考えてみると全編を通し反権力の姿勢が貫かれていた。まっとうなことを言うのは子供たち。政治家ドン・ガバチョと資本家トラヒゲは困ったちゃん、一番の常識人が元ギャングのダンディ、国の経済は海賊トラヒゲと4人組の略奪品で回っていた。そしていつも権威を茶化す。これでは〇〇真面目な小役人にとって面白くないだろう。
1964 年の 6 月頃、トラヒゲが食料を提供しなくなったため、子どもたちはやむなく略奪に行った。それを咎めたサンデー先生に博士はこう言っている。
「先生は、一番悪いことをほっといて、責任をぼくたちに押し付けた。(中略)先生は、一番自分の自由になりやすい子どもをせめることで、物事を解決しようとしましたね」
ここまで論理的に本質を突かれると大人は何も言えない。反権力は社会的権力から先生、親の権力にも及んでいる。
1966
年、私は中3になり高校入試を目前にしていた。成績はちっとも上がらず毎日「ひょうたん島」で笑い転げていたため、親はたった15分番組の視聴を禁止した。精神主義で生きてきた時代の親だから、受験勉強もせずに笑い転げている倅を律しようとしたのだろうか。
最近「ひょうたん島」を見直し、私に芽生えつつあった反権力を抑え込もうとしたのではないかという疑念が湧いてきた。自分は子供を抑圧していなかったか、自省せずにはいられない。
またこうも思った。「ひょうたん島」の真価がわからない大人にだけはなるまいと。
ドン・ガバチョの「明日を信じる歌」で、自殺を思い留まったと言うあまりに有名なエピソードがある。私もあの番組にはどれだけ勇気づけられたか、悩み多き時代、あのあっけらかんとした明るさは救いだった。どうでも良いことに拘泥するのは止そう、何とかなると本当に思った。
子どもたちが家出した時のバイバイソングと言う挿入歌がある。初めて活字で歌詞を読んだ。
トラヒゲ
「食べるものはどうするんだ?」
テケ
「 木
の実や き
のこ さ
かなや さ
くらんぼ
すも も
やまい も
いち ご
にりん ご
そんなのいっぱい くうんだよ」
どうして同種の食べ物をまとめないのだろうと思っていたが、この詩、ちゃんと韻を踏んでいるんだな。
単なる挿入歌でも、そこまで考えられていることに気付き、今更ながら脱帽。
子どもと一緒にこの番組を見て、そんなことを教えられる親だったら、もっと尊敬したのに。
楽しみながら教育できる、惜しいチャンスを逃したものだ。
日本一暑い街に住んだ記憶 2025/09/25
世の中は予想以上に狭い かもしれない。 2024/12/08
明治マーブルチョコ 生誕63年 2024/12/05