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Jun 2, 2009
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カテゴリ: 考え事







ふと考える。文章を書くことを生業にしている人以外で、一体どれだけの人が文章を書くことに対して抵抗がないのだろうかと。例えば、仕事場や学校で、ふと何気ないことに対しての感想や考察を原稿用紙2枚程度で書いて提出しろというような課題が出た場合、どのくらいの割合の人間が嫌がらないで書こうとするかというようなことだ。
私のおおまかな予想では、2割がいいとことだろう。恐らく職場や学校のように、どのような趣味を持っているのかがバラバラな人間の集合体、玉石混合の状態でhどのような嗜好であろうと3割を超えるものはそうそうない。しかも今回のテーマは文章を書くことを好意的に見ている人という…一般的には少数であろうテーマなので、2割あれば十分だと言ったところか。悲観的な数字ではない。


各言う私は、勿論文章を書くのが好きな方だ。それは何故かと聞かれることは最近はあまりないが、強いて答えるとしたら…文章を書くことは自分を表現することの1種なのだから。
例えば目の前に綺麗な絵があったとしよう。その絵に対してどう思うか、それは殆どの人が同じだろう。まずはその絵が「綺麗か否か」という点から始まり、綺麗ならば褒めるような意味の美辞麗句を述べる。逆に綺麗だと思わないならば、どういうところが綺麗ではない要因なのかというようなことを書き、人によっては自分ならどういう種類の絵が好きなのかと言ったような言葉も入るだろう。ただし例に挙がった絵の話の好き嫌いで意見が分かれることはあっても、その絵の歴史的背景や書かれた時代の作風との相違点まで掘り下げていくようなことはないだろう。その理由は単純、絵の感想でそんなものは意味がないからだ。
では逆に「差別についてどう思うか」というテーマだったとしよう。その場合には、好きか嫌いかという二者択一の選択肢ではなく、個々人の意見が求められている。つまりざっくりと2分割出来ない。そのようなテーマの場合には、どう思うかを多くの言葉と文章で語ることは自己の表現であり、己が考え方を伝えることに繋がる。勿論全てがそうだとは言わない。短い言葉で語ることの方が深みが増すということも多分にある。


上記もしたが、文章を書くことは自己の表現の1つだ。論文を書いてみると、その意味するところはよくわかる。小学校や中学校で書く感想文とは一線を画しているもの、それが論文だ。何が最も違うか、それは感想文が主観的な見方で書かれているのに大して、論文では客観的な見方が必要になってくる。誰が見てもテーマに納得できるように多くのデータから必然性を導き出す。
わかりやすく言えば、感想文は「1+1=○」のようなものだ。既に境界条件の式は立式されており、その答えを求める。つまり与えられた条件に対しての答え=自分の気持ちを書くといった具合だ。対する論文はそうではなく「○+○=2」のようなものだ。「2」という結果は既に見えていて、その結論に至るまでの過程をある意味では推理するようなものだ。この虫食い算を成立させる境界条件を「2」という結論を鑑みた上で限定していく。それが論文の特徴だ。
ここで重要なのは「答えが1つではない」というところだ。人によって物事に対するアプローチの仕方が異なることに起因している。例えば1ホールのケーキを12分割する場合、まずは十文字に切ってから考える人と、ケーキの外周を求めて12で割り、その上できり始める人もいる。後者は文型の人間からすれば信じられないかもしれないが、理系の人間にはこういう人も結構いる。ケーキを切るという結論は同じにしても、アプローチの仕方はまちまちだ。



私がブログをしているのは、私だけが見て感じた物事を如何「わかりやすく」するかということだ。私が見て感じたのだから、そのまま頭の中に留めておくことは容易だ。だがそれではアウトプットに齟齬が発生する。そうではなく、ほんの少し言葉を多めにすれば、誰にでもわかりやすくなる。人との根底的な違いを感じる最も大きな要因は「理解できる道筋で理解できない結論」だ。その最たるものを私はやっている。人から「変わってる」とよく言われる私だからこそ、その考え思うところを文章に綴っていくことに意味を感じているのだ。
だから私はブログを続けている。面白いものを書こうとして意味不明になったり、詳しく説明しすぎて冗長になることもしばしばだが、大部分が未完成だからこそ、稀に完成した時の感動も大きいというものだ。

しかしこれは才能ではない。文章は長ければ長いほど価値あるものではないからだ。短く的確に伝えられる方が余程才能に溢れている。長い文章を書くということは、ほんの少しの自己満足が生み出した副産物だ。グリコのおまけの玩具のようなものか。

私は文章を書くのがすきだ。願わくばこれを読んでいる貴方が文章を読むのが好きな人ならばこれ以上の幸せはないだろう。













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Last updated  Jun 3, 2009 03:48:25 PM
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