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出社初日、社長が直々に組織の構成や仕事内容などをレクチャーしてくれた。営業と記者の兼業は、会社として初の試みで、私が第1号なのだと言う。(えっ?)それで、超新米記者の仕事としては、月1回発行のタウン新聞のトピック記事担当なのだと言う。「静岡でこんな催しありました~」的な、ごく平和な取材がほとんどだから、そうね…ぼちぼちやっていければいいな、と思っていたら、社長が切りだした。「じゃ、明後日取材ね!」え~っと、今日初日で、明後日取材?と、鈍い思考回路で確認していると、「ラ○オンズクラブの年次総会だけどさ、俺も行くから」と社長がおっしゃってくれる。そう、トップ自ら手取り足取り。ならば大丈夫!じゃなかった!当日は、手取り足取り・・・じゃ、なかった全然。「はい、これ弁当!」と、とてつもない豪華弁当を渡してくれた後、社長は「じゃ、あとよろしく。あの辺にいれば良いから」とどこかへ消えていった・・・。(社長はクラブのメンバーなので、所属のクラブに行ったのだと思う)「あの辺」と言われた所は、ホールの左端の通路で、キョロキョロしながら行ってみると、何人かの記者やテレビ局のスタッフが、カメラを用意して立っていた。みんな30代くらいの男性で、バリバリ記者やってます!という感じだ。私は、地元の「静○新聞」の記者と「中○新聞」の記者の間にポジションを取ってみた。会社で一番小さいデジカメを持って(だって、他のは重そうだったんだもん)1200人ほど入るホールを見まわすと、白髪混じりの偉い人達がギッシリ。どっかの社長、どっかの社長、どっかの社長、どっかの会長、みたいなラインナップなんだろう。よくわからないけれど、とにかく今からやることを記事にすれば良いんですね!と思ったが、始まってから、そんなの甘い考えと知った。だって、総会は2時間もあって、会長の挨拶やら、各クラブの活動報告やら、表彰式やら・・・、と進んでいくが、私は、それらをたった300文字にまとめなくてはならないのだ。いったいどこをどう書けばいいやら・・・、メモだけが何ページにも増えて行く中、途方に暮れていた。それに、それにだよ!写真も私が撮るのですよ。この2時間の、一体どこを撮ればいいのでしょうか?わからないから、会場から看板までパチパチ無駄にシャッターを押していると、突然、両脇の記者が動き出した!それは、活動の成果が良かったクラブの表彰式で、舞台の端から端までメンバーが並び、会長が記念品を渡す時だった。「静○新聞」の記者は、アッと言う間にキャタツを出して昇ったのだ!そして地上3mくらいの高さかから超高性能カメラで撮影している。おぉぉー!と思っていたら、中○新聞の記者に至っては、ナントヒラリと舞台に上って、ものすごく近くまで寄って体を斜めにして、カシカシ撮影している。プロだ、みんなすごいプロだ!と見とれている場合ではない。今は、私だってプロなんだ…、ひぃぃ~!しかし、ここを撮ればいいんだ!と分かったものの、キャタツも、舞台に飛び乗る勇気も無い私は、通路をヨロヨロ壇上に近付いて、目いっぱいズームアップしてなんとかシャッターを押した。後に、編集の人が「よく撮れているじゃない~」と励ましてくれたが、どう見ても、ちょっとブレ気味になっていた。そんなこんなで、緊張の初取材は終わったが、今度は記事を書く難しさに直面したのだった。(つづく)
2012.07.29
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私のショボイ携帯で撮ったので、あまり迫力はありませんが、実際に見た時はギョ!としました。他にはあまり雲が無いのに、ここだけドーンと地面に平行に伸びる雲。何? じ…地震雲? じゃないよね。
2012.07.07
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1カ月半ほど前から、私がお世話になっている会社では、目の前で「2稿ですー!」とか、「編集長、これなんですが」なんていう会話が交わされている。フロアーの隅っこで、ポーカーフェイスを通しながらも、心の中では「わー、わー!」と思ってしまう。3月下旬から続いた失業状態を救ってくれたのは、静岡市でフリーペーパーを発行している新聞社だった。もちろん、社員じゃない。でも、ちゃんと私のデスクもPCもある。子供の頃から活字が大好きで、出版物が大好きで、そんな自分が編集部にいるってことは、ちょっと感動的なのだ。遡ること、4月の中旬。ぼちぼちと職探しを始め、覚悟はしていたものの、アラフィーを迎えた年齢では、面接にさえたどり着けなかった。資格も特技も特にない、しかも体が弱い…って、どうよ!!一体今まで、何していたんだ、私。一生懸命やってきたことと言えば、ラジオの仕事だけじゃない?(一応、今でも細々やっていますが)「ラジオ番組作ってます」なんて言って、入れる会社がどこにある!?…と思ったら、あった。静岡で30年もフリーペーパーを発行している老舗企業。いつも読んでいるそのフリーペーパーに、ある日「求人」が載っていた。募集:「メディアアドバイザー」・・・ってなに?と、よく読めば、どうも広告の営業らしい。営業かぁ…、大変そうだよね。できるかな?できないかもな…。まぁでも、ここまできたらダメ元。面接まで行けることが、とりあえずの目標だもん。と、応募だけはしてみた。そして面接の連絡が来た。4月下旬、新聞社の会議室で、大きなテーブルを挟んで、正面に社長、隣に女性の営業部長、そして事務の方(こちらも女性)が座った。そして、ダンディで大柄な社長が聞いた。「ラジオは、どのくらいやっているの?」(今年15周年で、開局からいるので…)「15年です」と答えると、「ふ~ん、じゃ取材もできるね。」と言われた。取材?それは多少はやってきたから「はぁ」と答えると、「じゃ、営業と…、記者もやってもらうかな」と言う。さすがにあわてて「でも、新聞記事とか書いたことないです!」と付け加えると、「わはは!そーんなもん、すぐできるよ」と笑い飛ばされた。そういうものですか?条件を聞くと、多少の基本給はあるものの営業も記者も出来高歩合制。やった分だけが収入になるので、まぁ、自営業みたいな感じらしい。更に社長が言う「うちが主催のコンサートの手伝いとか、Toeicの試験官とか、カルチャーセンターの受付とか、できる?」で、できるって言うか、やります。何でもやりますけれど…、「Toeicって、英語の試験じゃなかったっけ?」と思ったら「今は多角経営でさ、漢字検定もやっているんだよ」だそうだ。ちなみにQUOカードも売っている。面食らいながらも、何だか頼もしい会社だなぁ…と考えていたら、「じゃ、オールマイティってことで!」と面接が締められた。そして、5月中旬から何だかわけのわからない生活が始まったのだった。(つづく)
2012.07.01
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