konosoranosita

konosoranosita

2006.01.15
XML




ニューステートメナーはとても大きく、複雑なつくりをしていた。
特に私たちの住む屋上の家に行くには、エレベーターと非常階段を使って
迷路の様な行き方をしなければ、たどり着けないように出来ていた。
何故そんな変な場所に住むようになったかと言えば、私たちが住む前は
ある暴力団の組事務所として使われていたからだった。
だから簡単には行けない仕組みになっていたのだ。
要塞のつもりだったのだろう。

組が解散して出て行ってくれたので、壊してしまおうとしたらしいのだが

父がたまたまこの建物の管理を一挙に引き受けている会社の役員と面識があり
安価で貸してくれると言うので、それまで借りていたマンションを引き払って、ここへ五年前に移って来たのだった。

ニューステートメナーは飲食店から郵便局、スーパー、クリーニング店と
生活できるほとんどの物が敷地内に揃っていて、その上24時間の管理体制が出来ていた。
駅も近く、都会暮らしが嫌いでなければ最高のロケーションだった。

勿論私は気に入っていた。
英会話教室から弁護士事務所、探偵事務所、塾、編み物教室から料理教室
と様々な職種の人たちが、ここを事務所にして出入りしていた。
いろんな国籍の人もいた。
白人が主だったけれどイスラムのモスクとして使われている部屋もあったし
インドの人たちのヒンドゥー教の寺院がわりになっていたりもした。


何処に行くにも便利だったし、前に住んでいた西武線の椎名町
という池袋から一駅目の町に比べ、毎日が刺激的だった。
新宿、原宿が直ぐだったから、学校にいるよりも
そのへんをぶらぶらしていた方がその頃の私には楽しかった。

その頃、西口の住友ビル別館にあるスイミングクラブに週三回通って泳いでいた。

昔、選手だった人が主だったから練習も厳しく、クラブでマスターズ大会に出場していてので
リレーのメンバーに選ばれたりして、結構本気で練習していた。
私以外はみんな社会人だったから、とても親切にしてもらっていた。

今日の練習はまあハードだった。
アップに500m、その後はクロールで100mを1分50秒で泳ぎ10秒休む。
それを続けて50回。
速く泳げばそれだけ多く休みが取れる。
例えば100mを1分45秒で泳げば15秒休める。
5秒の差は大きい。

泳いでいるうちにリズムが出来て、意識しなくても自然に1分45秒で100mを泳げるようになる。
体が覚えるのだ。
リズムが出来ると呼吸も楽になってくる。
コーチにオマエには楽すぎたな、と言われた。

確かに現役の選手を続けている中学時代の水泳仲間は
今では凄い練習をしているだろう。
私は脱落したのだ。
タイムが止ってしまって全く縮まなくなってしまったことが、選手を辞めた原因だった。
どんなことをしてもピクリとも縮まなかった。
いつかきっと自己ベストを更新できると信じて続けていたけれど、一番の成長期に1年近く0,1秒も縮まなかったらもう辞めるしかなかった。

その悔しさは今でも残っている。
みんなが大会の度に平気で1秒近くも縮めているのに自分はどうにもならなかった。
誰も何も言わなかった。
言えなかったのだ。
かける言葉なんてなかったと思うし、かけられても慰めにもならなかった。
自分で何とかする以外方法はないことはわかっていたからだ。

辞めるか続けるか・・・。
そして私は辞めたのだ。
多分自尊心が強すぎたのだろう。
小学生高学年から中学二年までが私の全盛期だった。
だから中学三年になって自分より遅かった仲間に抜かれ続けることに耐えられなかった。

でも全て水に流して今は水泳を楽しもうと思っていた。
やるだけのことはやったのだと思いたかった。

家に帰ると母親が、坂口構造という同じ学校の男の子から電話が8時ごろあって
今日は水泳に行っているので10時過ぎないと戻らないと言うと
またかけますと言うので、電話番号を聞いてこちらからかけさせると言ったと言う。

「お友達?めずらしいわね。高校の人とはほとんどお付き合いがないのにね」

母親は私の夜食の鳥雑炊を作りながら言った。
泳いでほてったところに急に寒い中をマウンテンバイクを飛ばして帰って来た私は
お風呂に入って、雑炊を食べたら、11時近くになっていた。
母親はよしなさいと言ったけれど、私は構造の家に電話をかけた。
勿論夜分遅くにすみませんと言うことと、電話を頂いたので
何か学校のことで大切な用事があると思いましてと話を繕った。
電話に出たのは母親らしき人だった。
今お風呂に入っているからこちらからかけさせますと言う。

