明きょう止水 

明きょう止水 

PR

×

Freepage List

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

-きょう-

-きょう-

Calendar

Favorite Blog

Words Тоsйiуаさん
A LITTLE DREAM winthemixさん
アンバーグリースの… アンバーグリースさん
手作り日記 junjun0306さん
わたしのブログ ちるちる9428さん

Comments

http://buycialisky.com/@ Re:ちょっと思い立ったこと(02/11) what doe cialis look likewo kann man ci…
http://cialisvbuy.com/@ Re:ちょっと思い立ったこと(02/11) cialis tooth painfree sample of low dos…
杏唯@ 雪は嫌です (★´・ω・`)ノ【こんばんわ】ヽ(´・ω・`○) …
杏唯@ お友達 †Good Evening†o(・"・*) お友達と…
-きょう- @ Re:(o゚ェ゚))ゥンゥン(02/21) 杏唯さんへ コメントありがとうござい…
Mar 17, 2009
XML
カテゴリ: 考え事






私だって、それなりに面白いことも経験しているし、それに似たようなこともある。面白かった話をその日一番のトピックにしたいという気持ちも当然ながらある。それに面白い話の方が内容の構成を考えている時にうきうきする。どのような手法で話の内容を膨らませようかと考える時は、ブログをやっている醍醐味と言えるだろう。事実長い間続けてこれたのも、そういう意味でのモチベーションが支えになっているからだ。
だがしかし、それ以上に最近の私の周りでの出来事はシリアスな方向へ動き出している。まるで重要な決断をしなければならないように。今回もそういう意味ではちょっと笑えない話だ。まぁ主観的に面白いと思っていても、客観的には面白くないということは世の中ごまんとある。そういう意味では自己満足の域を出ないのは自明なのだが…まぁあくまで主観的に面白くないと言っているに過ぎない。面白いと思う人にとっては面白い内容なのだろう。今回もまたそんな話。前置きは例によって無。



人に対する考え方というのは、その人の根幹的な思考に起因する。「今までそうだったのだからこれからも例外なくそうだ」慣れという名の根幹的思考は、少しくらいの衝撃では変わらない。何故か、それが楽だからだ。人生何年生きてきたにせよ、その信念を曲げる必要性がなかったから曲げなかった。簡単なことだ。確固たる人生を上手く生きていくバイブルがあるのに、それを敢えて曲げようなどとは誰も思わない。さながらそれは困難な道を自ら選ぶが如く。
要するに成人となるのを待つか待たないかぐらいの時期に、物事の価値観・優先順位というものは確立される。勿論バックボーンは今まで生きてきた環境だ。それで上手くいっているのだから疑わない。そうなってくると、必然的に身の回りの存在は、似たような思考の人間で埋め尽くされていく。その人達と上手くやっていくことを考えなくても、周りが似たような思想なのだから、敢えてあわせていく必要性なんてない。つまり…それが感性の意味での生活観の構築だ。慣れ親しんだ環境の形成となる。
勿論それが悪いことだとは言わない。すすんで苦難に挑んでいく必要性なんかない。世の中を生きていくことは仕事ではない。故に、楽しく笑顔で暮らせる方法が目の前にあるのだから、そこに依存するのは悪いことでは決してない。だが、そこにだけ妄信的に固執するのは…自ら人間的な感性の広がりを阻害する行為と言える。


こういう例は周りの関係を財布の中身に喩えるとわかりやすい。例えば1000円しか持っていないような人が100円を落としてしまったとしよう。その人は、全財産が1000円しかないのだから相当焦る。落としたと思しき場所を一生懸命に探すだろう。財布の中身の一割を不本意に無くすのは痛すぎるからだ。この場合の100円の扱いは非常に大きい。残りの金額にしても同じだ。財布に入っている全てのお金には等しき価値がある。
だがしかし、財布に100万円入っている人が100円を落とした場合はどうだろう?財布に1000円入っている人ほど100円の損失を気にするだろうか?答えは否だ。財布の中に多くのお金を有している人の思考回路は決まっている「100円くらいいいか」だ。100円が何処にいったのかを一生懸命探すのなんて時間の無駄だ、他のお金がそうならない為の対策を講じる。そして、これから同じことがないように残った99万9900円の守りを固める。100万円財布に入っている人にとって、落とした100円はこれくらいの価値しかない。未来に於ける再発防止、現存勢力の固持。100円という存在が放つ固執の時間はそんな刹那。

この「刹那の時間気にされる」という行為が、100円にとっては辛いものとなる。どうせなら100円落としたことに気がついてもらえない方が幾らマシだろうか。あっさり切り捨てられる方が100円にとっては幸せだ。心優しい誰かに拾ってもらい、交番にいくこともできるし、拾った誰かによって優遇的扱いを受けることもある。お金持ちは道端に100円落ちていても決して拾わない。そんな卑しいことをしなくても、十分にお金を持っているからだ。中途半端に気にされることが一番辛い。





尤も、それは財布の中身の充実している人の考え方だ。財布の中身がそれほどない人にとっては、100円はそこそこの効果を発揮する。もうちょっとでジュースも買えるしね♪(笑)
だから100円の存在価値は人の付き合い方の感性によって決まる。100円をないがしろにする人はそれだけの考え方。同様に50円や10円、5円や1円をなくしたとしてもそれをなくしたことにすら気づかないだろう。つまりはドライな考え。
だから100円としたら、お金があるないに関わらず自己の存在を明確に把握してくれる人の財布にいきたいと願う。その中で自己を大きく伸ばすことの方が、他に強烈な存在感を示すお札達の中でひっそり生きていくよりも幸せだからだ。


落とされることが罪なのではない

落としたことに気づかないこと

それだけの価値しか感じていないこと

それこそが一番の罪

財布がお金でいっぱいってのも考え物かも(笑)


今、貴方の財布から100円が落ちました

それは貴方にとってどれだけの価値がありますか?














お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  Mar 18, 2009 11:56:25 AM
コメントを書く
[考え事] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: