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ぼくの座席の3列前の席に昨年近大の指揮をした守屋先生の姿がありました。ポップスコンサートでは学生指揮らしき女子の名がチラシにあったので、てっきり彼女が指揮をするのだと思い込んでいました。まさか、森下治郎が出てくるとは夢にも思わなかった。彼が近大を指揮して3年連続金賞を獲得したのは、もう24年も前のこと。82年のアンティフォナーレには本当にしびれた。あの格好いいフィニッシュの姿は今も鮮烈に残っている。なぜに24年も前の人を担ぎ出さねばならないのか。学生が駄目ならプロ、プロが駄目なら勝てるプロ。本当に勝ちたいのなら、復活したいのなら、ごく自然な選択だったでしょう。でも二昔も前の人をよくも覚えていたものです。そして24年ぶりに出てきた人の実力は、やはり半端なものではありませんでした。「プラハ」がこんなに恐ろしい音楽だとは思いもしませんでした。音楽を聞いて身震いするなんてそうあることではない。音程がどう、リズムがどう、バランスがどう、というような次元の音楽ではない。圧倒的な迫力、心を揺さぶる音楽、当たり前の練習をどんなに積み重ねても遠く及ばないのではないかという気すらした。 関西に住んでいる人は、絶対19日に橿原文化会館に行くべきです。得難い感動が待ち受けているに違いありません。 どういう事情か3年生以下43名で挑んだ関大も立派な演奏でした。ぼくの耳では全く問題点は見出せないほど素晴らしい演奏。事情を抱えた中でのこの演奏はちょっと信じられないくらいです。
2007年08月11日
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2年ぶりに全部聴いて、帰って結果を確かめても何も書く気がしないほど疲れました。先ず思ったのはレベルが本当に高くなったということ。兵庫県は何十年も前からレベルが高いと言われているけれど、僕自身30年聴き続けているけれど、さらにレベルの高いバンドが増えたと感じました。その証拠に金賞が10団体出ました。金賞は上から3割、という規約のようなものがあるようで、26団体だと8団体が金賞ということになる。この11年で見ると、8団体の時が7回、9団体の時が4回でした。10団体の金賞は12年前の1回だけだったのです。15年前にもあるのですがそのときは30団体の出場なので、ちょうど3割になっている。 県大会に出てくるような高校生はみんな判っている。どういう音楽がいい音楽で、どういう練習をすればいい音楽ができるかを。ぼくなんかより余程鋭い。以前隣に座っていた高校生がプログラムに○△×をつけながら聴いていたのですが、その評価は全て審査結果どおりでした。コンクールは指導者のものという感じがあるけれど、兵庫県の高校に関しては必ずしもそのままではないような感じがします。生徒の自主性、受け継がれていく感性や方法論が生徒の中に息づいている感じがする。
2007年08月10日
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今年もまたこのふしぎな曲が鳴り響きました。日本でもっとも多くの人が知っている行進曲がこの曲ではないか。野球には全く興味がないという人も多いから、案外聞いたことがないという人も多いかもしれない。でも、子供時代は夏休みだから1度や2度は聞いたことがあるという人がほとんだとも思う。吹奏楽をやったことがある人なら「星条旗よ永遠なれ」がもっとも人気のある行進曲だろうけれど、一般の人が普通の行進曲を聞く機会などほとんどない。だいたい行進曲が行進曲として演奏される機会も全くといっていいほどなくなってしまった。学校の運動会や体育祭では演奏されたりレコードが流されるかもしれない。でも、小学校ではちゃんとした行進曲が流されるか疑問、流行歌やアニメの曲がアレンジされたものが行進曲として使われる。ぼくが高校の時はちゃんとスーザの「キングコットン」が入退場に演奏された。でも、それは学校によってバラバラだから、特に知名度の高くなる曲というのは存在しないはずだ。各地のお祭りのパレードでも吹奏楽が行進曲を演奏することはあるし、国体でも演奏される、自衛隊の閲兵式等でもそうだろう。でも、それらの曲もバラバラだし、耳にする機会も多くはない。でも、この一つの曲は年に一度必ず演奏される。正確には地方大会でも演奏されるから50回。閉会式でも演奏されれば100回になる。でも放送で多くの人が聞くのは1回、1回でも毎年何百万という人が聞く。もっとも知名度が高い行進曲だと言っても間違いないと思う。そのもっとも知名度の高い行進曲の作曲者を知っている人はほとんどいない。テレビラジオでこの曲の紹介をしているのをあまり聞かない。でもぼくは、だいぶ前からこの曲を作ったのは山田耕筰だということは知っていた。そして、この曲のタイトルを知っている人はさらに少ないと思う。ぼくも、10年ほど前、この曲が入っているCDを買うまで知らなかった。ちなみに、この曲が作られたのは1935年、「全国中等学校優勝野球大会歌」として作曲された。それを作曲家自身によって行進曲に編曲されたものです。 今年も関西吹奏楽連盟(多くは高校生だと思われる)によって演奏されたけれど、本当にうらやましい。この曲はどんなに演奏したくても、関西吹奏楽連盟の選ばれた人たちしか演奏することができない。
2007年08月08日
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昨年は2時間遅れのコンビニで買ったので、午後のチケットは買えなかったのですが、今年は姫路駅前のチケットピアまで行ったので、午前、午後両方のチケットを買うことができました。発売の10時には10名くらいの人が並んでいました。いずれも県大会に出場する中学生の父兄の方のようでした。高校の部を買ったのはぼくだけでした。高校生ともなると父兄の人も尼崎まで行って応援するほどの関心は持てなくなるのでしょう。 無事チケットは買えたのですが、依然として釈然としないし納得もできない。2年前までは1000円で26チーム全ての演奏が自分の好きな席で聴くことができた。今年は3000円も出して決められた席でしか聴くことができない。内容は全く同じなのに。おかしいでしょう。なぜにこんな無茶な変化が必要なのか、連盟からはなんの説明もない。 説明がないから、ぼくは勝手に想像します。午後の部の後半になると、演奏の終わった出演者が他チームの演奏を聴くために会場に詰めかけて、満席になる。通路に座ったりしていると、消防法の規定で演奏ができなくなるので座席に座るようにと、繰り返し場内放送が響いて進行が中断される。仕方なく場内で聴くのを諦める人も出てくる。チケットを買っているのに聞けないとはどういう事だと、連盟の役員に文句を言う人はいただろう。そのための苦肉の策がこれだったのだろう。しかし、このやり方は、全くひどい対処法ではないか。なんの意図も工夫も感じられない。30年間通い続けているファンをばっさり斬って捨てて、消防法を順守する事だけを意図した、最低の方策だと言えるでしょう。その証拠に、昨年の午前の部では空席が目立った。指定券を買えなかった人もいたろうし、当日券も買えなかった人もいたはずであろう。もしすべての人が当日券を買えていたとしたら、指定券を発売する必要はなかったことになる。満員にならなかったのだから。午後の部の座席状況は見ていないのでなんともいえないけれど。でもそれとて、もっと多くの人が満足できるようなやり方はあったはずだ。指定券を買った人が全部聴くとは限らない。自分の聴きたい団体2つ3つ聴いて出ていく人も少なくない、そうするとその席は空席のままで無駄になってしまう。コンクールに指定券はそぐわない、無駄が多すぎる。座席がないから指定券を発売するというのは、コンクールにおいては全くの矛盾ではないか。午後の部は自由席は出演者だけに発売される。指定券が400枚ほどだから、1200席以上は出演者のために確保されている。ところが午前の部の出演者は650名だから、午後の部の最初は500席以上空席になっている。当然プログラムが進むに従って埋まっては行くけれど、このやり方が本当にあるべき姿なのか。出演者がほかのチームの演奏を聴くことは重要なことだとは思う。大いに勉強になる。そのことを重要視して一般客を排除することも一つの見識だとは思う。コンクールを勉強会、研修会と考えれば充分意義のあることだ。だとしても、排除の仕方を考えてほしい。自由席券を枚数を決めて窓口だけで販売すれば、値段を高くする必要もないし、遅く来て買えなかった人はいくらかでも納得できるだろうし、無駄な空席を作ることもない。 ぼくはこれからも毎年指定券を買うけれど、毎年納得できないと文句を言い続けるつもりだ。
2007年08月03日
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高校Aの部では、今年も姫路高校と琴丘高校が頭一つ抜きんでていました。姫路高校の演奏は最初から最後まで魅力に満ちていました。意味のある良い練習をがっちり積み上げてきたのがありありと見て取れました。全てのパートが自信に溢れた演奏です。特に感動したのは自由曲のクラリネットの不協和音、昔、先生が「不協和音は美しいものなんだ」と言ったことを思い出しました。クラリネットを吹いている者なら誰もが、ああいう強くて美しいクラリネット本来の音を出したいと思うでしょう。フルートも非常に骨太で艶のある音色で魅力的でした。オーボエもファゴットもサックスもみんな安定感があった。そして、それら以上に驚かされたのがトランペットとトロンボーンだ。トロンボーンに割れた音はいかなる時も必要がない、と高校時代にレッスンを受けた兵庫県警音楽隊の人から聞いたことがあります。アタックに雑音が全くない透明感のあるトロンボーンはコンクールではときどき見られる。そして今年の春聴いたワシントンウインズの演奏もこういう雑味の全くないバランスのいい音だった。トランペットのアンサンブルも惚れ惚れするくらいきれいだった。アタックに無理がなくてきれいな音色、音程も完璧だしパートのまとまり感は比類がないといってもいいくらい。バランスもいいからほかのパートともよく融和して、全く邪魔していない。 昨年も相当いいと思ったけれど、県大会ではあまりいいとは思えなかった。全くミスも悪いところもなかったのですが、金賞常連校の演奏に比べると、明らかに見劣り聴き劣りがしたのです。結果もそのとおりで銀賞。だから、今年もこれだけ素晴らしい演奏でも、県大会ではどうなるか分かりません。金賞はあくまで相対的なものですから。でもアルカイックホールを埋め尽くした聴衆の心を大いに動かすことだけは間違いない。それは、本当にものすごいことです。アマチュアでそういう経験ができるというのは、全く得難いことでしょう。音楽を好きな者にとって、音楽をしている者にとって、結局はそれが最高の目標であり目的なのですから。また12分の楽しい音楽の時間を存分に味わってほしいものです。
2007年08月01日
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15年ぶりに姫路工業高校が復活しました。姫路工業といえば20年ぐらい前までは西播地区でもっとも実力のあるクラブだった。関西大会に出場したこともある。ぼくの知っている限り、高校Aの部で西播から関西大会まで進んだのは昨年の琴丘高校と26年前の姫路工業だけ。その姫路工業が凋落したのは、吹奏楽が女子のものになってしまったからと思われます。現在はいろんな学科ができましたが、当時の工業高校といえば9割以上が男子だった。中学の吹奏楽部員の9割が女子になってしまってはどうしようもなかったでしょう。 今回は27名でSの部に出場。スウェアリンジェンの曲で、実力もまだまだですが、これだけ吹く人がいれば前途は洋々です。
2007年07月31日
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ぴあのピア、ブラームスの2週間が終わったのですが、10曲のうち7曲が初めて目にするタイトルでした。知っていた3曲のうちの一つ「パガニーニの主題による変奏曲」だって、昨年の秋「のだめカンタービレ」で初めて知ったくらい。それも最初はリストだと思っていたくらい、ブラームスのピアノ曲に関しては何も知らなかった。 ドイツ文学者の小塩節さんは「ブラームスの音楽は一言で言うと渋い、しかもピアノ音楽となると渋いけど心に沁みるんだなぁ。中味がとっても大きい、本当の音楽というのは大きくて、しかも深くてまっすぐなところ。それがブラームスに感じられるんですよ」 作曲家池辺晋一郎さんは「ブラームスは後ろ向きの作曲家だと言われる、つまり保守的で古典を受け継いだけれども次の時代を指向していないと言われるけれど、ぼくは全く正反対の意見を持っていて、随所にブラームスの実験的な試み、新しい手法を見つける事ができるとと思っているんですよね。目立って旗は振っていないけれど、実はその中でものすごく重要な未来志向の事をやっているっていうのは、その精神はぼくはすごく好きですね」 声楽家中嶋彰子さんは「大人の音、先ず瞬間的に感じますね。渋い赤ワインの味が判る人とかね、ブランディーの味が判る人とか、葉巻のいい香りが判らなければ、ブラームスも判らないだろうみたいな、そんな感じがします。人間の素晴らしさというのをすくい上げてくれてるというか、人それぞれ違うんだよ、君も大丈夫なんだよそれで、そういうところを理解してくれている作曲家ですね」 ピアニスト伊藤恵さんは「普段私達は孤独だという事を判っていても蓋をしないとなかなか生きていけないと思うんですね。どれだけ蓋をしたり、扉を閉じていても、ブラームスの寂しさとか優しさ、なんともいえない優しさですね、寂しいんだけれど、でも孤独なのは君だけじゃないよって言ってくれるような、そんな感じがするんですよね」 バイオリニスト葉加瀬太郎さんは「ブラームスの曲を練習するというのは本当に忍耐力がいります、これはバイオリンにもいえること。バイオリンの曲さらっても、さらっても、地味なんでね。ただ、その分本当に響きに味わいが出てくるんです。質のいいツィードのジャケットを見てるように、このジャケットを作るのは大変だろう、というところからスタートして、いつまできても飽きない」 バイオリニスト堀米ゆず子さんは「ブラームスは譜面に書かれている事よりは、テンポの設定とか、感情の起伏とともに速くなったり遅くなったりとかをしていい作曲家だと思いますし、何よりもドルチェとかカンタービレと書いてあるときのこちらの感情移入の仕方が、ほかの作曲家に比べると本当にもっともっとたくさんものを持っていないと説得力がないんです」と語りました。 ぼくも、クラリネットソナタやクラリネット五重奏を少し練習した事があるのですが、本当に難しかった。技術的にはさほどでもないのだけれど、音楽を演奏しているという感じがまるでしなかった。音符を音に変換しているだけのような素っ気なさ、とりつきの悪さを常に感じていました。プロの演奏家の言葉を聞いて、ようやく納得できました。素人がブラームスの味わいを出したり、感じたりする事が容易でないのは、むしろ当然の事だったのです。
2007年07月21日
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フランソワーズサガンの有名な小説、イングリッドバーグマンとアンソニーパーキンスで映画化されたときの邦題は「さよならをもう一度」、交響曲第3番の主題が効果的に使われた。46年前の映画だから、そんなの知らないと言う人が大多数でしょう。ぼくが日曜洋画劇場で見たのも、38年くらい前のこと。その頃ぼくはブラームスなんてほとんど知らなかった。せいぜいハンガリアンダンスの5番くらい。その数年後「題名のない音楽会」で6番を聴いて感動。ちょうど吹奏楽部の部室に6番が入ったレコードがあったので、家に持ち帰って繰り返し何度も聴いたものです。6番は振り甲斐のある(フェルマータやルバートが多く、テンポもコロコロ変わる)曲で、うまく振れると本当に指揮者が格好良く見える。この曲を聞くときは振らずにはいられないほど魅力的な曲です。 その次は全集のレコードの中に入っていた「大学祝典序曲」、この曲も最後が盛り上がるので、よく振る練習をした大好きな曲です。でもぼくのブラームスはこの2曲で終わった感じがします。次に聴いたバイオリン協奏曲にはちょっと面食らいました。メロディが見えない。見えないから何を振っていいか分からない。ブラームスの本質である複雑さ、緻密さ、奥深さなどが全く理解できていなかったのです。思えば最初の2曲は、ブラームスの手慰みのような曲だったでしょう。だから高校生でも難なく楽しむことができたに過ぎない。 今週からそのブラームスが「ぴあのピア」に登場したのですが、もしかしたら登場することはないのでは思っていました。ブラームスはピアノの独奏曲をあまり書いていないからです。少なくともぼくはほとんど知らない。協奏曲は2曲、ピアノ5重奏、4重奏、3重奏など室内楽は多いし、連弾曲も、ハンガリアンダンスと、16のワルツ集がある。しかし、独奏曲となると、ぼくのハードディスクに入っているのは、ピアノソナタ第3番と、ヘンデルの主題による変奏曲の2曲だけでした。もちろん、過去のプログラムでは室内楽や連弾曲も放送されたから、1週間や2週間は充分放送できることではありましょう。
2007年07月10日
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第1部 交響的序曲 ジェームズ・バーンズ カンタベリー・コラール ヤン・ヴァンデルロースト マーチ「ブルースカイ」 高木登古 ダンス・フュナンビュレスク ジュール・ストレンズ第2部 吹奏楽のための交響的音頭 兼田敏 大阪俗謡による幻想曲 大栗裕 宇宙の音楽 フィリップ・スパーク 3月に続いて、今年二度目の豊中市民会館です。このホールは特殊だという感じは以前から持っていたけど、この2回で確信を持つに至りました。このホールは吹奏楽にやさしいホールです。全部の楽器が平等によく聞こえるホールです。それはバランスを考えた演奏をしているからでは、という反論があるかもしれませんが、絶対に違うと言いたい。金管の聞こえ方が、普通の多目的ホールとは違うし、もちろんクラシック専用ホールとは大いに違う。やせて聞こえるというのではないし、遠くで鳴っているというのでもない、でも響き、残響が薄いせいか、他の楽器、特に木管の邪魔になっていない。打楽器も同じで、かなり思いきり叩いていても、木管の細かい動きは聞き取れるのです。全部の楽器の音が聞こえるから飽きないし、楽しい。こういう吹奏楽が、ぼくの好きな吹奏楽です。
2007年07月09日
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オープニングの全体演奏はやっぱり駄目。何をやってるか分かんない。全員が外野で吹いているせいかものすごく吹きにくそう、合わせにくそう。西宮でやっているときはこんなことはなかった。ものすごい残響があって本物の音とだぶって聞こえているのかもしれない。頭がこれだと、テンションが下がって乗り切れない。そしてトップバッターが近畿大学。音が向こうの方で鳴っている。迫力が全く感じられない音楽。なぜなら、これも外野で演技しているからです。最前列がセカンドベースのあたり、最後列はセンターポジションとセカンドの中間地点。どうしてそんなに下がらなければならないのか。インフィールドががらがらなのに。ほかのチームでも外野で演技しているのが多かった。おしなべて音楽は聞こえにくかったように思う。全部外野スタンドと天井の方に吸い込まれているような感じ。内野で演奏しているチームはその音量が比較的そのまま伝わっているように感じた。天井があるからといって、音が聞こえているなどとは思わないでほしい、むしろ西宮スタジアムより音の伝わり方は自然ではないし充分でもないことを認識すべきだと思う。尼崎地区も人数が多いせいで外野で演技することが多かったけれど、音量は全然大したことなかった。80人の向陽台高校の方が余程迫力のある音だった。みなさん、もっと前で演奏しましょう。自分の音が伝わらないなんて本当につまらないじゃないですか。 ということで、不満の多い前半ではあったのですが、後半は実力校が次々登場して、もやもやを一掃してくれました。向陽台高校が、横一列から一斉に動き始めたときなど涙がこぼれそうになったほどです。惚れ惚れするほど格好いい。そうなんですよ、吹奏楽というのはこんなにも格好いい。格好いいから30年もこの場に通い続けている。止められない。
2007年06月25日
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第1部 たなばた 酒井格 元禄 櫛田てつ之扶 ピッコロマーチ 田嶋 勉 光と風の通り道 栗栖健一 憧れの街 南 俊明 ブルースカイ 高木登古第2部 交響曲第2番ニ長調 より シベリウス 「アニー」よりハイライト ストラウス ミスサイゴン・ シェーンベルグ シンフォニックポートレイトアンコール 千の風になって 今年の課題曲を生で聞くのはもう4回目くらいになるのですが、初めてです。CDで聴く大阪市音楽団のイメージとほとんど変わらないすっきりした演奏は。何が違うのだろうと思う。今回の演奏では何よりバランスがバランスとして聞こえる。マーチくらい普通に吹いてりゃバランスなどは自然にできてしまうのだ、という感じが以前の演奏には見て取れた。甘く見ているということではなく、結果的にパートのまとまりがなく、バランスを決めるほどの密な練習ができなかっただけのことかもしれませんが。 トランペット9本、トロンボーン10本が全然うるさくなく、押さえがきれいにきいて他のパートを邪魔している感じがまるでない。金管が全部吹いていてもクラリネット、フルート、サックスの存在感ははっきりと認められる。基本ですよ。その基本が今までのバンドではうまくできていなかった。まだコンクールの本番には時間があるし4曲全部を演奏するわけでもないから、練習にもさほど力が入っていなかったのかもしれない。練習といえば、西宮市吹は週に3回の練習をしている。市民バンド、一般バンドで3回練習しているのはほとんどないのではないか。そして指揮者は北野先生、大阪音楽大学教授、というより今津中学校吹奏楽部出身者として尊敬する指揮者、指導者です。意味のある練習、効率的な練習を熟知した指導者です。これだけの差が出てしまうのはむしろ当然のことだったのかもしれません。
2007年06月22日
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北上発12時59分、一関着13時40分、一関発13時44分、小牛田着14時33分、小牛田発14時50分、仙台着15時35分、仙台発16時08分、福島着17時20分、福島発17時25分発、黒磯着19時18分、黒磯発19時24分、宇都宮着20時13分、宇都宮発20時27分、浦和着22時02分、浦和発22時04分、蕨着22時10分。そしてようやく蕨駅の近くのホテルにはいる。 4日目はもう帰るだけ、というわけにはいかない。蕨発6時17分、赤羽着6時25分、赤羽発6時29分、新宿着6時43分、新宿発6時48分、豊田着7寺20分。関東以外の人には中央線の豊田、といっても全くぴんとこないでしょう。立川から二つ目の駅、八王子の一つ手前にあります。住所は日野市、日野自動車の工場は駅から北へ1.5kmのところにあります。ここに今回の3つ目の目的があります。みんなの童謡で紹介された「たき火」の歌碑があるのです。場所は北口に出て西へ1kmちょっと、旭が丘中央公園の一画にある。TVに映されたそのまま、それ以上の何がある、と言う人もいるかもしれませんが、ここに来なければ見えないものが必ずあるとぼくは思っています。事実、歌碑の裏側に、作詞をした巽聖歌の略歴が記されていました。その最後に皇太子妃(現皇后様)美智子様の短歌が紹介されていました。『山茶花の咲ける小道の落葉焚き 童謡とせし人の今亡く』。美智子様は学生時代、児童文学に関心を持たれ、聖歌たちの研究会によくオブザーバー参加され勉強された。そして聖歌の創作に大変共鳴され、作品を愛された。後年、妃殿下になって施設の訪問の折りなどには聖歌の詩集を配られたそうです。この短歌は聖歌が亡くなった折りに寄せられたものです。 表裏両面の撮影を済ませれば、あとは元来た駅に戻るばかり、とはいきません。中央線の南を走っている京王線の平山城址公園駅に向かうのです。距離にして2.5km、こんどは京王沿線に用がある。調布から4つ目のつつじヶ丘駅に降り立つのは初めてではありません。以前この駅の近くに友人が住んでいて、東京に用事があったとき泊めてもらった。あれから20年近く経ってまたここに来るとは夢にも思わなかった。駅の南200mにある小さなお寺、常楽院、この住職を務めていた本多鉄麿が「おもいでのアルバム」の作曲者だったのです。お坊さんがなぜに童謡の作曲を、と不思議に思われるでしょうが、彼はお寺が経営する神代幼稚園の園長さんでもありました。さらに大学時代の4年間著名な童謡作曲家弘田龍太郎に師事していたのです。彼が残した曲は2000曲を超えるといわれています。本職は住職でもなく園長さんでもない、作曲家だったのではないか、そう思わせるほどの多作ぶりです。この歌がみんなの歌に採り上げられたのは1982年、それで一気に世間に知られることになるのですが、その10年くらい前から幼稚園や保育園の卒園式ではすでに歌われていたようで、関係者の間ではポピュラーな歌になっていた。でもこの曲が作られたのはさらにさかのぼる61年のこと、みんなの歌に採り上げられる20年も前のことだったのです。そして作曲者の本多鉄麿が亡くなったのは66年、世間にも、関係者の間にもさほど知られていない、浸透していないころでした。今ではほとんど全ての園児がこの歌を歌って卒園していく。おそらく35歳以下の日本人でこの歌を知らない、歌ったことがないという人はいないのではないかと思えます。 歌碑の撮影を終えると、最後の目的地小田原へ向かいます。小田原は北原白秋がスキャンダルのあと一時身を隠した地、小田原文学館とみみづく幼稚園に歌碑があります。そして、荻窪用水にはめだかの学校のふるさともあります。小田原城をゆっくり見学している時間はとてもとれません。
2007年06月17日
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そうこうしているうちに、予定の1時間半があっという間に過ぎてしまう。ビデオは見ていないし、試聴コーナーでも3曲くらいしか聴けなかった。全部味わうにはあと1時間は必要です。でも電車は待ってくれないので、やむなく1階へ下りる。購買部でパンフレットとテレホンカード、CD(「オリンピックマーチ」と「巨人軍の歌」が入っている第5集)を購入する。パンフレットにはレコード化された全作品のリストも載っています。そのパンフレットのタイトル(自伝のタイトルでもある)が「鐘よ鳴り響け」。 ちょっと時間に余裕を持たせて記念館をあとにします。次に向かうのは、岩手県の北上市、ここには、どういう訳かサトウハチロー記念館があります。13時01分福島発、14時36分仙台着、14時43分仙台発、16時23分一関着、17時03分一関発、17時49分北上着。そのまま駅前のホテルに入り、記念館は翌日一番に出かけます。 なぜぼくがサトウハチロー記念館に行かねばならないか。滅多に来ることのない東北に来たついで、ということはもちろんですが、ずっと前から気になっている詩があった。39年前TV番組で発表された詩。「明日は君たちのもの」という番組で今津中学校吹奏楽部が紹介されたときによまれた詩です。それから4年後ぐらいにその詩が掲載されている詩集を本屋で見つけたのですが、結局買えなかった。折りにふれ買えなかったことを後悔していたので、このさい記念館まで行けば何とかなるだろうという淡い期待を抱いてのことだったのです。 記念館は北上川の対岸にあります。駅から北へ600m、300mの橋を渡って南に1500m、周りに何もないへんぴなところにあります。ぼく以外には2500mを歩いて往復する人などいないから問題はないのでしょう。開館は10時、帰りの電車は12時59分だからたっぷり2時間以上遊べるわけです。受付のすぐ横のテーブルには販売用の詩集や伝記などの書物が並べられていました。でもぼくの目指す詩集はその中にはありません。その横に立っている書架(ガラス扉に鍵付き)の中にはハチローの詩集や著書、おそらく刊行された全てが並んでいます。もちろん「明日は君たちのもの」1巻2巻3巻揃っています。でも鍵がかかっていて手に取ることはできない。ここまできて諦めることはできないので、受付の女性に尋ねてみる。しかし答えは期待通りとはいきませんでした。
2007年06月16日
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記念館の1階の南側はサロン、くつろぎ場所であり、ミニコンサートなどが行われたりもします。その部分は吹き抜けで2階はありません。北側はロビー、カウンター、事務所があり記念品が買えるようになっています、さらに通路があってその奥は倉庫。展示室は2階にあります。写真の右側の円柱の部分が螺旋階段になっています。保管庫を除く展示スペースは14m×14mくらいで相当ゆったりしていて、天井も高く天窓から光がもれてくる。先ず目に付くのは、作曲家の仕事部屋です。和室に座卓が三つ並べられている。それぞれに五線譜と筆記用具が置かれている。忙しいときには3っつの曲を同時に作っていたということらしい。曲によって座席を移しながら書き続けたというのですから、その仕事量のすさまじさが想像できようというものです。 展示室には、絶えず古関メロディが流れています。古関裕而作品集、として100曲が5枚のCDになっていて、1階のロビーでも販売されているのですが、その中から代表的な曲が流されています。「オリンピックマーチ」「巨人軍の歌」「慶應義塾大学応援歌」などが聞かれます。試聴コーナーではその100曲がヘッドホンで聴けるようになってもいます。ぼくは時間がなくて見られなかったのですが、その横にはビデオコーナーもあって、「故郷ふくしまと古関裕而」「菊田一夫との仕事」「不滅のスポーツ音楽」等に区分し、映像で紹介されています。 東西の壁一面には、幼少期から近代まで大きく5つに分けられた略年譜と写真パネルが張られ、それぞれの時代の愛用品や記念品が展示されています。中央の陳列ケースには、自筆色紙、SPレコード、ゴールドディスク、作曲作品の楽譜等、古関裕而の活躍を紹介する数々の資料が展示されています。その中で、釘付けになった物がありました。 長崎の鐘 作詞 サトウハチロー1 こよなく晴れた 青空を 悲しと思う せつなさよ うねりの波の 人の世に はかなく生きる 野の花よ なぐさめ はげまし 長崎の あゝ 長崎の鐘が鳴る2 召されて妻は 天国へ 別れて一人 旅立ちぬ かたみに残る ロザリオの 鎖に白き 我が涙 なぐさめ はげまし 長崎の あゝ 長崎の鐘が鳴る3 つぶやく雨の ミサの音 たたえる風の 神の歌 耀く胸の 十字架に ほほえむ海の 雲の色 なぐさめ はげまし 長崎の あゝ 長崎の鐘が鳴る4 こころの罪を うちあけて 更け行く夜の 月すみぬ 貧しき家の 柱にも 気高く白き マリア様 なぐさめ はげまし 長崎の あゝ 長崎の鐘が鳴る その、詩に歌われた、本物のロザリオが目の前にあったのです。詩のモデルになった永井博士から送られた物でした。その横には永井博士からの手紙も展示されています。 「長崎の鐘」が映画となり、あなたが作曲して下さいましたあの歌が 主題歌としてその中に生きることになりました。あのメロディが発表以来ちっとも飽かれず 人々の口に親しまれて今日に至り、さらに主題歌として一層()愛唱されるだろうと思うと、うれしうございます。ほんとうに美しい曲を生んで下さいました。この曲は多くの戦争犠牲者の心にしみ入り慰め励まし 立ち上がる力を与えています。 聖霊の御恵みがあなたの()ゆたかにそそがれ 次々 名曲の生まれるよう祈りをささげます。 その前で立ちつくし、ただただ涙を流すばかりでした。
2007年06月14日
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その、古関裕而の記念館が彼の故郷、福島にできあがったのは平成元年のこと。市制施行80周年の記念事業として建設されたものです。ぼくがこのことを知ったのはずっと後になってからのことでした。たぶんパソコンを買ってからのことだと思います。丘灯至夫の記念館があるのはTV「遠くに行きたい」で見て知っていたので、それをネットで調べているときに、見つけたのだと思います。 福島まで新幹線で行くとしたら、往復43280円。いくらもっとも尊敬する作曲家の記念館とはいえ、それを見るためだけにそれだけの費用をかけるのは忍びないものがある。例によって例の如く、青春18切符に頼るしかない。ここ姫路から西へ行くと、初日は大分県の宇佐市まで行ける。東へは、餃子の町、宇都宮まで行ける。姫路発7寺21分、米原着9時50分、米原発10時09分、大垣着10時43分、大垣発10時55分、浜松着12時46分、浜松発12時53分、熱海着15時35分、熱海発15時40分、東京着17時27分。上野発17時57分、宇都宮着19時48分。12時間27分の楽しい楽しい電車の旅です。 2日目は、宇都宮発6時58分、黒磯着7寺48分、黒磯発7寺55分、福島着10時08分。32年ぶりに福島駅に降り立ちました。ほんのかすかな記憶でしかないけれど、32年前と今見る福島駅は、駅舎も、駅前の風景もまるで別世界のようでした。記念館は福島駅から北東の方に2.5km、本来ならバスに乗るべきところ、時間も何処行きかも分からないので歩くことにする。13時01分の電車に乗ればいいので、記念館ではたっぷり2時間は過ごせる計算です。駅前通を東へ、東急インの角で左へ折れて、すぐ次の角を右に折れる。5分ほど行くと大きな通りに出る、国道4号線だ。斜め左、北北東の方角へ行く。そのまま国道を行っても行けるけれど、400mほどで真北に入る道を行く、少しだけ遠回りになるけれどこちらの方が確実に行けそうな気がした。左手に市役所が見えてきた、間違いない。裁判所、NHK、郵便局を過ぎて、神社に突き当たる。突き当たれば右だ。間もなく福島音楽堂が見えてくる。そしてその隣には、ようやく独特の形状の建物が見えた。南側半分は特徴のある円錐形の屋根、これはもちろん「緑の丘の赤い屋根、とんがり帽子の時計台」で有名なラジオドラマ「鐘の鳴る丘」に因んで設計されたものです。
2007年06月11日
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ちょっとポップなアレンジにはなったけれど、今なおNHKのスポーツ番組のタイトルに使われています。この曲が最初にレコード化されたのは1949年ですからすでに58年を経過している。タイトルや作曲者は知らなくても、ほとんどの日本人が耳になじんだ曲になっています。この曲が古関裕而作曲であることを知ったのはいつのことでしょう。中学でも高校でも吹奏楽部にいたけれど楽譜は見たことがなかった。でもメディアかなんかで知識だけはその頃までには持っていたような気がします。だから大学に入ってこの楽譜が配られたときはほんとに嬉しかったのを覚えています。 でも、依頼演奏(日本生命の野球の応援)のためだったので、僅か1日の練習1日の本番だけに終わってしまって、すごく消化不良。しかも、トリオは♭が3つで、指をまちがえないようにするのが精一杯で、曲を楽しむ余裕はもちろん、ちゃんと演奏できたという感じもありませんでした。ちょうどその頃全音高い(フラットが二つ少ない)変ロ長調の楽譜が出版されていたのですが、そちらならもっと楽しみながら吹けたのではないかと思います。 この曲と同年同月にレコード化されたのが、全国高校野球大会の歌「栄冠は君に輝く」です。同じコロムビアレコードだったことからしても、1枚のA,B面だったと思われます。この歌も物心付いたときから聞いていたので、いつの間にか作曲古関裕而ということは知っていたように思う。でも作詞をした加賀大介とこの歌についてのエピソードを知ったのは、ずっと後のことでした。高校野球が一番盛り上がっていた頃、池田高校が畠山、水野の活躍で夏春連覇を果たした頃だったと思う。熱闘甲子園でそのエピソードが紹介された。作詞は公募されたものでした。1位入選したのは中村道子という若い女性、賞状を受け取る彼女の写真が紹介されました。しかしこの詩を作ったのは彼女ではなかったのです。彼女の夫である加賀大介が作詞したものでした。彼はプロの詩人、文筆家だったので、懸賞金目当てに応募したと邪推されるのを恐れて自分の妻(当時は婚約者)の名前で応募したのです。そしてその秘密はそのままにされ、それから19年後、50回大会の時にようやく公表されたのです。この詩が1位入選したのは彼がプロだったからではありません。彼も甲子園を目指す球児だったのです、しかし病気で片足を切断、その夢を絶たれてしまったのです。この詩は作られたものではなかった。彼の体の中から湧き上がってきた、心の奥底から湧き上がってきた魂の叫びだったのです。そして誰よりも、この詩で甲子園に出場したかったのです。だからこそ、名前を伏せた。 松坂大輔も斎藤佑樹も破ることができなかった三振奪取83個の大会記録を持ち続けている板東英二さんは、この歌が流れてくると直立不動になるといいます。一瞬にして49年前の自分に戻ることができるのだと言います。それだけの力を持っているのはこの歌が作られたものではないからなのでしょう。
2007年06月08日
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古関裕而作品リストに、大阪タイガースの歌は記されていません。というのも、このリストはレコードになって発売されたものに限られるからです。この歌が作られたのは昭和11年。レコードは作られたのですが、一般発売はなく、関係者に配る分だけの限定制作だったのです。 「おはようパーソナリティ中村鋭一です」という画期的なラジオ番組が始まったのは1971年。ぼくが高校に入学した年のことです。1年生の時は電車通学をしていたので7寺20分頃には家を出ていて、ほとんど聞けていなかったのですが、2年生からは自転車通学に切り替えたので、30分くらいは聞けるようになった。そこで初めて聞いたのが、阪神タイガースの歌、でした。甲子園球場ではこの歌をずっと流していたらしい。スタジアムに通うファンにはよく知られていた歌だった、でもそれ以外の場所で歌われたり、流されたりすることはほとんどなかったから、ごく限られたファン以外の人にはその存在すら知られていなかったのだ。球場では若山彰が歌うレコードが流されていたというけれど、そのレコードが売り出されていた記録もないから、曲を流そうにも、歌詞を覚えようにも、できなかったのかもしれない。この歌が関西の虎ファンの間に浸透していくのにさほど時間を必要とはしなかった。73年には中村鋭一歌唱によるレコードが発売、40万枚の驚異的なヒットを飛ばす。中村氏は参議院選挙に出馬のため77年に番組を降板したのですが、その後を引き継いだ道上洋三という人は中村氏に負けないほどの虎ファン、そして歌うパーソナリティで、この歌が廃れることはなかった。それに、選挙に落選した中村氏は昼間の番組に復帰して、ここでも、阪神が勝った翌日には必ず歌ったので、露出は2倍になった。80年には立川清登、83年=植草貞夫、85年=道上洋三、93年=唐渡吉則、94年=オマリー、など以後もさまざま歌手、グループによってレコード化され続けている。優勝セール、残念セールの頃には、あらゆる商店街、スーパー、デパートでこの曲が鳴り続けている。淀川工高は定期演奏会で必ずこの歌を演奏する。近頃では、関東でも「六甲おろし」を知らない人がほとんどいないのではないかと思えるほどになった。古関裕而が作った曲の中で、現在もっとも聴く機会の多い曲になっていることは間違いない。作られて70年以上になるのに毎日のように(最近は負けが込んでいるのでかなり減ってはいるけれど)ラジオから流れ来る曲など、ほかには考えられない。作曲者としてこれほど嬉しいことはないのではないかと想像していたのですが、本人はむしろ不快に思っていたというのです。 「大阪」を無断で「阪神」に変えられてしまった。「おおさか」につけたメロディであって「はんしん」につけたメロディではない、と言うのです。実際この部分のメロディは歌いにくくて、作曲家のキダタロー氏によれば、楽譜どおりに歌っているのは立川清登氏だけだといいます。作品リストには77年の「津和野慕情」までが記されているのですが、73年の中村鋭一歌唱による「阪神タイガースの歌」は載っていません。自分は「大阪タイガースの歌」は作曲したが、「阪神タイガースの歌」は作曲した覚えはない、という作曲家自身の強い意志によるものだったのかもしれません。
2007年06月06日
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高校の修学旅行は東北に行きました。前年まで北九州だったのですが。ぼくたちの年から、3つの候補から生徒が多数決で選ぶようになった。東北に決まったのは、若い頃スクーターで奥の細道を全部巡った古典の西川先生の影響が反映したからかもしれない。地学の桑原先生は、阿蘇の雄大な風景を見てもらいたかった、と残念がっていましたが。 初日は2班に分かれて、A班は松島へ、B班は平泉へ行きました。その後それぞれ山寺(立石寺)に向かい、蔵王温泉で合流。2日目は蔵王のお釜を見て会津若松へ、飯盛山で白虎隊の剣舞を見学し、芦の牧温泉に宿泊。3日目は裏磐梯高原でグループ行動、五色沼を散策します。そのまま裏磐梯の国民宿舎に泊まり、最終日は吾妻小富士に登りそのまま福島駅から電車に乗る。東京から姫路までは寝台列車に乗った。 特に楽しいことも思い出に残ることもない普通の修学旅行だった(吹奏楽部で指揮者になったばかりだったので、クラブのことばかり気になっていた)のですが、戻ってしばらくしてからFMから流れてきた曲にハッとなった。 高原列車は行く 作詞 丘灯至夫 作曲 古関裕而1 汽車の窓から ハンケチ振れば 牧場の乙女が 花束なげる 明るい青空 白樺林 山超え 谷超え はるばると 高原列車は行くよ2 みどりの谷間に 山百合揺れて 歌声ひびくよ 観光バスよ 君らの泊りも いで湯の宿か 山超え 谷超え はるばると 高原列車は行くよ3 峠を越えれば 夢見るような 五色の湖 飛び交う小鳥 汽笛も二人の幸せ歌う 山超え 谷超え はるばると 高原列車は行くよ ぼくたちは高原列車に乗ったわけではない。でも、まるでぼくたちの旅行を歌ったものではないかと錯覚するほどだった。そしてこの明るくて、清々しいメロディを聴くと、まるでぼくの修学旅行がこのように明るくて楽しいものであったかのような錯覚に陥ることができる。本当にいい気持ち。 『これじゃ、まるでスイスかオーストリアだ!』。自作につけられた曲を聞いて、丘灯至夫は仰天した。郷里の大先輩で、敬愛する古関裕而らしく、実にハイカラで、センスに溢れ、テンポもいい。自分が描いたイメージとはまったくかけ離れている。 しかし、聞いているうちにたまらない嬉しさがこみあげてきた。『やはり、この詩には、この曲以外にない』。そう確信がもてた。 (中略) 二年前の「あこがれの郵便馬車」に続いて、同様の歌を、という依頼を受け、即座に頭に浮かんだのが、幼少時の懐かしい記憶のある福島県猪苗代町の沼尻鉄道だった。磐梯山のすぐ東に連なる川桁山の麓を、磐越西線川桁駅から北の安達太良山麓まで走っていた鉱石運搬用の私鉄ローカル線だ。68年に廃止されるまで、沼尻、中ノ沢などの温泉への足としても利用された。豊かな地方色に満ちたその列車に、湯治のために家族と何度乗ったことだろう。 その思い出の詩が、まるでヨーロッパの登山電車のような趣をたたえて完成したのは1954年のことだった。
2007年06月05日
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家にステレオがやってきたのはそれから5年後、ぼくが中学3年生の時でした。あのカラヤンが松下電器のTechnicsのステレオのTVCMで田園を振っていた頃のこと。最初に買ったのはもちろん「田園」と言いたいところですが、本当のところは「The Sound of Music」のサウンドトラック盤でした。当時リバイバルで公開されて、ものすごく感動して、一夏で4回も見に行った。今ならDVDが1500円もだせば買える。当時はLPレコードが2300円もした時代、現在の物価にすれば10000円以上したことになる。それで音だけ、でも宝物だったですね。飽きることなく何度も何度も繰り返して聴いたものです。 その次に買ってもらったのが「名画太平洋戦争」。これは太平洋戦争を描いた画集に、LPレコードが1枚付いて、12曲の軍歌、戦時歌謡が収められたものす。それが4巻で一組になっていた。今考えてもなぜ中学生の自分がそんなものを欲しがったのか全く思い当たらない。それまでに父親が買った軍歌のレコードが何枚もあって、それらをしっかり聞いて全部歌えるくらいにはなっていたのですが、新たにレパートリーを増やそうとでも思ったのでしょうか。すでに50曲以上の軍歌のレコードがあったのですが、この48曲には知らない曲が半分以上入っていたのが魅力に感じたのかもしれません。その48曲の中で、特に気に入ったのは「決戦の大空へ」「愛国の花」「ラバウル海軍航空隊」の3曲でした。この3曲を作曲したのは、古関裕而でした。このとき、確かにはっきりと古関裕而という作曲家を認識したのです。軍歌、戦時歌謡の作曲家としての彼を。 「決戦の大空へ」は戦時中に公開された予科練を舞台にした映画「決戦の大空へ」の主題歌として作られたものです。『七つボタンは桜に錨』で有名な「若鷲の歌」はこの曲を作り終えた後、新たに曲想が浮かんでついでに書き上げたものだそうです。ところが予科練習生達にはついでに作った方が人気で、この本来の主題歌は戦後全く忘れ去られていたようです。「若鷲の歌」は寮歌のような感じで、宴会でみんなが肩を組んで歌うのに最適なのに対し、「決戦の大空へ」は西洋的なメロディでとにかくスマートで格好いい。そのスマートさは海軍そのものではあるけれど、宴会で歌うとなると、違和感があったということなのでしょう。このレコードのアレンジがまた素晴らしい。フルオーケストラの魅力をたっぷり味わえる。歌は藤山一郎、録音当時60歳くらいだったはずだけれど、歌声の若々しさ、力強さには圧倒される。 「愛国の花」は戦時歌謡の代表曲といってもいいでしょう。軍歌というと、とにかく勇ましくて景気が良い曲が多い中、この曲は全く異質で、ワルツで書かれている。内地で家族を支える妻や母親を描いた女性の歌。この曲をウィンナワルツにアレンジしたら、シュトラウス一家のそれにも増して素晴らしい曲ができたのではないかと、つくずく思ったくらい美しいメロディです。この曲が作られたのは昭和13年、太平洋戦争は始まっていませんが、こういう時代にこんなにも美しいものを産み出す作家の才能には、感嘆するほかありません。 愛国の花 作詞 福田正夫1 ましろき富士のけだかさを こころのつよい楯として 御国につくす女等(おみなら)は かがやく御代の山ざくら 地に咲き匂う国の花2 老いたる若きもろともに 国難しのぐ冬の梅 かよわい力よく協(あ)わせ 銃後にはげむ凛々しさは ゆかしく匂う国の花3 勇士のあとを雄々しくも 家をば子をば守りゆく やさしい母やまた妻は まごころ燃ゆる紅椿 うれしく匂う国の花4 御稜威(みいつ)のしるし菊の花 ゆたかにかおる日の本の 女といえど生命がけ こぞりて咲いて美しく 光て匂う国の花 彼が最初に軍歌、戦時歌謡を書いたのは昭和11年の12月。その年は91曲作った内軍歌は3曲でした。12年は89曲の内22曲、13年は53曲の内24曲、14年は43曲の内13曲、15年は28曲の内9曲、太平洋戦争が始まった16年は32曲の内14曲、17年は30曲の内、21曲、18年は13曲の内11曲、19年は14曲の内14曲、20年は5曲の内5曲。 これを見ると、昭和11年、12年から戦争は始まっていたことを改めて認識します。どうしても16年からという意識が先ずあって、廬溝橋事件に端を発した日華事変(日中戦争)はどうしても戦争、戦時下という感じがしなくて、侵攻と戦争とは別のもののように捉えてしまっていたのです。 この数字だけを見ても、作家の苦悩が見て取れるようです。戦争が進むにつれて、普通の曲が書けなくなっていく。14年には全盛期の半分しか書けていないし、翌年には3分の1しか書いていない。まだ太平洋戦争が始まっていない段階でです。最後の3年はさらに少なく、普通の曲は1曲も書けない。そういう状況になかった、音楽など書いたり、聞いたりしている場合ではなかったというのが見て取れるようです。
2007年06月04日
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初めて買ったレコード、というのがしばしば話題になる。ラジオ番組の電話テーマになったりもする。最近ではもちろんレコードではなくCDということなんでしょうが。初めて買ったといっても、子供の頃のことだから、厳密には買ってもらった、あるいはお小遣いを貯めて買ったということになるでしょう。 ぼくの場合、そのどちらとも違ったような気がする。記憶は定かではないけれど、親が買ってきたものが、すなわち、ぼくの欲しがっていたものである。つまり一家の欲しがっていたものが一致していた、という感じだったと思う。その1枚は、古関裕而の「オリンピックマーチ」。なにしろ、その電蓄(レコードプレーヤー)を買ったきっかけが東京オリンピックそのものだったからです。 東京オリンピックが終わったその年の冬休みか、翌年の夏休みに、西宮の伯母(母の姉)の家へ遊びに行ったら、カルピスの景品でもらったという、東京オリンピックの実況録音を盛んにかけていた。それは5枚組のソノシート(フォノシート)で、五輪の色に染め分けられて、入場行進や、バレーボール、体操、柔道、など日本人が活躍した種目を中心に、実況の音のみが収められている。今では考えられないでしょうが、画がなくても音だけでも、わくわくして何度も繰り返して聞いていた。その同じものが5組ぐらいあったので、もしプレーヤーを買うのなら持って帰ったら、と言われたので、家もプレーヤーを買うことになった。つまり東京オリンピックがなければプレーヤーを買うのはずっと後になっていたはずなのです。 だから、最初のレコードが古関裕而になるのは、ごく自然なことだった。演奏ははっきり覚えていないけど、消防庁音楽隊だったと思う。でもこのとき、古関裕而という作曲家をどれだけ意識していたか。たぶん、全く知らなかったし、意識することもなかったかもしれない。でも、これがぼくの最初の古関裕而体験であったことには間違いない。
2007年06月01日
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レイズというとRAISE(持ち上げる、立てる)を連想しがちですが、このバンドの意味は全く違います。励'Sが正解。「励」とは、29年前に近畿大学吹奏楽部で学生指揮者を務めた渡辺励君のことです。君としたのは、ぼくは彼と同学年だったからです。一応ライバル校だった関西大学の一幹部として、他校の吹奏楽部員で唯一名前と顔を知っていて且つもっとも意識していたのが彼だったのです。ぼくは彼のことを知っていても、彼の方は関大の平幹部(楽譜係)のことなど全く知らないと思っていたのですが、楽譜を借りに近大に行ったとき、幹部室に彼がいて彼の方から声をかけてくれた。ぼくみたいな者の名前まで知っているのがすごく不思議でびっくりした覚えがある。言葉を交わしたのはそのときが最初で最後だったのですが、その後課題曲講習会で一緒になった。そのとき、ぼくは最後に岩井直溥先生の「ポップス変奏曲かぞえうた」を自ら手を上げて振らせてもらった。初見でちょっと不安だったのですが、振り終わった後岩井先生も北西先生も目を丸くしてびっくりされてたから、彼もかなりびっくりしていたかも。その年の近大は「エルサロンメヒコ」が自由曲だったのですが、惜しくも全国大会銀賞。その翌年、今津中学が同じ曲を自由曲に選んだので、彼はずっと今津中学をコーチしていたそうです。もちろん全国大会で金賞を獲得。得津先生がコンクールに出場した最後の年に、大きく貢献したそうです。 その彼が6年前亡くなり、追悼演奏会が行われた。出身校である県立芦屋高校と近畿大学のOBが多数集まり、その中の有志によってスタートしたのがこのレイズバンドだったのです。第1部 歌劇「アイーダ」より凱旋行進曲 G・ヴェルディ サウンド・オブ・ミュージック R・ロジャース マーチ「ブルースカイ」 高木登古 ディオニソスの祭り F・シュミット第2部 バレエ組曲「三角帽子」より M・ファリャ 1 近所の人々 2 粉屋の踊り 3 終幕の踊り 幻想交響曲 H・ベルリオーズ 第1楽章 夢・情熱 第2楽章 舞踏会 第4楽章 断頭台への行進 第5楽章 魔女の夜宴の夢アンコール 美しく青きドナウ J・シュトラウス これだけの音楽を、月に1回8ヶ月の合奏練習でまとめるのは、アマチュアバンドにとって不可能のように思われたのですが、思ったほど悪くなかった。特にメインのまとまりは充分鑑賞に耐えるものだった。特製の鐘の効果は充分ではなかったけれど。ぼくは本物の西洋の鐘を使った演奏を聞いたことがあるのでその差は歴然でした。 指揮者の井上勝義君はぼくたちの1学年下の関西学院大学の学生指揮者。ローマの松を振って全国大会金賞を獲得しました。
2007年05月21日
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帰って先ずしたことはハードディスクのチェック。その中で意外だったのは、みんなの童謡で1週だけ、「背くらべ」が入っていたことです。みんなの童謡は月に1曲か2曲、つまり1曲が放送されるのは2週から5週。1回だけというのは珍しいのですが、この歌が本当に季節限定というより、この1週限定の内容だけに仕方のないことなのでしょう。むしろよく放送してくれたものだと思います。 この歌は、ぼくが童謡に関心を持つようになったきっかけの歌です。昔NHKの番組で「日本人の質問」というのがあった。その中で、この歌が問題になった。柱の傷はなぜ一昨年のものなのか、なぜ去年の傷はないのか。その解答を聞いて、この歌が全く違う印象のものになってしまいました。その内容はみんなの童謡でも字幕で紹介されたのですが、さらに詳しいお話しが、読売新聞文化部編の「愛唱歌ものがたり」に載っていたので抜粋してみます。 その朝、春樹少年に母親が頼み事をした。「春ちゃん、朝ご飯を作ったから、厚兄さんの所に届けてちょうだい」。春樹より十七歳年上の兄・海野厚(1895~1925)は近所で結核の病床にあった。だが弟は不機嫌。母の頼みを聞かず、プイと家を飛び出してしまった。静岡から東京・目黒に越してきたばかりで、気持ちは大都会の雑踏に向いていたのだ。 大久保あたりをうろついていた午前十時ごろ、兄が死んだ。二十八年十か月の命だった。「なぜあの時、弁当を届けなかったか」。春樹の心に悔やんでも悔やみきれない気持ちが残った。結核患者が弁当を一つ余計に食べたところで、寿命が延びたとは考えにくい。しかし、弟が罪悪感を強く持ったのは、兄から深い愛情を感じ取っていたからである。ほかならぬ『背くらべ』の歌詞が、兄の弟に対する愛情表現だった。 春樹は解説する。「この歌は日本の風景を一般的に描いたものではありません。兄が弟の私の気持ちに成り代わって作ってくれた具体的な歌なのです」 それを読み解くカギは、一行目の「をととし」にあるという。厚は十九歳で故郷・静岡市を離れて上京しているが、詩が「をととし」なのは、作詞当時、実際に二年間帰郷できなかった事実があったからである。 東京で俳句や童謡の世界にのめり込み、雑誌編集などに没頭していた厚は、病弱だったこともあり1919年を最後に帰郷していない。中山晋平が曲を付けてレコード化されたのが1923年5月だから、作詞したと推定される22年か23年、詩人はちょうど東京で「静岡に住む弟は、この2年でどれだけ大きくなったろう?」と想像する状況にあったという。 モデルが末弟の春樹だったという根拠は、六行目「羽織の紐のたけ」。長兄の厚には三人の妹と三人の弟がいたが、「末弟の私は小学三、四年生で、ちょうど羽織の紐が気になる年ごろだった。そして、その年齢の子どもが二年で伸びる身長が、まさに羽織の紐の長さと一致するんです」。 十九歳で上京した厚にとって、十七歳下の春樹は特別な弟だった。共に暮らす期間が短く、弟の成長は時折の帰郷で確認していた。それだけに二年も帰れなかったことが「弟も寂しがっているだろう」という気持ちをつのらせ、『背くらべ』創作へとつながった。 (中略) 追加された二番も、単なる空想ではない。静岡市曲金の厚の生家からは、実際に富士山が望めた。そして左に見える竜爪山と右にそびえる富士山は、現実に背比べをしていたのだ。 今でも、厚の生家に近く、彼も通った静岡市の西豊田小学校の校舎からは、富士山と竜爪山の背比べを望むことができる。変わったのは、校舎わきに『背くらべ』の記念碑が立ったことだろうか。 春樹は晩年、「あったかい兄さんだったなぁ」としみじみ思い出した。弁当を届けなかった後悔の念も、ずっと忘れなかった。2001年5月4日、久しぶりに背を計ってもらおうと、八十八歳で兄の元へ旅立った。
2007年05月18日
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今月のみんなの童謡は「みなと」。今日ではほとんど聞かれることがなくなってしまった珍しい歌が選ばれました。 この歌の歌碑が広島の宇品港にあることを知って、3年前の夏、会いに出かけました。歌碑の側にあった解説板には以下のように書かれていました。 『港』の歌碑建立由来記 私達が、小学校時代を連想するごとに、口ずさまれる国民唱歌の一つに「空も港も夜は晴れて・・・」の懐かしいメロディーがあります。 しかし、この歌がいつ、どこで、だれによって作られたものか忘れられ、いうなれば流浪の歌の運命をたどっていました。 ところが、昭和四十八年八月、全日本海員組合の宮城伸三氏が前任地博多から広島に赴任され、ある日、宇品の居酒屋で、たまたま同席した一老人から、この歌は宇品を歌ったものであることを聞かされました。 そこで、同氏は、広島といえば、原爆の都市という暗いイメージを与えているが、この明るく生き生きとした情緒あふれる名曲を掘り起こし、広島のイメージ・チェンジをはかるならば、今後、広島のこども達の情操教育と、海事思想普及に貢献することができるだろうと考え、地元海運関係者や有志に呼びかけました。一同これに賛意を表し、いろいろ調査研究の結果、作詞は旗野十一郎氏、作曲は吉田信太氏、場所は宇品暁橋(通称めがね橋)であることを確かめました。 その結果、数多くの人々の協力により、昭和五十七年七月二十一日、海の記念日のよき日に、地元小学生等の手によって除幕され、ただちにこの歌碑を広島県に寄贈されました。 こうして国民に親しまれました「港」の歌は流浪の旅を終え、生まれ故郷の宇品港に帰ることができました。 ○ 歌碑は船の煙突をかたどった円筒形のコンクリート製(高さ三・九米)歌詞の四十八文字は、地元三小学校の四年生による一人一文字の手書きであり「港」の字は港湾管理者宮沢県知事の自筆です。 ○ 歌碑の周囲の「いかり」は呉市、内外運輸(株)の寄贈です。 ○ 歌碑の裏面の「歌碑建立発起人一同」の文字は、建立の推進役をした全日本海員組合中国支部長の宮城氏に書いてもらいました。 ○ 建立関係の書類、除幕のアルバム、資料は末永く記念するため、ここに保存してありますから御閲覧下さい。
2007年04月14日
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昔10年以上FMエアチェックをしていて録音できなかった、スクリャービンのピアノソナタ第9番黒ミサを、再び始めて半年もたたない内に録音することができました。この曲に特に思い入れがあるわけではなく、当時エアチェックの教科書にしていた、「実践的レコードコレクション」に載っていたというだけのことです。スクリャービンという作曲家を知ったのは大学に入ってからのことです。3年生の時、当時OB会の会長をされていた嶋本先輩にお話を伺いにいったときのこと、「ぼくの一番好きな曲はスクリャービンの『法悦の詩』なんだ」と言われた。曲はおろか作曲家の名前も初めて聞いた。ちょっと恥ずかしかったので、その後すぐ梅田の大きなレコードショップに走りました。すごくマニアックな曲なのにちゃんとレコードは並んでいました。クラシックの曲はFMから録音するものだと決めていたので、数少ないレコードコレクションの1枚となっています。懐かしい思い出の1枚です。
2007年04月09日
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レイズバンドの5回目の演奏会のチラシを見て、あっ、と思った。「幻想交響曲」より1楽章:夢・情熱、2楽章:舞踏会、4楽章:断頭台への行進、5楽章:魔女たちのサバトの夢/ その昔、幻想交響曲の第3楽章は余分だ、無駄だと言った人がいる。「題名のない音楽会」で司会の黛敏郎氏がそう言ったのです。そのとき指揮者を務めていた岩城宏之氏は、なんという暴言を吐くんだと、くってかかる勢いだったのですが、黛氏はその反論を笑顔で受け流していました。ぼくは、そのどちらに賛成することもなくぼんやりその光景を見つめていました。と言うのも、ぼくは幻想交響曲を全曲通しで聴いたことがほとんどなかったのです。録音は持っていたけれど、吹奏楽では4楽章と5楽章が演奏されることが圧倒的に多かったので、レコードもいつもその二つの楽章ばかり聴いていたのでした。その放送があったすぐ後に、大阪音楽大学のオーケストラがその幻想交響曲を演奏する機会があったので、見に行った。それをじっくり見て聞いて、なるほどとひざを打つ思いでした。黛氏の意見がす~っと胃の腑に落ちていった。第3楽章は主題がはっきりしない。はっきりしないままだらだら延々と続いていく。5楽章の中で一番長い時間を要する。第1楽章と第2楽章を合わせた時間は20分ちょっと、第4楽章と第5楽章を合わせた時間は15分ちょっと、それに対し第3楽章は20分近くもある。第3楽章がなければ35分で終わるのに、全部演奏すると55分もかかる。第3楽章がなければもっと名曲になったかもしれないと真面目に思ったものです。
2007年04月04日
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今朝の朝日の一面にフェスティバルホール解体のニュースが載っていました。フェスティバルホールとグランドホテルの入っている新朝日ビルと四つ橋筋を挟んだ大阪朝日ビル、朝日新聞ビルが全て解体され、超高層ツインタワーになる。フェスティバルホールは08年秋に閉館し、同じ2700席の規模で、13年度完成予定のビル内に新装オープンする。 場所も規模も、たぶん音響も同じで一安心なのですが、丸5年間のブランクはやはりぽっかり穴が開いてしまったという感じです。関学は兵庫県立芸術文化センターがあるけれど、近大と淀工はどうするのでしょう。おそらく、ザ・シンフォニーホールということになるんでしょうが。
2007年04月03日
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第1部 A Sonng for Kwansei 山田耕筰 序曲「春の猟犬」 Aリード コンサートマーチ「風と光の通り道」 栗栖健一 マーチ「ブルースカイ」 高木登古 「ダフニスとクロエ」第二組曲より Mラベル第2部 お勝手変奏曲 ダンシングクィーン 安里屋ユンタ ウルトラ大行進 ニューシネマパラダイス ショーほどすてきな商売はないアンコール リトルマーメイドより ピッコロマーチ 2部ではあとタイトルが分からない曲が3曲ありました。曲名はお楽しみでパンフレットに載せないのはいいのですが、アンコールと同様にロビーに張り出しておいてほしいものです。 昨年のこの演奏会で、2年生指揮者に首をひねりっぱなしだったのですが、1年たって大幅に改善されていました。平均運動からきっちりした叩きへ移行していました。もちろん完全な形ではありませんが、2年3年でマスターできるようなものではないから今のレベルでも文句は言えません。ただ、1部が終わった段階で、う~ん、とうなってしまいました。いろんな思いがあって、それをうまく表現できない。やっぱり関学に対しては期待がありすぎるのか、という感じです。それと、音楽というのは本当に一筋縄ではいかないというのを改めて考えさせられました。 ピッコロマーチを生で聴くのは3回目ですが、やはり,Fのトランペットの合いの手はうまくいきませんでした。この1stトランペットは伴奏でも対旋律でも合いの手でもないと、ぼくは思っています。主旋律、メロディであり、この曲の1番のハイライトです。合いの手から2番3番が加わってオブリガートの動きになり主旋律に移行していくこの変化は最高の快感です。でもこの単純なタカタッタッターが本当に難しい。この曲はほかに難しいところはないから、この部分がうまくいかないと曲全部が駄目になってしまうような感じがする。
2007年03月26日
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昨日は午後1時から11時までFMで、そのタイトルどおり吹奏楽三昧。すでに所有している曲がほとんどではあるのですが、ぼくの録音はFMからカセットテープに録音して、さらにそれをハードディスクにダビングしたものがほとんどなので音質がいまいち、なので昨日放送されたほとんどの曲を直接ハードディスクに収めました。家になかった曲は、ジェイガーの「第二組曲」、真島俊夫の「鳳凰が舞う」、清水だいすけの「セレブレイト」、ヒンデミットの「交響曲」、スパークの「センチュリオン」、オスターリングの「バンドロジー」、ルディンの「詩のない歌」、グラハムの「ゲイルフォース」、そして「行進曲海兵隊」。ぼくはおそらく500曲以上の行進曲の録音を持っている。もしかしたら1000曲以上かもしれない。なのにぼくが吹奏楽を始めて最初に演奏したこの曲がないことに気づいて、愕然となった。
2007年03月22日
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第1部 グローバル・バリエーション N・ヘス フィンランド民謡組曲 JVd・ロースト アンデルセン組曲 S・ヒュルガーア第2部 ケベック~北のラプソディー JVd・ロースト 交響的情景「地底旅行」 P・グレイアム 交響詩「マゼラン」 F・フェルランアンコール ピッコロマーチ 田嶋勉 マーチ「ブルースカイ」 高木登古 昨日の今日だったので、やはりトランペットの聞こえ方が全然違いました。80名編成で11本のトランペットと8本のトロンボーン。ラッパが吹けば即ラッパが主役の音楽になってしまうのです。それで当たり前だし普通じゃないか、多くのバンドがこのようなバランスで吹いているはずだし。でも確実にそのときは木管の多くが死んでしまっている、ラッパが休んでいるときだけ木管の音が普通に聞こえるというのでは、音楽の旨みが充分表現できているとは言えない。ワシントン大の演奏ではトランペットが吹こうが吹こまいが常に木管は聞こえていたし、主役の座に座り続けているという感じもあった。こういう音楽を作るのはたやすいことではない。練習時間が充分とれない市民バンドは特に難しくなる。その中で、どれだけ工夫できるか、質の高い音楽に近づけるかが重要なのでしょう。でもラッパ吹きというのは概して目立ちたがり屋ですから、出番になればとにかく思い切り吹きたがる。少ない出番、少ない練習の中で必要以上に調整されたり押さえ込まれたりするのは、耐え難いことかもしれない。日頃のうっぷんを晴らすために吹きに来ているのに、それがアマチュアの特権なのに。
2007年03月19日
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前日近畿大学との演奏会があったのですが、帰宅時間が1時間以上遅くなって帰ってこられないかもしれないので、神戸公演を見ることにしました。第1部 滝川第二高等学校吹奏楽部 フラッシングウインズ JVdロースト ピッコロマーチ 田嶋勉 コンサートマーチ「光と風の通り道」 栗栖健一 憧れの街 南俊明 マーチ「ブルースカイ」 高木登古 ステージマーチングショウ第2部 ワシントン大学ウインドアンサンブル スラロム Cペン オールナイト ビジル より Sラフマニノフ シンフォニーNo3 シェイカーライフ Dウェルチャー ナジム・アラビー 松尾善雄 ブルックリン ブリッジ Mダウティ ラプソディ イン ブルー Gガーシュイン ブルックリンブリッジは4楽章のクラリネット協奏曲ですがそのうち3つの楽章が演奏されました。オールナイトビジルも3つの楽章の内1つの楽章が演奏されました。ほかにもプログラムに載っていた「バロンシミティエールズマンボ」と「フィニッシュライン」は演奏されませんでした。それでも終わったのは9時20分。アンコールもなくあっさり終了です。でも、全然飽きなかった。ものすごく聞きやすく疲れないサウンドなのです。トランペットとトロンボーンのバランスが不思議とも言えるものでした。木管が吹いているときは絶対吹きすぎることはない。ほとんどpかmpという感じ。自分たちがメロディでもそうだ。伴奏の人たちも充分聞こえるように気を遣っているかのようだ。普通逆です。伴奏がメロディを殺さないように押さえる。それが間違いだということが分かる。それだと伴奏がメロディに殺されがちになる。伴奏とはいっても楽譜に書かれている音符は全て聞こえるべきなのだ。メロディと伴奏は対等、それでいて自分の存在感もはっきり示している。吹き過ぎなくてもいいし目立とうとする必要もない、こういう理想的なバランスを過去聴いたことがあったろうかという感じです。
2007年03月18日
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第1部 ゴッドスピード! S.メリロ 主こそ我が望み D.R.ギリングハム アンティフォナーレ V.ネリベル第2部 クラリネット五重奏 C.M.ウェーバー ラテン・フィエスタ 鈴木英史編曲第3部 交響組曲“GR” 天野正道 「地球が静止する日」 団員数は70名以上で、五重奏の伴奏はその半分くらいに減らしてはいるのですが、それでもまだまだうるさすぎました。なんといっても弦楽四重奏ですから。木管楽器10本くらいでちょうど良かったかもしれません。ブラスバンドにはコンチェルトの伴奏は無理だ、特に木管楽器の協奏曲は辛いと常々思っているのですが、恰好の見本だったでしょう。初めからそれを見越して舞台に近い席に座ったので、ソロの音は充分聞こえました。相変わらず上田希さんは完璧でした。伴奏があれだけうるさいと相当吹きにくかったはずですが、それでも全く揺るぎのない完璧なテクニックを披露してくれました。 演奏の後インタビューがあって、その中で彼女は、「自分は音美人ではない、容姿は生まれつきでどうにもならないように、音色も思ったように変えるのは相当難しい。でも、自分の気に入った吹き方というものを見つけるのは難しいことではない。気に入った音色を求めるのではなく気に入った吹き方を求めながら勉強しているのだ」と言いました。この言葉はアマチュアにとっても福音と言えるものです。特にバンドに属していないぼくなどは、聞かせる相手がいないのだから、自分自身を喜ばせるような吹き方が見出せないと、吹く意味がなくなって続けられなくなってしまう。
2007年03月05日
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第1部 フォーマルステージ ギャラクシーズ P.グレイアム 素晴らしき3つの冒険 P.スパーク 1.海底2万マイル 2.気球に乗って5週間 3.80日間世界一周 歌劇「トゥーランドット」より“誰も寝てはならぬ”G.プッチーニ 喜歌劇「こうもり」セレクション J.シュトラウス第2部 ゲストステージ 阪急百貨店吹奏楽団 序曲「フィンガルの洞窟」 F.メンデルスゾーン カレリア組曲より「行進曲風に」 J.シベリウス第3部 カジュアルステージ KOYODAIスウィングストーリー 杉本幸一編曲 マーチアルバム スクールミュージシャン W.ベーブ 木陰の散歩道 E.F.ゴールドマン アメリカ野砲隊 J.P.スーザ 「ウエスト・サイド・ストーリー」セレクション L.バーンスタイン ジョギング・アラウンド・ザ・ワールド 杉本幸一編曲アンコール ありがとう 恋のぺこりレッスン グッド・フェローシップ・マーチ 前から5番目のサックスに近い席だったので全体のバランスはあまりよく聞こえなかったのですが、部員の表情は本当にはっきり見えてよかった。とにかくりりしくて格好いい。まぶしいくらい。練習が見えるから。ぼくが高校の時など、練習嫌いでグダグダのクラブ生活だった。彼女たちは舞台に立って観客に感動をもたらすのが使命であることを自覚していて、それに見合う訓練を積み重ねている。その自信と誇りに満ちた雄々しく若々しい姿が、本当にまぶしいし、有り難いことだと思う。
2007年03月03日
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芥川也寸志 弦楽のための三楽章 G.F.ヘンデル 合奏協奏曲第12番ロ短調 G.P.テレマン 3つのヴァイオリンのための協奏曲へ長調 B.ブリテン シンプル・シンフォニー作品4 昨年は少し物足りなさを感じた部分もあったのですが、今回はなんの文句もございません、十二分に弦の魅力を堪能させていただきました、という感じ。音大の3年生4年生が主体となって1年間練習を重ねれば、これだけの充実した音楽ができるのはむしろ当然なことでしょう。それになんといってもホールがいい。いずみホールはこの演奏会で3回来ているだけですが、クラシック音楽を聴くのに最高のホールではないかという気がする。雰囲気、音響、大きさ、どれもが本当に素晴らしい。本当に弦の響きがつややかでふっくらと響いてくる。ベートーヴェンやモーツァルトの時代はこういう大きさのホールがスタンダードではなかったかという気さえする。 でも残念なことに、この座席数800のホールではいくら音がよくても現代の商業ベースには乗りづらい。海外の有名オーケストラは来ないし、関西のプロオーケストラの演奏会も少ない。演奏会そのものの数も少なく日程表にも空欄が目立つ。もったいない、実にもったいなさすぎる。
2007年02月26日
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クラリネット吹きでも、そんなのがあるとは知らなかった。バイオリン協奏曲をアレンジしたものです。編曲者にいわせると、クラリネットにはもっと多くの名曲が必要だ、ということらしい。確かにこの曲は聞き込んでしまう。イメージの全くない人が聞けば、違和感なく最後まで楽しめるかもしれない。この曲をピアノ協奏曲にアレンジしたものをずいぶん前に録音したことがあるのですが、それはちょっと無理があると思った。左手があまってしまう。バイオリンは基本的に短音楽器だから、それを無理にピアノにする意味が分かんないという感じ。それに比べれば、クラリネットは短音楽器なので違和感が少なく聞ける。 以前この曲を吹こうとしたことがあったのですが、B♭管だと♯が4つも付くので原調ではとても吹けない。それですぐさま諦めてバイオリンソナタ「春」の楽譜を買ってきた。「春」のクラリネット版は先輩にもらった録音があります。
2007年02月24日
