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2026.02.16
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テーマ: キャンプ(89)
カテゴリ: キャンプ
キャンプに来るたび、僕は少しだけ世界から退く。
逃げるわけでも、挑むわけでもない。
ただ、半歩だけ後ろに下がる。
そのために、わざわざ不便な場所へ来る。
テントを張り終えると、午後の光はすでに傾き始めている。
ペグを打ち込む金属音が止むと、
森の呼吸がゆっくり戻ってくる。
椅子に腰を下ろし、小さく息を吐く。
この「よし」という瞬間のために、



クーラーボックスから取り出すのは、焼き鳥の缶詰。
特別な銘柄ではない。
コンビニで買った、ごくありふれたものだ。
それを焚き火にかける。
甘辛い匂いが立ちのぼり、空気の質をわずかに変える。
家で食べれば保存食。
外で温めれば料理。
環境が、ものの価値を静かに書き換える。
カップラーメンも同じだ。
湯を注ぎ、三分待つ。
その三分間は、なぜか儀式めいている。

ラーメンは妙にうまい。
世界が少しだけ、こちら側に寄ってくる味がする。



水がうまい。
ポリタンクに入れてきた水なのに、
マグカップで飲むと、輪郭がはっきりする。

変わっているのは、僕のほうだ。
余計なノイズが削ぎ落とされ、
感覚が前景化している。
それだけで、十分に満たされる。


昼寝の時間が来る。
テントのファスナーを少し開け、風を通す。
遠くの笑い声。
鳥の短い囀り。
布地を撫でる空気。
意識は水面に浮かぶ葉のように揺れる。
深く眠るわけではない。
覚醒と微睡のあいだを往復する。
目が覚めたとき、
世界の角が少し丸くなっている。
回復というより、再調整。
この感覚のために、ここへ来ているのかもしれない。


夕方になると、小さなラジオを取り出す。
スマートフォンではなく、
あえてコンパクトなラジオ。
つまみを回すと、砂嵐が流れる。
だいたい入るのはAMのNHKだけ。
それでいい。
ニュースが流れる。
遠い街の天気予報。
交通情報。
ここから何百キロも離れた出来事が、
焚き火のそばまで届く。
世界は動き続けている。
でも僕は、ここに座っている。
その距離感が心地いい。
時間になると、ラジオ体操が始まる。
誰もいない林間サイトで、
僕はひとり腕を回す。
「はい、大きく回して」
機械的な声と、ぱちりと爆ぜる薪の音。
森の中で行うラジオ体操は、
妙に厳粛だ。
続いて英会話講座。
“Repeat after me.”
小さく復唱する。
次は中国語講座、次はロシア語だったりする。
意味は半分も分からない。
けれど音の響きが、夕暮れに溶けていく。
理解しきれない世界があることが、
かえって安心をくれる。
全部を把握する必要はないのだと。


夜が降りる。
焚き火の炎は、ただ燃えている。
生産性はない。
結論もない。
それでも目を離せない。
炎の揺らぎは、思考の輪郭を曖昧にする。
僕はビールを開ける。
冷たさが喉を通る。
時間の流れがわずかに遅くなる。
酒は酔うためというより、
一日の密度を均すための装置だ。


夜は思ったより冷える。
寝袋の足元に湯たんぽを入れる。
足先から広がる熱が、
世界との距離をちょうどよく保つ。
完全な快適ではない。
少し寒くて、でも耐えられる。
その均衡が、ここでは正しい。

豪華な料理も、特別な装備もない。
缶詰。
カップラーメン。
うまい水。
昼寝。
ラジオ。
焚き火。
酒。
そして湯たんぽ。
それだけで、世界は十分に静かになる。
キャンプとは何かを足す行為ではなく、
過剰をひとつずつ引いていく作業なのだと思う。
引き算の果てに残る、
自分の輪郭。
それを確かめるために、
僕はまた缶詰を火にかける。





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最終更新日  2026.02.16 23:44:31
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