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タイトルが二文字の歌をさがしてみようよ。検索してもいいけどできたら頭に浮かぶ歌がいいなあ~じゃあ、僕からいくよ。20曲をめざそう!無題 posted by (C)コックン01.晩鐘(さだまさし)02.飛梅(さだまさし)03.檸檬(さだまさし)04.空よ(トアエモア)05.落陽(吉田拓郎)06.伝言(加川良)07.涙憶(伊勢正三)08.偶成(加川良)09.初夏(ふきのとう)10.春雷(ふきのとう)11.哀歌(ふきのとう)12.雪舞(ふきのとう)13.水車(ふきのとう)14.月光(ふきのとう)15.沫雪(ふきのとう)16.青空(ふきのとう)17.初恋(ふきのとう)18.汽車(ふきのとう)19.浮雲(ふきのとう)20.静寂(ふきのとう)21.枯葉(ふきのとう)22.恋心(ふきのとう)23.愁い(ふきのとう)24.冬京(風)25.東京(マイ・ペース)26.素顔(長渕 剛)27.初恋(村下孝蔵)28.卒業(斉藤由貴)29.愛撫(中森明菜)←知らない・・・30.海風(風)31.あせ(NSP)32.未来(NSP)33.砂浜(NSP)34.安奈(甲斐バンド)35.悪女(中島みゆき)36.乾杯(長渕剛)37.秋桜(さだまさし・山口百恵・小田和正)38.ブタ(コックン)視聴39.順子(長渕剛)40.花嫁(はしだのりひことシューベルツ)41.化粧(中島みゆき)42.海よ(中島みゆき)43.世情(中島みゆき)44.時代(中島みゆき)45.砂浜(沢田知可、杏里)46.舟歌(八代亜紀)47.与作(北島三郎)48.酒よ(吉 幾三)49.帰省(中島みゆき)※なぎら健壱さんのオススメ曲←俺も聴いたよ50.純愛(片平なぎさ)純愛 posted by (C)コックン51.役者(ちあきなおみ)52.追想(ヒデとロザンナ)53.終章(チャゲ&飛鳥)54.再会(松尾和子)55.夕月(黛ジュン)56.望郷(森進一)57.神話(さだまさし)58.夕凪(さだまさし)59.追伸(グレープ)60.残像(グレープ)61.黄昏(岸田智史)62.旅愁(西崎みどり)63.陽春(氷川きよし)64.南風(太川陽介)65.秋冬(三ツ木清隆・原大輔・高田みづえ)66.竜二(八代亜紀)67.雪國(吉幾三)68.水鏡(鈴木一平)69.銃爪(世良公則)70.物語(阿呆鳥)71.別涙(因幡晃)72.薄氷(因幡晃)73.少女(五輪真弓)74.夢絆(近藤真彦)75.イフ(ブレッド)76.ラヴ(ジョン・レノンorレターメン)77.ぼく(松本ちえこ)78.純潔(南沙織)79.別離(ミン・ヘイギョン)80.帰愁(ユーミン)81.カニ(コックン)視聴82.枇杷(コックン)視聴83.うた(コックン)視聴84.日々(コックン)視聴85.早春(コックン)視聴86.風鈴(コックン)視聴87.月夜(コックン)視聴88.帰宅(コックン)視聴89.長話(コックン)視聴90.旅愁(オードウエイ作曲)91.島唄(THE BOOM)92.信頼(伊東ゆかり)93.沿道(コックン)視聴94.約束(コックン)視聴95.経験(辺見マリ)96.春雨(村下孝蔵)97.帰郷(村下孝蔵)98.人生(村下孝蔵)99.女優(村下孝蔵)100.平凡(村下孝蔵)009 posted by (C)コックン101.帰宅(村下孝蔵)102.未来(氷川きよし)103.北愁(氷川きよし)104.家族(黒川真一朗)105.帰郷(さだまさし)106.帰郷(松原健之)107.詩集(都会の村人)108.桜人(さだまさし)109.桜桃(さだまさし)110.薄氷(雅夢)111.償い(さだまさし)112.惜春(さだまさし)113.朝刊(グレープ)114.朝顔(コブクロ)115.朝顔(レミオロメン)
2008.03.25
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二月になった。細長いCD特集には飽きてしまった。90年代の歌たちにはあまり愛着がないらしい。まだたくさん残っているけど一旦お休みして好きな本や人物を書いてみるね。さて、二月最初はこの人からだ。種田山頭火(たねださんとうか)1982年明治15年12月3日。山口県に生まれる。1940年昭和15年10月11日死去。58歳。死因は心臓麻痺。山頭火についてはあまり知らないんだ。俳句そのものにあまりふれてきてないし、自由律俳句に興味をもったのは山頭火の「分け入っても分け入っても青い山」からなんだ。