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第1部 jazz Sammy Nestico:The Heat's On That Warm Feeling Have a Nice Day A Cool Breeze Marguarite 演奏:大阪音楽大学短期大学部 ジャズ・ポピュラー専攻 ジャズ・コース Big Band 第2部 classic W.A.モーツァルト 歌劇「後宮からの誘拐」序曲k.384 L.v.ベートーヴェン 交響曲第6番ヘ長調 作品68 指揮:小田野宏之 演奏:大阪音楽大学ジュニア課程管弦楽団 ジュニア課程管弦楽団というのは短大と大学の1・2年生によるオーケストラです。若いオーケストラですが、ヴァイオリンなどは小学校の低学年で始めた人がほとんどだろうから、その練習の質や量はまちまちではあっても10年以上楽器を続けた人ばかり。しかも関西ではもっとも優秀な大学に入学するだけの実力を持っている。そこらへんの市民オーケストラや一般の大学の管弦楽部とは自ずからレベルが違う。たしかに1stヴァイオリンの線が細かったり音量が不十分だと感じるところもあったのですが、おおむね問題はありませんでした。それに対してヴィオラとチェロは常に音量充分でいい音を響かせていました。それもそのはずで、メンバーを見ると、ヴィオラは3年生が4名、教員2名、教育助手2名、大学専攻科1名。チェロは1年生は2名いたものの、教員1名、教育助手2名、大学専攻科1名という強力なアシストがあったのでした。 田園の管楽器はフルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、トランペット、トロンボーン、ホルン、全て4名でピッコロが1名。ホルン以外は本当は2名ずつなんでしょうけど教育の一環ですから全員舞台に乗らなきゃ意味ない。肝心なところは楽譜どおり2名しか吹かないので3番4番目に座っている人は極端に出番が少ない。マーラーやブルックナーでもこれだけの管楽器か並ぶかなという感じですが、バランスは全然悪くない。 そして今回もアルトトロンボーンでした。こう続けざまにアルトを見るとどうなっているのか気になって検索で調べてみました。アルトを交響曲で最初に使ったのはベートーヴェン(5番)だそうです。その後もシューマンやブラームスも使い、ブルックナーも一部の曲で使っている。ただ、音域は全てテナーでカバーできるので、現在は日本でもアメリカでもドイツでも、アルトの指示がある楽譜でもテナーに置き換えて演奏されることが多いそうです。プロでも慣れない楽器を吹くのはいくらか不安が残るのかもしれない。2000年に朝比奈隆大先生が指揮をしたベートーヴェンチクルスのビデオを全部持っているのでチェックしてみたところ、やはりというか当然というか、運命も田園もアルトが使われていました。ぼくはこの運命は生で見ていたのですが、全然気づかなかった。アルトという存在は知っていたけれど、実際に使われることはない楽器だと思い込んでいた。
2007年02月18日
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会場が尼崎から京都に移って昨年は行けなかったのですが、この時季音楽会が少ないので今年は頑張って出かけました。京都に移ったのは入場者が増えたからです。アルカイックホールでは客席の一部が出演者の控え室代わりに使われたので観客は1000人ちょっとしか入れなかったのです。京都会館ではそういうことはなく、客席全部か観客のために使われるので超満員にまではなりませんでした。 出演団体は26。3000人の吹奏楽と違って、全て単独チームでの演技です。ステージマーチングのよいところはなんといっても音が全部聞こえること。3000人でいつも不満に思うのはそこ。聞こえないだけならまだ良いのだけれど、PAを使うので生の音なのかPAの音なのか分からないし、そのバランスがすごく悪くなることもしばしば。マイクを向けた楽器だけが強調されてほかの音がほとんど聞こえない、もっと悪いのはマイクの音と生の音のタイミングがずれて聞こえること。西宮ではそういうのはほとんど感じなかったけれど、昨年の大阪ドームは本当にひどかった。絶対PAは止めるべきだ。ああいうのを見せられるくらいなら、このステージだけでマーチングはいいのかなと思ったりする。
2007年02月13日
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関西のアンコンを見に行くのは5年前吹田で行われたとき以来2回目です。 打楽器のアンサンブルは何度見ても理解できない。どこがどれくらい良いのか悪いのか、全く評価できない。常に初めて聞く曲でもあるし、管楽器と違ってよい音悪い音の差がほとんどないし、音程のずれもないからリズムさえ合っていればみんないいように聞こえる。そんなぼくでも立命館大と関西学院大の差は何となく分かった。どちらも打楽器八重奏だったのですが、立命の勢いや統一感には目を見張るものを感じました。淀工の演奏会で3年生の一人がすでに立命館大の推薦入試に合格したといっていました。立命は一芸推薦でかつての近大のようなクラブを作りつつあるのかもしれません。 中学では、やはり金管が弱い。音の輪郭がはっきりしなくてアンサンブルの旨みがあまり見えない演奏が多かったように感じた。結果にも如実に現れて銅賞はほとんど金管でした。代表権を獲得した尼崎市立常陽中学のフルート四重奏はちょっとずば抜けていた感じ。細かいスケールのパッセージが延々とつながる最後の部分は息をのんだ。本当に4人が一体となって大きなうねりを作り上げ一瞬たりともよどみがない。天に昇る竜巻か昇り龍を想像させる。この演奏を聞いたなら代表になれなかった金賞のメンバーも十分納得したことでしょう。 高校でも木管の巧さが際立った。代表になった天理高のサックス4重奏、滝川第二高のクラリネット八重奏は飛び抜けていた。ぼくのようにぼんやり聞いていてもこの二つが代表になることに全くの違和感がない。天理高と全く同じ曲を演奏した明石北高も素晴らしくて、こちらが代表になってもおかしくない出来だった。でも、すぐ直後に演奏した天理とは音色の違いがはっきり見て取れた。天理の方が柔らかくマイルドな感じがした。勝敗を分けるのは好みの問題かもしれないと思った。この二つを聞いて10人が10人とも天理の勝ちだというようなことはないと思う。
2007年02月11日
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関西フィルのライブ録音がFMで放送されたのですが、この曲をオーケストラで聴くのは初めてです。この曲の存在を知ったとき、すでにFMの録音はやめていたので、コレクションに入ることはなかったのでした。さほどにこの曲はほとんど知られていない曲だった。20年ほど前吹奏楽で採り上げられるまでは。今でも吹奏楽関係者はよく知ってはいても、普通のクラシックファンはほとんどこの曲を知らないのではないか。 ぼくはこの曲を演奏したことがある。本当に難しかったという記憶がある。2ndクラリネットのパート譜はほかの曲に比べて特別に難しいというものではなかったけれど、全体をまとめるのに市民バンドの練習時間はあまりに少なかったという感じがする。ぼくが入っていたバンドは市民バンドの中では練習時間がよくとれていた方だとは思うけれど、こういう曲となるとなかなか掘り下げるまでは至らなかった。指揮者の腕がどうこう、奏者の腕がどうこうということではなく、練習時間が不十分だったに過ぎない。それに比べてスクールバンドがコンクールで採り上げると、目を見張るような演奏をする。93年の県立西宮高校と03年の明石北高校の演奏はいまだに忘れられない。特に明石北の金管はスパーンと抜けた感じが本当に笑みのもれるような快感だった。
2007年01月28日
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先日久々に放送された美味しんぼ、雑誌の方では日本全県味巡り長崎編の真っ最中。そして今日発売の最新号で、なんと生月町の郷土料理が至高のメニューとして紹介されたのです。うどん汁、かまくら、あと2種の料理はいずれも鯨の料理でした。生月島はかつて鯨の島だったようです。そういえば、少し離れているけれど山口県の青海島には鯨の資料館があった。金子みすゞの詩にも、「鯨法会」という有名な詩がある。対馬海流はかつて鯨の通り道だった。 実のところ、生月には一度は行かねばとずっと思い続けていて、鉄腕ダッシュでソーラーカーがこの島を走るのを見てますますその思いが募った。パソコンを手に入れてからはバスや鉄道や旅館などの情報を集めているものの、なかなか実行に移せないままだった。今年の冬には最終的なタイムテーブルを作成することができたけれど、どうしても腰を上げることができなかった。でも、その予定表は確実に生きていて、今も財布の中に入っています。今年の夏には何とかできればと思っています。
2007年01月22日
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7つ前の日記で木挽歌がオリジナルであると書いたのですが、本当のところはそうではありませんでした。先に「管弦楽のための木挽歌」が作られていた。だから、「吹奏楽のための木挽歌」は厳密にいえばクラシックアレンジになる。4年に一度演奏される大栗裕の「大阪俗謡による幻想曲」も管弦楽版が先に作られているのでアレンジ。ゆえに、昨年Aリードの追悼のために演奏した「アルメニアンダンス」と行進曲を除けば「リンカンシャーの花束」が、淀工がフェスティバルホールで最初に演奏したオリジナルになるということです。
2007年01月19日
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第1部 ハイデクスブルク万歳 星組 アメリカン・グラフィティ15 星組 吹奏楽のための木挽歌 2年生 青春の輝き 3年生 祝典序曲 2・3年生 第2部 木星 OB マーチングファンタジー 1年生 第3部 リンカンシャーの花束 星組 ザ・ヒット・パレード 2・3年生 アンコール お嫁においで~サライ バイエルン分裂行進曲 左端の36番ですが、何とか2階席に座ることができました。やはり1階とは聞こえ方が全然違いました。金管楽器が全て本物の普通の音色で聞こえる。明らかに近大の音とはトランペットもトロンボーンもチューバも違う音。しかもそれらが全然木管の邪魔をしていない。どんなフォルテでも常にクラリネットの音は聞こえているし、そのセパレーションやバランスは申し分ない。もちろん、演奏そのものが素晴らしく、整理されまとめ上げられたものであることは言うまでもない。でも、このホールの構造が大きく影響していることも確かなことだと思う。 ハイデクスには、毎年のことながら、美しさに心洗われる思い。その柔らかい響き。ブラスバンド、マーチ、というともっと違うイメージがある。力強さ、勇ましさ、軽快さ、勢い。それらとは違う、それら以上に人の心に訴える音楽作りを目指しているように思える。柔らかさ→優しさ→癒し=音楽の大きな力。アメリカングラフィティは大阪府コンクールの特別演奏で聞いていました。そのときは本当にびっくりでした。なんだアメグラか、と軽い気持ちだったのですが。各パートのまとまり具合とセパレーション、バランスの美しさに打ちのめされました。ポップスでもこんなに美しい吹奏楽が表現できるのかと舌を巻くしかなかった。訳の分かんないオリジナルなんかよりよっぽど感動的です。そのときの印象と今回とはやはりちょっと違うものでした。演奏の質は全く変わらないもののやはりホールの大きさが違いました。森ノ宮青少年会館はこうしてみると、吹奏楽にとって最高の明解な響きのえられるホールではないかという感じさえします。フェスティバルホールも美しさバランスの良さでは文句はないのですが、やはり相当な容積の大きさだけあって、森ノ宮に比べれば、響きの輪郭、明解さにおいてはやや不十分なのかもしれません。 そしてこの日一番驚いたのは「リンカンシャーの花束」でした。演奏ではありません。演奏の前に丸谷先生がこの曲を演奏するについての経緯と曲の解説を熱を込めて語られたのです。 私はブログとは別の自分のHPで、吹奏楽の演奏会ではオリジナルは聞きたくないと書いたことがあります。クラシックほど内容が深くないし、ポップスほど楽しめない。一度聞いただけではよく分からない曲が多いし、なじみにくいし、親しめないし、楽しめない曲がほとんど。もちろん吹奏楽の特性を生かした聴き応えのある曲もないではないけれど、新しく出てくる曲などはほとんど理解する余裕さえ持てないままです。だからそういう退屈を誘うだけのオリジナルは演奏会ではしない方がいい、と書いた。そしてそれを実行し続けているバンドがあると最後にまとめた。それが淀川工業高校のグリーンコンサートであり、丸谷先生はぼくと同じような考えを持っておられるのだろうと想像していた。それが今回の演奏会で、さらに強い意志を持っておられることが分かったのです。オリジナルを1曲プログラムに入れるだけでこれだけのエクスキューズ。本当に苦渋の決断だったようです。さほどに、演奏会では吹奏楽の楽しさ、音楽の喜びをより多くの人に伝えることこそ大切なのだ、という考えを常に持ち続けられているのです。半分以上がオリジナルで占められることもある大学とは考え方が全く違うのです。
2007年01月15日
