オールスタープレイヤー K-MART

「オールスタープレイヤー K-MART」       

K・マーティンのかつての悪友の中には、未だに彼らの生まれ故郷であるダラスで昔と同じ場所ですることも無くたむろしている者がいる。刑務所にいるものもいれば、死んだ者もいる。しかし、マーティンはオールスタープレイヤーになった。マーティンはL・A(ロスアンゼルス)のステイプルズ・センター(レイカーズの本拠地)で開かれたオールスターゲームで、イースタン・カンファレンスの12人に選ばれた。その中には、A・アイバーソン、V・カーター、チームメイトのJ・キッドなどそうそうたるメンバーが名を連ねる。

試合前の会見でマーティンは「多分とてもエキサイトするね」と言っていた。選手入場の時にマーティンの名前がコールされる時、彼の今までの悪事は洗い流されるだろう。成功が全ての失敗を包み込む瞬間だ。

マーティンは珍しく自分のことをメディアに語った。特に旧友について。マーティンの訛りを馬鹿にしていた悪友についてだ。ダサかったバスケットシューズは未だに彼の耳の中にエコーのように響いている。友達が陥った罠にはまらないようにマーティンの奥に潜むプライドにかき消されるかもしれないが、そのエコーをしっかり聞いてみたい。マーティンはどんなに成功しても彼はそのプライドを忘れない。マーティンのシンシナチ大時代のコーチのB・ハギンスによると、プライドを忘れないことは、砂金を選別するより難しいそうだ。

「皆が知らない俺の子供の頃にやったことはたくさんある。俺は今回そのことを話すよ。皆には知る権利があるからね。」とマーティンは言う。
実際マーティンは、友達は数ヶ月ごとに新しいジョーダン・モデルのシューズを持っていたのに、自分は新作に見せるためにどのように型遅れのバスケットボールシューズを歯ブラシで磨いていたかを話してくれた。また、夏の間もしくはマーベリクス(ダラスが本拠地)と試合をする時にダラスを訪れる時にどのような眼差しで旧友たちを見ているかということも語ってくれた。ダラスに帰ったときには、マーティンは未だに旧友に挨拶をするのは忘れないそうだ。

マーティンは、友達がシューズや彼が持っていないもの全てをどのようなルートで取ってきたかを思い出していた。彼も当時はそういうことをやりたかったのだ。しかし、マーティンはその世界に引きずられずバスケットに戻り、そして彼らから離れていった。「友達が自分の持っていないシューズ、洋服など全て持っているんだ。どうやって取ってきたかも知っている。でも、それはするべきではないと自分に言い聞かせたんだ。このことを克服するのが一番きつかったな。」とマーティンは言う。マーティンは、オールスタープレイヤーになるために幾つも克服することがあったが、それはそのことに比べればたやすいことだった。

シンシナチ大時代のファイナルシーズンの時に、カンファレンス・USA・トーナメントで右足を骨折する重傷を負った。このことがマーティンがNBAで成功できるかに疑問符をつけた。ネッツが2000年のドラフトで全体の1番で指名したあとでさえだ。ルーキーシーズンで更にその疑いが強まった。B・スコットコーチが彼にハードワークを要求したからだ。スコットコーチは、マーティンがまだ足の痛みに耐えられないことに気づいていなかった。結局マーティンはまたシーズンの終わりに学生時代と同じ箇所を骨折して、残りの11ゲームを欠場した。

2年目のシーズンには“Thug(暴漢)”というありがたくないニックネームを貰った。それは6個のフラグラント・ファウル(悪質なファウル)を犯し、7試合の出場停止の処分を貰った後につけられた。今年の1月にもクリッパーズのC・マゲットと殴り合いを演じ、2試合の出場停止の処分を受けた。

ネッツがレイカーズにスイープ(4連敗すること)された2002年のファイナルでは同僚のK・バンホーンを非難したこともある。事実は、マーティンはただバンホーンの試合の取り組み方に疑問を感じただけだった。

マーティンはスパーズと対戦した2003年のファイナル第6戦では23本中3本のシュート成功だったが、誰も彼の努力には疑問を持たなかった。
「かれは素晴らしいキャラクターと根性を持っている。彼なしではこの2年間我々はファイナルにいけなかっただろう。」とは現ヘッドコーチのL・フランクの言葉だ。
「あいつはとても強いやつだ。沢山のことと戦った。そして、いつも克服する。」とハギンスは言う。

見せ掛けの残虐な行為と感情を覆い隠す強靭な肉体に潜むマーティンのパーソナルサイドを知るには、会話より観察を必要とする。去年のオールスターでは自分が選ばれるものと信じていた。しかし、Z・イルガスカスとB・ミラーが選ばれる。マーティンはその鬱憤をコートで晴らした。選手選考後の4試合では平均26.5点、15.3リバウンドを記録した。

それから、A・モーニングとの誤解が生まれる。去年の11月の練習中にマーティンは、モーニングが患っている腎臓疾患のことを馬鹿にした。しかし、マーティンはその後モーニングに謝罪をした。今では、リストバンドとアームバンドにモーニングの背番号だった33を入れている。またそうすることで、ゲームの最初から終わりまで全力でプレイすることがモーニングの名誉を守る最善の方法だということをマーティンは思い出す。

「認められるときはいつも誇りに思う。」とマーティンは言う。
マーティンは記者達に向かって「仕事で昇進した時は誇りに思うだろ?読者はあなたがいい記事を書いていると認める。認められるためにはいつもハッピーでいなければならない。しかし、一生懸命仕事はし続けなければならない。そうしないと、(認められたことは)明日にはどこかに行ってしまう」と言った。そう、マーティンと大騒ぎした4日後にモーニングが引退したように。(腎臓移植の手術を受けるため)

彼は1度きりのオールスタープレイヤーで終わりたくないと自分で分っている。マーティンは旧友達が持っていない何かを持っている。全てのチャレンジへの答えをだ。幾つもの困難に遭遇したにもかかわらず、それを克服し続け決して目的を見失わなかった。彼は今認められた。オールスタープレイヤーだと胸を張って言える。それが、彼が必要とする全ての答だ。



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