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沢山のコメントありがとうございます。やっぱり小田和正と財津和夫は永遠のテーマなんだって思いました。「クリ約」の第三回目でミスチル桜井君と何を演奏するかにつき打ち合わせする際の様子をやっていた。桜井君はどうしても「タガタメ」をやりたいという。小田さんは、加害者や被害者なんて言葉が出てくる社会性のあるものもいいけど、リスナーはひとときそういうことを忘れられる時を望んでいるかもしれないし、せっかくのクリスマスだからエンターテイメント性に徹してもいいんじゃない?と言って第一回交渉は決裂。その後、桜井君の方から、「言葉にできない」からまず入って、「タガタメ」、「HERO」でどうか、という提案を小田さんにし、小田さんはそれに胸打たれてそれに同意。なんと「言葉にできない」を発表したのはちょうどその時の桜井君の年齢だったという。そこになんとも言えぬ機縁を小田さんは感じたよう。でも、小田さんの悪い癖で、自分が大将じゃなきゃダメなんだな。歌に入る前の桜井君との語りの中で、「君の視界に入っているアーティストは?上とか下とか、お世辞とか抜きにして」と聞く。僕は小田さんは当然「小田さんです」という答えを期待していたように受け取った。ところが桜井君は一枚上手で、「作品重視なんですよ。あこがれのアーティストとか目標はないし・・・。ああいう声を出したい、こういう曲を書きたいってのはあります」と返して、小田さんは「思った通りの人でしたね」と。小田さんには期待はずれの答えだったと思う。で、次ぎの小田さんの質問「日本は好きですか?」桜井「ぼくは日本のアーティストが作ってきた音楽を聴いて来た世代だから、洋楽を聴いても言葉が飛び込んでこない。ああ、いいアレンジだなとかは思いますけど」と、また小田さんの期待を裏切る答え。そして曲に入る前の小田さんのMC、「売り上げとか、チャート1位とかがそれほど大事だとは思いませんけど、21曲連続1位というのは驚異的なことだと思うし、こういう音楽を支持する人たちが沢山いるということは、日本の大衆も捨てたもんじゃないな、と思いました。ちょっと偉そうなことを言いましたけど」。これを聞いて小田さんの本音が見えた気がした。つまり、小田さんは自分の才能、努力、センスに自信があるからオフコースが永い間不遇をかこったことは聞く耳をもった聴衆がいなかったという思いをもっていたのだろう。それがミスチルを支持する人たちが沢山いることを知って「日本の大衆も信じるに値すると思った」というのは、ちょっと傲慢な物言いではないだろうか。売れる売れないは時の運もあるし、絶対的な尺度ではない。売れなくてもよい音楽はある。よい音楽が売れればそれに勝ることはもちろんないんだけども。それを、リスナーを「大衆」と呼ぶのは不遜というものだろう。小田さんには小田さんの使命感があることは分かる。50代後半で、若いときから一貫して頑張ってきたものとして、日本の音楽シーンをより高いものにしなければ、そしてそれを引っ張っていくのは他の誰でもない自分だという自負があるのだろう。だけど僕は思う。なにもそんなことを一人でやらなくても、それこそ財津さんや拓郎や、あと若い人たちとも一緒になってみんなでやればいい話。そこが小田さんの限界であり弱点だと思った。でも「風のように」を一通り見て、小田さんも「クリ約」の時と比べるとずいぶん人間の幅が広がったし、笑顔がステキになった。財津さんをゲストで呼んだときには「心の旅」「今だから」「魔法の黄色い靴」の3曲をやったし、前編で書いた、つのだひろの「夏色の思い出」激怒事件もちゃんとフォローして財津さんにその時のことを聞いていた。あと知らなかったけど98年頃に小田さんは自動車事故を起こして大けがもしたらしい。そういう過去と直近の様々な経験を経て小田さんも人間の幅が広がったのだろう。以前よりもリラックスしていて好ましかった。結論。個人的嗜好を言えばやっぱり財津さんの方がトータルで好きなんだけど、小田さんもすごい。しかし、小田さんも年なんだから、あまり自分一人で頑張ろうと思わずに、ライバルや朋輩達や後輩達と手を取り合ってやってけばいいんだと思う。何でもかんでも自分一人で引っ張ろうとせずに。
2005年08月16日
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青春の色 財津和夫作詞・作曲、メインボーカル酒を飲み比べたっけ 夜明けまで仲間と話し込んだあの頃 青春のとき臆病で自信家で 意地を張り孤独に 押し殺されかけてた青春のとき誰がつけた 青春の色を青い色は 哀しみの色学生の二人には 実らない夢だと去って消えたあいつ 青春の恋(後略)----------------------------------なかなか変わったメロディのこの曲。最初は歌謡曲調。「誰がつけた」から急に変わる。青春をテーマにした曲は「青春の影」以来だろうか。青春って結構取り扱いが難しい。なんかキラキラしているようで、反面もの悲しく、春という割には 親しかった仲間と決裂して別れたりする。やはり、酸いも甘いも噛み分ける中年に至る前の社会勉強の時代だといえるだろう。若者たちよ! 青春のときにいろいろ経験するがいい。喜びも悲しみも、怒りも楽しさも (喜怒哀楽)。それが君たちの将来のジャンピングボードになる。青春時代を無難に 枠からはみ出さぬように生きようとすると小さくまとまった、しかし大局観のない大人になってしまう。この歌を聴いていて改めてそう思いました!
2013年04月30日
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宇宙塵が終わり、シングルの「夕陽を追いかけて」夕陽を追いかけて 財津和夫作詞・作曲、メインボーカルしばらくぶりの故郷は大きな街に姿を変えていたからだを揺すって走ってた路面電車は今はもういない哀しみこらえ佇んで好きだった人を長く見送った後ろ姿に似合ってたあの海辺の道 今は車の道(後略)----------------------------------------------------------いわゆるAメロの繰り返しで、メロディ的にはBやCに発展しない。虎武龍(でしたっけ?)の「ロード」みたいに、詞を聞かせる曲。昨年の小田さん「クリスマスの約束」で財津さんと一緒に歌おうと、呼んだけど、財津さんは来なくて小田さん一人で歌ってた。ずっと前にこの日記で書いたけど、「クリ約」の第一回目では財津さんは当日こたつに入ってせんべいを齧るかみかんを食べるかしていて暇だったけど、小田さんはあえてかどうか、或いは財津のことなんか忘れてたのか、小田さんからお声が掛からず、「やはり都会の人は冷たい」と財津さんがライブでぼやいていた。僕はこの曲、単純なメロディの繰り返しだし、メロディ自体もちょっと演歌っぽくてあまり好きじゃなかったけど、今は好きです。小田さんもこの曲を評価しているし。ただ、この唄、小田さんが歌ってもじ~んとこない。そこはそれ、都会人だから。故郷の実感がないんだね。僕も財津さんと同じ福岡生まれで、小学校3年まで福岡育ちだからあの路面電車(ちんちん電車)も知っている。親と一緒に天神に出て、夜になってバスで家に帰るときには中央郵便局前の薄暗いバス停でバスが来るのをひたすら待ったのを覚えている。今よりも日本がずっとずっと貧しくて、でも高度成長期ではあって貧しいけれど夢があった時代。さて、この曲に戻ると、僕がすごいなと思うのは、1.朝日を追い求めるのでなくて、沈む夕陽を追いかけるところ。 普通の若い人だったら夕陽でなくて朝日を追いかける。 しかし、当時若かったにも関わらず財津さんは衰退或いは没落 或いは人生の手仕舞いの象徴である夕陽を追いかけるという。2.後略した部分に、「いつだって真剣に僕は生きてきたはずだけど でもいつもそこには孤独だけが残されていた」という歌詞がある。 まだ吉田彰が一緒だったときなのに、後に吉田が去るのを予見して いたような歌詞。財津さんがすごいのは常に悲しみや孤独と向き合って いたこと。普通、あれだけ売れて上り調子のときにこんな歌詞を 書きやしない。というわけで、この曲は田舎もんにとっては永遠の名曲でしょう。ひつこいけど、小田さんのような都会人には似合わないけどね。
2013年09月25日
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めぐり逢いは想い出 財津和夫作詞・宮城伸一郎作曲、宮城伸一郎メインボーカル「さよなら」と電話切ったあとで君の涙が聞こえてきたよ風が窓を揺らす 心が揺れるきっとまだ 君のこと 忘れられないもっと早く君と僕が めぐり遭っていれば空に浮かぶ鳥のように 愛は自由だった(後略)---------------------------------------------------イントロなくギター一本の伴奏でバラードのように始まる。サビのところからドラムとギターと入ってヘビーになる。宮城伸一郎の作曲の才能も大したものだし、江本君が「所詮、素人のど自慢の域を出ない」と評した宮城伸一郎の歌声もせつなく、この曲では「域を超えた」と感じられる。チューリップがすごいのはたとえば財津和夫作詞、宮城伸一郎作曲とか、安部俊幸作詞、姫野達也作曲とか、グループメンバー間で縦横無尽に繋がってすばらしい曲をつくれること。おそらく、宮城伸一郎にはこのすばらしい曲をつくれても、このすばらしい詞はできない。そこは財津和夫ならではの世界だと思う。この曲が出た頃は携帯電話なんかなかったから、四畳半一間の固定電話で「君」からの最後の電話を受けたのだろう。そして受話器を置いたあと、「君の涙」が聞こえてきた、ってすごい表現だと思う。四畳半一間の家の窓を風が揺らす。「君」のさよならを受け止めきれず、心臓が波打って心が騒ぐ。空を飛ぶ鳥ではなくて、「空に浮かぶ鳥」というところが、より自由感を伝える。この曲も結構いいです。このアルバム、「買い」です!