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のだめカンタービレの第1話で判らなかった曲が、ようやく判明しました。ドヴォルザークであることははっきりしていたので、持っているドヴォルザークの曲を順に聞いていったのだけれど、何しろ1曲が長いのでらちがあかない。番組も全部終わってもう駄目かと思いかけていたのですが、今日CDショップに行ったら、のだめに使われた曲が8枚組のボックスになっていた。そこにドヴォルザークの曲は2曲。交響曲第8番とチェコ組曲。帰ってハードディスクを確認すると、ちゃんと入っていました。自分が録音して、ハードディスクにもダビングしているのに持っているとは思えなかった。さほどにマイナーな曲なのです。もちろんちゃんと聞いたことは一度もないはずです。判らなかったのも当然。 それにしてもチェコのオーケストラを表現するのにこういう曲を持って来るというのは、本当にマニアック。プロのオーケストラでもこの曲を演奏したことがない楽団の方が圧倒的に多いのではないかと思える。
2007年01月08日
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先週の金曜日までこの歌のことはほとんど知らなかった。「おはようパーソナリティ」でアシスタントの秋吉英美さんがこの詩を朗読したのです。なるほど、と全て納得できた。クラシックの歌手が紅白に出演することは何度かあったけれど、今回ほど納得のできる出演はなかったと思う。毎年録画しているけれど、全部をきっちり見たり、見直したりすることは先ずなかった。でも今回はこの歌だけは絶対見逃せないと思いました。 想像を遙かに超えた3分間でした。何度見直しても涙がこぼれる。詩の力、歌の力に打ちのめされる。当事者にとってこの歌がどれほどの力を発揮するのかは判らない。もしかしたら全くの無力かもしれない。それでも、音楽が本当に素晴らしいものであることを再確認できた。あまりに素晴らしく、重すぎて、ほかの歌とのギャップが大きすぎる憾みが残ったほどです。 私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません 千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています 秋には光になって 畑にふりそそぐ 冬はダイヤのように きらめく雪になる 朝は鳥になって あなたを目覚めさせる 夜は星になって あなたを見守る 私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 死んでなんかいません 千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています 千の風に 千の風になって あの 大きな空を 吹きわたっています あの 大きな空を 吹きわたっています
2007年01月01日
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本当にこの1年は毎日モーツァルトだった。最初の18回を除いて全部10枚のDVDに収めることもできた。一通り見終わってモーツァルトの生涯がだいたい把握できた、などとは全く思っていない。モーツァルト研究の第一人者である海老沢敏氏ですら「まだモーツァルトのことは全然判らない、さほどに彼は大海のような存在なんです」と言うくらい。それをちょっとでも判った気になることすらおこがましいというものです。でも、いろんなことを想像したり空想するのは自由、そういう自由を楽しめた1年であったことに違いはありません。
2006年12月29日
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第1部 歌劇「皇帝ティトの慈悲」序曲 ピアノ協奏曲第27番変ロ長調 第2部 歌劇「魔笛」より抜粋 「レクイエム」より抜粋 「アヴェ・ヴェルム・コルプス」 大阪音楽大学のオープンキャンパスの一環としての演奏会です。もちろん一般の人も入場自由です。音大の演奏会は無料のものでも整理券を取り寄せなければならないのですが、その必要もありません。今年最後の演奏会にふさわしい、最高のプログラムです。「魔笛」以外は生で聴くのは初めてです。生で聞く良さは編成が見えること。「魔笛」では3本のトロンボーンだったのですが、そのうち1本はアルトトロンボーンだった。過去2回全曲を見ているけれど、そのときは気づかなかった。普通はテナーでもいけるのか、ちゃんとした指示があるのか。「レクイエム」では木管はバセットホルン2本とファゴット2本だけ。こういう編成も初めて見るし、生で聞かないと判らないままだったろう。
2006年12月24日
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近大では2階席に座れなくて、このままだと今年はフェスティバルホールの本当の音を味わえないまま終わってしまう。それはあまりに残念なことなので、無理矢理用事をつくって再びアルト楽器まで行ってきました。今日は金曜日、ちゃんと開店していました。しかもウィンドウにはポスターまで貼られていたので入店する前に入手を確信。カウンターにはチラシが数十枚置かれていた。それでも昼の部はすでに売り切れ。開演時間が2時間早い日曜日のチケットを迷わずゲット。チラシに載っているプログラムは、「木星」と「木挽き歌」と「リンカンシャーの花束」。珍しくオリジナルが2曲も入っている。
2006年12月15日
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開演の1時間20分くらい前に着いたので、当日券は買えたのですが6時過ぎには終了。危うく関学の二の舞になるところでした。2700席超満員。これだけの聴衆の前で演奏できるのは最高の幸せでしょう。ぼくが現役の時もこのホールで定期演奏会を行ったけど、そのときは1700人ぐらいの聴衆、それでもかなり満足できたから、超満員となるとまた格別に違いない。自分たちを認めてくれる、あるいは期待してくれている人がこんなにも目の前にいるわけですから、それも含めて自分たちの実績に違いないのだから。 オープニング 近畿大学讃歌 岩井直溥 第1部 吹奏楽のための交響的瞬間 兼田敏 軍楽隊のための第二組曲 G・ホルスト ルイブルジョアの讃美歌による変奏曲 C・T・スミス 第2部 歌劇「トスカ」より第一幕 G・プッチーニ 交響詩「ローマの祭」 O・レスピーギ アンコール ビリアの歌 レハール アルセナール J・ヴァンデル・ロースト バーナムとベイリーの愛好曲 K・キング 昨年は左の花道の出口に一番近い席、そして今年は右の花道の出口に一番近い席が当たってしまいました。昨年の印象があまり良くなかったのでがっくりだったのですが、期待が全くなかった分意外にいいバランスで聞こえてきました。なにしろクラリネットとフルートが一番いい音で聞こえる。テュッティでも木管が主役だ。金管などに負けるものかという勢いの感じられる音だ。先週、先月に聞いた演奏会がいずれも残響の多いホールだったので、余計にその違いがはっきりする。金管の響きが一気に2階席に駆け上がってしまうので木管がほとんど影響を受けていない感じ。その分金管群のふくらみが思ったほど感じられないのは少しもの足りない。音量的なバランスはほとんど問題ないのだけれど、やはり迫ってくる感じがないのだ。2階席では、こんな感じではないはずだ。もっと迫ってくる、突き刺してくる感じがあったろうと思う。ぼくは川岸で川の流れを眺めている、2階席の人は川の中でそのしぶきを直に感じているのではないか。さほどの差を生み出す摩訶不思議なホールだとぼくは思っている。過去18回もこの2階席で近大の音を聞き続けてきた男の正直な感想です。 そういう響きの不満はいくらかあったものの、演奏は実に充実していました。先にも書いたように木管は本当に力強くまとまりも感じさせた。「ルイブルジョアの讃歌」といえば86年の自由曲で全国大会金賞を獲った。コンクールの演奏は聞いていないのですが、その年の定期演奏会での音は聞いていた。帰って聴き直してみたら、それはすさまじい演奏でした。何なんだ、これは、と呆れるしかない演奏です。今回の演奏は、2階席で聞いていたら、それとあんまり変わらないんじゃないかというほどの演奏でした。細かく見れば、自由曲で金賞の演奏とは差があるに違いないけれど、絶対刺さってくる演奏だった。魅力のあるほれぼれする演奏には違いなかった。
2006年12月12日
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レナード・バーンスタイン=ニューヨークフィル 103秒 191拍/分ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ=ベルリンフィル 103秒 191拍/分ヘルベルトフォン・カラヤン=ベルリンフィル 104秒 190拍/分ウラディーミル・フェドセーエフ=モスクワ放送交響楽団 104秒 190拍/分キリル・コンドラシン=RCA交響楽団 105秒 188拍/分ズービン・メータ=イスラエルフィル 105秒 188拍/分ダニエル・バレンボイム=シカゴ交響楽団 108秒 183拍/分エリック・カンゼル=シンシナチ交響楽団 109秒 181拍/分イルジー・ビェロフラーベク=プラハ交響楽団 110秒 179拍/分レナード・バーンスタイン=イスラエルフィル 114秒 173拍/分ユージン・オーマンディ=フィラデルフィア管弦楽団 120秒 165拍/分近畿大学吹奏楽部(1981年) 107秒 184拍/分 久しぶりに聴き直したけど、素晴らしいスピード感です。吹奏楽でもこれだけのテンポがちゃんと出せる。しかもバランスも申し分ない。木管がちゃんと弦の役割を果たしている。
2006年12月05日
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大阪に出る用があったので、森小路のアルト楽器まで行ったのですが、シャッターが下りていました。定休日だったのか、廃業したのか。来週も近大の定演があるのですが、同じ月曜なので、結局淀川工業のチケットは買えません。往復するのに2800円もかかるので、1500円のチケットを買うためだけに出てくることはできないのです。それだけのお金をかける値打ちのある演奏会ではあるのですが。
2006年12月04日
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モーツァルトイヤーも後1ヶ月。「毎日モーツァルト」も600番代に入り、残っているのは、クラリネット協奏曲、歌劇「皇帝ティートの慈悲」、歌劇「魔笛」、レクイエム、の4曲くらいになってしまいました。オペラは4~5回に分けられるから、あと2週というところでしょうか。それにしても本当にいろんな曲を書く人です。もちろん時代背景もあるのだろうけれど、歴史に残るような大作曲家が自動オルガンの曲を書くなんて。ほかにもグラスハープのための曲も書いている。お金になれば意に添わなくてもどんな曲でも書くというのがこの大作曲家の生活。実際この楽器の音色が気に入らなくて、ずいぶん落ち込んでしまったと手紙に書いている。現在ではピアノに編曲されているけれど、羽田健太郎氏の言うように随所に演奏不可能な部分があるので、二人の演奏で録音されることが多いようです。 ちょっと前に日本テレビで放送された「モーツァルト250年目の真実」では特に目新しいことはなかったのですが、一つ興味深い発言を聞くことができました。指揮者の金聖響氏が言うには、彼は子供の頃から聞き手の顔色をうかがいながら作曲や演奏を続けたのだと。王宮や貴族の邸で彼を取り巻く大人たちが喜ばなければ職にもお金にもありつけない、その曲その演奏が直接生活にかかわってくる。彼の曲は気に入られることを第一に作り続けられたのだ。こういう発言は初めて聞いたけれど、ものすごい説得力を感じました。彼は若い頃は短調の曲はほとんど書いていない。当然です、ああいう華やかな場所で、華やかな人たちの前で、短調の曲が喜ばれるわけがない。短調の曲に名曲が多いといわれるのもそういうことなのだろうと思う。書かされたのではなく、本当に自分の書きたいものを書いた、成長、脱皮の証だという人もいるくらいです。芸術家というのは、新しいものを作る。自分にしかできないものを作る、それで自分を証明する。あるいは自分の作りたいものを作る。好きなものを作る。それが自分であるから。もちろんモーツァルトもそういう部分を持ち合わせていたであろう、でも最初から商品価値の高いものを意識し続けてきたことは、他の大作曲家と大いに異なっていることではないか。それが彼の音楽を構成している大きな要素となっているかもしれない。
2006年12月03日
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