山頭火の行乞地図というのが手元の本に載っているが九州はもちろん北は岩手、秋田まで旅しているんだ。九州で作った句になぜか俺好みの句が多いのも今回の発見だった。山頭火ファンは多いし、著書もたくさん出ているから紹介だけにしておきますね。好きな山頭火の句をいくつか・・・。●どうしようもないわたしが歩いている●まっすぐな道でさびしい●生き残ったからだ掻いている●捨てきれない荷物のおもさまへうしろ●うしろすがたのしぐれてゆくか●笠へぽつりと椿だった●さくらさくらさくさくらちるさくら●雨ふるふるさとははだしであるく●ふるさとの言葉のなかにすわる●寒い雲がいそぐ●ちんぽこの湯気もほんによい湯で●あるけばかつこういそげばかつこう●こころおちつけば水の音●いちにち物いはず波音ところで、「山頭火」で検索したらラーメンの山頭火ばかりだよ。時代とともに山頭火はいつしかラーメンだと認識する人たちも増えてくるんだろうね。「山頭火、知ってる?」「あ、知ってるよ。あっさり味で俺はあまりあのラーメン好きじゃないなあー」なんて会話になってくるんだよね。せめて。せめて。「分け入っても分け入っても青い山」に立ち止まれる俺たちでありつづけたいものだな。ま、俺の個人的なわがままだと承知してるさ。
2006.02.01
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ikuさんが教えてくれたYou Tubeの「永遠の嘘をついてくれ」を繰り返し見て発見したことを書くね。 ●「永遠の嘘をついてくれ」を歌う中島みゆきの後ろで な、な、なんと瀬尾一三もタクトふりながら歌っている!※ 拓郎の初期の頃から編曲を任され、今では多くのアーチストが 瀬尾にアレンジを頼んでいる。 中島みゆきはあるアルバム以来、瀬尾に編曲を一任している。 長渕も瀬尾にアレンジしてもらってる曲が多い! ●吉田拓郎という男は歌詞カードを見ないと歌えない男だったはず。 ところが あの長い歌を歌詞カードを見ないで歌っていた。 以前の拓郎の視線は常に歌詞カードを見ていたはずだ。 楽譜台がないことに驚いた! ↑「歌暦」のジャケットより●中島みゆきの背の高さに驚いた。(発見ではないけど) ハイヒールをはいてるにしても吉田拓郎と並んで むしろ中島みゆきが高い感じがした。 吉田拓郎は背が高いはず。 中島みゆきの身長はどのくらいあるのだろう? ちなみに俺は169センチ。(関係ないか・・・)おまけ:松山千春とつま恋2006スポーツ新聞で読んだし、TANKOちゃんも書いてくれていたのでついでに話しておくよ。会場には小田和正、山本コウタロー、イルカ、松山千春が来ていたそうなんだ。注目は松山千春だよ!「拓郎は俺のことが嫌いだって言ってたから俺も言ってやったよ。俺は、デビュー前からお前が嫌いだってね」松山は俺と同じ年。だから俺には松山の気持ちがわかるような気がしたんだ。松山は拓郎を嫌いながらもどこかで認めていたんだよ。松山も俺と同様で加川良岡林信康友部正人斉藤哲夫などを聴いて高校時代を過ごしているのさ。そこに吉田拓郎もいたことは間違いないと推測するね。拓郎が嫌いだと言ってた松山がつま恋まで足を運びモニターを見ていた。俺は松山千春の歌はもう聴けなくなってしまったけどフォークシンガーとしての松山千春を認める。吉田拓郎やこうせつはさらなるヒット曲を求めてしまった傾向があるが松山千春は違っていた。あれだけのヒット曲をもちながら歌い続けることにこだわった。そういう生き方では加川や友部に近いんだ。しかしあのカリスマ吉田拓郎のステージに立ったのは中島みゆき。中島みゆきだけが吉田拓郎ワールドに足を踏み入れることを許された唯一の存在だったんだろうな・・・ハッキリ言って松山千春と吉田拓郎のツーショットは感動しないと思うおいらだった。
2006.09.25
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テレビ出演の浜田省吾「風を感じて」 エピソード初めて日本武道館公演が決まった時、ヒット曲を持たなかったため、お客さんが入ってくれるのか、プレッシャーで押しつぶされそうになった。更に音楽評論家、大貫憲章が、「ゲスフー*は100人くらいしか入ってなかったよ」と言うので更に大きなプレッシャーがかかった。結果はチケットが15分で完売するなど、大成功を収めた。 この時にアンコールで演奏した「ラストダンス」を近年行われたツアー「ON THE ROAD 2001」の最終日に再び武道館で演奏。久々に歌われた事と、当時のバージョンと全く同じアレンジ、演出で演奏された為多くのファンは感極まった。これは同ツアーを追ったDVDにも収録されている。 ※ゲスフーとは「アメリカンウーマン」の大ヒット曲を持つカナダのバンドで、有名なザ・フーとは違う。同じく武道館でのアンコール曲「Midnight Blue Train」では、歌いだしてすぐにギターが足元に落ちるというハプニングがあった。ちょうど「ギター抱えて 夜汽車に揺られ」という箇所で、浜田は外れたギターを胸に抱えて歌った。コンサート直後ゲスト出演した烏丸せつこのラジオ番組NHK「サウンドストリート」で、このことが話題になり、ストラップがきちんと留まっていなかったようだ、と原因を語り、「歌詞の内容と合っていたから演出かと思った」という烏丸に対し「まさか(笑)」と答えていた。このギターが床に落ちた音は、LIVE盤『ON THE ROAD』で聞ける。 烏丸はビートたけしが最初に噂になった女優で、甲斐よしひろとも噂があったが、浜田と烏丸もけっこう親しくしており、女性週刊誌でも地味に話題になったりもした。烏丸のアルバム『キス・ミー』(1981年)に浜田は「Dancing Doll」「バラード」の2曲を提供している。次のアルバムでは「街角の天使」をデュエットするという話もあったが実現されてはいない。 「街角の天使」はもともと大貫妙子とのデュエット曲として録音されたが、結局そのテイクは没になり、浜田のボーカルのみのテイクがアルバムに収録された。 サングラスをかけだした由縁はスティービー・ワンダーに憧れてというのもあるが、本人曰くドラムは目立たないから何とかして自分を売り込もうとした苦肉の策であったらしい。 ・無名だった頃、ギターを持ってタクシーに乗ったとき「ミュージシャンなの?」と運転手に聞かれて、「はい、実は浜田省吾っていいます」と答えると運転手は「あぁ知っているよ。サングラスしていたから分からなかった」と答えたそうだ。浜田省吾-さよならゲーム メディアとは距離を置いているが、かつてラジオ番組「セイ!ヤング」(文化放送)で、1980年に約1年間ほどDJを務めていたことがある。音楽の話はもちろん、野球ネタや映画ネタ、そして当時のバンドの生ライブなどで人気となった。ちなみにテレビにはほとんど出演したことはないが、『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ)の生放送で歌ったことがある。 1979年、「風を感じて」が、日清食品カップヌードルのCMソングに使われ初のスマッシュヒット。この関係で日清食品がスポンサーだった『ヤングおー!おー!』(毎日放送)の公開放送に何度か出演し歌った。客席の通路で歌った事もあったといわれている。明石家さんまとか芸人との絡みは無かったと思われる。 この時の事をのちのインタビューで述べている。朝から音リハ・カメリハを2時間待ってはもう一回と何度も繰り返しほぼ丸一日、ワンルーフ(1番とサビ一つの2分くらい)2分を歌うための拘束時間は10時間ぐらいだったという。結局これを含めて『ヤングおー!おー!』に3回、『夜のヒットスタジオ』に2回、計5回のテレビ出演がある。 近年は若い女性アーチストも、早いうちから曲作りを始めることが話題となるが、浜田が本格的に曲作りを始めたのは、神奈川大学に入ってから、20歳の頃である。それまでは、作詞を浜田が手掛け、作曲は町支がしていて、自分に曲が作れるという発想があまりなかった。夏の暑い日、大学の正門の前にあった下宿で、好きだったザ・ビーチ・ボーイズの『サーファー・ガール』に影響をうけ『二人の夏』を作り、町支らに聞かせるとブリティッシュロックしか聴いたことのない彼らは、初めて聴くウエストコースト風のサウンドに「いいよ、これはいいよ」と絶賛されその気になった。あの時町支らがけなしていたら曲作りは止めていたかも知れないと言う。 その『二人の夏』のドラムをたたいているのも浜田だが、何と貧乏の極みでドラマーなのにドラムセットを持ってなく、レンタルドラムでレコーディングに挑んだ。更に自分で作った歌は自分で歌おうと初めてヘッドホンをして自分の歌を聞くと音痴だと気付いた。苦労して苦労して録音したという。 浜田省吾ー悲しみは雪のように 自分の初期のシングルやアルバムに対して、あまり良い印象がないことを隠そうとしない。「初めの頃のは全部廃盤にして欲しいぐらい」と語ったこともある。 70年代は「浜田と言えば...金吾でしょう(浜田金吾)」と言われていた。 70年代後半の長い下積み時代、小さな街で300人ぐらいを集めてのライヴに全精力を使い果たしてホテルに帰ってテレビを付けると「ザ・ベストテン」をやっていて、あとからデビューした人達が、何10万枚とレコードを売って歌う姿を見る。テレビという巨大な主流・メインカルチャーに対して、ライヴはカウンターカルチャーだっと思う。テレビからこぼれ落ちた大切なものを僕達はていねいにすくって、大切に育ててきた、という自負をインタビューで述べている。 若いとき、音楽評論家・渋谷陽一のラジオ番組にゲスト出演。このとき議論が白熱し浜省がブチ切れ「結局なんでしょ あんたたちゃぁ 人の作ったものにケチつけてメシ喰ってるんでしょうが!」と面と向かって毒づいたことがある。これに渋谷は「はい、そうですよ」と答えた。その後、渋谷は自身の発刊するロック誌で何度も浜省の特集を組むなど、今日に至るまで長きに渡り浜省を支援し続けている。渋谷自身、プライベートでも付き合いがある唯一のアーチストと述べている。 shogo hamada 1980年代の後半、明石家さんまのラジオにゲスト出演した時にも、さんまが浜田も会員だったスポーツクラブに現れたが(今は有るか分からないが、芸能人が多いと言われていた東京世田谷区瀬田の高級会員制スポーツクラブ?)非常にマナーが悪い、と本人を目の前にして説教をした。 反面、尾崎豊、福山雅治、桜井和寿ら浜田に影響を受けたと言う後輩アーチストに会う時は、彼らの曲を事前にちゃんと聴いて、暖かいアドバイスを贈っている。言葉は「どんな事があっても歌い続けることだよ」と言う内容のようである。 1986年の名作「J.BOY」のアルバムタイトルは、のちの「J-POP」、「Jリーグ」という言葉を誘発したとされる。初のチャート1位に輝いた「J.BOY」まで、プロデビューから12年の歳月が流れていた。 「ロックはラブソングばかりではない」が信条で、1989年のバブル経済全盛期には「詩人の鐘」で「銀行と土地ブローカーに生涯を捧げるような」と歌い、バブル崩壊を予言したと言われた。 1999年夏、北海道でのコンサートに向かうメンバーとスタッフを乗せたANA61便がハイジャックに遭遇。 ライブでは味のある話をすることで知られる。例として、渋谷に久しぶりに行った際に、電気屋に行こうとしたら昔あった場所にない。遠くに「電気」の看板が見えたのでそこに移転したと思って近づくと、そこは東京電力のミュージアムである電気館だったというオチ。 「南海日々新聞」にて(~久々の大物歌手が名護で公演するチケットの売出し日・・・中略・・・全盛期を過ぎており、まさかここまで根強い人気があるとは~)と掲載され、ステージで早速、笑いのネタにする。後日、新聞に(あの一言は撤回します。素晴らしいコンサートでした。)と記事が掲載される。 コンサートでは、お客さんの年齢層を毎回確かめている。(10代の人手を叩いてみて、というように) 2000年、黒磯でコンサートをやっていたときに、開始二曲目で「脹脛断裂」してしまう。しかし、彼はこのコンサートをやり遂げる。ワイドショーでもニュースになったほどである。しかし、このニュースで流れた映像が、昔の省吾の写真でバックに流れたのは「風を感じて」であった。本人は一番このことがショックと語っている。
2006.11.17
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工藤静香ーくちびるから媚薬 工藤 静香(くどう しずか、1970年4月14日 - )は、日本の歌手、女優、宝飾デザイナー。本名:木村 静香(旧姓:工藤)。Again 略歴・人物幼少期を青森県で過ごす(ちなみに工藤の父の勘七(故人)は青森県東津軽郡外ヶ浜町(旧蟹田町)出身である。)。 木村亜希(現・オリックス・バファローズ清原和博夫人)、柴田くに子(後の森丘祥子)と「セブンティーンクラブ」の一員としてデビューしたが、1985年に解散した。 MOMOCOクラブのメンバーになり、その後「おニャン子クラブ」のメンバーとなる(会員番号38番)。 おニャン子クラブの生稲晃子・斉藤満喜子とユニット「うしろ髪ひかれ隊」を結成。 1987年8月31日、「禁断のテレパシー」でソロデビュー。その後ヒット曲を連発し、1980年代後半~1990年代前半を代表する女性歌手の一人となる。おニャン子クラブを手がけた作曲家・後藤次利の作品が多く、また中島みゆきが詞を提供した作品も多いが、これは当時中島みゆきを担当していたディレクターが工藤を兼任することとなり、かつ、デビュー前に「中島みゆきと松任谷由実のどちらが好きか」と聞かれて、工藤が中島みゆきと答えた経緯があるためだとされる(それ以前より中島みゆきの曲に影響されたともいわれている)。デビューから工藤のバックバンドを務めていたミュージシャンは、ほとんどが中島のバックバンドを務めており、後藤次利もかつて中島みゆきとはバックバンドだけでなく、編曲も務めていたこともある戦友のひとりだった。結果として、中島が関与した曲からヒット作が多く生まれた。 1994年3月20日に発売されたシングル「Blue Rose」ではソロデビューから多くの楽曲を提供していた後藤次利と離れ、セルフプロデュースを展開。作詞はほとんど本人が担当し、都志見隆、松本俊明等の作曲家が参加、また1996年11月7日に発売されたシングル「激情」ではこれまで詞のみの提供だった中島みゆきが詞だけではなく、曲も提供するようになる。 バラエティ番組でも「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」等で活躍し、特にとんねるずとの共演が多い。1997年に石橋貴明とユニット「Little Kiss」を結成してシングル「A.S.A.P.」を発売。音楽番組で歌唱中に実際にキスするパフォーマンスが話題を呼んだ。 おニャン子クラブ加入当初は「ボケキャラ」を演じており、吉田照美から「バカなヤツがいますね~」と言われたこともあり(期末試験の時期で、番組出席者が少なかったため、点呼を「1・2・3・4・・・」ととっていたときに、工藤は「38」と会員番号を言った)、本人も夕ニャン内でのクイズに答えられず「だって、私バカなんだもん」と発言している。だが、ソロデビュー時にはそれを封印して、「ヤンキーキャラ」となる。時期によって様々なキャラクター像がある。 以前三上博史と共演したドラマで、三上が転寝する顔の元へ工藤がキスをするというシーンがあった時に工藤がその直前の休憩時に煙草を吸い、その煙草の匂いの指で三上の鼻元を触った為に、その匂いで三上が笑ってしまいNGになった。という事を「HEY!HEY!HEY!」でネタにしていた。 作詞をする際は「愛絵理」(読み:あえり)のペンネームを使用する。その詞は中島みゆきの影響を深く受けた印象が強い。 「愛絵理」は、両親が命名の際に第1候補として考えていた名前である。 画家として二科展に11回の入賞実績がある。 2000年~2002年、友人YOSHIKIが主宰するレコード会社EXTASY RECORDSに所属。 一時期2人は交際しており、その時の髪色など風貌はYOSHIKIそっくりだった。2000年11月、SMAPの木村拓哉とできちゃった結婚。つわりがひどかったらしい。木村との離婚話はファンの間であるが「拓哉はとても優しい」などと最近のテレビ番組でラブラブぶりを披露し、木村との離婚はないと思われる。 結婚後、工藤と木村は工藤の両親と同居している。そのため、木村のファンの中に木村が婿入りし現在の本名は「工藤拓哉」だと勘違いしている者がいる。 2001年5月1日に長女と2003年2月5日に次女を出産したことで音楽活動からは遠ざかっていたが、2005年2月に久々のシングル「Lotus~生まれし花~」を発売。所属レコード会社はデビュー以来のポニーキャニオンに復帰した。 所属レコード会社は上記のとおりポニーキャニオン。 2004年にラスベガスにて自身がデザイン・プロデュースする宝飾ブランドTREASURE IIIIがデビュー。海外で行なったのは、工藤静香の名前が先行してデザイン評価されないようにする為だったらしい。 恋~夜~嵐の素顔with浜崎あゆみ [編集] シングル禁断のテレパシー (作詞:秋元康/作曲・編曲:後藤次利) Again (作詞:秋元康/作曲・編曲:後藤次利) 抱いてくれたらいいのに (作詞:松井五郎/作曲・編曲:後藤次利) FU-JI-TSU (作詞:中島みゆき/作曲・編曲:後藤次利) MUGO・ん…色っぽい (作詞:中島みゆき/作曲・編曲:後藤次利) 恋一夜 (作詞:松井五郎/作曲・編曲:後藤次利) 嵐の素顔 (作詞:三浦徳子/作曲・編曲:後藤次利) 黄砂に吹かれて (作詞:中島みゆき/作曲・編曲:後藤次利) くちびるから媚薬 (作詞:松井五郎/作曲:後藤次利/編曲:Draw 4) 千流の雫 (作詞:愛絵理/作曲:後藤次利/編曲:Draw 4) 私について (作詞:中島みゆき/作曲:後藤次利/編曲:Draw 4) ぼやぼやできない (作詞:松井五郎/作曲・編曲:後藤次利) Please (作詞:三浦徳子/作曲・編曲:後藤次利) メタモルフォーゼ (作詞:松井五郎/作曲・編曲:後藤次利) めちゃくちゃに泣いてしまいたい (作詞:松井五郎/作曲・編曲:後藤次利) うらはら (作詞:松井五郎/作曲・編曲:後藤次利) 声を聴かせて (作詞:松井五郎/作曲・編曲:後藤次利) 慟哭 (作詞:中島みゆき/作曲・編曲:後藤次利) わたしはナイフ (作詞:松井五郎/作曲・編曲:後藤次利) あなたしかいないでしょ (作詞:松井五郎/作曲・編曲:後藤次利) Blue Rose (作詞:愛絵理/作曲:都志見隆/編曲:澤近泰輔) Jaguar Line (作詞:愛絵理/作曲:尾関昌也/編曲:羽田一郎) Ice Rain (作詞:愛絵理/作曲:都志見隆/編曲:門倉聡) Moon Water (作詞:愛絵理/作曲:谷本新/編曲:澤近泰輔) 「7」 (作詞:愛絵理/作曲:松本俊明/編曲:松浦晃久) 蝶 (作詞:愛絵理/作曲:藤井尚之・愛絵理・松浦晃久/編曲:松浦晃久) 優 (作詞:愛絵理/作曲・編曲:中崎英也) 激情 (作詞・作曲:中島みゆき/編曲:瀬尾一三) Blue Velvet (作詞:愛絵理/作曲・編曲:はたけ) カーマスートラの伝説 (作詞:愛絵理/作曲・編曲:はたけ) 雪・月・花 (作詞・作曲:中島みゆき/編曲:瀬尾一三) きらら/in the sky (作詞・作曲:ЯK/編曲:澤近泰輔) 一瞬 (作詞・作曲:ЯK/編曲:澤近泰輔) Blue Zone (作詞:愛絵理/作曲:都志見隆/編曲:澤近泰輔) 深紅の花 (作詞:橘朋実/作曲・編曲:YOSHIKI) maple (作詞:愛絵理/作曲・編曲:菅原サトル) Lotus~生まれし花~ (作詞:山口寛雄・愛絵理/作曲:山口寛雄/編曲:中野定博) 心のチカラ(作詞:前田たかひろ/作曲・編曲:h-wonder) Clavis-鍵-(作詞・作曲:中島みゆき/編曲:瀬尾一三)
2006.11.12
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わたしのことなんかみんなわすれてしまってるわよねでもコックンはおぼえていてくれました。わたしはだれでしょう?携帯からも見えますか? わたしは田代美代子です。みんな忘れてしまったのね(涙)愛して愛して愛しちゃったのよ 田代美代子1943年10月1日東京生まれ明治学院大学在学中に石井好子氏に師事。1965年イタリア映画「赤い砂漠」のテーマ曲でレコードデビュー同年『愛しちゃったのよ』で第7回レコード大賞新人賞を受賞、さらに「ここがいいのよ」「涙と雨に濡れて」と次々にヒットを放つ。NHK紅白歌合戦にも出場フジテレビ「小川宏ショー」ではレギュラー出演。映画、ドラマ、舞台等で活躍するも病の為一時休養。約10年後「浮気ならいいわ」でカムバックを果たす。現在は歌のみならず、福祉活動や健康等の講演活動にも積極的に取り組んでいる。好きな作品 アンネの日記好きな映画 めぐりあい、道好きな女優 オードリーヘップバーン好きな食べ物 野菜全般 モットー 菜食健美(さいしょくけんび)
2009.07.16
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中島みゆき7freepage posted by (C)コックン01・怜子(中島みゆき)02.ケメ子の歌(ザ・ダーツ、ザ・イーグルス、ザ・ジャイアンツ、松平ケメ子)03.景子(伊藤敏博)04.さなえちゃん(古井戸)05.ゆうこ(村下孝蔵)06.あきな(村下孝蔵)07.ロビンソン(スピッツ)08.シオン(沢田聖子)09.順子(長渕剛)10.たかこ(上田正樹)11.SACHIKO(バンバン)12.ひとりぼっちのメリー(A・ハーファンクル)13.山のロザリア14.カチューシャ15.安奈(甲斐バンド)16.ジュリアに傷心(チェッカーズ)17.明美という名で18で(千昌夫)18.わがままジュリエット(BOOWY)19.お富さん(春日八郎)20.お万のかた(つボイノリオ)21.星空の秋子(氷川きよし)22.ジュリエット(松尾清憲)23.フランシーヌの場合(新谷のりこ)24.いとしのエリー(SAS)25.1996年のマリリン(本田美奈子)26.