた橋は往来の度に金を取る。自転車は別料金。だいたい人2000・チャリ2000の計4000キップ。うーん、ちきしょー。上手いことやってやがる★結構洞窟探検と言っても山登りがメインかも。洞窟二つで7000キップの所なんて、散々険しい道無き道を登って洞窟は10mも奥行きがない!中には壊れてしまった鍾乳洞。見所は観光客が残した壁の手形か?って感じだった。一番スリリングだったのはそのJannaly Caveの受付過ぎてから枝分かれして行ける隣の洞窟。受付の兄ちゃん、完全に昼寝して勝手に洞窟入れた^^vライトは隣で借りてたからそのまま使っちゃった。無賃入場もスリリングだったけど、その洞窟の入り口が×印で塞いでいるようにも見えて不安ながら侵入。思いのほか長い長い洞窟だった。何度も手作りハシゴを登り下りした。初め涼しかった洞内。3つ目のハシゴを越えてから暑くてジメッとして息苦しい。こりゃ酸素不足で倒れるかも・・って本気で心配した。洞内は俺だけだし、受付で支払ってないから俺倒れても誰も気付いてくれないや。。何度引き返そうと思ったか知れない。が、ついに待ち焦がれた行き止まり。何が洞内で泳げるだ?!小さ過ぎるぞ!小魚が何匹かいるだけじゃん!とか急に強気になったりしてね。帰りも兄ちゃん寝てた☆今日のルートでは一番奥にあるPouknam Caveもお勧め!あんなにでかい洞窟は見たことない!長細いんじゃなくて、いきなり大空間。高さ・奥行きのでかさに感動。そして、入り口の光が寝仏陀にうまく当たる様に安置されていて神秘的。外のラグーンは本当に泳げる。水はなぜか青い。木の上からでも・縄使ってでもラグーンに飛び込む事もできる。せっかく海パン着てったけど、一人はむなしいのでやらなかった。。町へ帰る途中チャリ壊れた。砂利道飛ばしすぎたか?タイヤと骨組みが接触してしまうトラブル。ま、町に近くて助かった。そのままチャリ屋に返品。ごめんなさい。チャリ屋は無邪気に?!「ガンジャ?」とか言ってた^^
2004年12月29日
コメント(1)
オジサンがバンコクから持ち込んだ食パン・ジャムをご馳走になった。ビエンチャンで泊まった宿は紅茶・コーヒーが無料だったので受付のオバちゃんに頼んだら、露骨に嫌な顔をする。何度も英語理解できない振りをする。しまいにはこっちも不愉快になる。どうも宿としては飲み物サービスしてるんだから朝食ぐらい注文して欲しいらしいのだ。ま、確かに朝食持ち込む旅行者も珍しい。本当に貧乏旅行してる人に限るだろう。オジサンも実は金持ちの部類に入る。が、きちんと先を見据えて節約生活をしているようだ。そんな事より気持ちよく無料コーヒーを出せないんだったら、そんなサービスは止めちまえ!ってんだ。なんて二人で散々日本語で文句を言ってみた^^10時ピックアップのはずなのになかなか迎えが来ない。20分遅れで宿に迎えが来た。が、昨日バスが到着した場所がバス乗り場だったのだ。だったら迎えなんかなくても歩いていけたんだけどなぁ。バンビエン行きはすでに満席状態。なんとかオジサンとは別々に席を取って座る。俺らが最後の乗客かと思いきや、まだ続々と乗り込んでくる。いや、もう満席だから!俺の心のつぶやきをよそに、席が見つからず通路に何人か立っている。すると運転手はどこからか安物の軽いイスを持ってきて通路に並べだす。こいつは驚いた!3時間立ちっ放しも嫌だけど、このイスも嫌だなぁ。なんとか普通の席に間に合わせてくれたピックアップのバンに感謝である。ビエンチャンからバンビエンはラオスが山国であるのを感じられる。登りはバスが止まるんじゃないかと心配するほどノロノロ。下りと急カーブは頼むからもうちょっとブレーキ使ってくれぇ~ってくらいぶっ飛ばしてる^^。3時間もしないで着いたのは、あるゲストハウス。おいおい。ラオスもバスとゲストハウス(GH)が提携し合ってるのかよ!ま、わざと夜着くように遅らせないだけいいや。カンボジアは商売熱心でそんな事は日常茶飯事だったなぁ。。宿は3階建ての綺麗なGHを町外れに発見したのでそこにした。ダブルベッド・ファン・ホットシャワー・トイレ付きで$3。更にコーヒー・紅茶無料!昨日の宿と違ってセルフサービスで気兼ねなく飲める☆何もない村と聞いていたけど、それは本当だ。何もないのがラオスの良さ、なんてのも格言かもしれない。この村からは中国で見られそうな奇形の山が見える。明日は約30円の手作りマップ片手に洞窟へGO!
2004年12月28日
コメント(0)
目を覚ますと窓ガラスは完全に真っ白。冷房が効いてる車内より外の方が更に寒いらしく露が張っていた。そして、目の前には多くの国に恵みを与えているメコン川が流れる。そして少し先にはタイ・ラオスの国境でもある友好橋が見える。俺はまずビザ申請用紙をカフェで書いた。申請代金1500バーツも添えて提出。後で分かったが、この代金は完全に割り増し額。一緒のおじさんは1150バーツで事前にビザを手に入れたとの事。しかもこれには旅行会社の代行代金も含まれているとか。350バーツ=約1000円以上の出費。こっちの物価で考えたらデカスギル★ま、しょうがない。国境でビザも取れて楽だった事を思えばトントンだな。ビエンチャンは国境から車で20分ほど。噂どおりの首都とは思えないのどかさ。でもそれが余計気に入った。しかも、一泊だけの予定にしたからかもっと滞在したい!とも思ってしまった。一応高層ビルはないけど、何でも揃う所だ。それだけに物価も他の場所より高め。まだ分からないけど。明日10時にはバンビエンに向かうので、おじさんが宿に寝てる昼前から俺はビエンチャン観光を早速開始!チャリレンタル一日100円。カンボジアと変わらない値段だ。まずは凱旋門に似せて作ったと言う場所へ。うーん、凱旋門が分からないから似てるのかも分からない。けど、立派。屋上の方のメリークリスマス?!みたいなネオンの英語文字が不釣合いだった。門は塔のように登れる。入場料約20円。3・4階は完全に店!なんじゃこりゃぁあ!ってな感じで外の荘厳さと中の嫌らしい商売っ気がこれまた不釣合い。すごい面食らった、残念だった。俺は僧侶とかが静かに行き交う場所とか想像してたんだけどな。まあ、値段相応の場所でした。次は金ぴかの仏塔。ラオスで一番(何かは忘れた・・・)の仏塔らしい。50円ケチって門の中には入らなかった。門の外でも充分。仏教寺院と言う事でなぜか落ち着く。そこで会った韓国の女の子がブッダパークが良かったと聞く。が、行き方不明・時間不十分・体力不安定だったので断念。次回ラオス来たら行こうかな。ラオス軍博物館では記帳したv誰か読んで^^マーケットでは味の薄いワッフル購入10円。みかん一個10円。生きた蛙・・買う気ないので値段不明。夕日の沈むメコン川を眺めて夕飯。最高に綺麗!だけど・・初挑戦のLABとか言うラオス料理は散々だった。だけどコリナイ!未食を試食!
2004年12月27日
コメント(0)
夜7時発のVIPバス(2階建てエアコン・トイレ付きバス)に乗ってラオスに向かった。待ち合わせ場所で新たに旅の仲間と知り合う。未だに名前も知らないが、彼は日本で貸し家・賃貸マンションを持つオジサンだ。彼は各国旅しているからか、普段の会話にいつもあの国はどうだった、と各国の情報を入れてくれる。初めは興味もあったけど、だんだん疲れる。俺も日本帰ったら「オーストラリアは・・」って話しちゃうんだろうなぁ。人の振り見て我が振り直せ!だね。彼のおかげでバスは最前列の席を確保。ここだけは荷物も目の前にラクラク置けて、足も伸ばせる余裕がある。本当のVIP席だ。途中、深夜0時に一度休憩しただけでノンストップでノンカイまで行った。たぶん。。俺、ほとんど熟睡しちゃったから記憶にない。あんな座席だけでよく寝られたよ。しかもそれがサービスとでも考え違いしているのか、ガンガン冷房つけるし。俺も周りに負けず上着を羽織る。ラオスやチェンマイは寒いだろうと予想して、衝動買いしたジャージを早速着たのだ。今後何かと重宝しそうだ^^朝6時、目を覚ますとそこは・・・
2004年12月26日
コメント(0)
その規模は果てしなく広い!バリに居たとき初めて聞いたタイのウィークエンドマーケットの話。電車では終着駅にある。俺は昨日買ったバスマップを頼りにバスで行った。今回初めてクーラーバスに乗った。やっぱりすごい快適。タイ人は基本的に安いクーラーなしバスに乗る。だからクーラーバスは涼しく、乗車客も少なくとても快適。これで10バーツ(約30円)安すぎる^^カオサン周辺は大渋滞だったが、マーケットに近づく程スムーズに走れる。約40分後、目的地到着。どこ?って感じだったが、とりあえず人の流れに乗ってみる^^するとうまくマーケット内に入れた。マーケット内は販売品ごとに区画があるらしい。服・靴・カバン・家具・本・土産などで分かれている。面白いのはペットの区画。子犬がバケツなどに入れられて売っていた。ゴールデンレトリバーなど有名な犬が約100円位^^破格である。ツーリストは自国に持って帰られないよね・・・。金魚やその他観賞用の魚は透明のビニル袋に空気パンパンにして売っている。初め、マーケット内のマップを持っていなかったSと俺は迷路のようなペットエリアから脱出できなくなった。それほどでかいのだ。疲れきって無料カートでマーケット全体を掴む事にする。マップも手に入れなんとか全体が分かってくる。が、そこで帰宅時間。他の友達との約束があった為。結局二人とも何も買わなかった。何も買わないで店を渡り歩くのは野郎には疲れる。帰りは開通したばかりの地下鉄を利用。すごい綺麗、新品・・当たり前なんだけど。しっかり自殺防止のガラスが電車と駅の間に建てられている。不便なのは、スカイトレインもだけどトイレが設置されていない事。済まして乗るのがタイ式?!地下鉄もまだ値段が高いのか裕福そうなタイ人しか利用してない。日本より車両の幅が広く感じた。気のせい?クリスマスだけどすごく普通の一日だった。Sは、昨日の午前の飛行機で帰るはずだったけど、乗り遅れて帰って来たのだった^^。印字されている日時と違う便だったらしいのだ。無料で今夜の便に変えてもらえたみたい。ま、3ヶ月オープンチケットだからかな。これはリコンファームし忘れた為に起きた事。リコンファームって大切☆
2004年12月25日
コメント(0)
暑いし、街にはそれっぽい装飾が施されていない。それでも、商業用に特別イベントをどこの店でも頑張ってやっている感じだ。サンタの赤い帽子をかぶっている女の子が客引きをしている。それは分かる。が、何台ものミニカーと一緒に歩く普通の格好の女の子達の客引きは意味が分からない。もう少しクリスマスらしさ出せばいいのになぁ。カンボジアで出会った俺達4人は、皆でパッポン通りへ行った。目的はもちろんピンク系・・ではなく、普通にショッピングで。到着したのが7時前。まだどこの店も準備で忙しい時間。それはピンクの店も同じようで、外では男性スタッフが特別な装飾を取り付けたりして忙しそう。そんな訳で恐れていた客引き攻撃は全然受けなかった。適当に冷やかして帰って来た。やっぱりガイドブックに書かれている通り、何でも揃いそうだが値段がツーリストプライス。カオサンより全然高い。しかも、初めから値段言っておきながら「あなた、いくら?」と、値下げが当たり前の感じで言ってくるのが可笑しい。ここでは言い値の3分の1が正当価格かもしれない。一本隣のタニヤは完全に日本。帰りは、俺が買った日本語版バス路線図を頼りにカオサンまで4バーツで帰って来た。バス内は暑くて、排気ガス臭くて、渋滞で快適ではない。けど、安さには敵わないな。イブは野郎4人でビール飲んだ^^。
2004年12月24日
コメント(0)
またも陸路12時間の道程でタイに戻った。行きも帰りも大した違いはなかった。デコボコ道。長い休憩時間。なかなか来ないバス。ただカンボジアからタイへ帰るということですごい気は楽だった。国境越えて乗り換えのバスが来るまで3時間ちかくかかった。けど、そのバスが2階建ての快適なバスだった。今までの旅では想像も出来ないほどの豪華なバスだった。乗り換えてから2時間は寝られた。ただ、冷房が効きすぎなのが堪えた。。。一週間ぶりのバンコク・カオサン通りにすごい落ち着いた。我が家に帰って来たかのように。たった3泊滞在しただけのカオサンだったけどね。更にカオサンに3泊して次の旅に備えるぞ。
2004年12月23日
コメント(0)
昨日アンコールワット巡りで疲れ切っていたのと夜更かししたのとで昼に目が覚めた。Sと昼からマッサージに行った。昼からなんてそんな贅沢な事していいのか疑問だったけど^^ま、旅は非日常な事ドンドンすべきだよね。例えば、朝からビールとか^^やっぱり盲目の方のマッサージは気持ち良い。健常者より指先が繊細なんだろうね。すごい重かった体が元通りの体になった。タイでもタイ式マッサージを試してみよっと。夕方、食べ歩きをする。手羽先・サラミ風味の焼き鳥。もち米入りかき氷。肉まん。孵化直前のゆで卵。冷麺。カンボジア風春巻き。フランスパンに包むサンドイッチ。などなどを食べまくった。いやぁ、何食べても美味しい!全部衛生面が気になる屋台で食べた。けど、最近やっと硬い健康的な便になってきた。うれしい事だ。バリからタイまで一ヶ月ちかくゆるかったから心配してたんだ。 今日は結局アンコールワットへは出向かなかった。ま、昨日で満腹だったからいいだろう。また機会があれば更に修復された遺跡を見に来るさ☆最後の夜、いつも通り日本人宿とも言えるタケオで時間を潰す。人見知りの俺は結構マンガ見て過ごしてた。。今夜は門限11時を過ぎてもみんな帰らない。12時過ぎても帰らない。23日に日付が変わって「ハッピ~バ~スデ~トゥ~ユゥ~ 」の曲が。Nさんの誕生日を皆で祝いたくて遅くまで待っていたのだ。彼はすごい喜んでくれた様子。なんか、異国でたまたま集まった旅の友たちに誕生日を祝ってもらえるのっていいなぁ。俺もいつかそんな誕生日を迎えたい。ちょっと感動。カンボジア最後の夜が素晴らしい時になって良かった。明日はまた12時間バスに揺られてタイ・バンコク帰るぞ~ おー!
2004年12月22日
コメント(0)
寝坊した。日の出を見に行こうと4:30起きをSと約束したのだが、お互い寝坊。俺に関しては、昨夜に二日分の日記をゆっくり書いたりして結構夜更かし気味。睡眠時間3時間のみ。そんな状態でアンコールワットを自転車で大回り一周した。なんとか5:30にSに起こされ急いで日の出を見に行った。もう見られないだろうと諦め気味に向かった。昨日も自転車で行った俺らには簡単なアンコールワットへ向かった。シェムリアップから新記録25分で着いた。もう空は明るくなってはいたが、なんとか間に合った。じっと動かずに待っているのが苦手な俺は裏門などに動いてしまった。裏門から日が出るから、裏門側からは真っ赤に染まったワットが見えると考えたのだ。だが、東の空に雲が浮いてた為かそんな事はなかった。日が昇ったのを確認して、また正門側に戻った。池前のたくさんの旅行者に紛れてアンコールワットと日の出写真を撮った。とても綺麗だ。池に逆さまに写ったワット・キラキラ水面を走る太陽光。日の出の後、観光客は一気に引いた。俺らは二人とも睡眠不足だったが、アンコールトムへ向かった。バイヨンは昨日王様が参拝したあの場所だ。昨日は気付かなかったが、この遺跡は4面の顔が塔に刻まれている。日本人グループがパソコンなどを持ち込み解析していた。きっと修復作業に携わる人々なのだろう。頑張って欲しい。その後も全26キロ、約2キロごとに連なる遺跡たちを見て周った。正直、午後以降はへばって、遺跡見学も集中力を失っていた。約10の遺跡を見学したけど、後半はどれも同じに見えていた。2日目にして遺跡巡りは満足してしまったのだ。明日間で入場券は使えるが・・どうするだろう?夕方、プノンバケンで日の入りを見た。Sは良い場所を確保したにも関わらず寝てしまってサンセットを逃していた^^。俺も疲れきってはいたが燃えるような赤い太陽を最後まで見られた。確かにプノンバケンからはサンセットは綺麗に見えるが、多くの観光客や寺院と共に見えないサンセットが不満だった。タイに来て以来、一番疲れた日だった。
2004年12月21日
コメント(0)
シェムリアップに滞在してすでに4日間。ついに時が来た!アンコールワットを見に行く時が。いやぁ。新聞配達時代に新聞広告で何気なく見ていたアンコールワットツアー。確か20万円位してた。縁もない物だと当時は思っていたけど、まさか自分がそこに行ける事になるとは。不思議なものだ。自転車で3日間周りまくることにした。3日券$40。なかなか高い。物価の安いカンボジアでは破格だ。でも間違いなくその価値のあるものだから仕方なく払う。3日券からは顔写真入パスがもらえる。無料で撮影はしてくれる、そこらは太っ腹だね。これは良い記念になりそう。シェムリアップから自転車で30分以上かかっただろうか。水の堀を抜け、森を抜けると突然あの有名な形が目の前に広がる。思ったより観光客がいない。いや全然いない。それもそのはず、俺とSが入ったのは裏門からだったのだ。裏門は昨日終わったばかりのアンコールワットでの祭りで使われたであろう特設ステージの解体作業をしていた。どんな祭りだったのか気になるところだ。近くには居たのだが、チケットの都合で行けなかったのだった。実際のアンコールワットは予想通りのたくさんの観光客。何ヶ国の人が集まったんだ?と言うほど様々な人が集まっていた。期待を裏切らない素晴らしい建造物だ。それが修復作業のおかげだとしても。昨日のベンメリアが冒険で楽しめたなら、今日のアンコールワットは規模で楽しめた。あれだけの岩をどう運んで積み上げたのか?学者でなくとも解き明かしたくなるものだ。3時間ほど周っただろうか。次にプノンバケンへ向かった。全然予備知識がなかったけど、すごいのんびり出来る素晴らしい所だった。その寺は険しい崩れた階段を登った小高い丘に建っている。建物の上から眺める景色は最高!180度見渡せる。アンコールワットも見えるのだ。もちろん逆にアンコールからも見えた。その時はどの寺か知らなかったけど。プノンバケンからのサンセットはアンコール内ベスト3に入るほどの名所らしい。けど、俺らは次のアンコールトムへ向かった。一日で寺2つしか見てないのではペースが遅いと思って。が、トムには国王がお参り?!で来ていて観光そっちのけで国王探しになっちゃった。この国では国王は崇拝されている。彼に政治の実権はないらしい。日本の天皇の様だ。彼は護衛に囲まれた仏殿にいた。観光客は近づけない。俺らは式典が終わるまで遺跡から様子を見続けていた。
2004年12月20日
コメント(0)
行ってきました、ベンメリア。タイトル通り天空の城ラピュタのモデルと言われている場所です。まさか、カンボジアにも宮崎監督がモデルにした場所があるとは驚きでした。どうも、こちらも噂でしかないようですが。以前行ったモデルはオーストラリア・ケアンズに近い所。そこはお城。その城の出来る経緯に感動しました。今回のは、お寺。まだラピュタを見てないからモデルに似ているかは定かではない。けど、充分楽しめた。そのお寺はすでに大分崩れている。周りの森が寺に侵入した為だと思われる。そして、木の根が建物を崩してしまうほど伸び放題。それがまた緑が灰色の建物を這いずりまわり独特の雰囲気を醸しだしている。崩れた天井に登ったり、崩れかかった回廊に忍び込んだり。自分で好きに冒険できて大満足だった。敷地は1.2キロ0.9キロだとか。とてもでかい!!勝手にいろいろ冒険していいのか分らなかった。実際乗ったら崩れそうな所もたくさんあって危険だった。けど、自分の思うがままに見たいがままに行動してすごい楽しかった☆ハイエースに日本人11人乗って。人席足りずに地べたを交代で座って行った。途中、未舗装道。すごい土ぼこりをあげ、すごい車ごと飛び跳ねての移動。タイの国境越えた道路を思い出すほど。 この日は初めて食べた物が多かった。まずはアヒルの卵。だけど、孵化直前のものだ。それをゆでてゆで卵。中身はヒヨコの形になってきてはいるが、まだ骨は形成されてない。少し鶏肉、少し内臓系の味がする。それに塩コショウ・ライムを搾って食べる。皆は気持ち悪そうに食べてたけど、結構美味しい!また機会があったら食べるね^^次は、鍋。カンボジア独自のものを食べられた。普段日本でも鍋をあまり食べないからよく具などは分らなかった。最後はきし麺らしき物を入れて頂いた。最高に美味しい!しかも、ローカルが行く遠いマーケット内の屋台で食べたから格安。一人$1で食べられたもん。極めつけは、かき氷。寒天・黄身を甘く煮た物・もち米・サツマイモパイみたいのが氷の下にひかれ、ココナッツソースと練乳を氷にかけて食べる。うまい!!かき氷にもち米って・・と思ったけどまるで白玉のよう。いやぁ。こんな美味しい食べ物があるなんて。これからも食べた事ないものを見つけたらトライし続けなきゃ^^
2004年12月19日
コメント(0)
おぉ、カンボジアで服を買いすぎた。。Sがタイパンツが欲しい!と言い出した。んじゃ、って事でタイパン探し。宿から歩いて10分位の場所にマーケットがあって、そこで買う事ができた。俺たちはタイパン購入は難しいと聞いていたので、遠くまで行けるようにチャリンコを借りた。$1も払ったけど・・全然必要なかったなぁ。。初めにいったセンターマーケットは客が少なくて、店も大きく構えていてゆっくり覗ける。別の近くのオールドマーケットは、汚くて・狭くて・客が特に観光客が多くて俺は嫌いだ。客が多いから値段も結構ボッてるように感じた。結局、センターでタイパン4着アジアっぽい上着1着。予定してない$15の出費。いざとなればタイバーツを換金すれば大丈夫だろうけど、このまま行くとUS$不足になりそうである。この日の午前、アキラ地雷博物館に行った。まだまだカンボジアの地に地雷がたくさん埋まっている事を知る。アキラとは、政府から一円も援助を受けず自力で地雷撤去を続けているカンボジア人の名前だった。彼は戦争時に地雷を埋めた経験を持つ。それがもちろん彼の意思で行われた訳ではない。だが、その地雷で兵士を・戦車を殺し壊してきた。今も真面目に働く農民を・無邪気に遊ぶ子供を殺し続けている。その事実が彼を無償で地雷撤去作業へと駆り立てるのだろう。わずかながら寄付をさせてもらった。一つでも多くの地雷が撤去されるように☆一人でも地雷被害者が減るように願って☆
