モラルを忘れていませんか。自戒も込めて

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2008.12.24
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(10月20日のブログに反貧困大集会のリポートを書きました)

<ベーシック・インカム実現を一日も早く願います。>

「とてつもない日本」麻生太郎(新潮新書)の98ページから。

これまでの制度が、近代化、工業化にとって必要な、「できるだけ同じ質の能力を持つ多勢
の労働者が与えられた仕事を忠実に行うことが必要不可欠」で、「そのためには画一的な教育によって、個性をできるだけ否定した雰囲気に耐える訓練を施すのがもっとも効果的であった」

この教育が、戦後の成功を培ったということだったが、

「すでに豊かになって、衣食足りる状態を通り越し、飽食の時代となった現在でもそのままでいいのか。地方の個性が試され、価値の多様化が叫ばれる時代でもある」

ということが書かれている。


(サブプライムローンだって、ローンを受けた人以外は、住まいがある人が多くなって
しまっていて、問題を生じさせてしまったのだろう)1年間で、日本で食べ残される
食品の量は500万トン以上ではないかといわれている。どのくらいの量だろうか。
検討のつかないほど、大きいのではないか。

しかし、一方で、貧窮に困る人を生み出してしまうということになってしまっている。

麻生総理が書かれていることは、工場という、これまで豊かに日本をしてきた元と
なっていたところの変化というところに視点があったということである。
サブプライムローン問題からの波及で、もっと大変なことになってしまったが、
それまでも、日本の会社の工場が海外に移転したり、産業の空洞化が言われていた。

一方で、農業人口は衰退の一途をたどり、昔の農業の生活は、今ほどお金が無くても、
困っていない、お金とは別の、家族や共同体と、自然利用のセーフティーネットが


大企業が小さくなり、人が移動しなければならなくなった時に、受け皿があれば、
移動するというところだったのだが、移動先が無いために、苦しいことになっている。

池田勇人の高度経済成長を試みた時代には、都会のほうに受け皿がどんどん出来ていった。
しかし、今は、反対に都会に受け皿が無くなり、田舎にも新たな受け皿が用意されていない
ようなところにきている。というか、減少し続けているのだ。

独立法人産業経済研究所の山下一仁氏によると、

明治から1960年まで不変の3大基本数字といわれた農地600万ha、農家戸数600万戸、農業就業者人口1400万人は40年間でいずれも大きく減少した。農業就業者人口は280万人へ激減した。フランスでも農家は減少したが農地は減少しなかったため、平均的な農家規模はフランスでは2.5倍に拡大したのに日本では36%(北海道を除くと17%)しか拡大しなかった。」

これだけ衝撃的なことが書かれていながら、社会が戻せていなくなったことは、
お金という強迫観念を生むものに、人々の関心が移ってしまい、農業よりもお金の儲かる確実な産業に多くの人が移動し、競争して、お金を求め合い、農業以外の産業を拡大して多様化、差異化させていったからだったろうか。

餓死の危機というのは、今は、お金と農業以外の産業労働の関係が密着し、お金と交換するための食料が手に入らなくなるところから生じているが、その延長には食料危機がある。
外国との貿易がそれに関係していて余計難しいところとなっている。

明治時代から1960年まで、農業就業者が1400万人を維持していながら、
それから40年の間に、1120万人も農業から離れてしまったわけである。

こういうことは、他の人たちが20年も前から言っていたはずなのだが、
その叫びがかき消されていったまま、今も為す術がない。

山下氏のように、客観的な事実を伝えてくれる人がいるのに、その解決策を
実現してくれる人が現れない。

もちろん、私も文章をただ書くところまでで限界である。何も変えられない。

言葉に力が全くないわけではない。愛しているという表現で人は結ばれるし、
酷い言葉で自殺にまで人を追い込んでしまう言葉さえある。自殺が実は間接的な
他殺であることが気づかれていないというところもあるだろう。

しかし、せっかくの文章化された憲法25条でさえ、絵に描いた餅になってしまっていて、
守られていない部分となっている。

「1、すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

2、国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」

言葉の乱れは精神の乱れを伴う。それは長い間に、先祖として生きていった日本人の先輩たちが言葉に言霊を感じながら、創り続けてきてくれたからであったからかも知れない。

駄洒落はおやじギャグなどとも言われて、笑われるものだが、言霊を感じながら創作していった言葉たちには、精神性や美を含んでいたシニフィアン同士の関係性を潜在させているのだったかも知れない。

しかし、言葉の乱れに、身近な先輩たちは気づかなくなり、新語の感性のなんらかの危機を
予想させる表現を見逃し放置させてしまうようになった。
(私もこういう言い方でしか言えない。後からの人になにも出来ないと思う・・・
だが、私一人だから出来ないけど、多くの同年代や先輩方の気づきや行為が変わってくると
自分も協力していくことがあるかも知れない。1対1でうまく行かない相性があっても、
2対1や2対2という、第三者が加わることで、うまく行かなかった相性が変化することも
ありえると思う。しかし、それは空間時間性は一緒になっていないと、ネットなど、部分的なコミュニケーションでは特に、時間性のずれから、その間に、難しさが生じるだろう。ところが、いくら多くの人が集合するところでも、画一化の方向に行こうとしてしまう動きに
なっていったりする。現代思想の歴史の中に登場する人の誰かに、そういう課題をなんとかしようと考えた人がいるように思うのだが、私の能力不足で、勘で見ようとしているところだけである。また、その思いだけで通り過ぎてしまうかもしれない。かなりあてずっぽうで書いているブログだが、あてずっぽうそのもののままでは書くことができない)

クリスマスイブにこんな気分が沈むようなことを嫌がらせで書いているわけではなく、
問題を見て、改善をどうするかと考え、進もうとするところに、幸福があるはずならば、
楽しいことと同時に、少し言葉をずらせば無力や悲しみを感じることも無ければ、
人の暖かみも感じられないという順序が生じる。

バブルからバブル崩壊に至るまでの人が得る感性の順序と、人と人の間の少しの切なさ、
(変換される中に刹那さともあったが、漢字の場合はどういう漢字が当てられるか、
パソコン時代の場合は変換される漢字がどれだけ入っているかも大事だなと感じた)
松岡正剛さんが書かれた『フラジャイル』のような、弱さを無力さを感じるところから
感じられる雰囲気があった経過とは、空間を漂うものが、喪失的な無力感へと至る順序と生命をいとおしむ空気感を保つようなこととの違いを生じさせるような気配を感じる。

感受性の多様性が、今のお金の問題や、食料や環境の問題を解決して行く。そのためには、
そういう願いを持った上での多様性の価値観を持つ人同士の交流が可能になることの必要性
がある。だから、そこはまだ発展途上である。

こんなに長く書かなくても、今夜、いろいろな人がメリークリスマスと言い合えれば、
その可能性はあるから大丈夫なのだと思う。あとは解決できるためのスピードだけとなる。

































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Last updated  2008.12.24 18:12:21


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