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久しぶりのブログ再開です!♪な~がいあ~い~だ、ま~たせてご~めん~♪ようやくブログを更新する気になりました。本当にきまぐれでごめんなさいね。今回の四日市世間遺産を紹介します。鈴鹿川派川の五味塚橋のすぐ真下。川のど真ん中にあるこの排水口はいったいなに?川が増水したら水没するんではないのかな?そしたら排水どころではなく逆流するんでないかい?
2013.01.21
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四日市市曽井町にある和泉式部化粧の水は和泉式部がこの水を使ったところ、以前からコンプレックスだったアザが綺麗になり、より美しい女性になったと言われている湧水です。私がおじゃました時にもこんこんと水が流れていて、暑い日だったのですがとても涼しく感じました。ちょうど四日市西消防署の裏(北側)あたりにあります。
2012.08.10
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この7月24日に岐阜県可児市に開局したFMラインウェーブ(FMらら)。可試聴範囲は岐阜県可児市、美濃加茂市、御嵩町を中心としています。性懲りもなく山本浩之・やまちゃんは毎週木曜日のお昼番組、ハローライン木曜日でFMららクィーンをアシスタントに喋っています。地元局の頃からクィーンに御縁があるようで、これって役得?さて、毎月1回企画コーナーの”やまちゃんの乗って残そう広見線漫遊記”。これから毎月第2木曜日の11:40~お送りいたします。私、やまちゃんのプチ珍道中。よろしくどうぞ~!今回は明智駅界隈を散策しました。残念ながら今は無人駅。結構大きな駅なのは、かつてここは八百津線の出発駅だったからなんだね。駅前広場は結構広くてバスも3社。乗り場も整備されていました。駅前広場の向こうに生活道路。かつてのスーパーらしきお店跡。私の勝手な推測ですが、この通りは昔はちょっとした商店街だったのかも知れないね。なんとなく往年のにぎわいが想像できるたたずまいです。駅から少し歩くと可児川。穏やかな川の流れでした。駅のホーム端からかつての八百津線跡を眺めました。この先に鉄道があって、往年はパノラマ特急も走っていたんだね。赤い電車が良く似合う駅です。
2012.08.08
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最近の鉄道ではもうすっかり見なくなった光景がここにあります。私が子供の頃は踏切には踏切警手という人がいて、電車が通る時に手動で踏切を降ろしたり上げたりしていました。さすがにもう手動ではありませんが、懐かしい踏切がこの踏切です。
2012.08.08
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四日市港バス停のすぐそば、向かいの四日市港税関の隣に変わった形のビルが建っているのを知っていますか?まるで四日市港の管制塔?のような形をしたビルなんです。今は使われているのかどうかははっきりしませんが、私が結構子供の頃からあったような記憶があったような・・・。よ~く見ると四日市港管理組合さんのビルなんですね。それにしてもかっこいい形してるよね。
2012.08.08
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四日市は港から発展した街です。基本は港なんです。かつて四日市港の税関があったところの向かい側、四日市港バス停のすぐそばに憩いの場所があるのを知ってますか?
2012.08.08
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なかなか満足にアップ出来なくて申し訳ありません。しばらくサボっておりましたが、これからは真面目にアップします。四日市の一里塚シリーズ最終回は采女の一里塚跡を紹介します。現在は采女のマルエイさんの正面玄関、向かって右側にひっそりと碑が建っています。残念ながら本来の位置はここではなく、国道1号線の拡幅工事の際に移動されてしまったようです。上りはここを越えると杖衝坂、下りはもう少しで石薬師。昔の旅人に思わず思いを馳せてしまいます。
2012.08.08
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四日市の中心部から旧東海道をずーっと南にくだってくるとそこは日永。中心部の赤堀周辺は江戸時代の街道風情が色濃く残っていますが、ここ日永はずいぶんと新しい住宅が建ったりして、残念ながら中心部ほどは旧東海道の面影は強くはありません。日永一里塚跡は街道沿いにあることはあるのですが、住宅の間にひっそりと建っているので、ここも見過ごしてしまいがちです。稲垣製茶さんの工場真向かいにあるので、一度見てくださいな。江戸時代だったらこの日永一里塚から、追分の鳥居さんが見えたんじゃないかなぁ。
2012.07.06
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旧東海道の四日市宿と桑名宿は少し距離があるので、その中間でひと休みする意味を持つのがここ富田。間(あい)の宿なんていう風に呼ばれていたそうな。富田の一里塚は富田の街中ではなく、少し外れた住宅街にあります。普段は生活道路として使われているであろうこのあたりは、気をつけていないとうっかり通り過ぎてしまいそうです。近くには小川が流れていて、小さな橋がかかっています。橋の名前はなんと”一里塚橋”そのまんまです。
2012.07.06
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四日市には旧東海道が通っています。その東海道に一里塚は何か所あるか知ってますか?”一里塚”と言う響きにたくさんあるように錯覚しますが、四日市市内には4か所しかありません。まずは一番市街地から近いところをご紹介。この一里塚、かつては(本当は)もっと南側にあったらしく、近代になって海蔵川拡幅の際に川の中になってしまったそうです。現在の場所に一里塚跡として作られたのは最近だそうです。こちらは海蔵川北側の旧東海道。多度神社の横を通り、国道1号線の西松屋あたりに抜けてゆきます。
2012.06.27
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おかげさまで、私のまわりでは大きな被害もなく、台風4号は過ぎて行きました。何事もなくてありがたいことです。でも続いて台風5号が来てますよ。みんなで気をつけましょうや。
2012.06.19
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台風4号の進路が心配だね。今晩あたりか明日早朝がヤマかな?こんなときこそFMよっかいちで防災情報をゲットしてくださいな。
2012.06.19
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以前、四日市尾平のイオン裏に半鐘が残っているんですと紹介しました。一昔前には町々にこういう半鐘を結構見かけてような気もしますが、最近はとんと見なくなりました。塩浜街道(旧道)を楠に向けて車を走らせて、五味塚橋を渡る手前(北詰)の交差点を東(左側)に曲がって行くと、小さな公園の角にありました、半鐘。
2012.06.15
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前回ご紹介の鈴鹿川派川のサンクチュアリのすぐ隣に、ここも本当に気持の良い場所があります。ちょうど五味塚アートの真正面、鳥達がたくさんくつろいでいます。
2012.06.15
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四日市は山あり、海あり、コンビナートあり。まさに自然と人工物のコラボレート。天気の良い日はふらっと海辺を散策するのは最高です。楠には大きな川が2本流れています。一つは鈴鹿川、そしてもう一つは鈴鹿川派川。この鈴鹿川派川の河口に海鳥達の楽園、サンクチュアリがあるんですよ。
2012.06.15
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とかく殺風景になりがちな海岸付近。楠緑地から東の方にやって来ると五味塚の海岸に突き当たります。まぁ、なんと目を見張る一面のアート!
2012.06.15
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今回からは何回かに分けて楠シリーズをお送りします。楠歴史民俗資料館の近くに楠城址があります。でも天守閣や大きなお堀なんかをイメージするとちょっと違います。天然の要塞とでも言うんでしょうか、鈴鹿川(高岡川)を背に正面には伊勢湾。今は大きな樟がサラサラと風になびいていました。