2014年05月28日
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愛の迷路 財津和夫作詞・作曲、メインボーカルビデオテープを戻すようには 愛は戻せないシャツのボタンを とめるようには 涙は消えない Why Why どうして君はいないのか もしも悲しい夢の続きなら ああ 誰かがいつか そっと起こしてくれるのに(中略) Fly Fly どこまで僕は飛ぶのだろう やがて悲しく 赤い夕暮れを ああ 漂いながら きょうも僕は星になる(中略) Sky Sky こんなに大きな空だから(後略)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー安部さんの簡潔なリードギターのイントロで始まるこの曲。JALのCMに使われていた。JALの依頼を受けて作ったのか、先に曲ができていて、歌詞が最適だからCMに起用されたのか、僕は知らない。いきなりサビから始まるのは心の旅やWake Upと同じ。でも、Why Whyのところも言ってみれば別のサビで、なんやこの曲、全体がサビか。ノリがいい。「シャツのボタンをとめるようには」ときたら「涙はとまらない」かと思ったら、「涙は消えない」。どうしてだろう。シャツのボタンをとめるように、涙が消える?あえて涙はとまらないをはぐらかしたのだろうか?シャツのボタンは留めればそれで作業終了。そんな風に、ひとしきり泣いたあとは涙はきれいさっぱり消えるだけ、その否定だろうか。でも財津さんならいいさ、何でもOKさ。Fly Fly以下の歌詞はJALを引き付けるのもむべなるかな。
2014年09月24日
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日曜の風景画 財津和夫作詞・姫野達也作曲、姫野達也メインボーカルひげを剃る シャツを着る 靴を引っ掛けるブティックに 喫茶店 大きなピザハウス道の上 座り込んで ものを売る人踊る人 走る人 歩行者天国ソフトクリームなめながら男と女肩車 揺れながら 親子連れ歩道橋見渡せば 国鉄駅窓ガラス 光らせる 緑の電車ふとたたずんで見上げた 飛行機が青に 白をまっすぐ引いた君はなぜ ここにいないまだずっと ずっと夢の中にいるようで(後略)----------------------------------姫野君の曲らしいギターも目立つかっこいい曲。そこに載る財津さんの得意な点描的歌詞。まさに風景画。うまいと思う。男は彼女と別れたばかり。きょうは日曜日。昼過ぎに目覚めて、外出する。場所は原宿。そこは日曜日らしく、若者や家族連れでにぎわう。自分だけが日曜日にも関わらず、ひとりぼっち。かつて彼女と一緒に暮らしていた頃は、自分も目の前の若者たちのように幸せの中にいたんだろう。若い人は知らないかもしれないけど、JRは昔は日本国有鉄道(国鉄)だった。山手線は緑色だった。チューリップはデビュー当時原宿で一緒に住んでいたのではなかったかな。だから、歌詞から原宿が浮かび上がる。日曜日は孤独をあぶり出す。オフコースの鈴木康博がつくった「日曜日のたいくつ」では「日曜日あなたは何をしてる?たいくつしのぎはもうあきあき」 とある。チューリップの「夏は終わらない」では、「日曜日は 日曜日は ソファの上でたった一人 たった一人 化石のように」とある。本来楽しいはずの日曜日はひとりきりだと孤独をあぶりだす。僕は毎日曜日は会社の人たちとゴルフだからダイジョウブだけど。
2014年05月04日
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夏休みを終えてきょう会社に出て来てみたら、日本本社の方はほとんど休み、韓国のお客さんの方もお休みが多くて開店休業状態。おまけに当社も3人は夏休み、2人は釜山出張で私一人電話番。よ~し、仕事さぼっちゃおう、ということで白昼堂々日記書いてます。(会社関係者見てないだろうな?見てても見逃してくれよ)きょうはタイトル通りのことを書きます。僕はチューリップは「心の旅」「夏色の想い出」「悲しきレイントレイン」「虹とスニーカーの頃」をリアルタイムで知っているが、つのだひろが語っていたように、「心の旅」の後に柳の下のどじょうを狙った、しかも松本隆に作詞を委ねた(※小田の「風のように」のDVDを見て初めて知ったけど、この曲が松本隆の作詞家デビュー曲だったんだって)のが気に入らなかったし、当時姫野君がキャーキャー言われていて、チューリップは単なるミーハーバンドと思っていたので距離を置いていた。その後オフコースがブレークして、あの完成された均整のとれた音楽美に魅了された後、「The Love Map Shop」を聞き、「あ、チューリップも結構高音ボーカルがきれいだし、いいじゃん」と思ってオフコースとチューリップと両方聞き出した。だけど、聞いていると、オフコースの方はあまりにもきれいにまとまり過ぎていてちょっと堅苦しい。チューリップの方は僕と同郷ということもあるのかもしれないけれどなんか泥臭いところもあるし、茶目っ気もあるし、財津さんや姫野君のボーカルも味があるし、だんだんチューリップの方が好きになっていった。なんといっても「バンド」として一人一人のメンバーがその個性を活かしながらみんなで一つの曲を作っている、その奇跡的に絶妙な部分がチューリップにはあってオフコースにはないところだと思う。チューリップは財津さんがリーダーではあるけれど、あのチューリップの音楽は姫野、安部、吉田、上田、宮城・・・がいなければ絶対ああいうアレンジにはならなかった。オフコースも勿論2人に3人が加わって新しい要素が加わったが、なんか「求道的」というか堅苦しさがある。小田の「たしかなこと」というインタビュー本を読むと小田自身が「オフコースは学校だった」と言っているように、オフコースは小田を含む各メンバーが自己成長する為の学校だった訳だが、チューリップは学校というよりも、既に一人一人がプロだった。多分に僕の偏見が入っているが、財津と小田の星取表;・理論に基づく音楽的完璧さ:小田◎ 財津○・遊び心と冒険 :小田○ 財津◎・情景が浮かぶ歌詞 :小田× 財津◎・日本語のこなれ方 :小田△ 財津◎・曲の幅広さ :小田△ 財津◎・ピアノの洗練度合 :小田◎ 財津△・音楽に対する真剣さ :小田◎ 財津◎・音楽の才能 :小田○ 財津◎・歌詞の才能 :小田○ 財津◎・才能を開花させる努力 :小田◎ 財津◎と、こういう訳で僕は財津さんを買う。ヤマハライトミュージックコンテストでのことは「風のように」でも山本潤子や財津がゲスト出演したときに詳細が語られているが、小田は赤い鳥には負けたがフォーシンガーズ(チューリップの前身)は歯牙にもかけなかった様子がよくわかる。現に優勝は赤い鳥、2位がジ・オフコース、6位がフォーシンガーズだった。それが、赤い鳥はもちろん、自分より下だと思っていたチューリップがオフコースより先にレコードデビューを果たし、就中「心の旅」をヒットさせた。小田は相当悔しかったようだ。実際そういう発言をよくしている。きっと小田は自らの才能、理詰めで音楽を学び吸収していく頭の良さ、それから精一杯の努力をしていく能力に相当恃むところがあった(今でも「ある」)はずだ。確かにそれは僕も認める。小田さんも十分すごい。でも「あいつら」(小田さんのライバルたち)と比べて自分は負けないはずだ、と考えるのは勝手だし、若いうちはそれがエネルギーにもなるのだけど、いい年こいた今でもそういうところを脱皮できないところが小田さんの弱点だと思う。財津さんは小田さんのことをライバル視もすると同時に敬愛していたと思う。本当かどうか定かではないがオフコースファンクラブの会員1号は財津さんだと財津さんが自分で言っていたのを何かで読んだ。