国や指導者のつく大ウソ
バブル崩壊後の長期不況の中で、リストラの大合唱の下、希望退職、役職定年、出向、転職の勧告などが行なわれるようになりました。
リストラとは、リストラクチャリング、つまり再構築を意味するコトバだったはずなのにいつの間にか、日本の社会では、首切りの代名詞になってしまったのはなぜでしょうか。
このへんもよく見きわめないと、ズルズルと時代の渦に巻き込まれてしまいます。
日本の社会には、どうも昔から、こういうことが多過ぎるような気がします。太平洋戦争にしても、「欲しがりません勝つまでは」「燃えろ一億火の玉だ」などというアジテーションに、ほとんどの国民がだまされて、戦争の片棒をかつがされ、他国の人々を踏みにじり、自らも尊い生命、財産を奪われたのです。
戦後は戦後で、アメリカ民主主義の美名の下に核家族化、平等主義、使い捨て、工業化が推進され、本来、日本社会のもっていたはずのよさをみんな捨ててしまったのでした。
しかも、内容は、没個性を要求され、大量生産、大量消費の企業戦士にかり立てられ、家庭も顧みない、会社人間、仕事人間が養成されたのです。
国や天皇のために命を捧げろ、といわれた戦前の社会から、企業のために個性や私生活の犠牲を強いられた戦後の社会も、体質は何も変わっていなかったといってさしつかえないでしょう。
ごく最近にしても、バブル崩壊後に、金融機関、大蔵省(財務省)の護送船団方式がヤリ玉にあげられていますが、バブルの最中に、問題を指摘し、警告を発した行政官、学者、評論家、ジャーナリストがどれほどいたでしょうか。ほとんどは、尻馬に乗ってはしゃいでいたのではありませんか。もとより、私は護送船団方式がよかったといっているわけではありません。
しかし、問題が表面化してから、批判することはだれにでもできることであり、表面化する前にいち早く警告を発し、軌道修正や先手が打てるようにするのが、先駆者、識者といわれる人のつとめではないでしょうか。
そういう意味では、日本には、ありのままにものが見えて、正しい指針を示すことができる人が余りにも少ないような気がします。もっとも、日本に限らず、人間とは愚かな者、それができる人は、どこの国にも一握りの人しかいないのかも知れません。
アメリカでは、住宅関連のサブプライムローンに端を発し、さらに
根拠もない(というよりも、苦しまぎれ?)のバブル経済維持のための施策で世界中が金融不安、経済低迷に巻き込まれたリーマン・ショックは記憶に新しいと思います。これはリーマン・ブラザーズという
金融会社が、複合の(わけのわからない内容の金融商品を組み合わせて)商品を売り出し、儲かっているように見せかけ、ほとんどの欧米や日本、アジアの国々の金融機関や国家までもが、だまされて買った結果その商品の正体がばれて、パニック状態に陥ったのです。
国家や経済の中枢にある人たちが、「偉大な力」の存在を忘れて
「うまい儲け話」に乗ってしまうーこれは、実に恐ろしいことですね。
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