リリー・マルレーン(加藤登紀子)27.アキコ(奥田じゅん)28.亜樹子(冠二郎)29.夕子(小林旭)30.ゆきこ(小林旭)31.亜紀子(小林繁)32.愛子(たかだみゆき)33.おゆき(内藤國雄)34.ゆみの春(コックン)試聴35.ユミのセレナーデ(コックン)試聴36.金光さんが呼んでいますよサッチャン(コックン)試聴37.アキちゃんの手紙(コックン)試聴38.アンジェリーナ(佐野元春)39.ダイアナ(平尾正晃)40.眉子「山本譲二」41.麻衣子「三善英史」42.チャコの海岸物語(SAS)43.そんな夕子にほれました(増位山大志郎)44.霧子のタンゴ(フランク永井)45.純子(小林旭)46.ミヨちゃん(ザ・ドリフターズ)47.麻衣子(真弓明信・元阪神タイガース)48.ごめんね洋子(平松政次・元大洋ホエールズ現在の横浜ベイスターズ)49.港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ50.魔法使いサリー(スリー・グレイセス)アッコちゃん posted by (C)コックン51.ひみつのアッコちゃん(岡田恭子)52.魔法のマコちゃん(堀江美都子)53.さっちゃん(童謡)54.栞のテーマ(SAS)55.織江の歌(山崎ハコ)56.たえこ MY LOVE(吉田拓郎)57.シンシア(吉田拓郎)58.チエちゃん (井上陽水)59.小春おばさん(井上陽水)60.たえちゃん(チューリップ)61.そんなヒロシに騙されて(高田みづえ)62.リンダ(竹内まりや)63.サチコ(ニックニューサー)64.夜桜お七(坂本冬美)65.さくら(高野健一)66.フレディもしくは三教街(グレープ)67.四季・奈津子(チェリッシュ)68.さらば吉田拓郎(コックン)試聴69.友部正人と僕(コックン)試聴70.魔女っ子メグちゃん(前川陽子)71.ひとりぼっちのメグ(前川陽子)72.ぼくはマコについていく(堀江美都子)73.ハローララベル(堀江美都子)74.魔法少女ララベル(堀江美都子)75.ラブ・ラブ・ミンキーモモ(小山芙美)76.ミンキーステッキ・ドリミンパ(小山茉美)77.不思議なサリー(朝川ひろこ)78.魔法使いサリー99のうた(山本百合子)79.魔法使いチャッピー(シンガーズ・スリー)80.好きなのプリシラ(山崎リナ)81.かぐや姫先生のうた(堀江美都子)82.ハロー!サンディベル(堀江美都子)83.花の子ルンルン(堀江美都子)84.ペリーヌものがたり(大杉久美子)85.キャンディキャンディ(堀江美都子)86.ナージャ!!(本田美奈子.)87.サザエさん(宇野ゆう子)88.サザエさん一家(宇野ゆう子)89.サザエさんのうた(堀江美都子)90.ラ・セーヌの星(堀江美都子)91.泣くなシモーヌ(堀江美都子)92.ラムのラブソング(松谷祐子)93.lラムのバラード(平野文)94.わぴこ元気予報!(内田順子)95.あいこにおまかせ!(松岡由貴)96.恋のミクル伝説(朝比奈みくる)97.魔女っ子チックル(堀江美都子)98.チックルチーコのチャチャチャ(堀江美都子)99.私はマチコ(今田裕子)100.まほろDEまんぼー(とりおまてぃっく)
2008.04.19
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現在、高橋恵子以前、関根恵子1955年1月22日生まれ54才誕生日おめでとう!花王ソフィーナCM高校生の頃伊万里にあった「銀映」という小さな映画館で君の映画を見て性に目覚めまくってたよ・・・あの頃はほんとうにいろんな意味でお世話になりました。感謝しています。 ぼくにとっては今でも高橋恵子ではなく関根恵子のままなんです。動脈列島
2009.01.22
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せつないメロディーだなあ~マミー・ブルー
2010.10.06
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大場久美子1960年1月6日生まれ49才誕生日おめでとう!しあわせですか?しあわせに生きていますか?キラキラ星あげる
2009.01.11
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友部正人「ある日ぼくらはおいしそうなおかしを見つけた」 僕の大好きなロックンロールさ!最後まで聴ける人が何人いるかな?