そういう仲だったはずだ。ところが、小田さんはくすぶっていた期間が長かった分嫉妬心をため込んでしまったのだろうか、自分の良きライバルたちに冷たい仕打ちをする。拓郎がラジオ番組で言っていた。「小田の野郎、自分がヒット曲を出しやがった(「さよなら」や「Yes-No」をヒットさせた後)ら、「拓郎、おまえもヒット曲を出せよ」って言いやがる。出そうと思ってヒット出せたら苦労はないよ」。勿論、半分本音、半分はライバルである小田、しかもヒットを出した小田への素直な賞賛の気持ちも入っていた。苦笑しながら仲間たちに語っていた。そして、「クリスマスの約束」の第一回。僕は絶対に良きライバルであり才能を認めているチューリップの歌をやると思った。「こいつら、ずっとかっこいいなと思ってきました」との前振りがあったので「お、いよいよチューリップか」と思ったら、それはミスチルだった。結局、小田さんが質の良い音楽だと認める7曲のプレイヤーに出演依頼を出したが、全部都合がつかず小田さん一人ぼっちでやるという内容。最大の演出は犬猿の仲と言われた山下達郎への小田さんの手紙とそれに対する達郎の敬意に満ちた返信の紹介。そして「クリスマスイブ」を小田さんが一人で演奏する・・・。これがクライマックス。小田さん、あざといなあ、演出を考えているなあ、と思った。だって、ライバルでいえば泉谷やユーミンや拓郎のことは言及したり唄ったりしながら、若い才能:ミスチル、スピッツ、宇多田、スガシカオ等にも目配りしつつ、朋輩であるはずの財津・チューリップについては一言もない。冷たいなあと思った。そして会場には来られなかったが小田さんがこの番組の為に作った曲を小田さんの息がかかったアーティストたちとスタジオで合唱するところがほんの少しビデオで紹介され、チャゲアス、渡辺美里他他沢山のアーティストと共に財津さんもいた!ねえねえ小田さん、いくらなんでもライバルであり朋輩である財津さんをチャゲアスや渡辺美里と一緒にしちゃいけないでしょう?別格扱いしなきゃ。その少し後、横浜であった財津さんのソロコンサートで財津さんが言っていた。「ビッグネーム、小田和正。やっぱり横浜出身だから洗練されてるんですかね。クリスマスの時、僕はこたつに入ってお煎餅を食べながらこの人のTV番組を見てました。その前にスタジオで一緒に歌を歌ってくれって言われて、言ったらTVカメラが沢山入っていて、『すごいなあ』と思ったら、TVで放送されたのはほんの僅かでした。やっぱり都会の人は冷たいんですかね?」なんて語っていた。つまり財津さんに一声かければその時会場に来られたのに、「たった一人のクリスマス」を演出する為に敢えて呼ばなかったし、曲目リストにも入れなかったのだろう。小田さん、あざといなあ。僕はこれで少なくとも財津さんから小田さんへの友情は壊れたと思った。でもそういう財津さんの思いはいろんな人経由で小田さんへの届いたはず。届いた結果かどうか判らないが、第3回目の「クリ約」ではアーティスト仲間にいちばん好きな歌をアンケートしたところ第一位が「青春の影」。で、晴れて財津さんもゲストで来て、二人で唄っていた。財津さん、その前の小田さんとのしゃべりでは「これ、カットしちゃいやですよ。少しだけなんていやですよ」と冗談めかして言っていたのは第1回の時のスタジオビデオのことがあったからだなあとピンと来た。小田さんに財津さんの想いが届いたからこうなったというより、アーティスト仲間による公正な投票で自然に「本物」である財津さんが押し出されたものだと僕は信じたい。なんせ、どんどん新しいアーティストが出ては消えていく時代、50代で、30年以上走ってきた財津さんといえども、何かのきっかけに脚光を浴びられるかどうかは死活問題のはず。朋輩だったら「クリ約」だって小田さん一人でやるんじゃなくて「財津、ヒマ?ヒマなら一緒にやってkんない?」と一声掛ければWin-Winになれたんだ。それを小田さんは「演出」の方を取った。冷たい。僕は財津さんのコンサートの後、すぐに決心した。(1)今後も昔のオフコースは聞くが小田さんのことは応援しない。(2)微力ながら財津さんのファンクラブ「Zephyr Club」に入会する。・・・とここまで書いて釜山への出張者が事務所に帰ってきたので、この続きはまた。
2005年08月16日
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逢う度に逢いたい 財津和夫作詞・作曲、メインボーカル夢をみたい みたい みたい君とみたい みたい みたいベージュの傘が近づいてまたきょうも 君に逢えたやがてTwilight Twilight Twilightせつない Tonight Tonight Tonightレインコートの中に咲くこの花を抱いてしまいたいSexyは美しいちぎれて欲しい 黄昏の白いバラ細い雨に 濡れた唇友達でいられない夢をみたい みたい みたい君とみたい みたい みたい雨に煙る街の灯り幸せの予感にじませて手錠をかけた二人のように寄り添って歩いてゆくSexyは美しい壊れて欲しい 黄昏の白いバラ君の足元映すショーウインドー友達でいられない------------------------------------------------------詞も曲も素敵で、さすが財津和夫。曲は単調で始まり、「Sexyは」から長調に転じる。二人はまだ友達以上恋人未満というのか、深い仲にはなってなくて、「逢う度に逢いたい」と思うほど気持ちばかり高まっている。二人を包む雨が、黄昏が、雰囲気が男の欲望を亢進させる。Tonight Tonight Tonightは財津ソロの「二人だけの夜」の中のリフレイン。今夜こそお前と深い仲になるという決意を込めた夜の歌。「TULIPIANの服を着た君」ではSexyページをめくって、開いて、ちぎった訳だけど、この曲ではSexyは美しく、ちぎってみたく、壊してみたいのだと。高まりゆく欲望と衝動を抑えたリズムと歌詞で表現する技は財津さんならでは。
2015年11月23日
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一人がいいさ 財津和夫作詞・作曲、メインボーカル覚えてるかい 初めて会ったあのときのことをとても親切で とても新鮮で 真剣だったそんな素敵な君だったわかってるかい 僕がこんなに憂鬱なことをとても心配で とても辛辣で信じられないよまるで人が変わったねおまえはずっとにやけた男からちやほやされて お嬢さんづらぶらさげてきたから自分のわがままやりたい放題思い出すよ 子どもの頃おふくろの言葉顔や姿で女の人を選んじゃダメよでっかいお尻がいちばんよ(中略)金も欲しい 恋もしたいたくさん眠りたい俺が死んで悲しむ奴はいなくてもいいさ後悔だけはしたくない--------------------------------------------この曲も、16ビートのロックンロール。やはり財津さんは歌詞がうまい。「お」ぼえてるかい、で始まり、「お」まえはずっと、に続き、「お」もいだすよ、で継ぎ、「お」ふくろの言葉で受ける。更に、「しん」せつ、「しん」せん、「しん」けん、「しん」ぱい、「しん」らつ、と見事に韻を踏んでいる。しかもナチュラルな流れの歌詞。そして、またまた出ました、財津さんの偽悪趣味。「金も欲しい 恋もしたい」は財津さんの本心ではないだろう。「たくさん眠りたい」は本当だったかもしれない。なにせ当時チューリップは忙しすぎただろうから。「おまえ」に冷たくされて、そういえばお袋が言ってたなあ、肝っ玉母さんはお尻がでかいって、まさに京塚昌子の世界を思い出すとは、ひねりが利いている。ただ、この曲が残念なのはこれもメガホン越しに歌っているようで声が籠もっているのがいやで、今まであんまり聞かなかった。
2012年09月10日
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Give me a chance 財津和夫作詞・作曲、メインボーカルGive me a chance, Give me a chance,Give me a chance, Give me one more chance.Everyday, Every night,Everytime I wanna be with you.腹話術の人形のように 君がいなけりゃ 何もしゃべれない人も笑わせられない愛の舞台のスポットライトは名コンビの二人をいつも浮かび上がらせてたじゃないGive me a chance, Give me a chance,Give me a chance, Give me one more chance.Everyday, Every night,Everytime I wanna be with you.大丈夫さ 傷つきはしないどうせ張子の 心のない人形だったのだから(後略)-------------------------------------------------ギターの「ジャーン」が鳴り、いきなりサビから始まるのは後年の「ふたりがつくった風景」と同じ。「ジャーン」はないけど「Wake up」と同じ。すごくテンポがいい曲。のりのり。でも歌詞は結構悲しい。ここでいうchanceとは、もう一度二人がやり直すchanceであることは明白。君がいなけりゃ何もしゃべれなくて、人も笑わせられない自分を腹話術の人形にたとえるあたりは、さすが財津さん。いっこく堂じゃないけど、腹話術は早々思いつかないと思う。続いて「張子の人形」だったのは「君」のことだろう。心のない人形だから、去っていっても傷つきはしない、という最大限の強がり。いつも決然と去っていくのは女性。取り残されるのは男。財津さんの歌では。
2013年11月14日
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さよなら道化者 財津和夫作詞・作曲、メインボーカル二番目に好きなのがこの僕で一番目は幸せだなんていつも僕を笑わせてくれた君はすてきな道化者だった(中略)チーズケーキとモーツアルトが好きで嘘つきと戦争が大嫌いそんな君の部屋の窓辺にももう誰かが住んでしまったよ(中略)さようなら 僕の道化者死ぬほど好きだと 言えばよかったさようなら 僕の道化者もう一度僕を笑わせておくれ(後略)----------------------------------------------------------シングルカットされた曲。今でも思い出すのは、当時「ぴあ」という情報誌(映画とか演劇とかをどこで何をやっているかの情報)があって、各ページの左端か右端に「はみだしぴあ」なる読者投稿の1行(縦書きだから1列か)コラムがあって、そこに、「売れ線狙いで出した「さよなら道化者」も売れず云々」というのが投稿されていた。確かに売れなかったと思う。売れなかったから、一般の人はこの曲の存在すら知らないはずなのに、あえてこれを話題にするのは、隠れチューリップファンかはたまたよほどチューリップ嫌いかどちらかだろうと思ってた。「二番目に好きなのが」で始めるところなんて「うまい」としかいいようがない。ただ二番の歌詞の、「チーズケーキとモーツアルトが好きで」はありがちな女性なんだけど、それと並列に、「嘘つきと戦争が大嫌い」という女性はいないだろうと僕は思った。男の僕から見ると、頭の回転の早い、且つピュアな心の有り難い女性で、惚れてしまいそうだけどそれはあくまで男が作った女性像で、現実にはこういう女性はいないと僕の直感が囁いていた。「嘘つきが大嫌い」は、大嫌いなものをあげろ、と言われたときに「嘘つき」という、いかにも女性らしい、言われてみれば模範解答、でも言われなければなかなか自分では思いつけないものを挙げられるのは素晴らしい。でも、それと並列に大嫌いなものとして「戦争」を挙げるのはあくまで男である財津さんの発想であって女性のそれではないと、と僕の直感は囁いた。だから「はみだしぴあ」のコラムは実は正鵠を得ていると、チューリップファンの僕も思ってしまった。そして残念なことにあれから33年経った今もあまり変わらない感想をもっている。まあ、それはそれとして、シングルではエンドロールなんだけど、LPでは最後調子が変わってこんな歌詞になる。「子供の頃から僕は幸せが好きだったどんな時にも幸せが好きだったそして今も幸せが大好きですそして今も幸せが大好きです」そこにかぶさるコーラスが、遊び心があって僕は好きだ。「雨の日も風の日も雪の日も嵐の日も靴のひも蒼いときも好きだったそして今も幸せが大好きですそして今も幸せが大好きです雨の日も風の日も雪の日も嵐の日も靴のひもマヒマヒも好きだった雨の日も風の日も雪の日も嵐の日も靴のひもコーヒーも好きだった雨の日も風の日も雪の日も嵐の日も靴のひもマントヒヒも好きだった------------------------------というわけで、チューリップならなんでも好きなんです。チューリピアン、チューリップ教です。
2014年04月25日
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まず歌詞をご紹介する。あの星へもどろう 作詞・作曲 財津和夫1.だどり着けたのに やっとここまで つかんだ夢なのに2.こんな大事な日にどうして どうして君はいない3.枯葉まみれのプールのように 渇いた心の底4.ベランダの石に腰かけ 空だけ眺めてた5.苦しみならもういらない 溢れるほど心に積もった6.ここから君がいなくなるなら この手が君まで届かないなら7.泣き出す前に 倒れる前に もどろう あの星へ8.前だけずっと 睨みつづけた 馬鹿みたいに叫びつづけた9.君のぬくもりを掌に ひとり占めするため10.生きてゆくさ 簡単だろう あの星のしかも真ん中で11.やり直すこと 出来ないのなら 自分を縛った紐をほどいて12.ぼくが生まれたところまで もどろうあの星へ13.君と会えない この物語 ずっとこのまま繰り返すなら14.ぼくが生まれたところまで もどろうあの星へ15.聞こえてくるよ 優しい声が16.ぼくを抱きしめた母のような17.しばらくここで立ち止まったら18.もどろうあの星へ---------------------------------------------------------------------------チューリップの歴史を知らない人には この歌詞は何だかわからないだろう。ズバリ言うと、この曲は財津さんから吉田さんへのオマージュだ。以下、行ごとに見ていく。1~2行目:「こんな大事な日」とはチューリップの、これが最後かと言われた35周年ツアーであろう。オリジナルメンバーが集ったこんな大事な日に唯一来なかった吉田さん。 3.「枯葉まみれのプールのように渇いた心の底」・・・財津さんがある著書で告白していたように、吉田さんは突然チューリップを去った。財津さんはその本の中で「多分、自分が吉田を知らぬ間に傷つけたのだろう」と告白している。4.そんな感慨に浸りながら石に腰かけ空だけ眺めてたのは「空を見上げる人」=財津さんだろう。 5~7.「苦しみならもういらない 溢れるほど心に積もった」~こんな歌詞を聴くと、アルバム「Sincerely Yours」に入っている、71年の小倉市民会館でのライブを想い出す。そこでMCをする財津さんは極めて饒舌だ。「僕らは演奏が下手いからオリジナルをやるわけです。・・・・・そうなんだ!!・・・・」と言って『魔法の黄色い靴」を歌う財津さんとチューリップ。今からは想像もつかないくらい尖っていた。そんな風に前のめりに死ぬかもしれないくらい頑張っていたチューリップ。そのオリジナルメンバーである吉田さんを傷つけた財津さんの心中は察するに余りある。そのことを婉曲に表現したのが7行目。これは財津さんが後年になって気付いたことだろう。おっと、8行目こそ自らの小倉市民会館のことを歌っていた。「馬鹿みたいに叫びつづけた」というのはそのことだ。10行目。「生きてゆくさ 簡単だろう あの星のしかも真ん中で」という「あの星」とは紛れもない地球。「真ん中」というのは東京だ。福岡の田舎から青雲の志をもって東京に出てきたチューリップ。三畳一間に5人で住んで、3曲目もヒットしなかったら福岡へ帰ろうと決心していた財津さん。後年のNHKのドキュメンタリーで財津さんは、「東京というのは、すごく大きい都市です」とインタビュアーに言いながら涙ぐんでいた。でも、その東京で生きていくのが簡単だろう、という開き直りとも思える、しかも「簡単だろう」だけわざと嗄れた声で歌っている財津さん。この意味は、当時東京の大きさに押し潰されて自身も精一杯だった財津さんが、当時は気付かなかったが、その苦しさと引き換えに吉田さんを傷つけてしまったことへの後悔の念がこもっている。11~14行目。ここで言う「物語」とは財津さんの「人生」そのもののことだ。そして「もどろうあの星へ」の星とは、福岡のことかもしれないし、或いは財津さんの心の故郷である、宇宙の中のどこかの星のことかもしれない。「いつかどこかで」笑って再会できると願っていた吉田さんが35周年記念でも戻って来ない。しかも自らのホームページでこんなことを書いている。若いときならまだしも、還暦を迎える年にもなってこんな子供じみた反撃をするなんて、吉田さん、それは悲しいよと僕は思う。財津さんは、そこまで吉田さんを傷つけたかと、35年経った今も自分のことを許していないのかと、更に悲しい気持ちになったろう。「君と会えないこの物語=人生をまた繰り返す(輪廻転生)なら、ぼくが生まれたところまでもどろうあの星へ」と続くところから見ると、「あの星」はやっぱり福岡ではなくて宇宙のどこかの星だろうと僕は想像する。15~18行目。「しばらくここで立ち止まったら」というのは財津さん自身の余生のことだろう。哀しみを受け止めて、でも自死することなく寿命(=この世に生まれて、この人生で学べきこと)を全うして、そして死んで魂が宇宙のどこかに戻る。そして財津さんが先か吉田さんが先かわからないが死んだ後に魂のふるさとへ戻って二つの魂が融合する。それを財津さんは願っているのだと僕は思う。願わくば、今世の死の前に二人が和解せんことを・・・・・。
2008年08月26日
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「City Swimmer」の次のアルバムは「I must be crazy」だけど、その間の1988年にシングルCDで出された曲。冬のメイン・ストリート 財津和夫作詞・作曲聞こえるよ 今年も 雪の音少しずつ 積もってく 君のこと白い吐息 からませて 二人歩いた街に今 すれ違う それぞれの 長いメイン・ストリートただ 降り続く 白いさよならの中を 歩くだけ幸せを道に撒いた 店の灯り大声でタクシーを 停める人ネオンが映る ビルボード大きな笑顔を 見せるもう 「好きだよ」と 言えないね 遠すぎてもう 街灯は 二度と照らさない 君の肩先を(後略)-----------------------------------------------------------------最初の3行は、現在から、別れたばかりの時を回想しているのだと思う。その次の2行は、別れを予感したそのときのことだろうか。「幸せを道に撒いた 店の灯り」は、「Primary Color」の中の歌詞「道路まで明るさがあふれた店のように 生きてゆけたら 生きてゆけたら」と相通じている。恋人を失う欠乏感と対照的な、物のあふれた店先。そこから道にあふれこぼれる暖かい灯りは好対照。「ネオンが映る ビルボード 大きな笑顔を 見せる」は、「ストロベリー・スマイル」の歌詞「『永遠』と壁に大きな ダイヤモンド 愛のポスター」と相通じている。僕と君とが別れたこととは全く無関係に、世間は無邪気な明るさを振りまいている。別れた直後の心象と街の風景との疎隔を描かせたら財津さんはピカ一。
2016年12月29日
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ホロスコープ・ラヴ 安部俊幸作詞・作曲、姫野達也メインボーカル白いピナカラーダに浮かぶ黄昏色のちいさな花 指でつかみ髪に飾って「ほら トロピカルでしょ」なんて おどけて笑う君に恋して マッドネス(中略)いつも二人は ハッピネス(中略)「そう 魚座と射手座」それは別れる運命(さだめ)夏の終わりは サッドネス-------------------------------------------------------宇宙をコンセプトしたこのアルバムにちゃんと呼応する安部さん。ホロスコープ・ラヴ。夏に出会った君。ピナカラーダに浮かぶちいさな花をつまんで、自分の髪飾りにする。そういう女性に狂おしく恋してしまう夏の日。その後二人はつきあって「いつも二人はハッピネス」。3番の歌詞はある意味、衝撃的だ。「魚座と射手座は別れる運命」・・・これ、ホロスコープの変わらぬ結論だろうか?魚座と射手座でつきあっているチューリップファンの恋人同士、それも星占いを信じるカップルにとっては辛い歌詞だったろう。姫野達也のボーカルは淡々としていていい。この曲、安部さんがボーカルとってもよかったかもしれないけれど、第二期チューリップでは一切ボーカルをとらなくなった安部さん。でもいい曲書きます。
2014年07月13日
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青春の影 財津和夫作詞・作曲君の心へ続く 長い一本道はいつも僕を 勇気づけたとてもとても険しく 細い道だったけど今 君を迎えにゆこう自分の大きな夢を 追うことが今までの僕の 仕事だったけど君を幸せにする それこそがこれからの 僕の生きるしるし(中略)恋の喜びは 愛の厳しさへのかけはしに 過ぎないとただ風の中に 佇んで君はやがて 見つけていったただ風に涙を 預けて君は 女になっていった(中略)きょうから 君はただの女きょうから 僕はただの男-----------------------------------------チューリップのバラードの定番。ドラマ「ひとつ屋根の下」のテーマ曲は「サボテンの花」だったけど、挿入歌でこの「青春の影」も使われていたから、そこで初めて聞いた人も多いだろう。考えてみればタイトルからして意味深だなあ。歌詞の中には「青春」も「影」も出てこない。僕が若いときにはこの曲の歌詞全体が今ひとつわからなかった。どうも、この二人は恋愛期間を経て結婚するようなのだけど、最後の歌詞はまるで二人別れて、ただの男とただの女になってしまうようにもとれた。でも、その後僕も歳をとって、何度も何度もこの曲を聴いて、やはりこの二人は別れるのではなくて、結婚すると同時に「自分の夢」を捨てて僕は「ただの男」になるのであり、君も、(歌詞にはないけど)もっていた理想の男性像から妥協して僕を選び、平凡な幸せに埋没していくという意味で「ただの女」になるということなのだろう、と解釈する。そして、その解釈で間違いないと思う。青春期の輝かしくも眩しい恋愛。その完成型ともいえる結婚。でも結婚と引き替えに諦めてしまう夢。それが大人になるということだろうし、輝かしくも眩しい青春期に初めて射した影なのだろう。それから、出ました!財津さんの恋と愛の二元論。今後の曲にも繰り返し出て来ます。「恋」はどこか浮ついた、子どものもの。もちろん甘美で、楽しくて、嬉しいものだけど。「恋」は沢山の試練を経て、耐え切れなければ失恋に終わるけれど、サバイバルできれば「愛」に移行する。「愛」は地味で、おとなしくて、控えめで、静か。「愛」は大人。「恋」のようにときめかないけど、涙や試練や哀しみや苦しみを経た後の平安、或いはニルバーナの世界といえるだろうか。まだこの曲を作った頃の財津さんは20代だったと思うけど、自分の人生を先取りしてこういう境地を詞にするところが、老成しているというか、なんとも言えずすごい。あと、「青春の影」は、福山雅治もカバーしていて、プロコムハイムのオルガン?の音とフレーズをフィーチャーしている。そういえば、小田和正の「クリスマスの約束」の何回目かで、アーチストにアンケートした「いちばん好きな曲」で堂々1位に輝いたのがこの「青春の影」で、負けず嫌いの小田さんは自分の曲が選ばれずに、財津(←1歳年上の小田さんは呼び捨て)ごときの曲が選ばれたのが悔しくてたまらない様子だった。プロコルハイムのあの曲、「青い影」だっけ?「青春の影」にも途中からオルガンの音が入るのは、プロコルはイムを意識したせい?青春の影は青い影からきたもの?そんな疑問がふと今湧きました。ご存じの方は教えてください。それと、3曲目でバラードを成功させると安定大御所になれると僕は思っています。サザンオールスターズも、「勝手にシンドバッド」で華々しくデビューし、2曲目は柳の下のドジョウの「気分次第で責めないで」だったけど、やっぱり際物のイメージが残った。それが、3曲目で「いとしのエリー」。これで不動の地位を作った。ポップで新奇な曲で耳目を引くことも大事だけど、やっぱバラードなんでしょう、実力が測れるのは。
2012年07月03日
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どうして僕は淋しいんだ 財津和夫作詞・作曲夕暮れがきて 空をあかく そめる眼の前を電車が音をたてて通る広い公園の水に浮ぶ 白い鳥が静かに遊ぶどうして どうして 僕は淋しいんだどうして どうして 僕は淋しいんだ小石をつま先で蹴って落し広がる水の輪をみつめる一人の男がタオルを首にまいて水辺を走って僕の横を通りすぎるどうして どうして 僕は淋しいんだどうして どうして 僕は淋しいんだ膝を抱いてベンチにすわる空と雲と水と人をながめる誰も僕を見ようとしない誰も僕を見ようとしない-----------------------------------詩人としての財津さんの本領発揮。情景描写が巧みで、その中に必ず色を配する。あかい空、白い鳥。「僕」の想いとは全然関係なしに水鳥が遊ぶ、男がジョギングする。「僕」は外物をながめる。外物は「僕」のことなんか知ったこっちゃない。徹底的な無関心が人を淋しくさせる。「The Love Map Shop」所収の「日曜日の風景画」に繋がる歌詞。「日曜日の風景画」 財津和夫作詞・姫野達也作曲ヒゲをそる シャツを着る 靴をひっかけるブティックに 喫茶店 大きなピザ・ハウス路のうえ 座り込んで 物を売る人踊る人 走る人 歩行者天国ソフト・クリーム なめながら 男と女肩車 揺れながら 親子連れ歩道橋 見渡せば 国鉄駅窓ガラス 光らせる 緑の電車ふと佇んで 見上げた空に飛行機が青に 白を真っすぐ曳いた君はなぜ ここに居ないまだずっと ずっと夢の中に居るようで目の前に 差し出された ビラをもらって読みもせず 小さくちぎる 風が飛ばしてくデモ隊と すれちがう 人の叫ぶ声うつむけば つま先が どこか悲しそうそうさ 今日は日曜日君の大好きだった 青い空がみえるぼくはなぜ ここに居るのまだずっと ずっと夢の中に居るようで--------------------------------------------この歌詞でも情景(風景)描写の中に巧みに色を配している。緑の電車(山手線。この歌詞の舞台は原宿だろう)、青い空に、白い飛行機雲。「僕」の孤独感とは全く無関係に世間は喧噪している。幸せそうなカップル、学生運動に没入する青年たち。「君」が去った僕は それらの世界から無視されてここに居る。
2010年11月10日
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届かぬ夢 財津和夫作詞・作曲、メインボーカルお金も欲しかったけれどそれより大事なものたとえば愛や友情を信じて生きてきたでもやっぱりお金が全てでもやっぱりお金が全て本気で愛したあの人も今は遠い空の下新しい愛をつかんだと風が気ままにささやいただからやっぱり力が欲しいだからやっぱり力が欲しい(後略)---------------------------------------アコギで始まり、ピアノが加わり、ドラムが入り、シンセが入り、ベースやギターが入る。財津さんらしい歌詞だ。財津さんはよくこういう歌詞を書く。でも、未だに僕がわからないのは、こういう歌詞が財津さんの挫折体験に根ざした本心なのか、財津さんの性格としてある、偽悪趣味なのか・・・。お金が欲しい、力が欲しい、と言うけれど、やっぱり財津さんにとっては愛や友情が大事なのだと思う。でも、それをストレートに言うことが、財津さんの美意識として許せないのかも知れない。尊敬しているが故に買いかぶっているのかもしれないけれど。
2012年12月04日
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生まれる星 財津和夫作詞・作曲、メインボーカル喜びも 悲しみも 捨ててしまおうただ 流れる 河のように幸せに なればいいんだ幸せを 探すのは 止めてしまおう幸せな 身(からだ)になってしまおう NO. 909 ふたり乗せた 宇宙の船は 走る NO. 909 光 超えて 今 そこに 生まれる星へ人と人なんて どうせ異質(ちが)うものだから解り合う 必要はない君さえ ここに 居ればいい人と人なんて どこか似てるものだから解り合うなんて 必要はない (中略)青色にかすんでいる 生まれた星が遠くなるあそこには もう何もない涙 流せば すべては終わりさ銀色に輝く 生まれる星がみえてきたわずかな 地球の愛をはこぼう (後略)-------------------------------------------------ゆっくりした8拍子の曲。オフコースでいえば「言葉にできない」の感じ。「言葉にできない」は小田さんの鈴木さんへの想い満載で、これを小田さんが歌うと泣いてしまうのだけど、財津さんはこの「生まれる星」で泣いてしまう。この曲、財津さんの偽悪趣味も入っている。いや、偽悪趣味とはちょっと違うかな。地球でいやな目に遭いながら、我慢して我慢して達する諦観かもしれない。しかし、なぜNO. 909(ナインオーナイン)なんだろう?何かの符牒かな?それとも単なるかっこいいスペースシップっぽい番号をつけただけなのだろうか。この曲で泣く財津さんはやっぱり宇宙人なんだろう。地球を「君」と二人で脱出した財津さんは、ノアの箱舟よろしくわずかに残った地球の愛を うまれゆく銀色の星に運ぶ。この銀色の星、ひょっとしたら時間をさかのぼった地球なのかもしれない。とにかく、都会で沢山いやな目に遭って、ふるさと(宇宙)に帰る感激に財津さんは泣くのだろう。
2014年07月21日
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この曲は、福岡地方に伝わる春歌を元に財津和夫がアレンジしたものだそう。たえちゃん メインボーカル財津和夫ここは筑前福岡の xxxxx女子校の1年生その名も XXXXたえこだで秀才優れし乙女なり一途の恋に夢破れはかなくこの世を去りましたそもそも相手の男とは 福岡一の色男それには女があったゆえ 諦めきれずに頼みしは・・・(後略)-------------------------------------------さて、たえちゃんが頼ったのは何でしょうか?なお、歌詞中のXXXXはエロ本でいえばボカシ。ボカシを外したバージョンはチューリップアンソロジーに収録されている。今聞くと、ボカシがなくても特段問題ないような歌詞だが、当時はもっと慎ましやかだったのだろう。
2012年08月26日
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たえちゃんここは筑前 福岡のXXXXXXXX女子高の1年生その名もXXXXXたえこだで秀才優れし乙女なり一途の恋に夢破れはかなくこの世を去りましたそもそも相手の男とは福岡一の色男それには女があったゆえ諦めきれずに頼みしは 私のお願い聞いてよね 夢も希望もない私 どうして生きてゆけましょう 生きてゆけないこの身なら 戸棚の中の猫いらず 少し多めにこぼしてね 父さん母さん さようなら さよなら さよなら さようなら戸棚に入れし猫いらず飲んで3日はもてりしも4日の朝に息絶えてはかなくこの世を去りました(後略)-------------------------------------------九州の春歌が原曲というこの歌。そのまま歌うと音倫に引っかかるので上記歌詞のXXXXXXXはエロ本でいうぼかしが入っている。音のぼかしとは何ぞや。財津さんの絶叫とピアノ乱打の雑音。XXXXXXXもそんな大した内容じゃないんだけどね、現代からすれば。XXXXXXXの内容が知りたければ「チューリップアンソロジー」というアルバムを買ってください。無修正版の「たえちゃん」が入ってます。Chizuさん、これじゃない?
2015年08月30日
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アルバム「君のためにうまれかわろう」の1曲目。インドネシアに転勤するときにチューリップのアルバムは全部iPodに入れてもってきて、CDそのものは自宅に置いてきたので歌詞カードがなくて、作詞・作曲が誰だかわかりません。たぶん、財津和夫作詞・作曲?新しい地球をつくれ君の頭の上に 古い屋根があったらこわせ ぶちこわして空へ飛び出し 雲をみんな集めて 新しい地球をつくれ君の足の下に セメントの道があったらこわせ ぶちこわして・・・・・・・・・・・・・(略)君の目の前に 悲しい壁があったらこわせ ぶちこわして・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(略)新しい世界をつくれ----------------------------------小気味よいピアノのリズムで始まるこの曲、財津さんがメインボーカル、2番から姫野さんがコーラスというか、ツインボーカルでかっこいい。アルバム全体のコンセプトが「うまれかわること」「新しい世界に踏み出すこと」を指向している。「革命」なんて大それたことではなくて、個人ベースの小さな変化。そう気づいてみると、このアルバムコンセプトとは関係なさそうな「箱入り娘」も、箱から出て外の世界へ僕と一緒に行こうよ、という誘いだ。この曲に戻ると、こわす対象は「頭の上の古い屋根」=上からのしかかる既成の権威や権力、「足の下のセメントの道」=自然を覆う人工物、「目の前の悲しい壁」=壁を作るのは自分自身の心や考え方。2番、3番ではそれらをぶちこわしてどうしろと言うのか、実際に曲を聴いて確かめて頂きたいですが、1番の屋根をぶちこわして空へ飛び出し雲を集めて新しい地球をつくれ、というのがおもしろい。雲を集めて新しい地球をつくれ・・・金斗雲を従える孫悟空のイメージのようでもあり、今風にいえばクラウドコンピューティングのように、偏在する個の力のようでもある。あっさり3番まで歌いきって後奏もそこそこに次の佳作曲「風車」に続く。
2012年05月19日
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僕は輪廻転生を信じているので、前世もあるものと思っている。そして人間は、魂のステージを上げていくために何度もこの世という修行の場に生まれ変わっては様々な試練を経て生きて死んでいくのだと思っている。僕が信頼するスピリチュアリスト江原さんのこの本。ずばり「前世」。江原さん曰く、「私の前世はどこかの王国の王女様だったんですか?」とか言って、現世の傲慢な自分を王女様が前世だったのでそうなって当たり前と肯定してしまう人がいる。江原さん曰く、前世が何だったかというのは別に重要ではなくて、前世から現世に持ち越してきた宿題が何であるかを認識し、真正面から取り組んで解決していくことが大事だと。自分の前世から持ち越してきた宿題が何だったのかを知るための方法としてダウジングと呼ばれるスピリチュアルな方法で自分の守護霊に尋ねる方法があるそうで、この本で具体的な方法が説明されている。僕は・・・・、ダウジングは必要ないな。だって、折に触れ過去を思い出し、その意味を問い、別の価値を見いだしているから。いわば日常内観をしているから。僕はこの間満49歳になりダウジングはやったことないけれど、何となく自分の使命が見えてきた。使命が見えればその達成に向けてぶれずに前に進んでいけばよいだけの話で、きわめてわかりやすいことだ。まだ自分の課題が何であるか見えない人、自分の使命を知りたいひと、それを一人で探せない人はダウジングにより守護霊に聞いてみるのもよいと思う。
2011年02月20日
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I need you and YOU 財津和夫作詞・作曲ピアノに向かって 音を探しますメロディができると 夢が拡がりますメロディはそれだけで 心を持っています言葉や文字は いらないのです でもそれに 歌詞をつけると 奇妙な世界を さらに作り出して 僕を有頂天にします 僕を有頂天に誰もが悲しいから悲しいメロディに 悲しい歌詞は似合わない悲しいメロディには 明るい歌詞を明るいメロディには 悲しい歌詞をいつも心がけています いつも心がけて誰もが悲しいから悲しいメロディに 悲しい歌詞は似合わない 太陽があり 空気があり 植物がいて 僕らがいる なんてすばらしい 友情だろう なんて簡単な 友情だろう 簡単だから 僕らはこれを壊した この友情を 裏切った遠く暗い 静かな宇宙の狭間で僕は 生まれた 小さな町に 生まれたから 大きな街に 行きました 小さな愛が 生まれたから 大きな愛を 求めました 大きな愛を 求めたから 愛は壊れて しまいました 男らしく してみたくて 君を殴って しまいました 男らしく 見せたくて 別れを惜しまず 行いました 食わず嫌いに なりたくなくて いろんなことを やりました いろんな色を 混ぜ合わせると だんだん 黒くなるものです 生きてることは 難しい 難しいから 生きている 生きてることは 悲しいから 明るい歌を 歌いたい 生きてることは 悲しいから 青い空が 必要なんです 生きてることは 悲しいから あなたが 必要です太陽があり 空気があり植物がいて 僕らがいるなんてすばらしい 友情だろうなんて簡単な 友情だろう簡単だから 僕らはこれを壊したこの友情を 裏切ったこの友情を 取り戻さなきゃこの友情を 取り戻さなきゃこの友情を 取り戻さなきゃこの友情を 取り戻さなきゃ―――――――――――――――――――――――――――――――このアルバムのタイトル曲。財津さんの好きな「組曲」形式。異なったメロディの塊が5パターンくらい組み合わさっている。最初の歌詞は、財津さんの曲作り哲学が歌われている。昔、財津さんは著書の中で「古賀メロディの打破」をめざしているといい、さだまさしをこきおろしていた。