7月
8月
9月
10月
11月
12月
全5件 (5件中 1-5件目)
1
昨日、湯島天神に行ってきました。少しおくれた初詣と、少し勉強を見させてもらっているお子さん達と、そのご家族へのお守りを買う為に参拝してきました。ピークでは過ぎたものの、季節だけあってたくさんの人がきていました。実はこの「お守り」は、確かに理想の未来へ働きかける為の一つの「アイテム」という事は、御覧の方もご存知の通りです。このアイテムで、人の「認識」を、「未来」の方向に向けさせるわけですね。当然、その「未来」は良いモノであるわけです。余談でしたが、時間の流れの認識を「過去」からでは無く、「未来」から流れてくるという、話をしてきましたがその続きと、注意点について今回は書いてみます。「過去」にこうだったから「今」の自分は・・・ではなく、「未来」にこうなる自分だから「今」の自分は・・・へと、解釈を変えるコトは、これからの未来に向かって行く皆さんを始め、子ども達にとっても重要なコトです。それを踏まえて、その人を成長させる為に周りの「他者」が注意しなければならないコト。それは、「決して『ドリーム・キラー』になってはいけない」という事です。「ドリーム・キラー」=「Dream Killer」=「夢の殺し屋」これは、時間の流れが過去からであるという意識を持って行っている人には、よくあるパターンです。難しいのは、その御本人は、そうする事が相手にとって本気で「良い事だ」と、信じ込んでしまっているケースが多いという点です。その様な人は、今までがこうだったからこれからその人が向かう道は「良くて」こう、「普通なら」こうなる、「最悪は」こうだろう、と過去からの情報のみで判断してしまいがちです。前述したように、人は「他者からの情報」を使って自分を判断してしまいます。すると、その他者が与えてくる情報が「君は、こんなものだよ」と、セルフ・エスティームを下げてしまうような情報を送ってしまった場合、それを伝えられた本人はどう解釈するでしょうか?そうか、自分はこんなものか、だったら・・・となる道筋がみえてきます。ところがそこで良く、「いや、そうならない為に・・・」と後追いで、追加情報を流す人もいます。ただその時には、相手が「では最悪の道を避ける為に自分はこうすべき」と、自分を「客観的」に見る事ができる人かどうかを踏まえて、話さなければなりません。又加えると、過去からの情報からでしか評価されてこなかった人の周囲の環境は「親」「兄弟」「先生」、「会社の上司」「同僚」などを含めて、そう度々変化するものでは無いので、本人は「本気」で「自分はこんなもの」と認識しているケースがほとんどです。この様な、(意図的かそうでないかは別として)相手の自己評価をを下げる発言や行動をしてしまう人。この様な人を「ドリーム・キラー」といいます。では、ドリーム・キラーがいる世界で、どの様に自分の未来を理想とする方向に向けていくか。続きます。
2012.01.13
コメント(0)
「時間の流れの考え方」の続きです。「過去」→「現在」→「未来」 = ×「未来」→「現在」→「過去」= ○の、証明です。よく「過去に起こったことは変えられない」という表現がありますが、これは違います。過去は「変えられます」。例えば、今、自分が何かスポーツでも、楽器の演奏でも、とても「苦しい」と感じている練習をしているとします。今すぐにでも、この苦しい練習から逃げ出したい。そんな練習をしている自分を想像してみてください。その苦しい練習をしてきた「過去」又は練習をしている「現在」の、その練習に対する「評価」は、恐らく「マイナス」の評価になるでしょう。ところが、スポーツであれば「試合」、楽器であれば「演奏会」もしくは「コンクール」で、みなさんがとても高い「結果」又は「評価」を手に入れた時、先ほどまでしていた「練習」の「評価」はどうなるでしょうか?「あの時あの練習をしていたからこそ、この結果を手に入れる事ができたのだ!」と、評価が「プラス」になるのではないでしょうか?別に試合に勝つ事だけではありません。「苦しい」と思っていたジョギングで、「体重が目標としていた数値に到達した」時、「周りの人の自分を見る眼が変わった」になります。つまり「理想の未来」をまず最初に設定してしまえば、現状や過去の状態はいくらでも変える事ができるようになります。先日2011年度のサッカーでの最優秀選手及び監督になった澤選手、そして佐々木監督両氏の認識はもちろん、今度は次の「ロンドン・オリンピック」という「未来」へと、(とりあえずの)「ゴール」が「セット」された訳です。過去はいくらでも変えられる。まずは、「未来」=「ゴール」をセットする。そして、そのゴールを達成できる自分の「エフィカシー」を上げ、そのゴールを自分は十分達成できる能力=脳力を今の自分は持っているのだという、「セルフ・エスティーム」も上げていく。これが、子どもは及び人が成長する為の思考の「ファースト・ステップ」になるのです。ただし、この時の注意すべき事があります。この点は、又次回へ。追記:政界が「ダラしない」といわれる一方、スポーツ界では、街頭インタビューで応えていた女子高校生のように「やるな!日本人!」というシーンを眼にする事が多くなりました。先日の箱根駅伝での東洋大学の活躍も然り、ある重要な点を注意しながら上手くコーチング技術をつかう人達がスポーツ界では表れてきています。この技術は、正に「真っ白な画用紙」と例えられる、子ども達の成長にはとても有効だと思っています。
2012.01.11
コメント(0)
