konosoranosita

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2005.10.21
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テーマ: 独り言(100)
カテゴリ: 独り言


秋と冬の間がこの曲に似合う。

数ある中で初めてピアノ曲でマイナーを書いた、モーツァルトのこのコンチェルトの第一楽章はまるでドラマみたいに起伏がある。
いろいろな顔を持っている人の様だ。

昔の人は何故こんな事が出来たのだろう。
何故このような美しい音楽を残せたのだろう。

いつも音楽の事で頭が一杯だったのだろうか?
モーツァルトは言葉遊びが好きだったり、いわゆるその当時あたり前に日常的会話に入り込んでいた下ネタやスカトロジー的表現を好んでいた。
モーツァルトの書簡集を読むと、姉のナンネルに宛てた手紙や、妻のコンスタンツェに宛てたものなど、今の時代では考えられないような馬鹿げた表現が尽きる事無く繰り返されていたりする。


映画「アマデウス」の中でサリエリが「あんな馬鹿げた奴が、こんな美しい曲を作るなんて」と確か弦楽四重奏か何かのスコアを観て嘆くシーンも頷ける気がする。

このニ短調のコンチェルトはある意味モーツァルトが勝負に出たような作品だった。
聴衆の期待を裏切るような作品だった。
自分の言いたいことを初めて露骨に出したようなものだったと思う。
ただ楽しまれるだけの音楽ではなくて、自分の言うべき事を自分の言葉で語った。
その言葉は音楽という言葉だったけれど。

モーツァルトはいつもお金に困っていた。
浪費家だったこともあるけれど。
とてもおしゃれでつい綺麗な服を見ると買ってしまった。

なかなか思うように事が運ばなくて、でもいつも諦めないで状況が良くなると信じていた。
そうしてあの厳格なお父さんを安心させようと熱心に手紙を書いていた。


そしていつもあのふらふらしているコンスタンツェを心から愛している。
ラブレターみたいなものを毎回毎回書けることが信じられない。
結婚して子供がいても尚、あんなに愛せるものかと思う。

離れている事も多かったから、普通の夫婦とはまた違うのだろう。
それに当時はいつ何が起こるかわからなかった。

そんな背景があって強い絆を求めていたのかもしれない。

コンサート活動が盛んだった29歳頃につづけざまにピアノコンチェルトを6曲も書いた。
その次の年30歳の時は3曲書いた。
その中の一曲がこの二短調だった。

1年の間には他の楽器の曲も書くわけだけど、創作の泉は溢れ出るばかりで、尽きる事はなかったのだろう。
一体何処からそれはやってくるのだろう?
バッハは努力と勤勉さにあると言った。
モーツァルトは何て答えるのだろう?

バッハのそれとは随分違う答えが返ってくるように思う。
モーツアルトはバッハの影響を早くから受けていた。
対位法も極めて、バッハの作品を変奏したりして自分のものにしていた。

モーツアルトも父親の指導の下に勤勉に音楽を学んでいた時期が確かにあった。
そしていつしか誰も真似できないような音楽の世界を築き上げていった。

この時期になるとモーツァルトのこのDマイナーのピアノコンチェルトを聴きたくなる。
それは多分これからもずっと変わりなくこの季節が来ると聞き続けるのだろうと思う。
それがある限り。





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Last updated  2005.10.21 01:44:14 コメント(1) | コメントを書く
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