2012.06.15
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今年新たに国登録有形文化財に登録された四日市羽津の東海道沿いにある森家住居を紹介します。連子格子、大きな土蔵、立派な瓦屋根、どっしりと」した佇まい。古き良き時代、江戸~明治の近代日本の趣きいっぱいの建物です。個人のお宅なので見学はご迷惑にならないように。
2012.06.15
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お待たせしました!長い間待たせてごめん~!久々の更新です。これからまた頑張ります。しばらくの間、紹介してなかった四日市世間遺産、一挙公開です。富田の鳥出神社さんにある常夜燈(三町)を紹介します。大鳥居に向かって左側に小さめの鳥居があるんです。かつては富田の街中、駅前通り付近にあったもの。ずいぶんと年季のはいいたものですが、歴史の重みを感じます。
2012.06.15
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四日市にはかつて競馬場がありました。昔、午起~霞ヶ浦にかけては青松白砂のとても綺麗な浜が広がっていたそうです。現在の霞ヶ浦競輪場のところに競馬場があり、軍馬養成の目的で毎月県営競馬が開かれていたそうです。たくさんの四日市市民と競馬ファンの愛されていたとのこと。ただ、第二次世界大戦の戦局悪化で競馬は中止。戦後に一旦復活するも昭和25年には再度中止。昭和27年に改装されて競輪場として再スタートしました。競輪場としても歴史のあるものではありますが、かつてここが綺麗な海岸で、ここでお馬さんたちが生き生きと走っていた・・・。今、その面影を感じれるのは、競輪場の北側出入り口、自転車置き場付近にある馬頭観音の碑しかありません。
2012.04.26
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昔、富田駅前通りと旧東海道の交差するところにあった橋が豊永橋です。その名残として豊永橋の石標が現在は鳥出神社前にひっそりとあります。この豊永橋は別名”おことの橋”というニックネームがあります。現在のマルショウ化粧品店の地に嘉永年間頃、居酒屋があったそうな。その店に”おこと”という美人で客あしらいのうまい評判の女性がいたそうな。この女性の評判でちゃんと店の屋号もあったのにいつしか”おことの店”と呼ばれ、豊永橋も”おことの橋”と呼ばれたそうな。この”おこと”さん(加藤こと)は実在の人物で、浪曲”血煙荒神山”の”蛤屋の喧嘩”の蛤屋看板娘・お琴のモデルだったそうな。加藤ことさんは大正9年老衰で死去され、明治36年に長興寺に自分で建てたお墓に眠っています。さぞ、美人で素敵な女性だったんでしょうね。
2012.04.26
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昔、富田駅前通りと旧東海道の交差するところにあった橋が豊永橋です。その名残として豊永橋の石標が現在は鳥出神社前にひっそりとあります。この豊永橋は別名”おことの橋”というニックネームがあります。現在のマルショウ化粧品店の地に嘉永年間頃、居酒屋があったそうな。その店に”おこと”という美人で客あしらいのうまい評判の女性がいたそうな。この女性の評判でちゃんと店の屋号もあったのにいつしか”おことの店”と呼ばれ、豊永橋も”おことの橋”と呼ばれたそうな。この”おこと”さん(加藤こと)は実在の人物で、浪曲”血煙荒神山”の”蛤屋の喧嘩”の蛤屋看板娘・お琴のモデルだったそうな。加藤ことさんは大正9年老衰で死去され、明治36年に長興寺に自分で建てたお墓に眠っています。さぞ、美人で素敵な女性だったんでしょうね。
2012.04.26
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ずいぶんと更新がおそくなりごめんなさい。4月に入り番組改編で四日市世間遺産も朝の番組、Morning Waveで毎週金曜日の午前8時40分前後からの放送に変わりました。今後も四日市のあちらこちらを紹介します。よろしくです。今回は四日市に”桂”を最初に名乗った落語家、桂文治さんが眠っていらっしゃるという話をします。桂文治さんはおよそ200年前、旅興行の途中にこの四日市で客死、川原町にある仏性院さんに葬られました。現在は泊にある仏性院墓地にて安らかに眠っていらっしゃいます。桂文治さんは寄席を常設として初めて始めた方で上方落語中興の祖と言われているすごい人です。ちなみに戒名は”釈空海”!なんとまぁ洒落がきいてますね~。
2012.04.26
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四日市商業高校のすぐそば、イオン尾平店の裏手。尾平の街並みに入って行く直前の変則十字路の角にそれはあります。時代劇の江戸の街並みに出てきそうな半鐘。実際に使われていた(いる?)のかどうなのかはわかりませんが、最近すっかりこういうタイプの半鐘は見かけなくなったのに、なぜここにあるんだろう?知っている人がいたら教えてくださいな。ただ、ハシゴ状の鉄塔は結構立派に作ってあるし、肝心の半鐘を叩く木槌のようなものはどこにも見えないんだよな。てことは今は使われていないということ?
