モラルを忘れていませんか。自戒も込めて

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2008.11.07
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カテゴリ: カテゴリ未分類
(10月20日のブログに反貧困大集会のリポートを書きました)


毎日新聞に書いてあるのを見た時には、通り過ぎてしまっていたが、

山内康一衆議院議員のメールマガジンに、そのことが書いてあって、

マスメディアの取り上げること、取り上げないこと、特にテレビやラジオの

偏りというのが、一体どう考えればいいのだろうと思われたことになった。

山内議員の文章から抜粋する。
「麻生首相の指示で国の出先機関の地方農政局と地方整備局が、
廃止される方向で検討に入りました。

ぜひ前に進めるべきです。
農林水産省の地方農政局は、予算1兆円と職員1万5千人を抱え、
国土交通省の地方整備局は、予算8兆円と職員2万2千人を抱えています。
予算9兆円と職員4万人近くを国から地方へ移管すれば、
地方分権はかなりのスピードで進みます。」

国から地方への分権を進めさせる意味合いが大きい検討ということみたいである。
まだ検討段階だったのか。

実務的に、廃止されたら、職務移動する人が大量に出るのだろうから、
それもスムースに移動できるように考えるのも大変なのかも知れない。

しかし、農業は就業人口が極端に少なく高齢化し続けてきた職種である。
なにかヒントがないのだろうか。


悪いのかわからないが、人工光をあてた地下室での野菜栽培なども行われて
いるようである。

地方農政局と地方整備局がどんな仕事をしているのかが私にはわかっていないが、

それに、全てのテレビニュースなどを見るわけにはいかないが、こういうところも
解説付きでテレビやラジオが大きく取り上げてくれれば、地方の雰囲気や


インターネット時代なので、もっと真剣に考えたら、政府のサイトなども丹念に
読み込んだり、多くの政治家のサイトやブログなどを読み込んで、誰が
どういう関心で政治に取り組んでくれているのかを見なければならないかも知れないが、

テレビなどで政治家を批判する国民などは、大雑把なイメージで批判している部分が
多いと思う。

しかし、それも致し方ない面もあるかも知れない。

テレビというそれを大きく教えてくれるところも、イメージで大雑把な編集だったり
するようにも思えるからである。

しかし、基本的なイメージはテレビから受けとる。

新聞には、上記の検討課題なども書いてあったのだが。

政治家本人のブログなども、まずいことは普通は書かないだろうけれど、
なにに対して関心があるかなどは書かれているのを見ることで感じることも
あるかも知れない。

なんだか最近のニュースなど一部には、報道の裏に、冷めた笑いというか、
コバカにしているような雰囲気の、なんていえばいいのだろう、そういう見方を
潜ませながら作られているように感じるものがある。

手塚治虫の漫画にはフィクションも多いのだろうが、戦争の終わった直後には、
人の死体が横たわっているのが、何日もさらされていたような描写のある漫画
があるが、

混乱の時代を過ぎても、ホームレスが寝たまま動かない横をジョギングランナーが
通り過ぎたり、親子がキャッチボールしていることが並存してしまうのが
他の国はわからないが、日本の現状である。実際にこの目で見たからそうなのだ。

しかし、自分としても、何も出来ないまま、人生が過ぎて行く。

どんな綺麗事に包まれているような人でも、全ての人を救うような力は無いから、
ホームレスと家族の休日が並存しても、違和感が感じられないような状態が
起きてしまっている現世の現象である。

このごろのニュースも、罪から逃げたり、嘘を突き通したりする人のニュースも
多く流れている。

言葉や行為が軽く吹き飛んでいってしまう。

しかし、多くの人の良い面もたくさんあり、そのためにずっと世界が続いていることでも
あり、もっとそういう良いことの描写をこのブログでも報告できたほうが良いのだが、
良いことというか、普通にきちんと過ごしている人は、意外に文章化されなかったりする。

変なことや面白さばかりニュースにしようとすると、世の中はおかしなことだらけなのかと
なってしまうが、実際は、多くの人たちの日々の日常的な繰り返しが、世界を支えている。

地方農政局や地方整備局という、私自身がそういうところが疎いので申し訳ないが、
そういうところをどう考えるかという仕事などが、より日常に近いような話題のような
気がして、そういうニュースもテレビで大きく取り上げられるような感覚があると
今は違う雰囲気の世界になっていたかも知れないなどと思った。

私自身に出来ないことなので、無念なことであるが、なにか他にやってないような
ことが出来れば、それが多様化のための一つになる。

自分自身が何を見聞し、新たに取り入れ、過去の知識を採用し、誰に関わることで
道が開けるのか、いまだわからない。

自分自身も社会でいろいろな経験をさせてもらったが、それとともに家族のありがたみ
もある。

周囲とはいろいろ楽しいこともあったし、出会う人も楽しみや元気をくれる人であったり
する。

新しいことを成し遂げた人が実際にいるから、今の時点での多様性があるわけで、
それを出来た人と、出来ない人の差は一体どこから生じているのだろうかと思う。
そのメカニズムが分かれば、なにか創造しやすくなるかも知れない。

(社会的に貨幣を得ることの出来る時流に乗った知識と技能を習得できた人と
そうでない人という差異も大きくなってしまうのだろう。
しかし、その差異に本当はどれだけの意味合いがあったというのだろうか。)

(こういうことを書くことが負け惜しみにしか感じられないと思ってしまった人は、
いかに社会が貨幣に取りつかれたものだと密着して考える性質の人なのかも知れないし、
自分がそうなのかも知れない。)

(貨幣という、生命維持にさえ密着してしまっているとさえ考えられてしまうほどに
なってしまった生物学的には食べても栄養価値にならないものの存在とそれに
左右されてしまうことの不思議。それがなぜそうなってしまっているのか、
それを克服できるのかが知りたい。)

(自らのお金儲けまで考えた人と、全ての人が平穏に、お金に左右されずにいられる社会構造を考えようとした人では、後者のほうが、人間の知性にとって、深みや広がりを持とうとした人では無かったかと私は判断したい。そういうところまで考えようとした人というのは、たたずまいや書くこと全てがきっと高潔というか、違ったものを感じる人であっただろう。そういう人でさえ、こうして現実を全て解決できなかったが、それを望んだ、望んでいるという人に会えたらそれは貴重な体験だろう。)

勉強したとか、鍛錬したとか、勇気を出したとか、資産があったとか、

それはそうだろうとしても、もっと根本的なメカニズムで何が人をそういう方向に

持っていけたのかということである。

ただ、一人だけでは物事は進められないだろう。

周囲に関わってくる人が夢と希望を持つ人たちだったら感化されるだろう。

岩波文庫の論語から、

子の日わく、徳は孤ならず。必ずとなりあり。

先生がいわれた、「道徳は孤立しない。きっと親しいなかまができる。」

人間は、植物にしても動物にしても、他の生命を食することで生きている、はじめから
哀しく罪を背負いながらいる生き物であるが、その中からも、真善美とは何かと
いう希望は捨てずにいるものである。

多くの人は素晴らしい仲間と今日も日々を過ごしたことと思う。

そういう状態にあこがれるべきである。

良い思いが、引き付けあうのだから。

























































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Last updated  2008.11.07 19:26:31


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