一体なんだろう・・何でわざわざ電話してきたのだろう。
学校で会えるのに。
電話番号は学年名簿で調べたのだろう。

私はお茶を飲んで居間で構造からの電話を待っていた。
それにしても肩甲骨が痛む。
今日は何だかんだアップとダウンを入れて6km泳いだせいだろうか。
私はキックよりもストロークを使うほうだからか、肩への負担が大きい。
明日時間があったら接骨院へ行こう。
少しマッサージしてもらうだけで随分楽になるから。

待てど暮せど構造からの電話はなかった。
12時近くになったので諦めて眠ることにした。
私は居間の電気を消すと二階の自室に上がっていった。

明日は一時間目が地理だった。
非常に眠くなる授業だった。
先生はただ黒板に書き続けるだけなのでほとんど授業に出る意味がない。
けれど明日出ないと単位が危ないので行かなくてはならない。

目覚ましを6時半にセットしてベッドに入ると、下で電話のベルが鳴りだした。
構造かもしれなかった。
なんて間の悪い奴だろう。
大体お風呂に何時間入っているのか。
私はベットから出ると、そこらへんにあった上着を着て、下へ降りて行った。

受話器を取って耳に当てると電話は切れた。
多分構造だと思ってすぐ電話をした。

「はい、坂口です」という心細い声がした。

「坂入と言いますが、今電話した?」と、構造だと決め付けて聞くと

「うん、した。もう眠ってしまったかと思って、夜分遅くなっちゃったし
家の人にもはじめてなのに、大丈夫かなぁって、思っていたんだ。
お風呂から出て直ぐかけようと思ったんだけど、親父に捕まっちゃって
なかなか話しを辞めてくれなくて、電話できなかったんだ。
親父は話し出すと長くて、しかも途中で話しをきると物凄く怒るんだ・・・ごめん関係ないね」

「なにかあったの?電話くれたのは」

「うん、特に何って訳じゃないけど、明日ももし良かったら一緒に帰らないかなって思ってさ。
別に用事があるんならいいんだけど。学校じゃ話せないかなと思って・・」

「前映会はないの?」

「明日はない日なんだ。あっても休むけど。もう辞めることにしたんだ」

「そう、別にいいけど」

「じゃ、六時間でしょう?明日は」

「そうね、確か」

「じゃ、校門にいるよ」

「わかった。じゃあね」

「おやすみ」


二階に戻ってベッドに入ると、何故かプロコル・ハルムの青い影が聴きたくなって
カセットをリピートにして、何度も繰り返し聴きながら眠りについた。

夢の中ではバッハのG線上のアリアが流れていた。
青い影はバッハのこの曲をモチーフにしたからだろうか・・。
でもやはりバッハの方が遥かに美しかった。

私は夢の中で、広い草原に立って青い空を見上げこのアリアを聴いていた。
この曲を聴くといつも、もしかしたら神様って本当にいるのかなって思ってしまう。
神の存在を信じたくなるような気持ちになる。

何故バッハはこんな旋律を生み出せたのだろう。
何が彼に起こっていたのか。
あのいかめしい表情からは何も見つけることは出来なかった。
苦悩の中で生きているような顔だった。
けれど心の中ではいつも空を飛んでいたのかもしれない。

柔かな風が吹いていた。
私も空を飛べるような気持ちになっていた。
それほど心は軽やかで、私の中をその柔らかい風が吹きぬけていった。
自由だった。
全ては今日というから日から始まるように、その時の私はこの広い世界に立ち感じていた。

つづく





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2006.01.28 21:33:38
コメントを書く
[Serial stores] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

Calendar

Freepage List

Archives

2025.11
2025.10
2025.09
2025.08
2025.07

Comments

コメントに書き込みはありません。

Favorite Blog

介護ライフハック! ウルトラ・シンデレラさん
イラストレーション… Cmoonさん
おそらく音楽・映画… HONEYPIEさん
bellcon Bellconさん
ちょっと本を作って… 秦野の隠居さん

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: