文章の出だしに鳥の雛が巣から落ちていたらあなたはどうしますかと問いかけています。この時、私はずっと昔「カケス」の雛のたどった運命について考え続けていたことがあります。
拾われてきたカケスの雛は事務所の人気者で会議中にも机の上をトビマワッテいました。があるとき事務所の外の池の中で大きな鯉に引き吊り込まれた?ことで死んでしまいました。
この時結局この雛は巣から落ちたときからこのような運命にあったんだろうかと考えて少し落ち込んでいました。
ですが今回福田さんの書いている状況から考えると、落ちた雛を拾ってきた段階から間違っていたんだろうかと愚行であったのかなあと思うところです。
雛は結局落ちた段階でもしかしたら親鳥がどこかで次の行動を観察していたのかもしれないし、逆に間引かれたとすれば、落ちた又は別の雛に蹴落とされた段階で、ひ弱な種の選別と言う厳しい選択に引っかかった雛だったのかもしれない。
すると、ここに人間が加わったことで本来のサイクルが壊れたのか。
もうひとつ、人間が加えた環境破壊でできた「落ちた雛」である場合には助けると書いてありましたので、そうか。「どこからどこまでを環境破壊の状況」といい、「どこからどこまでを自然のまま」と言うのかを考えると又ひとつ新たな思いが加わってきます。

例えば死んだカケスの雛は 道路のアスファルトの上に落ちて この雛は土手側から巣に這いあがれる状況ではなかったので最終的には別の生き物の餌となる運命だったのかもしれない。
ところで私たちの生活上の運命はどうだろうか
沖縄の皆さんの教科書問題の根底にあるもの ミャンマーでの軍政下での問題
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