2004年12月18日
コメント(0)
俺と同じくオーストラリア・ワーホリを終えてカンボジアに入国したカップルがいた。彼らは今後一ヶ月間のカンボジア滞在を孤児院で英語・日本語の教師をする事に費やすらしい。オーストラリアで貯めたお金はスクーターを購入してプレゼントするんだとか。なんだか、全然俺なんかの視野では考えつかなかった事に挑戦・奉仕する二人がすごい大きな人間に見えた。そんな事を聞いて、少し孤児院に興味が出てきた。19日にベンメリア。20~22日アンコールワット。そんな予定を突然決めたので、今日明日は暇になった。日本人宿で出会った女性二人が孤児院に行きたい!と言い出したので、俺らも一緒に行く事にした。正直、そんな軽い気持ちで付いて行っていいものか不安に思った。でも、行って無力の自分を感じて帰ってくる事も大切な経験になるだろう、そう自分に言い聞かせて向かった。俺達が今回訪れた孤児院は、俺たちの勝手に抱く想像を打ち壊すものだった。大きな土地に、立派で綺麗な建物。迎えてくれたスタッフは若くて可愛らしい日本人女性。そしてその女性がこの孤児院の実際の経営者だったのだ。日本でどこにでもいそうな女性である。話し方・仕草・オーラなど外見は本当に何も俺らと変わらない感じの、今の若者っぽい感じの人なのだ。だけど、話を聞いていくうちにカンボジアで孤児院を運営していく事に対して葛藤している一人の強い女性像が浮かび上がってきた。それは子供への接し方から・運営費の割り当て・カンボジア人で孤児院設立者でもある夫との意見の食い違いに至るまで全てと闘って乗り越えてきた勝利者であり、まだ更なる夢を追いかける人であった。全てを率直に語る彼女にいつしか共感していた。初め話を聞いていた時は、日本の子供のような心の狭苦しい人間が育つのでは・・?なんて素人ながら心配した。が、最後にはこの方の下で育つ子は幸せだろう、と安心して帰る事が出来た。彼女は変にお涙頂戴の話はしない。ただ素朴に彼女の人柄そのままに話をしてくれた。それが余計受け取るものが有った様に思う。変に無力な自分を感じて帰ってくる事もなかった。ただ、今は彼女の語る膨大な現実・真実をどう受け止めていいのか・・・消化不良である。その話は決して悲惨な話ばかりではないのだが。。
2004年12月17日
コメント(0)
とうとう陸続きで国境を越えた☆昨日、ビザは取ってあるからそれほど大変ではないだろう、と予想していたけど・・・実は大変だったかも。ま、出入国カードは簡単だけど待ち時間が長い。タイからカンボジアへ行くと言う事で、より一層の警戒が必要だ。そんな訳で、誰もが荷物をしっかり抱えて順番を待っている。俺はサーフボードを預けてきたとは言え、それでも2つの大きなバックがあるから長時間の待ち時間は堪える。バックパックをずっと背負ったままが一番安全。だけど、すごい汗かいた。。列に並んでいると、窓からたくさんの人だかりが見える。どうやら大男が道端に倒れているらしいのだ。しかも、俺らが彼をしっかり見えるようになる頃には、彼の胸は呼吸をしていなかった。結局10分以上待って、やっと救急車が到着する始末。きっと彼は二度と息を吹き返さないだろう。初めて見る地面に転がっている死体だった。顔は真っ青。目の前に倒れている人がいるのに、何も出来ないのは悔しい事だ。彼が悪人であれ救ってあげたいと本気で思った。更に、列に並んでいる時に一人の日本人男性に出会った。彼はアジアをすでに2ヶ月旅している者だ。その彼から恐ろしい話を聞いた。なんとタイで銃に撃たれた言うのだ確かに胸に銃弾の後が。。。眠い・・・
2004年12月16日
コメント(0)
一昨日の晩にSと俺はアンコールワット帰りの二人の日本人から旅の話を聞く事ができた。そして、昨日の夜Sと俺は二人で一緒にアンコールワットへ行こうと決めたのだ。Sは1歳年下の日本人男性。初海外でいろいろ臆病になっている。俺も人の事は言えない。意欲はあっても失敗を恐れて行動に出るタイミングが遅れてる。俺のバリ滞在はまさにそういう言葉で言い表せる結果だろう。そんな俺とSはまさにお互い励ましあい、一人では出来ない行動派の旅をする為の良いパートナーと成り得るだろう。そして、今朝二人でカンボジア・シェムリアップまでのバスを予約。約1000円。安い!シェムリアップはアンコールワットの膝元の街である。バンコクからは約12時間バスの旅。カンボジア入国してからの悪路は相当ひどいらしい。5時間はすごい揺れ。また、入国前後に睡眠薬を飲まされ、荷物を盗まれるなどの事件が多発しているらしい。今まで以上に危険も伴う楽しい旅になりそうだ。とりあえず、今日中にカンボジア入国が楽な物になるようにビザを取得する事になった。明日、国境越えの時にビザを一緒に取る事も出来るらしい。が、それはあくまでも噂。出来ても通常料金より上乗せされた額を払わなくてはいけなかったり。そんな訳でバス予約後、急いでカンボジア大使館に向かった。午前に申請しないと今日中にビザは取れないよ、と旅行会社で言われた為だ。申請用紙を埋め、撮りたてのビザ用写真とパスポートとお金を握り締めて申請窓口に並んだのは大使館がランチタイムの為に休むはずの12時過ぎ。だけどそこは心優しく、俺たちの申請まで受付は開けてくれた。なんかどこかの国のお役所仕事とは違うなぁ、と感動しつつ無事に申請が終わった事で一安心。パスポートを返してもらう夕方5時までは随分時間があった。そこで付近探検。Sはすでに結構詳しくて、彼の案内でシアム周辺を見て周った。初のタクシー・スカイトレイン。大都会シアムの下町屋台での優しいタイ人との出会い。と充実してた。無事ビザゲット!もう夜中3時。荷造り急いでやらなきゃ。。朝6時発だぁ~^^。
2004年12月15日
コメント(0)
カオサン通りで生活して。 確かにOさんがバリで教えてくれた様に、バンコク・カオサン通りに来れば間違いなく無知な俺のような人間でもタイで生きていける。それは安宿が集中している場所だからである。安宿が集中している為に、旅行者向けの店も集中していて何をするのも楽である。屋台に行けば安くて美味しいご飯が食べられる。ちょっと歩けば服・カバン・アクセサリーなど何でも揃えられる。バリより物価が少し高く感じはするが、その代わり更に都会で、更に何するのも便利な街である。俺がそんな都会を求めていたか?と問われればNoと答えざるおえない。求めていた生活はもっと質素なものであった。だけど、今この快適な生活、しかも日本では考えられない程の物価での生活の前には、黙ってそのありがたい生活を受け入れるのみだ。このバンコクでお金と旅の意欲が尽きる前に移動しなくてはいけない、とつくづく思う。
2004年12月14日
コメント(1)
バリからジャカルタ経由してタイへ。もちろん?!その便には日本人が全然いない。不安だ。しかも所持金はルピアが少しだけ。バリで両替すべきだったのか?とかって、悩んだけど平気だった。バリの入国と違ってビザ代金とかないからね。何の情報もガイドブックも持たないままバンコク到着。スッゲー不安だった。意外とすんなり出入国は済んだ。速攻でATMへGo!シティーバンクの残高が表示されなかった。金銭面もそろそろ不安だ。とりあえず、カオサン通りに行けば宿があるだろうと、適当にカオサン行きのシャトルバスに乗る。が、すでに満席。俺一人小型スーツケース・バックパック・サーフボードと大荷物。後ろの窓に腰掛ける。途中、国際線乗り場から細くて可愛らしいタイ姉妹が乗り込んできて、俺の隣に陣取った。時差を考慮して時間を聞いてから、彼女たちとは仲良くなった^^チェンマイに二人で行ってきた帰りらしい。お互い下手な英語ながらも楽しい一時をバス内で過ごせた。特に俺は新天地でずっと不安だったから、すごい癒された。バンコクは一人では危ないから気をつけて、なーんて励まされたりして。二人は途中で電車に乗り換える為おりた。カオサン通りまでは空港から結構な距離だ。途中で勝手に客は降りる。ストップボタンなんて設置されてない。続々降りていく中、更に不安になりながら遂にカオサンに到着☆すでに日は暮れている。一人、大量の荷物を抱えての宿探しはすごい辛かった。汗が滝のように噴出すし。20分延々歩いて、気に入った宿を見つける事が出来た。初日だったから、エアコン・TV・ホットシャワー付きと贅沢な部屋にした。それで一泊1000円位。そこで日本人に早速出会えた。一緒に夕飯食べ行った。旅の不安は消えた。皆の話を聞いて、逆にアンコールワットやチェンマイに行くぞって言う意欲が湧いてきた。良い旅になりそうだ^^☆