古賀メロディは悲しい歌詞に悲しいメロディをつけて日本人に「泣け」とばかりに迫る。さだまさしも古賀メロディとやろうとしていることは一緒、というこきおろし。それで、財津さんとしては古賀政男を全然評価せず、TBSでやった服部良一の伝記ドラマで服部役を演じたりしていた。チューリップというバンド自体が古賀メロディ的な昔ながらの日本の歌謡曲に「否」をつきつけ続けた。 なお、余談ながらさだの歌手生活25周年記念アルバム「季節(とき)の栖(すみか)」ではさだがいろいろなアーティストに曲や詞の提供とか、コーラスでの参加(小田さん)とかを頼みコラボレーションしているが、財津さんにも作詞・作曲を頼んでさだがボーカルをとった「空っぽの客席」という曲が収録されている。きっと大人になったさだが、自分への過去の批判も踏まえて、大人になった財津さんに曲を依頼したのだろう。子供じみた反目はやめにしたのだろう。I need youのyouは、殴ってしまった「君」だろう。では、大文字のYOUは?大自然か地球か宇宙のことだろう。大自然、地球、宇宙に僕らは育まれたのに、僕ら人間は傲慢にもそれを破壊し続けている。僕らに差し伸べられた手を払いのけ、友情を壊した。この曲はチューリップのステージでもたびたび歌われたから、チューリップファンの間では結構ポピュラーな曲。宇宙志向に傾斜していくのはこの後のことだから、この曲がちょうど宇宙志向の芽生え期にあたるのかもしれない。まだそれほど宇宙、宇宙してない。
2016年01月25日
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急行の停まる街 財津和夫作詞・作曲バス停の混雑で さよならが聞こえないバラの花渡せずに 誕生日 別れの日窓側に立つ君は 僕の目を ずっと見つめてた抱き合った やさしさが 戻りたいと 迷わせる抱き合った 激しさが もう一度と 迷わせるデパートの屋上は この街の風が吹くキラキラと多摩川が 永遠を揺らしてた寒い日はマフラーを 見送った僕に残したね川沿いに走るバス 電車からいつも見た夕焼けに反射した 君が乗るバスの窓抱き合った やさしさが もしかしてと 迷わせる抱き合った 激しさが もう一度と 迷わせる抱き合った やさしさが 戻りたいと 迷わせる抱き合った 激しさが 戻れないと 教えてるもしかしてと 迷わせる抱き合った 激しさが もう一度と 迷わせる----------------------------------------------------------------------------このアルバムで僕が最も好きな曲。この歌の街は、二子多摩川。僕はシンガポール駐在から帰って綱島にある社宅に住んでいた。あの時はマイカーをもっていて、家族と一緒に綱島から二子多摩川のデパートに出かけていた。あのデパートは高島屋だったろうか。大きなデパートではなかったけど、1階にレストランがいくつかあって、インド料理を食べたことを覚えている。この歌詞全体があの二子多摩川の風景を彷彿させる。「デパートの屋上は この街の風が吹く」ってよくわかる。実際に屋上に上ったかどうか定かではないけれど、風の匂いもするようだ。この歌の彼と彼女のデートの場所が二子多摩川だったのだろう。彼は電車でここに来、彼女はバスでここに来る。彼女の誕生日にバラの花を抱えてきたのに、それが別れの日になるなんて、彼はさぞかしつらかったろう。多摩川沿いでは少年や青年や大人が野球をしていたり、恋人が歩いていたり、家族がピクニックしていたりしただろう。悠久の多摩川がキラキラとお日様を反射していたろう。そのおだやかさと別れのショックの対比がいい。もしかして、もう一度、戻りたい、戻れないこの「も」の四連発。財津さん、うますぎる。この歌、カラオケ「ビッグエコー」にはあって、僕は時々歌う。いい曲だ。
2019年10月28日
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ぼくは君のゴミじゃない 財津和夫作詞・作曲確かにカラスがつついても 誰も助けないでもぼくに蓋をしないで ぼくは君のゴミじゃない確かに道に落ちてても 誰も気にしないぼくに蓋をしないで ぼくは君のゴミじゃないヨークシャーテリアのように ソファの上でエンジェルフィッシュのように 水槽の中に一度でいいから君の部屋に入りたい確かに人に踏まれても 誰も咎めないでもぼくに蓋をしないで ぼくは君のゴミじゃない野菜や肉と一緒に 買い物袋で君の腕に抱かれて 近くのスーパーへそのまま「ただいま」 君の部屋に入りたい確かに誰も届けない 落し物だけどでもぼくに蓋をしないで ぼくは君のゴミじゃない--------------------------------------------------------変なタイトルの歌。さらにこの次の歌は「君もいつかはシルバーシート」だし。正直今までゴミみたいな歌だと思っていたけど、それは食わず嫌いで今回改めて歌詞を味わうと、なかなか面白いと思った。要するにぼくは吹けば飛ぶような、卑小な存在だけどゴミ扱いしないで、っていうお願い。相当に気が弱いのだろう。ヨークシャーテリアかエンゼルフィッシュになってでも君に愛玩されたい。それが高望みなら、「心の旅」の、君をボケットに詰め込んでそのまま連れ去りたいならぬ、野菜や肉と一緒に買い物袋にぼくが入って、スーパーに行ってそのまま君の部屋に戻りたい、という何ともささやかな願い。「僕はライオン」では気弱な僕がライオンに変身して君ならぬ「お前」を食べることにしたのに、そんな思い切りの良さもない。徹底的に情けない、自虐的なぼく。結構、面白い。「君」にとってはこんな男、やっぱり嫌だろうなあ。
2020年10月09日
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ご存知の方も多いと思いますが、この週末、チューリップ関係のTV番組が2本あります。1.NHK BSプレミアム 2/6(土)21:00~22:30 「伝説のコンサート チューリップ in 武道館」2.NHK BS1 2/7(土)21:00~21:50 「ザ・ヒューマン 財津和夫」1番目のチューリップライブは解散して再結成のときのものです。NHKは昔からチューリップ好きです。チューリップはお行儀のよいバンドですから、NHK向きなのでしょう。尤も、NHKもこのところ変わってきており、結構ぶっとんだ放送も多いですけど。昔やったライブは、「ふたりがつくった風景」の頃、「フィジカルソング」の頃のものを覚えています。「ふたりがつくった風景」はYoutubeで動画を検索するとライブ映像のものがそれ(NHK)です。私は土曜日の21:00は観る番組はないのでこれを観ますが、日曜日の21:00~はTBSの「天国と地獄~サイコな二人」を観ていますので、どうしようかな。NHKプラスでBS1も観られるのかな。パラビで「天国と地獄」見られるのかな、パラビで見られなくても翌週の日曜日の昼下がりに再放送やってたかな。「天国と地獄」は、「半沢直樹」→「危険なヴィーナス」の流れでそのまま見始めたものです。階段を転げ落ちて二人の体と心が入れ替わるのは、大林宣彦監督の「転校生」そのままですね。それと、高橋一生君が体と心と入れ替わるのは、昨年の秋ごろだったかNHKでやっていた、リモートで作ったドラマでありました。忘れましたけど、彼と、ムロツヨシと誰か女性と猫の体と心が入れ替わるの。一生君は猫と入れ替わるのではなかったかなあ。 チューリップファンにはどうでもよい余談でした。それでは、明日と明後日のこれら番組、お見逃しなく。
2021年02月06日
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