きざし昇の雑記帳
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「捕鯨は日本民族の文化だから、後世に対して守り続けるべきだ」という内容の意見があるようです。 私の正直な感想は、「何でいまさらクジラなの?」です。捕鯨反対国と争ってまで守る価値がわからないのです。捕鯨よりも守るべき優先順位の高い日本民族の文化がありそうな気がします。 たとえば・・・・ アレ? 何があるのでしょう・・・・ 捕鯨ぐらいしか残っていないのかも。。。 日本民族の文化ですよね。。。 日本民族の文化といえば、他国の良いとこ取りが出来る柔軟性そのものが文化であって、守ることを目的にする「守りの文化」は日本の文化ではメジャーではないような気がします。 古くは、仏教が伝来したときに天皇が仏教に帰依するという、他国の文化ではおよそ想像できないようなことをしています。極端なことを言えば、ローマ法王が仏教に帰依しながら、カソリックの仕事を続けるようなことです。 「創造的破壊」を繰り返すのに、古い伝統が形を変えて残っていくのも日本の文化です。このバランス感覚こそ、守るべき文化ではないですかね。 捕鯨の話題で食文化の話が出てきますが、珍味の部類にあるクジラ肉が捕鯨解禁になってどれだけ一般に普及するものなのでしょうか? 私にとってクジラ肉といえば、学校給食に出てきたクジラ肉のベーコンと脱脂粉乳がセットで思い出されます。(脱脂粉乳とは、脂質がなくなったオカラ状態ということでしょうか?結構ヘルシーな食材を提供していたんですね) 今、中国の食材で話題になっている食の安全性からクジラ肉を考えると、飼料である程度コントロールされている家畜肉に比べてクジラ肉の安全度合いはどうなんでしょうか? 結構海洋汚染は進んでいると聞きますから、食物連鎖の上位に君臨するクジラの体内では、汚染物質の濃縮が進んでいるように想えます。(体内濃縮の少ない子供のクジラは捕獲できないですもんね) 食文化という言葉も案外いい加減なものです。 他に食うものがなかったから喰っていた時期が永いだけで、パンダの笹にしてもコアラのユーカリにしても、ダイエット志向が強くない限り、他に食うものがあれば食べていたはずです。 米の輸入制限が緩和されるときに、 「米は日本の文化であり、日本人の魂だ」 という論調に対して、日本に居る外国人特派員が、 「米の年間消費が半分になったということは、日本人の文化と魂も以前の半分になったのか?」 と言ったとか。 食文化が大切なら、世界遺産のひとつのジャンルとして認定するべきでしょう。 たとえば、フロリダのワニ肉料理。 たとえば、パプアニューギニアのカミキリムシの幼虫料理。 たとえば、韓国の犬鍋。 たとえば、中国の人肉塩辛 などなど。 話がそれました。。。 捕鯨文化の場合は食文化以外に、和歌山県太地や千葉県和田浦などの沿岸捕鯨のシステムがあると思われます。いわゆる伝統漁法ですね。 古式銃の伝統保存と同様に、沿岸捕鯨の伝統漁法を保存できないものですかね。 そもそも日本文化の捕鯨は沿岸捕鯨で、南極や北極まで行っていたわけでもありませんし、飽食の時代にクジラに拘らなくてもいいような気がしますし、日本国民の伝統ある文化なんて言わないで、「水産庁が目立つことのできる案件だから」と言ってもらったほうがスッキリします。 海洋マグロ、ヨーロッパウナギ、ロシア産のカニなど資源保護の名目で輸出規制が話題になる時代になりました。 生マグロもウナギもカニも一般食材よりもランクが上ですから、高ければ無理して食べなければ良いだけの話です。 商品の取引なんて、需要と供給のバランスに落ち着きます。あんまり大騒ぎするほどの問題ではないですね。 クジラの商品価値はどれだけ高いのか、クジラに興味のない私には想像が出来ないのですが、タバコ1箱が1000円になっても欲しいという人の数ほど、要望の高いものとは想えないのですがね。。。 それでも捕鯨にこだわるのでしょうかね。
2007.06.02
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