2004年12月13日
コメント(0)
昼過ぎ、洗濯屋さんに出しちゃったバイクの鍵が返ってきた。やっと、サーフボード取り返した。でも、まだ少し傷残ってる所あるし。。機内持ち込み出来るスーツケース再購入。今度のは大丈夫だろう。痛い出費だが。2日ぶりのサーフィン。すごいうれしい☆でも、海がすごい汚い。最近、海荒れていたからか、クタビーチは延々大木が引き上げられてる。水中もビニル・小さなゴミがたくさん浮いてる。でも、波は大きくてよかった。帰ってすぐ、迎えの車が来てたからウルワツへ出発。ドライバーはカデの友達ワヤンさん。結構上手に日本語も話す。が、途中からエクスチェンジ状態。お互いに母国語を教えあってた。ウルワツには3つの目的で行った。1、世界的に有名なサーフポイントを見る。いやぁ、確かに素晴らしかった。しかも、俺が行った時は全然人いなかった。それなら、少しはウルワツに住んでサーフィン強化合宿でも一人でやればよかった。実際入ったら怖いんだろうけど。目的その2、ウルワツ寺院見学。そんな期待しなかったけど、時間が良かったのか綺麗だった。夕焼け空に、岬の先端に建つ塔が綺麗に映えてた。西洋から来たオジサンは猿にメガネ取られてた^^。それにしても、どこの寺にも猿がいるのは・・なぜ?目的その3、ケチャダンス見学。もう、ほぼダンス系は見られないだろうと諦めてたけど、宿のスタッフに教えてもらってケチャダンスを見られる事になった。最後の晩に本当にラッキー☆始まる直前に、頂いた日本語の解説を読む。が、登場人物多くて混乱。ストーリーは分かったけど。そして実際劇が始まったら、誰が誰だか見当もつかない。。でもあの独特の雰囲気や踊りは堪能できた。本当不思議な世界を醸し出してるよね。圧倒された。最後の晩に少しバリ観光できて満足☆いつも通り・・荷造りこれからだぁ★
2004年12月12日
コメント(0)
昨日・今日とサーフィンしてない。。しないと退屈な場所だ、バリ島は。他にする事がない。ま、ケチャ・バロンなどのダンスも見たい。いろんな寺院も見に行きたい。けど、なかなか体が動かない。バイク借りてるけど、免許ないと警察とのトラブルが面倒で移動する気になれない。勿体無いと解りつつね。。ま、風邪も悪化してすごいセキしてるし、ゆっくりもいいかな。タイで行動派になるぞ!アンコールワット見に行くぞ☆
2004年12月11日
コメント(0)
気付けば、バリ来て80本ものDVDを買ってしまった。この日はOさん帰国日。DVD買うと言うのでお供した。この国のコピーDVDは安い!一本100円位。まだ公開したばかりだろ!!って言うのも販売してる事もある。そういうのは、館内撮影で画質がすごく悪い。日本で友達を驚かす事にしか役にたたなそうだ。前回、20本ほど買ったが画質チェックを怠り、数本に泣かされた。と、言って今回もしっかりチェックしたのは数本だけ。なんせ、50本ちかく買ってしまったから。。うぅ。全部見尽くすのはいつの事か。全部、日本語字幕はない。少しは英語の耳が出来るかな?!英語字幕も、新作物ほど適当だ。全然言ってる事と違う字幕が表示される。もう、当て字の世界だ。もちろん、それは文字数が長いから省略してなどと言う高度な物ではない。新作ほどその傾向があるので、気をつけないといけない。 今頃インディー・ジョーンズにはまってます^^
2004年12月10日
コメント(0)
一度はジンバランでシーフード食べてみたかった。もうバリ生活も長くないこの頃、諦めかけていたら・・・心優しき・元バックパッカー、今はネット販売用の雑貨買付けでバリに来ているOさんが最後の夜だからってご馳走してくれた^^ラッキー☆元バックパッカーって言う事もあって、いろいろ共感してくれたり情報くれたり。タイについてもいろんな話聞かせてくれた。素晴らしきかな、この出会い。ジンバランではロブスター・海老・かに・イカ・鯛を食べちゃったvロブスターもカニも丸ごと注文して食べたの初めてだ!ロブスターはちょっと苦くて大人の味だった。カニがあんなジューシーで美味しい食べ物だったとは。やっぱり無言でたべちゃうね。味噌もGood!フレッシュジュース3本、ご飯、サラダも食べた。気になる値段は、それで1万円位。絶対日本では有り得ない値段!だけど、自分で払う事考えたら高いよね、、Oさんとて高かったに違いない。本当にご馳走様でした☆無料の送迎付き。だから、ちょっとアルコール飲みたかったかな。それは次回、自腹の時にやるか^^帰って来て、満腹だったけどOさんが甘い物食べたい!と、言う事でダンキン・ドーナツ買いにバイクで出かけた。日本で言うミスドだよね。レギャン通り3周したけど、どこも閉まってる。もう最後の方はホテルスタッフ・カデの為に買っていくぞ!って、なってた。なんか、彼はOさんが買ってきたお土産を食べられなかった事を根に持ってて・・・今回は食べさせてあげよう!みたいになってて。少し遠出してクタセンターまで足を延ばした、のが間違い。。もう警察もいないだろうと、少し逆走したら・・まんまと奴等待ち構えてた。Oさんが「マネ・マネ・マネ」とちょっと挑発したのがいけなかったのか、夜だったのがいけなかったのか、聞いてた5万ルピアでは全然話にならない。結局10分位やりとりしただろうか、12万で収まった。た、高い!って、全部Oさん払ってくれたけど。いやはや、今後バイク乗るの恐ろしいなぁ。ドーナツ屋はそれでも見つからなかった。。チキショー
2004年12月09日
コメント(0)
Aus・グレートバリアリーフで免許取得して以来のダイビングだ。日記を振り返ってみると、まだ2ヶ月しか経っていない。が、ほぼ全てを忘れている。。。受講中もしっかり勉強しなかったからなぁ。それでも、スタッフが親切で問題なくダイビング関係の事は進んだ。しかし、俺の体調がバリ来てから最悪。昨日、風邪を再びひいてしまったらしく、鼻水は出る・体は気だるい。しかも、早めに寝たのに珍しく寝られなくて、寝ても寝苦しくて睡眠も不足気味。そして、なぜか便の調子も最悪。詳しくは書かないけど水しか出てこない。。到着して・休憩して・昼食食べて・帰る前と何度もトイレにかけ込んだ。更に俺には珍しく食欲も全然ない。有りえない事にランチ残した。いやはや、こんな体調でよく2本ダイビングやったもんだ。2本とも本当に耳抜きが大変だった。1本目は、5m以上潜るともう耳抜きできなくて、もうこれ以上はムリだぁ。って、本気で思ったもんね。一緒に潜った人には先に行ってもらってた。2人ガイドいたのが幸い。バリ人のガイドは俺にずっと付き添ってくれた。が、サインほぼ忘れてるから、彼が何を水中で伝えてるのか理解するのが大変だった。なんとか、少しずつ海底に潜る事ができた。バリ人の彼のおかげです。そして、ついに沈船を見る事が出来た☆戦争で日本が沈めた船。なんて、歴史の流れを感じる事もできなかった・・なんかすごい疲労感で。。ジッとしてると頭がクラクラしちゃう。絶えず動きまくってた。浮力もうまく調節できてなくて、沈み気味。だから余計フィン使って浮こうともがく。いつも通りエアーの減りは早い。一本目は30しか残ってなかった。。でも新記録の50分潜水。2本目にはお目当てのギンガメアジの群れに出会えた。それはすごい景色だ。ニモで大群の魚がいろんな物を形づくるけど、そのモデルかと思った。どうなんだろ?バリ人のガイドはすごい!素手で何でも触りまくり^^ニモの家・イソギンチャクやその他多数の珊瑚。触れる事でよりリアルにその世界を体験できるね。彼からそんな事を学んだかな。でもPADIは許さないかもね^^ちょっとダイビング嫌いになりそうな体調だった。次回は絶好調で!
2004年12月08日
コメント(1)
あと一日一緒に居られるはずだったKさんが突然帰国してしまった。ただ、帰国日をきちんとチェックしてなくて急に気付いて帰ったってだけなんだけど。ちょっと可笑しい話ではあるんだが。ま、明日はダイビングする事にして慌しくなる予定だから、今夜空港まで見送りに行けてちょうど良かった。 サヌールに行った。カデさんがバイクで連れていってくれた。予想した大きな波はなかった。あれではサーフィンは出来ない。ビーチで葬式をやっていた。こっちは一ヶ月ちかく葬式をやるらしい。最後の方は、遺族の方も楽しむセレモニーらしい。今日見たものも、全然悲しみに包まれてなんかいなかった。明日は、とうとうダイビング。現地の人がガイド。日本語話せるとは言っていたが・・不安だ。俺、久しぶりだしなぁ。ドキドキ☆
2004年12月07日
コメント(0)
朝からスタッフのカデに叩き起こされ、Oさんと一緒に釣りに出かけた。まずはカデのお兄さんの家・デンパサールに向かった。彼の兄はスパ・縫製工場と2軒営んでいた。なかなかのお金持ちなのかも。釣りは、有料でよければ船で沖にでるらしいが、俺らはそんな本格的ではないので無料の方を選んだ。そっちは・・ただの池だった。。。しかもよく見るとダムなのだ。3時間ほどやったけど、途中でいきなり開門して水がドッと流れ出したし。ルアーでも普通に釣針でも試したけど一匹も釣れなかった。お兄さんだけは5匹位釣ってた。それもすごい小さいんだけどね。みんなですごい日焼けして帰った。なんか魚釣れても、オーストラリアと違って食費がすごい浮く訳でもないから燃えないよね。。なんて言い訳してみた^^。
2004年12月06日
コメント(0)
オーストラリア以来のナイトクラブに昨夜行ってきた。一緒に行ったKさんもスタッフのカデさんもノリノリで踊ってたから、俺もいつもより踊る事が出来た。それでも、3時間過ぎた頃から俺のテンションも一気に落ちてダルダルだった。二人はそれでも2軒目へゴー。。。クラブには日本人はほとんどいない。俺らだけ?って感じ。Kさんはオーストラリア8年住んでいただけあって、英語ペラペラ。しかも格好良い男。いつの間にかオージー女性3人に囲まれてるし。俺はその夜、誰とも話さずに終わった。。すごい自己嫌悪。帰ったのは5時前。うぅ。全てに負けた・・・と思ったね。起きたのは昼過ぎ。夕方からサーフィンにだけは行って来た。もうちょっと有意義にしたい☆
2004年12月05日
コメント(2)
昨日出来上がってるはずのサーフボードを今朝取りに行った。レンタルしたばかりのバイクで。このバイクは新聞屋時代に使っていたホンダのカブをパワーアップさせた様な奴だ。だからすごい久しぶりの乗り心地で最高に気持ち良い。傷がどこにあったのか分らない程上手な仕上がり。これで無料とはありがたい。サーフボードをバイクに乗せてスタッフとタイから来たKさんとでクタビーチに行った。俺のバイクはサーフボードキャリア付きですごい便利☆お昼まですごい強い陽射し。更に顔が焼けた。ヒリヒリする。肩も腕も皮が剥けてきてる。肝心の波だが、全然ない!3人で入りたがらないほど^^でも一回入ると燃え出してしまう俺。小さい波ながらも必死で頑張った。。昼はスタッフが近くからナシ・チャンプルを買ってきてくれた。すごい安い!50円位。初のビーチでのランチ。なかなか気持ちいい。一人だと物売りが気になって、落ち着いて食べられなそうだけどね。食後、更に2回戦。結構、もう体ヘトヘト。だけど、ムチ打って頑張った。途中からすごい豪雨になった。俺は落雷が怖くて一回上がった。けど、平気そうだったから再びサーフィン。結局6時間ビーチに居た。全然そんな長く居るつもりはなかったけど、スタッフはサーフィン好きだし、俺もまだどんな波でも練習になるから付き合った感じだ。でも感謝です。
2004年12月04日
コメント(0)
今日、一緒にロンボク行った皆は日本に帰る。Tさんの奥さんは最後の買い物にスミニャックに行ったので付いていった。Mさんも付いて来てくれた。いやぁ、一人だったら途中で嫌になってたかも^^。すごい女性の買い物は疲れるね。女性は買い物の時になると疲れを忘れるのか?って位パワフルだよね。久しぶりに日本での買い物を思い出した。やっぱり俺は都会が嫌いだと実感。でも、自分の買い物をしてる時は疲れないもんだよね。4時間程歩き周っただけだが、サーフィンより疲れたね。ジゴロは荷物を持ち、女性を褒め、盛り上げて、何てことをしてるのだろうか?何て一人で考えてしまった。夜、皆からアドレスを頂いて別れた。また、一人だ。けど、この宿は日本人が多いからか、たくさん知り合いが出来た。嬉しい限り。夜、映画「スクール・オブ・ロック」を見た。ちょっと感動した。そしてやっぱり面白い映画だった。 またギャンブルしてしまった。一発勝負で5万ルピア負けた。い、痛い。もうやらないぞ!
2004年12月03日
コメント(0)
昨日の夜の話。みんなでトランプゲーム・大富豪をやった。なんでか、ここのスタッフは大富豪のやり方を知っている。でも、すごい簡単なルールでやっていたけど。夜9時頃から初めて、初めは何も賭けなかった。けど、まず1000ルピア・5000ルピア・1万ルピアと賭ける額が増えていった。その度に皆の興奮の度合いも高まった。いやぁ、日本でパチンコや競馬にはまる気持ちが分った。こんな単純なゲームでも面白い!お金を賭けると。結局、なんと朝方4時まで大富豪をやり続けていた。さすがに皆疲れて止めた。最後は2万ルピア。ここで買った者が今日の勝者。要は今までのゲーム結果は無意味になると言うゲームだったんだけど、負けた。300円ほどの負けだがやっぱり悔しい!その日の夜は他のゲームで賭けてたけど、俺ははまるのが怖くてやらなかった。Tさんは20万ルピア買ったらしい。日本円にしても2500円程だ。うぉーお、結構高額のやりとりしたんだなぁ。恐ろしい。。
2004年12月02日
コメント(0)
帰りのフェリーは、行きでは考えられないほどリラックスして乗る事ができた☆皆のおかげだ。行きは恐怖心で埋め尽くされていたからな。今回は船の中をくまなく探検した^^1階がパーキングエリア、我らのレンタカーも駐車されている。2階は売店・テレビ付きラウンジ。面白いのは、この船は日本の使い古しを買い取ったのか「売店」とカウンターに書かれてた。結構バスもそういうのが多い。「一般」とか書かれてたりね。3階は操縦室・VIP室。VIPは更に200円程払わないといけないらしい・・が、俺らは勝手に侵入できた。実際はよく分らない。ただシートはクッション入りで気持ちいいが、エアコンもテレビも動かないただのクソ熱い部屋でしかない。船は順調に港まで進んだけど、港手前で1時間停泊したから、結局5時間の長旅だった。更に車で1時間半。結構移動は疲れる。それでも又バリ島クタに帰ってこられたのはうれしい。この一年オーストラリアで結構買い物とかしなかった。特にパースはショッピング楽しむ街ではなかった。だから今このクタが好きなのかも。もちろんロンボク島も大好きだが。あんな原始的な光景は初めて見るものだった。またオーストラリアとは全然違う景色・生活。そして素晴らしい先輩方。いやはや恵まれた旅だった。残りのバリ生活も楽しいものにしよう☆
2004年12月01日
コメント(0)
最後の晩だ。最後の宴会だ。地元のサーファーやガイドや船頭仲間たちも招いて夕食会を開いた。が、噂は広く伝わってしまったのか、20人近い地元の人が集まっちゃって結構大変だった^^。この日選んだ場所が安いワルンではなくて、ちょっとしたレストランだったから金銭的にも大変やばかった。。一人3000円くらい払ったかな。こっちで3000円と言ったら下手したら10日間食いつなげる額だ。なかなかこの日は奮発した事が伝わる額だ。Mさんはなんと持ってきたお金尽きちゃうしね。悲しかったのは、先に帰ったんだけどバイクに乗せてくれた子からバイク代請求された事。本当は払わなくても全然良いんだけど、なんか払ってしまった。大した額ではなくても、気持ちいいものではない。更に悲しかった事は、日系ブラジル人カメラマンのボッタクリ事件。皆は彼と来た当初会ったらしく、サーフィンしてる写真を撮ってもらった。それをこの日に買いに行ったんだけど、その値段が法外!ただ4・5枚の写真をCDに焼いてくれただけで2500円位。あれはひどいもんだ!気持ち良かったのは、耳が聞こえないオジサンがロンボク・クタにいるんだけど、その人のマッサージは最高!あんなに良いんだったら、ベッドでやってもらいたかったなぁ。 やっぱり日本製のTシャツは質がいいんだね。みんなに要らないの明日頂戴って頼まれた。結構あるからプレゼントしよう☆
2004年11月30日
コメント(0)
昨日の夜は、すごい呑んだ!アラックと言うとても強い酒がある。こっちでは有名なようだ。味はラム酒の様。強さは38度で日本酒と同じ位。それをコークで割って飲むんだけど、3回それを一気飲みしてしまった。いつも近くのワルンに食べに行くんだけど、サーフィン仲間の地元っ子たちが何人も乱入してくる。彼らの酒や食事もおごってあげてる^^。昨夜はKさんがアラックを外から買ってきて、俺は初挑戦してみた。周りに言われるままに一気飲みしちゃった。。分ったのは、俺は結構酒に強いこと。Kさんは2回目の一気飲みで吐いちゃったもん。今までで一番酔っ払ったかも。 こっちの海は景色が綺麗!だけど、ゴミで汚く見える。それはここ最近急激に進んだ文明化のせいかもしれない。今まではビニル袋の代わりに竹筒・バナナの皮を使ってたからポイ捨ても全然問題なかった。が、今は自然に帰らないビニル袋を現地人は何も知らずに海に山に道路に捨てている。汚い町はそんな訳なのだ。悲しい事だ。
2004年11月29日
コメント(0)
バリ来てからずっと大便の調子も良くないかも。。汚い話でごめんなさい。もちろん生水は飲んでない。でも、ジュースに入ってる氷は飲んでる。そのせいか。生フルーツ・生フルーツジュース(最近のお気に入り)のせいか。辛い食事のせいか。挙げればきりがない、そんな訳で原因も特定できない。それでも、普通より水っぽいだけで突然我慢できない!なんて事はないからそれ程気にしてない。 とうとう、ホテルの前まで来る物売りの子供たちからいろいろ買ってしまった。来た翌日にスカートの様な伝統的な腰巻サロンを購入。そして今日、違う子からTシャツ購入。一枚も要らなかったけど、皆から一度買えばもうしつこく言ってこないからと勧められ買った。しかも3人もTシャツ売りが来てしまって一人一枚ずつ、計3枚のお買い上げ。。どれもすぐ駄目になりそうな質の悪い物ばかりだ。でもロンボクやこっちのビール・ビンタン等ユニークなロゴが入っているから気に入っている。最後に、しっかり断らなかったのがいけなかった。サーフィンから帰ってくると海パンを今度は売りに来てる。内心少し欲しかったんだけど、どう考えても質は悪い。それでも今回は俺の希望額まで下げて買えたから満足☆しかもすごい大人数だったけど一つだけで仲良く帰ったから良かった。Tシャツ3枚・海パン1枚で計2000円弱。うーん、ロンボク来て一番の浪費だ。って、普段食事しかお金使わないんだぁ^^後はガイド・ボート・宿泊代もあるけど。 サーフィン2回行った。短時間だったからそれ程疲れなかった。波も小さかったし。それでもハードな生活だ。けど、腰も風邪も良くなってる。うん、そう信じたい。とうとう肩と鼻の皮が日焼けし過ぎて剥けてきた。肩は皮と皮の間に汗かいて病気みたいにボツボツになってる。気持ち悪い。
2004年11月28日
コメント(0)
毎日サーフィン。腰痛、風邪持ちの病人だけどね。だいぶ真っ黒になってきた。Ausに居た時より黒いかも。 夜、ご飯食べに行ったワルンには猫が住み着いていて、そいつらが蚊を引き寄せるのか下半身すごいかに食われてる。変な病気貰ってないといいけど。 俺の部屋。右がMさんでイビキがすごいです^^左がKさんで歯ぎしりがすごいです^^たぶん、俺も負けてないんだろうなぁ。 少なくても半年に一度はバリに来てるM、Tさん。奥さんもいるのにすごい!一生自由人なんだろうね。そして、二人はここロンボクでの起業を夢見ている。もう30代半ばだけど、そんな二人は若いです。ここロンボクは2009年国際空港が完成する。今から土地・家を買っておけば安いはず。第二のバリに発展するだろうと予想する人もいる。俺なんか独身で身軽だ。俺にも何か将来どでかい事出来る気がした。彼らから夢を見させてもらったんだな。 徒然と書いてみた^^
2004年11月27日
コメント(0)
朝からのんびりサーフィン。皆の求めるポイントは俺には怖すぎる。だから、いつも不完全燃焼だ。今朝も悔しさを残しつつ終了。昼はのんびりご飯食べて、昼寝。この日はサーフィン4時間程やったから、病人の俺には相当堪えた。夕方、俺らの泊まるホテルのスタッフの家に招かれて行った。T,Mさんはこのホテルの常連客。だから、招いてもらった様なところがあるかな。絶対、俺が一人で来ただけでは招かれないだろうな。二人は本当に面白い!人付き合いがうまい。インドネシア語も少し話せて、それで現地の人から笑いを取ったりも出来るのだ。考え方もすごい前向き。日本人ではあまり居ないタイプ。二人とも尊敬しちゃう。もちろんサーフィンも段違いでうまい。一人は茅ヶ崎のサーフィン大会で優勝経験もありだとか。しかも、今回の現地のガイドもすごい!ハンサムで日本語上手。ここロンボクのサーフィン大会で優勝経験ありだとか。いやはや、すごい人々に囲まれて生活してます^^さて、スタッフの家だが・・・いやすごい!!あれだけで一つの部族を形成できるよ!すごい数の人・家・子供・年寄り。子供たちの目のなんとルンルンに透き通って、興味深そうな事か。本当によそから来る客なんて珍しいんだろうな。スタッフと言っても、大して金持ちのはずないのに、すごいもてなしをしてくれた。今まで飲んだ事のないモカ入りの紅茶(すごい良い香りで美味しい!勿論少し甘い)。たくさんのお菓子。晩御飯にナシ・チャンプル。最高のひと時でした。俺も、皆のようにインドネシア語話せたらなぁ、と思ったよね。Tさんは子供たちとサッカー。余裕でチームが出来ちゃう程の子供の数。Kさんはなぜか女の子とお見合いさせられてるし^^俺は写真撮影。子供たちカメラが珍しいのかすごい集まってくる。まるでウルルンだよ。M,T、Kさんに出会ったおかげですごい体験を毎日させてもらってる☆
2004年11月26日
コメント(0)
腰が痛い!車で1時間半もかかるサーフポイントに行ったから。しかも、その道は全然舗装されていない。更に俺の座席は後部座席の後ろのトランクの部分。一応4輪駆動車だからトランク部分にも簡単な座席がある。だけど、すごいガタガタ道を1時間以上も変な格好してたせいもあって腰が痛い。帰りも違う道を通ったけど同じように激しい道だった。いやはや、俺の腰はいつまでたっても治らなそうだ。しかも、冷房のせいか風邪もぶり返してしまったし。さて、今日行ったサーフポイントはイカス。船に乗り換えて更に30分かかる。2時間かけて行く程のポイントではない。とは皆のセリフ。俺には突然連続でやってくるドでかい波たちが怖かった。帰りはプタヤと言う町に寄った。クタより都会。だけど、雨で大してショッピングもしなかった。早く体調治そう。
2004年11月25日
コメント(0)
最近、毎日一日遅れの日記だ。ちょっと記憶に残ってない事も多い。。。とりあえず、覚えている事だけ書く。 この島で、特にこのロンボク・クタに来る人の目的は波乗りがメインだろう。結構日本人に会うが、波乗り以外の理由でここに来た人に出会ったことがない。そんな訳で、俺らも一日一回は波乗りに行く。それ以外にこの町でする事はないに等しい。この日行ったポイントは船に乗らなくてもいい場所。だけど、所々岩が水面からむき出しで出ている。波のポイントまで結構パドルしなくてはいけない。まだまだビギナーの俺には大変だ。水底は浅くて珊瑚、波はでかくて力強い、そんな訳で相当ビビっていた。結局2回挑戦しただけで逃げ回ってた。くやしい。。。終わって周りを探検した。2つ岡があって両方制覇した。高い方は裸足で登った。地面の熱さには参った。上に登るほど木陰もなくなり、地面も熱い。肩もヒリヒリする程焼けた。腰は相変わるず痛む。ゆっくり降りたいけど、地面が熱過ぎて早足だ。途中で現地の子供2人が近づいてきた。俺はこの岡に登ったせいで彼らが何か言いに来たのかと思った。よく見ると2人は鎌を持っている。俺は噂に聞く鎌で恐喝する人々かと思って、慌てて逃げ下りた。が、それはヤシの実ジュース売りに来ただけだった。なんだか、フェリー乗ってから必要以上に警戒している。もうちょっと度胸が必要だな。
2004年11月24日
コメント(0)
ロンボク島での生活が始まった。部屋は、エキストラベットを入れてもらって野郎3人で一緒に住んでる。テレビ・朝食・ホットシャワー・エアコン付きでとても快適。朝は朝食後に皆でサーフィン!サーフィンは目の前のビーチでは出来ない。いつも車で10分位の場所に行く。今日はそこから船をチャーターして行った。船に乗ってサーフィンのポイントに行くなんて初めての事だ。ポイントは海底がリーフで少し危ない。けど、波はたまに俺にも優しいのが来るから挑戦できる。地元の子も一緒させてもらってる方々もすごいサーフィンが上手。本当におこぼれの波で楽しませてもらってる感じ。ガイドに地元の子を雇っている。更に船のチャーターもしている。それでも一人200円位らしい^^ガイドも一緒に海に入るがその間は仕事を忘れてサーフィンを彼も楽しんでいる。2・3時間して上がる。近くのカフェ?!で休憩。更にワルンに移動してランチ。午後は残念ながらサーフィンに行かなかった。皆、すでに一週間ロンボクにいるから一日一回ペースらしい。夕飯まで部屋でのんびり過ごす。風雲たけし城がテレビで放映されていた。昼寝して、夜は近くのレストランに食べに行く。俺がいるロンボク・クタはとても小さい町。それが逆に素晴らしいのだが。結構みんなインドネシア語をマスターしていて夕飯中も地元っ子と会話してる。彼らも日本語を話せるが、なかなか会話に入れない。でも、みんな陽気で楽しい人ばかり。俺も見習わないとね☆
2004年11月23日
コメント(0)
慌しく残りの引越し準備をした。6時半で迎えのバスがもう来てしまい、これまた慌しくチェックアウト。スーツケースは預けて出発。最初の嫌な事は、迎えのシャトルバスで起きた。そのドライバーは俺のチケットは俺だけしか含まれてないから、荷物代を払えと言うのだ。払わなければ、このままホテルに帰れ!みたいな事も言う。たった今チェックアウトしたホテルになんか誰も帰りたくないに決まってる!ツアー会社は全て込みだって言ったのになぁ。。すごい頭にきたけど、引き返したくもなかったので約600円払って乗った。他の客でもサーフボードやバックパックを持っているのが居たけど、皆払ったのだろうか?また、彼の運転がすごい荒い!インドネシア中の運転が荒いのは知っているが、彼は更にスピードも出すからより激しい。高速道路みたいのを初めて使ったからかもしれないけど、今までで一番早い速度だった。フェリーが出発するまで1時間位時間があった。近くのワルンと提携してるのか、到着するとそこへ連れて行かれた。今朝はホテルで朝食も取ってなかったから、食べた。食べている間に、ロンボクでの移動手段を提供してくれるツアー会社の人が来た。少し胡散臭い。けど、昨日ロンボクのホテルからの迎えの値段を聞いたけど、それより安い!一応、ホテルにもう一度電話で確認した。電話がワルンから少し離れていて、荷物は心配だったけどワルンに置いて出かけた。結局安いツアー会社の方のバスをロンボクの移動手段で使う事に。と、言っても俺一人だからチャーターみたいなもん。ここでの大失敗は、荷物から長い間離れていた事。フェリー出発時間が迫っていて、他の人は出発していた。俺も少し遅れて船着場へワルンから出発。が、荷物が親父連中に運ばれている。俺はサービスだと勘違いして運ばせておいたら、フェリーに着いた途端、親父連中はお金を請求してきた。総勢6人ほどで俺の荷物を運んでいた。そして皆で請求してきた。そう言えば、周りのヨーロピアンは自分で荷物運んでた。。結局10分位言い合いしただろうか?俺がシビレ切らして言われた額約1200円渡した。けど、更に請求してくる。さすがに呆れて、それ以上は渡せないと言い合っていたら、船乗りの人が来て、出航の時間だからバリ親父連中に出て行ってくれと言いに来た。そして、俺は中へ言って良いと言ってくれた。これで救われて、俺はフェリーの中へ入る事が出来た。中はインドネシア人だらけ。このフェリーは地元の人の足なのだ。普通の観光客は5000円位で乗れる飛行機でロンボクに行く。航空券までこっちは安いのだ。船の中でも、たくさんの物売り。が、後で気付いた事だが出発と同時に物売りは船から降りていた。船の中でも更にあの手・この手で金を取られると思い、俺は最高に緊張していた。たくさんの荷物を持っているのは俺や一部の観光客のみ。現地人は小さなカバン一つだ。荷物が心配で、ベンチには座らず、地べたに座ってカバンを見張り続けた。心配だったのは、フェリーチケットを持っていなかったこと。結局大丈夫だったのは、荷物運びと一緒に船に乗り込んだからだろうか?船の4時間、ずっと気を張り詰めて乗っていた。ロンボクのチャーターバスに乗るときも。ホテルで皆と会えてやっと落ち着く事が出来たのだった。本当にバリの怖い一面を見た気がした。請求された額は大金ではないが、それでも不当な支払いは腹が立つ。ま、それが定価の定まっていない地域のデメリットかもしれない。
2004年11月22日
コメント(0)
7時半に迎えが来た。初のラフティングに行くのだ。車内は俺とドライバーしかいない。俺は一人で参加だけど、チーム組むほど人はあつまってるのだろうか?と、心配していたら次のホテルでカップルが乗ってきた。でも・・ジャワ人カップルだ。車内はインドネシア語が飛び交う。そして誰も日本語など話さない。心配は募る。ラフティングスタート地点まで1時間かかった。そこには予想以上にたくさんの人がいて日本人女性2人にも会えた。日本語話すスタッフも何人かいて更に安心。さてラフティングだが、思ったよりスリルがなかった。最後に用意されているであろう2~6mの滝もこの会社のはなかった。それでも満足出来たのはそこでの出会いにだ。朝バスが一緒だったジャワ人夫婦・スペイン・フランス人と一緒にチームを組んだけど、それが楽しかった。他のチームとすぐ水の掛け合いになったり、フランス人は全然英語も通じなかったり^^。あ、それから現地の人の生の生活も見られた。川で沐浴する姿・洗濯・木を刈る人など。でも今度は最後滝のある会社を選ぶぞ!
2004年11月21日
コメント(0)
結構行動を共にさせてもらっていた、ジャワ島で働くMが夕方帰って行った。ちょっと残念。さみしいもんだ。最近、サーフィン以外に何もしてないかも。。。そんな訳で、何かしようとツアーデスクへ。路地裏で勝手にやってるものから、きちんと免許を持っていそうな所までいろいろある。一応、きちんとしていそうな所を選んだ。そこは、初めに行った所より値段は半額!おばさんの日本語もすごい上手!とりあえず、ラフティング申し込んだv明日行ってきます!久しぶりの早起き大丈夫かな?3000円だった。もっと値切れたのかな?と不安になるけど、Ausとかに比べたら絶対安いからいいや。あとは、明後日のロンボク島行きのシャトルバスチケットも購入!とうとう、ロンボクだ☆
2004年11月20日
コメント(0)
全345件 (345件中 1-50件目)