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2005.11.21
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カテゴリ: カテゴリ未分類
苦しみというものから、常に人は深層で其を避けたいという防衛本能にかられる。

哲学もある意味では納得という一種の「安心感」の探求という側面を少なからず持っているとおもう。(全てがそう当てはまるわけではないが)
とりわけ宗教にからむ哲学には「救いの理念」たるものが転がってる。
カルヴァンの予定説然り、アウグスティヌスの贖罪説然り。
何か人間は昔から安心感を求めているようだ。

自分の学校は仏教、とりわけ浄土宗系の学校なので、救いはえらく他力本願(まさしくその原義のとおりなのだが)
要するに阿弥陀仏の名を唱える称名念仏を最高唯一の行とする宗派の学校で、いろいろな先生がいます。
一番衝撃を受けたのがいわばお坊さんになりたい若い女性の先生。

まぁ元から仏教色の強い環境で育った所為もあるのだろう。
ちなみに本願というのは弥勒菩薩が衆生を救うために46(正確な数字は覚えてないが)の誓いをたてたもの(らしい)。
倫理を勉強しても、果てしなく疑問符の連続であることに今も変わりはないが、一つだけ、信念を持てるようになった。

今日のHRは人権のアンケートだったんですが。
アンケート、自分には関係ないとか選択するのも腹が立ったので全部答えてやりました。
先生にお前の意見じゃとかいって堂々と発表するぞ(先生方に)っていわれたけどもう、胸張って自分はそういう考え方だっていえる確固たる物を持った。
さいきん人権人権っていったりとか、ジェンダーとかいったりとかそういう問題が一杯出てきてるけど、それって正直騒ぐには余りにも小さいことではないかなと最近思う。
もちろん、部落を例にとったとしても、部落という枠組みが最初からあって、ソレが前提で話をしていること自体が既にループに陥ってるのかもしれない。
もともとそんなもの制度がなくなればその呼称自体が意味を成さなくなるはずなのに。
それって人間の固定観念以外の何物でもない気がしないでもない。
当然差別してる側は人間の器が小さいとおもう。

ある集団の中でも、人間は十人十色というくらいだから、さまざまな価値観、思想、キャラクターを持った人間がいる。(まぁ集団の中で統一された思想はあるとしても)
もしその集団独自が持つ思想が、他の集団と衝突する場合なら、問題は両者妥協という形、もしくは緩和すべきとは思う、それはケースバイケース。
ただ、その中の個人と付き合う場合は話が全く別のような気がしないでもない。
個人間の合う合わないは別としてもだ
その人間(相手)がどのような人間なのかを認め、存在を認識する必要性が必ずあるはずだとおもう。

まず前提条件として、(都市のような過密環境では希薄になりがちだとはいえ)かかわる人間に対して、ある程度、その人の存在そのものをうけとるというもとで、そこから人間関係という物を始めるべきであろう。
だから個人というものを集団の要素として見ているのではなく、集団が個人の要素であるかのように、差別は見ているという逆転した関係が成り立ってるような印象を持つ。(ちょっと変な表現かもしれないが)
これが国家間の問題だとそう割り切るわけにも行かない状況であることは間違いないであろうけど。
大分と論点がずれた。
ある意味差別される側は差別する側からある意味ネグレクトされた存在であるに違いないとおもう。
確かに祖先が誰かで差別されるのは理不尽極まりない事であろう。
人間は生まれる場所を選択することはできないですから。(我々が知覚できる段階でだが真偽はわからない)
まず、関係性を持つに当たって、その存在を認めない、あるいは見下している時点でまず、そのままいけば平等な関係が成立するはずがない。
だから、「平等」という立場に立つということはまず、同じ枠組みに入るということだとすれば、差別される「理由」という枠組みを先ず除去することが先決であるとおもう。
ジェンダーにおいては、先ず男女というのは身体的特徴からして違うのだから全く同じ状態に合わせろというのは少々無理があるとおもう。
ただ、職業においての雇用差別などについては、出産時休職等の措置は政策、または法律という形で実現すべきではないかとおもう。
すくなくとも古典文学の桃太郎を桃子とかに変えるとかいう、過去の遺産までもを捻じ曲げたりする(少々古い話題だが)ような事をするのは江戸の敵を長崎で討つようなもので、全く見当違いな方向へ進んでることを考えると、ただの暴走に見えても仕方がない。
男性も育児に参加せよ、女性にも働く権利がある。この考え方に異論はない。
仮にも親である以上子供を育てるのは義務。
ただ、男が子供にお乳をやることはできない。(粉ミルクを使えばすむけど)
そのあたりは新しい考え方を提示すべきだとおもう。
ただ自分としては、男は仕事女は家とまではいわないが・・・・
性別を持って生まれた意味を少しは考えて欲しいと思う。

長々といったけど
最近は時代の流れが一人歩きして、その時代たらしめる考え方が確立されていないのが問題ではないのかと思う。
いまは余りに思想的に無秩序すぎるのかもしれない
そんななかで世の中に動揺が広がってゆく、その不安感を今感じ取っている人間がどれだけいるだろう

追記
後日みてみると本当にまとまりのない、結論にもなってないな(==





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Last updated  2005.11.22 23:55:59
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