関東からの帰り道、R6を北上。宮城県に入り程なく震災遺構の看板が見えた。今見なければいつ観られるかわからない。慌ててUターン。
児童、職員、地域住民90名の命を守り切った話に感動した。震災遺構と言うと犠牲者が多く出た施設にばかり目が向く。
しかし、考えてみれば当然ながら、犠牲者を出さなかった施設に学ぶべき点は多い。
いくつかの幸運が重なったのは事実だと思う。
・地元の意向を尊重し、地盤を2mかさ上げした。これをしなかったら水没していた可能性が高い。
・前震があったため前日に地震対策、避難方法などを職員で話し合っていた。
・屋上に瓦屋根風に見せる三角屋根があり、通常は倉庫になっていたそのスペースで一夜を過ごすことができた。
その上にリーダーであった校長が、内陸部への水平避難をせず、上方への垂直避難と自らの責任で決断したことで、全員を守り切ったと思う。その時の校長の心中は察して余りある。
ただし、ほんの少し悪い方に振れていたら・・・・・・
予報では津波高さは6m、10分後と報じられた。遠方に逃げる時間はない。津波高さ6mなら、屋上で十分助かるはずとの判断があった。ところが実際は、津波高さ10mに後刻修正され、実際に津波が来たのは1時間後だった。
もし津波高さが12mであったら、津波到達予想時刻まで余裕があり、徒歩で非難しているところに津波が押し寄せたら・・・・絶対安全とは言い切れない。
すべて悪い方向に振られてしまったのが石巻市の大川小学校だと思う。
要は用意と正確な情報、そして最後はリーダーの勇気ある決断



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