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仙台営業所に赴任早々の仕事は、営業マンの採用でした。
即戦力が必要のため、ある程度営業畑の経験と素質を備えていなければならないので
地元の新聞「河北新報」に広告を掲載し、応募を呼びかけました。
まだ東北では社名も知られていないので、果たして希望者がいるかどうか不安でしたが
何とか20人ほどの応募者があり、面接することになりました。
面接の結果、最終的に2人を選びましたが、1人が病気もちだったため本人から辞退して
きて、結果1人に絞られました。
地元TG大学の柔道部出身で体もガッシリしていて明るくて素質十分でした。
地元では石を投げればTG大学出身者に当るといわれるほど、地元の企業への
就職者が多いので人脈の点でも有利と判断したわけです。
この時の読みが見事当り、20分の一のH君は仙台支店を背負って立つ営業マンとして
成長し、30年後仙台支店長となりました。
しかし彼は、3年前に他界してます。この原因の1つが彼の昇進を影で長年支援していた恩人を裏切ったことです。
そして彼の死に様を私が予言しその通りになるという因縁がありました。
このことは、私のサラリーマン生活30年の最終章で詳しく書きます。
辞退した1人のの穴埋めとして、人の紹介で応募してきた高校卒のO君の面接をしたところ
わがままな性格だったが、根性がありそうなので採用を決定。
このO君も見事な成長を見せ、仙台支店の営業部長になりました。
この彼とは奇妙な縁があって、昨年わたしが毎月参加しているクワハラグループのゴルフ会の
メンバーに同じ姓で顔がそっくりな人が入ってきたので、気になって声を掛けたら、なんと
O君のお兄さんだったのです。世間は狭いものです。
営業部員の補充が終わり、今度は女性社員の採用となりましたが、こちらは高校の新卒採用
のため女子高詣でと相成り、私のまじめな性格が幸いして2つの女子高から成績も首席、
容貌も1番のすばらしい女性を採用することが出来ました。
しかし、容貌をそろえすぎたことが、不幸を呼ぶとはこの時は微塵も考えませんでした。
女子社員採用編は次回に譲ります。