2012.04.05
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ここの桜も堪らなくいいんだよな。四日市在住の泗水人でもどうなんだろ、あまり行かないのでは?鹿化川沿いの千本桜。ちょうど海蔵川と十四川の中間くらいの川幅。周囲の景色も少し開けていて、開放的な感じがするんだね。鹿化川が蛇行して流れているので、桜がよ~く見えるんです!直線の川に比べると、はるかに壮観な感じがすると思います。十四川と同様に日本桜の会から表彰を受けている桜並木です。桜並木のそばには無人販売所もあったりして。風情がありますな。
2012.04.05
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四日市にはたくさんの桜の名所がありますが、その中でも5本の指の中には入るでしょうな、ここは。今回は富田は十四川の桜並木を紹介します。約1.2キロにわたって続く桜並木は愛知県の五条川の桜にだって負けませんよ。少し小さめの川なんですが、そこがまた良くて、住宅地の真ん中を流れるまさに生活河川の桜並木。とても親近感のある桜が特徴です。
2012.04.05
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旧東海道シリーズ第3弾。今回は旧東海道をさらに北進して蒔田にやって来ました。でも旧道沿いではなく、旧道から西側へ曲がり、住宅地を抜けると・・・。そこのはJR関西本線が走っています。今回はこの関西本線を支えているとても古い架動橋を紹介します。ついこの間まで(と言っても相当前になりますが)関西本線は単線でした。今回はこの架動橋も元々の単線部分を紹介します。あとから増設した複線部分は綺麗なコンクリート作りになっています。関西本線については、はっきりしたことは私はよくわかりませんが、きっと100年以上の歴史はあるんじゃないですか?なんせ鉄道省の管轄だったわけで、”省線”と呼ばれていたわけですから。おそらくその名残ではないかしらと思われる、古い架動橋がここ蒔田にあります。さすがに橋桁は取り換えられていますが、土台(橋脚)はたぶん当時のもの?築堤に積まれた石、丁寧な仕事が見てとれるレンガ積みの土台。”それがなんだ?”と言われればそれまでですが、レトロファンの私にとっては堪らなく趣のある代物です。
2012.03.28
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旧東海道シリーズ第2弾ってわけじゃないけれど、今回は旧東海道を北進して旧山城道路を横切って行くとやがて茂福町。細い弓道が急にクランクに曲がっているところがあります。左クランクの次は右クランク。その右クランクの根元付近に力石はあります。ここもふだん抜け道的に通っている人や生活道路にしている人は、まずほとんど気付かないでしょうね。大きい石は約120キロ、小さい石は19キロあります。かつてこの地域のお寺を再建する際に土台の石として寄進されたものらしいです。工事の際に休憩時間などに腕自慢の男達がきっと力比べしたんだろうね。
2012.03.28
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ここのところ多忙でなかなか更新ができなくて・・・ごめんなさい。過去のオンエアの分になってしまいますが、3話分紹介します。四日市はご存じのとおり東海道の宿場町です。当然、現在もその東海道は多少姿形を変えてはいますが、旧東海道として、生活道路として、そして国道1号線の抜け道として今も現役です。四日市は羽津に川原津の松がきちんと保存されています。四日市市内では旧東海道沿いに松を見ることができるのはたった2か所だけ。1か所は日永の松でもう1か所はここ川原津の松なんですよ。
2012.03.28
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四日市は知ってのとおり宿場町。かつては天領として栄えた街です。もちろん東海道沿いの宿場なので、参勤交代も通過したであろう街です。と言うことは、本陣と呼ばれる偉いさんのお宿があったはず。現在の旧東海道沿い、四日市市中部にある黒川農薬店さんあたり、ここがかつての黒川本陣跡なんだそうです。でもここには門の遺構はなく、実は国道1号線を挟んだ向かい側、西町に黒川本陣門の遺構が残されているんです。四日市市西町のマンションと住宅地の真ん中にひっそりとありました。現在は薬師寺さんと言うお寺の門になっています。おそらく幾度か修繕はされているんでしょうが、当時の趣はそのままです。この場所にもともとあったものなのか、それとも移築されたのか。もしこの場所だとしたら本陣はものすごく広大な広さだったことになりますが・・・。残念ながら結構荒れている感じで、案内板も何もありません。出来れば四日市市として、早急に保護しないと朽ちてしまうかも。
2012.03.15
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四日市市内にはたくさんの川が流れています。さすが泗水の里!その中でも安藤広重の絵にもなっているのが三滝川。この三滝川にかかっている橋が三滝橋と呼ばれていますが、三滝橋あたりから港方面を見た景色が”あの”安藤広重の絵になったそうです。その三滝川の堤防に万古焼を張り合わせて作った絵があるんです。北側堤防には江戸時代くらい?の四日市市街図。南側堤防には安藤広重の東海道五十三次の四日市の絵。普段よく通っているところだけになかなか気付かないよね。
2012.03.15
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四日市は”泗水の里”とも呼ばれています。ご存じのように良質な水が湧き出でる4つの井戸があったから・・・。でも残念なことに現存しているのはここ建福寺さんにあるひとつのみです。建福寺さんは中部西小学校の北側にあり、かつては四日市陣屋の周辺だったところです。建福寺さんの境内におじゃまするとまず目に入るのがこの案内板。早速”泗水の井戸”を探してみると・・・。すぐ左脇にあって目に入ったのがこの手水場なんだけど、お寺の奥様曰くこれは違いますとのこと。(間違える人が多いそうな)本物の”泗水の井戸”はお寺の裏側にあって人目につきにくいところ。私が見るにご住職さんご一家の生活空間にある感じ。大きな石をくりぬいた見事な井戸ですよ。ただ、戦禍をくぐり抜けてきただけにかなり傷みがひどく、早急な対処が必要です。”泗水の里”由来の井戸、四日市市さん、なんとか予算つけて保護しましょうよ。
2012.03.08
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四日市は昔、紡績でとても栄えた街でもありました。石油コンビナートが出来る遥か前、四日市は室山では養蚕業が盛んで、四日市の近代化は紡績によって進められたと言っても過言ではありません。東洋紡績(東洋紡)は大阪紡と三重紡績が合併して新会社と出来た会社です。当時、その本社は四日市にあり、ここ四日市工場は日本一の規模の工場でした。ここ三滝公園や北条グランドあたりが、かつての四日市工場の跡地です。今ではすっかりその面影すらありませんが、三滝公園の西側の住宅地との境目に不自然なセメントの塀があります。この塀こそが四日市の近代化を支えた東洋紡績四日市工場の名残です。
2012.03.01
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JR四日市駅に程近くの新新町、新丁通り商店街の中に不動寺はあります。街中のお寺とは思えないほど、一歩足を進めるとそこは閑寂な世界。確かに車の騒音も聞えるんだけど、一瞬街中であることを忘れるくらい。私だけかなぁ・・・パワースポットを感じますよ。その不動寺の入口、商店街の並びに山門があります。この山門の形がなかなか素敵なんですよ。ちょっと沖縄か中国か台湾か・・・そのあたりを思わせるような形なんです。昔、ものの本で読んだ記憶では、この山門の前あたりが古い四日市湊だったとか。遠い昔に思いをはせながら、一度ご参拝を。
2012.03.01
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国道には一般国道と港国道ってのがあるそうで、この国道164号線は港国道と言って、港や空港を結ぶ目的の国道なんだそうです。日本には15くらいあるらしく、そのうちのひとつがこの道路です。全長でたった3キロしかない国道で、全国的に見ても珍しい道路です。泗水人にとっては通称”柳通り”なんていう風に呼ばれたりしていて完全な生活道路の一部となっていますよね。国道1号線の中部交差点が実は終点です。(昔の弥生館の交差点ですよね)通称”柳通り”を東へ行くと国道23号線。この辺は港国道と言うよりも一般国道って言ったほうがぴったり来るよね。開栄橋を渡ると左手には”ヒラク商店”。この交差点を右に曲がって直進だよ。納屋町あたりを駆け抜けて、千歳町の交差点へ。このあたりが一番港国道らしいところ!お疲れさまでした。起点の四日市港に到着。道が空いていたら5~10分くらいの小旅行だよね。
2012.02.29
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四日市の西方にある小高い山に上に展望台のような建物があります。よーう見るとそれはお寺なんですね。色鮮やかな建物です。今回は生桑山千福寺 毘沙門天さんを紹介いたします。知っていてもなかなか行ったことないんじゃない?因みに私は初めておじゃましました。ここのお寺は伊勢七福神のひとつで、とてもありがたいお寺です。境内からは四日市を一望出来、まるで毘沙門天さんが見守ってくださってるようです。今風で言うところのパワースポット。季節がよくなったら一度訪れて見てはいかが?
2012.02.23
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今回の四日市世間遺産はうどんの角源を紹介します。四日市でうどんと言えば角源なのですが、メインは店舗ではありません。その角源で昔から使われているキャラクターって知ってる?あの黄桜酒造のかっぱと同じイラスト、同じキャラクターが使われているんですね。作者は清水昆さん。今は小島功さんが描いていらっしゃいます。決して角源さんがそう全国的な漫画のキャラクター人気にあやかったわけではなく、個人的なつながりで使用するに至ったようです。昔は今ほど商標権とかなんだとか、うるさくなかったんだね。今もオリジナルの原画などがたくさん保存してあるそうな。これってすごくない?
2012.02.17
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四日市と言えば”市”があってこその発展を遂げた街。市内各所にその”市”が今も存在するのですが、その中でも元気な市場なのがこの日永の朝市。最近は対面販売のお店で品物を買う事が少なくなりましたが、ここではやっぱり買い物の基本は対面販売だな!と改めて感じさせてくれます。新鮮な野菜やオーガニックな食品が一杯。コンビニやスーパーで買い物しかしなくなったあなた!久しぶりに市場に出かけてみてはいかがですか?新しい出会いがあるかもよ。
2012.02.16
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2月10日オンエアの四日市世間遺産のロケで生まれて初めて雪山に行って来ました。スキーもしたことがない私がスノーシューに初挑戦!!これが面白すぎてはまっちゃうよ~!!でもメタボな私は体力不足でヒーヒーでした。一方なんと凛々しいアオシマン!!思わずマイスノーシューが欲しくなっちゃうくらい。慣れると扱いはとても簡単。誰でも大丈夫。スノーシュー散策の後は山頂レストランで名物カレーうどん。そうそう、スノーシューに行く前と帰る前には、御在所ロープウェイ山頂駅内の喫茶コーナーでホットチョコ。これがなかなか体が温まって具合がいいんだよな。
2012.02.15
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かつて世の中の主たる移動手段が鉄道だった頃、列車の窓からコンビナートの煙突が見えてくると、「あー、四日市にきたんだなぁ。帰ってきたんだなぁ。」なんていう風に思ったものですよね。でも今は残念ながら車社会。車で国道を走っていて”四日市”を感じるのは、きっとこれを見たときに感じるのではないでしょうか。
2012.02.10
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私は四日市へ引っ越してきて30年以上経ちますが、列車の中から駅を見て通過したことはあるのですが、残念ながらこの駅で乗り降りしたことがありません。いつも通過する度に思っていたのですが、広大な敷地にたくさんの線路、敷地の広さのわりにはあまりに小さいホーム。なんせ昔は国鉄の伊勢線の起点だったんですよ。四日市30万人都市の街の真ん中に、これほどの過疎の地のような駅があるなんて、このアンバランスがたまらない。今は無人駅になってしまっていますが、このまま存続して欲しい駅です。
2012.02.10
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コンビナートが夜の造形美だとしたら、ここはまさに昼間の造形美を感じる場所だと思いますよ。例えていうなら近未来な世界。(あくまでイメージですよ。)工場萌えの人ならきっと堪らないポイントだよね。インフラ設備なのであまりじっくり見ていたり、写真を撮っていたりすると、きっと不審者扱いされかねないのでご注意を!でも、必見の価値ありですよ。
2012.02.07
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日常の中にこそ素敵な物が隠れていますよね。国道1号線の渋滞の抜け道として、普段よく走ってるでしょ旧東海道。赤堀の街中を流れる本当に小さな川にまたがる橋、それが落合橋です。なんの変哲もない普通の橋なんですが、この橋がまたいいんですね。幾度か修復はされているんでしょうが、レトロファンには堪りませんよ。風化した石、セメント作り(コンクリートじゃないんだよね)の欄干。竣工は昭和初期かな?それよりももっと前かな?なかなか立ち止まることはできませんが、一度じっくり見てくださいな。
2012.02.02
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この頃いつも更新が遅れてごめんなさい。今回の四日市世間遺産は四日市は赤堀にある鈴木薬局を紹介します。なんだ薬局か?って思わないでくださいよ。この鈴木薬局は創業200年以上を数え、オリジナルの薬を製造・販売している老舗なんです。200年前からと言えば、江戸時代からの営業なんですね。それも東海道の街道沿いの商家らしく、立派な佇まいなんですよ。旧東海道には数々の古いお宅が一杯ありますが、ここは群を抜いています。連子格子の美しさを是非一度見に来てもらいたいと思います。
2012.01.31
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今回の四日市世間遺産は物や場所というよりも、後世に残したい、是非みんなに知ってもらいたい景色を紹介します。国道23号線と並行して走る四日市ドームから南へ続く道ってわかるかな?海蔵川の河口に架かる橋が霞ヶ浦パークブリッジ。ここから見る河口の夕景がめっちゃ綺麗なんですよ。タイミングが合わないと難しいんだけれど、黄金色に染まったコンビナートや河口がそりゃ本当に綺麗です。こんなに日常の空間の中に素敵なところがあったんですよ。
2012.01.26
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とかく四日市というと工業都市のイメージが強いですよね。港町でありながらあまり”港”や”海”のイメージが強くありません。ましてやヨットハーバーなんていうと”えっ?”って言われそうです。でも四日市って海がすぐそばなんですよね。当たり前だけど。霞ヶ浦緑地のオーストラリア館のところにあるヨットハーバーは知っている人は知っているけれど、知らない人は知らない(当たり前か!)四日市でもちょっとおしゃれな場所で私は好きです。霞コンビナートとヨットハーバーのミスマッチ感が何とも言えない!
2012.01.20
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この間、御在所山の山頂に行ってきました。まぁ、氷曝のすごいことすごいこと。当然、山頂は雪だらけ。今年は樹氷の出来がいいんだって!山頂のスキー場では子供たちがソリで遊んでました。雪のロープウェイはなんとも言えず素敵です。夏もいいけど冬もええんやに~!
2012.01.19
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泗水人なら誰もが知っている近鉄四日市駅。この四日市駅にはあなたが知らない秘密が隠されています。近鉄四日市駅にはたくさんのホームがありますが、7、8番線ホームが欠番になっているのは知ってましたか?実は近鉄四日市駅がまだ地上駅だった頃には7、8番ホームは存在していたんです。ですが高架駅になってから7、8番ホームはなくなってしまいました。あえて言うなら7、8番線は今でも存在しているんです。(名残ですね)実は、大阪向きの引き上げ線が7番線、湯の山線の引き上げ線が8番線なのです。ホームはなくなっても”線”だけは存在する、近鉄四日市駅の秘密です。一番左の引き込み線が7番線。電車が留置されているところが8番線。
2012.01.19
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源義経公の四天王の一人と言われたすごい人の首塚があると聞き、やってきたのは川島町の住宅街の奥にある、川島神社の前。祠が田圃の真中にひっそりと、しかし存在感たっぷりにありました。私は日本史にはあまり詳しくないのですが、源義経公くらいは知っています。その家来の中で四天王の一人と言われた人が、三重県は菰野の福村の出身だったとは知りませんでした。この首塚は伊勢三郎義盛公が亡くなられたあと、その家来の方々が丁重に葬られたものだそうです。近くの西福寺に伊勢三郎義盛公の像とお墓があるそうです。川島神社前の道路には案内板もあるので、是非一度お出かけ頂いてはいかがでしょうか?
2012.01.19
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四日市から名古屋方面に向けて、国道23号線を走って行くと、霞の浜園を抜けたあたりの左側、昔からの佇まいの旅館とレストラン。ここも四日市のある意味ランドマークだろうね、ピーチレストラン。創業は戦後すぐくらいかなぁ・・・とご主人。この富田浜一帯が有名な海水浴場や浜辺だったころからの営業とのこと。そりゃもうかつてはすんごい賑わいで、お客を断ることもあったくらいだそうな。因みに今はピーチレストランは廃業されてしまったそうで、旅館の福寿館呑み営業しているとのこと。”ピーチレストラン”の”ピーチ”って”ビーチ”が正解なんじゃ?先代さんが命名の時に”ビーチ”って響きより”ピーチ”のほうが好きだった・・・。息子さんの今のご主人が言っておられました。
2012.01.12
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