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さとヌーさん
ヴィーナスひろりんさん「ただいま」と、浩輔はいつものように我が家の玄関のドアを開けた。奥のキッチンの方から、いつものように「お帰りなさい」と悠子の澄み切った声が返ってきた。 「あなた、お風呂にします。それとも食事を先にします」との問いかけに「お腹空いたから食事を先にするよ」と応えた。
献立は、キスと海老、野菜の天婦羅、そしてほうれん草のおひたしであった。悠子は料理が得意であった。独身時代には料理学校に通い、また、プロ級の腕前の母からも手ほどきを受けただけあって、いつも浩輔の胃袋を満足させてくれた。 浩輔の密かな喜びは、本当に料理のうまい妻を持っていることであった。職場の皆にも自慢したかったがそれだけは決して誰にも話すことなく秘密にしていた。
食事を終え、お茶を飲んでいると悠子が「あなた今日はバレンタインデーだよね、是、私から。それからここに、もう一つ」と言って綺麗に包装された二つの小箱を浩輔に手渡した。「ありがとう」と言って、悠子からのプレゼントではない方の小箱に目をやると、どうやら郵送されてきたものであるらしかった。 差出人の文字が浩輔の目に入った。差出人は北原沙菜と書いてあった。 「北原沙菜か」と浩輔は思わず口にした。
「あなた、北原沙菜さんという人はどういう人なの」と悠子が尋ねてきた。 「ああ、北原沙菜さんは小学校、中学校のときの同級生だよ」 「へえ、それで何でその人がバレンタインデーにあなたにこのように送ってくるのかしら。ねえ、教えてよ」と悠子が浩輔に寄り添ってきた。 「実は、今年の正月に中学校の同窓会があっただろう。その時に二十年ぶりに会ったんだよ。その時に会って懐かしくなったからじゃないのかな」と浩輔は応えた。 悠子は「ただ、それだけでそんなもの送ってくるかしら。あなたの言ったことを私が信じると思う、ねぇねぇ、責めないから本当のことを教えてよ。中学生の時、交際していたの。それとも初恋の人」と、その日の悠子はなかなかしつこかった。疑惑いっぱいの声の悠子が擦り寄ってきた。 「どういうつもりで贈ってくれたのか本当のことは僕にはわからないよ。また、同窓会で会った時に聞いておくよ」と、浩輔はどうにかその場を切り抜けたのであった。
浩輔は本を読むからと言って二つの小箱を持ち自分の部屋へ引き上げた。 北原沙菜の小箱を開けると薄いピンクの紙に何やら書いてあった。
「この前の同窓会楽しかったです。何と言っても二十年ぶりに浩輔君に会えたんだもの。浩輔君は、中学生の時の心をまだ、ちょっぴり持っていると感じました。いろいろな心を込めて、このチョコレートを贈ります。沙菜より」と書いてあった。 「いろいろな心を込めて」とはどういうことだろう。どういう気持ちを込めて沙菜はチョコレートを自宅まで送ってきたのだろう。
浩輔はいつのまにかソファーで横になり遠い懐かしい過去の世界への旅を始めていた。
沙菜は小学四年生の時、神戸から引越してきた。沙菜の父は神戸でサラリーマンだったらしいが、実家の八百屋の家業を継ぐ者が居なくなり帰ることとなったということを、転校してきたばかりの沙菜から聞いたことがあった。北原 沙菜は目がとても大きくてやや丸顔、そして右のほっぺには僅かにくぼむ笑窪があり、きらきらと輝く愛くるしい、とても子供らしい子供であった。そんな沙菜を回りのうるさい集団は放っては置かなかった。
うるさい集団の中の一人で読書好きの純一は「沙菜,お前のつぶらな瞳は俺のもの」とか子供らしくない言葉を使い、また、クラスで一番身体の大きい哲夫は「沙菜、今日、一緒に帰ろう」とか誘ったりして、どうにかして沙菜に近づこうとする輩ばかりであった。
浩輔は大人しいほうで、クラスではあまり目立たない存在であった。沙菜も浩輔に対して格別の思いがあったわけでもなく遠くから見ていただけであった。
或る日、浩輔が家に帰ると母が「昨日、買ったゴボウ、中がスカスカだわ、こんなゴボウを買わされちゃって、ねえ、あなたひどいと思わない」と、父に言っていた。母の話しからすると、ゴボウを買ってきた店とは、どうやら沙菜の父が経営する八百屋から買ってきたものらしかった。 母はまだ気がすまないらしく父にぶつぶつと言っていた。父が「そんなに気が納まらなかったら、買ってきたその店に電話すればいいじゃないか」と言った。母は早速、その店へ電話した。
一時間もしたであろうか「ごめんください」と女性の声。玄関先で応対に出た母へ「どうもすみません、ゴボウの具合がよくなかったようで。このゴボウ,先ほど届いたものです。是は大丈夫だと思います。」という女性の声が聞こえてきた。
「 ゴボウの具合がよくない」とは面白い表現だなと思い、どんな人がそんなことを言うのだろうと浩輔が玄関を覗いた。何とそこには沙菜が一緒に立っていた。「よぉ、沙菜」と浩輔が声をかけると沙菜は、お母さんの後ろに隠れた。「なぁんだ浩輔、お前は知っているのかい」と母が言った。 「うん、同じクラスなんだ。あまり話したことはないけど」「そうかい、まぁ浩輔も娘さんと同じクラスでもあるし、わざわざこのように来て下さって申し訳ありませんでした。まあ、上がって頂いてお茶でもどうですか」「いえ、八百屋の方が忙しいし、主人が出かけなければならない用事があるものですから是で」と言って、沙菜の母が帰ろうとした時、「沙菜ちゃんと言いましたっけ、浩輔と遊んでいかない」と言って浩輔の母が引き止めた。沙菜は迷ったようであった。 「お母さんは帰るけど沙菜は遊んできていいよ」との言葉に押されて遊んでいくことになった。
浩輔は自分の部屋に沙菜を通した。浩輔は地図を見るのが好きだった。浩輔の部屋には大きな世界地図と日本地図が壁に貼ってあった。沙菜はそれを見て「浩輔君は地図を見るのが好きなの」と尋ねてきた。 「ああ、世界地図を見ながらここの国ってどんな人が住んでいてどんな暮しをしているんだろうと想像するのが大好きなんだ。大人になったらいろんな国を旅行してみたいな」と沙菜に返した。沙菜はその時、地図を見ながら未来の夢を話している浩輔の瞳がきらきらと輝いていることに気づいた。
翌日、学校で沙菜は浩輔に対して、昨日はどうもありがとうというような視線を送ってきた。浩輔も軽くその視線に対して目で返した。沙菜と二人きり、自分の部屋で過ごした時間、それはクラスの皆に対しての秘密であった。 それから、沙菜は浩輔の家へちょくちょく遊びに来るようになった。
「ねえ、浩輔君。あなたの夢、大人になったら叶うといいね。」 「ああ、世界を飛び回り いろいろな人に会ってみたい。そして、いろいろな仕事をしてみたいな」
いつもの浩輔の大きな夢に聞き入っていた沙菜であったが、「私はね、美味しい料理を 出すお店を作りたいわ」と珍しく自身のことを話しかけてきた。 「それもいいね。誰でも美味しい料理は大好きだと思う。そのような店を出せればほんとにいいね」「うん」二人とも将来の自分の姿を勝手に想像して楽しんだ。
トントンと浩輔の部屋のドアをノックする音がした。その音で沙菜との懐かしい思い出はかき消されてしまった。 「コーヒー一緒に飲もう」と言って悠子が部屋に入ってきた。 あたりを見回していた悠子の視線が止まった。
「何、これ」、それは沙菜が送ってきた小箱に入っていたピンクの紙であった。 「この前の同窓会楽しかったです。何と言っても二十年ぶりに浩輔君に会えたんだもの。浩輔君は、中学生の時の心をちょっぴり、まだ持っていると感じました。いろいろな心を込めて、このチョコレートを贈ります。沙菜より」と悠子が読み上げた。
浩輔はしまったと思ったが既に遅かった。 「何よ、これ。ねえ、どういうことなのよ、心を込めてとは、同窓会で何かあったの」 「いや、別に」 「でも、心を込めてとはねぇ」
浩輔に悠子が沙菜とのことをものすごく疑っていることがヒシヒシと伝わってきた。 浩輔は「俺はもう寝るから」と言って食い下がる悠子を相手にしなかった。
翌朝、「おはよう」と、悠子は夕べのことは忘れたかのようにいつもの朝と変わらなかった。
その日の夕方、浩輔が仕事を終え帰宅すると、「あなた、あなたに代わって北原沙菜さんへチョコレートのお礼の葉書きを書いて送っておいたから」と悠子が言った。
「どういう内容を葉書に書いたのか教えてくれよ、変なことは書かなかっただろうな」と浩輔が念を押すように尋ねると「そ・れ・は、秘密」ともったいぶった態度で返してきた。
翌々日の午後、仕事をしている浩輔の携帯にメールが入った。北原沙菜からであった。 「あなたの奥さんって凄い人ね。あきれたわ・・」とだけ送ってきた。
浩輔は、悠子がどのような内容の葉書を送ったのか気になって気になって仕方がなかった。 帰宅して悠子を問い詰めたが悠子は葉書に書いた内容をけっして教えてくれなかった。 北原沙菜へも、どのような内容の葉書だったか教えて欲しいとメールを送ったが返事がなかった。
浩輔は何だったんだろう、なんと書いたんだろうと、ただ思うばかり、その後も葉書に書かれていた内容を知ることはなかった。 (登場人物等は全て架空です)
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