昨年ティナ・シーリグというスタンフォード大学の教授が著した「what I wish I knew when I was 20」(20歳の時に知っておきたかったこと)が書店に平積みされていました。お読みになった方もおられるかもしれませんが、印象に残ったものの一つに、彼女が「元手5ドルを、2時間で増やす」という授業後、「お金」を元手にする事から、「クリップ」を使って価値を増やすという授業に変えたという事が書かれていました。発想は、「赤いクリップ1本」から物々交換で最後は家を1軒手に入れた過程を載せたブログ「one red paper clip」から得たという事ですが、「お金」という「限界効用」が減らない動機付けを、「人のココロ」に変えた事に共感を覚えました。さて、前置きをやめて本題に。「時間の流れ」について前回書いてみましたが、子ども(と呼ばれる人)に限らず、大人(と呼ばれる人)にも当てはまる考え方です。人間の中には、「以前、こういう過去があった」から「今の自分があるのだ」と考える人がいます。「あの時もっと勉強しておかなかったから、今は・・・」とか、「学生の頃に真面目に練習していれば、今はプロになって・・」という、思考の流れです。御覧になられている方は、この考え方にどのような思いを持たれるでしょうか?実は、この思考は前述したヨーロッパではアリストテレスが整理したとされる「三段論法」と呼ばれるものと同じで、時間を「ある前提」=「過去」からみている思考です。「神がこの世の全てを創られた」と発想するユダヤ・キリスト教的な発想が根っこにあるのかもしれません。ところが、この「思考回路」に「本気」でハマってしまうと、「人はいつまで経っても変わらない」という論理が成り立ってしまいます。つまり、「あの時ああすれば・・・」という、過去の情報を元に考えている限りは、残念ながら「過去」に対して「現在」からは働きかけが出来ず、結果「未来」まで固定されてしまう事になります。この思考は、「今までの成績がこうだったから」とか、「君の今までの様子からすると・・・」と、同じで、大人よりも遥かに長い「未来」を持つ子どもに対して、「無意識レベル」で「制限」を「他者」が加えている事に他なりません。本人が「良かれ」と本気で思っていることが、実は「逆」の結果を生み出す原因になっている可能性が高いのです。これは、とても注意しなければいけないことで、かつての私自身もその傾向が有りました。では、その思考をどう変えていくべきか。続きは、又。
2012.01.07
コメント(0)
以前、ある保育士の方とお話をしていた時、こんな点で共通認識があったことを覚えています。それは、「『こども』と『大人』という言葉が好きではない」という認識です。「こども」も「大人」もなく、一人の「人」である。「こどもだから」、とか、「大人だから」という認識で判断を下すことがありますが、実はこの世界で生きていくときに、「こども」という言語を使うことで逆にその「人」の成長に制限を加えていることになるのではないかというものでした。これはイタリアの教育学者であったマリア・モンテッソーリの考えにも共通しています。さて、エフィカシーが低い「こども」(と呼ばれる「人」)へのアプローチの仕方ですが、その背景にある心構えは、「現在や過去に目を向けさせるのではなく、『未来』に本人の意識を向けさせる」というコトです。これは後で詳述しますが、アリストテレス含めた古い哲学の中では「時間の流れ」は1.過去、2.現在、3.未来という様に、時間が古い「過去」から始まり、今の「現在」に至り、それから「未来」に向かっていく、と考えています。まさにA=B、B=C、だからA=Cの論理です。もちろん、算数などの世界(「システム」又は「系」)の中では、この論理が成り立つことがあります。ただ、今話題にしているのは「人の育て方」の世界の中で通用する論理です。では、その世界で通用し効果的な「時間の流れ」の論理は何か?答えは、1.未来、2.現在、3.過去初めに「未来」があり、「現在」に至り、そして「過去」へと過ぎ去っていく。これが、米国では1970代ごろから普及し始め、今の日本でも少しずつ広がり始めている「コーチング」の手法を含めた、「人の育て方」です。次回は、その「心構え」・「認識」を持った上での、具体的な方法を書いてみたいと思います。追記:自分でこのブログを書きながら、「回りくどい」説明だなとも思いました。が、人間の脳に入力されているプログラムをしっかりと変える為には、「無意識」のプログラムも変える必要があります。この文章が、役に立ってくれれば、正に「幸甚の極み」デス。
2012.01.06
コメント(0)
以前「人は言語で思考している」という内容のことを書きましたが、これはとても重要な点だと思います。「言霊(ことだま)」という言葉がありますが、「霊」という漢字が使われているだけに、なにやら「神秘的」匂いを漂わせる言葉ですが、実は現代風に言い換えれば、「言霊」=「プログラム」ということになります。「プログラム」である「言語」によって、人は思考し、行動する。ということは、この言語の使い方次第で、エフィカシーやセルフ・エスティームを理想的な方向に導いてゆくことが出来るし、逆の効果を産んでしまうこともあるということになります。そこで前回の、用語テストでのケースを見てみます。エフィカシーやセルフ・エスティームを持っている子と、持っていない子の間の違いです。ここで関心を持つべき対象の子は「持っていない子」です。持っている子に関しては、自分の能力を「自分はこれだけの力はあるのだ」と判断しているので、仮に失敗しても、軌道修正を「自分で」することが可能です。ところが持っていない子に関しては、仮に前述の「出題箇所を伝えた」テストをしても、結果は伸び悩んでしまいます。この「伸び悩む」という言葉に含まれていることは、伸びる力は「充分に有る」というコトです。なぜそれがわかるかと言うと、その子達は「きっかけ」又は「刺激」を与えると、しっかりと結果を残しているからです。では、「きっかけを与え続ければ良いではないか」と、言いたいところですが、それではいつまでたっても「自分の力」で成長する事が難しくなります。(ちなみに、人が「自分の能力はこれぐらいだ」と判断して、その能力の「範囲内」でしかパフォーマンス出来なくしてしまう「無意識の力」については、後述します。)それでは、エフィカシーやセルフ・エスティームが「低い」子をどう導いて行くことで、「高めていったか?」については、又、後日。
2012.01.01
コメント(0)
全5件 (5件中 1-5件目)
1