マイペース70代

マイペース70代

「シュウ君」


彼の場合は、「アテトーゼ型」だったと思うが、
私が出会った当時は4~5歳くらいで、
それまで十分な機能訓練もしていなかったらしく、
手足には筋肉の緊張からくる変形もみられた。
それによって、もともと困難な自分の意思による動きが制限され、
不随意運動と筋緊張により、食事もとても困難だったし、言葉を発することもできなかった。
お母さんが献身的に見事な介助・介護をする人で、
私ならとても怖くてできない食事介助を、息子の様子や動きを見つめ、
絶妙のタイミングで食事をさせる姿に、
「母親の力ってすごいなー」と感心させられるばかりだった。
彼は隣町から、母親が自動車を運転して通って来ていた。

見た目は寝たきりの重度障害児であったが、
知的な遅れはあまりないように思われた。
話すことはできないけれど、みんなが話していることはちゃんとわかっているし、
様々な言葉かけや働きかけに、ちゃんと目や表情で意思を伝えてくれる。
そして、自分の要求も彼なりに表現しているようで、
それを母親が的確に受け止めて通訳をしてくれるのであった。
この二人は、本当に一心同体状態に、私にも見えた。

同じ時期に、同年齢のやはり脳性まひアテトーゼ型のケイ君が通って来ていた。
こちらの子の方が障害の程度が軽いのか、
動きにくい足を必死に蹴って移動したり、
言葉にはならない声を絞り上げるように発して自分の意思を伝えようとしたり、
思いどうりにならなかったり、自分の思いがちゃんと伝わらないと泣いたりと、
表情は格段に豊かであった。
だから私は、シュウ君の方が障害が重いのだと思い込んでいた。

ある時医師が「この二人の障害の程度はさほど違わない」と言った時、
私は「そんなバカな!」と驚いた。
「違うのは、その子の性格と母親の対応です」と言うのだ。
シュウ君の方が性格的におとなしく、母親の対応が完璧なせいだというのである。
うーん、なるほどと、一応は納得はしたものの、
やはり私は半信半疑で、その後の二人の様子を観察した。
そして、「やはりそうなのだろう」という気持ちになってきたのだ。

難しいものである。
母親が完璧に息子の気持ちを受け止めそれを表現したら、
子ども自身が必死で訴えたり、悔しがったりしてバタバタする必要もないのだ。
それはその子にとっても、母親にとってもストレスのない穏やかな時間となり、
それが不幸なこととは決して言えない。
しかし、そのことが子どもの「わかってもらいたい」という意欲を刺激しないとしたら…。

これが、健康な子どものことであれば答えは簡単である。
子どもの自立を願うのであれば、親は心を鬼にして突き放すことも必要なのだ。
たとえ障害を持っていたとしても、原則はそうである。
もしも、施設に入所しなくてはならないとなれば、
やはり他人に意思を伝えられるようにするのも、大切な訓練なのだ。
医師やPTはそれを視野に入れての指摘をしたし、私もそれには同感ではあった。
しかし、まだ学齢に達していない子どもなのだ。
普通の子どもたちでも、まだまだ親に甘えている年頃だ。
心を鬼にしなくてはならないのかどうか、私にはよくわからなかった。

あの当時、このような母子に対して、
よく「母子分離の必要性」が医師やPTから言われることがあった。
私は自分の確たる信念もないので、それをオウム返しのようにお母さんに伝えたり、
「この子の将来のためには、必要なことだよね」なとと、
知ったかぶりみたいに言うこともあった。
しかし、内心は迷ってばかりであった。
「本当に、この子にそんな将来はあるのか?」と思うことも多かったし、
「将来は施設で暮らすしかないのか?」とも思ったり…。
結局、いつだって私は中途半端の思いで、お母さんや子ども達と向き合うことになっていた。

隣町にも、母子通園施設ができて、その時からその親子とは接点がなくなった。
シュウ君はどうしたかなあ、と思うことはあっても、確認することもなく年月は過ぎた。
何年か前、その町で就労継続支援事業所で働いていた時、
当時、いっしょに通っていた別の障害の若者と再会した。
驚いたことに、その子も「長生きはできない」と言われていたのに、
元気に自宅で生活して、障害者の活動に積極的に関わっていた。

「ところで、シュウ君はどうしている?」と聞いた時、
「あいつ、去年死んだよ。ずっとお母さんが家で面倒をみていた」と教えてくれた。
そうだったのか、あのお母さん、最後まで面倒みていたんだと、
私は二人の生き方に、心から拍手を送りたいと思うばかりだった。
結局、あの頃の医師達が言っていた「母子分離」はあの親子にはなかった。
できなかったのか、あえてしなかったのか、私にはわからない。
しかし、その時その時精一杯、
彼らににとって一番良いと思う生活を選んだことは間違いが無いだろう。
私が彼らと関わった頃から比べたら、格段に福祉サービスは充実しているはずだ。
彼らが、十分にそれを活用して、シュウ君なりに納得できる人生であったことを願っている。

2011年11月11日

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