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6枚の写真は、1972年7月に日豊本線宮崎駅構内で撮ったものです。 ホームの片側に、80系気動車特急「にちりん」、もう一方にC57 109牽引の旅客列車が停まっていて、人々がホーム上を歩いています。 向こう側のホームにも特急「にちりん」が停まっています。「にちりん」は博多と西鹿児島を日豊本線経由で結ぶ特急で、宮崎で博多行の上り列車と西鹿児島行の下り列車が同時に停車しています。 C57牽引の旅客列車が出発しました。 構内には、C11の姿も見られます。
2026.09.26
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5枚の写真は、1972年7月に日豊本線宮崎駅構内で撮ったものです。 転車台の近くにC57 187、C61 28などが見えます。 先頭に作業員をのせてC57 109が構内を走ってきました。後ろに客車をつないでいます。 D51 714、C61 20もいます。
2026.09.25
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5枚の写真は、1972年7月に日豊本線宮崎駅で撮ったものです。 ディーゼル機関車は、DF50 531です。その向こうにC61 28がいます。 C57 187、C57 109がいます。
2026.09.24
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5枚の写真は、1972年7月に日豊本線佐土原駅界隈で撮ったものです。 駅構内ではC61 19が入れ替え作業をするなどひっきりなしに動いていました。
2026.09.23
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5枚の写真は、1972年7月に日豊本線沿線で撮ったものです。 駅のホームの写真は高鍋駅構内です。 階段の写真は、高鍋駅の階段の登り口右側に設置されていた杖を写したものです。 蒸気機関車は、C57 187で、佐土原駅近くで撮ったものです。 ブルートレインは、おそらく佐土原駅近くで撮ったDF50牽引の寝台特急彗星1号都城行きだと思いますが、不明です。
2026.09.22
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5枚の写真は、1972年7月に、日豊本線川南−高鍋間にある小丸川(おまるがわ)橋梁を走るC57、C61を撮ったものです。 この橋梁は、1971年に、日本で初めて鋼デックガーダからプレストレストコンクリート桁に架け替えられたもので、橋長 805mとなり、プレストコンクリート鉄道橋として完成当時世界最長となったということです。
2026.09.21
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5枚の写真は、1972年7月に撮ったものです。 バスは、豊肥線立野駅付近で見かけた立野駅発久木野村経由高森駅行です。国鉄高森線の本数が少ないこともあって、写真の九州産業交通バスは地域住民の通学・買い物、そして阿蘇観光の足として非常に重要な役割を果たしていました。 重連は、キューロクが牽引する熊本駅を出発する豊肥線の旅客列車です。 停車中のC12及び貨物列車を牽引するキューロクは、立野駅付近で撮ったものです。
2026.09.20
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5枚の写真は、1972年7月に熊本県阿蘇郡を走る高森線で撮ったC12です。 4枚は、第一白川橋梁で撮ったものです。1927年に建設され,当時最大スパンの166.3mを有する鋼スパンドレルブレーストアーチ橋だそうです。 1枚は、立野橋梁で撮ったものです。1924年に建設され、高さ34mの鋼トレッスル橋脚(末広がりのやぐらのような橋脚)を3脚有する138.8mの鋼プレートガーダー橋だそうです。
2026.09.19
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5枚の写真は、1972年7月に豊肥線立野駅界隈で撮ったものです。 立野駅は阿蘇外輪山の一角にあり、立野駅から大分方面へ向かうために、急勾配を緩和するためのスイッチバックが設けられています。 立野駅はスイッチバック構造の底点に位置しています。熊本方面から来た列車は立野駅で停車し、今度は後進しながら33.3‰の坂を上り、スイッチバック頂点に向かい、頂点で停車し、今度は前進で大分方面に向かいます。なお、この勾配は、2018年熊本地震の復旧工事により、現在は33.6‰になっているそうです。
2026.09.18
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4枚の写真は、1972年7月に撮ったものです。 熊本5時42分発の豊肥線に乗り、立野に向かいます。途中、79653が牽引する貨物列車を見かけました。 立野駅には、高森線のC12 208がいました。ナンバープレートは緑色です。この208号機は、1975年に高森線さよなら列車牽引後、岐阜県立養老公園で保存され、1994年に大井川鉄道へ。2015年には、トーマスキャラクター「パーシー」に改装された姿がお披露目されました。
2026.09.17
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5枚の写真は、1972年7月早朝のまだ暗い時に、熊本駅ホーム及び車内から撮ったものです。 構内には、C11やキューロクが入れ替え作業や始業前の準備などをしていました。
2026.09.16
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5枚の写真は、1972年7月に、撮ったものです。 2枚のD51は、福岡県日田彦山線志井駅付近で見かけたものです。 3枚は小倉駅で撮った構内の様子です。気動車の窓に、冷房車を示すマークとして熊の絵が貼られています。
2026.09.15
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5枚の写真は、1972年7月に、福岡県日田彦山線志井駅付近で撮ったものです。 D51 344、D51 275、D51 160その他が写っています。
2026.09.14
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6枚の写真は、1972年7月に、福岡県を走る日田彦山線のある駅で撮ったものです。駅名は不明ですがおそらく志井駅ではないかと思います。ご存じの方がいたら教えてください。 バック運転のD51 1021がホームに入ってきました。ホーム上にある大きな渦巻き状金属製の輪の付いた装置に、タブレット(通票)が入った革製のタブレットキャリアを引っかけました。 D51 175牽引の貨物列車がやってきました。線路のわきに立っている駅員が右手にタブレットキャリアを持っていて、駅を通過する機関助士が通過しながらそれを受け取りました。 D51 783が単機でホームに停車しています。
2026.09.13
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5枚の写真は、1972年7月に撮ったものです。 向かって右側に写っている山肌がむき出しになっている山は、香春(かわら)岳で、「香春岳は異様な山である」で始まる五木寛之さんの『青春の門 筑豊篇』で有名な山です。日田彦山線香春辺りの列車内から撮ったものです。香春にはセメント工場があり、香春岳は徐々に削り取られていて、そのホコリの影響なのか家々の屋根は真っ白でした。 3つの山がある写真は、同じく日田彦山線の列車内から撮ったものです。山かどうかわかりませんが、ぼた山かもしれません。 キュウロクは、後藤寺線船尾―後藤寺間に架かる中元寺川橋梁付近で撮ったものです。 D51 918は、おそらく、日田彦山線の石原町で撮ったものだと思います。
2026.09.12
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5枚の写真は、1972年7月、福岡県にある後藤寺線船尾―後藤寺間に架かる 中元寺川橋梁で撮ったキューロクの重連及び単機です。
2026.09.11
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5枚の写真は、1972年7月、福岡県にある後藤寺線船尾―後藤寺間に架かる 中元寺川橋梁で撮ったキューロクです。
2026.09.10
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5枚の写真は、1972年7月の早朝、日田線油須原(ゆすばる)から崎山方面に歩きながら、朝靄の中で撮ったキューロクです。
2026.09.09
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4枚の写真は、1972年(昭和47年)7月に筑豊本線飯塚駅及びその周辺で撮ったものです。 飯塚駅待合室に貼られていた手書きのポスターは、「昭和47年7月豪雨」により不通となった鉄道区間を示しています。1行目には、肥薩線人吉―吉松間が不通で、開通予定は8月30日と1か月以上先になっています。下から2行目には御殿場線谷峨-山北間8月12日開通予定と書かれています。この豪雨は、本州付近に停滞していた梅雨前線の活動が活発となり、西日本から東日本にかけて大雨となり、死者・行方不明者は447人、損壊・浸水家屋は370,000棟を超える被害が生じています。 飯塚駅ホームにD51 807が停まっています。 飯塚から乗車した博多行の列車の車内からD60 32を見かけました。
2026.09.08
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5枚の写真は、1972年7月に、筑豊本線の直方駅から見た構内の様子です。 D60、キューロクが写っています。
2026.09.07
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4枚の写真は、1972年7月に、伊田線の直方-赤地(あかぢ)間で撮ったものです。 D60 32(直方機関区所属)、29692(直方機関区所属)、D51 1150(若松機関区所属)が写っています。 未確認ですが、D60 32の先輪は、機関車の解体後、現在梅小路機関区に保存されているD50 140の先輪に使われたようです。
2026.09.06
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3枚の写真は、1972年7月に、伊田線の直方駅と赤地(あかぢ)駅との間にある嘉麻川橋梁で撮った49675牽引の貨物列車です。 嘉麻川橋梁は、福岡県小竹町と直方市との境を流れる遠賀川に架かる橋で、1909年に設置された上り線は、英国製(設計は米国)の 下路プラットトラス橋ということです。
2026.09.05
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5枚の写真は、1972年7月に筑豊本線中間(なかま)駅から直方駅へ行った時のものです。 中間から直方まで、D60 61牽引の旅客列車に乗りました。 直方駅からは、直方機関区がよく見えます。転車台の横にD60 71がいます。直方駅から伊田線赤地(あかぢ)駅の方向に歩いていると49688、D51 542等多くの蒸気機関車と出会いました。
2026.09.04
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7枚の写真は、1972年7月に筑豊本線中間(なかま)駅周辺で撮ったものです。 駅の切符売り場は、駅員が昼食のため閉まっていました。 D51 1062が石炭列車を牽引しています。 D51 225が中間駅を出発です。 駅に、D60 21が停車中で、12時30分発の直方行き旅客列車を牽引します。
2026.09.01
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5枚の写真は、1972年7月に折尾駅と中間(なかま)駅間で撮ったものです。 化粧煙突の蒸気機関車は、D60 46です。石炭列車を牽引しています。 バックで走っている貨物列車の牽引機は、キューロクの29670です。 ナメクジは、D51 10です。石炭列車を牽引しています。
2026.08.31
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5枚の写真は、1972年7月に折尾駅と中間(なかま)駅間で撮ったものです。 D51 42を先頭に重連の貨物列車、バック運転のキューロクが写っています。
2026.08.30
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5枚の写真は、1972年7月に折尾駅と中間(なかま)駅間で撮ったもので、鹿児島本線と筑豊本線の列車が写っています。 DD51は、763号機です。筑豊地区の無煙化(SL廃止)を進めるため、1972年に製造され、直方機関区に配属されました。筑豊本線などで旅客や石炭輸送に活躍しました。 旅客列車を牽引している機関車は、D60 61です。61号機は、D60形蒸気機関車として最後まで残った車両で、1974年に廃車されました。 貨物列車を牽引している蒸気機関車は、若松機関区所属のキューロク29670です。
2026.08.29
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5枚の写真は、1972年7月に鹿児島本線及び筑豊本線折尾駅と筑豊本線中間(なかま)駅間で撮ったものです。 D51、DD51、キューロク(バック運転)、D60が写っています。 D60 61は、現在、福岡県芦屋町の高浜町児童公園に静態保存されています。
2026.08.28
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5枚の写真は、1972年7月に鹿児島本線及び筑豊本線折尾駅と筑豊本線中間(なかま)駅間で撮ったものです。 D51 225、68660、19636などが写っています。
2026.08.27
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5枚の写真は、1972年7月に、山陰本線浜田駅から乗車した急行「さんべ3号」乗車中に撮ったものです。 銀色の電気機関車は、下関で見かけたEF30です。EF30は、直流電化の下関駅側と交流電化された門司駅構内を直通できる機関車で、海水による塩害を防ぐため、ステンレス板が使用されています。 門司駅で69686が客車を牽いていました。 門司操車場付近でもキューロクなどがいました。 駅名標のあるホームは、鹿児島本線新中原駅(現九州工大前駅)です。
2026.08.26
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5枚の写真は、1972年7月の夕暮れ時、山陰本線浜田駅及び転車台で見かけたC56、D51です。 C56が、入れ替え作業を行っています。 浜田機関庫にD51 239がいました。 転車台ではD51が方向転換していました。
2026.08.25
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5枚の写真は、1972年7月の午後、山陰本線浜田駅で見かけたC57、D51、C56です。 旅客列車が浜田駅に入ってきます。牽引機は、はっきりしませんが、おそらく、C57 12だと思います。 浜田機関区の転車台で、D51の 1号機が方向転換をしています。 C56が入れ替え作業を行っていました。C56は、三江北線でも活躍しています。 仕業を終えたC57 12に水の補給と必要な点検が行われています。その横に、C56 98がいます。
2026.08.24
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5枚の写真は、1972年7月に山陰本線浜田機関区で撮ったものです。 C57 101とC57 5が、機関庫内にいました。C57 5は、現在、兵庫県姫路市御立公園で静態保存されています。 C56 106が、構内にいました。C56 106は、現在、広島県府中市国府児童公園で静態保存されています。 D51 1044が、機関庫内にいました。 D51 674が、転車台の近くで、煙を上げていました。
2026.08.23
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5枚の写真は、1972年7月に山陰本線浜田機関区で撮ったものです。 レンガ造りの3線機関庫に、D51 1129とD51 1が顔を出しています。 C56 98がいました。C56は入れ替え及び三江北線で運用されていました。 長門機関区所属のD51 243がいました。 C57もいました。おそらく5号機だと思いますが、よくわかりません。
2026.08.22
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6枚の写真は、1972年7月に山陰本線で撮ったものです。 向かって左向きに走っているD51と遠景の旅客列車は、荒島駅と仁万(にま)駅の間のどこかで撮ったものです。場所がわかる方がおられましたら教えてください。 D51の1号機は、仁万駅で撮ったものです。D51 230+DF50牽引の列車と交換です。現在、D511は、京都鉄道博物館で静態保存されています。
2026.08.21
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5枚の写真は、1972年7月に山陰本線で撮ったものです。 入れ替え作業中のD51と小野田セメントの構造物が写っているD51は、おそらく、荒島駅で撮ったものです。 サトー農業機械の文字が見える倉庫とが写っているD51 1067の写真は、おそらく、揖屋(いや)駅付近で列車内から撮ったものです。D51 1067は新見機関区所属です。 旅客列車の写真は、撮った場所は不明です。もしかしたら玉造温泉辺りで撮ったのかもしれません。機関車の次に、見慣れない車輛が繋がれています。牽引機は、C57 76で浜田機関区所属です。
2026.08.20
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5枚の写真は、1972年7月に山陰本線で撮ったものです。 C11 311が煙を出して活動していました。撮影場所が不明ですが、おそらく、梅小路機関区で撮ったものと思われます。この機関車は、国鉄最終在籍蒸気機関車のひとつで、1976年3月に廃車となりました。現在、兵庫県西宮市の月見里公園で静態保存されています。 DD54 22?が牽引する京都22時4分発出雲行の旅客列車が倉吉駅に到着した時に、丁度C11が牽引する倉吉線の混合列車(1本の列車に客車と貨車の両方が連結された列車)が出発していきました。 D51は、米子機関区で列車内から撮りました。
2026.08.19
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4枚の写真は、1972年7月に梅小路機関区で撮ったものです。 C55の1号機がいました。C55 1を除く国鉄の全ての蒸気機関車は1976年3月末に廃車(除籍)となりましたが、この機関車は、1979年3月まで国鉄の車籍を維持していたため、最も遅くまで「国鉄の籍」を持っていた機関車ということになりました。現在、京都鉄道博物館に静態保存されています。 C11 96が機関庫内にいましたが、ナンバープレートが手書きになっていました。この写真を撮った2か月後の1972年9月に廃車となりました。現在、和歌山県新宮市のあけぼの児童公園に静態保存されています。
2026.08.18
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3枚の写真は、1972年7月に,EF58 5に牽引された東京10時発の西鹿児島行急行「高千穂」に乗った時に、列車内から撮ったものです。 旧型国電の車両は、クル29 005で、大井町付近です。おそらく、クモル24と連結されています。 扇形機関庫は、国府津機関区です。庫内にD52が1台停まっています。 スカーレット色の電車は、1961年にデビューした名鉄7000系「パノラマカー」です。
2026.08.17
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5枚の写真は、1972年4月に只見線会津川口駅と会津若松駅で撮ったC11です。 会津川口駅12時11分発の会津若松駅行の列車に乗りました。牽引機は、C11 312です。 終点の会津若松で、C11 64を見かけました。 現在、C11 312は、新東名の島田金谷IC入り口付近にあるKADODE OOIGAWAに静態保存されています。 C11 64は、京都鉄道博物館の扇形車庫内に静態保存されています。
2026.08.16
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5枚の写真は、1972年4月に只見線会津川口駅付近で見かけた景色です。 C11が写っています。
2026.08.15
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5枚の写真は、1972年4月に会津若松駅及び只見線で撮ったものです。 旅客列車の出発風景は、会津若松駅を出る、熱塩行のC11178です。 C11 256は、会津宮下駅ですれ違った旅客列車です。 気動車は、会津川口駅付近で撮ったもので、おそらくキハ23だと思います。車体に文字が書かれていますが、何の文字かわかりません。当時、国鉄の順法闘争を行っていましたので、もしかしたら闘争のスローガンが書かれているのかもしれませんが、スローガンにしては、字がきれい過ぎる気がします。
2026.08.14
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3枚の写真は、1972年4月に羽越本線の列車で越後寒川から新津に向かって時に列車内から撮ったものです。 岩船町駅のホームをD51 609が牽引する貨物列車が通過しました。 坂町機関区に、米坂線で活躍したキューロクが休車(または廃車)の状態で置かれていました。 中条駅で、D51 1006とすれ違いました。
2026.08.13
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5枚の写真は、1972年4月に、羽越本線越後寒川駅付近で撮ったD51です。 駅名標と一緒に写っているD51は1154号機です。 旅客列車を牽引しているナメクジのD51は、82号機です。 駅員の後ろ姿と一緒に写っているD51は、1049号機です。
2026.08.12
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5枚の写真は、1972年4月に、羽越本線桑川駅から越後寒川に向けて歩いているときに撮った気動車及びD51です。
2026.08.11
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5枚の写真は、1972年4月に、羽越本線越後寒川-桑川間で撮ったD51です。
2026.08.10
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5枚の写真は、1972年4月に、羽越本線桑川-越後寒川間のいわゆる「笹川流れ」で撮ったD51、DD51です。
2026.08.09
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5枚の写真は、1972年4月に、羽越本線桑川-越後寒川間のいわゆる「笹川流れ」で撮ったものです。
2026.08.08
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5枚の写真は、1972年4月に、羽越本線新津駅からD51 1154が牽引する旅客列車(833レ)に乗って桑川まで乗車した時に撮ったものです。 新発田駅を出てしばらくしてD51 498牽引の貨物列車とすれ違いました。 中條駅に、D51 1100が停まっていました。 平木田駅に停車中のD51 1157を追い抜きました。 坂町駅で、我々が乗った列車を牽引してきたD51 1154が給水をし、機関助士がテンダーに乗って石炭を均していました。 村上駅で、D51 1110牽引の貨物列車が交換待ちしていました。
2026.08.07
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5枚の写真は、1972年4月に、撮ったものです。 EF58 133は、これから上野発21時5分発の急行「鳥海2号」を牽引するところです。 駅構内の貨物列車の牽引車は、D51 512で、新津駅で撮ったものです。 駅構内で黒煙を上げている機関車は、D51 1154で、新津駅5時25分発の客車を牽引するところです。 水原駅でD51 681牽引の貨物列車が交換待ちをしていました。
2026.08.06
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