2006.10.10
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久しぶり歌集めをさせて。やっていたと思うんだけどやっていなかったのかな~?漢字一文字の歌のタイトルでは僕からいくよ(先日、戸国くんが「窓」の歌を並べてたのがきっかけなんだ)01.窓(前川清)02.窓(谷山浩子)03.窓(さだまさし)04.窓(松山千春)05.窓(桜田淳子)06.春(コックン)07.春(イルカ)08.雨(森高千里)09.紅(XーJAPN)10.石(高田渡)11.馬(吉田拓郎)12.昴(ちんぺいさん)13.花 川は流れてどこどこ行くの~♪ってアレ14.恋(松山千春さん)15.雨(三善英二さん)16.風(はしだのりひこ&シューベルツ) 17.人(鈴木一平)視聴18.道(鈴木一平)19.旅(鈴木一平)20.山(北島三郎)21.歩(北島三郎)22.雨(小柳ルミ子)23.春(北原ミレイ)24.恋(布施明)25.井上順之 涙26.井上順 虹27.五木ひろし 絆28.かぐや姫 妹29.芹洋子 愛30.岩崎宏美 橋31.北島三郎 川32.竹内まりや 駅33.美空ひばり 柔34.掌(さだまさし)35.掌(森山良子)応募?コメントのお願い曲名(歌手名)でできたらお願いします。コピペしやすいので・・・ 36.雪(吉田拓郎)37.雪(猫)38.蝉(ふきのとう)39.夜(ふきのとう)40.僕(ふきのとう)41.孫(大泉逸郎)42.花(滝廉太郎)
2008.12.12
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115番目の俺は誰でしょ?ヒント?ないぜ! おれは真昼の情事が大好きな山本情事だ!「眉子」はyou tubeにないのでコックンの好きな歌「旅の終わりはお前」をプレゼントするぜ!旅の終わりはお前
2009.08.08
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まだ売れていなかった頃、加藤和彦が拓郎を認めて大切なギター(GIBSON J-45)を15万円で譲った。 この2人は今も師弟関係にあり仲がいい。小田和正が1982年に"日本グラミー賞"を作ろうと奔走し、六本木で拓郎やユーミンや矢沢永吉、さだまさしらを集めて飲み会をした時、加藤が「拓郎は生意気なのは許せるけど松山千春が生意気なのは許せない」と怒って帰ったというエピソードがある。 純情コックン一言俺も加藤和彦と同意見だ。松山千春の生意気さや人間批判にはチャーミングさがない!吉田拓郎にはチャーミングさがあった。年令の問題ではなく、人柄の違いなんだろうと思う。
2009.08.13
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端田宣彦(元「ザ・フォーク・クルセダーズ」)- リーダー、ボーカル、ギター、パーカッション フォークル解散に合わせてバンドを結成。特徴的なボーカルと情緒的な作曲センスでシューベルツを牽引。越智友嗣(元「ザ・ヴァニティー」)- ボーカル、ギター、ドラムス 柔らかい歌声とギターのヘッドを下げたギター演奏が特徴的。ステージでのトークも多く担当していた。また、クラシック調からロック調、果てはコミックソングまで幅広い作曲能力も持ち合わせていた。杉田二郎(元「ジローズ」)- ボーカル、リードギター 事実上のメインボーカルとして多くの曲でリードヴォーカルを担当、卓越したフォークロックの作曲と魅力的な歌声でファンを魅了した。また、リードギターとしても活躍し味のあるギターを披露していた。井上博(元「ザ・ヴァニティー」)- ボーカル、ベース、ギター 細身で長身、さらにフォーク界屈指の端整な顔立ちでベースを弾きながら歌い、女性ファンが多かった。また、ウッドベース弾きとしては細身であったが、ヨットをやっていて力はあった。1970年3月31日に死去。なお、越智と井上は結成時は同志社大学在学中ではしだの後輩である(杉田のみ立命館大学)。はしだのりひことシューベルツが一般的だが杉田がボーカルの歌は杉田二郎とシューベルツといったんだ。はしだが歌うときは井上が、杉田のときは越智がコーラスしてるって聞いたことがある。愛の世界 杉田二郎とシューベルツ
2011.12.04
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ブルマはヤムチャを好きになって結婚したのかな?で、離婚してベジータと再婚したのかな?とにかくブルマとベジータの間に生まれるのがトランクス。若い頃、特に第1巻のブルマは可愛い。どんどん普通のオバサンいや才女、天才科学者になっていく。 ブルマは亀仙人にも全裸(下半身)を見られ(見せ)ヤムチャには全裸をのぞかれる。後半のドラゴン・ボールにはこういうシーンがまったくなく闘いシーンが多くなるからなあ~男と女の余白
2010.10.11
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視聴はここでコンサートで天野の歌で聴いたんだ。一度。この歌の経緯については詳しく知らなかったんだ。『記念樹』作詞:天野 滋 作曲:服部克久1.校庭の隅に みんなで植えた記念樹 いつの日にか遠いところで 思い出すだろう それはたぶん つらいとき泣きたいとき 緑色の 葉っぱ風に ゆれる記念樹2.忘れないずっと みんな子供だったこと スコップうまく使えずに 顔見合わせた 大人になっても 心から笑いたいね あの日 空の雲は 夢の形えがいた3.夕暮れの校舎 みんなで植えた記念樹 にわとりが朝と間違え 鳴いていたっけ 振り返るのは つらいとき泣きたいとき 枝は 空をめざし風に ゆれる記念樹 ゆれる記念樹木下恵介劇場の「記念樹」を検索していて天野滋作詞の「記念樹」にぶちあたって、You Tubeで検索したらこの映像がでてきたんだ。「記念樹」裁判について詳しく知りたい人は自分で調べてね。俺、あまり興味ない。作曲者の服部克久と小林亜星の間でのトラブルがあったんだね。俺、な~んにも知らなかった。記念樹ウィキペディア百科事典記念樹裁判について裁判・どこまでもいこう記念樹「あっぱれさんま大先生」映像
2007.01.31
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