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2006年11月11日
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カテゴリ: 過去の思い出
昭和33年大学卒業。奇しくも、この年に日本の伝統文化の1つ”赤線”も廃止。


大学に来る求人が少ないたため、学校内で会社の就職試験を受ける人を決めるための試験が
毎週行われていた。一流会社になると200人くらい受けて、受かった2人が初めて会社の試験を

受けられるというものだった。
私は10回くらい学内試験を受けて、1回だけ合格し、ある大手のレストランの会社の試験に行き

筆記試験には通ったものの、面接で”今の日本の経済をどう思いますか”と聞かれ、得意のマルクス経済理論でまくし立てたものだから、そこで不合格決定。

学校の就職課の担当者から、マルクス経済理論は出さず、近経で話すようにといわれていたが
そんなごまかしは潔しとせず、惚れ込んでいた”資本論”の論理で押し通した。


翌日、学校に行って、掲示板を見たら、応募者が1人もない会社の札が寂しく風にゆれていた。

よし!これに決めたと早速申し込み。後で落ち着いて募集要項を見たら、酒の問屋の営業で
固定給5000円(当時の初任給は1万~1万3千円)で後は歩合とある。

そのときの心境は、条件はどうであれ、就職できれば、後は野となれ山となれで何とかなるだろう
と気楽な気分。

その会社は、沼津市が本店でT醸造の日本酒 T 正宗を中心に扱う会社で、九段に営業所を新規に開設し、小売店の開拓に大卒3人を採用したのだ。他の2人は、拓大と東経大。

仕事は、朝7時出勤、8時半までトラックに清酒10本入りの木箱を積み込む作業。
力のいる仕事だったが、スポーツで鍛えた強靭な体には楽チンそのもの。

それが終わると、東京都酒類小売組合会員名簿と酒のサンプルを持って新規開拓に出発。
主に下町の江東区方面の小売店を片っ端から訪問するも10日過ぎても一軒も注文とれず。

注文が取れないばかりか、大きな店では、”わけのわかんない問屋なんか敷居をまたぐのも


そんなある日、深川のとある大きな店に行ったとき、またも塩をまかれ追い返され、歩いていると
その店から出てきた、大手の問屋のベテラン営業マンに声を掛けられた。

その人が親切に教えてくれたことは

1.深川地区は東京でも一番金持ちの酒屋がそろっているところで、深川に行ったら金を捨てろ
  といわれるほど厳しいところだから、お宅みたいな新規の問屋は無理だ。


  最初に娘に近ずいて親しくなりなさい。そうすれば必ず注文が取れるから。

この教えに従って、小売店を回ると、確かにほとんどの店に娘がいる。
別嬪もいれば、一方では人間離れした顔の娘もいたが、そこは目的が違うので、全て平等に

お世辞の連発、ナンパの達人技を発揮して接触したところ、信じられないくらい注文が取れだした。

過去の憂鬱な日々が嘘のように、毎日がばら色に輝きだした。
ところが、6ヶ月が過ぎようかという時にとんでもない大事件勃発でサラリーマン生活が断絶。
                                     (続く)





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最終更新日  2006年11月12日 00時25分48秒
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